5 | 72件 | ||
4 | 36件 | ||
3 | 23件 | ||
2 | 43件 | ||
1 | 960件 | ||
合計 | 1134件 |
>このドラマを高評価する人も結構いるのか
え??どこに?特定のサイトだけでしょ???
ここでは完全にレアじゃん
ヘタしたら☆1が800件行っちゃう勢いだよ (^_^)/
しかも特定サイトは一人が大変なインチキしているという始末だから実際のところ、どこでも高評価さんはレア者です。
中学生円山:「あまちゃん」の脚本家宮藤氏作の映画
厨房丸山:表向きユカワって人が作ったことになっているが実質丸山って人が書いた(ことが総集編後編ではっきりした)「厨房」朝ドラ(もどき)
>このドラマを高評価する人も結構いるのか
こういう風に間違った情報を与えてしまうのですね、某インチキサイトの信者の掲示板しか見てない人には。まぁ、今後、新たに純と愛なんていうドラマに興味を持つ人間もいないでしょうし、あんなサイトを訪れるのはもう信者以外ほとんどいないと思うので、特に心配することでもないと思います。
見なきゃいいでしょ。
ここの人達に言いたいこと。
あまちゃんの情報 ありがとう。
NHKもステルスマーケティングしてるんですねw
>見なきゃいいでしょ。
こういう意見はここではナンセンス、全く無意味ってことこれまで百万遍繰り返されてきたことですけど。いまさらですか~?
すでに106ページですが1ページ目からお読みになってから言った方がいいよ。
そもそもここはドラマレビューですから、ドラマ「見た」人が感想書きこむ場所であり、人にドラマを見ろとか見るなとかいう場所じゃないんですね。
ちなみに私はこのドラマは途中から全くドラマとしての鑑賞は不可能とわかりましたが、批判するためには全部見る必要があると思ったので全部見ました。
自分は途中で耐えられなくてやめました。
ポリタクンクのあたりかな。
それでもそのことを書いておけば、この作品のDVDなどを買うかどうか、再放送を見るかどうかの検討材料にはなるのではないかな。
途中でやめたくなるような作品なんだ・・・って。
ところで、あまちゃんの情報って、まさか基地外の、
>「あまちゃん」への酷評中傷は「梅アゲアゲ関係者による仕業」
らしい・・
ってやつじゃないでしょうね。
あの人はとにかくなんでも「梅ちゃん」のおかげで、にしないと気が済まない人なので、マイナスなことはすべて梅ちゃんのせい、梅ちゃんを評価している人の陰謀という考えです。
実際には「あまちゃん」への中傷は「純愛アゲアゲ」の関係者によるものですよ。そして「梅ちゃんサゲサゲ」もしてましたから。
念のため。
プロフェッショナルとは、
「愛ですよ。ドラマを愛せなくなったらやめるしかないからね。それだけですよ。他の奴より俺は好きだって思えなくなったらやめるだけでしょ。」
(脚本家・遊川和彦@「プロフェッショナル 仕事の流儀」)
NHKはなぜこの時点で「朝ドラが嫌い」と公言していた遊川を降ろすことができなかったのか?少なくとも疑問に思うだろうに。っていうか、嫌いなら最初から引き受けんなよ。
遊川氏の脚本途中降板の真相は永遠に闇の中なのだろうか…
真実を知るすべがあれば教えてほしい。
このドラマはどう見ても「ドラマを愛する」人が作ったものには見えません。
話の筋がめちゃくちゃ。最初に設定したキャラもちぐはぐ。
どう見ても途中から別の人が脚本に関わったことは明らかじゃないでしょうか?
NHKが隠そうと躍起になるから余計内部でいろいろあったことが見え見えです。
総集編の脚本家の名前を間違えるなんてことはあり得ない。
しかも丸山氏の名前を出したのは間違いだった、と言いながら、「丸山さんも脚本には関わっていた、と(大阪局では)言っています。」などと濁した実にあやしい回答をしていました。(電話のオペレータ)
どう考えてもおかしいです。
わざわざ脚本家を代えてスピンオフなんて作る意図は一体何だったのか?
