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当時まだ知られていなかった看護の世界に飛び込み、傷ついた人々を守るために奔走し、時に強き者と戦う――
明治という激動の社会を舞台に、幸せを求め生きるちょっと型破りな二人のナースの冒険物語です。
縄文・弥生の昔から農林漁業(栽培・採集・狩猟)、さらに、手仕事、職人仕事、男も女も、やること・やれること・やらねばならぬこと(仕事)はやってきた、今だって同じ、当たり前のこと。
むろん、女将、仲居、芸者(男なら太鼓持ち)、歌舞音曲プレイヤー・師匠(男めいるが)等々、女性だからこそ(周囲が求める)こと(仕事)があったし今もある。明治になり、産業(工業)が起こり、女に(も?)できる、というか、世の中の(男たちの?)都合で、女も工場労働者に仕立てた、それは今も同じだ。
看護婦という仕事(職業)がどういうものか、どう形作られていったか、医療社会(現場)、医者と看護婦の関係、医者と患者の関係、看護婦と患者の関係、医療知識・技術の進歩発展も含め、いろいろな事象があるが、それらをあれこれ描く必要はないし描けない。5年、10年でどうこうなったものでないし、リン・直美たちの生存中に素晴らしく変わったわけでもない。
すべては「人の心、考え方、心の有りよう」が変わなければ変わらない。このドラマが医療ドラマでも看護婦物語でもない所以だ。
夕凪=文さん説がにぎやかだが、前回、寛太が現れたのは、リン・直美の病院就職が決まり新居に移った時だった。はて「夕凪は伊豆の漁村の生まれで・・」なんて言ってたのはこの時だったか?🙄
ともあれ寛太は1年半ほど音沙汰ナシだ。寛太の夕凪探しは「直美に多少の好意・似た者同士感を持って」のボランティアか?いやいや小悪党らしく「金になるかも」とでも思ってのことか。
たかが?看護婦の直美に余分な金はなし。夕凪を見つけたとして直美から金はせびれない。金持ちになっているかもしれない「(夕凪から)「お礼?の金」をあてにしてのことか?夕凪=文さんだったら、たすます金にならない。😁この先、寛太の思惑、どこへ・どう持っていく?
けっきょく、直美が夕凪の子だなんて、あの爺さんのタワゴトだ。いろいろな人が描かれている。牧師のような善人、悪所通いの爺さん、寛太のような小悪党、文さんのように女ひとりで生きてきた人、みんな(明治という)時代を映しているす。
文さんは直美の母ではない。親切にしてくれた母のようなトヨさんを失くした直美。(死を感じるこの頃)ひょんなことで娘のように親身になってくれる者に出会った文さん。時代とか・看護婦とは?とか・看護とは何か?とか、そんなこと関係ない、 人と人の・心と心の物語だ。
母ではないという根拠はどこからくるの?
敗戦後、日本女性と米兵との間に生まれた子がたくさん捨てられた。 そういう子どもたちをたくさん(3000人ちかく)育て上げ女性のストーリーを(NHKで)見た。澤田美喜さんが設立運営した児童養護施設エリザベス・サンダース・ホームだ。
捨てられた者が大きくなり、親に会いたい・どんな人か知りたいという人も・まったく関心を持たない人もいるだろう。むろん揺れ動くということもあるだろう。
直美を捨て子に設定した理由はわからない🙄が、このドラマの中で、直美と親を再会させねばならない意味はない。捨てた親と直美が、お互いの心の内を話す、何を話すというのか。夕凪は直美の母でないし、文は夕凪ではない。捨て子の直美を世間がどう育てたか、直美がどう育ったか、そういうことを描くために直美は捨て子なのだ。
直美はリンへの手紙に「文さんが体調を崩してだいぶ経ちます。非番の日・仕事の後に看病しています」と書いた。
