5 | 72件 | ||
4 | 36件 | ||
3 | 23件 | ||
2 | 43件 | ||
1 | 960件 | ||
合計 | 1134件 |
登場人物が、ファンが、というより放送局に対して怒りを感じます。現実問題を茶化したものを、わざわざ朝ドラでやることないのに。こんなインモラルなDQNカップル話を朝ドラにもってこられるのはもう御免です…
純と愛に関しては内容的にも表現方法も極端で過激だったためにファンと否定的な人が本当に真っ二つに割れ (人数的には後者がずっと多かったと思うが)、中間的な評価の人がほとんどいないという結果になった。
元々こうなるようなものを意図して作ったのだろうが、そもそも見ている人達にこのように
両極端の感想を持たせ、お互いの対立感情を煽るような内容のドラマをNHKの朝ドラとして
作ったこと自体が大きな問題だと思う。
そういう意味からしても非常に朝ドラとしてふさわしくないドラマだった。朝ドラを見ている人は老若男女、あらゆる年代、職種の人など他のドラマとは比べものにならないほど多いことはわかっていたはずだ。
万人受けするもの、というとまるでつまらないもののように聞こえるが、より多くの人が一緒に安心して楽しめるものを作るよう心がけることは朝ドラにとっては、他のドラマ以上に大切で必要なことではないのだろうか?
現朝ドラも含めて他の朝ドラ作品の評価を見ても、☆2~4はこれに比べてずっと多い。そういう結果でなければまずいと思う。
極端に不快に感じている人がたくさんいるのにそれを無視して一部の人だけが楽しめるような番組を作る、という身勝手な発想は公共放送として、特に朝ドラとしてまことにふさわしくない。
>極端に不快に感じている人がたくさんいるのにそれを無視して一部の人だけが楽しめるような番組を作る、という身勝手な発想は公共放送として、特に朝ドラとしてまことにふさわしくない。
「一部の人だけが楽しめるよう」にすら作っていなかったと思う。
「朝ドラが嫌い」で「朝ドラをぶっ壊す」「人にギャーギャーいわれるものを作りたい」と公言していた脚本家様だから、いかに従来の朝ドラファンを不快にさせるか、それだけしか考えてなかったんじゃないかな?実際、本当にたくさんの視聴者から不快感が表明されたよね。当然、レビューも低評価がてんこもり。
問題は、それでは困る制作者側と正当な低評価を認めたくない信者集団が執拗に意味不明の高評価を書き込みまくるという事態に発展したこと。脚本家様はドラマの中の純のようにやりたい放題やってさぞ満足してるだろうにね。
私も、放送局は炎上商法でどこまで視聴率を稼げるか実験していただけだと思います。全国からバッシングされて話題になることが目的で。
どう考えても放送局は不健全なドラマを作っている自覚がある。
ハートフルなんて謳い文句は、非難してくれる健全な視聴者を呼び込むためでしょうね…
遊川氏はホントはもっとめちゃくちゃやりたかったのかもね。
ほとんどの人が大批判してくれるような。
ところが、NHK側による変な持ち上げ方やたぶん変な注文の
つけ方、そして予想もしなかった一部の特殊な観点からの
大絶賛が出て思い通りに運ばなかったんじゃないかな?
だってどう見ても中途半端で支離滅裂なドラマになっちゃった感じ
だもの。嫌いだけどドラマとしては「ミタ」や「女王」の方が
彼らしさはずっと活かされたと思う。
なんかNHKって結局「自由にどうぞ」という訳には行かないとこ
なんじゃないかな?だから最初から奇をてらった変なことやらない
方がみんなのためにはいいんじゃないの?
最近のNHKすごくヘン。公共放送なんだから、「いい子」を守れば
いいんだと思う。世の中に「いい子」がいて何が悪いのか?