無責任に放り出さなければならないような嫌いな仕事なら断り続ければよかったのだと
思います。
視聴者にとってはその方がどれだけよかったか。三顧の礼だか何だか知りませんが
NHK大阪はつくづく余計なことをしてくれたと腹立たしいです。
せっかくカーネーションのような良い朝ドラを作れるのに何を血迷ったのか?
>遊川氏の脚本途中降板の真相
いや、例え誰かに交替したのだとしても、結果あの酷さだったわけで。
「何とか修正させよう」との意図で書かれた脚本ではなかったことは明白です。
素人目に見ても、あのドラマ、途中からでも主人公が成長の兆しを見せる方向に持っていけば、ここまでの低評価にはならなかったと思いますので。
つまり、遊川氏が途中降板が本当だったとしたら、続きを書いた脚本家は正に「遊川二世」。
彼の劣化版とも言える感性の持ち主だということで、それはそれで怖いことだと思いますよ。
一部の人を惹きつける魅力が理解できない。中傷するつもりではないけど、感覚が違い過ぎて…。「純は今頃どうしてるかな?」「愛くんは目覚めたかな?」とか、感想が登場人物に対する語りかけ口調が多いとか、わけわからない。ドラマの登場人物がまるで実在するみたいにのめり込んでる。
純愛で、見なきゃいいのにとか、見ていないのに批判するなんて!と怒っていた人が、今作の欄に来て、「もう見ることはない」と言っていたのに、わざわざ「あらすじ見たけど最低!」とか、批判するのもどうかと…。
私は純愛を見ると、ほんとに朝から気分が落ち込んで辛かったけど、最後には何か解決されるかと思って見続けました。でも最後まで???で、終わってからもまだ関連の人を見ると拒否反応が出てしまいます。
本当に 2013-05-20 11:51:02 名前無しさんと 同様に感じています。
作品自体にも支持者のことばにもすごくよく似た、全体的にちょっと普通の感覚とは違った
攻撃性や非論理性を感じて非常に気分が悪かったのは申し訳ないながら事実です。
もちろん、あまちゃんはじめ他のドラマの批判者が皆純と愛のファンというわけではないでしょうが、コメントの論調や内容から明らかに同様の人達だな、とわかるものが多いのも事実です。
言いたいこと、わかって頂ける方、ここでは多いのではと思います。
これほど低品質なドラマとも呼びたくないような作品が皆に受け入れられるようになったら
文化的に最低の国だな、と感じていましたが、幸いそんなことはなく、さすがに多くの人が怒ってたり不満を感じていたり、ということが分かってホッとしました。
自由、自由と唱えて少数の人達のあまりにもむちゃくちゃな言動がいろんなところにはびこるのは見ていてやっぱり耐えられない…そんなふうに感じてる人多いのではないでしょうか?
ここの皆さんのご意見にはそういう気持ちが表れているように感じています。
酷評を書くために見たという方、その目的を教えてください。
このドラマに何を求めて見ていたのかでずいぶん感想が変わると思うのですが、求めているものが、よくわかりません。
朝ドラに何を求めるか?
