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ちょっとマニアックかもしれませんが、東京の頃の悠太郎さんの同級生で友人の近藤さん(?だったかな)の出番もそこそこあって、気になっておりました。クールなところもありつつ、悠さんのおにぎりに固執するところとかキャラがよくでていたひとでした。最初、彼がめいこの実家に下宿する予定でしたよね。
他にも、緑子さんを騙した安西さん(でしたっけ?うら覚えですいませんが)は悪い人でしたが、いま思うと憎めないところもあって男優さんたちの魅力が詰まってましたね。たい焼きのしっぽまで、みたいなボリュームといいますか・・
お砂糖のエピで思い出したのですが、亡くなった母(S7生まれ)が生前自慢気?にお砂糖のことを話してたことがありました。
曾祖母の商売の関係で戦時中でもお塩、お砂糖、大豆や小豆に小麦粉などは配給が優先的にあったので子供だった母たちはよその子が食べられないお善哉やお八つも食べさせてもらえたとか、TVで見るすいとんなんかは食べさせられたことはなかったと。お米もあったみたい。
ごちの話しからすると、もしかしたら曾祖母は軍部のお偉いさんのように本来なら市場に出すべきものを取り込んでいたのかもしれませんね。詳しく聞いてみたいけど、もうその当時の事を知る人がいない、、、。
め以子が蔵の地下室に貯蔵していたようにあの蔵に隠してあったのかなぁとか想像してしまいます(笑)明治か大正、昭和?天皇皇后のお写真?を祀ったような神棚みたいなのが無造作に捨て置かれていたのは記憶にあるんですけどね。
そういうのを考えるとお砂糖エピはリアルですよね。
>だから。
どちらが優れている優れていないということではない、と書いたんですよ。
そうではないコメントがたくさんあるので、いやだなと感じて。
同感。ここで自分を客観視できているごちそうさんファンはこの方だけだね。
あまちゃんもごちそうさんも花アンもそれなりに楽しんできた者から見ると、今のここの自己陶酔ぶりはちょっと異常。
ようやく怖がらずに「大好き」っていえるようになったんですよ。
それが自己陶酔というなら、そうかもしれません。
でも、ドラマを貶めて喜んでいるような人よりは、まだ、ましではありませんか?
少なくとも、ここのごちファンは、そんなことしてないでしょう。
嫌いなら見なきゃいい。
好きならほめたっていいではないですか。
同感です。
自己陶酔と言われてもいいです。
終わってからもいろんな感想が溢れてきます。
当時は言いにくかった、と言うこともあると思いますし。
これからも楽しい感想たくさん書かせていただきますね。
私は以前、大阪に旅行に行ったことがあるけれど、その時の大阪の街、というよりは大阪のおばちゃんの印象があまりよくなかった。初対面の観光客に遠慮なくずけずけものを言ったりして悪気がないことはわかっても正直、肌が合わないなぁと思った。
私にとってのごちそうさんは、まさに大阪そのもの。
作者ご自身が言っていたような、猥雑さと下世話さ。そして作者が謙遜して自分を重ねておられたような、室井さんのゲスさ。そういう面が人間臭い、あるいは人間味があると評価される方がいるのはわかるけれど、私にはダメでした。
それでも結局最後まで観続けたのは和枝さんの描き方に興味を惹かれたから。イケズは嫌だったけど、その言葉にはもっともだとうなずけるものが多かったし、結婚詐欺にあって自殺未遂の部分を除けば(ここだけはいただけなかったです)凛として、生き方に筋が通っていた。演ずるキムラ緑子さんの表情や台詞回しがうまかったせいもあって、表面的な意地の悪さの奥に突き放した優しさがあるのも感じられた。め以子が最後まで敵わない女性でもありましたね。ドラマ自体は星2つだけど、和枝さんが良かったので3つです。
2014-05-20 09:21:19 名無しさん
「アナ雪」のありの~ままの~、あなたの感想だと思いました。
苦手だと感じる部分って、本当に10人十色なんですね。
私はごちそうさんは配役すべてにキャラがあって、どんなキャラの役柄にも愛情がある描き方をしている所が好きなんですね。唯一の悪役の偽安西教授も和枝さんに偽告白する場面で汗をかきながら言うところも可愛げがあったなぁとか、他の配役にはもっと感じました。
他のドラマのことをけなすのは本位ではないのですが、視点の近いをはっきりする為に比較しますね。
花子とアンは主人公と山梨の家族と友達には愛情のある描き方を感じたんですけど、すべて架空の登場人物のドラマだったら何にもかんじなかったかもしれません。でも、葉山伯爵、蓮子、は実在する方を登場させているのに伯爵はまるで半沢直樹をまねしたような悪態のつき方、蓮子はわがまま三昧な性格に描いて、主人公を良く見せるために悪役っぽく登場させている所とか、そういう手法が嫌で今はもう見ていません。子孫の方々が何と思って見ているんでしょうか?と思ってしまうので・・
人によって感じる部分は違いますね。
和枝さんも相当不完全な人として描かれていたと思います。
