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皆さん、ホントに深いところまで掘り下げて観ているんですね。
でも、そんな深いものをこのドラマに求めるのは無意味だと思います。
(悪い意味では無く)
長い時間をかけた原作があるわけでもなく、脚本家、演出、出演者、・・・
みんな消化するだけでも精一杯だったと思います。
トータル何時間のドラマ?。振り返る余裕無いから人間性はぶれちゃうし、
人情味、やさしさ等入れ忘れたり、きっと製作者側は、苦笑いしているとおもいますよ。
(そこまで裏読みされるとは・・・・・と)。
岡目八目、なにしろ番組名が、ごちそうさん ですからおいしい処だけ食べましょう。
もうそろそろデザートの時間になってきましたね。
ごく普通かそれ以上のドラマ読み取り、鑑賞力のある人にとっては深読みするに十分値するドラマだと思います。
ユーモアのつもりで作ってる部分は別としてこれはかなり綿密に計算されたドラマであることはまちがいないと思います。
一時のノリで作ってる作品ではないでしょう。
今後正当な評価を受けるものと思います。
感想サイトとはちがうところで。
雪の舞い散る中で美しい男女のお互いへの純粋な恋情
それだけで全てが浄化されるステキな朝ドラ
引きの画面で悠太郎に向かってまっすぐ立つめ以子の絵が非常に美しかった
恋と言えばすぐにキスだの何だの、などとは違う 時代の美が感じられる
朝ドラにはもったいないような良作
こういう作品の良さをキャッチできる日本人でありたいです
正直この作品をすっかり見直した今週でした
>人間性はぶれちゃうし
ぶれるどころかそれぞれのキャラが日を追って深みを増していると感じます。
ガソリン云々なんてもはやどうでもいいです。
朝ドラでこれだけ人の心情を掘り下げて描いてくれれば十分です。
主人公二人だけではなく、希子夫婦、源太、そして静などの描き方も人情というものを
大変感じさせてくれますね。
それぞれがぶれるどころか、戦争という状況にあって人を思う気持ちを深めています。
久々に充実したドラマを見せてくれていて今回はNHKに感謝、かな。
早く物のない戦争の時代をぬけてまたいろいろな食材を使って様々な料理を
見たくもあります。
登場人物たちと同じように何だか豊かでおいしいお料理に少し飢えて来たようです。
>恋と言えばすぐにキスだの何だの、などとは違う 時代の美が感じられる
>朝ドラにはもったいないような良作
これはさすがに持ち上げ過ぎかとw
土曜日のあの場面だけならともかく、他のエピでの「恋」に「時代の美」はなかったわ~w
わたしは朝ドラ毎回観る人間ではなく、小さい頃なぜかあぐりがすきで毎回みていた記憶があるくらいです。昔から、芯があって夫想いの強い女性の物語がすきだったのかも(^O^)(笑)
社会人になって数年の自分にとって、自由が許されないこと、大切な人が戦場にいくこと、夢を諦めることがどれだけ辛いことか、やっと理解できる年になったと思います。
最近永遠の0をみて戦場の悲惨さを知ったけど、前に書いた方がいましたが、その時の家族の人々の日常の変化中心に描いてあるドラマはわたしも見るのが初めてです。
あんまり細かい人間じゃないので細かいとこは気になりませんが、毎日本当に楽しみにみてます。和枝姉さんがどんなふうにめいこをいけずしながら助けてくれるか…来週も楽しみです!
