脚本の良し悪しがサイトに書かれてますけど、主観でしかありませんから、感想の一つとして捉えています。
脚本賞を受賞した映画を見ても楽しめないことがありましたので、私には脚本の良し悪しが分かるまでには至りません。
脚本の良し悪しって何なのか、少し考えてみたんですが。
悪いと評される脚本で思い浮かぶのは、話の辻褄が合わない、登場人物のキャラがぶれている、人物がきちんと描けてない、展開に無理がある(話を理解する上での必要な説明がされていない)…等が、基本的な部分でしょうか。
まぁ最後のは、敢えて説明をしていないことも、手法としてあるのですが。
で、ひらりの感想欄をざっと読んだところ、そうしたことが窺えるようなものはなかったんですよね。(全部きちんと読んだ訳ではないですが)
多かったのは、登場人物の言動批判。
時々見かけたのは、題材批判。(恋愛話ばっかし、みたいな)
題材批判は好みの問題なので置いておくとして、登場人物批判が盛んにされていて、しかもその批判内容が一貫してるというのは、脚本としては成功してるんじゃないかと私は思ったんです。
それだけ、キャラがぶれてない、ということなので。
なので、このドラマの批判は、好みに合わない、感情移入出来ないことによる批判が主なものなんじゃないかと私自身は思っていたんですよね。
それと、ここからはひらりの話じゃなく一般論ですが、脚本の良し悪しがドラマの良し悪しを決めるという件に関しては、そうとばかりも言えないように思ってます。
よく、映画は監督のもの、ドラマは脚本家のもの、なんて言ったりしますが、ドラマの制作現場で、演出家はそんなに自己の工夫をしないものなんでしょうか。
演者さんの演技プランを決めるのは脚本家なんですか?
撮るのは演出家ですよね。
カット割りや編集、音楽の使い方まで、脚本家が指示するんでしょうか。
私達視聴者がドラマを見ていて、良かった~と思うのは、話の筋書きや台詞だけではないと思うんです。
何気なく挿入された背景によって感情が呼び起こされることもあるし、演者さんの演技で感動するのは勿論ですが、微妙な間合いとか、目を楽しませてくれる絵面とか、あとBGMの被せ方…これも大きいです。
ドラマの良さやヒット作を語るとき、○○脚本、ということがよく強調されますが、それだけじゃないよな~と、私はいつも思ってしまいます。
それに、脚本誰々、と銘打ってあっても、原作ありきの作品もある。
今ここで名前は出しませんが、原作ものの脚色脚本がとても上手い有名な脚本家さんがいます。
でも私には、その方のオリジナル作品は、あまり良いとは思えない。
詰めが甘いというか、期待したんだけど何だかな~みたいな終わり方をする感じがよくあるので。
でも、そういう作品も、その脚本部分(筋書き)だけが全てではない訳で。
ドラマとして放送される出来上がったものは、細かい部分のどこに誰がどう関わっているのか、誰の力量なのか、視聴者には分からないことが殆どだと思います。
○○脚本!と銘打てば、キャッチーだし、その脚本家の作品が好きな人はそれだけでそそられたりしますが、ドラマの良し悪しを脚本だけで語ることは出来ないと私は思ってます。
演者さんの演技だけでドラマの良し悪しを語れないのと同じです。
長くなってしまいました。失礼しました。
ドラマも映画も総合芸術ですが、全体的な質を決めるベースは、
ドラマ:脚本>演出>演者
映画:監督>脚本>演者 または 監督>演者>脚本
今は時間がないし、ここは朝ドラスレ。これについて詳しく語る場ではないので、またの機会に。
語彙力と文字数の文章センスって決定的に大事ですね。
人生とか人格とかが透けて見えてしまうところがある。
読んでいて感じたのは、脚本の良し悪しを決めるの誰ですか?何を基準に決めるのですか?