文の看病をし出してどのくらい経っているのかわからない。たまたま、あの布(ヒモ?)を見て「ひょっとして母かも」と 思いだしただけ。
目の前にいる文さんはヘルプを必要としている、それだけ、母であるとか・ないとか、そんなこと(このドラマのテーマと) 何の関係もない。直美の母を見つける・特定する必要はない・ 意味はない。
りん、手紙でわざわざ「舎監の仕事は生徒たちと寝食を共にして規律と安全を守ること」と説明しておいて。自分自身が規律破るわ、もし怒鳴りこんで来られでもして何かあったら他の生徒の安全までも脅かされるような危険を冒すわ。造り酒屋の家の生徒の母親が家出てきたからといって匿うなど、トラブルになったらどうする気。自分も婚家逃げ出したとかいう経験談でなくて、寮の舎監という立場で物事を判断する必要がある、それが仕事。職務。責任。りん自身も寮生活していたのだから、舎監の立場も職務も見てきているはず。いずれりんが舎監になる設定だったのなら、看護婦養成所の日常をもっとしっかり描いておけばよかった。この人、父上のもバーンズのも松井のも捨松のも帝大病院のも、過去の教えや学びをちっとも活かさないな。
そもそも松井の元ネタの人物が、看護婦養成所を設立するにあたってまだ学生だったところ舎監兼教師を担わされることになった、という事実に触れてさえおけば、養成所での様子もここに来てりんが舎監といくつかの教科を受け持つということにも説得力が生まれるものを、そういった背景や事情をすっ飛ばすからチグハグさだけが目立つ仕上がり具合になる。一事が万事。
それ以前に、その自分が婚家逃げ出した時に必死で逃がしてくれた虎太郎を、新潟に赴くにあたってすっかりお忘れでノータッチだったことが何とも薄情やら無情やら。帝大病院にしても、今井より黒川に世話になっているはずだがな。虎太郎黒川使い捨て。あんなシマケンと流し目交換しておいて。
この作品は時間をねじ曲げて季節も年代も魔法のように操るらしいから、今までにも看護婦養成所で直美が髪を切ったのは「よつき前」、バーンズが来て実技指導に入ってからりんの父上が亡くなったのは「4年前」と言っていたり、環の年齢であったり、季節の移り変わりがおかしかったり、平気でしている。軍服もそうだ。歴史年表も何のその。主人公の年齢がサバ読まれてる程度は構わないが、実際の歴史をねじ曲げるのはな。帝国議会、陸軍大臣、そのような語句を持ち出すならフィクションと言えど史実を壊変すべきではない。
とは言っても、よくよく思い返せば嘘しかないのがこの作品。登場人物をやたらと嘘つきに設定したのも、ドラマ全体を嘘で押し通す心算でのことだったのかと。
父が医者で「兄と弟も医者です」と自己紹介した多江に、その父は「跡取り娘のお前」と言っていたり、誰が本当で誰が嘘か、全員が嘘か、と思えばりんの母が代々筆頭家老の妻でそもそも藩主の親戚筋の娘という割に軽佻浮薄な振る舞いが目立つのも頷ける。嘘か。近頃流行りの経歴詐称身分詐称か。直美や寛太は序の口だったのだな。
明治期の看護婦事始かと思っていたら、どうやら明治嘘つき物語だったとは。
直美の生みの母、わからずじまいか?夕凪なのか?夕凪=文なのか?
どちらにしろ、見つかってしまうのか?さて、作者はどうするつもりでしょうね?🙄
個人的には「わからずじまい」なのだが。
直美が出ない回は栃木編であった気がしますが、りんが出ないのは初めてじゃない?それにしても文が若かった時直美に似てた様には思えないのと…ヒロインにしては私服があまりにも貧相かナww
暑いだけでも鬱陶しいのに、ドラマの内容はもっと鬱陶しい。
芸人散りばめて何狙いなんだろう。
りんの父親の部下の「○○でござる」の人あれっきりなんだよね、必要あったかな?
