5 | 475件 | ||
4 | 98件 | ||
3 | 81件 | ||
2 | 326件 | ||
1 | 772件 | ||
合計 | 1752件 |
ま、東京でさえも3丁目の夕日が一般的な家庭の風景だから。食べ物にとやかく言えるような時代では無かったよ。
不味くないものは旨い。それだけ。卵かけご飯とコロッケあればご馳走。
今の日本人には想像出来ないでしょうね。周りが同じだから貧しいとも思わなかったし、大金持ちは居たけどそれは別世界の話し。兎に角情報番組と言うものが無ければ比較対象も無かったし。1日の生活だけで精一杯。でも知らん方が幸せってこと。自民党がどうとかね。
情報加多で不幸になりだしたのは1980年以降だから最近の事だな。
振り返り放送も良かったわ。
何度見ても飽きないって久しぶり。
子役ちゃん達、ほんと可愛いね。
もう会えなくなるのが寂しいです。
日本人は和食の文化があったと思う。野菜の煮物や魚料理。昭和の中頃から食事が欧米化したが、今では、また和食が見直されている。
うーん。
今度生まれてくるときは、仲間由紀恵さんの子供になろうと思った。
改めて、『命をいただく』いただきます感謝しながら、きれいに残さず食べること、筋を通す人の道と胸に刻んだ。
犯罪にも寛大だった人が、ヘアバンド一つで低評価って極端過ぎじゃない。
言いたいことは和食が貧しくて、洋食が贅沢だという考え方が違うのではないのかということ。
子役パートがあると子役の親戚かよ?ぐらい肩入れする人がわくので毎度うっとうしい
身土不二的に、「その土地のものを食べ、生活するのがよい」のでしょうけど、アメリカナイズされた沖縄もやまとも、糖尿病はじめ多くの病気が増えました。
まとめでナレの方の地元情報が入るのはとってもいいなと思いました。まとめも見てよかったです。
ジョン・カビラさん、 川平慈英さんとの区別がつかなくて、少し苦手な方だったんですが、振り返り放送のナレーション、良かったです。
脚本があると思うので 自身の体験かどうかは分かりませんが、 所々に 沖縄の話が盛り込まれていて、 沖縄の事情に興味を持つきっかけになります。
このスレのやり取りを読んでいて、もしかしたら 単なるドラマの上げ下げの為の話なのかもしれませんが、思ったのは、沖縄の事情と本土の事情は全く異なるんじゃないかということ。
少し調べてみたら、沖縄はアメリカの統治下に置かれていた為、本土よりも戦後からの復興が早かったらしいことを知りました。
本土、特に都会の方は、 食べられるだけで十分満足だった時代かもしれないですが(農村地域では戦中でも食べる物に窮することは少なかったかもしれないですが)、沖縄では少し事情が異なるのかも。
自宅で豚を飼育して、それを主な肉の摂取源とするのが、沖縄の一般家庭のようで、沖縄独特の沖縄そばやソーキそばには豚肉を添えるというのは、そこからきているのだと思いますが、
少なくとも、本土の 一般家庭で家畜を飼育するときは、鶏が普通だった筈で、普通のお宅で豚を飼育して食べる習慣は、 昔も今も殆ど無いと思います。
手に入る食材も、裕福なアメリカの影響を受けていたでしょうし、本土の状況より、食材的にも恵まれていたのでは。
ブロッコリーがどうだったかは知りませんが、本州の感覚で考えると疑問があることでも、沖縄の事情は違っていたのかもしれません。
ちなみに、アメリカに統治されていた時代、本土と沖縄の行き来にはパスポートが必要だったみたいですが、あの学者親子はパスポートを使って来たのかな。
凄い!まだ今のように国内旅行が頻繁には行われていない時代に、パスポートを使って来るなんて!