元々ものすごく几帳面でしっかりしていてそしてプライドが高く、繊細で根が優しい人。でも数々の不幸に見舞われるうちに自分が不幸であることばかりに捕われて反動で他の人、静さんとかめ以子とかに非常に理不尽な形で意地悪をしていじめてしまっていた。このドラマはそういう姿をけして良いものとしては描いていなかったと思います。でも静さんはその意地悪を跳ね返すことなく自分に抱え込み散財をする、という形で仕返しをしていました。め以子はいくら和枝さんがいけずをしてもそれが通じない、か違う形ではね返してくる。だから和枝さんがよけい見ているだけでいらいらしていたのでしょう。でも自分が騙されて自殺未遂をして希子ちゃんに痛いところを突かれて以来和枝さんは本来の筋を通す自分を取りもどしたと思います。
妊婦のめ以子を突き飛ばし、徹底的にめ以子を怒らせた結果、め以子に「出て行ってくれ」と言わせた。「それでええんや。」と毅然として言った時にものごとの筋をきっちり通す和枝さんの本質をそこに初めて見ました。
普通のドラマならこういう人と人の確執もどちらか、あるいは両方が折れる形で解決して丸くおさめる、ということが多いと思います。しかしこのドラマは違いました。それぞれの人が持っているものを決して否定したり妥協したりすることなく解決を見出す方向に話が展開するのです。どの人物についてもそれが徹底していたと思います。良いとか悪い、好き嫌い、の世界とはまたちょっと違うのです。ニセ安西に至るまで皆して捕まえてひどい目にあわしてやろう、とかそういう方向へは話の焦点が行かないのです。
そういうところがこの作品の大きな個性であり私はそれぞれのキャラの個人的好き嫌いとはまた別のところでこの作品が目指したものがとても明確でブレがないところがこの作品の好きなところです。
でも感性の点でも、見ていて特に嫌いなキャラがいなかったことも私には幸いでいろいろな角度から楽しめた朝ドラになりました。
ふくや教授の持っているような一見受け入れがたいようなエキセントリックさ、和枝さんのいけず、悠太郎の融通の利かなさ、め以子の食い意地・・・そういうものすべて人が持っている要素を決して否定しないこと。それこそが争いや戦争を引き起こさないために一番大事なことなのだと思います。
でもそれはなかなか難しいです。それができるようにするために、人を許し人を受け入れて自分も受け入れてもらうために、誰にも一様に必要な「食」というものを媒体とする。
「理想」ではありますが、それが説教臭くなく日常の出来事を描く中でとても分かりやすく感じられる作りになっているドラマだったと思います。
自己陶酔??そう見えるのもまた、個人の主観ですね。客観的かと言われたら、そうではなく思いますし、そうではなくて嫌だとおっしゃった方もけして客観的ではないのではありませんか。
本当に客観的な方はどちらにも寄らない意見の方かと思います。
人を中傷するようなことさえ書かなければ、客観的でも主観的でもいいものだと思いますよ。
2014-05-16 14:12:40 名前無し さん
2014-05-16 14:34:44 名前無し さん
め衣子と源ちゃんの胸キュンを見たいって正直な感想に対して、自分の考えを押しつけるのはどうかと思いますよ。
2014-05-16 14:55:44 名前無し さん
の書き方も、書かれた側は傷つくかと。
執拗って、いつも同じ人が同じ事を書いているって考え方はおかしくないですか?
感想を持つのは番組を見ているからで、良い部分ももちろん知っているでしょうし、長くなるから一部思い出したことを書かれただけでしょうし。
書いている方の文章を見ても執拗とか、誹謗中傷のように私は全然感じませんでしたが
↑
ここ感想が多いので、一体何のことだろう、って前まで戻って読ませて頂きました。
上の方がおっしゃっていることがよくわかりません。
自分の考えを押しつけるって上であげられているような方々は自分の感じ方を持って反論しているだけに見えます。源太の描き方についての感じ方の違いなのではありませんか?
正直な、って言うなら双方それぞれ正直に書いてるのは同じですね。
執拗うんぬんについてはよく分からないのでコメントを控えます。
随分、前のコメなのでなんの事かと見てみました。
2014-05-20 14:26:51 名無しさんに同感です。
もっと見てみたい も 感想ですし
いやいや あの位のほうが良かった も 感想だと思います。
感じ方って、皆違うんですよね。
傷ついたらそれなりのドラマに関連した感想や反論でコメントを書けばいいのではありませんか。
それが感想サイトのマナーかと思います。
明らかな中傷はもちろんだめです。そういうものには賛否関係なく皆で指摘して対処すべきだと思います。
でも感じ方、考え方は千差万別。誰が傷つく、傷つかない、そういうことをいちいち気にしてドラマの見方、感想の書き方までどうこう注文をつけるのは行き過ぎだと思います。
やっぱり〜というコメントにやっと出たかという印象を受けました。
〈私にとってのごちそうさんは、まさに大阪そのもの。〉〈肌にあわない〉←ことばの抜粋でごめんなさい。
ここまでハッキリ書いてくださった方これまでいらしたかな?
