>6話や7話あたりに、脇役回を入れてストーリーが分散、ラストスパートでいきなり本筋回収をバタバタとやって、視聴者置いてけぼり…
(笑)そうそう、ほんとに、よくあるパターンですよね。
どんなドラマでも、最終回って、ほんとうに難しい。
最終回が100%納得!というドラマには、めったにお目にかかりません。
で、最大の失敗パターンは、おっしゃるとおり、中盤あたりを膨らませ過ぎて、ラストで収拾つかなくなるやつ。登場人物の配置と比重配分を十分に考えておかないと、なりがちですね。
具体的にどういったタイトルのドラマがありました?
興味あります。
102さん
さすがにタイトルは勘弁してください。
スレッドの趣旨に反します。
特定のドラマを貶したい訳じゃなく、このドラマが秀逸だったと言いたいだけなので。
そなの?参考に聞きたかっただけですが。
過去のドラマと比較したりもよくあるし、他でも見かけたことあるから別に聞いても構わなくないかなと思ったんですけどね。
よくあるってあるけど、自分は考えてみても具体的にタイトルがどうも浮かばなかったもんで。
単につまんないって思うのは浮かぶんですけどね。苦笑
エノカナの役で思い出したんだけど。
彼女、最初は接客に失敗したちょっとコンプレックスがある女の子だった。ハルの腰巾着って感じの。
そんな彼女が、接客の夢を捨てきれずに練習を夜中までずーっとやり続けて(恐らく周囲の人の見守りや助けがあったはず)ついには接客が出来たというエピソードが巧かった。これって、アルジャーノンの最大のテーマである愛情の裏付けのある教育は価値がある、ということに繋がっているからね。
あのうこのレビは、原作ネタバレOKのサイトです。今のあるじゃーノンや他のドラマを書き込みするなら、お茶の間や独り言サイトでいいんじゃないですか。原作と前作と今を比較じゃなく違いを書いてほしくて立ち上げたレビだと思います。だから演技の話とか、キャストとか、脚本とかそんなものはスルーします。あくまでも私のお願いとして。
105さん
そうですね。「愛情の裏付けがなければ、知能や科学は暴力的になり得る」という原作のメッセージに沿い、前作ではその逆をいって、いろいろなところで愛情の形を豊かに示していた、という感じです。
ミキちゃんも、ハルが手術を受けて「賢く」なったのを見て、その影響で自分も頑張ろうという気になったのだし、彼の手術を単なる失敗と位置づけないで、いいこともあったんだ、という話にすることで、主人公にも視聴者にも救いを与えていますね。ほっとします。
何か、いま見ると、「文科省推薦」にしてもいいくらい(笑)、健全で温かく愛情のあふれる物語にしてあるな、という印象。子どもと一緒に見ていろいろ話をするのもいいかもしれません。
10数年たって、考え方も少し変わっているところが、もしかしたら今作にも影響しているかもしれませんね。
ユースケ版をぼんやりと覚えている程度でしたが、ここの皆さんのコメでちょっと鮮明に思い出してきました。
ミキちゃんよかったですね。
榎本加奈子さんだったの、今思い出しました。
上の方の方が言われるように、目立ちすぎない脇で、彼女の背景が語られることもなかった。
ストーリーの芯がしっかりしていたと思います。
当時、ハルやミキちゃんに癒されるという感覚もなかったです。
ユースケはイケメンではないし、榎本加奈子さんは美人だけどそのような演技をしていなかった。
今回のドラマでよく見られる、主役の咲人に癒される、可愛い、という感想。
「アルジャーノン」は本来そういった物語ではないし、そもそも障がいを持つ人を「癒し」の対象にすることに健常者の傲慢さや違和感を感じていました。
確かに今作では周囲の背景を語りすぎている感じはします。
障害者の描き方も前作は障害者に対して持たれるイメージどおりでしたが
今作は表情も豊かで幼児性をクローズアップしたような描き方です。
原作は一人称で描かれているので映像化したらチャーリーはどうだったんだろうと思うと、やはり前作の方がしっくりきますが正解は分かりません。
ただ、癒されると感じるのは健常者の傲慢だとは思いません。
