



3.67
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| 2 | 83件 | ||
| 1 | 261件 | ||
| 合計 | 1169件 |
今朝の朝食は、魚は大きかったけど
割と質素でしたよね。
あの豪華な朝食は、たまたまだったということなのか
め以子がふくちゃんのことが気になって
手の込んだ朝食が作れなかったのかはわかりませんが
毎日豪華な朝食じゃ、リアリティがなさ過ぎですものね。
>私なら 一日交代してもらうわ
め以子の方が石川さん達のあしらいは上手いと思うしw
アハハ、これ全く同感。
ずっと仕事してて子供生まれて半分専業主婦になった時には身体的には外で働く方が大変だけど精神的には家を守って子育てに従事する方が私ははるかに大変で早く子供大きくな~れ、って感じてましたわ。
悠太郎さんはとにかく理屈っぽくて常に理想を追ってまわりが全然見えないところありますね。融通が利かない、っていうのはああいうのを言うんでしょう。
でも自分だけじゃなくて人に対してもちゃんと理屈を通して理不尽にただの亭主関白みたいにならないところが好感が持てます。今朝の二人の言い合いは若い夫婦にありがちで笑えました。め以子もねちねちと根に持つ性格じゃないところがこの夫婦は未熟なところがあっても応援できます。
ふ久ちゃんは相当変わり者の子供って感じがしますが、あそこまで程度がひどくなくてもああいう子供は実際にもいると思いますしそれで親が大変な思いをする、というのもリアリティを感じます。
正蔵おじいちゃんと気が合うようで同居しててよかったなあ、と感じました。子育てって一元的なものの見方だけではなかなかうまくできないところあるんだと実感。
しかし火の始末にピリピリ神経質なお父さんが家に返ったら我が子が学校で火を出していたなんてシャレにならない話で面白い脚本ですね。理屈を通す悠太郎ですから、おじいちゃんおばあちゃんがいくら甘やかしてもたぶんふ久ちゃんにはきっちりけじめをつけさせるのではないかな、と思います。それじゃなきゃキャラのブレになりますからね。
石を落としたり火を出すのはもちろん大ごとです。だからこそその動機や対処を家庭でも学校でも考えるための自宅謹慎でしょう?
なんだか昨日今日に問題が解決しなければ、とかふ久ちゃんの行動は脚本ミスだとか、ずいぶん性急な見方の感じがします。年中いろんなことをフシギ、フシギと感じてるあんな子ならどんなことだって無防備にやってしまう可能性はあります。それが人にとってどんなに危険で悪いことか、という認識が伴ってないんですね。そこを教えるのは当然大人の責任。そういう子を頭ごなしに否定するのではなくそれを協力して社会に通用する子を育てるために学校も家庭も努力しなきゃいけないのだと思います。そのあたり納得行く形で描いて欲しいです。
好奇心旺盛な事と人に迷惑を掛けて悪かったと思う気持ちとは別の問題だと思います。それを一緒にして普通の子じゃないと強調する手段にするから違和感を感じるんでしょう。
今日の放送でふ久が何を考えてるか理解出来てひと段落的になってますが、これで終わりでしょうか。頼むから最後まで始末つけてほしい。
明日の放送に期待したいけど、今まで見ていると盛り込むだけ盛り込んでその一部を解決させて無事終わり、が多かったから、もしかしてまた?と思ってしまいます。時間がないなら、ない時間で回収出来る量のエピソードにすれば良いだけのこと。
脚本家もプロデューサーもそれを生業としているプロなんだから素人から表現方法を教えてもらってどうするんでしょうか(笑)
悠太郎が見ていため以子の料理ノートの内容を見てると2日分でしたが質素な食事でしたね。あの日は特別な日だったようですね。
>どう見たって異常でしょう、ふくちゃん。
異常、正常の判断はそう簡単ではありません。
このコメントを書いた方はそんなに正常なんでしょうか。
異常、正常などと感覚的に断定してしまうのが正常な判断とも
自分は思えません。
だからふ久ちゃんみたいな子、周りの大人達が正常、とも言う
こともできません。
>だからふ久ちゃんみたいな子、周りの大人達が正常、とも言う
こともできません。
少なくとも、年齢に応じた精神的発達が出来ていないのは確かですよ。
人に怪我をさせたことを悪いと思っていない。
好奇心が強いのはいいが、道徳心が育っていない。
め以子も子どものころ問題は起こしていたけど
悪いことをしていると言う自覚はあった
食欲に勝てなかったけど。
この差は大きいですよ。
そう、だからこそ大人が皆でわからせなきゃいけない、同時に
彼女をわかった上でなければわからせることはできない、
ってことが描かれる・・それがドラマじゃないんでしょうか?