ドラマの本筋とかそんなものより先ずあの大阪感が受け付けないんだろうなぁ、だから進んで共感しようとはしないんだろうなあと感じるコメントがこれまで幾つか目にしてきました。
でも、カーネの時もそうでしたがその時は過去の大阪制作の作品と比べて前の方(ちりとて等)がまだマシだったと放映中のものを落としたりで過去のものはあの時は何だったの?というくらい過去のものを高評価したり。
同じ方が感想いれてるとは限らないので全体的にそう感じたあくまで個人的な印象ですから、そういう感じ方もあるのねとお取り下さいね。
ぶっちゃけ大阪に住む私の家族や仲間内は、次のは大阪舞台やからおもろいはず。絶対観ようねと始まる前からある程度の面白いハズとの先入観を持って身始めるので大阪的で肌にあわないなんていう感想によく言ってくれました!という感じです。
私は生まれも育ちも東京で大阪とは縁もゆかりもなく親戚も関西には一人もいない者ですが、だからこそ逆に大阪の話って文化が違ってすごく興味が持てるし関西の言葉も聞いててもうおもしろくてたまりません。純と愛だけは地方色もなくストーリーもキャラもまるで馴染めませんでしたが、その他はだいたい楽しんで見て来ました。
その作品が好きになるかどうかは東京、大阪制作に全然関係ありません。どこで作られたか、どこが舞台か、とか良い面では気になることありますが、引っかかるところに地域差を感じたことはありません。
今回はもう大阪の珍しいお料理や始末の精神なんて言うのがすごく面白かったです。
こういう人間もいますので!
それと関係あるかどうか分からないのですが、わたしは関西から関東に引っ越してきた者ですが。関西では思ったことをわりにはっきり口に出していたのが、関東では婉曲な物言いをするんだなと感じたことはあります。無論どちらが良い悪いではないのですが、でもそういうこともドラマ制作に少しは影響を及ぼしているかも。
私は横浜生まれ、横浜育ちなんです。港街でいろんな地域から訪れては去っていく方が昔から多いせいか、こだわらなくて、知らない人にも友好的な街です。小さい事は気にしない所もあるかな?大阪も似ているような気がして、勝手に親近感を持っています。ごちそうさんでも言いたいことを言ってる人がいても、周りの反応がしゃあないなぁ、この人!みたいで受け流しちゃうみたいなところがありますよね。私なんかは揉めてたりしても、しゃぁない一緒にやっていくかぁっていうおおらかな方が好きなので、大阪いいなぁと思ってますよ。
大阪に住んでいるから、あるいは出身が大阪だから「ごちそうさん」が好きであるとは限らないですね。
ツイッターで前作と違って「花子とアン」は素晴らしいと絶賛していた視聴者の何人かは大阪在住でした。
また、「あまちゃん」と比較してこき下ろしていた大阪在住の方たちも多かったです。
以前、一筆書いては大阪では中学生でも使う言葉と書いたら、一緒にしないでと凄く怒られましたね(苦笑)ガラが悪いみたいに受け取られたようです。うちの子の学校は私学一貫校で親子3代同じ学校、保護者に浪速の商人が多い(年配者も多い)のでそういう言葉を耳にする機会もありちょっとした約束する時笑い話に使ったりなので、悠さんや泰ちゃん、和枝さんがその言葉を使った時は笑えたものでした。
同じ大阪でも市内や堺、岸和田といった南の方、箕面など北の方に進行住宅地と違うので大阪の描き方にいろんな感想あるんでしょうね。
「新解釈・日本史」って番組にムロさんが出ているのですが、ムロさんがおもしろすぎます(笑)。
日本史の有名な場面をコントみたいにしちゃうのですが、ムロ節に大笑いしました。
よかったらぜひ!