それは公共放送で全国民有料、公共の場所や病院などでも日々の定食のように見てる、又は見せられるケースも多々。
それにふさわしくない極端な低劣なものは排除されべき。
市民は声を上げるべき。
制作、提供者は糾弾されるべき。
これは当然のこと。
民法なら見ないことで済むケースでもここが違う。
賛同者をつのって実際に動いているのですか。
また、何処かに相談しているのですか。
本当に動きを作るのなら、市民だけでなく、何か専門家の力が必要な気
します。
ご検討を祈ります。
自分が「このドラマ、何様?」と思ったのは、あの麻雀賭博の言い訳のとき。
朝ドラ視聴歴結構長いつもりだけど、あんな見苦しい言い訳を見たのは初めて。
「固定観念を覆す」とか、「綺麗事だけじゃない」とか、えらそうなことを言っておいて、「公共放送が賭け麻雀を推奨していいのかよ」と批判が集まったら「私たちの設定では、愛は合法的な麻雀大会に参加して優勝し、獲得した賞品を古物商で換金した、ということになっています。」だと。言うに事欠いて、「今後もNHKとしてはぎりぎりの表現で朝ドラの地平を広げていこうとしています。奇をてらっている訳ではなく、そこまで行かないと表現できない世界があると信じているからです。」とまで。
その後は、奇をてらった表現のオンパレード。「ぎりぎりの表現」はとっくに踏み越えていて、「人道上問題あるんじゃないの?」とのコメントが寄せられても、一切沈黙。いかに脚本がいきあたりばったりに書かれているのかがもろわかり。
ちなみに、競技麻雀の世界は、囲碁、将棋等と同様に、地域の大会なんかで優勝して得られるのは、賞状やトロフィーあるいは盾といった程度。トロフィーなんかは毎年回り持ちなのが通例で(歴代優勝者のリボンを追加して、前回優勝者にはレプリカを渡す)古物商で換金されたりしたらたまったもんじゃない。
酷評するために見たわけじゃない。あまりの酷さに吐き出さないといられなかった。
子どもに対する暴力や不自然な父の死、母の認知症の扱い、自殺未遂や破壊…。どうしてあれを肯定できるのか?公共の場で流されるものとしてはふさわしくない。
ドラマに何を求めるか?そんなのある訳ないじゃん。素晴らしい作品は自然と多くの人に共感を与え、評価される。何かを求めて見たら、何でもつまらない見方になっちゃうんじゃないの?作り手側が視聴者に多くの人に不快感をあたえてしまったことは事実でしょ?感動をもらった人もいるみたいだけど…。
「酷評」を書くために見続けた、などとおっしゃるのはなにかの勘違いではありませんか?
ここでドラマを批判している人達はそんなこと誰も言ってないでしょう?このドラマに批判的な人達はほとんどがそういう類の発想をするような人々ではないことも以前からのコメントを読めばわかることです。
酷評とは結果的に他者が見て(このドラマの場合は主に制作者や擁護者が見て)厳しい批判に見える、というだけのことであり、酷評目的の批判などというものはあり得ません。
まわりくどくなくズバッと言う辛口批評を心がける人はいるかもしれませんが、純と愛の批判はただの難くせやいちゃもんではないものがほとんどです。
他者が見ても本来、酷評といちゃもんは全く異質のものなのですが世の中にはその違いが判らない人もいるようですね。
NHKの朝ドラに求めるものは、公共放送に対して受信料を払っている視聴者である国民が、朝見るにふさわしい、人々の心を豊かにしてくれるような健全で良質なエンターテインメントとしてのドラマです。
もちろん制作者により、毎回違う雰囲気、個性のものを期待しますし、特に絶対にこうして欲しいというようなものでもありません。
しかし朝ドラは公共放送(以前は国営放送)の伝統のある看板番組ですし、ドラマの内容、質的にもモラルの上でも逸脱してはいけない一線の暗黙の了解があってしかるべき。多くの人はそれは最低ラインとして期待しているはずです。
