今あるスレでは原作やユースケ版のネタバレを書けませんのでこちらで原作等のことを語りましょう。ただし、山下アルジャーノンのドラマのネタバレはしないでください。
ありがとうございます。私はネタバレを書いた訳ではないのですが、予告編とか本家のネタバレから想像したら、どうもそれがビンゴだったみたいで削除されました。原作もユ—スケ版も見てないのですが、天才になってまたもとの知能よりも低くなった時、それまでのことも全部忘れちゃうのかなと、残念です。本家でも書いていた人がいましたよ。ここはネタバレのオンパレードだって、私も原作が知りたいです。どんどん教えて下さい。
スレ立てありがとうございます。
ユースケ版ネタバレ↓↓↓
ユースケ版では、全部忘れさってはいませんでしたよ。
ハルの頭の中では、超知能期に遊園地に行ったとか、酒を飲んだとかの記憶は残ってるんだけど、その記憶を引き出す脳機能が退化しちゃって実体験として引き出せず、「夢でみたこと」として脳内処理されて、「夢で見たんだー!」と無邪気に笑ってて泣けました。
山P版では「思い出」はどうなるんでしょうね。
リオは、ただ咲いているだけの花になる後天的な病気ですけど、咲人はどうなるのか気になりますね。
ユースケ版は最後はハッピーエンドです(どんな終わりになるのかも書いていいのかな?)
これは、とても善良でいい終わり方でした。物語の全てがそこに向かって収斂されていく、その構造が最後にわかったとき、そして、ハルの嬉しそうな顔を見たとき、涙が止まりませんでした。この改変について、当時いろいろ言われたようですが、日本版アルジャーノンは、これでいいんだと思いました。物語には救いがないと、どうにもやり切れないですから。
クランクアップでは、みんなが感動で涙を流したと聞きます。そういう大きなものに包まれた現場だったことも、ドラマからひしひし伝わってきました。
私はこの作品の映像化には基本的に反対です。
特にテレビドラマのようにいろいろな制約のある媒体では無理があると思います。ユースケ版も見ましたが、少なくともラストには不満。山下くん版は1話でリタイアしました。時代劇の名作を現代劇に置き換えにくいように、あの原作の時代の話だからこそだと私は思っています。あとは、日本が舞台ではやはり合わないのだろうなと。
この放送を機に、原作の新装版が出されたので購入してみました。
やはりこの原作の設定とプロット、このラストがあるからこそ最後の2行が殊に素晴らしく、半世紀以上もの間名作として世界中で読み継がれるのだと再確認しました。私自身、当事者の家族であることもあって、自分自身の心情を重ね合わせ、厳しい現実にも目を逸らさずに生きたいと腹をくくり直しました。最後まで変わらない主人公の勤勉で健気な人格に、心からの敬意を抱きます。原作者が、出版社にハッピーエンドに変えれば出版を引き受けると言われ、愕然として原稿を手に帰ったというエピソードが翻訳本のあとがきにありますが、私も拘りたいですね。
一応スレタイにネタバレと表記してあるので原作やユースケ版の最後のほうの部分や細かい部分のネタバレOKでしょう。ネタバレが嫌な人が間違ってのぞいてここで「ネタバレするな!」と書き込んだら大変なことになると思うよ。一応管理人さんの警告文の指示どうりにつくられたスレだから原作とユースケ版のネタバレなら大丈夫でしょう。
ここでは本家で語ることができなかった咲人とユースケを比べての良い悪いなどの意見も詳しく言えるからいいよね。
当事者の方は、現実の厳しさを知っている分、ヌルいハッピーエンドは嘘くさく感じてしまうでしょうね。
私は、障害とは縁なく生きてきたので、そもそも作り物として見ている分、「いい話」を求めてしまうのかも知れません。
原作はただただ悲しいだけ。火垂るの墓を思い出しました。泣けるけど、感動とは違う、ひたすら悲劇的でもう観たくないっていう感じです。そして、山P版にもハッピーエンドを求めています。
ずっとずっとお母さんのお迎えを待ち続けて頭良くなりたいと願っていたハルと違い、咲人の明らかな幸せの第一選択肢が今のところハッキリしないので(強いて言えば対等な友情?)、ユースケ版とは違うオリジナルエンドになると期待しています。
これは自分のこれからのドラマの展開を自分なりに想像したものなのですが、知能が上がって、自分の手術に欠点があることに気が付いたサクは、梨央ちゃんの病を治す別な方法を発見する、でも自分には効果がない・・・みたいな展開かも・・・・なんて思ったり。
でもどんな展開にしても徐々に下りはじめるところでは胸が痛くなることは避けられないでしょうね。。辛いけど、その辛さがないと心に残るものにはならないと思うし、ジレンマ。
それだけ今のサクの純真さがすごく旨く描かれているってことでしょうね。
私は原作もこのドラマもまた違った味わいで両方スキです。
ユースケ版を見たときは、これはこれで、いいかな、と思った。
原作の悲しい結末が辛くて、ハッピーエンドな結末はうれしかったです。
原作の最後の二行は、主人公の死が確定していないと、効いてこないので、このタイトルを生かすなら、ハッピーエンドは無しなんだろうけど・・・。
今作では、工藤君と窪田君が、良い奴なので、ドラマの最初から救われてる感じはしますね。
ユースケ版では、中島さん演じたパン屋の女社長さんが、とてもたのもしかったし、最後に、あそこに帰れてよかったね、と、思えた。
山下アルジャーノンのネタバレはダメだと書いてあるよ❗
原作の展開を元に話しがこうなったらいいな、とか、こうじゃないかな、とか、予想、想像するのはネタバレとは言わないと思うけど?
