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https://www.nhk.or.jp/scarlet/
※BSプレミアムは朝7時半〜
三津が今の八郎の現状を知ったらどう思うかな。
俳優さんたちにはイメージ悪くなるかもだけど、やっぱり不倫で二人で出ていったほうがよかったような。
三津に心が傾いた八郎の気持ちもわかるし、さすがに喜美子にも同情できたかも。
芸能界で成功した雄太郎の歌がどんなに心揺さぶられるかと固唾をのんで聴いたがあまり良い曲とは言えず木本さんの歌唱力もいまいちでした。歌詞の内容も響かずただ戸田さんの思わせぶりの演技が浮いているような気がしました。落胆したのは貴美子が大阪の出会いでどんなふうに立ち直れるか期待していたのに雄太郎の出世払いの借金を貰い棚ぼたで穴窯やカラーテレビの資金が楽々調達したコントみたいなオチに呆れました。最後にオール阪神さんを登場させて懲りない場違いなお笑いを入れて興ざめしました。家庭や子供や夫を犠牲にするほど陶芸の道は深いと感銘したところに週末にご都合主義とお笑いテーストで軽い内容になり期待外れでした。
要するにマツは頭のねじが緩んでいる設定でしょうか。もしそうだとしてもこのドラマでの役割は見えません。
大阪編のみなさん、呼ばれて集合・・みたいな展開がどうにもつまらない感じ。
大久保さんのその後の人生も、あんまり見えてこないし、信楽太郎さんも、歌手として成功した経緯がよく見えないから嘘っぽいし。
物語の中で、必然性があって再登場して、喜美子に何かしらの気づきを与えるのならよかったのに。
都合よく集まってお金までくれました・・では、都合がいいだけ。
阪神さんもあんな再登場ですぐに終了は、何ともお気の毒。
不正星5操作の方を排除したおかげでスッキリしました。おかげさまで投稿がしやすくなりました。
投稿者は少なくなりましたが、肯定派も否定派も内容が充実した投稿が集まるようになりました。大変良いことだと思います。
波乱万丈と言われた加藤登紀子さんは家族と別居しながら仕事を続けた。夫のお母さんが仕切っていて子ども3人を見てくれたようだった。
朝ドラでは理想的な主婦の姿を描かなくても良いのではないのか?女の仕事と家族の形を見ていきたい。
録画予約も録画も消しました
途中でこのドラマはまともにやる気ないんだなとわかっちゃったんで
完走しなくても一応最終回まで録画はしてたんですよこれまでは
加藤登紀子さんは夫と死別で性格の不一致で離婚していません。理想的な良妻賢母や聖女を描く必要はありませんが、性格の不一致の離婚は朝ドラとして本当に後味が悪い。
不倫を堂々と描いた「カーネーション」だが後味は悪くなく切なかったな。
加藤登紀子さんは離婚したと書いてますか?私は別居したと書きました。夫は千葉に住み農業を彼女は芸能界の仕事をしています。
喜美子と八は離婚するかのは、今のところわからないのでしょ。離れて暮らす夫婦になるのかも?と私はそういう新しい夫婦の形を期待することがあります。
>喜美子と八は離婚するかのは、今のところわからないのでしょ。
ホームページには離婚した、とあるのでネタバレにはならないと思います。喜美子は別居ではなく離婚したのです。
喜美子が、陶芸家として穴窯に全てを掛けて取り組むの流れは、女性初の陶芸家を描くドラマだから間違いではないとは思うけど、喜美子に対して自己中や我儘と印象を持たれ共感されないヒロインにしたのは大失敗。
八郎を史実とは真反対のような優しく喜美子を大事にしている夫にし、穴窯を家族崩壊の原因にしてしまい子供の将来よりも穴窯を優先に考えるヒロインに見せてしまっては、朝ドラとしては大ひんしゅくになっても仕方ない。
スカーレットで一番つまらない原因は余りにも狭い世界の物語となっている事、喜美子の穴窯の挑戦も家族の中 夫婦間で争いで家族崩壊の原因にされてしまっていて、まるで陶芸自体も趣味のようと揶揄されてしまうのも仕方ない。
周りから八郎に女性は陶芸家になれないと吹き込むシーンを入れ喜美子の女性の挑戦にすり替えるように見えたけど、それを八郎との対立とかにせず、もっと大きな反対勢力に挑むスケールのヒロインにすれば反発にもならなかったのに。
喜美八はいつ離婚したのですか?そんな決定的なシーンがありましたっけ?