純と愛はもう2週目くらいからマナーやモラルが欠落した表現、あまりに稚拙なストーリーで、これまでの朝ドラに感じたことのない強い疑問と不快感を感じました。このドラマは公共性に著しく欠けるものと感じたので、視聴者として批判すべきもの、NHKに対して苦情を言うべきものと判断しました。
しかし批評や苦情のためには具体的に悪い点を指摘し、自分が不快に感じる原因を分析しなければ論理的に意見を述べることはできません。ただの文句で終わってしまいます。それが私の場合ドラマを見続けた理由です。
>賛同者をつのって実際に動いているのですか。
また、何処かに相談しているのですか。
ここを最初から読めば、多くの人々がただここで批判するにとどまらず、実際にNHKやBPOに何回も働きかけて来ていることがおわかりになると思います。それらを通じてこのドラマの失敗はNHKはわかっているのではないでしょうか?この先の朝ドラを見てみないと答えは明確にはわかりませんが。
ご自身のこのドラマに関する感想をお書きになるのはご自由かと思いますが、他の人の言動に対して何かをおっしゃるなら、少なくともここの以前からのコメントや経緯をきちんとお読みになり、理解されてからにして頂ければと思います。
ドラマの展開次第では途中までの自分の批判がくつがえる可能性だって
ゼロではないと思った。
途中からほぼ期待はできないだろうという予感はあったもののことさらに「予想外」と
言ってたから、万が一ということだってあり得ないことではないと思った。
だから一応見続けたが、結局最後までとんでもない駄作で、当初から否定派になって
批判し続けた自分の判断は正しかった、という結果になった。
時間の無駄ではあったが、こんなひどいものがまかり通っているNHKの堕落ぶりやインチキレビューサイトの存在か確認できたことは無駄ではなかったと思う。
〉 本当に動きを作るのなら、市民だけでなく、何か専門家の力が必要な気 します。
専門家の力なんて必要ないですよ。視聴者の言葉は確実にNHK に届いています。その証拠にスピンオフの脚本家が変更されています。異例のことです。
もう少し、ここの投稿を読み込んでください。
貴殿の思うところとは、かなり異なるちゃんとした投稿が沢山あります。
トラウマです。
うつ病の息子が純と愛を見ると、テンションが下がると言っていた記憶があります。
朝ドラですから、爽やかなものを期待するのはわかりますが、純の親の世代なので、認知症や介護などが自分の課題になっていたので興味深く見ていました。
私の父はおお酒飲みで、ガンで早くに亡くなりました。兄は統合失調症
息子はうつ病、母は80代で介護が必要です。こういうことを書くと、
暗くなってしまうでしょうが、私自身自分が不幸だなどと全く思いません。それでも楽しく生きています。
不幸を扱うのなら、そう思える描きかたは必要だと思いました。
朝から不快な話しで失礼しました。
あまちゃんで震災をどう描くのか話題になっていました。
本当に扱われた 場合を過程して、
人によって見方、感じ方は千差万別です。
ただ、ドラマの中に大きな現実を入れて国民に見せるのですから、
脚本の腕がためされますね。
深い見方が必要だと思います。
>酷評を書くために見たという方、その目的を教えてください。
質問する前に自分で答えを決めつけていますよ。
酷評を書いてる人は、このドラマの良い所を無視していて、単に非難するためにドラマを見いるんだろう…って。
それに、このドラマの見方を変えれば良作になるという訳ではないと思います。
人間としての良識があるかぎり、どうしても批判になってしまいます。
以下、某所に良いたとえがあったのでどうぞ。
ここで良い評価を唱える方は・・・
たとえば
もも太郎が鬼が島へ鬼退治のお話の中で
退治される前、鬼の親が子鬼に「元気に生きろや」と声をかけた、などの場面があったとしてそんな場面をピックアップして感動ものだと言うのだろうか??