その方がらしさも守れると思う。民放の真似事は無理だし、魅力が
なくなる。
この脚本家を朝ドラに起用したのはやはり間違いだったと思います。宮藤官九郎さんくらいまでが表現としては限度じゃないでしょうかね。園子温さんとか個人的には好きですけど彼に朝ドラやって欲しいかと言えば全然そう思いません。やっぱりものごとには向き不向き、TPOってのあるんだと思います。
視聴率や人気取りばっかりに夢中になると脚本家や俳優を殺すことにもなりかねませんね。
つまらないテレビ番組はたくさんありますが
今回のこのドラマは、
これだけ内容に対する批判や抗議があったのに
N○Kが、謝罪等をせず、それらの意見を無視して
重ねて放送する(総集編)ということを平然とやった事
そして、この不評ドラマに関して
マスコミが封印されたように口をとざした事
それらの事の方がドラマ以上に不思議で
なんだか不気味に思えました
>それらの事の方がドラマ以上に不思議で
なんだか不気味に思えました
同感です。
なにかマスコミの中で力が働いてるとか、暗黙の取り決めの
ようなもの・・一般人には知らされない裏があるような気が
しますよね。
この国って本当に民主主義なのかな???
アジアの国って西欧諸国みたいな民主主義って根付かないのかな、
とかいろんなこと考えてしまいます。
あー分かる分かる。
営業妨害、器物破損、麻雀賭博、名誉毀損、暴行傷害、無許可営業、要介助者遺棄致死、アル中患者への飲酒慫慂、各種法令(商法、会社法、海岸法、弁護士法、食品衛生法等)違反とさんざんやらかしてるのに全く問題にされないし、やってる本人の罪の意識は微塵もないし。
日本の一市長が70年前の売春婦の話をしただけで大々的かつ執拗に報道するのに、一国の大統領のスポークスマンによる米国での性暴行とか、「日本人だったら殺してやろう」っていうかの国の通り魔とか、かの国の小学生による同級生への集団性暴行とか、一切報じないか、日本国内だと通名でさらっと流すだけの放送局だからねぇ。
善行が純に言った「お前なんか生まれてこない方が良かった!」って台詞。
嫌いな土地で気に染まない仕事を10年以上続けて、家族を養い、子どもを大学までいかせた父親が決して口にするわけがない。ただただ親子の間に溝をつくるためだけに書かれた台詞。(その前の純から善行への「ざまあミソラソ」も同様)
アキが春子に言った「私、生まれてこない方が良かった?」って台詞。
基本KYだけどアキなりに母親を気遣って言った。春子は「そんなわけないじゃん!」と即座に否定。その短いやりとりだけで親子それぞれのやさしさを感じさせる台詞。
同じような台詞回しでこうも違うってのは脚本家の力量の違いなんだろうね。
息子が反抗期だった時、こちらも精神的に追い込まれて「あんたなんかいらない。生まなきゃよかった。」と一時の感情に任せて言ってしまい、あとでものすごい自己嫌悪に陥り、初めて息子に謝ったことがありました。
だから人間心にもないことを状況によって口にしてしまうことがあるかも、っていうのはわからないでもないんです。
しかしなぜこのドラマでは最後の遺言すら純に善行から直接言う設定にしなかったのでしょうか?
ハッキリ言えないことを愛が超能力で純に伝える、なんてとんでもない場面をなぜことさら作ったのでしょうか?
善行と晴海の夫婦にしても善行が死んで晴海が認知症になってから初めて「メロちゃん」なんて言う昔のことを引っ張り出してきて気持ち悪かった。一時だけの思い出だけに逃げ込んでいるとしか見えませんでした。
表面的な人と人とのぶつかり合いや憎しみをこれでもか、と描き、本人同士の和解が納得できる形で一つも描かれていません。
後悔先に立たず、を描きたいなら、そのあと少しでもその人が変わるならまだわかりますが、結局誰も変わらず成長もなしです。
一体何だったのか、と思います。このドラマには本当の人と人とのぶつかり合いも和解もありません。
つまりぶち壊しも再生も結局なにも描かれていません。
>しかしなぜこのドラマでは最後の遺言すら純に善行から直接言う設定にしなかったのでしょうか?
上、ちょっと記憶がぼやけていましたが、直接言った場面があったかもしれませんが、純には伝わらなかったのかも。でも本人に気持ちを伝える設定は他にいくらでも作れたはずです。
息を引き取る時に、はっきり話ができる人がいるのでしょうか?