という素朴な疑問です。
455について。
自分だと思います。視聴者皆が、自分の基準で自分で決めている。
視聴感想は、全部そうです。
一個人にしか過ぎない「自分自身」の基準。
そんな不確かなものは参考程度にしかならない、というのが私の意見です。
あ、なので、一個人の書いた感想を、同じく一個人がどうこう言うのは、ばかげている。と思ってます。
自分の感想は自分だけのもの。
論議するのはその人の自由かもしれませんが、不毛だと思います。
朝ドラは、一個人の感想を一個人の感覚で論議したい人が多いようですが、意味のないこととしか思えません。
それと監督が良ければというけど、同じ監督でも様々な映画を作るわけだから、成功も失敗もあるでしょう。
457、書き直し。
自分の感想は自分だけのもの。その人の感想はその人だけのもの。
一個人が書いた感想の論議は、双方が論議したいと思うのであれば、其々の自由かもしれませんが、不毛だと思います。
朝ドラは、一個人の感想を一個人の感覚で論議したい人が多いようですが、お互いがお互いの感想を理解し合いたいと思ってするのでなければ、意味のないこととしか思えません。
「ひらり」は31年前の朝ドラだけど、もちろん当時と今の時代背景の違いはあるけど、放送年度に関係なく面白いものは面白いし、面白くないものは面白くない。
ドラマでもスポーツでもバラエティでも何でもそう。
テレビ番組とはそういうもので、要は単純に面白いか面白くないか、ただそれだけの話。
時代に関係なく。
ここでも「にわか知識」をひけらかして、ああだこうだと屁理屈をこねる奴が居るけど、チャンチャラおかしい。
458さん、投稿タイミングがかちあってしまいすみませんでした。
458は455の続きだと思います。
ドラマの評価もそうですが、何かのコンクールや何かの賞のようなものは、それが文化作品、芸術作品である限り、結局は“個人の好み“の反映なのだと思います。
“好み“とは即ち、その人は何を求めているか。
求めているものに出逢えば心に響き、感動もするし、評価も高くなる。
求めていないものは、心には響かない。つまらないと感じる。当たり前のこと。
誰もが同じものを同じように考えたり感じる訳ではない以上、感想も評価も順位も賞も、単なる参考。
参考資料は、千差万別のものがあるに越したことはない。
でも、違う人同士の感想や評価についての論議は不毛。
自分自身の感想や評価だって、見る時期が違ったり自分の感覚が変われば違ったりすることもあります。
自分が良いと思うドラマが、他の人も良いと思うとは限らない。
朝ドラも、良い悪いという感想や評価が様々ある方が良いと思うし、様々あるのが当たり前で、自分にとっての良し悪しは、所詮、自分の中にしかなくて、万人のものではないと思います。
ひらりは、460さんにとっては面白くないドラマなのかもしれません。
それは460さんにとっての真実です。
でも、誰かにとっては面白いドラマかもしれない。
それも、その誰かにとっての真実。
461は、そういうことを書いています。
ちなみに、私は面白いのかつまらないのか分かりません。
何しろ、ドラマを殆ど見てないもので全く未知のドラマです。
面白いという人もいれば、つまらないと思う人もいるドラマなんだな、と思っています。
で、何故つまらないと思うんだろう、何が面白いんだろう、そこに興味があります。
だから、お互いに干渉し合わないで書いている、様々な一個人の感想が読みたいのです。
ひらり放送当時は相撲が人気で、相撲部屋の様子や取り巻く人たち、女性であるひらりが業界にどう関わっていくのかに興味があって視聴していました。私自身は仕事が忙しくてガッツリ見ていたわけではなく、ヒロインのお姉さんのことはドラマの中の興味ないレベルで朧げな記憶が残るのみです。
朝ドラの中では現代ドラマの部類で、当時のトレンディドラマの非現実的な世界観の影響があったのでしょうかね。
クドいし、どうでも良い事。
これ、感想じゃなくて自分語りですね。
どこのスレでも同じですが、感想の感想、というか、感想の批評はやめてくださいね。
書く人が不快になって荒れる元なので。
それに、自分がドラマを見ていないのに、こんな感想を読みたいなんて要求するのは、すごく身勝手です。
ここは、朝ドラを観ている人がどんな朝ドラについても自由に書き込めるスレ。
見ていない人が、本スレにどんな感想があった、荒れてたなんてことを取り上げるスレではありません。
