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2、3個前の意味不明な投稿失礼しました。
しかし、中野直之と六左衛門だけはしっかり見ていたから、最後にキャラぶれに昨日は唖然とした。
あーあ、、これは言わせたいだけだろうなと考えてつい何回も失礼しました。
エセ平和の怪しくうさんくさい話、そして直虎アゲアゲの説明セリフのオンパレードに、ガックリきた。
ほんま、森下さんはダメやわ。結局、こんな子どもだましの作り方しかできんのやねえ。
直政編になってからのいい意味での緊張感、強固な意志、目的に向かうがむしゃらな推進力。そこにすべてが収斂して駆け上っていくまともな構成にならないかせめて終盤では…と一縷の望みをかけたのだけど、やっぱり夢で終わったわ。
あと2回で終わりだっけ。もうこれは、たぶん最後までどうにもならないですね。
それにまあ、柴咲コウの演技の下手なことといったら、今さらだけど驚いてしまう。
終盤の重厚な演技巧者ばかりの中でたまにちょろちょろっとしか出てこないためか、今までに輪をかけて表現が貧弱に見える。演技の基礎がまるでできていないということが丸わかりだ。
大河主人公としては、間違いなくブービー賞です。
このドラマは登場人物一人一人の思いのうちをじっくりと丁寧に描いているのがいい。
今回も高天神の戦いをこんな描き方する?と感心しました。
合戦シーンなどないのに、戦いにおける人々の思惑がちゃんと伝わってきます。
土砂降りの雨のなかを、「さあ、参るか」と沈痛な表情で一人一人、合戦へと向かっていく徳川の重臣たち。
織田の無謀な命令に踊らされることの無念さがいやというほど伝わってきました。
今はともかく味方を増やして、徳川そのものを強くすることが肝要、
そのためにじっと歯を食いしばって耐える家康と供のものたち…。
そのなかで万千代が様々な経験をし、自らのベストを尽くし、
人間的に成長していくさまがじっくりと描かれています。
やはり良いドラマです!
「真田丸」の家康の描き方はコントみたいで物足りなかったけど、
今回の家康は人間的でいいね。
信康や瀬名に杯を捧げるシーンもさりげなくて良かった。
「人生とは長き道を・・・」の、あの台詞が浮かんできました。
直親のファンの人が半年前に怒っていたきもち少し分かったよ…。これはきついな…最大の裏切りだろうね、ドラマとしては。思い違いじゃないと言われたら証明はできないが、直之、但馬のことずっと不信感抱いてたはずじゃないか。但馬との和解あったかな。あとは直虎にあの台詞はありえない。
六佐は憎めないアホキャラだったが家康に認められたんだな。
あとは方久どこにいった。まぁ愚痴ばかりになりますね。
本当に終盤はいわゆる女性好みのイケメンはいないかもしれないけど、
演技派の方たちばかりで魅せますね。
多くの大河はそれまでは面白くても、終盤はショボくなることが多いのですが。
思えば浅丘さん、山本さん、高橋さん、尾上さんなどなど、
いろんな人が消えていったけど、
今は阿部さんや小林さん、菅田さんはいうまでもなく、
尾美さんや高嶋さんなど演技達者な人たちがしっかりと支えている。
最終回まで見逃せません。
戦国時代が舞台なのだから、井伊直虎が主人公としても、
今川、武田、織田、徳川などを中心に描けば、
それなりに面白いドラマになったろうし、それなりの視聴率もとれただろう。
だがそのやり方で行った「八重の桜」は、
主人公はどこに行ったかなど散々に批判された。
それも踏まえての今回の描き方だろう。
デコボコもなくはなかったが、
森下女史独自の戦国版ベルばらを描きたいという当初の目的は
達成されたのではないか。
ドラマの真の評価は、まだまだこれからである。
ここまでくると笑えてくる。
徹底的に理不尽で了見の狭いダースベイダー信長
いたぶられながらも耐え忍び道を探る家康、ひたすらにいい人。
直虎はといえば、周囲の情勢にも相変わらず疎いのに、織田をきっぱり見切り
直政を使って徳川を強くし、戦のない平和な世の中を作ると…
直虎、何者?!すごいね笑。
これは大河ではなくマンガですよね…
雨に心情を乗せる演出も二話連続でやるとか…、ヘタっぴ!