命が途絶える時に、やっとの思いで発した言葉を愛が読み取る
設定にしたのだと受けとりました。
善行の死も昔のラブレターも、ウーンという感じでしたが、
晴海の善行への思いと、命がけで守ろうとした善行の行動が
夫婦の愛の形として表現されたのだと思いました。
もっと見ている人が納得できる別の表現はほかにできたのではないでしょうか。
愛に読み取らせる・・・って超能力なんて嘘くさいもの自体がヘンだし人間の最期の言葉をそんな訳のわからないようなものに代弁させるなんて全然納得できないし、いくらでも愛が内容を変えようと思えば変えられるでしょう?愛自身だって完全な善人としてなんて描かれてなかったし。人の尊厳を無視した描き方にしか見えませんでした。
善行と晴海の夫婦の愛の形・・・お互いに対する本当の思いやりなんて伝わって来ませんでした。もしそういうものがあるなら、少なくとも前半のお互いに対する態度、あり得ないでしょう?
それにそういうものがあるなら、晴海は自分だけ夫の死さえ知らされず葬儀にも出ないで事後報告、なんて言ったら、普通は怒ったりショックを受けるものでしょう?それもないなんて、それが長年連れ添った夫婦ですか?その後に出会ったころの手紙がどうの、なんて言われても・・
このドラマに相手に対する本当の愛情や思いやりなんてどの人物からもかけらすら私は感じられませんでした。見ている側がそう感じるような表現がないんですよ。ただ上っ面の台詞(それも不十分だったり唐突だったり)だけ。そういうもので感動できる人なんてそうはいません。視聴者なめてる感じしかしませんでした。
>息を引き取る時に、はっきり話ができる人がいるのでしょうか?
これがおかしい、なんて言ってるんじゃありません。
直接本人にも伝えられないものが、超能力なんかで伝わる設定がおかしいし、
そんなことやるならやらない方がまだドラマとしてマシ、ということ。
そんな設定で純と善行の絆が取り戻せたなんて誰が感じるの?
超能力の件わかりました。
善行が死んでから,ナレーションが「おじい」から「おとうちゃん」
に変わりました。純が父親に気持ちを向けたとことが,少し感じられ
ました。
何で削除されるの?
論点がずれてしまって申し訳ありません。
空気読めない嫌われ純は、やはりここで
退散します。
夏菜いいね
>空気読めない嫌われ純
誰も嫌ってませんし、空気を読む必要はないと思いますよ!
いいんじゃないですか?皆お互い感じたことをぶつけ合って。
>皆お互い感じたことぶつけ合って。
同感ですな
今良い感じだと思いますけどね
意見が違ってもそれはそれで興味深いし
このドラマは自分を磨こうと思っている人しか楽しめないんだと思います。
夢や高い理想を追いかけているような人には良い作品に見えるのではないですかねぇ。
>このドラマは自分を磨こうと思っている人しか楽しめないんだと思います。
夢や高い理想を追いかけているような人には良い作品に見えるのではないですかねぇ。
なぜこのようなことが言えるのでしょうか?
ドラマの具体的な表現と関連付けてきちんと理由を聞かせて頂きたいです。
これだけでは、これまでに頻繁に見かけたこのドラマの信者のような絶賛者の非常に論理性に欠けているただ批判的な人の人格を貶める目的の自己満足のコメントにしか見えないのですが。
私にはどこをどう見てもそのような高邁な作品には全く見えませんので、なぜそうお考えになるのかはきちんと説明して頂ければと思います。
私は全く逆に感じられて、夢や理想を本当に実現しようと日々努力しているような人達にはこのような安直極まりないストーリーは全く非現実的でそういうものを小馬鹿にしているようにしか感じられないのでは、と思えるのですが。
自分を磨こうと考えて、夢や高い理想を追いかけている人は一般的な人が
食事中の時間帯でも排泄物の描写が受け入れられ、そんな高級なドラマに
そういう描写が必要と考えるのかな?
このドラマのそういう不快表現や社会問題や病気の問題へのいい加減な扱い方と
高い理想がどう結びつくのかな?