山下の咲人のほうは未放送のガチマジのネタバレを書き込んだらダメだということですって、よく週刊誌や新聞とかで先の話が載っているんだよ。原作と咲人のアルジャーノンを比較しての予想は大丈夫だよ。そういう予想を楽しむためにこのスレはあるんですよ。本家で原作の話に敏感になっている人にも迷惑かけていなくていいスレでしょう。
原作はとてもシビアに人間と科学、人間の知能と感情の相克を追求していて、キイスが安易なハッピーエンドにしたがらなかったのは、わかる気がします。また、この物語は、障がい者に対する理解を得ようとしたものでも啓発を図ろうとするものでもありません。だから、原作はあれで良かったのですし、あれで永遠の名作の地位は揺るぎません。
本家で勘違いしている人がよくいますが、「原作の頃とは時代が違うからこれでいいのだ」というのは、まったく的外れの評です。今回のドラマは、著名な「アルジャーノン」の名前と知能の向上低下の現象だけを借りた、まったくの別物なのだから、原作を引き合いに出して論じることはやめてほしいですね。
また、原作がSFだからということで、何かファンタジーのように捉えて何でもありのように言う人がいますが、「空想科学小説」であるゆえんは、手術で天才的知能になるという現実にはあり得ない「空想」の部分と、科学的な事実を踏まえた客観的な記述を兼ね備えているところ。これも、今回のように、思いつくまま何でも詰め込んじゃえ的な「いいかげんな」(ファンタジーな?)話は、原作とは並ぶべくもありません。
今回は、原作はなかったものとして楽しむのが正解です。私は、独立した一つのドラマとして見ても、決して出来が良くないので、見るのは遠慮していますが。
ユースケ版でやりたかったことは、アリスに当たる人物がもし見捨てなかった場合どうなるかだと思っています。
その意味で、人間の繋がりをテーマにしていたと思いますし、ハッピーエンドも私は納得する内容でした。
悪くないと思いますよ。
私も基本的には13さんと一緒でハッピーエンドじゃないラストだから後世まで残る名作になったんだと思うし個人的な希望としてはハッピーエンドは望んでいません。
ユースケ版は見ていないのですが、そちらがほのかなハッピーエンドだったのなら今度はハッピーエンドじゃないラストを映像で見てみたい気がします。
胸は痛くなるだろうけどそちらの方が(ハッピーエンドで終わったユースケ版があるならなおさら)意味があるだろうと思ったりもします。
何故アルジャーノンという名前を入れたかったのでしょう。原作ファンの方はほぼ絶賛し、その名を語るならそれなりの覚悟がいるみたいな方もいました。4話まで見てきてとても泣かされて、癒されて、山下さんがいい浄化作用になっていると、野島氏は話しています。時代背景もあるから一概にまんまドラマは無理ともいわれます。では題名を変えれば、これはこれでもっとみんなに受け入れられたのだろうか、ハッピーエンドを望んでも違和感を持たれなかったのか、3人の友情やそれぞれの母親たちの話でよかったのか、やっぱり原作を読んでいる人にはかなわないなぁと、嘆きが先行してしまいました。
アルジャーノンの名前をいれないと原作に注目がいかなくなってしまう。
13の方の意見になるほどおっしゃる通りだな、と感心しました。
ですが、最後の一言にがっかり。
ドラマの出来が良くないから遠慮してるって嫌み言う必要あります?