ふ久ちゃんはドラマのキャラですが、ふ久ちゃんみたいな要素を
持った子の存在そのものを否定することなんてできません。
発達してない、異常だ、親が悪い・・・それを言うばかりでは結局
何の問題解決にもならないのだと思います。
ただ相手の存在を丸ごと否定して消えろ、とでも言ってるみたい。
声を大にして言ってドラマやドラマの登場人物を否定するのは自由ですが
ドラマの動向を気にして見てる人にはああ、そうですか、そう感じる人も
いるんですね。ただそれだけだと思います。
ふくちゃん、おじいちゃんの説明を興味深く目を輝かせて聞いてましたね。興味あることを伸ばしてやることも親のつとめではないでしょうか?それをつくづく感じたのですが、実際はめいこのように、子育てはテンバったり悩んだり、当然旦那に当たり散らしたりの連続です。
でも、本当にじいちゃん、ばあちゃんの存在が光ってるなぁと感じますよね。昨年までの展開からは想像もつかないほど、いいキャラになってきていてうれしくなります。なんかこの感じがずっと続いていってほしいわ。
>ただ相手の存在を丸ごと否定して消えろ、とでも言ってるみたい。
それはあなたの思い込みでしょう。
発達障害を扱うドラマなら
石を落としたり火をつけたりも仕方ないかもしれませんけど
そうでないのなら、やりすぎという意見でしょう。
タイトルからして
アイスクリームで好奇心と食欲を伸ばすんでしょうけど
ふくちゃんの人とのかかわり方を、どう始末付けるんでしょうか?
2014-01-08 11:36:59 名前無しさんに同感。
今は核家族が多いけどこどもに何か問題が起きた時違う世代が思わぬ解決のヒントを与えてくれることってあると思う。
逆に余計めんどくさくしちゃう場合もあるけど、少なくとも今朝のおじいちゃんの対応はすごくいいなと感じた。もどって来てもらってよかったな、って。だってあのぶすぅっとした子が晴れ晴れした笑顔だったもん。
お静さんはちょっとババ馬鹿かも。でもいかにもありそうな感じも可笑しい。夫婦喧嘩をそのもとになった本人に聞かせまい、と涙ぐましい祖父母の努力。
親が厳しくして祖父母がちょっとあまくしたりその逆だったり、っていうバランスは子育てには大切だと思う。
悠太郎はちゃんと理屈をとおしてやっちゃいけないことはふ久にわからせろ!自分の子にもわからせれないくらいじゃ百戦錬磨の職人さんとうまくやる、なんてムリ。
>ふくちゃんの人とのかかわり方を、どう始末付けるんでしょうか?
だからそれがこれからの展開なんでしょ?それを見る前から全否定じゃ見ても面白くはないのでは?