関係ないけど大阪の人でも熱烈な巨人ファンもいますから、関西人だからって阪神やオリックスが好きなんだろうとは言えませんよね。
思いこみって危険だよね、関西関東に限らず好き嫌いは人それぞれですね。
続編希望というのをたまに見かけますが、私はあまり必要を感じません。「ごちそうさん」というドラマは、あの半年間できちんと完結していると思うからです。
「食べることは生きること」といったテーマや戦争への向き合い方など、「ごちそうさん」を作った人たちが盛り込みたいと望んだであろう「思い」は十分、過不足なく盛り込まれていたと思います。また、コメディかと思えばシリアスといったふうなバラエティに富んだ描き方も、決して散漫になることなく、テーマがしっかりとした幹となって、多少、葉のつきかたが乱れていても気にならないくらい、すっと立つ大樹のようにまとまっていました。
そして、終わり方もよかったです。悠さんが出てこないんじゃないかと心配していたので、ちゃんと出てきてくれてよかった。
視聴者としても、年明け、いきなり子供が3人になったあたりは少し中だるみ気味かなと感じたんですが、すぐに盛り返したし、半年間、本当に楽しかった。「ごちそうさん」という、これまで作られたことのない、そして、たぶんこれからも作られないであろう珍味といっていい料理をおなかいっぱいたべたから、「おかわり」ではなく、やっぱり「ごちそうさん」なんです。
そして、思います。ドラマは終わったけど、「ごちそうさん」の世界はいまもあり、そこの住人たちも元気に日々を生きているのだと。キャラクターがしっかり描き込まれていたから、想像できるんですよ。彼らのその後が。め以ちゃんは蔵座敷まだやってるかな、とか、悠さんはアパートメント建てたかな、とか、ふ久ちゃんはきっと理系の大学に行っているだろうとか、泰ちゃんは大学卒業したら高校の教師にでもなって野球部を率いて、自分が行けなかった甲子園をめざしているかも、いや、やっぱり末は大臣かも、とか。
それぞれの自分の好き勝手な続編が描けるんです。
「ごちそうさん」はそういうドラマでした。
放送中は論争なのか議論なのかよくわからないものが多くて、感想が埋れていたのがとても残念でした。焼き氷論争なんてものも思い出しました。
終了後はいい感想が読めるようになり嬉しかったです。
ごちそうさんパワーはすごい。
唯一録画を保存していた、祝言の翌日の話を見返して、やっぱりごちそうさんは脚本が素晴らしいと思いました。
ミセスキャベジが和枝ちゃんで、め以子にずっといけずを続けていた。つまりずっと繋がりを持っていた。それは希子ちゃんの番組を聴いていたから始まったことなのだと思えば、やはり妹のことを気にかけていたこともわかる。
希子の顔をむぎゅりと掴みながらのせりふがその想いを演出。
しかもそのレシピが寝付いた正蔵さんのためにもなる。
もうここだけでうなる。
都合のいい脳内補完なんぞしない、見せられた事実から明らかに繋がる事実にうなる。
さらには子供たち。
それぞれのおじいちゃんを元気づける方法。
たいちゃんはお勉強。いい大学に進むたいちゃんがここにいる。
かっちゃんは食べ物。やっぱり料理に繋がる。
そしてふ久は時間。目に見えない力でおじいちゃんに元気を与える。
いやもう、本放送時にはわからず見ていたことにもやられたー。
子供たちが並んで食べる様を見つめて幸せそうな正蔵さんに、自然と涙が滲んできた。
好き嫌いはあるだろうが、やはりごちそうさんはよくできたドラマだと思う。
こんな朝ドラ、次はいつ見られるだろう。
感じかたが皆違うことは書かれた方も分かっているでしょう。
しかし自分の感想として書くのと、人が書いたあとの揚げ足をとるように、その感想を否定するのとでは文の印象が変わる気がします。
ここをこうしたらより良い作品になったのになと感じることは悪ではありませんし、実際視聴者が望んでいるのは、より良い物。
そういう進歩的な意見が聞ける方が後世に良い作品が生まれやすいと思うのです。
はい、ここまでで満足、よくできたねー、だけで終わったら、一見平和だけど、役者さんが本当に望む物ってそれなんでしょうか?
次はより高く!と思う人がホンモノなんじゃないでしょうか?
世のなかに完全なものなんてありませんし、もとより創作したものの何をして完全と言うのかは誰にも分かりませんし、そういう意味での進歩、と言うのは一体何か、ということになってしまいます。
でも世の中には文芸作品でも芸術作品でもドラマのような映像作品でも多くの人の心をとらえる作品、というものは確かに存在するものです。
ここは個人の感想、レビューサイト、人によっていろいろな見方、良いと思うところ、そうでないところは違っていいのだと思います。そしてお互いに意見を交わし合うために同意、反論、そういうものがなければ面白くありません。
その作品の自他共の感想や評価から次に何を見出して行くかはそれぞれ個々の問題だと思います。
2014-05-21 13:52:11 名無しさんへ
仰っている事は良くわかります。どの投稿に対してのコメントか、判らないので間違っていたらごめんなさい。