このドラマを擁護する人からそれについてここではずっと問われてるのに
何の答もないんだけど。
このドラマを擁護するなら批判してる人が人間的に劣っていてこれを理解できないと
いうような根拠なしの主張ばかり繰り返すんじゃなくてまずそういう疑問に答えて
くれないと自分をはじめ、またかって思うだけでまったく納得できない人多いと
思うけど。
善行は晴海を連れて宮古島に帰って一緒に暮らす決心をして借金までした。
泳げないにも関わらず海に飛び込んで晴海を救って・・・。
目が覚めたら病院で、晴海の安否をたずねてってとこまでは分かった。
なんでそこから遺言ショーが始まるのか?
溺水して多臓器不全に陥っているならICUに入れるのが普通なんだけど、それはおいといても、前日の「意識が戻らなければ今夜が峠」という純の台詞。(その峠の今夜に爆睡していた純も純だが)普通、重体の患者の意識が戻ったらすぐに医者呼ぶもんじゃない?
愛も純も家族も最初から善行を殺す気満々。ゆっくり遺言を聞いてる場合かっつーの。
多臓器不全ていうのは生命維持に必要な複数の臓器が機能を失っている状態なんだから、酸素マスクをしているのは少なくとも呼吸器系がやられてることを意味していて、患者がそれを外すのは自殺行為だし、周りで看ている人が付け直してあげないと1分と保たない。
善行も善行で「言葉がうまく発せられない」というだけでなんで遺言を始めるのか?愛のように余命1ヶ月とか宣告されたわけでもなし、ましてや奇跡的に命をとりとめたって状態なのに、どうしてそう死ぬ気満々なのか?
どう考えてもあの場面は、善行が心の中で「医者呼んでくれぇぇぇ」と叫んでいるのを愛が嘘の遺言騙って医者を呼ぶのを遅らせて殺したとしか思えない。
善行が自分で酸素マスク外したのも、家族におかしいと気づかせるための窮余の一策だったと思うが、馬鹿な家族が愛に騙されたまま医者も呼ばずに見殺しにしてしまったのは、カルト宗教での殺人を見ているようで気持ち悪かった。
あの場面を感動的な場面として「普通の3倍力を入れた」という制作者も制作者だが、それを持ち上げる信者も信者だなと思う。
私の上の方が書かれている通り、善行の死の場面が一番納得できない事が詰まっていたと思います。
医療的な設定もおかしいし、家族の行動もおかしい、ナースコールさえも呼ばないという異常さやいきなり遺言開始なのも変。
>このドラマは自分を磨こうと思っている人しか楽しめないんだと思います。
夢や高い理想を追いかけているような人には良い作品に見えるのではないですかねぇ。
自分は逆に、このドラマは人間関係や社会への閉塞感で今苦しんでいる人と同調しているように感じました。
このドラマの人間関係はとにかく閉鎖的です。とても身近な人間関係のみを考えればこの心情は解らなくはないが、少し輪を広げて考えると全く理解できない表現が多いです。
例えば
ドレスをジュースで汚し、式を延期させる
純と愛のみの関係では成功と喜べるが、新婦の気持ちを考えると大切なドレスを汚され傷つかないはずがない。
マリヤと正の駆け落ち
純と愛、マリヤと正のみの関係では成功だが、周りの親族や被害者、特に新婦の気持ちを考えると「ザマアミソラソ」とはならない。
里やの焼失での一連
純や従業員の中での失意と復活のみを軽く表現したのみ。形見のホテルを失った痛みや、近隣への罪悪感、何より晴れの日に一生消えない十字架を背負わせた火野に対して、ホテルマンとして悲劇を止められなかったお詫びの気持ちが皆無。且つ全て火野の病のせいにしている。しかも宮古島に移ったら火事の事すら忘れ去っているような表現。
特に、自分が一番首を傾げた場面は26週の全表現。破損したまま放置した人のホテルとジュークボックス、友人の励ましではなく晴海のまほうのくに宣言で気持ちが復活する、従業員掃除中に海へ出はらうなど、純1人の世界へと完全に閉じきってしまっている。
羽純が純に向けて「若者たち」を唄う場面
最も驚いた場面。
あれは愛がこの世から去った世界でのみ、励ましの曲として成立する。これは亡くした愛する人から自立する歌。愛の復帰を目覚めを存命を願っている者たちがこの曲を選ぶ事はありえない。純に対して「愛は死ぬ」「愛は死んだ」と伝えているのと変わらない。
あの場面は完全に愛以外の閉じた人間関係で表現されていた。
ドラマで描かれた内輪だけの人間関係からもう一つ外側の人間関係や社会的立場を考えると、全く違った心情やかかわりが見えてくることがあります。言い過ぎかもしれませんが、純と同様に、閉じた人間関係に縛られている方が多いのでは、と感じました。
>このドラマは自分を磨こうと思っている人しか楽しめないんだと思います。
夢や高い理想を追いかけているような人には良い作品に見えるのではないですかねぇ。
ホテルに就職して「お客様を皆笑顔にして帰すホテルにしたい」という夢や「社長になりたい」という高い理想を追いかけているような人には良い作品に見えるということでしょうか。全く分かりません。
私は曲がりなりにも自分を磨こうと思っているし、朝ドラは楽しんで見たいとも思っているけど、このドラマ、どこを楽しめば良かったのかな?