障害あるなしに関わらず純粋な人に出会うと優しい気持ちになるのが常ですから。今作は主演の見た目も大きく影響してるとは思いますが。
愛の裏付けなく知性のみが発達し精神的破綻が起こりますが
前作はミキちゃんの健気さで比較し、今作はその分、手術前の主人公の純粋無垢さを長めに尺を取っていると思いました。
原作で重要な場面である母妹との対面と結末については
今作はきっちり描いてくれそうな期待をしています。
私も、癒される、というのは傲慢とは思わないけど、表面的だな、とは思う。それは、障がいのある人たちの現実、当人も周りもどのように生きているかを身をもって知っているからで、彼らは決して「癒される」存在ではありません。その無邪気さに微笑むことはあるけれども、その後ろには、常に重い現実が控えている。
このドラマは、障がい者を理解してもらうことが目的ではありません。でも、障がい者とそれを取り巻く状況を、100%は当然無理だが、ドラマならではのリアリティをもって描くことをしなければ、その上に乗っかる何もかもが、嘘くさく感じられてしまう。今作は、そういう問題に大きく直面していると思います。
確かに癒されるというのは、身近な人や動物に置き換えると、上から目線な気がします。
自分はほぼ動物にしか使いませんし、少なくとも上司や目上の人に対しては言いません。
癒されると意味を噛み砕くと、動作やドジさ加減に対して愛嬌があって愛くるしい、危害を及ぼされず可愛らしい、心が和む感覚を言うのだと思います。
自分も手術前の咲人は感受性が強く心を和ますキャラクターだとは思いますが、それを癒されるという風に表現しようとは思いません。
少し前の本スレ見てたら癒されると感じた人も多かったようだけど原作ではほとんどずっと胸が痛くて癒されることはまずなかったよ。だから私もその辺に違和感を感じたという108さんにはちょっと同感です。
ただユースケ版は見ていないんですけど。
美形設定ではない、複数の友人達と複雑に絡み合う恋愛青春群像劇になっていない、そちらバージョンの方が聞いてると私の好みっぽい気もします。
落ち着いたら借りてみたいです。
山下がやる咲人に癒やされる人がいるってことでしょう。でも来週はそうもいかなくなるけどね。山下自身が素適なキャラなんだと思う。
ユースケ版は一話で、母親と菅野美穂の会話を通して、障害者の現実をリアルにえぐっていた。
あの会話で、いくら私たちにその気がなくても、偽善で見下してる部分があると分かった。
このドラマも今後の母親の描きかたに注目したい。
そうですねー、母親役のいしだあゆみさん、1話の先生を相手にしたセリフがとても良かった。自分自身もまた当事者の母親なので、共感した部分もあったし。あとは中盤で知能のあがった主人公が、お母さんとドア越しに対話する場面。「頭が良くなったら迎えに来る」約束なんて、知恵が付いたら嘘だと分かるはずだと母親から指摘されても、「どうして?」と泣く主人公。彼の心がその嘘を受け入れられない。あのシーンも印象的でしたね。
いしだあゆみの開き直りっぷりが良かったですね。
ずっと自分を責めて悔いて生きてきただけに、いまさら許してなんてとても言える身じゃないし、許されるとも許されようとも思ってないっていう深い罪の意識。
ハルに「お母さん」と呼ばれても、「親」として受け入れる資格なんてないと、重い十字架を母親自身が自ら背負い込んでる感情がよく伝わりました。
離れてからも、あの母親は苦しみ抜いてきたんでしょうね。
だから、今更やすやすとハルの待つドアを開けることが出来なかったのでしょう。
知能がどのような状態にあっても、原作主人公の最初から最後まで一貫して変わらない人格について考えます。
誰よりも勤勉で向上心がある。仕事仲間より能力が劣っているがゆえに蔑まれ見下されても働き続ける。知能があがって仲間の不正(売り上げ金をごまかす)に気付いても、仲間の立場を思いやってやんわりと指摘してやる。パン屋で働き続けたいという彼の気持ちに反して、仕事仲間は自分たちよりも愚鈍で劣っていた主人公の変化を理解できないし、はるかに賢くなった彼を受け入れられない。結局人間関係が崩れ、オーナーは主人公をクビにしてしまう....。