以後、ご注意を。
らんまんでドクダミが出てきたとき、わろてんかで戦後の物資が足りない時期に、てんがドクダミでお茶を淹れていたのを思い出しました。そういえば薬問屋の娘だったなあと思いながら。
468
〉自分がドラマを見ていないのに、こんな感想を読みたいなんて要求するのは、すごく身勝手です。
これ変。
干渉し合わない感想って、468さんがやめろと書いてる
〉感想の感想、というか、感想の批評
のこと。
あと、その朝ドラを観てない人はその朝ドラについて書いちゃいけない、というのも変。
干渉せず自由に語ってOK
それを守りましょう。
本スレは、そのドラマを見て感想を書くのが当たり前だけど、このスレは朝ドラを自由に語るスレでしょ。
見てる朝ドラ、全く見てない朝ドラ、きちんとは見てないけど知らない訳じゃない朝ドラ。
ひらり擁護派と思われてる?それで批判派の投稿が相次いでいる?と思ったから、擁護も批判もない、と書いただけに過ぎない。
ひらりについては、実はあれから別のことも考えてた。
脚本書いた内舘牧子さんの民放ドロドロドラマの何本もの連作。
あの時代は、女の闘いみたいなドロドロ恋愛ドラマがウケていて、どれもかなりの大ヒットだった。
ひらりの内容や感想読んでると、そのドロドロ恋愛ドラマを思い出す。
ドロドロ恋愛ドラマには、今の時代に“メンヘラ“という言葉で揶揄される女性もよく登場して、 富田靖子さんなんか演技力全開の凄まじさだった。
でも、その時代、メンヘラという言葉もなかったし、コワイヒール役みたいな感じでウケて、視聴率に貢献していたのも確か。
今は、そういう 富田靖子さんが演じたような役はウケないし、白けられる時代になった。
ひらりでよく叩かれてるみのりは、もしかして、朝ドラという「朝から見る帯ドラマ」「視聴ターゲットは民放とは違う」、その制約の中で作り出したキャラなんじゃないか?と、そんなことも考えたりした。
今の時代にはウケないヒール役。
民放みたいに凄まじいヒール役には出来なかった中途半端なヒール役。
だから余計に叩かれる。
違うのかな。
昔の民放ドロドロ恋愛ドラマを知らない、今の時代の方にはよく分からないかもしれないけど、 富田靖子さんが演じた役で「昔の男」というドラマに出てくる女性がいます。
その演技は、例えば、今で言えば「半沢直樹」あたりからよく出てくるようになった顔芸みたいな話題性だったんです。
ごめん。もう一個。
内舘牧子さんの過去ドラマを調べてたら、「私の青空」の脚本も彼女だった。
「私の青空」は、毎回ハマって見ていた朝ドラだけど、このドラマは、結婚式当日に夫に逃げられ、同時に妊娠が発覚して、シングルマザーとして奮闘する女性の物語。
結婚式当日に夫に逃げられる、しかもまだ未婚の状態で妊娠している。(確かこれが初回で描かれてる)
考えてみたら、当時の朝ドラとしては攻めた内容。
でも、世間では結婚前の妊娠は珍しくない時代になってたし、私は面白く見ていた。
逃げた夫は、ボクシングの夢を追いかけてて、そのジムの娘と軽い恋愛?みたいな雰囲気もあったりして、ヒロインなずなも葛藤してその娘と会ったりするんだけど、そこは物凄くさらっと描いてた。
いやいや、さらっとじゃ済まない話でしょ、逃げた夫、自分は妊娠してて1人で子供産んで生活の苦労してきたんだよ?それで夢を追いかけるだけならともかく、そこの娘といい雰囲気になってるなんて、さらっと描く話じゃないでしょ、と私は思ったけど、あれは朝ドラという枠での配慮だったのかも。
因みに『私の青空』にハマったのは、ストーリーも面白かったけど、一番の理由は、ヒロインなずなが生活しているアパートのセットが可愛らしくて見てるだけで楽しかったのが、一番の理由。
毎回、アパートのセットが出てくるシーンが楽しみだった。
ドラマの良さは、脚本だけで決まるものじゃないと思う。
一応書いておくけど、内舘牧子さん脚本のドラマは、毎回続きが気になって欠かさず見ていたものが多いけど、好きな脚本家というのとは違う。
女性の嫌な部分を露にする脚本家なので、女性が見ていて色々感じる話が多いという印象の脚本家。
未見だけど、「すぐ死ぬんだから」もそんな感じの話なのかな。
ちょっと興味があります。
あ、だから、女性の嫌な部分を露にする脚本、というのは、女性に突き付ける内容だから、女性からの反発も強い。
ひらりの、みのりに対するバッシング?は、同性嫌悪みたいなものなんじゃないかと感じる。