同じ事を直近で繰り返す、馬鹿の一つ覚えじゃあるまいし。
ほんとセンスないわー。
森下女史は後半で追い上げていくタイプと思っていたけど、
やはりそれが今回も証明されましたね。
演技陣もいい。それにしてもあと3回とは、辛すぎる!
私もいまの徳川メンバーで関が原まで見たいです。
特に菅田直政と阿部家康で。
終盤も最終回近くになって、やはりぐだぐだになった。残念至極。
直虎が絡むと、どうしても話がちゃちになり、中盤のような子どもっぽいファンタジーになってしまう。
何度も言われていることだけど、架空キャラを史実に絡ませる、というか架空の話をメインにして史実をサブにするやり方がすべての原因だろうが、それだけでなく、この作品では、森下さんの基本的な力量にも疑問がついた。
発想の乏しさや、ゼロから緻密に話を構築する腕のなさ、全体を見通す目の行き届かなさがあらわになった感じ。
本作の前は、けっこう緻密さのある構造主義的な人だと思っていたのが、俗っぽい女性脚本家の悪い部分全開の、場当たり的で粗雑なパッチワークのつぎはぎ仕様、埋め草として安っぽい恋愛沙汰や説明セリフやご都合展開をばんばん導入。まさかこんなに俗受け志向に崩れてしまうとは思わなかった。
イメージがまったく変わった。大河を低俗な商品に落とした脚本家として、今後暗い記憶に残るだろう。
再来年あたりから、元の凛とした清々しい大河、主人公に戻ってほしいと思う。
武田勝頼が自刃して、時代が昨年の『真田丸』の冒頭に達した。ここから再び『真田丸』にバトンタッチしてはどうだろう?
ともかくいろんな意味で挑戦的な大河だった!
去年のお子ちゃま大河とは雲泥の差。
正直、来年も再来年もあまり期待できない気がするので、
今年は貴重な一年だったと思います。
私は多分、来年は大河はお休みになる予感。
真田丸の初回につながりましたね。
大河ドラマじゃなかったら面白いかな。
主役が魅力的に思える大河ドラマはもう無理かもな。今年で離脱するでしょう。
歴史は好きなほうではないが大河ファンの醍醐味が味わえない今年だった。でもやっぱり 魅力的なキャラ付けは上手でしょう森下さん。
好きなのは平成夫婦茶碗とTBS版のとんびだけだな~。
家族愛はいけるんだがね…。好きなひとがたくさんいるのがわかるがやっぱり苦手かな。
まぁ最後まで見るかな。
最近はいい話が続いていますね。
之の字のお家を思う気持に泣けました。
織田の理不尽にともすれば振り回される主君に
ときに物足りなく思いながらも、
その人間らしさにいつしか惹かれていく直政。
ときにぶつかることはあっても、
互いに目指す世は一つであることに気づく直虎と直政。
女性作家特有の繊細さや深慮がそこここに生きています。
視聴熱で一位なのも分かりますね。
今回は、今まで大河の敷居が高くてあまり見られなかった一部の人が喜んで見た、だけど一般および大河ファンには無視された、という点では確かに異色。
そういう一部層は、まともな大河になるとまた逃げ出すから、こういう集客の仕方は意味がないとNHK はわかっているのだろうか。
大河の裾野を広げたいなら、歴史やそこに生きた人々の真の姿を、晦渋でなく、面白く興味深く見せるという努力が必要。
そういう真摯な知的努力を放棄して、クオリティそっちのけで俗な餌で釣る。取材も下準備もいらない安易で幼稚な作り話にすぐ逃げる。
近年の朝ドラに顕著で、強く批判されているお手軽発想、お手軽仕様が大河にまで持ち込まれたことは、ほんとに嘆かわしい。
まあ、安易に朝ドラ組に任せたのだから当然の結果とも言えるが、もうこういうことは二度とごめんですね。まあもうないだろうけど。