きっと、裕福な親子だったんでしょうね。
関係ないけど、ヤマトンチュは、あの時代、少し差別的?に使われていた言葉みたいですね。
土着の沖縄の人にとっては、ヤマトンチュには、気持ちの中で、少し隔たりを感じるような存在だったのかも。
元々は、琉球王国という独立国家だった訳だし、江戸時代には薩摩藩から支配的に扱われたり、戦時中は地上戦に追い込まれたりして。
それを考えると、最初から学者親子と隔たりなく接していた暢子家族は、素晴らしい…ということのようにも思えてきます。
なるほど、ヤマトンチュの言葉の感覚とか、色々ありますよね。勉強になります。
最初は賢秀も和彦くんのことをそう呼んでましたよね。うちの田舎が「東京もん」と呼ぶのと同じかな。
そこから仲良くなるのにあのブタさんエピソードと文通ポストがあって、食育や親心も盛り込んで、流れるように進んでいく、いいドラマだと思いました。
野生児暢子が頼もしい。食べたい木の実は自然の中で自力で探して食べる。
なんでもお金で買える都会のぬるい世界で育ったひ弱い子供たちとは違う。
サバイバル野生児暢子が素晴らしい。このまま大人にならずいつまでも見ていたい。
沖縄の戦後の復興が早かったというのは違うと思います。日本が高度経済成長を遂げた時に沖縄は、まだ統治下にあり、遅れていたと思います。
文句のつけようが無いってくらいの好スタート 中身が濃過ぎて一気に引き込まれてしまった!
上手いねこの脚本家さんは本物だね マッサンを超えてしまうかもって期待してしまったわ
ドラマの上げ下げのために沖縄や食事が語られるのは違うと思うこと。
お茶の間に沖縄についてのスレが出来てるので、詳しくはそちらに書いたほうが感想が遮られないと思うこと。
過去の名作脚本家も、迷作を生み出してしまうのを見てしまったばかり
期待はするけど、もう暫くじっくりと様子を見て行きたい。
ちゅらさんの2番煎じ、3番煎じ感・・。
え、「ちゅらさん」と全然ちがいますよ?時代も雰囲気もまるで違うし、おばあはいないしお父ちゃんも別キャラ、キュンキュンもないし、むしろ恋要素を外した子供時代だと思いました。沖縄が舞台ってのだけは同じだけど。
言いたいだけだから気にしない笑
西側の沖縄だけど東京ドラマなんだ。
東京行ってシェフになって店を開くって
○れのようにならないことを祈ってます。
母親が仲間由紀恵さんだなんて最高ですね
最後のところで父・賢三がサトウキビ畑で突然倒れました。子供たちが学校で呼ばれて、慌てて帰るところをみると大事だって言われてるんでしょうね。なんか、レストランで幸せそうにしてたのが一気に吹き飛びました。
なんとか、無事でいてほしいなって思います。お父さんのことや和彦がもう少しで東京に戻ることを思うと次週はつらい日になりそうです。
これまで、明るく楽しいところが多い朝ドラだっただけにちょっと心配です。あと、家計の問題もありますね。
今でも裕福とは言えない生活をしているのに、お父さんがいなくなったらどうなってしまうのでしょうか。比嘉家の今後がとても気になります。
しかし、賢秀は面白いですね。あの頭につけてるやつがかっこいいから見てるって突っ込む良子もまた良かったです。
次週からは黒島さん登場、楽しみです。
ちゅらさんと同じだと思うのは、東京から来た男の子と仲良くなり、将来はその人と結ばれるだろうと思うことです。大切な設定が似てるから、私もちゅらさんを思い出しました。あとはニーニーの頼りなさげなところも同じなので番宣を見て思いました。
アメリカは沖縄についてはほぼ無関心だったって記録がありますよ。統治といっても実は何もしなかったといわれていますね。当然日本からも見放されていたわけで、どっちつかずの貧しい暮らしだったとされてますね。沖縄は琉球国に独立すべきという議論もあったようです。
このドラマのようにレストランにみんなで行けるなんてことがあったのかは疑問です。あの大人数なら今でも軽く5万円は超えるでしょ?一食に5万出しますかね。当時子供が高級レストランに入ることなんて非常識だという風潮もありましたからまずありえないと思います。
>美味しいものの基準さえ判らない時代でした。情報が無いです。グルメ番組なんか無いし。最高のご馳走はビフテキと全国民そう思ってた。逆にそれ以外の食べ物が有ることさえ知らない。この世に存在しない旨いものを想像出来ますか?欲しいと思いますか?