>喜美八はいつ離婚したのですか?そんな決定的なシーンがありましたっけ?
今週放送されます。
喜美子と八を別れさせるための喜美子の描き方に問題があるのだろう。金を使い果たしてもまだ穴窯に執着する懲りない女のように描かれて、その結果子どもを連れて夫は出て行く。
それなら史実通りに八郎に女が出来て出て行く方がヒロインに同情が行って喜美子を応援したくなっただろうと思ったりする。
脚本は喜美子も八も2人を尊重して描こうとして、どちらにも共感出来ないドラマになっているということか。
最近はドラマの脚本家に同情して見てしまう。ここまで視聴率が取れない下手な描き方をなぜ続けるの?もっとあざといやり方を知ってるはずなのに何故?
今週放送されることを書いたらネタバレでしょう。公式サイトに書いてあることとは言え、それ全てをここに書くのは考えものです。
加藤登紀子夫婦とは似ても似つかない喜美子夫婦の寒々しい結末でした。
不思議なことに(笑)、喜美子を応援したい側にいる。
八郎は喜美子の足を引っ張るだけで魅力を失っている。
今ようやく、ようやく解放された喜美子…
今後その代償である「不自由さ」を覚悟しなければならないが、
恋愛から結婚への道のり、八郎という夫がいなかったことにしても(笑)、
明日からが楽しみな展開となっている。
「女性陶芸家・川原喜美子がモノを作り出す情熱と喜びを糧に、失敗や挫折にめげずに生きていく波乱万丈の物語。」
題材は素敵だと思うし、こんな朝ドラならさぞかし見所いっぱいの素晴らしい作品になるのかと期待していました。
が、、喜美子の言動が不快過ぎて共感も応援も一切したくならない。
陶芸もおざなりで、お寒いコントもどきシーンがメインなの?と思われるような酷い脚本。
こんな物語を見たかったわけじゃないんだけどな。今は残念感しかありません。
上のほうに美空ひばりさんのことが書かれていました。離婚して一人でやりたいことをやり通す彼女には、歌うことの情熱と自信があったのでしょう。喜美子にも情熱と自信があれば、離婚して陶芸家として生きて行くのは悪くないと思います。問題はドラマとしての描き方でしょう。ここでヒロインが益々嫌われないことを願います。陶芸家喜美子を力強く生き生きと描かれることを望みます。
喜美子にかわいげがないんだよね、スカートをはかない男のようなヒロインだと強過ぎる。たまにはシクシク泣いたり、誰かに泣き言を言ってもいいんじゃないのかい。そこから立ち上がることが大切なんだから、ヒロイン喜美子の見せ方に工夫を入れて欲しかった。
「ひとりもええな」誰のお伺いも立てずにひとりで決め、ひとりでやる。
自分勝手だし、その陰には見守ってくれている人たちが大勢いることを忘れた不遜な言葉かもしれない。
でも、こう思う瞬間って、ある、と思いました。
誰にもあるいろいろな面、可愛くないところや間違いや傲慢、それも含めて喜美子が面白い。
喜美子が家庭を蔑ろにしようが、かまいませんよ。ただ、肝心の陶芸も見た限り趣味に毛が生えた程度にしかうつらない。穴窯を作り、急に炎に取り憑かれたように描かれても、これまで喜美子が作陶しているシーンなんか数えるほど。視聴者に想像しろと?どうでもいいシーンはふんだんに入れて?
前作批判している方も多いですが、なつはアニメの仕事は一生懸命してたと思います。家庭は2の次になっていたかもしれませんが、家庭不和にもなっていなかったんでは?