来年はさておき、再来年は芯のある、テーマと縦糸のしっかりした楽しい大河、期待してます。
今年は異色作としても、去年や一昨年の作から考えて、
もう「まともな」大河は見られないだろうとあきらめています。
わりに普通の作りだった「軍師官兵衛」でさえ、力作が続いていた時代からはほど遠い。
特に来年はすごーく不安。
結局は途中で脱落するのだろうかと、なんとなく思ったりしてます。
局スタッフの大河に対する認識がもう大きく変わってしまったのでしょうね。
これも時代というものなのかな・・・。
けど「風林火山」や「坂の上の雲」や「平清盛」を作ることが出来た
んだから。
「夏目漱石の妻」や「北斎の娘」などの意欲作もあるんだから。
いつの日か、やれば出来るじゃないか!と言える大河に巡り逢いたいです。
子供が見てるから一緒に見るけど、見終わった後に間違った認識を持たない様に最近の信長研究からの信長像や信康に関しての事をいちいち説明しなきゃいけないのに疲れる。勿論諸説を話しますがね…空想ファンタジーがNHKの大河を名乗るのは正直笑えない。来年の西郷どんも心配ですな。
わたしを離さないででも思ったけど、何事も大衆が好むようなカンタンな感動系に持ってく森下さんのやり方って、暴力的にさえ感じます。
連綿と続いてきた歴史や作家の純正な創造物を、
お花畑チックに染めあげるのにまるで疑問を抱かないのには、驚く。
所詮、職業脚本家が考えつくような平和主義なんて、なんぼのもんよ。と思うんだけど、入れ込んでくる。
勘違い朝ドラオバちゃんパワーで歴史を踏み荒す。
歴史事件については数多の説があって、そのどれが真実かなんて分からないですものね。
今回の信康事件については、幾つかの説を取り合わせてうまく演出されていたと思います。
今年の大河は我が家の大人たちは楽しんで見ていますが、子供たちには今一つかも。
まあ、そういう年もあっていいのではないでしょうか。
なんだかだ言いながら残すところあと一ヶ月。
直政の活躍をもっともっと見たかったのに惜しいです。
大河も朝ドラも視聴率と言うモンスターに
翻弄されてNHKはドラマ作りの本質を見失っている。
大衆に阿ること無く見せたい作品伝えたいモノが
明確なドラマを制作して欲しい。
チャレンジとして取れば八重さんは良かった。
そうですね。まさに漫画大河。
さらに言えば、漫画は漫画でも「薄い本」大河。
キラキラファンタジーや、ドキドキ少女マンガの流れの中に、
いきなり、どぎついシーン、露骨な表現を打ち込む手法。
そういう目を引くシーンにごまかされて、話の浅さに気づかない。
ここまで共感できない主人公のドラマも珍しい。
駄作、とは言わない。あくまで、私の好みに合わないだけ。
女性経営者のみなさんに、このおんな城主直虎のリーダー像をどう思うか、聞いてみたい。
男性の私からすれば、こんな女上司の下では働けないが。
弱小真田の領地を奪おうとする徳川に平和を託す直虎の視野の狭さ。
お家を守れるはずもない。
好みの問題じゃない。
駄作です。
こういう作品は、大河で二度と作って欲しくないです。
「戦のない世を作りたい」というのは誰でもそうだと思う。
戦がなければ百姓たちは生業に専念できるし、百姓たちが生業に専念できれば税収が増えて領主たちも潤う。戦国時代であろうが現代だろうが、誰も命を奪ったり奪われたりしないに越したことはない。そんなことは言われるまでもなく分かりきっている。
では、何故その分かりきったことができないのか、という視点がこの大河には抜けていると思う。いま直虎が主張していることは、現代で例えるなら「犯罪のない世を作りたい」と言っているようなものではないだろうか。