それを楽しみに見てる人がいる、って上の何人かのコメントからもわかります。
思い込み、というのと文章から推量、って全然ちがいますよ。
そう推量されても、って感じますよ。
なんか‥‥何を書いてもいいのだろうし反論もありだろうけどやたらしつこくからむ、みたいなのはちょっとなあ、と思います。
今日の「交代」エピソードは、「経験や、思慮の浅い若手社員が、毎日机に座って仕事をしている課長、部長の仕事なら俺にもできる」と言うのと同じ。
それぞれの責任、職務で仕事をしているのに、そんな簡単にできるものではない。いや、できるはずがない。
本当はお互いの仕事(家事も含めて)を理解し、足りないところは補いあわなければと言いたいのだろうが、例が稚拙すぎますね。
8年間のすっ飛ばしは大きいと思う。「変わった子」を表現するのに、いきなり石を落としたり、火をつけたりではインパクト大き過ぎ。小さい頃からいろんな実験をしていたとかならわかりやすいけど。
だから悠太郎との口論であの子のことがわからないと言っても説得力に欠ける。若い夫婦にありがちな口論も、あの時代で考えるとどうなのかな。設定が現代ならもう少しすんなり受け入れられたかも。
西門家の奇跡のための食中毒もそうだったけど、悠太郎と父の和解のための鉱毒事件とか、西門さんちの話を描くために使われるエピソードが「え~!?」…というパターン。まだ3日あるので、ふ久ちゃんの件、もう少しすっきりさせてほしいな。
ドラマだからこそもう少し…という期待を込めて。
たしかに前半から8年たって突然ヒロインが3人の子持ちになっちゃったんだものねえ。
前半が割合短期間のことを細やかに描写していただけにギャップはありますよね。
私は第一部が終わって、つながってはいるけれど第二部、子供という小さいけれど夫婦にとってはとても大きい存在ができてこれまでとはちょっと視点も違う別のドラマのように見てそれはそれで面白いと思っています。夫婦間にもこれまでとは違う感情が出てきているし。
もしこれが全く新しいドラマなら別に違和感なくああいう変わった子が突然出てきてもそう違和感はないかも、と思います。め以子と悠太郎という真っすぐだけどバカではない夫婦に前世代まで同居して8歳になるまでふ久の特性が分からなかった、というのはよく考えると不自然なことは不自然ですね。こんな子ならこれまでだって多少は問題あったでしょうし。
でもまあわかっていても、自分で火をつけること等ができる年齢になって初めて学校で大きな問題を起こして困ったなあ、ということになることだって十分に考えられます。
それにそのあたりをああだこうだあまり深く追求してこちらが立ち止まってしまうより日々面白い場面やそうだなあ、と感じられる部分を大切に、そして作り手には作り手の思惑や計画があるのでしょうからそれにまかせて先を楽しみに見て行こうと思っています。
>今日の「交代」エピソード
あれは仕事でくたくたになって夫が家に着いたとたんにああいうことを聞いて、
悠太郎といえどそれほど深く考えて言ったような台詞とは見ていて感じられませんでした。
ホントによくありがちな夫婦の感情的な言い合い。
お互いの日ごろの生活でもやもやしてる時になにか起こるとああいうふうになる。
強いこと言う割に妻は涙を浮かべたりして。
だからあの後お互い冷静になって翌朝の会話になったんだと思いました。
私も同じ年頃の子を3人持つ母なので、め以子の苦悩は共感できる部分もあります。大正時代という設定だけに違和感を感じてしまうこともありますが…。今のところ前編とは別のドラマとして見ていますが、和枝さん再登場で少しつながりが出てくるでしょうか?
見やすいドラマと思いますが、あっさりかな…。部分的に良いところもあり、なんで!?と思うところあり。これから西門家も戦争という悲しい波にのまれていくのでしょうが、どのように描かれるのか興味があります。
今日の孫の質問に嬉しそうに答える正蔵おじいちゃん、目を輝かせて話を聞くふ久ちゃんの絡みは良かったです。
大正時代→昭和初期でしたね…。
今日もまため衣子の気持ちを思って泣いてしまいました。彼女も親。やっぱり責任感があるんですよね。自分のことはさておき