多江の兄弟は他家に養子に取られたり医学部教授になってしまって継いでくれない、という可能性はありうる
黒川は新潟編の再登場がもう知られてる
生田絵梨花が抜群にいいですね。
表情から佇まいから、また帯を前で結ぶ出で立ちからして その人物に成り切っている感じが惹かれます。
駐在所で尋問を受けている場面は、少年の登場でふっと優しい顔になり、少年の戸惑いで一瞬にして真犯人がわかった表情に吸い込まれそうでした。
そして取り調べ室を出る少年の後ろ姿に情が湧き、咄嗟に彼を庇うハナの運命の悲しさに胸が締めつけられました。
少年を含め 脇役者さんらの名演技にも目を見張りました ⭐
とにかく、天城越え 素晴らしかったです☆☆☆
↑↑ すみません、書く版を間違えました
な~んだ、寛太、あれ(1年半前)から、探偵ごっこはしてなかったね。ダメじゃん!直美(待ちきれず)直に「お母さんですか?」って聞いちゃったじゃないか!寛太、もう出番ナシだね。😁
ドラマ的には、母子に勘違いさせるような筋立て、直美・文のそぶりを見せてるけど、むろん演出ね。😉だいたい、同じ布切れ握ってたからって、たまたまだよ、(文は)直美のお守り見てたわけじゃないし。
まあ、卯三郎さん情報「伊豆・海の見えるとこで生まれた、出会ったのは横浜」 +「お守りとあの布切れ」から、(直美が) 早合点してしまった・ そう思いたかったという展開にするのはふつう。
むろん(文が)「そう、あなたの生みの母よ」なんて言うわけないし、実際、文は直美とは縁もゆかりもない他人。そういう他人同士が「男も女も、金持ちも貧乏人も、みんなが幸せに暮らせるソサエティを作りたい」という物語なんだから。
文は母親...個人的にはそう感じます。
だとしたらこの先悲しい出来事が待っていそうなので、出来れば違って欲しい。
環ちゃん、ほんとに可愛いね。直美嬉しかったでしょうね。このままずっと見ていたいから大きくならないで涙
「ばけばけ」「あんぱん」は今までのものと違い、達成すべき目標・目的はなかったが、 今までの(ふつうの)ヒロインたちは、例えば、管理栄養士・弁護士・歌手・女将、 等々、目標達成のために、明るくめげずガンばるお話。
「風薫る」のヒロイン2人は、今までのヒロインたちが目指した目標・目的は持たない。 医療社会(世界)を一例として、看護婦とは?・看護するとは?を(自らに)問うと同時に見る者たちにも問うている。
看護婦がいる社会=病院、病院は世の中の一部、病院で看護婦が患者にする看護は、世の中で普通の人々が互いにかかわり合うこと(してあげたり・もらったり)と同じと言えば同じ。
私は「あれになりたい・これになりたい」と言うパーソナルなことでく、人間とはどういうものか、人間は何をする者か=人間は(他者に対して)どうあるべきか、そういう人間が生きる社会(ソサエティ)はどうあるべきか、ヒロインたちは、そんなことを(自らに)(見る者たちにも)問うている。
明るく元気で可愛いヒロインの目標達成物語とはちがいますねえ。ご感想は?・・いやはや、わけわかんな~い、なんて七面倒な、つまんな~い、なんて人もいますね。私的には、おもしろく 見てますよ。
ドラマとしては、直美の母を特定する展開もありだし、卯三郎と寛太の情報で見る者にそう思わせている。また、文があの布切れを握っていたこと、直美に「いいえ」と答えた時に見せた表情も(見る者に)そう思わせている。
がしかし、文は夕凪でないし直美の母でない。生まれ・横浜・あの布切れ、これらは偶然にすぎない。文は直美に「母か?」と問われ、きっぱり「ちがう」と答えた。むろんそう答える。直美が再度聞くなどあり得ない。これでおわりだ。
血縁者同士の互いに思いやる心情感情は誰でもわかるし美しいものだし家庭にはそれが必要だが、家庭にとどまっていては、社会(グッドソサエティ)は成り立たない。
直美はたまたま「あの布切れ」を見つけて「母かも?」との思いがよぎっただけで、直美が血の繋がりがない赤の他人の文に抱いた心情感情が大切であることを描くためのシチュエーションだ。
けっきょく、直美の母探しは「わからずじまい」のまま、文さんは血の繋がらない娘とあたかも母娘のように数カ月を過ごして亡くなる。
卯三郎も言ってたでしょう。「文さんは賢い働き者、文さんの看護よらしく」…直美が「(文さんは)今やりたいこと、何もない」…すると卯三郎は「今も、目一杯、生きているのでは・・」
25歳くらいの直美、文は45直くらいだろうか。他者の心情をおもんばかるのはむずかしい。知りたいという感情を押さえきれず「私のお母さんですか?」直美は聞いてしまった。
いろいろあって(今も)目一杯生きている文、たとえ直美の母だと確信したとしても(名前も付けずに捨てた、そんな酷いことをした女(母?)に見えますか)「ちがいます」と答えるしかないだろう。
「わからずじまい」が良いことはいろいろある。
連投規制を守りましょう
俳優さんのスペックを使いこなせていないドラマ。
寛太太った?また変なことで儲けてないかぁ(笑
直美の時代は、「私のお母さんですか?」とか言うのかな?かかさんかおっかさんあたりじゃないか?