原作が、世界中で読まれてる名作なのは周知の如く、崩れる事はありません。
このドラマを好きで見ている人もいて、ここはそういう人も語り合いたい掲示板ですよね?
素晴らしいコメントだったから、余計に残念で不愉快な気持ちになりました。
まぁドラマになれば話題になって本が売れる。この本を知らない若い人達が、又読むだろう事は間違いありません。
てか既に売れてます。
原作に思い入れのある人は、ドラマは嫌かもしれないけど、1人でも多くの人が、そういう障がい者の方に関心もったり優しくなれればいいなと思います。
申し訳ないけど、映像作品は素晴らしい書物をなかなか超える事は出来ないと、私も思っています。
だけどドラマにはドラマの良さはあるんですよね。
原作は知りませんが…。
程度にもよりますけど、今はテレビでの表現に制限が多いようなので、原作通りのラストにできるかどうかという問題もあるのでは?
救いがあっても救いがなくても良いと個人的には思います。
ドラマはドラマの良さだと思います。
原作好きな人って、どんなドラマや映画でも不満を持つ人が多いので仕方ないですね。
でも私も原作とは違うドラマ良さがあると思います。
18の方の意見に賛成します。
勿論原作もしっていますしユースケさんのもおぼろげながら覚えています。本家の勘違いしている人がいると断定している人がいますがどうでしょうか。今は50年前と障害者に対しての接し方の学校教育も違えば接し方も違いますよ。だから原作のようないじめは薄く、現在の私利私欲の利害関係で利用することで現代にアレンジしていると思います。だからおもいつくままの「いいかげんな」ことでは無く必要なことだと思います。見ることを遠慮している方だからご存じないと思いますが、これはこれで丁寧に作られていて良いドラマです。
13さんの意見はあくまで13さん個人の意見で嫌味じゃないと思いますよ。それはそれで感想としてはあり。
というか私もこのアルジャーノンはなぜか見てて落ち着かない。ソワソワしてしまう。なぜなのか自問自答中ではありますが……。
解りませんが断定した書き方が、人により不快に感じるのかな。
アルジャーノンを語るのに最後の2行なんですが、最後だけ読んでもダメで、それまでの工程があって最後に行き着かないと涙がでないと思う。だけど、ユースケさんのは見てないけれど、最後がハッピーエンドでも良かったらしく、それをアルジャーノンに花束をとして良かったという意見の方に、原作を変えても良かった良さを聞きたいです。
山下アルジャーノンはまだ結末は判らないが、原作に近いものであって欲しいと原作を知っている私は思う。
22さん
ドラマの内容が受け入れられないとか、自分は嫌だったならわかりますけどね。
原作とドラマが別物として楽しむべきとおっしゃったから余計に最後の一言が残念でした。
結果としてドラマを下げてますから。
でも段々面白く良くなってると思います。
このドラマは原作と別物として「楽しむべき」よりも「見るべき」と書かれた方が良かったのかな?言葉って難しいですねぇ。まぁ、出来が悪いと思われるのも感想の一つですから。
タイトルのことですが、私は1話の時点で変えた方が良かったなと思いました。また後日、野島さんのクランクアップのインタビューでも
>原作については「小説には主役にカタルシスがないと思っていた。悪く言えば個人の苦悩と葛藤に終始して読者に心的影響を与えてない。 だから、連続ドラマの主役として成立するように作った。物語の中で葛藤ができるポジションに柳川(窪田正孝)と檜山(工藤阿須加)の2人を 山下のそばに置いた」
と明かしています。原作の良さを最大限に引き出すための努力について語られるよりも、ドラマ化するために個人的な不満を解消してやった、という上から目線的な姿勢を感じてしまいました。葛藤という心情描写についても、主役に脇役2人をつけないと表現が出来ないということなのでしょうかね。