(^^;)、自分の子供にはちゃんと育ってほしい。子供が問題行動を起こすとまず叩かれるのは母親。あの母親だから…とか。父親はなぜか出てこない(苦笑)。こういう子を持った母親だったら、何かしら共感できるものがあると思います。ただ、今は指導者も含め、知識を持った人が多いので、まだ、育てやすいのではと思います。そう考えると、「窓際のトットちゃん」のあの方…。たしかめ衣子の時代と重なりますよね。ご両親、大変だったでしょう。それでも、現在あのようにご活躍です。
お静さんの気持ちもわかります。彼女は子供の頃に置屋に行った立場。女子の小学校就学率が半数を超えたのは明治の後半と聞いているので学校も行っているか怪しい。しかも、実の子供がいない。だから、はじめて出会った温かい、新しい命についつい甘~~くなってしまうのでしょう。正蔵との添い寝シーンでは、この夫婦が作れなかった時間がようやく持てた幸せを感じました。ちなみに、2人目以降は、私の周りもそうですけど、適当です。
悠太郎さんは…もうちょっと気配りが必要ですよね。こう言えば相手がどう思うか、相手がこんなに怒鳴っているのはなぜか。だからこそ、ふくちゃんの父親か。
私事ですが、親戚にゼネコン関係者2人がいます。一方は「建築」一方は「土木」。周りには同じ「ゼネコン」なのですが、やっぱり2人に話を聞くと、「あの人は建築(デスクワークプランナー)だから…」とか、「向こうは土木(現場監督者)だから…」という話が出てきます。子供の頃の話ですが、なんとなく当時のことを思い出してしまいました。
ななしさんと同じようにややあっさり感と共にわたしは非常に正論的なドラマだな、と感じて見てます。
個人的にはもう少しひねりがあったりするドラマの方が実は面白いと感じる方なんです。
でもこれが朝ドラだからそれを考えると何だか実にほどよい感じがしてます。
和枝さんのいけずとか今の子供の火付けとかに一瞬ドキッとすることがあるのですがものごとが割と平和な方向に解決していく安心感とのんびり過ぎず忙し過ぎずのテンポ、明るさが毎日見るドラマとしてはほどよい、というのか・・・
今日の分などもOP曲の前に昨日いろいろあってめ以子にもしかられたふ久ちゃんがぽつんとひとり寝そべってる姿には何を怒られてるかよくわかってない、でも怒られた子供の悲しさがよく出ていたり夫婦喧嘩をした翌日にお互いを思いやる良い夫婦にもどってるところを正蔵が眼鏡越しに覗いてたり・・って本当に日常にあるような細かい描写もいいなと感じます。あれ?私こういうドラマ意外と好きなんだ、とか自分で感じたり。
最近静さんってつくづく根がいいかわいい人だったんだな、とわかり正蔵さんとの夫婦ぶりが幸せそうですし、希子ちゃんがすっかり大人になりしっかりして、悠太郎のめ以子への言葉にツッコんだり・・それもつくづく正論、って感じで。とんでもなく面白いドラマではないけど諸所に小さな感動、共感ができるところをちびちび楽しんでる自分がいます。
子ども3人の両親とおじいちゃんおばあちゃんが一緒に暮らす、我が家がそうでした。昭和の家族ですね。
今週はふくちゃんを中心にした新しい西門家の話しでしょうか?
子育てに悩むめいこに孫を可愛がる静さんと正蔵さんを見て、家族の温もりを感じました。
内気な希子ちゃんがアナウンサーになるなんて!(◎_◎;)最先端の職業婦人、今で言えば歌える女子アナ...
希子ちゃんは大正(昭和初期)版マーサか?
め以子の創作料理って趣味だよね。趣味にあれだけの時間とお金を費やしている専業主婦に、「私、馬鹿だから子供の気持ちが分からない!」って逆ギレされても、共感できないよ。創作料理を考えてラジオ投稿してる暇があったら、もっと子供と話ししな。自分の正義を押し付けてキャンキャンわめいてないでさ、根気良く話し聞いてあげなよ。あんた暇なんだから。
って、実在の人物なら言ってやりたいくらい癇に障る女。
またリセット現象
ヒロイン夫の母の思い出って「火災で死んだ母」のはずなのに
自分の子が火をもてあそんでいたことに対する驚愕や失望がない
母に対する記憶もとっくにリセットされてるのですかね
子の親になったから過去のことは忘れたーなのですかね
ここもまた、あいかわらず、にリセット現象か??