直美がとても可愛らしく、思えば、ずっと直美は可愛らしかったなぁ
と今更ながら思います。そんな未熟な感じが子供らしく(私から見て、直美は子供の世代だから、ついそんな見方になってしまいます)
とても微笑ましいです。
文さんを演じられている内田慈さん、本当にいいですね。
どこか捉え所のない、間のとりかたや細かい表情や所作。不思議な感じを非常によく表現されています。
本当に文という人がそこにいるようです。
彼女のシーンになると、惹きつけられます。
「お母さん」が一般化したのは、お上(文部省?)が決めた(推奨した)かららしい。 武家では母上様、庶民は「おっかあ」とか「かか・かかさん」だったのを「お母さん」に統一したかった。尋常小学校の教科書で「お母さん」を使わせた。山の手の住人たちからは「お母さん」なんて「おっかあ」みたいでイヤですわ!とのクレイムがついたとか・つかなかったとか🙄
寛太は探偵業が向いてそうだなw
別に文さんに不満があるわけじゃないけど文さんじゃ話が広がらないのよ、寛太ルートと違うし
ルークの妹がレイア姫とわかってなぜかガッカリしたじゃん?
たまたま知り合った人が心情的に何とか役に立ちたいと思っている相手であろうとなかろうと、その人が「自分を捨てた母かも」となった時、確かめたいと思うかどうかは人それぞれ。確かめるにしても自分で確かめるかどうかも人それぞれ。自分で「あなたは私のお母さんですか?」と聞く行為が良いとか悪いとか言えない。けれど直美の行為は(私的には)褒めらるない気がするが。
ともあれ、その辺りは作者も心得ている。さすがに、直美も、最初から・ストレートに聞き正してはいない。何となく、自分とちがうリンの話になって、セツさんのために・・夕凪さんのために・・なんて、夕凪の名を出してしまって、 そこで、聞きたい感情を押さえ切れなくなった、と持っていった。
ご都合主義とか取って付けたとか言う者もいそうだが、ドラマはすべて作者の都合に合わせるもの、取って付けるもの、素人は(こう)上手く、取って付けることはできない。
直美役も文さん役も上手な役者だ。他のキャストも役者・芸人、何であっても、みな上手なものだ。
直美の母親について、異なった憶測が出るのは楽しくていいことですが、どちらにせよあくまで憶測ですから、「私はこう思う、こうだという気がする」という書き方にしたいものです。「文は母親ではない」と断定的に書かれると、どこかで決定的な証拠が出たのかな、私は見逃したのかな?と焦ってしまう。ちなみに私は、やはり文さんが母親だろうという気がします。直美の母親問題はうやむやで終わるべきではなく、かと言ってドラマの最終近くまで引っ張るべきでもなく、このあたりでけりをつけ、今後直美がそれをどう乗り越えて前に進むかを描くべきだと思うからです。
直美の母・夕凪探しに、上坂さんがナンとなく似てる仲間さん扮する千佳子の「夕映え」エピを絡ませて来て…今となってはコレも、直美が夕凪に間違えられたエピもハッタリだったのネェww
昔馴染みが見かけて「夕凪か?」と尋ねる程そっくりだったなら、文さん自身が直美を見た時に気づくんじゃない?
卯三郎が「その人が何者であるかは…文さんは、美しいですよ」と言った後の文さんの表情は妙に気になってたけど、直美と出会った時の文さんの様子は気づかなかったな。
にしても、横浜の世話焼きミルク粥おばさんに「女郎あがりです」って明かしてたの? そのおばさんは他人に文さんは女郎あがりだと知らせてたの? 女郎あがりも珍しくなかったのかも知れないけど、逃げてきたんでしょ?