今回の悠太郎のフェードアウトで改めて思ったけど、このドラマ、人への思いやりとか気遣いが本当に上手く描けていない。よその家の人へのそれは端から論外にしても、家族の中での親子、夫婦、兄弟の間での思いやりとか気遣いをきちんと書いていないから、今回のお別れの場面とか、いざ家族の中で感情をぶつけあった場面とかで感情移入ができないのだと思う。
めい子が主人公だから、対めい子の会話は多く、それなりにめい子に対する思いやり、気遣い(というか、最近はめい子様ageに偏っている感もあるが)は見受けられるけども、他の登場人物間の思いやり、気遣いは一過性のもので、積み上げられたものが少なく唐突感が否めない。
悠太郎と子どもたちの会話にしても、なんだかHPのプロフィール紹介みたいで、「いや、それは知ってるけど、今までほとんど会話なかったのに、そんなこと言われても」状態だった。めい子との別れはさすがに絡みが多いだけに持ち出せるものも多かったけど、そもそも悠太郎がめい子を好きになった経緯があいまいだったので、夫婦として最初から違和感があり、どうにも感動できなかった。
エピソードが多く羅列したドラマ。
1つのことを掘り下げて描かない(描けない?)から、視聴者は戸惑ってしまう。 細部は、視聴者の脳内補完におまかせです。
また、月曜リセットで新しいエピソードが始まるのでしょう。
この年になり母としての気持ちで戦争を見るようになりました。
若い時とは違う感覚で見ている自分を感じます。
人への思いやりと気遣いに泣けるドラマです。
毎回ではありませんが。
例えば2014-03-02 05:58:31さんのように
都合の悪い部分には「もはやどうでもいい」とフタをして、
他には「細かいことだし」や「ほんのおふざけだし」などもあるな、
不都合な部分を徹底的に切り捨て削ぎ落としつつ
「(自分脳内の)結論ありき」で帰納的に視聴したら
そりゃもうどんな駄作糞作だろうが
実際とは逆の結論に辿り着くことは出来るわなあ。笑
ガソリン云々などは、悠太郎という人物の人となり、これまでに
積み上げられてきた彼という人物の設定に、大きく逆行しての
取ってつけたような挿話であって、人物の心情を重視するなら尚のこと
決して「どうでもいい」ものなどではなかろうに。
都合の悪い部分というのはどういう意味ですか?
ドラマですから都合で作られてると思います。
>視聴率が良作を物語っていると思います。
それはどうかな。
あまちゃんで離れた高齢の視聴者が戻ったのと、あまちゃんのように視聴者を選ぶような表現がなくて誰でも見やすいから、安定した視聴率が保てるのでしょう。途中で離れる視聴者が少ないのは、一つには一見、面白エピソードを繋ぐ脚本家の手腕だとも思いますが、やはり前作のようなクセがないからだと思います。でも、だから良作と言えるのかな。正直、私の周囲では、見ている人もかなりツッコミながらの惰性視聴が多いです。私も含め。
私はこのドラマ、決して駄作とは思わないけれど、パターン化した展開といい、深刻な話でもおふざけ交じりの深みのなさといい、あまりに食とごちそうさんにこだわりすぎの点といい、今後もそれほど記憶に残る作品になるとは思いません。
朝ドラの人気と、このドラマの人気が重なっての高視聴率だと思います
人気の理由はわかりやすく、くせのない安定感でしょう
ガソリン云々以前に、悠太郎の「安全な街作り」への思いは、母親を火事で失ったところから始まるけど、ふくの火付けの時に全く反応しなかったことで、大事なものを取り落としてしまったよね。今更、いくら立派なことを言ってみたところで、取り返しがつかないだろうに。
あそこは、まずは烈火のごとく叱り倒しておいて(それこそ、今回のように声を張り上げてね。どうも悠太郎の台詞って大きな声を出すところを間違えているような)、あとで実験をやろうとしたことには気づいてあげて、「火事につながる火付けは危ないこと。実験は(じいちゃんと)台所でやりなさい」と教えてやれば問題なかったのにね。
そういうちぐはぐなことをやらせておいて、今回のガソリンばらまきだから、その場その場の思いつきで危険なことをやらかしただけになってしまうんだよ。
>ガソリンについて知識のある人が果たしてどれくらいいたのか?