今まで野島さんは脚本であれ監修であれオリジナル作品を発表し続けてきました。今回は、聖者の行進や明日ママのようなスポンサーが降りるという騒動を起こさないように、名作の名を隠れ蓑にしてみたのか、という邪推までしてしまいます。残念です。
原作のファンドラマのファンそれぞれがいて当然だと思います。
ユースケさんのドラマを知らない中高生が今のドラマを見てそして小説までも興味を持ってくれたらいいなと思います。
ジャニーズ主演ならそれも可能だと思うし,どんな見方をしてどちらを好きになるかはそれぞれだと思います。
野島さんは野島さんなりの原作への想いや感想があり、ドラマ化するにあたっては自分なりにこうであったらより自分らしいドラマを作ることが出来る、こうしたいを実践しているわけで、それについて上から目線であるとかは自分は感じない。原作の良い部分の魅力を最大限に生かそうという意気込みは感じるし。
名作とはいっても、人それぞれに感じることが違うのはアマもブロも同じだと思うし。名作という括りに入れるのかどうかだって人によりけりだしね。
視聴者は作られるものを見て、感じるだけ。
脚本家の意図の裏まで詮索するのは自分は好きではないし、興味もないな。
ドラマはすごく透明感がある仕上がりに今のところなっている。でもアルジャーノンの原作をまったく感じないわけでもない。
良い塩梅だと思う。
原作は知らないけど本家でほぼネタバレがでたから原作の大体の結末は分かってしまった。レンタルビデオで映画版があるけど主人公を見たら見る気がおきない、ユースケのは当時主人公が彼だったので見なかったよ。そのうち山下のアルジャーノンのほうが好きだと言う人も出てくるんじゃないのかな?好き嫌いなんてすべてその人の好みの問題だからね。山下のがダメならユースケのもダメということで外国でつくった映画は良いってことなのかな?私は映画のチャーリーの姿見ただけで嫌気がさすよ。映像化はしないほうがいいというのなら原作だけを見ていたほうがいいね。アルジャーノンと言う言葉がつかえないとしたら山下版のあのネズミは何って言う名前になるんだろうね。
13です。何か誤解を与えるような書き方をしたようでごめんなさい。原作に関してはあの通りですが、単体のドラマとしてみても、私は今回はクオリティの点で批判的です。
最後の一節は、嫌味でもなんでもなく、ドラマに対する批判として書きましたが、原作のことがメインになったので字数を抑えたため、あのような書き方になってしまいました。3回目までは見ています。それでなお、こもごも「?」と思うことが多かったため、とてもついて行けず、今後は視聴を控えようと思った次第です。
でも、ここは自由に原作や前回のドラマを語ることが許されているので、今回のドラマにかかわらず、いろいろ考えを綴っていきたいと思ってます。
自分は原作買ったけど、まだ読んでないんですよね。
ただ原作の内容知ってドラマ見たいと思いました。
だから、ネタバレOKなんです。
キャスト見ても重い作りにはならないと思いましたから。
野島さんと言えば『人間失格』と『聖者の行進』が衝撃的でしたが、今はああいうドラマ作れませんよね。
制約が多すぎて、ドラマ作りも大変だと思います。
ただ今回は、かなり若い人を意識した作りになってると思います。
良く言えば見やすい。悪く言えば軽い。人間の本質を深く抉る作品ではないから、原作ファンには受け入れ難い人もいるかと思います。
ただファンタジーにしたのは、陰湿な虐めを見せて人が持つ暗闇を描くより、人間は生まれながらに悪人だった訳ではない。そして本来人間の心には良心も悪心も存在し、環境によって変わって来る。って事じゃないですか?
そして、障がい者を持って本当に苦労するのは本人だけでなく、家族や周りの人達ですよね?