それよりも親のいない子の方が珍しくなかったと思うけど。なんて不自然。
今日は直美さんの演技に泣いてしまいました。
直美さんのお母さんが文さんで、そのお母さんが仲間由紀恵さんで、そのお母さんが松坂慶子さんだったらいいなと思いました。
自分も、そんな一族に生まれたかったです。笑
今朝はウルウル。やっぱり文さんは母親だったんだね。
寛太がちゃんと調べてくれて良かった、ありがとう。
直美の願いが叶えられたらいいんだけど。文さんの気持ちも分かるけど、、寂しいよね。
皆さんの考察を、なるほど〜と面白く読ませてもらってます。
考察や有意義な意見が飛び交うほど、先週〜今週は面白いです。
今朝は泣けちゃいました。今日、休みでよかったー。ゆっくり見られたし、明日からは録画で周り整えて、ゆっくりと見ます。
文役の内田さん、泣かせる!うまいなー(感嘆)。直美、小さい子に見えるくらいかわいくて。この二人のシーンは見応えがあります。
文さん、出来るなら抱きしめたいよね。
女郎の噂は、さもありなんと思いました。世間の噂話なんて広がるもんだし、表立ってやいのやいの言わないまでも、皆んな腹の中じゃそう思ってたから、今になって表面化したのかもしれないし、噂が原因でまた逃げなくちゃならなかったのかもしれない。だから子供を捨てざるおえなかったとかね。
現在だって、ご近所ってお互い様でもあり厄介でもある。
文さん、辛い人生を歩いてきたんだね……どうか二人、幸せになってほしい。
ああしてほしい・こうしてほしい、あああるべき・こうあるべき、見る者はいろいろ望みます・要求します。
直美の生みの母がバディ・リン(のかつて)の同僚・(今は母上の)同僚で二人とも大変お世話になった・なっている(謎の女)文さんだなんて!😮
見る者たちは、いろいろと、そりゃ不自然・あり得ないって、異論・反論・オブジェクションするし、「直美の母=文」も「ムリやりだ!」とクレイムでも良さそうだが、かわいそうな直美に母を見つけてあげたいってのも人情、「直美の母=文さん大賛成」の人は多そうだし、ここは見る者のご要望に応えなくちゃいけない。😉作者さん、グッジョブ!
👍
文さんは直美を自分の子供と認めたくないのではなくて直美が自分は女郎の子供だと思って欲しくないのかもしれない
とにかく、文さんの容態がよくなってほしいな。せっかく見つかった母親とすぐにお別れは悲しすぎる。
文さんが直美の母親だなんて、随分と手近で纏めてしまったね。先に看病から始まってお互い心を許し合って、その後に真実にたどり着くっていうのはいいけど、まさかの生活圏内で完結してしまってなんだか拍子抜けしてしまった感じもあるかも。最初から、文さんはどことなく掴みどころのない立ち位置で妙に気になる女性ではあったから、そんな偶然もあるのねって見れなくもないギリギリラインかな。
今日は、文さんと直美の心情の細かい演技が素晴らしく見入ってしまった。それと、泰造さんはいい役もらったね。
こりゃ今週は鈴木アナ号泣しそうだな
正直この話いつまでやんの?としか思えない
いっそ文は人違いであってほしいわ
文さん、どこでどう、外国語を學んだか?そんな詮索はしない、どうでもいい。😉
ははは、ムリやりの「文さん=直美の母」路線、世の中、そんなにドラマチックなことないから、 このドラマも人々の小さな?善意の物語だし、 ムリにでも (1つぐらい)見る者を(ウンウンよしよし)満足させないとね。
牧師(善作)の出番だ!
「直美、がんばって、看護婦になった、友を得て、家族になった、直美は自分で、幸せになた、もっと幸せになってほしい」直美、いろいろ・いろいろ・あった、いろいろ・いろいろ・ある、赦したわけじゃない!
「赦しなさい、癒されるためです」
キリスト教に「こんなコトバ」がある。善作さんは「直美にもっと幸せになってほしい」と言った。
さて、直美は聞いてしまった。文は「ちがう」と答えた。この先、直美が再び問うことはない。「いいえ」と答えた文も(この先)自分から「実はやっぱり貴女の母です」と言うことはない。
朝ドラを長く見てりゃ分かるよ。
親子の再会や確執や赦しみたいなものが大きな見せ場だってこと。
看護婦なら他人より家族を最後まで看護してやりなさい。
悔いのないようにね直美。
20日(祝日)の視聴率、
14・8%
祝日は皆お出かけで下がる訳だが
いつもより爆上げなのは、なんなのか?
酷暑で皆お出かけは止めて
テレビを見ていたのか。
正直この話、今までの朝ドラと趣がちがう、そのテーマ・内容がまたいいね。紆余曲折、めでたく女将になりました・めでたく弁護士になりました…みたいに、はい・こうなりました・めでたし・メデタシともならないし、あんた(なら)どうするねん?と問われちゃうし、でも気に入って見てまっせ!