「より良いもの」と感じるのも人それぞれなのかなぁと思います。ドラマではないんですが、華道を嗜んでいますが、若い頃に素敵と感じた色あわせや全体のバランスと年を重ねてから感じる良さは私ひとりの中でも変わってくるんですね。私の先生は茶道のお花も生ける方だったので寂びの世界をあらわすのが上手な方なんです。若い頃はもっと綺麗な華やかな色あわせが私は好きで、素敵だなとは思ってもそこまで良さがわかりませんでした。でも、今は生きてきた自分の歴史の中のいろいろな心持ちとかで、成長したとも、年老いたとも言えると思うんですけど、先生の作品の写真を拝見しただけで涙が出てきて震えるような魂を感じるときがあります。でも、同じ作品を拝見しても自分の状況によって、また、違うんですね。ドラマも同じなんじゃないでしょうか?見た方の置かれている状況や心持ちなどで同じ場面を見てもこうしたほうが良いと感じる方向も違ってくるのかな?と感じています。あなたがこのほうが良いと思ったらそれはそれで自信を持って、その時のご自分の感想でいいと思います。でも、他の方はまた、別の感じ方をされたんじゃないですか?違う感じ方もあるんだなぁ。のほうが、気持ちが楽ですよ。もちろん、コメントをする時の言葉の選び方は大事だと思います。私も気をつけます。
私の感想を。
悠太郎が満州に行ってしまって、ほぼ1か月(現実の時間でという意味です)、悠太郎は回想シーン以外出てきませんでした。ヒロインの夫がそんなに出てこないって大丈夫?と思ったのですが……。
ちゃんといましたよね。悠太郎。め以子は悠太郎からの手紙を肌身離さずもっていたし、手紙の裏に書く日記でいつも悠太郎に語りかけていた。蔵座敷で、藤井さん、大村さん、竹元さんたちが集まって、悠太郎の欠席裁判みたいなことをやっていたのもおもしろかった。画面には出てこないんだけど、ちゃんといて、そういう描き方がとても上手だったと感心しました。
それにしてもめ以子の日記。最初、余裕で1行かいたら改行して、紙を贅沢に使ってましたが、だんだん字間も行間も狭まっていき、字も小さくなって、書くところがなくなったと落ち込んでいる。もっと計画的に最初から書こうよ。と突っ込みたくなりました。あいかわらず“清々しいほど浅はか”なめ以子です。
でも、悠太郎もいったい何枚、手紙を書いたんでしょう。もしかして徹夜して書いたのかな。
悠太郎の手紙も、め以子の日記も読んでみたい。でも、あれはふたりの交換日記みたいなものなのですよね。素敵です。
めいこが悠太郎の手紙を肌身離さず持ち歩き、便箋の裏に日記を書くのが切なくて仕方ありませんでした。
満洲から手紙一つ出せない状況だったのでしょうか?感動的な再会にするための設定なのかもしれませんが、見ててつらかったです。
なぜ手紙を書いたのか?死を覚悟していたからでしょうね。
そうなんでしょうね。
当然、死を覚悟していたから、め以子への思いのたけを長い長い手紙にしたためたのでしょう。
総集編で残念だったこと。別れのシーン。本編では悠太郎の声で手紙の一部が読まれてました。「…いつのまにかとてもとても幸せな夫になっていました」。あの言葉にジーンとして、感動しました。そこが落とされていて、残念。
家庭をもつことをあきらめていた若き日の悠太郎。め以子と結婚して、本当に幸せだった。「お嬢さんとなら幸せになれる」。大五にいった言葉を実現させたからこそ、「とてもとても幸せな夫になって」という言葉をめ以子に送ることができたのでしょう。
別れの悲しいシーンなのに、とてもとても愛情にあふれていて、だからこそ、胸が痛く、切なかったです。
め以子と悠太郎の別れのシーンは思い出しただけで涙がでてきそうです。
今日はどこかに出かけましょう、と悠太郎が誘ったのにめ以子は今日は忙しいんですよ、と掃除したり、馬介で吉田汁を絞っていたり。
それを優しい目で焼き付ける悠太郎。
思い出のスコッチエッグを食べながら、子供達のことを語り合って…。
お静さんが堪えきれず、ちゃんとお別れしてき!と教えてくれた時も、め以子はきちんと頭を下げて。
何で黙ってたの!と悠太郎を責めたりせず、悠太郎さんの手料理が食べたい!とだけ…。
それぞれの思いやり、優しさがいっぱいいっぱい溢れていました。
総集編は録画してあります。
これからも時々見たくなると思います。
でもやっぱり全体的にもう一度見たい。
これだけよくできた脚本だとたぶん細かいところもよく作られていてあとから振り返ると
ああそういうことだったのか、とわかるようなところがたくさんあるのではないかと思います。
毎日断片的に見ていた時には気づかなかったような事。
そういうところを見てみたいのです。
なるべく早く再放送していただきたいです。
ああそういうことだったのか。
と、私がびっくりしたのは、戦後、泰介が大学を休学して人探しや、孤児たちの養子縁組をしたいといったときのことです。「いまやらないと後悔する気がする」といった泰介に、「休学やで。そのまま辞めるというのはなしやからな」と許しため以子。それをめ以子が確か日記に書いたのだったと思います。泰介が昔の悠太郎さんと同じようなことをいった。この話、聞かせてあげたい、と。
へえ、悠さん、いつそんなこといったっけ、と思いながら、DVDBOX1で東京編を見たときです。
「親切じゃない。やらないと自分が後悔する」
開明軒で、コンクリートの階段を造っていたときに、悠太郎はそういっていたんです。