私は、難しいこの子育てに悩むめ以子のは共感できるかな。
>創作料理を考えてラジオ投稿してる暇があったら、もっと子供と話ししな。自分の正義を押し付けてキャンキャンわめいてないでさ、根気良く話し聞いてあげなよ。あんた暇なんだから。
って、実在の人物なら言ってやりたいくらい癇に障る女。
それが世間ですね。
変った子を持ち苦悩する母親
今でこそ理解も広がりましたが
当時はすべて母親のせいで終っていたんでしょうね。
でも、め以子には、お静さんも正蔵さんもいる
子どもにとっても、母親にとっても
理解ある祖父母の存在は大きいですね。
暖かい目での見方はなんだかすごくいいですね。
ドラマと同じでそういうコメント読んでると本当に心がなごみます。個人的うらみつらみみたいなご自分のブログとかなんでもかんでもごちそうさん叩きサイトとかでやっていただければ嬉しいかも・・のようなのってちょっとめんどうくさく感じてしまうことが多いので適当に飛ばしながら読ませて頂いています。
すみません。
希子ちゃんのこと。
希子ちゃんの変身ぶりは前半大阪編当初からは別人のようですね。
今やそれなりのステキなキャリア女性の雰囲気が出て来ています。
空白の8年間に最も成長し自分で道を切り開いたのは希子ちゃんかもしれませんね。
希子ちゃんがそうしている間め以子は次から次へと子供を産んで料理もして静さんたちがいたとしてもそれは大変な日々だったのでしょう。め以子としてはそのへんをすっ飛ばされたのが良かったのか悪かったのか・・。
妻として夫への一抹の不満も持ち始めた所からのスタートですね。
でも空白の時間のめ以子のこととかは別になくてもいいです。だいたい想像できますから。
きっと今以上にわあわあわめいていたんでしょうからね(笑
>それが世間ですね。
そうも言えるし、それだけが世間ではないかもと思います。
大阪のあのあたりの人たちにはそういう冷たい見方だけじゃ
ないものを感じるのはわたしだけ?
悠太郎の苦しみは母親の焼死から始まったような話の流れだったのに、我が子のボヤ騒ぎに、昨日は石で今日は火ですか、って軽すぎ。直前に作業員に煙草の火の始末に注意してるシーンがあるだけに余計にそれだけ?ってツッコミ入れてしまいましたw
壊れん街を作ると頑張ってる父親の娘が火を付ける。他のエピソードには出来んかったんかいな。
>だからそれがこれからの展開なんでしょ?それを見る前から全否定じゃ見ても面白くはないのでは?
そう思われても仕方ないくらい
石とボヤはひどすぎるということでしょう。
少なくともあと、3日で解決できるほど簡単な問題じゃないですよね。
もしそうなら、うそ臭いし
数週間引っ張るというのもげんなりする
どう始末するかお手並み拝見ですかね。
ご自分で脚本書いて、あるいは案を出してNHKに持ち込んだらいかがでしょうか?
ここで物語の他の選択肢書かれてもただこのドラマの筋どおりにそれを追って見ている者にとっては、ねぇ・・・・
感想って見たものについて書くものでこういう物語、こうしろああしろ、って言われてもねぇ・・・・
同意も共感もできましぇん
なんでここってそういコメントがこんなに多いのかな、ってふ・し・ぎ
なに書いても自由なサイトだから???
「私(僕)のごちそうさん」という新しい朝ドラ作って下さい。そうしたら感想書かせて頂けます。
>そう思われても仕方ないくらい
石とボヤはひどすぎるということでしょう。
別にドラマならひど過ぎることなんていくらでもあるのでひど過ぎるとは感じません。
そういうこともあるかも、って思いますし、落とされた子が骨折とかひどいことにならなくて、また大火事にならなくて本当に良かったなあ、と思いました。そんなことになってたら別のドラマになっちゃったかも、だし。悠太郎の母が亡くなった家事の原因が実は悠太郎の火遊びが原因でそれが子供に遺伝した、親の因果が子に報い・・とかね。おーこわ!!