もちろん、一般庶民は知らなかったと思いますが、学生のふ久だってガソリンによる火災が水でも砂でも消火できないと知っていました。工場関係者だっているし、市の責任者の中に悠太郎以外にも理科的知識のある人はいたと考えるのが自然でしょう。
スコッチエッグがまた出てきましたね。今回はお肉がなくて、大豆によるお肉もどきが使われていましたけど。
最初に出てきたときはちょうど我が家で作ったばかりだったので、なんとも嬉しい気分になりました。今回見て、また作ってみようかな、と思いました。ただ、けっこう面倒なんですよね(苦笑)できればめ以子のように、卵を半熟にとろっとしたものを作りたいけど、難しいだろうなぁ。
ふくは一般的なしつけをしても通じないタイプだと思う
だからああいう描写があったのです
女学校の先生にひっぱたかれても自分の意思を通すような子です
両親はふくの教育には苦労したと思います
↑子どもの人権を尊重するために書き続けます
2014-03-02 05:23:30 名前無し さん、
>ユーモアのつもりで作ってる部分は別としてこれはかなり綿密に計算されたドラマであることはまちがいないと思います。
どうして「別と」するんですか? 何かを別とすること自体が、一本のドラマとして見た時に「綿密に計算」されて い な い ことの現れだと思いますが。少なくとも「まちがいない」という断定には、大きなハテナマークがつきます。深読みに足る緻密に計算されたドラマは、ユーモア含め細部に至るまでが周到ですよ。近年の例だと、カーネーション(のヒロイン役者交替以前)とか。
>不都合な部分を徹底的に切り捨て削ぎ落としつつ
>「(自分脳内の)結論ありき」で帰納的に視聴したら
正にこのような恣意的な視聴の仕方のことを、2014-03-02 05:23:30 名前無しさんは「鑑賞力」とお呼びになっているんだなとしか思えません。それを踏まえて、
>ごく普通かそれ以上のドラマ読み取り、鑑賞力のある人にとっては
とは、随分とまたゴーマンな物言いだなと。
高視聴率だから、このドラマは人気がある?
視聴率を測定する機材は、限られた家庭にだけ設置され、信憑性はどうでしょうか? 視聴率は参考になる程度だと思います。
朝ドラは15分と比較的短いので見易い、習慣で見ているご家庭も多いのではないですか? 公共放送で、全国放映されてますし。
ごちそうさんはあらすじは面白い。だけど細かなディテールが雑。台本に足りない部分があっても役者に力があれば、微妙な表情や間合いでセリフにはない人物の心情や背景を伝えてくれるから視聴者は納得できるけど、主役夫婦の演技力では台本をカバーできないどころか、セリフも口先だけでさらにこの物語を深みのないものにした。演技力が足りなくても朝ドラのヒロインは若さと可愛さがあれば、フレッシュ感だけで日本の朝を爽やかにしてくれるけど、杏さんは若くもなければ可愛くもない。だから、話の筋を追うだけのながら見になってしまう。
朝ドラ低迷期に比べたらはるかに視聴率は高いです。
それはどうお考えですか?
ふ久の教育に両親が苦労したのはわかります。め以子はさんざん手を焼いて頭を抱えていましたよね。
でもだからといって、ああいう状況で、実母を大火で亡くして火災の恐ろしさを人並み以上に知っている悠太郎が娘のことに何も言わないのはやはり不自然だったと思います。これも子供の個性だからっておじいちゃん、おばあちゃんは甘々だったけど、少なくとも悠太郎はもっと厳しくたしなめるべきだった。そのうえで個性を伸ばせるように親としてフォローしてあげればよかったのでは。
そういうふうに考えると、今回の悠太郎の乱が唐突に思える人がいても仕方ないかもしれませんね。私は正直なことを言えば、その点は結構すんなり見ていたのですけど(苦笑)
大豆を使った肉もどきw
あれって、めい子に「こんな犬も食わんようなものを作ってはいけなかった」と言わしめた悪名高い興亜建国パンと同じもの(小麦粉と大豆粉を練り上げて蒸す)なんだけどな。
そういや活男が上官に「大豆粉でつくったんです」と肉もどきを食べさせて、上官が「小麦粉を使っているのか」と言ったので、活男が「なんでわかるんですか?」と聞いていたけど、あの上官、興亜建国パンを食べた(当然作ってもいる)ことがあるんだろうね。立派な人だ。
朝ドラとして高視聴率をキープしているのですから、このドラマが一般に人気があると考えるのはおかしくないと思いますよ。最近の朝ドラの中で比べても高視聴率を記録しているのですから。習慣視聴や惰性視聴があるのは他の朝ドラも同じことですし。
ただ、それと良作であるかは別の問題だと思います。その根拠については先に別のコメントで述べましたので、ここでは割愛させていただきますが。
>2014-03-02 11:01:33 名前無し
朝ドラ低迷期に比べたらはるかに視聴率は高いです。
朝ドラ低迷期とは、どの朝ドラをご提示されているかはわかりませんが。
2014-03-02 10:56:51 名前無し で書いた通り、
視聴率を測定する機材は、限られた家庭にだけ設置され、信憑性はどうでしょうか? 視聴率は参考になる程度だと思います。
限られた範囲の視聴率設置機材で測定した視聴率だから、
このドラマは人気がある? には繋がらないのではと書きました。
視聴率は、参考程度です。
このドラマがお好きなら、貴方の言葉(感想)で書いたらいかがですか?