>人間関係や社会への閉塞感
このドラマ、まさにそれが感じられ、特定のものすごく小さな世界でちまちまやってる息苦しさをずっと感じました。
ものごとを大きな目で、社会全体を見渡すことができるような人間が一人もでて来なかった。
みーんな自分とごく周辺のことしか考えられない人達。
世代的にも職業的にも限られていて価値観の広がりが全然ない。
弁護士なんて言う社会のいろいろな人達と関わっているはずの待田夫妻も信じられないくらいに了見が狭い。
朝ドラとかホームドラマは限られた世界のことが多いけれど、ふつうもっと世代の違う人や地域の人から若い主人公がいろいろなことを学ぶことが多いのに、このドラマは極端に敵対するか迎合するかどちらかの人ばかりしか出て来ませんでした。
もう見ていて気持ちが悪くなるくらい世界が狭かった。
閉塞的、特殊な人達だけの話。その中に大きな社会問題やら病気の問題やらがネタとしてだけ取り上げられてたからそのちぐはぐさたるや尋常じゃないと感じました。
宮古の海とは対極にあるような閉じた空間のドラマでした。
もちろん違う感じ方する人もいるのでしょうけど、このドラマを見て感動できる人の夢や理想って一体何なのでしょう?私には全く理解しかねます。
このドラマが現実に閉塞感を感じている人のためのファンタジーにもなり得ますか???なにかが上手く行かなくても簡単に周りが許してくれ自分に同調してくれる純の姿に魅力を感じるのかなぁ・・・・
このドラマ擁護の感覚って、否定するっていうより純粋に理解ができず不思議でなりません。
>実は、愛(いとし)くんが善行の思いを最後にみんなに伝えて、親子の和解が達成するという設定を考えたことが、愛(いとし)の“人の心が読める”という設定を決めた決め手でもありました。湯川さんからの愛(いとし)の設定に関する提案には、当初反対意見もありましたが、善行の死のエピソードを聞いたのが、一気にみんなが愛(いとし)の能力と真剣に取り込む覚悟をした瞬間でした。(山本敏彦制作統括のコメント)
大ウソ。
愛の能力は、当初「人の本性が(自分の意志に関わらずイメージとして)頭の中に入ってくる」というものだった。だから広い工場の中の流れ作業でも見回りの主任が近づいてきただけでパニックを起こして仕事ができなくなったし、PCですら不特定多数の本性を感じてしまって気持ち悪くなるというおそろしい体質だった。
それがいつのまにか「人の心が読める」に変わり、「人の記憶まで遡って知ることができる」にまで変化してた。「その変化も含めて設定しました」なんて言っても無理。なぜなら愛はこの当初の能力を「自分はまともに仕事ができない」言い訳に使い続けていたから。「人の心が読める(コントロール可能)」ならちゃんと働けよ。
大体いきあたりばったりで台本を撮影直前までさんざん書き直して、あちこちでつじつまが合わなくなっている脚本家がそんな先の設定できるわけないだろ。(武田さんが「善行の死亡」を聞かされたのは11月のこと)
NHKもいろんなことにおいてなぜ次から次へと見え透いた言い訳がましいこと
ばっかり言うんだろうね。
失敗なら失敗、素直に「ごめんなさい」って非を認めて謝っちゃえば
こんなにこのドラマが嫌われることもなかったのに、と思う。
いろんなことで恥の上塗りやってることが視聴者にわかってないって思ってるのかな?