彼は賢くなっても仕事仲間や家族、愛するアリスには純粋な気持ちを寄せようとした人であった、と思います。終盤、彼の知能が下降していっても、彼の勤勉さ、向上心、純粋な心は変わらない。しかし反面、彼をアルジャーノンと同じ実験動物として扱い、天才を創造したと主張するニーマー教授らへの態度は激変しました。彼らに「傲慢で自己中心的で反社会的な男になった」と罵られても、愛情の裏打ちのない知能や教育や知識を与える実験をした彼らを批判したんです。
このドラマに関しても、主人公は多重人格者ではなく一つの変わらない人格であるはずです。それがどんなものなのだろうか、と考えます。
私も、ユースケ版のいしだあゆみさんのあの心情吐露の場面には、胸を深くえぐられるものがありました。名演であり、名場面の一つだと思います。
今でこそ、幸せな暮らしをしているが、それは、ハルを捨てた結果のうえに築かれているのであり、それは、大罪として一生消えない。でも、ハルを手放すまでの葛藤や苦しみ、周囲から無意識に与えられる圧力、死への覚悟、これをふり返る言葉には、現実にもあろうかと思う母親の苦しみが、とても真に迫って告白されていました。
それをわざと偽悪的に先生にぶつける。そして、先生はそれを聞きながら泣くことしかできない。どうしようもなくつらい、しかし、真実の一端を突いた場面でした。
ユースケ版は、そうやって、母親を全否定するのではなく、救いを与えていたと思います。最後に、自らの決断によって、完全に救いを得られるわけですが、それは、この伏線からして、ごく自然で見事な結末であったと思います。
そういえば、ユースケ版では、救われない人はいなかった。優しい物語でしたね。
私はそのシーンでエリナ先生が黙って引き下がったのも、良い脚本だなーと思いました。
エリナも実は弟の件では当事者だし、同じく悩み苦しんだ障害者の家族の一人なのです。
あの場面で母親に、「私だって、弟がー…」と反論しなかったこと、出来なかったことが、母親の強い感情に他人が踏み込む余地が無いことをよくあらわしていたなと。
エリナも、障害者の家族の気持ちが、他人には簡単にはかり知ることは出来ないということを充分に知っていたからこそ、黙って引いたのだと思います。
別の場面でオセロ店長にひっそり告白し、視聴者は(ハルヒコもw)初めて知るんですよね。
エリナがハルに熱心になる気持ちが自然に理解出来ました。
ここらへんの部分が山Pアルジャーノンでは、どう表現されていくのかしら。遙香の咲人への想いって、エリナほど明白じゃないんですよね。っていうか、何よりも博士への忠誠が先にあるみたいなのでどうなんだろ?
咲人の心に愛の光を灯すのは、遙香?なの?
原作も前作も知らないので皆さんのお話を読んで、あれこれ想像してます。いろんな事を教えて貰ってありがとうございます。
エリナ先生もキニアン先生(アリス)も、主人公の勤勉さや向上心を高く評価して、学校でずっと彼の学習の面倒をみて、彼の能力を伸ばしてあげたいと願った一人だったんです。だからこそ、知能が上がる前も後も、彼の一番の理解者だったともいえます。そういう点でも、科学者サイドにいるヒロインは関係が薄いかな〜と。
エリナ先生とハルの絆は強かったですね。
遙香は、博士への愛ゆえに咲人を差し出して、更なる知能低下という悲惨な運命に咲人を巻き込んでしまった罪の意識と、咲人に惹かれてしまう自分の想定外の感情に苦しむのかも…と推測しています。
両想いなのに結ばれない(遙香)、片思いならお手軽に(りお)という対比かな。
そうでなければ、咲人と繋がりがあまりにも薄すぎてドラマ内での存在意義がよく分かりません。
咲人の一方的な「憧れの女性」ってだけでは終わらないで欲しいなぁ。まだ半分だし。
エリナ先生はとてもハルを大事にしていたので、ハルが先生を好きになるのは自然だったけど、サクトがはるかを好きになるのは違和感。
私は、違和感はないなぁ。
優しくて美しい遙香に一目惚れしたんじゃないかな?