だから、不快な言動、不快な台詞、不快なキャラ、それが話題になってればなってるほど、多分、脚本の出来としては成功してるんじゃないかと思った訳。
で、私は、そんな感想を読む度に、かつてのドロドロ恋愛ドラマを思い出して、懐かしい~と思ってしまう。
昔は、ネットでドラマの感想なんか見なかったし、情報源はテレビ雑誌とか取材記事。
当時の感想サイトとかがあったら、当時のひらりの感想、読んでみたい。
失礼。
女性に突き付ける内容だから→女性に突き刺さる内容だから
に訂正します。
同性嫌悪、と書いたけど、みのりバッシングについては、同族嫌悪の間違い。
同性嫌悪と同族嫌悪、全く違う意味でした。
同じような意味かと思って、ん?とは一応思ったけど、訂正しなくてもいいかと思ってたけど、調べたら全く違う意味だったので、こちらも訂正。
そう言えば、女性の嫌な部分を露にする脚本家、と内舘さんを評したけど、逆に、女性の嫌な部分をスルーする脚本を書くのが、『純と愛』を書いた遊川和彦さんだと、私は思ってる。
2人の脚本家とも、何故かいつも、書く作品は女性に拘り、女性を描こうとしてる。
でも、その描き方は真逆。
『純と愛』は、放送当時、叩かれまくりの朝ドラだったけど、コアなファンもいたドラマ。
私は、あまりに叩かれてるのと、これでもかの不幸展開は嫌いじゃないので、興味を持って全話視聴。
正直言って、純の喋り方がキンキン煩くて何度も挫折しそうになったドラマだったけど、話の筋書きは面白かった。
最後のスカーレット・オハラ並みの女性賛歌は、さすがに恥ずかしくて正視出来なかったけど、あのドラマの不幸展開は、現実的な展開とも言えるのかもしれない。
作者は、不幸のどん底にいる人への応援歌のつもりで書いたらしいから、純が次々に不幸に見舞われて最後まで救いがない展開は、必要な展開だったんだろう。
救いは、決して外からはやって来ない。
誰も助けてはくれない。
そんな中で、どう生きるか。
ドラマは未見だけど、らんまんの感想を読んでたら、『自分の機嫌は自分でとりなさい』という台詞があったらしくて、何人かの人が取り上げてた。
純と愛のテーマも、その『自分の機嫌は自分でとりなさい』的なものかもしれない。
でも、内舘さんの脚本は、そうしたことの真逆をいくエピの羅列が多い。
自分の機嫌は誰かに取ってもらうもの。
外から助けや救いがなかったら、周りを恨んで当たり前。
何か起きたら、自分を苦しめた周りが悪い。
…みたいな。
勿論、それは女性の一面にしか過ぎないし、そうじゃない女性も沢山いるんだけど、内舘さんの書く話には、概して被害的に考える自分中心の女性がよく登場する。
俯瞰的に見られれば腹も立たないのだろうけど、そういう女性は確かにいつの時代も一定数存在するので、周りの女性がそうだったり自身がそうだったりすると、ドラマを物語として捉えられなくなり、強い嫌悪感情が起きてしまうのでは。
でも、朝ドラの主な視聴者層が女性である以上、女性を描くのは必須要素。
作者の女性観は様々だけど、この枠は、女性を描き、女性が見て、女性が叩き、女性が共感する枠になるのは仕方ないこと。
ちなみに、男性主人公の『マッサン』には、それがあまりなかった。
シャーロット・ケイトフォックスのたどたどしい日本語も、視聴者が応援する要素となり、功を奏した面もあったかもしれない。
今回の『らんまん』も、男性主人公ということで、あまり叩かれないドラマになるかなと思っていたんだけど、感想欄を読んでると、やはりこれも女性が批判されていた。
妾というのは、男性がいて成り立つものなのに、妾の話に関して批判されているのは、何故か女性。
まぁそれは、男性側があまり描かれてないのかもしれないけど。
女性の敵は女性、とはよく言ったものだと思う。
実は私も、女性は苦手。嫌いと言っても過言じゃない。
とは言え、だからと言って、同族嫌悪を同性嫌悪と同じような意味に間違えて捉えていたことの言い訳にするつもりはないけれど。
今の時代は、ジェンダーアイデンティティーの良し悪しが取り沙汰され、身体と性自認の不和を公にする人も増えてきた。
恋愛対象は異性、という従来の概念も崩れてきている。
もしかしたら、時代を映す鏡のような朝ドラ枠も、女性を描くのが基本というスタイルを変えていかなければいけない時代なのかもしれない。
冗談抜きでLGBT法案で日本は滅びると思う。
>その朝ドラを観てない人はその朝ドラについて書いちゃいけない、というのも変。
いけないとまでは言ってない。