スタッフブログとやらでのいちいち言い訳、総集編の脚本家クレジットで言い訳・・・
しかもふれあいセンターのオペレーターさんとかにそれをすることを押しつけてる。
公共放送がこんなじゃ国の子供達の社会だってよくなる訳ないと思う。
ホントに見苦しくて情けない。
このドラマって宣伝すればするほど、宣伝の内容とは全く違った展開になった気がしていたんだけど宣伝は逆効果だったんじゃないの。
遊川のドラマって最初はひっそり放送開始して徐々にマスコミに取り上げられた印象しかないのだが。このドラマってその印象と真逆だった気がしてならない。
愛の能力っていえばさ。
目を見られなければ心を読まれない(懐中電灯、サングラスで防げる)とか、歌を歌っていれば心は読まれない(心の声を「音」で認識していた)とかの設定もあったよね。
その1ヶ月後ぐらいでは心の声(心の声だけじゃなく抽象的な属性なんかも)がその人の頭上でネオンサインとなって現れるとか、もうね、脚本家もなにやってんだか自分でわけわかんなくなっていたのではないかと。
「実は、愛の能力は、あの感動的な「善行の死」のエピのために設定されていたのです。キリッ)」とは笑わせるねぇ。
実は、最初は「人の本性が見える」ことで苦しんでいたはずの愛が「人の考えを読んで」麻雀賭博をしたり、「人の心を読んで」暴力をふるったり(千香ちゃんと落書き小僧)、嫌がる人に心の声をさらしたり(晴海)していることに批判が集まっていたから、何かもっともらしい理由をひねり出しただけだろう。
結果、記者会見までして言い訳した「善行の死」のエピは感動ものでも何でもなく、狡猾な愛による善行殺害のエピだったと。
不愉快な内容・不愉快な登場人物であっても
よく練られたドラマならまだ許せる
> 善行の死のエピソードを聞いたのが、一気にみんなが愛(いとし)の能力と真剣に取り込む覚悟をした瞬間でした。(山本敏彦制作統括のコメント)
そこにいたみんなっていったいどういう判断力の人達?全員酔っ払ってたとか催眠術でもかけられてたとか?
こんな子供だましみたいな説明(言いわけ)、ああそうですか、ごもっとも、って信じられる大人がいるんでしょうか?
受信料取って全国に流されるドラマに関わってるのがこんなに判断力のない人ばかりだったの?
一人や二人、最後まで超能力設定なんて絶対おかしい、ドラマを台無しにするって主張しなかったんでしょうかね?おバ〇じゃないですか?あれがないだけでもかなりマシになったでしょうに。
このドラマのキャラもストーリーも何か幼稚っぽくてウンザリ、というかあきれ返って流し見してました。
純と愛のカップルの会話なんてあんな大きくなった大人のカップルのものとは思えないものばかり。聞いてて叫びたくなるような気持ち悪さでした。特に愛の純に対する持ち上げ。盲目愛というのか大人の男、しかもいろんな能力に長けてるはずの男があんなことばかり女性に言います?大昔の少女マンガよりひどい。純のなにかというと「いとしく~ん」も気色悪いばかりでした。夏菜さんだってもっと大人っぽいセリフの方がカッコいいし絶対似合う!!
今の朝ドラ見たって高校生同士の会話の方がまだまともです。
このドラマホントに真剣に作ってたとしたら、相当精神年齢の低い人の集まりの制作陣じゃないの?
私だってまだそんなに高齢ではないですけど、もし自分がこのドラマの製作に関わってたらあの幼稚さには最後まで持たなかったと感じちゃいます。
>不愉快な内容・不愉快な登場人物であっても
よく練られたドラマならまだ許せる
分かるー!!
あまり好きな感じでもないな、というものでもよくできてるな
と感じるドラマはある
これはそういうものからもほど遠かった
しかも許せない感がいつまでも残る・・・
普通に考えてみて下さいよ。
仮にもホテルに関わる仕事をしてるような人たちが、誰かが「おじいのホテルのようなまほうの国を作りたいんです」なんていう人について行きます?
