くわえタバコでえっちらおっちら歩く
くわえタバコでモーターボートを操縦
くわえタバコで荷台トラックを運転
くわえタバコで新聞を広げて読む
くわえタバコで電話ボックスに入り受話器を取る
くわえタバコであおむけになって休む
タバコ屋やタクシーで釣りはいらないというシーン
上司からもらった紙袋(給料袋)を開けてブツブツ言いながら酒を飲むサラリーマン。
多摩川だか荒川だかその川沿いの草むらであおむけになって一人で何かを考え込むシーン。この描写があまり見かけなくなったのはやはり都市開発やら危険防止などの設備が充実したためか。
玄関で知り合いの人とペチャクチャと楽しそうに会話する場面が減った。昔のドラマではよくあった。今のドラマは玄関というか家の門でインターフォンを鳴らしドアを開けてもらう。そこには楽しい雰囲気はなく、大抵、訪れるのは刑事(笑)
新聞配達。
とってる家も少なくなったし 中高生がお小遣い稼ぎに、というシーンもほぼ消滅した~
実は 小説もなんです。運動部が足腰鍛える為にというのも 山村部の話でした。もっと手軽なバイトしちゃうのかな。
~だわ、とか、そうかしら、とか昔の小説みたいなしゃべり方をさせなくなった
ニワトリが朝を知らせるような描写を見かけなくなった。
朝、牛乳屋さんの配達係が届けてきたビン入りの牛乳を頭の薄い中高年男がパジャマ姿かランニングシャツにパンツ一丁で腰に手をやりながら飲むシーンが減った。と言うか、見かけなくなった。
プライムタイムから深夜にかけての民放ドラマで農家や牧場でのシーンがめっきり減ってしまった。昔は例えば「赤いシリーズ」などのドラマの中で、若者がある事情があって都会を離れて消息を絶ったその後、尋ね人が牧場に行ったらその若者がそこで働いていたとか、そういうのがあった。
よたもんやチンピラのセリフ。
一人じゃ太刀打ちできないので少なくとも3人以上つるんで黄門さま一行のような本当は手を出すべきじゃあない人たちに難癖付けて絡んで結局助さん格さんコンビのようなつわものに腕ねじ上げられて、仕方なく逃げていく。
黙って去ればいいのにそのうちの一人が「覚えてろよ」という。
それはしょうもない絡みは黄門さま一行にとっては喉元過ぎれば熱さを忘れるでもないが、チンピラの絡みなど屁でもないので忘れるだろうと思ったからだろうか。
最近の時代劇ではもうチンピラたちは「覚えてろよ」とは言ってないと思う。
どうして覚えてろよというセリフが当てられて繰り返されたのかは謎。
時代劇の脚本書いた人の回顧録にも出てこなそうなちっさな話
昔の刑事ドラマは刑事と容疑者がかなりの距離で追いかけっこしているシーンがザラにあった。そういった状況から「走る姿が誰よりも似合うジーパン(松田優作)」みたいなキャッチフレーズが飛び出したりしていたが、最近の刑事ドラマは容疑者がちょっとでも逃げると、次の角を曲がった時点でどこからともなく別の刑事が待ち構えてすぐ捕まったりする。昔と比べ街中のロケーションで道路を閉鎖しにくくなったこともあるかもしれないが、昔の俳優は長い距離を走っていたな。もちろん今でもそういうシーンはあるが、人ごみを掻き分けながらの追いかけっこはだいぶ減った。
「セーラー服反逆同盟」のような教師が生徒を竹刀でボコボコにするドラマがなくなった。
たとえば正義の側のキャラが「お前ら許さん!」とか言って悪い方に挑みかかる際、悪い方が「くそっ。バレちゃしょうがねぇ、てめ~ら遠慮することねぇ、やっちまえ!」と決まり文句のような会話のやりとり。とても分かりやすいし気分が晴れるような感じになるが、こういうやりとりが少なくなった。ナンバMG5というドラマを見て、妙に「懐かしい…」と思ったのはソレだったんだな。
スケバン刑事の南野陽子さんが「おまんらゆるさんぜよ」がありましたね。高知弁の設定でした。
植木等さんの「およびでない・・」とか由利徹さんの「うちの母ちゃんがペロッと・・」みたいな、その俳優さんのアドリブみたいな持ち味の台詞がなくなった気がする。
近年はコンポライエンスとか個人情報保護やらで、その辺が厳しくなった?。
畳の上にゴロンと寝転がってなにかぼんやりと考え込むシーンをあまり見かけなくなった。大抵、この場面は役者の目を映したあと、天井にある蛍光灯が映し出されたりする。
ワンパクそうな子供よりも精神的に悩んでいるような子供の役が多く出演するようになった。昔と比べ、家族における抽象的、かつ一括的な描写が家族を構成する人たちの精神面における細分化が目立つようになった。そういった動きがもっとも顕著に表れているのが「子役」の役割だ。