幾つの方でしょうか。終戦直後じゃないのですよ。昭和39年はデパートの屋上の大食堂でランチを食べるのが庶民の贅沢でした。
この登場人物も那覇には行ったこともあるでしょう。そこで見聞きしたものを食べたいと思うので不自然ではありません。
沖縄の人が豚肉を食べる食文化は古来からのものではないのでは。
ある時代に海外から入って来て、土地に定着したというイメージを抱いた。
大皿のものを何人かで一斉にお箸で掴むシーンは個人的に苦手。我が家では禁止事項だったから。
生のシークワーサーが食べられることが新鮮だった。カボスやすだちとどう違うのかな。
復帰後5、6年してから沖縄観光しました。まだ遅れてると思ったのが正直な感想でしたが、きれいな景色が最高でした。
昭和50年の沖縄海洋博あたりから観光で発展した所でしょう。
>一食に5万出しますかね。当時子供が高級レストランに入ることなんて非常識だという風潮もありましたからまずありえないと思います。
あの本土から来た学者さんが裕福な方だったと言うことです。
知人の高校生の息子と友人が医師の息子から数人分の中華料理のコース料理を振る舞われたことだってあるのです。
あなたには縁のない世界でしょうけれどね。
沖縄の一人当たりの県民所得は日本で最低だったのが当時です。
>あの本土から来た学者さんが裕福な方だったと言うことです。
あの程度の学者が裕福ということは無いですよ。何か勘違いされてませんか?
>昭和39年はデパートの屋上の大食堂でランチを食べるのが庶民の贅沢でした。
沖縄で?
三番煎じと言われていましたが、ちゅらさん以降の沖縄舞台のホームドラマは私はあまり知らなくて二番目に煎じられたドラマがわかりません。
あったら知りたいですが。
三番煎じだったら、「おじゃる丸」のうすいさちこの何回目だかのティーバッグのように味も香りもなさそうですね・・・
>あなたには縁のない世界でしょうけれどね。
貧乏人ほどネットで見栄を張る。
確かにブロッコリーはいつの間にかカリフラワーにとって代わって色どりの良さから、人気野菜になったけれど、それがいつのことかはわからない。
減反政策で困った農家が新しい作物作り始めたのと関係あるかな?
因みに不思議な形で結構お高いロザリオビアンコという野菜は私20年前から知っているけれど、一般に普及するまでに時間がかかったという印象。私農家じゃなくて食べるだけの人だけど。
豆腐や納豆、野菜を使った煮物など和食は、今でこそヘルシーで持て囃されますが、昭和の経済成長期は
「やっぱり洋食、ビフテキやトンテキが1番」
だとみんな思っていました。
ホントは牛肉や豚肉、鶏肉が食べたいけど、安価だった鯨肉で我慢することが多かった。
給食に出るのは鶏肉の皮を使ったスパゲッティや鯨肉の揚げ物が多くて、私は大嫌いだった。
野菜だってブロッコリー🥦どころかまだレタスでさえ珍しかった時代。
ハンバーグももちろんまだ一般的で無く、『ポパイ』に出てくるハンバーガーが美味しそうでいつも食べてみたいと憧れていた。
すみません。ロザリオビアンコなんて嘘でした。野菜の名前はロマネスコ。ドリルがいっぱいついているみたいなやつです。
🙇
那覇には戦前からデパートあるようですよ
全て戦後に入ってきたイメージあるけど意外とそうでもないんです
前作でもヒロインがコーヒーを飲んだのを驚いてる人がいて「明治初期じゃあるまいし」と思った記憶
給食のクジラの肉美味しかったなあ。
きっともう食べないだろうから、ありがとうございました、いただきました、ごちそうさまでした。
初回から見ましたが景色以外見るべきほどのものではなかった。
脚本がいまいちなのは仕方ないが、台詞がわざとらしい感じがして鼻につく。
せめてヒロインが何故食に興味があるのか背景が見えない。
食がメインテーマと決めたならその情報量を最優先するべき
沖縄の文化歴史を全部盛り込もうとしたらメインがぼやけるだけなので
寅さんが、沖縄でハブに噛まれて死んじゃったのはこの頃かな?
アババの食事の時の音楽がタンゴのメロディーで『だんご3兄弟』思い出した。🍡
比嘉4兄妹→美人3姉妹ね。にーにーも美男だけど。
ちむどんどんする~もだけど、まさかや、しんけん?にもはまっています(笑)
>ハンバーグは、昭和30年代ポパイか、近眼のマグ―あたりのアメリカアニメで知っていたものの食べたのはずっと後。
ポパイのパワーの源はホウレン草だけどね。
その時いつも流れる音楽が、今、頭の中で流れとるわ。
> せめてヒロインが何故食に興味があるのか背景が見えない。
単にガチマヤーだから!