原作はドラマ終わってゆっくり読みたいです。私は嵌まってしまっているので、比較してドラマが楽しめないのは嫌だから。
お茶の間でこれからの予想を書き込みしたら、削除されたんですよ。それでこのレビを立ち上げてくれた人がいて、感謝です。でもその前にこれから原作と同じように話が進むからなのではと、書込みされた方がいて、それなら原作ファンの話も聞いてみたいと、私もこちらに移りました。それもネタバレなようなきもしますが、本家でもう原作の最後の書き込みしてるから、原作読まなくても分かってしまったという人もいます。結末がわかると切なくて、今までフワフワに包まれてただけに余計、野島氏も原作に近いものにするのかと、ここをよんでる限り引きずる余韻はいらないと思ってしまうわけです。これも一感想です。
原作の最後はチャーリーが自分自身のこれからをわかってまたそれを受け入れたのだと私は解釈していました。
受け入れたというか自分自身で自分の事を決めたいという気持ちが言葉で表現できなくなっていく前に、また自分で判断できなくなる前にという覚悟を感じました。
私はドラマでも咲人自身が最後は自分で決めると思います。そこが感じる事が出来ればいいと私は思っています。
原作を読みユースケ版も視聴しました。
今回のドラマは儚いと思えるほど綺麗な人にチャーリー役をさせ、
毎回初めにファンタジックな場面を持ってきていますが
それは原作のチャーリーが翻弄される過酷な運命という本筋を薄めるためではなく
むしろ、これから展開される筋書きがより残酷で辛いものとして心に強く刻まれることを意図してるのではないかと思います。
野島さんには、えげつないと思えるほどの悲しい作品がありますが、結局そういう作品の方が記憶に残ってるんですよね。
なので私は、原作に近い哀しい終わりを予想します。
チャーリーが選んで行ったところが良い所であればいいと思いますが,原作が書かれた当時のアメリカの障がい者施設の環境は良いとは言えないようです。それを知って原作がどうにも好きになれませんでした。そこをテーマにした話ではないことはわかりますが,社会から隔離されたような場で生きるしかない主人公が哀れでなりませんでした。
原作とは別物ならぐっと現代の感覚を入れているこのドラマに期待します。
私も悲劇的終焉を予想しています。
それは、最初のタイトルバックの映像(煙突に登り風船をつかんで空に昇る)と、野島さんのいかにも好みそうな筋立てだから、ということからの想像です。
でも、たとえそうなったとしても、やはり、主人公の美しさ儚さを印象づけるだけの表面的なものに終わりそうで、いずれにせよ、私はいい感じがしません。
そもそも、このような重い素材を扱うにしては、それに足る重厚な人間ドラマをなんとか避けて通ろうとする(ドラマを軽くしようとする)姿勢というのが、どうにもうさんくさく感じてしかたない。悪い言葉では、「ごまかし」の姿勢とでも言うか。
痛くても重くても、真正面から向かい合わなければならないことがある。意図的にか無意識にか知らないが、野島さんにそのへんの覚悟のほど、というのか、腹のくくりようが足りないところが、嫌な感じを与えるのです。
ドラマで重いものを見せたくない・見たくない、というのなら、こんな題材など扱うべきではない。
同じ残酷でも、みんな優しかったよ、主人公も懸命に美しく生きたよ、その姿をいつまでもとどめておいて……などという上っ面の「ファンタジー」仕立てで終わらないことを祈ります。
私も33番さんと同じ予想をもちながらみてます。
前半の優しさ、癒されると感じさせているのは
後半の苦悩をより壮絶にさせるための準備だと
思います。本当にそういう後半になれば、あまり
いい趣味の脚本ではないなと思います。
ハッピーエンドはないと思います。
ユースケ版のラストは光ひとつ残してくれた
という印象でわたしはあのラストは好きです。
ユースケさんのラストにアルジャーノンに花束をの意味はあったのでしょうか?チャーリィの最後を悟り、自分もいずれアルジャーノンのような運命を受け入れての最後の言葉があるんだなと思っている人にとって、ユースケさんのラストは逆に絶賛される理由が解らないかですね。
ユースケ版では、主人公の苦悩と煩悶、絶望がとてもていねいに徹底して描かれた。その中で、彼は徐々に心の平安を見い出していく。やはり手術を受けてよかった、と思うようになる。それは、あるいは、彼が自分に一生懸命言い聞かせて自分を納得させようとしていたのかもしれないけれど。
見る者はそこに、主人公のある種の「心の成長」を見るのだけれど、それでもこれから闇に向かう彼を思うと、つらくて心が痛み、運命をともに泣く。この時間が長い。そして、アルジャーノンの死を知り、嘆き悲しむ姿に息がつまりそうになる。彼の「経過報告」を見せられて“在りし日”の彼の心と想い、そしてそれは二度と戻ってこないことを思って泣き崩れる先生の姿にも、胸をかきむしられる。
そうして、迎えるラスト。ここで救いが来る。もしここで救いがなければ、このドラマは、「この世は絶望である」と結論して終わっただろう。それほどつらい道のりだった。最後でダメ押しをされたら、見る者はちょっと堪えられまい。