そこで1年かけて導き出したのが、徳川代議士に雇われている甥っ子の万千代に口を利いてもらって、犯罪のない世の中にしてもらおう、というような安易で他力本願な結論だったのは非常に残念。
犯罪のない世を作りたいというなら、まず、犯罪者たちは何が原因で犯罪に手を染めたのかに目を向け、分析しなければならない。それと同じく、戦のない世を作りたいなら、大名たちは何故、多くの犠牲を払ってまで戦をするのかを直虎は考えなければならない。原因として考えられるのは貧困かもしれないし、生育環境かもしれないし、人間関係によるものかもしれないし、大名たちの欲得かもしれない。そういった部分に着目せず、ただ「戦のない世を作ってほしい」と万千代と徳川に丸投げしたところで、すぐに「具体的にはどうやって戦のない世の中にするのか」という新たな問題が生ずるのが必至である。
もちろん「戦のない世」を目指すのは決して悪いことではなく、むしろ積極的に応援したくなることなのだが、いかんせん、戦を余儀なくさせるものは何なのか、それをどのように除き戦のない世を実現するのか、という視点に欠けている。その視点がないまま「戦のない世にしたい」というのは小学生にもできる。
本当に初めから「戦のない世の中」をこのドラマの主題にするつもりだったのならば、前段階で戦の起こる原因や、その背後にある諸大名の信念といった部分を掘り下げるべきだったのではないか。
また、「戦のない世の中にしたい」というのは非常に崇高な願いではあるが、それを言うのは少なくとも過去に犠牲になった人たちの弔いをしてからが筋ではないだろうか。井伊家の犠牲者たちの菩提を弔うこともなく、龍雲丸との農民生活を満喫していた人間が「戦のない世の中にしたい」と言ったところで空虚にしか聞こえない。
さらに言えば、南渓に「母でも妻でもないそなたは何にその生命を賭けるのじゃ」と問われた際、たとえば、「戦の悲惨さを伝えることで大名たちに戦を思いとどまらせたい」とか「材木や綿布を作って井伊家の財政を立て直したように、戦で領土を勝ち取らなくても国を豊かにできると大名たちに知ってもらいたい」といったように、直虎自身のこれまでの経験に裏打ちされた応えがあったなら、まだしも納得ができたが、直虎の見通しが甘かったせいで一度は松下の姓を名乗らせた万千代に願いを託すというのは虫が良すぎるのではないか。「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば人は動かじ」という格言があるが、「戦のない世を作りたい」あるいは「作らせたい」なら、 農業に勤しむ前に、まずは直虎自身が戦のない世の中に向けて具体的で積極的な取組をしている姿勢を見せなければならなかったのではないだろうか。
1年というドラマとして大変長い時間をかければ1人の人間を掘り下げることは十分可能だったはずだが、その結論として領主としては無能で学習能力がなく他力本願で、人間としては一貫性がなく他人に依存し男にだらしなく感情だけで動き人を傷つけることに無頓着な歳をとっても見目が良いことしか取り柄がない女ができあがったのは残念としかいいようがない。他者の口を借りて彼女の良さを表現しているが、それも白々しい。今回直之が農婦になっても民の為に尽くしたなどと話しているが、はっきりいって誰も農婦になれ等頼んでいない。これが普通の大河なら尼なら井伊家再興を目論んでいると思われないよう農婦になるなど色々考えられるが、この歴史ファンタジーは史実の尼であることを盗賊の男と結婚するためにやめ、反対する者を強い言葉で退け自分で率先して農婦になっていることははっきりしている。武田についても、この話の中では今川の家臣にはあっさり見つかったのに武田には見つからない謎の4次元空間、隠し里に皆逃げ、農民は家を焼かれても凄まじいポジティブでお花畑としかいえないエピソードで、しらける。彼女の良さはただ、顔と身分だけ。最低な主人公でした。