正直、びっくりしました。結婚する前、まだ恋仲にもなっていないとき(といっても、め以悠がいつから恋仲になったのか微妙ですが)のことばをめ以子は覚えていた。もちろん、火事でお母さんを亡くしたという告白のときのことですから、印象には残ったでしょう。でも、たぶん、それだけではない。
誰かのためにしていることなのに、「自分が後悔しないため」といえる悠太郎。そんな父親と同じような心を泰介ももっていることが、め以子には嬉しく、誇らしかったのでしょう。
もちろん、戦後の焼け跡での泰介のことばが、まだ、大正だったころの東京での悠太郎のことばにリンクするものか、全部細かくチェックしたわけではないので、確証はありません。
でも、私にはリンクしているように思えたし、若い泰介と、若かった頃の悠太郎が同じようなことをいったと、め以子が喜んでいるのが、なんだか微笑ましく、私は嬉しくなってしまったのです。
完全無欠の人間なんて一人も出てこないけれど、むしろ変人のほうが多いけれど、へりくつだったり、あほだったり、げすだったりするけれど、ごちそうさんのキャラクターたちは、みんなどこか微笑ましくて、大好きです。
>全部細かくチェックしたわけではないので、確証はありません。
この脚本家さんは実はかなり緻密な作り方をする人だと感じられるのでちゃんと意識して台詞を作っていらっしゃるかもしれませんね。
確証がなかったとしても見ている人がそういうところに気づく、よく見るとそういう風にできている、と言うところがすごいのだと思います。細かく考えて作ったようには一見見えない。悠太郎もめ以子も体が大きくてダイナミックに見えるし、料理も大量でとても繊細なドラマには見えません。
でもめ以子は実にこまめに料理に目覚めた時から丁寧に料理ノートを作り、会えない悠太郎さんに読んでもらえるかも分からない日記も実にこまめにつけていました。
私にはそういうこのドラマのヒロインに、どことなくこのドラマ全体の隠し持っているもの、実は緻密な作者さんの姿が何となく重なるのです。
悠太郎は体のデカさの割に源ちゃんいわく、ケツの穴の小さい男。ものすごく良く言えば実に繊細なところのある男、なのかもしれませんね。
わたしは亜貴子さんとの浮気さわぎでめ以子が出て行ってしまった後、馬介の店でめ以子に向かって「あなたを失うのがこわくてたまらない・・」と言うようなことを言って泣いた悠太郎の場面が大好きです。
ちょこちょこ気付いたところがあったら感想を投稿させてもらっていたのですが、先日、「自己陶酔しているような感想がある」というコメントを読んでから落ち込んでしまい、自分の感想は浮ついていたのかも、等々少し考えてしまいました。
でも、感想に上も下もないと思うんですよ。特定の誰かが特定の投稿を評価する場所でもないはず。
むしろ気持ちよく陶酔、酔わせてくれる作品の方が少ないのではないか?そして相性が合う作品に出会えたので、今後も好きだったところを書き込もうと思います。
だってこれだけ語れる作品もそうそうはないのですから。
「花咲舞」の杏ちゃんを見てるだけで、「ごちそうさん」を思い出してうれしい気持ちになります。「ごちそうさん」の影響がこんなところにまで。これってすごい。
このスレで自己陶酔しているような感想は目にしたことはありませんね。
皆さん冷静に「ごちそうさん」を論じているように思います。
例えば、この作品には説明が足りないという批評もありました。
前々作の朝ドラ「あまちゃん」はファン本が何冊か出版されていて、その中で様々な文化人や評論家達が、いかにこの作品が好きかという信仰告白をしています。
その中には、明らかに自己陶酔気味の文章もありました。
「ごちそうさん」は、その出来栄えに反して不当なまでに低い評価をされているような気がしてなりません。
もっともっと、このドラマの魅力について皆さんの感想を拝見したいです。
同じ女優さんでも『花咲舞・・・』は観ていないし好みはひとそれぞれですよ。
朝ドラでは『あぐり』くらい引き付けられた。
初めのうちはTVに諦めのような物が有りましたが。
ごちそうさんはラストもオツなものでした。人間様が豚を食べさせて頂くという事。
又、旦那の帰りが奇跡的でした。ー必ずしもハッピーエンドでなくても良いのだけど。
どの作品も好き好きがあってそれぞれ「分かる人には分かる」と言うところがあるものと思います。それで良いのだし作者さん達もいろんな人がいてだからいろいろと違ったタイプのドラマがある、というところが良いのだと思っています。
あまちゃんのギャグも私は好きでした。腹の底から笑えました。それはごちそうさんにはない要素だと思います。でもごちそうさんは感覚的に笑う、というよりとにかくストーリーとかそれぞれのキャラとかがよくできていて、話が全体的に心に響くものがある、という感じのドラマでした。このドラマは深面白い、などと言われたりもしていましたが、誰が言ったのかすごく的を射た表現だと感じます。ちょっと見た時よりも後からの方が何だかいろいろ気づくようなことも多くてそれを考える楽しみを与えてくれます。
ここを読んでも皆さんが本当にいろいろと考えていらっしゃることがすごくわかります。でもそれはそんなに小難しいことではなくて考えるのが楽しい、というような感じ。他の方のコメントを読んでいてもその楽しさが伝わって来ます。ふ久が数学やら物理の問題を解いてた時も実はここの人たちと同じような気持ちだったのかも、と思ったりして。他の人から見れば「なんで?」とか「おめでたい」みたいなこともあるのかもしれませんが。