それはそうと、モデルの2人はキリスト教バックグラウンドを色濃く持っていたようだが直美とリンのそれはいたって薄いものだ。しかし彼女たちが影響されたであろうキリスト教の良い部分は描かないといけないだろうな。
文さんは一進一退を繰り返しながら弱っていき亡くなるのだろう。母娘と知った2人はどんな話をするかな?むろん作者が見せたい・聞かせたいように展開するわけだ。
そうそう、ドラマは作者のもの。だけど、まったく見てもらえないのも困るし、少々ムリでもウンウンと喜ばせるとこもありだ。
部分的にも全体的にも、気に入る・入らないは見る者の勝手。私の場合、ああしてとか、こうあるべきとか、そういう気分にならないし、むしろ、こっちの(あったり前な)予想を裏切る、思いがけない展開がよろしい。
「直美母=文」はジワジワとそっちへ誘導したし、「その線」を見たがった者もいたが、あえてそれを裏切る展開か?なんて考えたが、作者は見る者を喜ばせる方を選んだ、それはそれでいいんじゃない。
文さんが亡くなるまでの数カ月、直美はちょくちょく文の看護にいくわけだ。この先、(ふたりの)幸せについて、作者はどう描くか興味深いね。🤔
直美、悲しいね。文さんが母親ってほぼ確定の流れなのに、肝心な文さんは認めず、直美は母親の情を受けられずにまたまた宙ぶらりん💧 こんな悲しいことってあるかな 😢
普通は自暴自棄になってしまい乱れてしまうよね。
でも直美は芯が強くて賢い女子だから決してブレることはない。
それは一ノ瀬家の三津や環という強い見方、直美の半家族になってくれたからでしょうか。
そういや最近りんの姿が見えないけど、見上愛ちゃん、他の何かしらの撮影が入った為でしょうか。 早く姿を見せてください 🌷
連続だかどうだか知りませんが、つまらない…くだらない…幼稚な…ものでなければ、いつでも、welcomeだわ。
脚本家の狙いや意図はどうでもいい。ストーリーの展開が遅すぎる。心理描写で一週間はキツイ。朝ドラは単純明確で頑張る主人公がいい。
脚本家さんは「八重の桜」の京都編と同じ人かな。「八重の桜」も京都編は暗くて、つまらなかった。
なおみ〜
おっかさんと呼べる日が来るといいね
やっぱ朝ドラには家族愛がないとね
お守り袋を離さず付けていた時からストーリーが読めたよ
寛太は、あれかい?直美の探偵やってるだけなの?
詐欺をやめて何か社会のために最後はドーンとやってくれるよね
いいね、私の好きな朝ドラ。ちゃんと家族愛が描かれてる。
直美にもやっとホッと出来る居場所が出来て良かったし、これからもっと幸せになって欲しい。今までが辛すぎたよ。
直美と文さんのエピは見応えあって良いね。
出来れば文さんには直美を抱きしめてあげて欲しいよ。
17歳からのリンしか知らない。と言うか、お話は(リンが)東京へ逃げ出した21歳(の春)から始まる。むろん直美についてもリンに出会った時(21歳)から始まる。
卯三郎・善作・ 捨松・ 長屋の住人・島健 ・等々に出会い、晩秋に養成所に入り、病院実習、看護婦になり、リンは新潟へ、 直美は東京で生みの母の看病をしている。ふたりが出会ってまだ4年目(1890年)の春だ。
お話が遅々として進んでいないか?そういうことはない。さらに、これから何年かして「何者かになる」「何かを成し遂げる」なんてことはない、そういう話じゃない。
キャッチコピーは「幸せを求める冒険物語」だが、その冒険とは「幸せとは何ぞや」であって、求める目標自体を見つけなくてはならない話だからややこしい。😉
チルチル・ミチルの青い鳥は「すぐそこ」にいたのになかなか見つからなかったらしい。このお話、この先も、5年や10年で何か大きな劇的な何事かがあるわけじゃない。
あの人・この人、あのこと・このこと、人も世の中も、ゆっくりと変わっていったり・変わらなかったり、作者が何を選んで描くかのんびりと見ていく。
そうだよね、みんな幸せに暮らしたい。女郎に売られてしまうなんて、生んだ我が子を捨てなければならないなんて、貧乏で医者にかかれないなんて、入院できないなんて、妻は(横暴な)亭主の言いなりだなんて、 女は妻になるしか生きる道がないなんて、金持ちしか投票できないなんて、あれも、これも、おかしいじゃないか!みんなが幸せになれる社会(ソサエティ)にしなくては。吉田松陰は偉かった、一君万民論、君主の下に、男も女も平等だ!
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