きびだんごくれるからついてきますっていう猿やきじじゃないんですよ。
こんなバカバカしいドラマ作るなら夏菜が桃太郎やってそっちの話の方がまだ説得力あって爽快だったんじゃないですか?
宮古島から船にのってったところに鬼が島があって多恵子のような鬼が出てくるとかさ。
その手の話なら人間ばなれした超能力が出て来たって違和感ないでしょうよ。
ずぶ濡れになって逆さ言葉で大真面目に雨やみの儀式?
あれを見せられた時には卒倒しそうだった
社会問題なんて扱って許される内容のドラマじゃないでしょ?
芸人でもない主演女優に朝ドラで真面目にあれをやらせるって
どういう神経?スタッフ全員おかしいとも思わなかったのか?
しかもあれで嫁を認めた弁護士の姑ってどういうドラマ?
もし自分が女優であれやれって言われたら、全てほっぽり出して
逃げただろうなあ
あんな場面見せられて一体何が深いテーマで感動するドラマ?
どう大目に見ても視聴者おちょくってるでしょ?
しかしまだ続くんですねここ…もう純愛をステルスマーケティングしてる個人(或いは業者)が諦めるまで無理だなこりゃW
NHKも観念したら良いのに。
ドラマ自体も相当悪意があるけど、一部の狂信的ファンがルール違反を侵してまで他のドラマの掲示板や個人のサイトを荒らして迷惑を掛けまくっています。
ステマというよりは、現在進行形で怒りを買い続けているからなのではないでしょうかね?
>ずぶ濡れになって逆さ言葉で大真面目に雨やみの儀式?
>あれを見せられた時には卒倒しそうだった
お兄ちゃんのお面をかぶって、赤ちゃんをみんなして抱っこしまわしてた時
「ハイ喜んで!」って、ひきこもりだった愛君が世界各国の料理を
笑顔でアッという間に作り上げた時
ホテルのロビーにブランコつるして
「仲直りブランコ~♪」って純が鼻声で言った時
あまり熱心に観ていなかったけど
その場面では、私も卒倒しかけた事を思い出しました(笑)
日本中ではあのドラマ見て本当に卒倒しちゃった人がいるんじゃないかと心配になる。
上にあげられてるような場面を朝ドラ視聴者がおもしろい、とか、かわいい、とか、けなげだと見てくれるんじゃないかと本当に思ってたなら作者やNHKはそうとう感覚ずれちゃってると思う。
わざとやったとしたら、視聴者なめ切ってるか怒らそうとしたかどっちかだろう。
いずれにしてもああいう場面を見てなんとも感じなかったり感動できるって人とはドラマ一つのことでも全く自分とは相容れないとすごく感じる。
ネタの前振り、画の見せ方、役者さん各位への演技の求め方、地元への愛、視聴者への配慮…
などなど色んな面で「純と愛」とかいうのは、これまでも、そしてこれからも朝ドラとは到底呼べない「ウンコ」でしかなかったと思います!