先日、穴太衆という滋賀県の石垣を積む専門家の方の番組を見ました。反りのある城の石垣を現代に伝える職人さん、すばらしかったです。
信楽焼だけでなく、滋賀県にゆかりのある方々をドラマの中に登場させて、ストーリーに花を添えていけばすばらしいのにと、ふと残念に思いました。
陶芸の窯を作る人たちも、工事をして帰ってしまいましたし、もう少し地元にまつわる魅力的な人々や事物を盛り込んだら如何でしょうか。
登場する人々も同じ顔触れで話もふくらまないし、ロケもなく、滋賀県の魅力も全然伝わってこないし、他の焼き物の産地に置き換えても問題ないような作りで、もったいないなと思います。
不倫で離婚を視聴者に媚びて変型、三津をかませ犬にして追い出し、性格の不一致で離婚。「半分、青い。」は夫の我がままでシングルマザーにならざるを得なかったが、幼い子供のいる前で自己実現欲求のためにシングルマザーを選ぶって、朝に家族で見る作品としてはどうなのかね。「私の青空」は夫が挙式当日に女と逃げたもので、「スカーレット」は特異。妻があまり幼子のことを考えていないように見えるけれど。
昔からの信楽自然釉の焼きものを復活させた女性のお話しです。町おこしや日本の文化的なな意味合いもあるのでしょうから盛り上がって終わりにして欲しいです。応援しています。
あえて貧乏してあえて夫と離れて逆境から大逆転するんでしょうね。ゲゲゲの女房はそれに優しくよりそう妻の話しでしたが、これは女一人で強くやり遂げる話し。描き方によっては凄く面白くなりそうだけど、今一つ伝わるものがないからヒロインが身勝手だと叩かれる。
職場のテレビが昼休みにNHKをつけてるんです。(緊急速報が必要な職種)
食堂から戻り、自席についてからの10分~5分ほどを視聴しています。たまにオープニングから見るけど。
で、大阪での女中時代は働く様子がよく映ってて、「15歳で4時半起きか~」とか、感心しつつ楽しく見ていました。
きっぱりさっぱりした喜美子のキャラクターにも好感がありました。
それが信楽に帰郷してから、絵付けの作業も、作陶しているところも、ほとんど見た記憶がないんです。
その代わり、喜美子と八郎のとことん噛み合わない会話の場面だったり、最近は喜美子がギャンギャンまくしたてる場面が多くなったみたいで、テレビから音声が聞こえてくるだけで不快になることもしばしば。
あと、先日はポパイのコスプレが映ったり、ユーモアセンスのない脚本家が入れてくる笑いを誘ってるつもりのシーン(あの噛み合わない会話もそうですね)が寒いです。
松下洸平さん 出ないなら 見る価値半減!
伊藤健太郎さんも デビューに時から応援してました だけど今 名を知って貰えて何より
続けて見たいけど
戸田恵梨香さん 水谷美紀さんが
少しずつ ウザくなって来た
役がね だから 見るの辞めま〜す
さよなら!
大阪の遊園地、子供と行ってあげてほしかったですね。
古いタイプの小さい遊園地って、各地にあると思うんで、
ちょっとロケして、楽しい話にしてほしかった。
子供と接するシーンが乏しいから、喜美子が母親らしく
見えないんですよ。
人に預けて、知人とおしゃべりって、ネグレクトっぽい。
信楽のいろんな場所に出かけて、自然の中で遊んだり、
お弁当持って出かけたり、普通の当たり前の親子の姿を
見たいですねぇ。
現実 そんなに甘く無い
残念 ですよね!
結局 自分の思いが先行するよね 人間って
綺麗事を言う人いるけど
このドラマ見てても 最後は自分の 我を通す!
八郎さんがいたからって 気がつくのかね
この人は?
傲慢に自分が一番の人で無いと 駄目だよね
相手を思いやれる人だと 自己犠牲が先にある
私達の意見は 八郎さんがいたからこその成功!
なのではと 思う!
男も女も 傲慢が感じられると 嫌になるね
自分 自分って人 疲れる!