むしろ「アルジャーノンのママだから、ママへの想いと混同してるだけ」って、遙香が逃げで言ってるだけだと思うんだけど。ただ、遙香にまったくその気が無く、今後も咲人に何も思い入れないとしたら、これから襲ってくる咲人の絶望にどこまで寄り添い、どこまで支えになれるのか、疑問ではある。結びつきが浅いような…
決して振り返ってさえももらえない、単なる憧れの女性ってだけなら、実の母親みたいに、却って酷な存在だと思う。
原作では、チャーリーがアリスを先生として信頼しているところから始まって、手術後に初めて女性としての美しさに気付く。多くのエピソードを経て彼女に恋してることを自覚し、彼女に愛を何度も打ちあけ、母親の仕打ちに苦しみ悩みながらも、ほんのひととき女性と本当に愛し合えるようになる。しかし知能の後退とともに二人の関係も崩れてゆき、愛の記憶そのものも彼から消えてしまう。最後にはキニアン先生と生徒という関係に戻っていく〜という流れなんだよね。愛情のベースとして信頼があるんだよ、この二人には。だから、残酷な運命によって二人が引き離されて愛の記憶が消えても、二人の間に信頼は残るの。そこが救いかな、と私は思う。
後半、恋愛感情が互いに芽生えたとしても、ハルカ一人ではサクトを支えられる力は無いでしょ。二人の関係性が浅いもん。まだ男の子チーム二人の方が彼の窮地を支えられると思う。
なるほどね。
遙香の存在は小さくは無いけど、キニアン先生やエリナ先生ほどに大きな存在にはなり得そうも無いね。
退化してしまえばいずれ忘れてしまう刹那の恋心…という感じか。
「世界で一番好きな女の子」ではあっても、異性として意識できるのは超知能の間だけ。
ま、そもそも脳手術が引き合わせただけの関係だからね。元々の信頼関係ありきの2人じゃない。
だから遙香は研究第一、博士第一。咲人に悪いなーと思いつつも、綺麗ごとで逃げて保身してる。
さすがに今週のはぐらかしは、ちょっと偽善的だなと思ったんですよね。
小久保や我聞に突っ込まれて、「咲人さんはこれからも純粋です!恋愛感情なんてありません!」とむりやり美化してはぐらかし。
本当の救いの役割は、ドリームフラワーサービスの仲間達かー。納得。
そう。だから男の子二人には、サクトと同じ「母親によってもたらされた心の傷」を抱えさせた。同じ悲しみを分かち合える立場としてつけた設定です。その狙いは、葛藤とか懊悩とか主人公の一番難しい心理描写場面で、窪田&工藤が山下くんの演技をサポートするためだろうと思ってます。
はい、納得しました。今バージョンはやはり最初からあちらこちらに、伏線が張られているのですね。
ネタバレは原作、前作を知らなくても色々教えてもらえます。反論的なものはまだ書込みされていないと思います。ではもお茶の間は変なところで言葉の突込みがあります。もうそこでリタイア、この人はー、私は誰と話してるんだろうと、年代の格差もあると思うので独り言へ移動しました。でもここの書込みは楽しく読ませて貰っているので、まだまだ最終回に向けて皆さん語って下さい。
私は時々こちらに書き込みしてますが今作のドラマはほんのり不満派なんですよ(笑)
ですがここではあまりそういう事は関係なく原作とドラマについて淡々と見解らしきものを書いたりしてました。
賛否は好みもありますからあまり他人の評価を気にしすぎても仕方ないです。
ゆるゆるとやりましょうよ。
そうですね。私は今回、アルジャーノンが取り上げられたということで主に原作について語りあえる場があって嬉しいな〜と思い、主にこちらに出没しています。
私がこの原作作品に惹かれるのは、主人公の変わらない人格なんですよね。どんな状況にあっても勤勉で向上心があること。仕事仲間や家族から冷たい仕打ちを受けても、彼らの真意や闇の部分が分かってしまっても、なお純粋で優しい気持ちを傾けようとするところが魅力でした。恋愛面では、知能があがって感情面が拙いがゆえに、繊細で不器用で、時に衝突しつつもアリスに恋をして真摯に愛を語るところが好きでしたね。彼が孤独になってしまうのは、劣っていたはずの彼の天才っぷりに付いて行けない周囲(主に仕事仲間)が彼を遠ざけてしまう。友達でなくてもいい、仕事を一緒にさせて欲しいと訴える彼が拒まれるのは悲しかったなぁ。
その一方で天才になった彼の科学者たちへの態度は激変するんですね。知能があがって参加した国際会議で彼らの過ちにハッキリと気づき、衝動的にアルジャーノンを籠から逃がし、一人と一匹で逃亡するところなんてワクワクしましたw彼らとの激しいやりとりでは、人間としての尊厳、愛情と教育の在り方について鋭く抉るものがあり、ここに作者のメッセージが強く伝わってきます。
咲人はどうなるんだろう?
