>あみものしてる人
確かに。見なくなりました。
昔のホーム系ドラマで日常的なことや季節に合わせてよく見る光景…
編み物は妊婦、恋人(マフラーとか)小さい子供(靴下など)
といったものとセットでしたよね。
正月の餅つきとか凧上げ、寒風摩擦(こういう字でよろしんでしょうか?)
こういうのもなくなっていきました。
皮肉めいた話になりますが現在の世の中は「買ったほうが早い」「作るのが面倒」
「手間がかかるものは暇がなくて携われない」というのがあるかもしれません。
また、商売やら経済効果に繋がるようなものはドラマの中でも反映されてますよね。
その象徴が「クリスマス」です。
仕事ドラマでのコメディは多いけど、家族ドラマでの喜劇タッチなものが少なくなった。昔はホームドラマといえば笑いの要素がいっぱいあって楽しく見れたものだが、今のホームドラマは「不倫」「いじめ」「復讐」「殺人事件」「介護などの社会問題」といったものが主流だ。
掃除の際、ハタキでパタパタやる人がいなくなった。しかしこれはドラマの中だけではなく現実でもそれをやる人が少なくなったからだろう。
民放のドラマで特にプライムタイムで放送されるドラマで家族を軸とするドラマが昔と比べて減っていきオフィスドラマが増えていった。この場合「家」は仕事場にいない時の「ワンフロア」みたいな感じになっている。時代は変わり「拠点」となる場が「家屋」から「社内」へと移動していった。社内にいろんなことができるスペースが確保されているのだ。建築物の充実と規模、及び設備の向上が大きく貢献している。
お茶の間、ちゃぶ台、茶箪笥。
日常生活で知らない世代には、「何それ」でしょうね。今は、リビング、ソファ、カウンターだもんね。
でも、昭和が舞台のドラマには必ず出てくるから、ドラマで見なくなった、とは言えないかな。
そう言えば、ちゃぶ台返しなんてものがあったけど、あれはさすがに最近の昭和ドラマではあまりやらないかも。コンプラにも引っかかりそうだし。
代表選手は「巨人の星」に「寺内貫太郎一家」(知ってるかな〜?笑)
そうですね。自分の実家を例にあげますと自分が幼かった頃、家には「お茶の間」「ちゃぶ台もしくはコタツ」「のれん」といったものがありましたよ。ところが自分が1人住まいを始めて実家を離れ、その後、両親が内装工事を始めたとかの情報は得てましたが、最近になって実家を訪れたらキッチンとお茶の間の間の仕切りが取り払われて「リビング」に早変わり。ソファはありませんが「カウンター」が作られてました。実際にこんな調子ですからドラマの中でも家の様相が変わるのも無理はないでしょうね。
橋田ドラマの様な姑小姑の嫁いびりあんまり描かれなくなった。
むしろ実の親からの支配や口出しに子供時代や大人になってからでも悩まされる姿が描かれることが多い。
むしろステレオタイプなドラマ展開は劇画の方に移ったのかもしれない。
ドラマに求められるものが変わってきたためではないだろうか?
もっと繊細な心情が描かれているドラマが支持されていることを感じる。
核家族、一人っ子、親戚や近所付き合いが減ると結果的に濃厚になってしまう親子関係。
毒親というのは、そういう背景から増えたものだろうか?
ここは「昔のドラマにはあったが今のドラマでは少なくなったシーン」スレです。
昔のドラマは警察に悪辣な人がいるとかそういうのはなかった。いつごろだろう、警察黒幕ドラマみたいなのを始めたのは。それから東京を舞台にした警察ドラマも減った。今は神奈川県あたりが舞台になっているものが多い。今思えば新宿を舞台にした「太陽にほえろ」は貴重な刑事ドラマだな。
90年代前半のドラマの8~9割は恋愛、ラブコメだった。それで十分、視聴率が取れていた。男女○○物語、'90、愛は○○、君のために○○、東京○○、○○をつかまえて、すてきな○○…似たようなタイトルが並んだ。今のドラマはこのへんの勢いというか競争間がなくなっている。
昔はドラマとバラエティ番組が協力して番宣にような形式は少なかった気がする。役者はあくまでも役者で歌番組とかに出ると「どうも、よろしく」という感じでヨソヨソしかった。ましてや映画俳優などはTVに出れば完全に大物ゲスト扱いだ。しかしそれでよかったのだ。そんな雰囲気がよかったのだ。今の芸能界はタレント全体を回して回して起用している感があり、世界が狭くなった。今のドラマは俳優、芸人、モデル、著名人、アイドル達で賑わっているようにみえるが同じ顔ぶれである。
昔のドラマは波止場などでのカーチェイスとか盛り上がっていたな、今はそういう光景はあまり見られないな。場所を貸してくれないんだろうな…