遊園地でちょうどいいロケ場所はあります。
当時の遊園地は殆ど閉鎖され、USJは現代的すぎます。
阪神百貨店の屋上の遊園地。あれは昭和40年頃のままですよ。心斎橋の大丸百貨店とか阪堺電車とかね。
最新の大阪市役所前でロケする時点でスタッフは若い人達なんだろうなあと思いました。
八郎と喜美子、素質的にはけっして一緒にやっていけない2人じゃないと思うのに、どうしてこんなに溝が…と考えたら、問題を2人だけに閉じ込め過ぎなんだなと気づきました。
「話、しよか」はいつも2人きりだし、周りに他の人がいるときは2人の齟齬はほとんど表面化しないし、2人とも人に相談とかしないし、夫婦の内情を見ている人・知っている人が誰もいない。というか唯一三津だったんだけど、三津自身の恋愛感情のせいでかえってややこしいことになっていただけだし。
信作は心配していても立ち入らないし、照子も叱ったけど詳しいこと知らないままで、ちょっと的外れのこと言ってた。
例えば今回の大阪でも喜美子が状況を話していれば、ちや子さんは「きみちゃん、お金は大事やで」くらいのことは言ったと思うし、八郎も早めに信作に相談していれば「最初に『今、やり』って言ったときはどういう気持ちだったん?」って考えを整理してくれたと思う。
今までの喜美子の地雷発言も、例えば草間さんがいて聞いていれば「相手への敬意が足りないよ」って気づかせてくれたと思う。
2人は溜め込み過ぎだし周りは立ち入らな過ぎ。違う見方を誰かが見せてくれれば、2人とも視野が広がったし、夫婦としてもっと成長できたのに。
朝ドラによくあるお節介描写はあんまり好きじゃなかったけど、お節介が全然無いのも駄目なんだ。
カーネーションの糸子も自我が強いヒロインだったけど、自己を批判的に見られるタイプだった。
不倫も「人から見れば悪いことに見えるのはわかってる、自分でも悪いと思う、でも私はこれを貫く」だった。
喜美子は、「これのどこが悪いん?」なんだよね。別の見方を考えない。
どっちのヒロインが良い悪いということはないんだけど、喜美子の方が見ていてストレスたまる。
まあ、明智光秀様はそのようなご病気はないはずですよ、すぼ様。どの場面からそのようなラチもない事を感じたのか。
上のものです。サイトを間違えました。
大変失礼しました。
絵付けから穴窯への流れがダラダラのわりには曖昧なので
喜美子のあの色を出したいという強い想いに共鳴できないんだよ。
口で言うだけでなく自分で釉薬も調合して電気釜で焼いて
違うこの色とちゃうねん。うちの出したい色はこんなんちゃう。
てな場面をひとつも入れないから当然穴窯穴窯言い出して
それでどんな作品をつくりたいのか見えてこないから
ただただ思いつきで暴走するあぶない女になっちゃってる。
理解のある夫にも愛想尽かされて子供いるのに1人の方が楽って。
このまま穴窯成功、人気女性陶芸家にっていう流れに
納得も感動もできなさそう。
喜美子にとっては、自分のやりたいことやるのを邪魔しているのは八郎なのかな。
私から見れば、邪魔をしているのは「お金がないこと」だと思うのだけど。それ八郎切り捨てても解決しないよ。というか問題拡大するよ。
もし喜美子がやりたいことを出来て、喜美子が幸せになるのであれば、八郎も幸せに
なると思えば、ぶつかりあう事はないと思う。 喜美子も八郎の考えている事に
合わせること出来て、喜美子も幸せと思えば、ぶつかりある事もない。
ここ数回見たドラマのように、ヒロインと相手方が互いに一致する幸せを求めて高めて
いくのではなくて、互いに相容れなくて、犠牲と思うことも、自己中なのではと思わせ
てくれるドラマ。自由は不自由って感じがする。不自由でも自由のほうがいいかな。
もしもしもだけど、喜美子が八郎の言う通り、一旦、穴窯を諦めて、釉薬、絵付けを
使っての焼き物で名声を高めてから・・この場合も名声を高められるかの保証はない
けど、上手くいったとして、それから穴窯に取り組むような、いままでの互いに高めていく