彼の素晴らしい人格と言えば「アイキョデショ!(愛嬌)」かなと思うのですが、ここだけは失って欲しくないな。
りおも「咲人さんって、いつもそうなんですか?場の雰囲気が変になると、すぐに自分から和ませてくれますよね…」と指摘してるし、萩原店長も「あいつは馬鹿だけど、俺らもいろいろあいつのお陰で救われてる事多いんです」と、咲人の温厚でほんわかとした愛嬌を褒めてるし、私も咲人の最大の長所は、そこかなと思う。
壱成パパが、何度も何度も根気強く教え込んで、褒めて伸ばしてきた性格なんだろうなぁと思います。
研究センターの人達はどうでも良いけど、仲間達(DFSスタッフや舞ちゃん達)に背を向ける事はして欲しくないな。
前作は、先生の存在が、とても大きいですね。このバージョンの花といってもいい。派手な薔薇ではないけれども。
当時はそれほどと思いませんでしたが、今、こんな時代だからこそ、苦難の人に寄り添う人の存在の意味が、しみじみと心に沁みてきます。
菅野美穂も、それにふさわしい名演を見せてくれました。
本編ドラマの主人公、確かに父親の愛によって形成された性格(愛嬌でしょに象徴されてる)は一番の長所であって、あれが同時に彼の人格というものなのかな?また手術前の検査で、彼には向上心がある、努力家だという説明がヒロインのセリフでちょっとありましたが、具体的なエピソードがあまり無いな〜と思ったのを思い出しました。私は今一つ彼のパーソナリティをつかみ切れていません。
天才になっても、どういう風に彼の変わらない人格が表現されるのか?というところが見どころでしょうかね。
よくカルタでひらがな覚えてる場面あったから
努力家とは思ったよ。
原作のアルジャーノンと一緒に逃げるところは
やってほしいね。
でも周囲のエピ多すぎで尺が無いんだよなー。
ハルも努力家で向上心が強い描写がふんだんにありましたが、咲人は遙香が咲人を被験者としてゴリ押しする時に、そう発言したものの、そもそも、咲人には学校とか勉学のシーンが無いですからね。
それに対してハルは「一生懸命勉強して頭良くなったら、きっと母親は迎えに来る!」っていう強い信念を抱いて、そう宣言し、一生懸命勉学に励んでいましたから、彼の向上心は非常に分かりやすかったですね。
咲人にも、道を覚えたり、カルタで勉強したり、向上心があるからこそ手術も受けたし、もちろん向上心はあると思います。
ただ山Pの咲人は、やっぱアイキョデショが決め手かなぁと思います。
視聴者も小久保も「咲ちゃん可愛いー」って思う愛嬌が魅力かなと。父親も賢くなることは願わず、そのままの笑顔を大事にしろと教育していましたしね。咲人の周囲の人は、そのままの咲人を好きだし、誰からも向上を求められてこなかったっていうのも、ハルと違う所かも知れません。
知能が上がることで彼の感情面はすごく刺激されていくけれど、彼の人格はそのままでないと私は納得できないと思うんです。彼は多重人格者、人格障害者ではないはずなので。後に知能が下降するにつれて、彼の記憶力も弱り、運動神経も劣っていき、人間として崩壊していく状態もすごく難しいところですけれど、まずは天才になっても「愛嬌でしょ」の人格をどう保つのか?興味がありますね。
予告でハルカに咲人は冷たくしていたし、同僚とつかみあいしていたからありゃ怒りの感情をあらわにしていたよ、さらに教授がそういう連中を見下してもいいんだぞと咲人を煽っていたから明日で怒り爆発で母親の態度次第ではさらに悪化するだろうし、感情の部分は子供のままなら修復できないかもね。予告の最後アルジャーノンにぼくの友達は君だけだと語っていたよ。
139さん
そうですね。手術は知能だけを変化させるのであって、性格面には手をつけないのだから、初期状態で純粋・素朴で優しい性格(そういう設定?)であったならば、知能向上したからといって、急に、誰か見たこともないような、別の人格になったというのは、変。ユースケ版では、芯の性格の部分は一貫していた。手術をした科学者たちにははむかうけれども。
今回は、どうするつもりなのかな?