ラジオを聴きながらハチマキをして受験勉強する学生。
ちょっと路地に入ったところにあるドヤ街的な家での出来事が主体となっているドラマ。昔はけっこうあったな。
結婚式の披露宴の様子とか最近は見かけません。昔のホームドラマやヒューマンドラマなどでは頻繁にありましたが。ホームドラマ自体がだいぶ数が減りましたが「春になったら」で久々に見られるかもしれませんね。
昔のドラマは安っぽいギター(エレキ含む)がバックに流れていた場合があった。おそらくロックとか日本のフォークソングあたりの影響だと思うのだが(映画でも角川作品などがロック調の音楽が流れていた)、今の日本のドラマや映画はそういうのをやめてクラシック調に戻している。このことはとても評価していいだろう。
偽札づくり
少し前の広瀬すず主演「anone」では偽札づくりに加担するエピソードがあったけれど、仮想通貨や電子マネーが当たり前になった今では偽札づくりの話は今の話としては扱えなくなったように思う。
ここ数年でいろんなものが激変したけれど現金の存在感がこれほどまでに薄れるとは思わなった。
新札が発行されても親しみがわかないかもしれない。
ましてや骨折り損のくたびれ儲けになりそうな偽札づくりなどする人間は出てこないだろう。
だからあのドラマもぎりぎりのタイミングで放送されてよかった。
たぶん脚本の方にとっては思い入れのあるはずの偽札づくりの話。
ちゃんとこちらが受け止められる時期に見られてよかった。
髪の長いフォークシンガー調の若手俳優の出番がめっきり少なくなった。今の時代ではダサく思われるだけかも知れないが。
「不適切にもほどがある」というドラマで生徒達を後ろ向きで並べてケツバットしていたが、そういえば昔のスポ根ドラマでは当たり前だったな。もっとハデな体罰シーンがあった。
昔は灰皿がない場所でもタバコをくわえているシーンがあったが今では考えられない。灰皿自体見かけない。オフィスの机の上にない応接室にも置いてない。
原作が漫画である場合、昔の原作漫画ドラマの方が上手く作っていた感がある。と言うか、芸能界と漫画界の関係がもっと緩かった気がする。TVや映画に出演していた漫画家とか豊富だったし。特番でも「手塚治虫の一日をカメラが追う」みたいなのがあった。
そもそもベッドシーンが規制されたことで性行為に関しては「描写」ではなく「会話」で表現するようになった。そのため今のドラマは台詞が長くなり説明することに時間をかけるようになった。
昔、本格的なホラードラマがゴールデンタイムでしかも連載でなおかつ1時間ドラマとして放送されていた記憶があるが、今、そういうのがないということは何かで規制されたのだろうか…
弱いと見くびってちょっかいだしたり腹いせに痛めつけたり金品まきあげるつもりで絡んでみた相手が実は予想外に強いとか強い味方が現れたりして締め上げられるとすぐに「覚えてろよ」とか言って退散していくチンピラさん。
覚えてろよはこっちのセリフだろうとずっと思っていたがよく時代劇では使われていた。
でも最近はその矛盾に気づいたのか「覚えてろよ」という捨て台詞聞かなくなった。
チンピラさんは自分でも相手にも忘れてほしいはずなんだから。
確かに昔は本格派ホラードラマというのがありましたね、「リング」とか「らせん」とか。けっこう面白かったです。
今の時代はNGというよりも流行らないんでしょうね、深夜とかではホラーを見かけることありますから。
ホワイト世代によりドラマの中での役割が薄くなったもの
・タバコ
・パチンコ
・釣堀
・柿庭
・土管のある空き地
・竹刀、木刀
・障子
テレビドラマを見ているシーン。
家族でドラマ見て笑っている楽しそうシーンもあった昔。
それがだんだんに家族では見なくなって家の中で居場所がなくて一人でドラマ見て本当は楽しくもないのに一人で笑って楽しそうな振りしてるパパのわびしさを描くシーンとかに使われるようになった。
それも今はない。
おいてあるけれど使われていないテレビになっちゃった。
昔はそれなりの役目があったテレビなのに。
ときどき出てくるのはドラマではなくワイドショーでコメンテーターがなんか言っている場面。
「全くこんなこと言って無責任にもほどがるよね」とドラマの中で登場人物が呟いてたりする。
昔のドラマはオープニング曲、エンデェング曲が本編とは切り離して流れていた記憶があるが、今のドラマはそのへんが「自由型」になっている。
畳の上で寝転がっての喫煙シーン…
ベッドの上で寝る前の一服シーン…
店に入る前にくわえていたタバコをポイッ!のシーン…
これらのシーンは昔のドラマでは一般人が行なっていた。