目的に対して「真摯に取り組む」とか「敬意を払う」とかいった態度に欠けていますよね。このドラマの中の登場人物にしても、脚本家や制作者にしても。
そういった態度をとった上で、結果、まぬけな行動になってしまったり、目的とは違った方向に展開していったりするのなら、思わず笑ってしまったり、「しょうがないなぁ」と苦笑したり、「かわいそうだな」と同情したりもできる。
そういうものが半年にわたる長いドラマの中に一度たりとも出てこなかった。「ただネタのため」だけに無神経に繰り出されるエピソードの数々。そこには「真摯さ」もなければ「敬意」もない。本当に最初から最後まで世の中と視聴者を舐めきったドラマでした。
>そういった態度をとった上で、結果、まぬけな行動になってしまったり、目的とは違った方向に展開していったりするのなら、思わず笑ってしまったり、「しょうがないなぁ」と苦笑したり、「かわいそうだな」と同情したりもできる。
本当にこれ言えてると思います。
純が自分の考え方とは違っても、ちょっと視点を変えて親や自分を採用してくれた職場とかに対して感謝の気持ちを少しでも持って、まずは与えられた仕事を一生懸命にこなそうと努力する、とかそういう地道な努力や我慢の中から独自のアイディアを見つけて新しいものを作って行こうとする、そういうところがあれば応援できる普通のヒロインだったと思う。
しかし最初から最後まで彼女にはそういう周りの人や今まであるもの、人や社会に対しての敬意が感じられず、目標も曖昧で独自のアイディアもなく、困ればおじいおじい、イトシくんどうしよう・・と他人に頼るだけ。しかもそんなヒロインを誰かが迎合するように簡単に助ける。
前の方がおっしゃるように、本人がすごくまじめに真剣にやっているからこそその必死さが見てて笑えることもあるのだけれど、純は何だかいつも「私頑張ってるでしょ」アピールばかりが強くて、その割に本当に頑張ってる人のまじめさのようなものが伝わって来ないから応援できなかった。自己愛ばかり強い浅はかな人、にしか見えない。それを簡単に応援する周りの姿にもものすごい違和感があった。
相手の気持ちを考えずに自己アピールばかり強いキャラには人はあまり好感が持てないものです。有無を言わせないくらいの圧倒的な才能、天才的なひらめきなどがあれば別だけど。
ストーリーもその場しのぎのメチャクチャなものだけれど、このドラマにはまず、朝ドラヒロインが持つ「思わず応援したくなってしまう」魅力がなかったと思う。
>ストーリーもその場しのぎのメチャクチャなものだけれど、このドラマにはまず、朝ドラヒロインが持つ「思わず応援したくなってしまう」魅力がなかったと思う。
全くです。
自分は「そのままでいてくれ」と肯定される事を望む癖に、他人には「それでいいのか」とありのままのその人を否定する。
「お客様」と呼ぶことも「大人になれ」も最後まで嫌いな理由が解らなかったけれど、異常なほど頑なに拒否し、周りの指導にも従わず意の向くままに暴走をし続けました。その先の失敗なので共感もカタルシスも覚えません。中身のない主張を貫き通す純はまっすぐ強いのではなく、ただ単にワガママをまき散らす子供です。
ストーリー展開も異様なほど残虐でちぐはぐ。
ちぐはぐな理由はこのドラマの目的と手段が逆だったからではないかと。
普通は書きたいテーマがあり、それを表現する手段として数々の場面があると思うのですが、このドラマは明らかに逆でした。
描きたい場面が目的で、人物設定やストーリーが手段。
そのためそれぞれの場面にはつながりもないし話も辻褄が合わない。
見れば見るほど不愉快でした。
>見れば見るほど不愉快でした。
まったく同感!その通りでした!!
漫画編集部にネームを持ち込んだら3P目で見限られるような話ですよ。実際民放はこの脚本を却下しているし…
なぜ151回も放送していたんでしょう…何でこんなものに製作費をかけなきゃいけないんでしょう。
全国に悪影響とストレスを与えたことを謝るくらいはして欲しい。
見れば見るほど不愉快、ほんとにそう思う。
ファンは録画やDVDで何度も見ているんですよね…
見ているうちに矛盾に気づいたり、気分が悪くなってこないんでしょうか…
このドラマを楽しいと思える感覚が分からない…
>描きたい場面が目的で、人物設定やストーリーが手段。
ホント、そうだと思います。
しかも描きたい場面というのが何か自分の主張とか理想とかいう
ものではなくて、とにかく良くも悪くも「人の気を引く」
ただそれだけ・・・
そこまでして視聴率を取ったからと言ってその先に一体なにが
あるのでしょうか?
視聴率オバケに踊らされているのは結局視聴者よりもNHK含め
ギョーカイの人達ですよね。
気づいた時にはまともなドラマ作れなくなってしまってるということの
ないようにして頂きたいものです。
是枝監督の映画が世界で認められたようですが、TVドラマ界も人気取り
ばかり目標にしないで自分が目指すものを真摯に制作して欲しい。
人気は後からついて来るものですよね。
しかし一般人の感想の情報操作をしたりまともな管理ができないような
サイトが幅をきかせてるってのも文化的には嘆かわしいよね。
作る方も観る方も程度の低い国民になっちゃったら先人にも申し訳
ないと思います。
違和感だらけの半年間
モヤモヤの連続
頓珍漢な最終回
くだらねえ