厳しい対応ではあの子が潰れてしまうのでしょう。
一般的なしつけを描かなかったのは、それが理由だったのだと思います。
>このドラマがお好きなら、貴方の言葉(感想)で書いたらいかがですか?
いっぱい書いてます
>ふくは一般的なしつけをしても通じないタイプだと思う
だからと言ってしつけの部分を描かない理由にはならないのでは?
通じないながらも懸命に対峙する姿があっても良かったと思います。
石と火の時は特に。
>>このドラマがお好きなら、貴方の言葉(感想)で書いたらいかがですか?
>いっぱい書いてます
貴方の感想をお待ちしています。
視聴率は参考程度。
ドラマと外れた内容で、他の方すみません。また、明日ドラマの感想を。
>厳しい対応ではあの子が潰れてしまう
でも、彼女のしたことを考えてください。かなりの大きさの石を投げ落として友達に怪我をさせた。校庭の片隅で火をつけた。ドラマ中ではもちろん大事になってはいませんが、状況によっては大事になりえた事件ですよね。それに結果としてふ久は変人ながらも反社会的人間には成長していませんが、それはあくまでドラマ中の結果論です。変わった子もそれは個性と常に寛大に接するのが正しい教育法なのですか? べつに誰も悠太郎にふ久を殴れとか言っているのではありません。ただ、事の是非を教え諭せばよかったと言っているのです。それでもわからない子なら仕方なかったでしょうけど、せめてそのシーンを少しでも入れてくれれば違和感は覚えなかったと思います。
年末までの次はどうなる?感は無いですね。
結婚するまでも二人の気持ちの盛り上がりがすっと入り切らなかったり、違和感あっても
物語に引っ張られ見てましたが、今年に入って脳内補完させられる感が強くなりました。
私の勝手ですけど。
今週は和枝さんと泰ちゃんのやり取りがあるみたいで、それを楽しみに見ることにします。
、>いっぱい書いてます
この人↑固定ハンドル名乗ってくれないかな~。対処が楽になるし。かなり切実な望み。
ことの是非を教え諭す
これが簡単にいかないからめいこが苦労したんだと思います
>子供の人権を尊重するために書きつづけます
ただ厳しく躾ればいいわけでないことはわかります。でも、人権とまでおっしゃるなら、石を落されて怪我をした子どもの人権はどうなるのですか? 石を落したら人にぶつかって怪我をすることもある、安易に火をつけたら大変な火事になる危険もある、それはいけないことなんだよ、とそのぐらいのことを親が子に言うのは厳しい躾ですか? 簡単にいかないことでも、少なくとも言ってみてもいいのではありませんか? それでもわかってもらえないなら、その時点でまた対策を考えればいいでしょう。
>朝ドラ低迷期に比べたらはるかに視聴率は高いです。
についてなんですけど
朝ドラ低迷期はきっと「ちりとて」あたりから、2009年までの時期をおっしゃっているのかなと思います。
ゲゲ以降時間帯が繰り上がり、ぐっと視聴率はよくなりました。平均すると19パーセント弱くらいでしょうか。
これまではその中では「梅ちゃん先生」が一番視聴率が良かったのですけど、この調子でしたら「ごちそうさん」が一番になりそうですね。
私としてはそこまで視聴率が高いってどうしてなのかなっていう印象です。割と普通だよね、という感じでなにかこれと言った特徴があるとも思えないし。キャストにしても特に目を引いてこの人が出ているから絶対見たい!みたいな感じではないと思うし・・・20パーそこそこっていうのが妥当が自分としての印象。
ひとつの仮説としてですけど、「純愛」と「あまちゃん」で朝ドラ離れした人が戻ってきた、そしてその両者もしくは「あまちゃん」から新しく朝ドラを見始めた人、その両方が注目しているからではないでしょうか。