でもね、学校での読書感想文の発表会を思い出してごらんよ。
あれって、対象となる本をちゃんと読まずに適当に感想を述べたら、必ずボロが出たはずだよ。
同じ本をまともに読んだ人からしたら、明らかにトンチンカンな事を言ってる訳だし。
このサイトのドラマの感想だって、それと同じなんだよ。
ほんとだね。
ついでに言うと、本も読まずに、「他の人はこう言ってた」と、ごく一部の感想をもとに、その本について自論を展開するのも、読んだ人からすれば、ますますトンチンカンになるばかりなんだよね。
見てる朝ドラの感想もありますね。
私の青空、純と愛
内館ドラマの考察も面白く読みました。
それから、本スレが荒れてた、こう言ってた、などと取り上げるのも禁止。
荒れる元。今までの例から言ってろくなことにならない。
以後注意。
トンチンカンなこと書いてるなら、どこがどう的外れなのか、きちんとドラマの内容書いて反論したらいい。
私は、きちんと見てない、と始めから断りを入れて書いてるんだから。
ハッキリ言って、見てるのかどうか分からない内容書いてるのは、480、481も同じ。
投稿者否定の為の批判を書いてるだけに読める。
それ、違反だから。
それと、朝ドラは、見てるドラマは毎回かなりきちんと全部細部まで見てる。
台詞の聞き逃しとか自分で許せないタチだから、見てるものは、字幕つけて録画確認しながら見るほど、朝ドラは基本、好きな枠だった。
でも、わろてんかを最後に、エールは途中で挫折、あとちむどんも途中挫折、他は見てない。
最近は、朝ドラ、どうも見たい気になれない。
これは多分、ここのサイトを読むようになったせいだと思う。
内舘ドラマばりの投稿内容があまりに目につくので、朝ドラのイメージがすっかり悪くなった。
いつも見ようと思って、今も朝ドラの録画も欠かしてないんだけど(ひらりも勿論毎回録画だけはしてる)、朝ドラ=ここのイメージ、にすっかりなってしまってて、中々録画再生する気になれないのが本当のところ。
いつになったら、感想だけが書いてある感想欄になるんだろうと、いつも思ってる。
ひらりについても、それでここに私見を書いてみただけ。
まともに本スレの批判しても無駄だし、お茶の間が荒れるだけだから、感想という体裁をとった。
見てないドラマも、感想を楽しみにしている者の気持ちも、少しは考えてほしい。
本スレは、見てる人だけの内輪受けの場所じゃない。
スレ違い内容、失礼しました。
因みに、脚本だけが全てじゃない、と思った朝ドラは、他にも幾つかあるけれど、良い意味のものもあれば、逆の意味のドラマもあった。
逆の意味のドラマ名は、一応、今は配慮して書かないでおくけど、演者さんの演技による部分が主。
ストーリーや台詞を生かすも殺すも、やっぱり演技の力は大きいと思う。
正直ここだって感想だけが書いてある感想欄にならないものかと思うよ。
まともに本スレの批判しても無駄でお茶の間が荒れるだけだから感想という体裁をとったなんてもうお茶の間を使う上で最低の理由。
本スレの批判ヲチスレは旧お茶の間の最大の問題だったことなんて知らないだろうけどね。
つまらない理由でお茶の間に書いてると他の人に迷惑。
あ、でも、ひとつ脚本が酷いと思った朝ドラがあった。
週末の5分で分かる…を見ていると良さげなんだけど、毎回の細かい内容を見ているときに、ストーリーにも主人公のキャラにも一貫性がないことがよくあって、台詞も疑問符がつくものが多かったし(ダイジェスト版ではそこをカットしたり、編集で別の意味にしたりしていた。制作側もマズイと思ったんだろう。ダイジェスト版で変えてくるなんて、反則だと思うけどね。)、最終回の〆方も何だか安易で。
そのドラマは、ヒール役の俳優さんの演技がとても上手くて、その俳優さんがいなければ、もしかしたら挫折していたかもしれない。
視聴率はかなり良かったみたいだし、一応、人気作だったみたいなので、きっとファンの人もいると思うから、ドラマ名は伏せておくけど、分かる人には分かるかもしれない。
当時、ここのサイトは利用してなくて、別のサイトの感想をよく読んでいたけど、そう思ったのは私だけじゃなかったようなので。
脚本だけが全てじゃない、とは、毎朝見る朝ドラの場合、確かにあるけれど、でも、中には脚本どうにかならないか?と思った朝ドラもあることを、一応書いておきます。
485
何しろドラマをきちんと見てないので、本スレにドラマについて書く訳にはいかないと思ったので。
