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こんな見苦しかったドラマは初めて
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失敗作そのもの
最初観始めたころは、あそこまで雑で、次元の低い作品であるとはとても想像できませんでした。果たして最後までドン引きせずに、楽しいと言って観ていた人はどれくらいいたのだろう?
普通の感覚であれば、観ている途中で「何だこれ?」となるはずなんだが?
これを全て視聴したうえで、過去の朝ドラの中で一番良かったなどと言っている人達は、病気じゃないかな
大先生も一部を除く視聴者も時期は違っても公共放送に「やってらんねーっ!」「見てらんねーっ!」と思ったのは間違いなさそう。注)好きで見れた人は除く!!
↑ちょっと見ない間に…これ全部連投…??
いやー驚いた!!
久しぶりに覗いたらまだ投稿が続いてるんですねー
そこで 私も投稿したくなった
上のみなさんの投稿に賛成。
このドラマ存在したこと(半年放送が続いたこと)が奇跡だった。
今思い出しても最悪だったと思う。
いくらなんでも再放送はないだろう。
脚本家自身がこれに満足(自己満足)したとは到底思えません。
途中でいろいろ嫌になって丸投げした、真面目なドラマ作りを放棄した・・・そういうふうにしか見えない作品でした。
万が一、自己満足しているとしたら(ありえないような気はするけれど)こんな作品を平気で世に出せる人が売れっ子脚本家として通っているこの国の文化程度の低さの方を嘆いた方がよさそうですね。
でもそれはない、と願いたいものです。あまりに幼稚、でもあり支離滅裂過ぎてとても理解不能なドラマでした。
このドラマに批判が集中することこそ、健全な文化程度を表している、と私は思っています。
ス○ラという雑誌に遊川氏が本当の脚本は最終週の前で愛を殺す!
そして純が真に自立するというストーリーにしたかったが最後は視聴者にゆだねた
とありました。この妥協は何なのでしょう?
「家政婦のミタ」を見て「純と愛」見てみようと思った者には肩透かしでした。
視聴者にゆだねてはミタと同等かそれ以上の感動は無理ですよ!
期待してガッカリ!!
遊川氏は自分のやりたいように最後を作ればまだ作品としては純を愛から引き離すことによって、逆説的な方法で自立させる、というふうに取れたのではと思います。
視聴者にゆだねた、ではないでしょう。愛を助けてほしい、と言う視聴者の声、それに逆らえないNHK側に負けたのでしょう。純と言う独立心ゼロで他力本願ばかりの人生を送ったヒロインに対しても愛の超能力に対しても決して肯定的に見て作った作品ではなかったのだと思います。しかし半年間も毎日見ていれば登場人物に対して愛着もわいてしまうし、愛が最後に死んでしまう、なんていう結末を期待する視聴者はそうはいない、完全に逆説的な悪者を半年間も演じられるような訳者だっていない、ということが予想できなかったのでしょうかね。結果、人物全てが妥協の産物で中途半端な描き方でストーリーは支離滅裂、作者の言いたいことなど全く伝わらないとんでもない失敗作になったと思います。
この作者を最初から使ったNHK側、仕事を受けてしまった作者の責任は大きいと思います。
最後は「視聴者にゆだねる」?冗談じゃありません。責任を視聴者に丸投げですか?このような作品をゆだねられたって一体どうやって解釈しろ、と言うのでしょうか?人の頭、というのは論理性のないものの上になにかを構築することはできないですよ。
上、7行目、訳者、ではなく「役者」の変換ミスです。すみません。
視聴者の大半は、話が暗いから観るのをまともに止めたのではなく、ストーリーそのものがくだらないからアホらしくなったというのが、本音であろう。
とか言いつつ最終回の細かいところまでみんな
しっかり見てるのがまた面白い。朝ドラとはいえ。
中毒性のあるドラマだったのか?
「純と愛」といい、「あまちゃん」観ても観なくても、どうでもいいものでしたね。そこまで無理してまで観なくてよい内容。
どっからどう見ても、完全にこけたドラマでした。
まあ蓼食う虫も好き好き、で好みは千差万別ですからこれが好き、という人がいても不思議なことではないかもしれません。
しかし、ドラマを始め人が何か他の人に伝えるために作った作品には感情に訴えるだけでなく論理的に理解できる範囲は人には必要だと思います。それを無視できない人にはこのドラマの鑑賞はとても無理だと私は思います。まるで筋が通った主張がありませんから。
好き、と言う人でも、感覚的、視覚的にどこか気に入る部分があるから好き、と言えるレベルにとどまるように思います。
正直いまだかつてこの作品の脚本の出来の素晴らしさを客観的、論理的に述べた賛同意見を目にしたことがありません。
それにしても驚きました。脚本家と主演女優の発言の数々・・
制作現場でのコミュニケーションはどうなっていたのと疑問でした。
主演女優はオーディションで脚本家が選んだの??本当なの??