リアルだ、真に迫る ただ鬼退治してバンザイと言う ものを考えない人には解らない。
こんな感じかな。
この作品に対するNHKの評価はスピンオフで脚本家を変更したことに尽きると思います。
これは事実で、NHKは脚本家に対し脚本家失格の烙印を押したようなものです。
ここでコツコツと作品を褒め上げて評価をあげても、NHKが出したジャッチはもう変わることはありません。
見方によって意見が大きく別れることがあるということです。
評価は人それぞれでいいと思います。
ここで、と言い切れるのでしょうか。
反対意見を許容していただけないのでしょうか。
あまちゃんのサイトは楽しめるのですが、純と愛のサイトはつらいものがあったので、意見を書かせていただきました。
失礼いたしました。
劣悪なドラマを本当に許せないということなら、感想サイトではなく、
放送局に断固として訴えてください。
感想サイトは意見交換をして楽しむ場だと、基本的には思っています。l
>酷評を書くために見たと言う方、・・? への一回答です。
そんな人はいないと思います。
私もすでに「酷評」と言える表現をしています。 局へも複数回。
はじめから酷評が目的なんてある筈がありません。
はじめの内は なんだコレ と思いながらも 後半にどんなに話を
まとめるのかと 期待をもって見ていた。
後半、里や辺りから段々あきらめてやがて完全に白けた。
しかしその後も見た。いや看た、あるいは視た。
意見具申をする必要性を感じながら。
公共放送にあるまじき・・と。
ラスト時期では結果的に「酷評をするため」に看たとも言える状況にならざるを得なかっただけ。
この当たりのニュアンスの違いは明白です。
現実って駄作みたいなものじゃん
人命尊重とかキレイごと
ほんとは目先の利益、利権重視、弱者がわりを喰う
悪い奴が力を持つとそいつらの都合の良い世界になる
悪い事がわからなくなる人間の徳性がマヒするように
さかさまの空気が支配する
世の為人の為ほんとにそう頑張ろうとする人物ほど叩かれる
善い事を成そうと大きな事をしようとするほど潰される
何もやらず空気を読み保身に励む
そんな嫌な世界に誰がした
このドラマは更に酷くなった世界でもがきながら夢を実現しようとする未熟な若者を描いている
人間は失敗しない存在と決めつけ自分のことは棚に上げ
目くそ鼻くそを笑う世界
自分もそうだよ幼稚なまま
もう少し他者に寛容になってもいいんじゃね?
異なる意見の相手を貶すのって悪い事じゃね?
幼稚園で教えられる
みんな仲良くしましょうね
難しいよな実際
悪意に寛容で無秩序なN○Kようちえん
さーあ園児のみんな
今日も工作のお時間ですよー
他者に寛容になることと、皆が気持ちよく暮らすためにあるモラルやマナーを破るような行為を許すこととは全く違うことです。モラルやルールを破っても良い、と認めることと人に寛容である、ということとは根本的に別問題です。
このドラマを擁護したくてそれを皆にわかって欲しいなら、それなりに具体性があり、他人が納得できる論理性をもって感想を書けばいいだけのことです。多くの人が納得できる感想なら皆「そうだな」と思うはずです。
ここで長い間、「なぜ何かを伝えたいために排泄物などの不快表現が必要なのか?」という疑問について、つまり人を不快にさせてまで自己主張する理由、が問われてきましたが、それひとつについてさえ、いまだに擁護派からの納得できる回答はありません。
人が納得できないような主張をしておいて、相手が認めないのは心が狭い、だの寛容になれ、だのと言うのは全くの筋違いです。
人生のとらえ方は人それぞれ。見てる人、この社会に生きてる人すべてがこの社会や人間たちがろくでもないものなんて思っている訳ではありません。たとえそうとらえている人でも、朝からそんなろくでもない人間や社会の様子をドラマで見たいなんて思わないのが普通の感覚じゃないでしょうか?