おとながやったことならただの大馬鹿で終わり、ですが元々倫理意識ができてない8才児が人を傷つけること目的でやったことではないのでいくらでも更生可能な道があるか、と。
いろいろここでサジェスチョンをくれるコメントがあったために、ああ悠太郎が現場でも火について神経質だったり、め以子にふ久のこと聞いたとたんにいつになく感情的に爆発したり、ということはああそういえば実の母が家事で亡くなったんだな、そこにつながってるんだな、とわかり細かい脚本だな、と感じました。
ああしろこうしろじゃなく
もっと他になかったの?ということです。
さんまが熱々だろうと、
おにぎりで食中毒を起こそうと話の中心には重要なシーンじゃない
でも、今回は重要なシーンです。
だから気になります。
め以子と悠太郎の会話観て「あるある~」と思った人多いと思うww
仕事も子育ても大変だよ。今日は正蔵さん戻っていて良かったあ。と思いました。百貨店行くと走り回るカツオも可愛かった。「変わってるお姉ちゃんが好き」という泰介も良かった。子役たちみんな坊主にして頑張ってるね。くりくりかわいい。
「月はなんで落ちないの」というのはよく聞くエピソードですね。
(うちの子は幼稚園の頃なんでも「これ燃える?」と聞く子だったわwwいちいち答えるの面倒臭いなと思った時期があったw今は普通の高校生)
今の子って早くからネットなどに触れて「なぜ?」と思う間が無くて逆に想像力がなくなっていってるような気がします。
今日の感想です。
「おじいちゃん、おばあちゃんていいな」と思いました。
まあ嫌な場合もあるんだろうけど、正蔵さんやお静さんはいいです。
お静さんのばばバカっぷりは昨日のけがさせた相手への言葉は「おいおい、それはダメでしょう」と思ったけれど、今日のふくちゃんに両親がふくちゃんのことで喧嘩になっているのを聞かせまいとして耳ふさいで「世界いちかわいい!」は良かったです。
正蔵さんがふくちゃんの疑問に今日丁寧に絵で説明してあげてたシーンはよかったな。こういうシーンがたくさん観れたら私は嬉しいです。
>もっと他になかったの?ということです。
他にはもちろんあったのではないでしょうか。
でもいろいろある中であえて作者は石を落としたり火をつけたり、を選んだのでしょう?
なぜか?
今日正蔵さんが説明してた通り。
物と物との間には引っ張る力が働いている。液体と気体とは重さが違い、軽いものは地球の引っ張る力を受けにくいから上に上がって行く・・・云々。
作者はなにもテキトーにふたつのできごとを出して来たのではなくまた、倫理的にどう、ということよりふ久という子の興味の対象がどこにあるのか、ということを結び付けて説明できることが視聴者によく分かるようにあえてこの2つを設定しているのです。
科学的につながった疑問と、実際子供がやりそうなことをこの2つの事件にちゃんとふ久の興味の対象としての整合性を持たせて設定しているのです。
だから石を投げた、のではなくて石を落した、なのであり火をつけた、のではなくて火をつけることによって煙を作った、というのがふ久の言い分なのです。
しかしこの2つの行為は一方で、コミュニケーションとか倫理観、という観点から非常に問題がある。
ふ久というキャラの設定にはもってこいの興味の対象の理解、倫理意識の理解、につながるドラマ上とても大切な2つの事件、と見るべきだと思いますし、それこそ作者の意図なのでは、と思います。
正蔵さん父親としては失格だったけど
ちゃんとおじいちゃんは出来ていますね。
家庭教師にもなってくれそう。
お静さんの猫可愛がりもほほえましい。
この脚本は思い切って些末なことは省き、テーマからはずれずに限られた時間内に収めることをかなり計算されたうえで出来上がっている脚本だと私は感じています。
こういうドラマにはこういうドラマの見方、というのもあるのでは、と思いますが意外と計算を感じさせないところはすごいな、と思います。
思い切って省いた部分ばかりが気になったり、見てる側が当然わかるだろうな、というのが実はうまく伝わっていない、という部分はあるんだろう、といろいろなコメントを見ていて感じます。
ただニュートラルな目で見られない場合は普通は伝わることも伝わらないものだな、とも感じます。
め以子が癇に障ると投稿した者ですが。
見方が温かいとか意地悪とかじゃなくてさ、3人の子供の母親の描いき方が、甘っちょろくて癇に障るってこと。
うちの下の子も変わり者で、人様に色んなことを言われたけど、個性は理解し認めながら社会に適合させるために、諦めずにルールは教えてきた。そうしないと自立できないもの。
今、学校の成績はトップクラスだけど、心療内科に通ってる。
子供を産み育てるって大変なんだよ。だから、毎日、見ている朝ドラから、少し元気もらいたいじゃない。なのにこのヒロインときたら、毎日、取っ替え引っ替え綺麗な着物を着て、趣味にうつつを抜かし、子育てが思い通りにならないと、玄関先で自分がどんなに大変かギャーギャーわめいて、ぜんぜん共感できないしパワーをもらうなんてことはないね。
お静が子供の耳を塞いで、馬鹿親たちを黙らせたシーンは良かっけどね。
子ども部屋にアリスの絵が貼ってありましたが上手に描けてました。ふ久が描いたんでしょうか?8歳の子があんなに上手に描けるんかな。
絵の才能も秀でてるのか?