受信料払っている私からしたら(またまた出ました受信料)
制作側も出演者も覚悟と責任を感じていたのなら言い訳じみた事一切言ってほしくなかった。
こんなに言いたい放題民放でも見た事ない。聞いたことない。
公共放送だからいいの??ダメ!ダメ!
鈴木京香さんがトーク番組でNHK朝ドラヒロインはその重圧から途中で倒れたり体調を壊していたと聞いていたけれど私は大丈夫でしたと話されていました。
大先生の脚本以外でも今まで公にされていなかっただけでそれぞ違った困難を克服して主演女優さん達は演じていらっしゃったのですよ。
確かに問題のある撮影現場だったかも知れないけれど朝ドラ楽しみにしていた大勢の視聴者の心を癒すコメントだけで良かったね。
それじゃなくても最終回にショック受けてた視聴者の方が多かったのだから・・(ヤーフー満足度アンケート参照)
視聴者にははかり知れないいろんな事情があった現場だった・・・ような気がする。
現場で皆が団結して一つの方向に向かって作った、そういうドラマでなかったことは見てあまりに明らか。
しかし腹立たしいのはこういうもの作っておいてまるで賛否両論で好きな人が半分いた、って言わんばかりのところ。その後このドラマに出たことをキャリアの一つとして華々しく紹介されてる俳優さんを見たことありません。そりゃあそうですよね。
推測で判断してる方が多いですね。作品は現場スタッフのアイデアとかも取り入れられてたくらい意思疎通が上手くいっていたようですよ。最初から登場人物が亡くなったり不幸になったりは製作統括と脚本家で折り込みずみだそうです。描きたかったのは人の一生涯に起こりうる不幸とそれでも生きてゆかなければならないという哲学的なテーマだと思います。受け身で見ているだけではなく、そこから自分の人生に重ねあわせて考えなければいけないある意味哲学の命題のような作品でした。自分はとても興味深く面白かったです。
現場スタッフのアイデアで修正しなければいけなかったとすれば、元の台本、脚本、コンテ等がよっぽど酷かった、という事です。ごく稀に主演級の役者さんの意向で変更が加えられる場合もあるようだけど、このドラマの場合、夏菜さん、風間さんが口出しするとは考えにくく、現場の何の担当者がどの箇所でどんな提案をしたのか非常に興味が湧いてきます。
一般的に撮影中に本来の物とは別の構想を採り入れなければいけなくなる時は、現場の雰囲気をより悪化させる事の方が多い筈です。意思疎通が上手く行っていたというのは本当でしょうか?
私はこのドラマ、録画を頼まれていて、その流れで全話欠かさず見ています。
厳しい言い方だけど、根本的に駄目な物は役者さん、スタッフが幾ら頑張ってみても駄目なような気がします。
純さんのおじいのホテル実現のために残りの人生をかけた愛。
最初は気味悪いニートだったけど半年間見続けているうちに「亡くなってほしくない」と思うようになったのは確かです。
でも脚本家さんが最初から最終回は視聴者にゆだねるおつもりだったのならまだしも、脚本家さんにあたためていた最終回があったと知った以上「?」の嵐ですよ。そちらが「哲学的結末???」だったのでは?
コミュニケーション取れてた現場でドラマ終了後耳を疑いたくなるようなコメントの嵐!もっとしっかり管理を・・
もう一言・・
遊川氏はある記事で「純と愛」の制作現場でダメな演技にダメだし(武田鉄也さん)したら現場が怯んでいた(ベテランの役者さんなのに・・みたいな)そこが遊川氏的にはダメだそうですよ。なるどね。
家族の死や病気や不幸にいかに向き合って生きるかという、親の介護を抱えてる世代には切実なテーマでした。
夫婦のあり方にも考えさせられましたが、最後はただただ悲しくなるばかりでした。
現場で修正が加えられてるってことは、それだけ放送するには、とてもじゃないができないってことだよね!?
それをスタッフとの意志疎通がどうのとか…。
なら、後半で舞台が急遽宮古島になったり愛が最初死ぬ予定だったのを最終回で簿化したり、スタッフブログが麻雀のアレ以来更新が無かったのは、どう説明するつもりだ?
遊川は後半里やで愛が死亡し、純が再起を誓って終わるとか聞いたぞ?
それで哲学やら語るとかどんだけビッグマウスなんや。
哲学っていうより、カルト的に好きな人がいる作品としか思えん。
ビッグマウスとかカルトとか…嫌いなのはわかるけど、人のレビューにそこまで言うのはマナー違反では?