先のことですしどうなるかは今日以降を観ないと判りませんが、別の人格になるというより知能が発達してこれまでは気が付かなかった不当な扱い・・・たとえば自分は実験台であること・・・に気がつけば、怒りなどの感情も出てくるでしょう。
それに対してまだそれをコントロールする力がないと、爆発させてしまうかも。もっと思慮判断が出来るようになっていれば、それを心にしまい込んで今度はそのことによって哀しみや孤独を感じると思います。
根本的には変わらなくても、いままでの咲とは違った形での反応があるでしょうし、また周りの人達の見る目が変わることで、自分の存在意義を問う結果、さまざまな今まではなかったような複雑な感情が芽生えるのが自然と思うのですが。
その結果、周りからみたら冷たい、変わったと捉えることもあるでしょうね。
そうですね。表面的な感情と本質的な人格との相克と苦悩、これを表現するには、脚本、演者ともにかなりの技量が要る。そこに注目ですね。
感情はあくまでも「捉え方に対する反応」ですからね。
感情=人格(または性格)ではないですから。
知能が上がって見方や捉え方が変われば、当然感情も変わります。
感情が変わり、咲人のリアクションの変化次第では、人が変わってしまったように周囲には見えるかも知れませんが、それは彼の性格までが変わってしまったわけではありません。
ユースケも超知能期は行動が変化して、ハルヒコに言われてましたよね。
「今のお前って最低だな。以前のお前にはエリナを持ってかれるかも…って思ったけど、今のお前にはエリナは惚れない」って。
そうですね。その辺りの演技で、何だ別人じゃん!一人二役かよ!って思わせて終わったらダメだと思うんです。同時にやっぱり彼なんだ、変わってないじゃないかってところも毎回見せないと。ユースケさんは勤勉性と向上心は毎回見せてくれたような。
原作の場合は、彼の人格が変わってないな〜と一番感じさせるのは仕事仲間と家族に対して。そして彼がじっくりと内心を吐露していくのは、アリス。二人のやり取りを通して彼の葛藤(特に恋愛面)が分かるんです。ドラマではこのアリスに相当する人物がこの人だ!って今のところ分からないかな。
そうそう、あくまでも別人ではないところを追求して欲しいですね。
原作のチャーリーに対して、私は勤勉な努力家であるとは思うのですが、優しさ・・の点では、果たしてどうなのかなという疑問は持っています。
もともと彼はおだやかで勤勉であるという気質を持っていたから手術を受けることになった経緯には書かれていますけど。
本当の優しさや人間としての尊厳は彼が知能が上がるところまで上がり、また下がってくる、その過程での苦悩と葛藤から生まれたものだと私は思っています。
147さん
そうですね。チャーリーの人間としての「究極の優しさ」が発揮されるのは、彼自身が知能が上がるなかで苦悩や葛藤があった後、急激に知能が降下するのだと悟った時点からだと思います。その後に彼は母親と妹に再会するのですが、チャーリーは二人から受けた仕打ちよりも、彼らの今までの苦労とこれから味わう悲哀について思いやることが出来たんでしょう。
私はそれよりももっと前、チャーリーがアリスに恋をしていると自覚する辺りで、仕事仲間の不正(店のお金をくすねる)に気付くエピソードが印象に残っています。上に通報するのは簡単ですが、チャーリーはその前に彼の家族や障害(足が悪い)について考え(ここで仕事を失ったら困るだろう)、アリスに相談しています。相手の立場を思いやり、その上で自分のやるべきことを判断していくチャーリーに彼の仲間としての優しさを感じました。しかし悲しいことに、仲間には彼の思いは届かないのですが。
148さん、返信ありがとうございます。
私は、そのエピも含めて知能の変化とともに備わってきた感情と思考能力と私は捉えていました。
一貫して・・というのは、手術を受けて知能が上がる前から・・ということかな、と思っていたので。
このドラマは術前の咲人の純粋な部分がまわりの皆の心を動かしていく元にもなっているので、この部分がどうなるのかは重要なポイントになると思うので、これからの展開が気になるところです。
天才咲人が苦悩の心情吐露をするのは、やっぱりお父さん(の墓前)なんじゃないかな?
と、ふと思った。むしろそれしか思いつかないw
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