井伊家の再興を諦めておいて、なお万千代を操縦しようとする未練
この時代も、その後も武家にとってお家の存続が第一だと思うのです。それなのに、お家再興を直虎に拒否された之の字は、心の置き所を失ったと思います。
お家存続のため、但馬も人身御供になったのに、お家は潰れて、但馬は汚名を着て無駄に死んだ格好になってしまいました。
但馬の志を継がず、武家の誇りを地に捨てた直虎を、之の字はずっとどんな思いで見つめてきたのでしょう。
「家のために誰にも死んでほしくない」と直虎は言ったのに、今度は「徳川家に仕えよ(戦場へ行け)」。
井伊谷の番人となることでどうにか気持ちの折り合いをつけた之の字なのに、今更、直虎の要請をどうして受け入れたのか、二人の対話がよく理解できないままです。
今回は中野の話が良かった。
たくさんのエピソードが詰め込まれているのに、じっくり味わえる。
役者さんの見せ場も多く、エンターテイメントとして素晴らしい。
駄作です。理由はこれまで散々指摘されてきたとおりです。朝ドラ大河、ラブファンタジー、ジブリ大河、おもんな城主・・・。検地がやってきたとか、赤ちゃんはまだかとかで、尺を無駄にするから早々に視聴者から見放されたのです。
ガイドライン通り、毎回の感想を書くべきですね。見ていないのに書いているのではないかと思ってしまいます。
直虎が迷いと苦しみから抜け出し、理想をつかみ、但馬の名前を口にだせるようになりました。
地味な主人公なのに最後まで目が離せないです。
最近は中身の濃い内容が続いていて評判も上々ですね。視聴熱一位に選ばれたり、喜ばしいことです。大抵は終盤近くなるとどうしてもショボくなることが多いけど、このドラマは視聴者たちのもっと続きを見たいという熱い余韻を残して終わりそうです。一年間見てきて本当に良かったです。
紀行のおまけドラマとして直虎を見てる。
直虎が迷いから抜け出したからどうなんでしょう?直政ひいては徳川に期待というわけです。誰でもできますよ、そんなこと。井伊一族でも、にゃんけい和尚がいれば足ります。だから観ていて引き込まれないのです。お前が言うなとしか思えなかったですね。徳川のドラマとすべきでしょう。もっとも武田がらみも高天神だけで省略し過ぎですがね。
私が駄作と思う理由
1、あまりにも、うまくいきすぎると思うことが多すぎる。
(例:綿栽培、材木の商売、龍雲丸の城づくり、隠し里、など)
2、主人公以外の人物が、主人公にとって都合のいい存在でしかないように感じることが多すぎる。普通、ドラマはいろんな人の人生が描かれるものだと思うが、このドラマでは、他の人たちはコマでしかないという感じがする、というべきか。
(例:農民の人たち、龍雲党の人たち、中盤の瀬名、など)
3、キャラぶれがひどい。主人公にとって、敵か味方か、でキャラが変わってしまうようにみえる。敵=悪い人、味方or敵ではない人=いい人
(例:近藤氏、家康、しの、など)
以前、自分自身が書いたもの、他の方の投稿で「ほんと、そのとおり」と思ったものをまとめました。
このドラマが始まったころは、好きだったのですけど、まさか、こんなふうになるとは。思ってもみなかったです。
これってもしかして炎上商法だったのかな?わざと穴だらけな話にして視聴者のツッコミ待ちする的な。無関心よりはツッコミ食らう方がマシとか?それとも今年は捨て年で予算抑えておいて、来年以降の大河に賭けてるのか?CDの売り上げも来年の大河に回して潤沢な予算で臨みましょう、みたいな。