ふ久がご飯を食べてる時に、首を傾げながら食べているように思うのですが、私の気のせいかしら?食べては傾げ、食べては傾げしてるように見えます。食に興味ない事と何か関係あるのかな?
確実に首を傾けてますね。
食べながらも科学的疑問について考察してるんじゃ?
料理は科学、ってことが本当に分かったら食べることにも
興味を持つ日がやってくるのではないのかな?
ふ久にモリモリ食べさせたいならそのあたりをねらわなきゃ、
ね、め以子おかあさん!
ふくちゃんの奇行の原因も、浮力と重力に対する疑問からだったと
周囲は理解できた。
タイトルからして、アイスで食に関しては解決なんだろう。
でも、怪我をさせても悪いと思っていない誤りもしないということは
どうやって解決していくんだろう。
ちょっと想像が出来ないな。
そこ、見どころですよね
今週何かの形で解決するのか
あるいはもう少し長い目で引っ張るのか
ああいう子供は単に大人が話したくらいでは
とても納得しませんからね
謝ったとしても上辺だけ、じゃ意味ありませんし
それだけ今週前半は「これはちょっと」と感じた方が多かったということなのでしょうね。
私も同感です。
脚本を自分で書いて持ち込んだらいかがというコメントがありました。何を言っているのでしょうかね。
脚本家はもちろん熟考のうえでこの描き方にしたのでしょう。
当然内容について責任は持ち、あえて批判があることも覚悟のうえだと思いますよ。
十人十色の人が、一方的に見せられるわけだから、いろんな理解の方法があるのも当たり前でしょう。
どんなかたちで今週を収束させるのか楽しみにしていますよ。
人に怪我をさせるとかもそうだけど、「他人に迷惑をかけるな」っていう大筋が、等閑にされてるドラマなのは最初からそうだったかもしれない。め以子が子供だった頃の「盗んだ」にしてもそう。その都度叱られはしたけど、叱りポイントはいつもずれてた。肝心の部分はほっとかれたまま、め以子は大人になって、この度のぬか床の「盗んだ」連呼(笑) にしたって悪びれてる様子もなく、要するに大人になってもほっとかれてる。なのでふ久ちゃんのケースにしても、その点ではあまり期待は持てないかな。そういう倫理観の下のドラマなんだなと、割り切るしかないのかも。日本ではないどこか別の架空の国の話とでも思って、共感できない部分は共感できない部分として、楽しめる部分(は確かにあるし)だけをピンポイントで摘んで楽しもうかなーと思います(笑)
め以子は大人になっても何かを盗む、なんてことは一切していません。
つまり子供の頃食い意地ゆえにやってしまったことは悪いことだとわかり(わからせられ)普通に人生を歩んで来た、ということです。
ふ久ちゃんだってそういう可能性が十分あります。
なぜ人のものを盗むのはいけないのか?
なぜ人にけがさせることは悪いのか?
なぜ人に迷惑をかけてはいけないのか?