今の時代では反社会に生きるキャラでなければやらない。
一番の変化は「食卓」のシーンだと思う。昔は映像の質はそれほどよくなかったためカタログのチラシに見られるような美味しそうな感じで食べ物を映すことができなかった。今のようなキメの細かさなら、ある程度スポンサーが要求するものに応えてくれる。
ホームドラマで庭で体操する人を見かけなくなった。
健康に関するデータにより、いくつかのことが改善されていった。
それはドラマの中でも影響を与えている。
・朝、外に出てパンツ一丁での体操、及び寒風摩擦
・うさぎ跳び
・がぶ飲み
・早食い、及び大量食い
・長時間の逆立ち
・マーガリンをいっぱい付けてパンを丸かじり
・路上での酔っ払い歩き
「ごらんの提供でお送りします」といったような、かしこまったアナウンスが減った。
東京都心部。歌舞伎町、渋谷、原宿、六本木…こうした場所をロケにした刑事ドラマが激変した。今、もっとも多く使われている「拠点」は神奈川県警。
子供のいじめのシーンで呼び出されて苛められるシーン。
昔は神社とか屋上とかに呼び出されてまず下っ端がいじめら子を小突き、ラスボスは少し遅れて登場。
小突き回されたいじめられっ子を最後に締め上げる。
でも今のいじめのシーンは学校の教室内。
通常授業の休み時間に見た目も似た数人の子たちがいじめられる子をからかうか笑いながらひどい言葉をささやく。ボスはいない。
いじめを平等に楽しんでいるかのよう。
教師はやってくるがいじめの余韻が残る教室で平然と授業が始まる
わかっているはずの周りの生徒や教師に見ている方も暗澹たる気分になる。
これは現実を映すものなのか?
学校というところが遠くなっているのでわからないが
昔の刑事ドラマは「男は野獣、女はか弱き者」みたいな感じで描いていたのが多かったが、今の刑事(サスペンス、ミステリー含む)ドラマは決してそんなことなくなった。そこがもっとも興味深い。
昔のドラマは何かあると道路上で手を上げ、頻繁にタクシーを利用していたものだが、最近のドラマは目的地まで走るケースが多い。基礎体力が衰えつつある現代人への「たまには神に与えられた2本の足を使え!足を!」というメッセージかな?
新宿、渋谷、青山などといった都市の真ん中を舞台にしていた時代が終わり、今のドラマは都心から少し離れた郊外に物語の舞台を移しているケースが多いですね。
完全に無くなったわけではないが、喫煙シーン。特に朝ドラは舞台が昔の設定であっても不思議なくらい登場しない。コンプライアンスの関係なのだろうが、パンチラやヌードシーンも無くなった。昔は橋田壽賀子のホームドラマなどでは子供が全裸になるシーンはごく普通に登場した。
万博の太陽でちゃぶ台返しのシーンがありましたが、本当にやっている人はいなかったはず。
囲炉裏のある広い部屋でソファーに座り、インテリメガネをかけて、ゴルフクラブを磨きながらグダグダと立場の低い人間に文句をたれる中高年男の描写が減った。
先日バカリズムのバラエティ番組で昭和の特撮ヒロインのパンチラ特集をやっていた。
そういえば普通のドラマにおいてもブラチラにパンチラ、それと入浴、まだ演じてくれる若手女優さんはかろうじていることはいるけど、絶滅寸前というか、だいぶ減ったなとは思う。
逆にBSやCSで大昔のドラマのポロリシーンに出くわすと逆に不自然過ぎて、これはギャグなのか?と笑っちゃうのだけど。
昔のドラマといえば時代をリードし大衆を引っ張っていた存在だったな。影響力は計り知れないものがあった。しかし今のドラマはオタク文化、ユーチューバー、料理や体操(ヨガなど)、世論などネットで活躍する民間人に逆に引っ張られ続けてすっかり「後だしジャンケン」しかやることがなくなった感がしないでもない。
現在はバカリズムなどが頑張っているが、よく言われるように「企画もの」が減っていったような気がする。つまりスポンサーが減少しているということか。
酒を飲む際、屋台とかあまり利用しなくなった。室内でしんみり飲むシーンが増えた。
パワハラ 暴力 セクハラ
暴力描写は深夜ドラマで今でもよく見られているけどプライムタイムではほとんど見かけられなくなりましたね。解決手段として「裁判」を執り行い、言葉の暴力というものが幅を利かせるようになりました。「アンチヒーロー」とか凄いですよ。
今まで対立していた悪役が急にいい人になって、なんでかみんな仲良くなって終わる最終回という不思議なドラマは見かけなくなった。
そんなわけはないだろうというドラマが成立しなくなったのだと思う。
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