このドラマを素晴らしいと思う感性はそれはそれで結構だと思います。しかし非常に多くの人がそうは感じない、というのがここの流れにはっきり表れているだけのことです。
> 感想サイトは意見交換をして楽しむ場
はい。このサイト、このドラマが始まった当初から多くの意見交換が行われ、
その目的を十分果たしているものと思います。
わたしは半年間ドラマそのものよりここの皆さんのコメントを読むのが
ものすごく楽しかったし励みにもなりました。
>感想サイトは意見交換をして楽しむ場
同意です。
ただ、
>劣悪なドラマを本当に許せないということなら、感想サイトではなく、放送局に断固として訴えてください。
こちらには同意できません。なぜなら、許せないというのも感想の一つだからです。どちらの意見を許容するしないではなく、比率の違いだけだと思います。
だからこのドラマを好きな方は好きだと仰って良いし、同様に許せないドラマという意見は感想サイトに書くなと制限されるべきものでもないと私は思います。
勿論、どちらも視聴した上での、正当な理由がある感想に限りますが。
ただ、恐縮ですが、私自身このドラマに否定的な為、ドラマの良さが解りません。未だ目から鱗が落ちるような、納得できる肯定意見にもあった事はありません。なので茶化しや揶揄などではなく、好きな理由を本当に伺ってみたいです。感情論や一般論じゃなくその方の個人的意見を。
私には作者の視聴者や登場人物へのイジメにしか見えませんでした。出てきた登場人物も社会問題も設定も全て、作者が視聴者に訴えたいテーマに使う道具にしか見えなかったし、わざわざその道具をつかう必要もなかった。そして道具は一度使ったらそのまま放置し忘れ去られていました。そこに作者の物語への愛情も感じませんでした。主人公に対してすら愛情を注がないなんて…。見ていて本当に苦痛で感動できませんでした。
見続けていたのは、これだけ凄惨なことが続くのだから、いつか再生を、ハートフルコメディーを見せてくれると思っていたためです。…見事に裏切られましたけど。
>このドラマは更に酷くなった世界でもがきながら夢を実現しようとする未熟な若者を描いている
純と愛ってそんなにもがいていました?
愛は普通ではあり得ない能力を持っていていとも簡単にものごと解決。純はその愛の力に頼って問題を切り抜け、いろんな人をどんどん味方につける。自分とは直接関係ない天災やら他人の失策など二人にとっては、単なる不可抗力によってのみ不幸に陥ったように見えただけで、あとは普通ではとても考えられないほど恵まれた人達に見えましたけど。
仕事がなくなってもなぜか楽しく暮らして行けたし、瓢箪から駒のような純には次の仕事や他人からの手助けがやって来たし。
今の世の中であんなに楽ちんに仕事得られる人なんていないし、子供もいないのに新卒の妻の収入だけで好きな家事だけやって楽しく暮らそうなんてことができる男なんていません。
不可抗力による出来事以外、御の字の人生であり、どこがもがいているんでしょう?
家族の確執だってどう見ても自分に責任がある部分も大きいし。
このドラマ、とても不幸や不条理なんて描けてないと思います。
このドラマ見て「純と愛もあんなに頑張ってるから私もめげずに頑張ろう」なんて思える感覚まるで理解不能です。
>感想サイトは意見交換をして楽しむ場だと、基本的には思っています。
そう書いているご自身だって否定的な人を否定しているからそう書いているんだよね。
楽しい意見交換するんだったらファンサイトの方がストレスにならないと思うよ。
だって面白かったっていう意見ばっかり書き込みする場所じゃないから評価が1から5まであるんだから。
こういう場所だとどうしても対立しやすいのは仕方がないよ。
特にここで問題になったサイトなんて、年がら年中星1と星5バトルでしかないしね。ww
ちゃんと肯定する意見も納得できたらそれは支持するつもりはあるよ。だけど、いつもこちらに書き込まれるものは批判するな的な攻撃とか純達の行動に納得いく説明が出来ていないものか・・
たとえば
>世の為人の為ほんとにそう頑張ろうとする人物ほど叩かれる
これに賛成はしかねるんだよね。
純は人のためではなく人のため人のためと言っていたけど、自分のためと後になって言ったよね。そこに矛盾を感じるし。
それに現実にちゃんと頑張っている人に対してそんなことを思うかな。
自分は思わないよ。きちんと努力して頑張っている人、そういう人のことは尊敬するし、応援したい。
たとえば街中で犬猫保護のための募金、世界の子供達への募金、一生懸命に頑張っている人達の前、素通り出来るのかっていえば自分は出来ない。
どうしてもわずかであってもなにかしら力になりたくて募金してしまうんだよね。
カンボジアとかフィリピンへの寄付サイト探して現金だと政府にごまかされたりもあるらしいから物資送ったこともあるし。
それはどうしてかっていうと、本当に困っている人や可哀そうな動物のために頑張っているのがわかるからだし、少しでも自分も世間のためになりたいって思うから。
「純と愛」からはそういう一生懸命さが自分には感じられなかったから好きではないし、応援したいと思えなかっただけです。
でも、このドラマは肯定できないけど、それを楽しく観ていた人のことを否定はしないよ。
そういう人もいるんだなと思うし、それでなにかつかむものがあったのならそれでいいと思う。
自分も人がいろいろ否定しててもいいと思ったものはいいと思うことあるから。
しかし、朝ドラの好みくらいのことで現実の世の中まで悲観的になるのってちょっと劇画チックに感じますね。
意見を肯定、否定ではなく受容してください。
純と愛のことは嫌いになっても、ほし5をつけた人のことを
嫌いにならないでください。 と書いた方がわかりやすいのかな?