様なドラマではなく、個人的には、喜美子は魅せられた信楽の欠片の色合いが穴窯
で出来ると分かった瞬間、喜美子は過去の絵付け、デザインなどの考えが吹っ飛んだ
と思った。それからは陶芸に対する熱意が強いか戦いのような感じもする。
八郎、喜美子に負けるな、互いに切磋琢磨して幸せになってと思った事もあったけど、
別居してしまった。
ここのレビューでの記憶だから、まったく同じ文章ではないけど、別離はするけど、将来、
再び会って、あんな時もあったと再度、喜美子と八郎が認めあえば良いようなコメントが
あったけど、自分もそうなったらいいかなあと思う。長文すいません。
武志君の存在感が薄い…八郎は世話していたから私も武志は八郎が育てればいいと思った。
女だらけの自分の家族と婿の夫だけ…そりゃあ楽だよ…わがままになるような環境なんだよなぁと大阪のメンバーを観て思った。
薪代があれば2人は別れずに協力して穴窯をやるのだろうか?何が一番の原因で別れることになるのかを知りたい。
>ちや子が「フリーランス」という言葉を使っていたが、1969年当時に、そう言う言葉を聞いたことがない。
この当時なら就職したら正社員と定年までの終身雇用が当たり前
(個人的には今でもそうあってほしい。自分はリストラ経験者なので)だったからね。
「フリーター」も「派遣労働」も考えられなかったはず。
フリーランス同様に、そのような言葉すら存在しなかった時代なのだから。
別居のきっかけが「武志のためのお金に手をつけようとした」ことで、八郎は「武志連れて出ていく」と言ったんだから、その武志をなぜ照子に預けた(=喜美子に渡る)のかはぜひとも説明してほしい。来週ちゃんと説明されますように。
喜美子は下宿屋時代の人の前では猫被りすぎだよね。
自分の都合の悪い話は一切しないでみんなにアゲアゲしても、って赤の他人にお金もらって。
武志もロクに知らんよそのお母さんに預けて遊園地連れてってもらって。
大阪行き大成功ですねー。
フリーランスという言葉は使わなかったかもしれませんが、あの頃フリーで仕事をするライターはいました。食っていけなくてその方はやめてしまいましたが。
家族を顧みずに陶芸に打ち込む喜美子。
こんなヒロインの姿を安易に作者は見せているのではないと思う。家族を顧みなかった喜美子が、いつか家族のために陶芸をするような、そんな変化を見せたいのではないかと、史実から考えてしまう。
>フリーランス同様に、そのような言葉すら存在しなかった時代なのだから。
フリージャーナリストと言うのはいましたね。
ベトナム戦争取材で名をあげ殺害された一之瀬泰造カメラマンとか(沢田教一はUPI記者)。
>この当時なら就職したら正社員と定年までの終身雇用が当たり前
臨時工と言うのはいましたよ。新聞社は大阪万国博の増頁対応に追われ大量の臨時工(印刷工)を採用していました。期間工ですね。
出稼ぎ労働者は大勢いたでしょう。
「フリーランス」という言葉は「ドクターX」で知った。
それから50年前の解雇は「クビ」が一般的で「リストラ」という言葉は無かったと思う。
ハチの穴窯の見通しの甘さがあったという意見もあるが、経営者としてはありの判断だったと思う。
よくFCの食べ物屋さんが、サッサと半年や1年で撤退することがあるけど、賢明な判断だとも言えるんだよね。これは続けてもムリと判断したらさっと手を引く。最初の投資金額がもったいないと迷っていたら、ズルズル傷口を広げて赤字が膨らむから。
そしてそれは挑戦してみなければわからないことでもある。
ただハチがやってみてこれはまずい!という感覚をもったのに対して、キミコはいける!という感覚をもってしまった。
その段階ではどちらが正しいとは言えなかったからどちらも悪くないのだと思う。結局は結果がすべてということになるのかな。
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