あと、こちらにドラマの批判投稿が相次いで本スレへの批判投稿が少し止んでいたので、お茶の間をよく利用する方がドラマを批判しているのだろうとも思ったのもあり。
一応ですが、私はドラマの批判は悪いことじゃないと思ってるので、出来れば、脚本が酷いと書かれた方に、どこがどう酷いのかを説明して頂きたかったです。
脚本が酷いというからには、具体的な、何が酷いのかがあるはずだと思うので。
脚本の酷さからの批判なのか、登場人物嫌悪からの批判なのか、出来れば知りたかったですね。
そんなおかしな推測で、見てもいないドラマの書き込みを、本スレが荒れてるなんてヲチ投稿するのは絶対ダメ。荒れる。禁止。
自分が見た朝ドラについては、一人語りでも何でも、いくらでも自由にどうぞ。
反論すればいいなんて、「戯言だから気にしないで」という予防線を張られたら、できない。
ほんとに議論反論OKなら、何も書かないか「いかがですか」「ご意見ある方はどうぞ」とすべき。
本スレの荒れを語るなら、朝ドラスレは何故荒れるのかというスレに移行して書けば問題ないかと思います。
朝ドラについて語るなら、お茶の間なので感想だけでなく、いろんなことが書けます。
とにかく本題の朝ドラについて語りましょう。
申し訳ないけど、推測はこのスレに投稿し始めてから、かなりあと。
ひらりは、放送開始時から本スレ読んでてずっと内容が気になってたドラマ。
気になってるドラマのこと書いちゃいけないの?
憶測や決めつけで投稿者に対する否定ありきの内容書くのいい加減にしてほしい。
朝ドラ見てる人ってそういう人ばかり?
だから朝ドラが嫌になる。
冷静に語れば問題ないと思います。
私も、ひらりの批判の多さ、再放送なのに投稿数がやけに多いことが気になりました。
なぜ、みのりか嫌いなのか?
ここで議論してもいいんじゃないでしょうか。
私は、仕事に出るので失礼します。
本スレの荒れを語りたくて投稿した訳じゃない。
色々ドラマ以外のことばかり次々に書かれるから、ついでにレスとして書いただけのこと。
本スレは、違反報告して終わり。
お茶の間で話出したら、本スレもお茶の間も荒れるだけ。
ドラマの話書いても、本スレでお茶の間の話書く人いるんだから。
大体、ここ数日、朝ドラの内容について語ってる投稿、どれだけあるのかと思うくらい、くだらない中傷や非難レスばかり。
人の批判してないで、ドラマのこと書いたら?と思う。
まともなドラマ批判なら、いくら書いてもいいスレのはずなんだから。
ドラマ批判は本スレで、ドラマ誉めはお茶の間で、お茶の間で批判するのはドラマじゃなく投稿者、が、お茶の間の使い方なんて、絶対おかしい。
以上。この件は終わり。
今までの朝ドラで、一番好きなのは、『カーネーション』。
基本、面白いドラマなんだけど、全体を思い出すたび、胸の奥の震えが目を覚まして、涙が滲むような気持ちがする。
単純に言えば「感動」なんだけど、一過性のものではなく、何か残火のようなものが、今もくすぶり続けているようだ。
私は、これで尾野真千子のファンになった。彼女にも一言で言い表しがたい魅力があり、今もキャストに上がっていると、絶対見てしまいます。
グダグダ屁理屈書かなくてもヲチは書かなくていいし書いたことに対しては謝ればいいでしょ。
そんな簡単なことすら出来なくて屁理屈に屁理屈を重ねる人ならまたトラブルになるだけだからスレ主気取りで仕切らんといて。
やめましょう。また荒れてしまいます。
一般論として、また特定の脚本や脚本家について詳しく論じる場所が必要なら、後で立てときます。
前にもあった気がするんだけど、消えているので、まあいいでしょう。
ここではスレ違いになるので。
はい、立ててみました。
脚本や脚本家の一般論は、そちらへどうぞ。
ここは、朝ドラ関連の話だけにしてください。
やめましょうは全く出来ていないお前が言う立場じゃないからね。
その辺本当に理解出来てる?
ひらりの次は何が始まるんだろう?
ひらりは期待外れでしたので、次は好きな物、もう一度見たかった物だといいな、と思います。
カーネーションでの、糸子の父母とスカーレットの父母がかぶります。どうしようもない父、旦那なのに見捨てない妻。プラス憎めないので、嫌いだけど、ちょっと好きだったなぁと思い出しました。カーネーションも大好きな朝ドラになります。
梅ちゃんはまだまだ無理なのかな?
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