人の感性はそれぞれ違いますからね。
そこにダメ出しするのはお門違いでしょう。
ドラマに対するダメ出しならまだしも。
最後の純の姿は自分とかぶつて見えてきました。親の介護や夫の病気など形は違っても、そういう問題を抱えてる人は私の年代に大勢います。それでも前に進もうとしてる純といとしの夫婦の姿に心打たれるものがありました。
批判意見もわかりますが、好きな人間もいました。互いを尊重したサイトだと思うので、投稿しました。
賛否が巻き起こった当時ならまだしも一年以上たった今、カルト的な信者なんか果たして残ってるのか…?
肯定的なレビューには冷静な意見が多くなってると感じます。
衝撃的な最後ではありましたが、いろいろと考えさせられるところがありました。
もし自分の夫が愛のような状態になったら私はどうなるんだろう…とか。私は主婦でホテル経営とかわからないけどそれをきっと今でも純は一人で愛の存在を支えに生きて頑張って仕事してるんだろうなあとか…。
大事な人を失ってそれでも生きていくっていうのはどんなに辛いことなんだろう…。
製作側の裏事情は全く知らなかったので、純粋にドラマだけを楽しめて私はよかったなあと思います。
多くの視聴者が批判しているのは、話の暗い部分や不幸なところではない。
あまりにも脚本の会話が幼稚であったのと、物語に一貫性がなく、その場しのぎの設定を、適当に繰り返していたようであるからだ。
あまりの設定の酷さにドン引きした人間も相当いたはずだが?その辺のところを、一部の肯定派の方々はどう思われるのでしょうか?
↑それはそれでいいのでは?
誰かも言ってたけど、肯定してる人はそれぞれのシーンやエピソードで感じるところや考えさせられるところがあったと言ってるだけで、否定派を納得させようなんて考えてないんだから。
説得力のあるレビューを求めても無駄だと思う。
どちらの感性にも正解や不正解はないんだから。
なるほどなと受け入れるしかないでしょ。
まだまだ議論が止まらないとは、ある意味すごいドラマです
とにかく視聴者の心によっぽど深い何かを与えたドラマであったことは間違いない。
遊川和彦は脚本界に、ものすごい勇気と希望を与えてくれた。このようなお粗末で、小学生が書いたようなお話でも、普通に世に出せるとうことを証明してくれた。
全国の皆さん、脚本をどんどん世に出しましょう。皆さんの書いた作品がドラマになりますよ
もはやレビューでも何でもないね(笑)
もうこれは続編が作られることはないだろうけど、私はきっとあの何年か後には愛の意識は戻ったんだろうと勝手に妄想してます。やっぱり純のとなりには愛がいなくちゃね。
確かに観ていて疲れるドラマでした。
ドラマの中の純と遊川氏のダメ出しに苦しんでいる夏菜さんの姿がオーバーラップしていて、決して朝ドラらしい朝ドラとは言えなかった。あれだけ大変な目にあったのだから、最後くらい純を幸せにして欲しいとさえ思った。もう一度観たいかと言われたら、正直キツいと思うだろう。
ただ、生きる事は辛いことの連続、でもそんな中でも人は生きていかなければならない。どんなにしんどい事があって絶望したとしても、時が経つにつれて人の心には希望というものが生まれるのだと、上手く言えないが、このドラマは教えてくれた。このドラマを一言で表すのは難しい。遊川氏もとても不器用な人だと思う。
今でも忘れられないドラマです。
世間的に散々叩かれた夏菜さんの元気な姿をTVで見ると嬉しくなります。
彼女が一番大変だったと思うけど、よく乗り切った。
最後は希望が持てる終わり方にして欲しいと思ったけど、親の介護や夫の病気などは今の社会の縮図なんだね。私の母も親を看取り夫はガンで早死にしたけど一人で家業を継いでがんばってきた。今度は私が純になるんだろうなって思ってる。ドラマは不幸を描いたのではなく、人がどうにも逃れられないような運命にどう立ち向かうのかを描こうとしていたのではないかと思う。
上の方で書かれてるように幼稚な描き方ではなく、人の心の裏側まで見せるような脚本と演出が欲しかった。宮古島の綺麗な海とともに。
もうこのドラマを通して遊川の社会観がいかに歪んでいるかよく分かりましたよ、「明日ママ」や「美味しんぼ」騒動も軽く霞むレベル
こんな人間の描くドラマが時に視聴率40%も取れて「国民的ドラマ」と崇められる、
日本の娯楽業界も堕落するはずだわ・・・
遊川さんはこの結末を見せるために半年間という長い期間脚本を書いてきたのか?
第一候補じゃない結末でも感動したという方々がおられるとしたら遊川さんの作りたかった作品の存在意義は?