石油ストーブ。回して火を付けるやつ。あれ、現役なのにドラマの中であまり見かけなくなった。
このところ週末になると新チャンネルのBS松竹東急で「露天風呂連続殺人シリーズ」を放送してます。
そう、昔、テレ朝の「土曜ワイド劇場」の枠でやってた古谷一行さんと木の実ナナさんのコンビのアレです。
毎回「お約束」の「オッパイギャル」を楽しみにしていたスケベ視聴者?も多かったことでしょう。
あれを地上波で堂々と放送していた、あの時代が懐かしい。
土曜ワイド劇場はそういう濡れ場シーンを視聴率アップのためにさかんに投入しましたからね…。天知茂さんの明智小五郎シリーズは毎回美女の入浴とかヌードシーン満載でしたし、家政婦は見た!も赴任先のエリート家庭の秘密乱れて、とかね。
あと「みちのく」という言葉をタイトルに使ったものはウケると、田舎へ旅行中の殺人ものやサスペンスものの2時間ドラマにさかんに使われましたが…あの盛況ぶりはどこへ行っちゃったんでしょう。
配達先が留守で、配送員が「お隣の荷物、預かってもらえませんか」今は確実に再配達で、そんなことはマニュアルにすら無いだろう。
家の2階にある書斎で物思いにふける夫…1階でソファーに座り込み何とも苦い顔の妻…昔のホームドラマとかサスペンスドラマは多く見かけたが最近は少ないなぁ~
現在は「男である夫が家の大黒柱」みたいな風潮ではないから男(夫)の所有物である「書斎」というものが明確に表現されていない。一方、妻は仕事してるか友人に会っているかで家にいない(笑)
料理中、アッチッチとかいって耳たぶを触るシーンをあまり見かけなくなった。あまり必要ないリアクションと見なされたか(笑)
縁側の廊下を歩くシーンが少なくなった。
掃除する際、ハタキをかけているシーンがめっきり減った(というかほとんど見ない)と思う。やはりホコリを撒き散らすだけで野外ならまだいいが家屋の中では不向きということなのかな。
昔はサッシの窓ではなかったので外から埃が入ることが多かった。網戸がなかった時代の夏は蚊帳を吊って寝ていました。
今は機密性の高い家で暮らしているのでダニの問題があり、埃を拭くか吸い取る掃除に変わったのではないのか?と考えました。
昔のドラマで「スケバン刑事」というのを見た。懐かしい場面があった。サキが自分の部屋に戻るとただならぬ気配…サキがある方向を睨み付ける。次の瞬間、ナイフが飛ぶ。軽くよけてヨーヨーを投げて応戦する。すると仲間の上役がニヤけた顔で現れて「さすがだ」と言いたげな表情を浮かべる。今のドラマでは「ただの不法侵入」ということで処理されそうだ。
立ち食いそばのシーンをあまり見かけなくなった。刑事ドラマなどでは先輩と後輩が一緒にそばをすすって必ずといっていいほど先輩が先に食べ終わる。すると先輩が後輩がまだ食べているのに「よし、行くぞ!」と軽く肩を叩き、店の暖簾をくぐって出ようとする。後輩はあわてて御椀と箸を持ったまま後ろ向きの姿勢になる。
ナタデココやティラミス、ガン黒やたまごっちでさえ懐かしいよ、今は。なんだかんだ今も毎年売れ続けるボジョレーヌーボーは凄いね。
今はシティポップスのレコードとかローラーブレード(元はローラースルーゴーゴー)とか昭和の名作映画4K上映とか70年代〜バブル前辺りが地味にリバイバル人気だけど、もう10年ぐらいしたらバブル〜その崩壊後の地味なリバイバルも来るかな?。
結婚式には仲人さんがいたり、親の兄弟が大勢出席した昭和の結婚式、それも角隠しをした和服のお嫁さんは朝ドラくらいしか見られなくなった。
確かに「結婚式」で親族やら友人のスピーチやらのシーンが減りましたね、今のドラマは教会でパパーッと花が舞って終わり。長々と引きずりません。昔は結婚式のシーンだけで一話分の尺を取ったりしたこともありますが。
昔のドラマでは団地とかアパートは一般の住居として使われていたが、今のドラマでは貧乏設定、ホラー、事件現場みたいな場所として使われるケースが多い。とくに団地は映画ではホラーの現場として大活躍。
家の中でトイレに入ろうとしたら先に入った人がいてトントンとドアを何度も叩きながら漏れそうな顔をした家族の一員…今はこのシーンが少なくなったのは「お茶の間」とともに「家族の風景」も消えかかっているからなんだろうな。昔は一つ屋根に大世帯家族が多かったから。