>ポパイのパワーの源はホウレン草
ウィンピーのことを言ってるんですよ
きっかけがあって食に興味を持つ人もいますが、ヒロインは単純にがちまやー(食いしん坊)っていうだけで、家での食事の外にどんな美味しいものがあるか興味津々という所だと思います。
東京で美味しいもの食べたいって言ったのは、東京から来た男の子の影響でしょうね。
もし大阪から来た男の子だったら、大阪の美味しいもの食べたいって、なっていたのかな?
マクドナルドが銀座に一号店を出したのが1971年ですが、沖縄では1963年にA &W社がファーストフードの店を出したそうなので、沖縄の洋食は基地の周りでは本土よりずっと進んでいたのではないかと思います。
私は食べ物のエピソードが大好きです。昔から、「まんがはじめて物語」で一番好きなのは〝食べ物のはじめて〟。「天皇の料理番」で堺正章さんが初めてカツレツを食べた時の笑顔にやられ最終回の「うまい、うまい」と涙しながらトンカツを食べたのにもやられ・・・。〝フライドチキンの骨で出汁を取るラーメン〟や〝ジャンボフランク〟の話で「そのおこだわり、俺にもくれよ!!」という漫画にハマり・・・。
食べる事は人を幸せにします。「ちむどんどん」はシンプルにそれを〝ヒロインの好きな事〟に持って来たところに大変好感が持てます。
初週は家畜を殺す事についてちゃんと親が話し、だからこそ残さず食べるのが大事と子供達に説いたシーンが良かった。「美味しんぼ」でも「それを仏教で業と言うな」「人は生き物を殺さねば生きていけない罪深い存在なんだ」とやってましたね。暢子が食べ物だけでなくシェフに興味を持ったところも良かった。食を語る、食を描くという事は食べ物や調理だけじゃありません。それを作る人の手間や工夫、食べる人の感謝、守るべきマナー、材料の産地や美味しい旬の時期、品種や料理法が出来るまでの歴史など、いろいろな語るべきルールや知識やドラマが食べ物とレシピの数だけ有るのです。
「アババを想い、感謝して食べる気持ち(親から子への躾)」や「シェフからのお客さんへの労いの挨拶(作る人の心、食べる人との信頼関係)」が描かれ、今のところは及第点だと思います。今週は何と言ってもハンバーグを食べた時の暢子の笑顔!!。私、こういうシーンに弱いんです。食べる人の笑顔に弱いんです。このシーンがWikiでは早速「次々と出される初めての料理の美味しさに心が踊る」と書いてありますが、正に私の心が踊りました。食べる事は人を幸せにし、食べる人の笑顔も人を幸せにします。我ながら甘いですが、その笑顔に免じて今回は五つ星としました。
嗚呼、路線変更やテコ入れ等せず、このまま行ってほしい。もちろん朝ドラですからそればかりでなく、むしろ各人の人生模様や友情や恋愛のほうが描かれるでしょうが、これからも食べる人の笑顔を観せ続けてほしい。人の幸せや、心躍る姿をもっと観せてほしいです。
そういえば、「あまちゃん」を数話観た後辺りから朝ドラをしばらく観なかった私がまた観だしたきっかけが「まんぷく」の後半からでした。特に食いしん坊な訳じゃないんですが(笑)。
※私の本当のハンドルネームは「マイケル・Jの声は宮川一朗太が好き」ですが、字数制限により入らない為、2文字略しています。
復帰の年にそれ以前からある那覇のデパートの屋上の遊園地で遊んだ覚えがあります。デパートのレストランで食事もしました。当時の沖縄中南部ではそれは普通でした。映画館とかも沢山ありました。
沖縄は皆さんが思っているほど遅れてはいなかったと思いますよ。ファッションにしても本土と同じ様な物を着ていたし、基地もありましたからアメリカから直通のファッションや生活用品もありました。
また自分自身生活に困ったと言う覚えがないし、周りにも酷い貧乏だと思える人はいませんでした。
それとよく沖縄に来た本土の方が沖縄は遅れていたとか言いますが、(私も友人に沖縄はまだ貧乏そうな地域があるみたいねと言われた事がありました)
沖縄のネガティブな所をフォーカスしている様に思います。何か貧乏だとか遅れているとか言う先入観があるのではないかと思いました。
私が大学の頃本土のある町に住んでいましたが、沖縄の方が都会だなあと思いましたから。誰しも自分の方が優れていると思いたいものかも知れません。
余談ですが、カムカムにも出てきた子門真人さんのおよげ!たいやきくん君が流行った頃、沖縄でもあちこちにたい焼き屋さんが出来ていました。
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