ただただ適当に持ち上げて、というものだと、ああそう、良かったね、で終わってしまうのですが、このドラマのコメントはそういうものだけではないところがすごく面白いです。このドラマあってこのコメントあり、という感じがします。
自己陶酔だってなんだって別に良いと思います。他を叩いてこれを持ち上げたりしてるわけではないから。
この作品世界が肌に合わない人はそれはいらっしゃると思います。それはそれで別のことであり、それぞれ波長が合ったドラマ、というものが見つけられれば人は幸せだと思います。
本当に後からいろいろ気づかされます。
DVDBOX2を、第9週から第12週まで見ました。
第9週「君をアイす」での悠太郎の「僕が手に入れたたった一つの宝物」も、第10週「祭りのハーモニー」での天神祭の夜のつかの間の一家勢揃いも、第11「大嫌いっていわしたい」での希子ちゃんの「お姉ちゃんの心がいびつやからや」も、やっぱり泣きました。
でも、ドラマが終わったいまから振り返ると、関東大震災を扱った第12「ごちそうさんまでの日々」に心が震えました。
家族をみな失って一人だけ生き残った谷川ふみさん。避難所で彼女は食べるものを口にしません。生きる気力を取り戻して、め以子の髪を結ってあげるとき、彼女はいいます。「生きていたくもないのに、お腹は空く。そんな自分がいやだった」。め以子はそんな彼女に宮本先生の言葉をいいます。「人は食べないと生きてはいけない。あなたと私が、どこがどれほど違っていても、そこだけは同じ」。そのあと、め以子は宮本先生の死を知るのですが…
私はふみさんの姿にかっちゃんの戦死公報が届いたあと、山のなかをさまよい、仰向けに倒れて、星空を見上げていため以子が重なって見え、泣けてしまいました。め以子のお腹が鳴って、「かっちゃん、そっちにおったとしても、お母ちゃん、お腹の空かんくにには行かれへん」
関東大震災の時点では、め以子は、そんな先の運命など知るよしもありません。何しろ、お腹にふ久がいるのですから。リアルタイムで見ていた当時、私は何となくこの週だけ異質に感じたことを覚えています。関東大震災を描くために、むりくりに入れたというか。でも、今から思うと、とても重要な週だったんですよね。
食べなければ人は生きてはいけない。
食べることは生きること。
そのことが本当にストレートに描かれていました。
やっぱり「ごちそうさん」ってすごい。見返すと、改めてそう思わせてくれます。
杏さんと東出さんの2人の美しさは絶品で並んでるショットのインパクトは近年の朝ドラにはなかなかないほどのものだった。そういう意味でも「ゲゲゲの女房」の主演2人も好きなんですが、「ごちそうさん」の2人はより好きだ。
俳優さんは演技力も大事ですが体も資本なので見栄えも大事。
その点、この2人はどんなシーンも絵になって、惚れ惚れとしましたね。他の作品とあえて比べてるわけではないけれど今作と比べてしまうと如術にわかってしまう。
「ごち」放送中に杏さん東出さんが女性雑誌の2ショットを披露してましたが、それを見ても最高のビジュアルのコンビなんだと確信しました。それだけではなく肝心の演技も杏さんは泣くシーンや笑うシーンがどの演技も微妙に違っていて、感極まると真っ赤になって本当に泣いてるようで、見てるこっちも自然と感情移入できました。
DVDボックスで何度も見返されてる方が多いですね!
同じく、私もです!何気にミニブックレットが可愛くてセンスを感じますよね。
泰介くんと悠さんの若い時の対比やふみさんの震災の週の話など、皆さん、奥深いですね。読んでて初めて気付く事がおおいです。ありがとうございます。
私が気になったのはめ以子と悠さんが急接近した入試勉強のあたりの話で、その時に「料理は科学です」という悠さんの名言が出た頃に、め以子はキラキラと輝くようになった。つまり、料理の面白さや本質を追及することを教えてくれたのが悠さんだったってことで、彼が彼女の人生をそこで変えてしまったと言っても過言ではなく、心の中で尊敬する人とであると共に大事な人になったのかな、と感じました。そして、2人は入試問題とは関係ないことまで追求し始めるのですが、この内容が興味深くて、
牛乳が白いのはコロイドが浮いているからという話が出てきたり、魚を網で上手く焼ける方法やら、カステラって切るより割った方が美味しいのはなぜか?等の話でめ以子が盛り上がってるのですが、オオ!これってもしやその後のめ以子が誰かを回復させるのに使う食材が予告か暗喩のような形でここで出てきてるのかも、って思いました。
例えば○牛乳が白いという話→源ちゃんが弱って戦争から帰ってきた時
○魚を網で上手く焼ける方法→震災の時のふみさんの秋刀魚の話
○カステラって切るより割った方が美味しいのはなぜか→最後のめ以悠さんの再開後に2人でチョコを割って食べるシーン
にもしかして繋がってるのかも?って想像したのですが、自分の考えすぎかもですが、この3つの話はこの物語の中でやはり大事な部分なのかも?と考えています。
深いですね。3つの話。そこまでは考えませんでした。ありがとうございます。
でも、入試の話のあと、納豆の話になるじゃないですか。
巾着納豆、悠太郎さん「ごちそうさんでした」っていいましたよね。あれって、め以子が初めて自分で作った料理に「ごちそうさん」っていってもらった瞬間だったんではなかったでしたっけ。