昔のドラマはまずはタイトルが画面いっぱいにデカデカと表示され、その後、ちょっとCMに入ってそれから本編に進むというのが多かった。今はドラマごとにいろんなタイプがあり、オープニング曲のないのもあったりする。
旅館や宴会場でワイワイ騒ぐシーンが減った。昔のドラマや映画ではビール瓶を持って歩き回りビールを注いだり適当なところに座って人の輪に入ったりする光景が見られたものだ。最近多いのは居酒屋で仲間数人で飲むようなシーンだけど、「お茶の間」とともに「社員旅行」や「ゴルフ接待」などのシーンがわりとこじんまりとした形にすり替わっただけかもしれない。
ブラウン管テレビ、コタツ、湯呑み、蜜柑、灰皿、新聞、丸メガネ、ダイヤル式電話、こけし人形、日めくりカレンダー…お茶の間の必須アイテムだった。
なにかカッコつけるときとか合図するときなどウインクしたものだが、今となってはよほどダサいポーズに映るのかすっかりやらなくなった。
社内の窓を開けたりしなくなった(開けられなくなった)。ビルが高くなり大きくなるにつれてフロアそのものの作りが変わり、窓を開けて首を出して声をかけたりするシーンが減り、やたら高い階に設けられた窓をただ、つっ立って外の景色を見るシーンが多くなった。
家の中で夫がコタツに入りメガネをかけタバコを付けながら新聞を読んでいる。その後ろで妻が背を向け、キッチン(昔は台所と呼んでいた)で皿を洗っているようなシーンをあまり見かけなくなった。
昔は教師が主体の学校ドラマが多かったが。いまは生徒が主体。生徒達に起こるさまざまな問題がより複雑化しているせいであろう。
本を読むシーンが減った。今は何を手に取って見てるかというばスマホ。
昔のドラマは主題歌にフォークソング調の歌が流れていたものだ。一番変化に敏感なのは音楽だと思う。
時代劇が作られなくなったというより、作りづらくなったと言ったほうが正解だろうか。
昔のドラマでは確か家の屋根の上で数人で座って夕日を見るなんて光景があったようなないような…危ないよな。
広告の出し方が昔の比較して嫌らしくなっている。昔は「○○の提供です」とかバーンと一枚絵で紹介されたものだが、最近は本編が流れている最中にテロップで広告が入ってくる。
銭湯でのシーンをあまり見かけなくなった。無くなったわけではないのに。
昔のドラマと今のドラマで誰でも分かる決定的な違いといえば映像がハイビジョンになったということだが、昔はその荒い映像のおかげで妙に味のある絵面になっていた。今のドラマは悪く言うとスマホで覗く画面とあまり変わらない安っぽさがある。
あみものしてる人。
「ひらり」のみのりがトナカイの柄のセーターを編み始めたけれど、途中で送りたい相手が変わったなんて話が出てきたのを見たのを最後に手編みするシーンは見ていない。
彼氏できたら手編みのセーター贈らないといけないような静かな圧力があったような記憶がある。
もっとも初めての手編みしかも男物なんて膨大な労力がいるだけで、仕上がりは推して知るべしなので、もらった方も困ったか知れないが。
もっと昔のドラマでは若妻(ああ古い表現、いったいいくつまで許されるのか?)が初めての妊娠でラブリーなマタニティに身を包んで白とか黄色の毛糸で赤ちゃんの手袋とか靴下編むシーンがあった。
今では産休に入るまで働く妊婦ばかりだから、そんな悠長なこともやっていられないだろう。
実際赤子が生まれて見れば、手袋も靴下も大人しくしていてくれないしどっかやっちゃうし、泣き止まない子を抱えて右往左往なんだけど、あの生まれてくる子を待ちながらの手編みシーンは誠に穏やかな微笑ましい今では幻となった場面であった。
>あみものしてる人
確かに。見なくなりました。
昔のホーム系ドラマで日常的なことや季節に合わせてよく見る光景…
編み物は妊婦、恋人(マフラーとか)小さい子供(靴下など)
といったものとセットでしたよね。
正月の餅つきとか凧上げ、寒風摩擦(こういう字でよろしんでしょうか?)
こういうのもなくなっていきました。
皮肉めいた話になりますが現在の世の中は「買ったほうが早い」「作るのが面倒」
「手間がかかるものは暇がなくて携われない」というのがあるかもしれません。
また、商売やら経済効果に繋がるようなものはドラマの中でも反映されてますよね。
その象徴が「クリスマス」です。
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