そのあたりを本当に人間存在のあり方から考え、倫理的、法的、社会学的にちゃんと説明できる大人なんてそんなにはいません。
ほとんどの人は自分より前に生きている人達からお互いに上手くやって行くための人の知恵としてそういう「悪いことは悪い」というルールを自然に受け継いで来ているのです。
しかし「なぜ」が根底からわからない限りそれが身につかない人というのはいるのだと思います。
ふ久ちゃんはどうやらそういう感じの子ですよね。め以子の方がずっと柔軟で悪く言えばいい加減、大雑把。
だからめ以子にしてみれば、自分で産んだ子なのに「わからない」ってなるんじゃないでしょうか。
さあ、こういう子をこのドラマではどうやってわからせるのか。倫理やマナーには科学のように法則がありません。そういうものをあの子が理解することができるのか本当に見ものです。
>当然内容について責任は持ち、あえて批判があることも覚悟のうえだと思いますよ。
ふ久のやったことに批判が来るだろうことは今後の展開をちゃんと理解して頂ける、あるいは頂きたい、という前提では想定内だったかもしれませんが、あえて他の設定の案が視聴者からまことしやかに出される、なんてことを希望するはずありません。作者としては計算して作った設定でしょうから。感想サイトでもしつこく書かれれば、自分で書けば?と感じる人が出てきて当然です。
全体の流れの中で私はふ久のやったことがまるで脚本の趣旨から外れているなどとは感じられず、むしろ全く逆です。
今週前半について疑問を感じる人が多かったかどうか、はここを見るだけでは判断できないことだと思います。
> 日本ではないどこか別の架空の国の話とでも思って
ふうん、日本ってそんなに倫理観が皆に浸透しきってる国なんだ?
じゃあ、他のいろんなドラマとかこれまでの朝ドラなんかでも別の架空の国の話ばっかりかもね(笑)
そう思いながら見る、リアリティゼロのドラマとして楽しめる部分だけ楽しむ、のも一つの見方なんでしょうね。いずれにしても楽しめるのはすごくいい事だと思います。
そもそも子供が皆倫理観を持ってたり、大人が全員それが分かっていたらこの国にはもめごとや事件なんて一切起こらないんでしょうね。このサイトもそういう意味では架空の日本でしょう。
子どもの目を親がどう見るか?理解するか?
間におじいちゃんとおばあちゃんが入っている。
テレビもゲームもなかった時代にふくちゃんみたいに好奇心を持つ子がいてもおかしくない。
私も池に石を投げて遊んだり、マッチで火を付けることに興味があって大人の目を盗んでやりました。もちろん叱られましたけど。
ふくちゃんという子がやったことについてドラマ全体、あるいは今週の話の中で脚本に矛盾があったりキャラ自体がぶれている、という批判なら理由があれば理解できます。
しかしまだ話の展開途中ですししかもなぜあの設定なのかがわかればそれ自体そんなに批難しなきゃいけない理由が今の時点では私は全く理解できません。擁護、というか肯定的に見てるコメントにはそれを結論付けているコメントは見当たりません。倫理的に良いとも悪いとも言っていないように見えます。
せめてもう少し今後の展開を見てからそれでもおかしい、倫理的におかしいドラマだとその理由をあげて結論を出して頂きたい感じがしてしまいます。
擁護でも批判でも早とちりで結局説得力皆無、というコメントは過去にもたくさんありましたね。その時の感想は何を書いても良いのだとは思いますが、あまりに作品の経過を無視しているようなものは私は読んでもあまりピンとは来ない、というのか・・まあ適度に流させて頂きますが。
いや別にアナタに理解してもらいたくて書いてる人ばかりじゃないでしょ。アナタが人の意見を理解できませんのはアナタの勝手。流す宣言も不要ですよ。勝手に流していればいいです。
ネチネチと嫌味ったらしい人(17:43:34)もいたり、なんだか前期の感じと似てきたなあ。やれやれ。
>ふうん、日本ってそんなに倫理観が皆に浸透しきってる国なんだ?
少なくとも、西門家よりは日本の一般家庭には、倫理観が浸透していると思います。
自分の子供が悪気がなくても同級生に迷惑を掛けたら叱ってきたし、逆のパターンもたくさん経験してきました。
サスペンスでもなく、任侠映画でもなくNHKの朝ドラだから、ヒロインは反社会的であってほしくありません。未熟でも欠点だらけでも、どこか1本筋の通ったヒロインが奮闘する姿に元気をもらって、1日をスタートさせたいのです。
3人の子供たちの子育てに奮闘するめ以子を期待していました。
だから、私、馬鹿だからわからないってセリフにはガッカリ。子育てに奮闘する母親は、子供の気持ちが分からなければ、分かってあげられなくてごめんね、と思うもの。私の回りの母親たちは、みんなそうやって悩みながら子育てに奮闘しています。
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