ダメなら、諦めます。l
なんで受容出来ない内容を受容しないといけないの?
自分はこのドラマが嫌いなだけ。
星5をつけた人が嫌いなのではありません。
それは好みだからいいんじゃないかな。
ほし1のことも嫌いにならないでください。
仲良くしましょう。
リアル純来た!
意見を受容してくださいと言われたせいであなたを嫌いになりました。でもファン全体を嫌っている訳ではないよ。
嫌われ純はめげない !
あらら、お互い言葉が足りない気がしますよ。
星5さんを嫌っている訳ではありません。
意見と意見者は違います。相容れないのはあくまでも「意見」であって「意見者」ではありません。
上記のレスを見ても、そこは明らかですよね?
でも受容というのは、受け入れるという事ですから、受け入れられない「意見」を無条件に受け入れろと言われるのはどうしても反発を覚えます。
受容してほしいなら、星1さんたちの納得いく感想を述べて欲しいのです。誰も感想を述べる事を否定していないと思います。
星5さんの感想を読んで、星1さんの心に響いた結果が「受容」ではないですか?
> 星5さんの感想を読んで、星1さんの心に響いた 結果が「受容」ではないですか?
激しく同意。
たしかにこのドラマが好きで見ていた方はここでは少数派になってしまったようで、これだけ矢継ぎ早に批判意見を読むことになれば一種の疎外感のようなものを感じるかもしれません。そのお気持ちはわかるような気がします。
しかし感想サイトは意見交換の場ではあっても仲良しクラブではありません。出入りすれば、たまたま同じような感性の人が集まり共感を得られるものになることもあれば、逆に疎外感を感じるリスクは常にある、という覚悟が必要だと思います。感性の全く違う顔も知らないもの同志がお互いを認め合ってお友達になるような目的の場所ではありませんから。
個々がドラマに関する感想や批評を他の目的ではなく書きこんでいくのが基本であり、書いた人の人格や好みに対してあれこれ書く場所でもありません。
管理者による故意の操作がない限り、ドラマの賛同者が多くなろうと批判者が多くなろうとそれは自然の流れです。だからこそ「ドラマ」の「レビュー」サイトなのだと思います。
でも、こういう場所で、仮に共感を得たい、とか嫌われたくない、と本当に思うなら、できる限りそこに出入りしている人達を納得させるコメントを常に心がけることしかないと思います。嫌われるか好かれるかは人にお願いすることではなく、それ次第ではありませんか?