ユースケ版は、ラストを除き、あらすじはほぼ原作を踏まえながら、「苦難と救い」を中心的な主題にしているところが、原作とは違う。それはそれで首尾一貫しており、意義深かったと思う。
原作は、稚拙な文章から始まり、読み手が読みづらさを感じ、その文章が、治療を受けることによって変わっていきます。そういった過程が読み手に、チャーリーの擬似体験をしているかのように伝わってくる。アルジャーノンの退行が現れ、チャーリーにも容赦なく現れていく中で、焦り、恐怖、悲しみといった中で苦しんでいきます。
そして、あの最後の2行を読んだ時になんとも言えない悲しみ、あきらめとはまた違う、ある種、悟りのような世界を見せられてしまいました。あの最後の2行があったがゆえに、この小説は一生心に残るものになるほど心に響きました。
ドラマ自体はそれほど悪くはないと思うのですが、やはり、アルジャーノンに花束をという題名を使うには、アイディアを取っただけの別物という感が否めません。50年も前の話で、現代の日本に合うように変えているのですから、そこは小説をベースに作ったドラマとして、題名も変えて欲しかった。
そんなにこだわらなくてもいいだろう、と思われる方もいらっしゃるとは思います。でも、この小説そして、題名にはそれだけ特別な力があると思います。
まだドラマが終わっていないのに題名をつかうなと言われてもね。
最終回まで放送が終わった時点で普通は言うべきなんじゃないのかな。
本家でもドラマが始まった当初から題名をつかうなという意見があったけど、ただ原作マニアの人達が先走って騒いでいるようにしか見えなかった。ここで言っているぶんにはいいんだろうけどね。
小説もドラマも幸せについて考えさせるものであり,かけ離れてるとは思えません。
ユースケさんが好きじゃないので前回のドラマはパス。高校生だった息子はドラマを見て小説も読んだそうです。あしたのジョーを見て山下さんのドラマを見る気になった私はようやく小説を読む機会を持ちました。アルジャーノンに花束をというタイトルが心に響くドラマになるのではないのでしょうか?
ユースケさんのも賛否あって題名をつけることに不満の方もいるのね。
原作の映像化はいつも賛否両論あるものですが、ラストの改変というのは特に珍しくなく、それで「原作○○」というのは認められているので、ユースケ版は別に問題ないと思います。
でも、今回はさすがにいじりすぎかな。さんざん言われていますが、知能云々のアイディアだけはいただいて、後はまったくのオリジナルなので、その分量からいっても、「原案」とするのが妥当でしょう。前作は、あれでも、登場人物の翻案的な写しも見られたし、ストーリーも原作を踏まえていたし、大きな逸脱は見られなかった。今回は、原作とも、前作とも、全くの別物ですね。
ユースケのも日本が舞台なので原作に対して冒涜だと思うよ。当時、そういう理由でドラマを見なかった人もいるのだからね。
ユースケのときに原案といれておけば山下のでも原案になったと思うよ。
原作とは別物だからドラマを愛せないって方ばかりじゃないでしょうし,いろんな意見が読めて良かったです。
気になるのはもうひとつのお茶の間の存在意義です。自然消滅するのかな?それとも障がいについて語るとか?
45さん
確か、もうひとつのお茶の間の発端は、山下さんの演技のことや、ジャニーズ関連の言い争い的なこと等から立てられて、そこから段々発展していって障がいの程度についてとか、本家の揚げ足取りが云々とかそういう議論に達して行ったと思っています。
あちらはあちらで残っていくかもしれませんね。
もう一つのお茶の間は今まで通り、あくまで今放送中のドラマ本編の内容(ネタバレ無しで)について議論したいこと、雑談したいことのために使えるよう残すべきかと。ここは主に原作や前の映像作品について語る場になろうかと思います。
あちらでネタバレがあって、削除と警告文が出たのでこちらが出来たんです。
ネタバレ見たくない人は、あちらに書いて貰えば良いと思います。
お茶の間はめっきり投稿が減ってしまいましたね。こちらに移られた方で感想を聞けたらいいと思います。ところで教えてほしいのですが、原作と前作はなぜ天才になるであろう手術を受けたのでしょうか。今の段階ではとても原作を読む気にはなれません。結末が分かってしまっただけに尚更です。どなたか教えて下さい。
49さん
なぜ賢くなりたかったか?ということですが。
原作を読んでの私の見解を書きます。
チャーリィ(主人公)は、鈍い頭脳であっても自分が周囲の人より劣っていることは知っています。仕事や勉学の場で、向上心を持って努力を重ねても、報われないことも身にしみています。そして、母親を含め他の人たちは彼にない何か、つまり彼を拒否する(それはしばしば虐待、いじめ、嘲笑などの形で表れる)何かを持っている。チャーリィは知的障害の身で、それがとにかく読み書きの能力と関係があるのだろうと信じていたんです。それらの能力を身につければ、おのずと知能も得られる、並みの人になれるのだと思ったんですね。
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