苺の「ごちそうさま」はおばあちゃんからだったけど、自分で作った料理への最初の「ごちそうさん」は悠さんから。ですよね。
いや~、かなり突っ込んだところまでの考察、読ませて頂いてものすごく楽しいのと同時に、ああそう言えばそんな場面もあった、こんなセリフもあった、などと懐かしく感じ、やっぱりもう一度このドラマは最初から全部ちゃんと見てみたい、と思ってしまいます。
いろいろなご意見に自分では気づかなかったけれど賛同できること、大変うなづけることがとても多くて感想がこんなに面白いドラマも珍しい、と感じています。
牛乳の話で思い出しましたが、戦地から精神的に追い込まれ食事がのどを通らなくなった源太の回復を助ける時の牛乳の話。
あの時には源太は自分が殺した命と命を持った食べ物が重なってしまって受けつけない状態になってしまっていて、そこでめ以子が命を持たない乳、という食品に気づきましたが、何となくそこが私にはよく分からない、どう解釈するんだろう、と思って最初見ていました。牛乳だって生きてるお母さん牛から出る命あるものじゃないのかな?牛乳が命を持たない、ってどういうことなんだろうか、と。しかしあとで考えてみて、牛乳でも人の母乳でも、それって子供が命をつなぐためにこそそれを生かすことができる、ということであり、捨ててしまったりそのまま腐らせてしまうことこそ乳そのものの命を奪う、ということなんだな、つまり飲んであげなければ死なせてしまうことなんだな、ということがわかりました。
源太は人の命を奪ったことで苦しんでいるなら、逆に乳を飲むことで乳に本来の「生」…その意味を与えてあげなくちゃ、ということなんだな、と。源太に逆のことをさせることによって苦しみを取り除こう、ということなんだ、と。
このあたりから私はこのドラマの脚本がものすごく一つのことを追求して考えて作られている、と感じるようになった記憶があります。
め以子にしてみれば、もうあの時は源太を生かしたい一心でややこじつけのように感じられなくもないのですが、よく考えてみるとちゃんと理屈が通っているのです。
そういう見方をしてみるとこの脚本はこれだけは伝えたい、というところは回収を絶対におろそかにせずに気持ちの良いくらいに筋が通っているところが多いということに気づきました。
だからこそ見ている時に大きな流れのところでこれはヘンだ、と感じることが少ないし、終わってからもそのあたりにあとから気づいて再度感動したり、見方がちょっと変わったりすることもあるような気がしますし、皆さまが放送中にはあまりなかったいろいろな点から細かいところまで再考したうえでの感想を書きたくなる、というのがすごく分かるような気がします。
牛乳は命を持たない、というより正確には自分だけでは命を「持てない」飲んでもらって初めてその命が吹き込まれる、だから「殺す」ということの逆・・・そういうことなんでしょうね。
第14週「汁いの棲み家」見終わったところです。
希子ちゃんが仕組んだめ以子と悠太郎の祝言から正蔵さんの大往生まで。もう泣いてばかりでした。祝言の回なんてどうしても消せなくて録画とってあるのに(これで消せます)、だから何回も見ているのに、始まった瞬間にもう涙。一週間分通して見ると、本当にいい週でした。
馬鹿みたいな感想ですが、「ごちそうさん」の世界にどっぷりとつかり、自己陶酔させてもらいました。そんなふうに見られるドラマと出会えて幸せです。
7月のDVDBOX3、楽しみですが、また、いっぱい泣きそうです。そして、それで終わりと思うと、寂しいです。
まあ、きっと何回でも見返すんでしょうけれど。
私はこのドラマ好きですし、同時にすごくよく出来たドラマだと思っているのですが、DVDボックスまで購入したい、とも思わないので自分が冷めてる人間なのかなあ、なんてココを見て思ってしまったりしてW
そこまで好きになれるドラマに出会えた、と言う幸せな気持ちが伝わって来てちょっとうらやましいくらいです。
でも本当にこのドラマは朝ドラの中では脚本が秀逸であると私は思っています。
DVDBOXを購入した者です。要するに上の馬鹿みたいな感想を書いた者ですが、別に購入しない方が冷めているなんて思いません。私だって好きなドラマのDVDをみんな持っているわけではありませんから。
「ごちそうさん」は私にとって“直球ど真ん中”なんでしょうね。
大好きなドラマを「好き」「よく出来ている」「脚本が秀逸」といってもらえるだけで嬉しいです。
この脚本家、ほんとにいいと思う。長いスパンの朝ドラだから後半は都合のよい部分もありそれは欠点なのかもしれないが、私は特に前半の悠太郎と正蔵の凍てついた氷がとけるような和解はとてもよかったしそれはめ以子のおかげでめ以子がいなければありえなかったストーリーです。
後半はぐだぐだなヒストリーもあったけど空襲から最終話までは引き込まれました。展開も良くてモリスとのやり取りに戦後の悠太郎を待つめ以子の奮闘は楽しかったよ。
この脚本家は週一のドラマだったらもっと完成度の高いドラマをつくると思います。もういちど朝ドラをつくってもらいたいが苦労するのはわかっているから無理かもしれませんね。
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