もちろん誰に対してもマナーは必要です。
ここはシビアなコメントが多いですが、マナーの点では、他と比べてもかなり良い方だと私は感じています。批判的な人も数少ない擁護派の人も、お互い時に的外れコメとかあったとしても、お互いの人格を著しく執拗に傷つけるようなメチャクチャなコメは少ないのではないでしょうか?そのことは賛否とも、出入りしてる人達がお互い憎しみ合ってる訳ではない、ということの表れでもあると思います。
いろんなコメントありがとうございました。
読んでるうちに涙が止まらなくなりました。(笑)
文章が下手なので、伝わらないかもしれませんが、書きます。
見方が違えば、意見が違う。意見が違う人を受容して欲しいとお願いしたのです。
以前、最終回を見て泣いたとかいたら、
こんなドラマで泣く人がいるのかと返されて、傷つき、
このサイトから引いたことがあります。
他にもファンの悪口と感じることがいくつかあったので、疎外感を感じていました。
コメントを読んでいるうちに、なぜ泣けたのかきちんと書けば、こういう人もいるのだなと、受容してもらえたのかもしれないと思えるように
なりました。
読み手の気持ちを考えて伝えることを心がけようと思います。
>読み手の気持ちを考えて伝えることを心がけようと思います。
これは大切なことと思いますしマナーなのだと思います。
「最終回を見て泣いた」と書いて反論されて傷ついたという気持ちもわかります。
しかしその反論は実際に会ったこともなく、人間として全く知らない、あなた自身のことを否定しているのではなく、自分はこのドラマに対してそういう感想は持てない、という自分の主張をしているに過ぎないとも言えると思います。
こういうサイトで傷ついて、もう出入りしないようにする、というのも自分を守る一つの方法だと思います。
しかしもし自分が泣けた、という感性を本当に、他の人にわかってもらいたいと思うなら、なぜ自分が泣けたのか、その理由や根拠を分析し具体的にこのドラマの表現と結びつけて文章にして書き続ける、というのも一つの方法です。
ただ感性が全く違う人を納得させるのは相当難しいですから、心の平穏を求めるなら感性が似た人がいるサイトを見つけてで書く、というのもまた一つの方法でもありますね。
ここでの否定派の人達のコメントをずっと読ませて頂いていますし、自分も書きこんだりして来ましたが、ここでの否定派の皆さんだって一生懸命書いたコメントを他のサイトで削除されまくったり、このドラマが分からない奴は馬鹿だ、などという趣旨の肯定派の心ないコメントには相当傷ついていることがよくわかります。
でも皆さんめげたり、肯定派に向かってそういう事はしないでください、なんてお願いなどしません。
自分の主張を分かってくれそうな人が多いここで書き続けた人も多いでしょうし、たぶん他のサイトでも削除にもめげずに書き続けている人もいるのではと思います。
こういうところに出入りするにはそういう姿勢や覚悟も必要だと思います。
でも何かに傷つく、という感性を持っている人というのはそれだけ感受性も強い、ということですからこのドラマに賛成だろうと反対だろうと基本的にドラマを鑑賞する力がある人なのだと私は思います。まあ元々感想サイトに出入りするという時点で皆、ドラマに対しての関心が人並以上にある、ということですから、とんでもないアンチや盲目信者をのぞけば皆「仲間」ということだと思います。
やっと良い感じになってきたよ・・・
ほんとはこういう方向を目指すべきなんだよな
ありがとうございます。
他のサイトで星1がトラウマになってしまったことがありました。
ストレスがたまらない程度に、参加します。
気持ちは判ります。
自分が楽しく観ているドラマを徹底的に叩かれたり駄作と言われたりすると自分がやられているみたいな気持ちになることありますよね。
自分にも経験あります、純と愛ではないのですが。
ここではない感想サイトでは、感想という名目で明らかに自分と違う感想を持っている人への攻撃と感じさせるような書き方をする方も結構います。
あるとき「こんな凶作、良識があれば支持しない。そういう人は他人をおもいやる気持ちがない人」っていう感想にどんどん賛同が入ったのを見て、ああこの人達は人の気持ちが判らないし、ただ違う考えの人を貶していい気分になってるおバカなんだと思い、そこからは撤退しました。今考えてもそれは正解だったと思います。
感想書いてストレスになるのは良くないですものね。
自分と違う考えが多いときは、自分の気持ちがどこまでがんばれるかとか、どういうサイトがあっているかとか考えながら参加すると良いと思いますよ。
私はここがたまたま合っていたから結構おじゃましています。
ここの他にはファンの人しかこないブログで好きな海外ドラマの話で盛り上がったりもしていますよ。
やっぱり自分的にはそこが一番楽しいかな。(笑)