現代劇より明治大正から昭和初期あたりを扱った作品の方が視聴率は高い傾向にあるとも思います。
「あまちゃん」から見始めた層の中には面白くないって言いながらもずっと見続けている人達がいる可能性はありますけど。(苦笑
いずれにしても私も思いますけど、視聴率が良作かどうかの目安にはならないと思います。
人気というより、人々の注目度っていう感じと私は捉えています。
教育として、子供の長所を伸ばすのはよいことだと思う。
だから正蔵が家でいろいろ物理的なことを教えたシーンはとてもよかった。
だけど、それと事の善悪を教えないこととは別の問題だと思う。
そのあと(少なくともドラマ中では)べつに問題がなかったからいいじゃん、とはならないと思う。
あそこで、源ちゃんにめい子のことを「人生のアイカタ」と呼ばせるのはどうなんだろうね。
今でこそ、コンビ漫才の相手のことを「相方」というけど、当時としては、「敵娼」なんじゃないのかな。特に源ちゃんが1000人切り目指して入り浸ってる花街では普通に使われていただろうから。
ことの善悪を教えなかったとは思いません。
善悪を教えなかったら、ふくは本当に社会から外れてしまいます。
あの描写はふくの特性を示すもので、親が手を焼いてるように受け取りました。
ふくのように問題のある子は親に甘やかされているからだと言われ、あげくは変人扱いされて相手にされなくなるような風潮が怖かったので、投稿しました。
ドラマでは夫婦がもっと子どもと触れ合うシーンが欲しかったです。
特に悠太郎の父親像には期待してましたが、子どもと遊ぶシーンがなかったのが残念です。
なみに私は障害児と関わる仕事をしています。
源ちゃんにはあの時、
「あんなんの面倒、お前しかよう見んわ!すぐに帰って来いやっ!」
と言って欲しかった。
その方が源太っぽいし男前だった気がする。
他人のコメントに食いついている方、どこか同じような食いつき方ですね。同じ人なんでしょうか。
日曜日は放送がなく、コメント欄も関係ないやりとりが多くなるのかもしれませんね。
明日からは疎開先でどんなやり取りが見られるのか。どんな時勢でも和枝の生き方は同じなんでしょうか。楽しみにしています。
でも、あと4話しか残されていないのですね。
悠太郎は無事帰ってくるのでしょうか。心配です。
ちりとてちん面白かったのに、視聴率低くてなぜだろうって思った記憶が。梅ちゃん先生、おひさまはなんで人気あるんだろうって思ったしなあ。
ふくがそれなりに育ったのはめいこ達の努力なのでしょうが、ここでも脳内補完ですよね。
丁寧に描くにはもう一週間あればよかったのかな。
子供の同級生は一緒に学校で過ごしているうちに回りの子供達が自然に目配りするようになり受け入れていきました。
子供って柔軟なんだなあ。と感心した覚えがあります。
そういったまわりの子供達とめいことの関わりがあってもよかったとのではと思ったり。
>ことの善悪を教えなかったとは思いません。
でも、少なくともドラマ中では悠太郎が教え諭すシーンはなかったですよね。ふ久のことは妻のめ以子に任せきりだったし、め以子もそれ以上しつけようという姿勢は見せませんでした。よくみなさんが言うように、すべて脳内補完しろ、ということですか? べつにドラマ中に、一言そういうことはいけないんだよ、というシーンがあってもいいではないですか。それだけで見ている人はごく自然に受け入れられたと思いますよ。あれでは逆に悠太郎が親として無責任に見えてしまった気がします。それと悠太郎が子供たちと触れ合うシーンがもっとあればよかったというご意見は私も賛成です。
防空演習でガソリン・・・
油の一滴は血の一滴のはず
焼夷弾の再現はともかく鉄筋すら入手難なのにガソリンを火災の再現にばらまけるほど余っていたのだろうかと疑問。