遊川さんの作りたかった結末が見たかった。
「理解できない人は馬鹿」とは苦しすぎる言い訳だ。
遊川さんの哲学が完璧に表現されていなかったと遊川氏の色々な記事を見て感じ残念に思っている。
脚本家の意向が100%通るドラマというのもおそらく少ないんだろうなと思う。そのなかで最終的に映像化された作品で私たちは判断すればいいことでわざわざ裏側を覗こうとは思わない。
まあ一年たった今そうやって分析するのもいいのかもしれないけど、脚本家が望んだ最終回だったかどうかなんて視聴者にはどうでもいいことだからね。
それを見て個人個人がどう感じたか。
それが全てでそれが答えだから。
そして答えは視聴者の数だけあるんだろうと思うよ。
↑小一時間の間にスゲー連投…。
病んでる…??
好きなドラマでした。
嫌いなドラマに、まだ投稿する方にビックリしました。
最終回に、愛くんが目覚めるかどうか?わからないシーンで終わったので、私の中で完結出来ないでいます。
二人が仲良く、ホテルを切り盛りしている姿が見たいです。
いとしの目が覚めようがどうなろうが今ではどちらでも純の姿に応援したいと思うようになりました。
最終回のひとり言は不評でしたが、ああなったら人間誰でもわめきたくなるわなと受け止められるようになりました。
今職場の同僚が病気で、私のほうに負担がかかりそうです。それでもあたふたしないで受け止めて、パンクしそうになったら声をあげて、周りの力を借りながらでも生きていくんだろうなとこのドラマの最後を思い出しながら考えました。
脚本家や主演女優が色々発言しなかったら・・私たちは脚本家が主演女優を罵倒した事もトイレに篭城?した事も主演女優が最初現場で「周りが敵にしか見えなかった」事も知らないんですよ。
わざわざ発言してくれなくても・・
わざわざ裏側覗いたんじゃなく聞きたくも無い愚痴を語りまくり、あきれてプロとして恥ずかしいと思ったから皮肉ったまで「見苦しい!」愛君ママじゃーっ
連投します。
脚本家も主演女優も苦しい胸の内があったからわざわざ語ったのでしょう。そうじゃなきゃ黙っているよ。プロだもの・・
視聴者に言いたい事があったから語った!
ねっ!N○K!!
公共放送やるじゃ~ん
後始末もヨロピコ!
レビューサイト
なるほどね
何だかしばらく見ないうちにここも凄いことになってるような(笑)
>多くの視聴者が批判しているのは、話の暗い部分や不幸なところではない。
あまりにも脚本の会話が幼稚であったのと、物語に一貫性がなく、その場しのぎの設定を、適当に繰り返していたようであるからだ。
その通りだと思います。ドン引き、もその通り。
大人が作ったドラマとは思えませんでした。
断片的にご自身の介護体験などと重なって感動なさった方はいらっしゃることがわかりました。
しかしどうなんでしょうね。このドラマの病気や社会問題の描き方がけしてすべてのそういうものを経験している人たちに受け入れられるようなものだったかどうか・・私はあまりに安易にネタとして次から次へと出してきて中途半端、どころか現実を馬鹿ににしているようにしか見えませんでしたが。
そういうことにも増してとにかくこれはドラマとしてまるで一貫性も整合性もなく駄目だと私は思います。
何を描きたいのかまるでわからない。
哲学的、なんてものじゃありませんよ。哲学、なら少なくとも人の頭で考えた時にちゃんと論理性があって通じるところがなくてはね。
深い、だの哲学的だの言う肯定コメントもかつてありましたが、一体どこがどういうふうにそうなのか、それを読んで分かるような肯定意見に出会ったことがありません。
感覚的に何となく好き、とか言うのはまあその感覚は私には全くわかりませんが、それは好き嫌いの問題なので何も言うことはありません。
どういう風にそうなのか…納得できる肯定意見を求めても無駄ではないですかね?
何度も言われてることではありますがその場面でその人が何を感じるか…それはその人にしかわからないしそれを理路整然と言葉で説明するのは非常に難しい事だと思いますよ。
以前それを説明してた方が何人かいましたが、それで納得できなかったんですよね?たぶん感覚が違うからどう説明されても受け入れることはないと思います。
それはなんとなくご自身でも気づいてるのではないですか?
堂々巡りです。
ただ、哲学的だと深いと感じた方がいたのは事実で、自分が納得できる説明がなかったからそれを否定する、というのは違うと思います。
>描きたかったのは人の一生涯に起こりうる不幸とそれでも生きてゆかなければならないという哲学的なテーマだと思います。受け身で見ているだけではなく、そこから自分の人生に重ねあわせて考えなければいけないある意味哲学の命題のような作品でした。
同感します。