またその程度のこと(軍の意向に沿わない防空演習での発言)で満州送りって・・・
途上、潜水艦に襲撃されなきゃいいですが。
3/1は涙涙の回のはずですが、登場人物に感情移入できず泣くに泣けない?(感動的過去シーンの記憶ナシ)
「視聴率がいいから良いドラマ」はあまちゃんの時は納得できましたが本作はいささか「?」です。
反あまちゃんの意見も一理あったんだなと・・・
あまちゃん、あまちゃん
まだ引きずってる人、多いのね…
杏の次のアンも大変そうだね。
↑ココにつっこんで申し訳ないけど、「あまちゃん」の時も「?」でした。
人それぞれでしょうけど。
細かい部分が気にならない、そこに蓋をして、なんていうことではありません。
それ以上、というかそういう部分をもう気にする必要はないな、と感じさせてくれる人の心の変化を細やかに描いてくれてる部分があるからやっぱり全体的に良いドラマだなあ、と感じます。
なにかの雑誌の見出しに「深面白い」という表現が使われてました。記事は読んでいませんがこのドラマを表す絶妙な表現だな、と思いました。
2、3年前からNHKの朝ドラというものをちゃんと見始めましたが、その中ではストーリー的には一番よく練られた作品で「大人」の鑑賞にたえるものがあるように感じています。
特に戦争の時代に入ってからの人々の心の描き方が、ただただ暗く悲痛に描かれてるわけでもないのに胸にせまるものを感じさせてくれます。ラブストーリーとしてもなかなかだと思います。
>ごく普通かそれ以上のドラマ読み取り、鑑賞力のある人にとっては
とは、随分とまたゴーマンな物言いだなと。
ゴーマンとは感じません。
まったくその通りだなあ、って感じます。
なぜそう感じるか?感想サイトのいろいろな感想を読んで、です。
人の書いた感想にどうのこうの言うな、とか言われても実際同じように感じてる人間もいる、ということですのでどうこう言わないでください。他の人の感想にゴーマン、と感じることを書いても許されるわけですからね。
このドラマの笑わせようと作った部分には役者さんの演技力も影響してすごく面白いコメディのようなものは私は正直感じません。でもかと言って全く笑いになっていないか、と言えば全体的なバランスやキャラの程度には合っているものもとても多いと思うので大笑いではなく小笑いできる部分も意外と多いです。攻撃的な笑いではなくキャラらしいほのぼのした笑いはあります。
前作などはもう毎回大笑いしていました。でもああいう類の笑いをこのドラマに入れてもただ浮くだけで全く面白くないでしょう。
このドラマのよさはそういう笑いの部分よりも人の心の機微をちゃんと描いて感動させてくれるところだと思います。あまちゃんなどにはなかったこのドラマ独自の掘り下げ方があります。
そういうところはやはり受け取って見たいものですね。まあ人によって差異は当然あるのでしょうが。
いろんなタイプの朝ドラがあってこのところ朝ドラもなかなか充実してるように感じています。私はあまちゃんで大笑いできた後、こういうタイプの朝ドラを見られて朝ドラにも変化があり、視聴者として幸せです。
深面白い
始めて聞きましたが言い得て妙です
ラブコメだけの面白さとは違う何かかが感じるドラマです
ドラマでも映画でもドキュメンタリでも一般の人々の映像作品に対する鑑賞眼はその国の文化程度を表しますよね。
ドラマの肯定でも批判でも、ああなるほど、と感じることができる感想を読むとまだ大丈夫だなあ、って安堵することがあります。
評論家の批評もただ商業ベースにのっかったお抱え評論みたいなのばかりにならないといいな、といつも思っています。
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