高瀬はいったいどういう存在だったのだろう。
直虎の娘となったはずだが、ドラマに全然必要ないみたい。
武田の間者の話もちょろっとあったけど、すぐに発覚したしあんまり意味なかったような。
ただ直親のスケコマシをやるために出てきたの?って感じ。
演技力のある若手女優だと思って見てたのに残念。
駄作でも好きなものはあります。
佳作でも嫌いなものもあります。
今回のこれは駄作です。
大河なのに史実とされる資料を無視。
里だけ現代の異次元空間。
結果、説得力と整合性がなくなる。
また、良エピソードで直虎を素晴らしく描ききれないから、周囲の台詞で補完(よいしょ)する。整合性がないのに、低俗でキャッチな場面をつぎはぎして感動を強要するのがそれにあたります。
ですがもし、個人的な気持ちを語っていいなら。
直虎は私にとって、歴史を愚弄した大嫌いな大河です。
あくまで傍流の下品な説を本筋のように書き、清いはずのもねを俗世間の欲望で汚し、「潔さ」「潔白」「誇り」「他人(敵)への敬意」といった日本人の魂の根源を穢し、勤勉さや努力を嗤う大嫌いなドラマです。
駄作か良作かは関係ありません。私が嫌なのだと思います。
ちなみに駄作でも大好き、と思うものも世の中にはあるようで。不思議です。土曜日は実に楽しみです。。
(そろそろ最終回でちょっと残念(泣))
こんなまっすぐな主人公がまたみたいなぁ…
2017-11-28 21:36:55さんの書かれた事、私のことかと思いました。
まさに、私もそうでした。
ドラマスタート時は、おもしろいと思っていたのです。
別の感想サイトにも、いいコメントを書いていました。
でも、途中から、だんだん、嫌なところばかりが見えてきて、いいコメントにばかり票が集まるそのサイトから、撤退しました。
大河としてではなく、ドラマとしても、すでに破綻しています。
書かれた、1・2・3の理由以外に、私が嫌になった理由は、
4.、露骨で下品なこと。です。
残酷だったり、露骨であるような表現は、今までの大河にもありました。
でも、ことさらそのシーンが悪目立ちすることはありませんでした。
恐怖や悲惨さが記憶には残っても、そのシーンのために他のシーンが作られているような無理やり感はありませんでした。
きれいごとばかりを描けと言っているのではありません。
でも、大河としての品位をなくしてほしくはなかったです。
1.2.3.そして4。
これらの理由に、大いに頷かされました。
それと、2つ上の方の意見、主人公を周囲のよいしょで補完と、俗っぽくキャッチーな場面で興味をつなぐというところにも本当に同感です。
今回は中野直之と直虎の対峙するシーンにスポットが当てられてましたが、言葉の端々にやっぱり、「(魅力的な)女に振り回され苦しむ男」「それでもやはり女を守る凛々しい男」みたいなものをビシビシ漂わせていたと。
殿や家を守る忠臣という以上に、憧れのお姉さんに翻弄されながらも守ってあげる若い男という雰囲気。
ところでゆきのじは、家族はどんなでした?
妻は?跡継ぎは?
今回の直虎とゆきのじ二人きりのシーン。
「殿をお守りする」と言ってるゆきのじの背後にゆきのじの妻や子どもの顔を浮かべながら見るのと、そうでないのとでは、全く受ける雰囲気は違ってきます。
直虎は、ありとあらゆるタイプのメンズと意識的に胸キュン(死語)シーンを演出していて、わたしのイメージはやはり、「戦国オトゲー」です。
戦の無い世を作るという話は現代人寄りの受け入れやすいテーマだと思うが、なら戦国時代を舞台に描く意味が無いだろう。直虎如きは殆どその生涯を尼僧として過ごしただけだし、人斬り兵部と言われた直政が戦の無い世を目指す筈も無いだろう。家康にしても美化し過ぎ。
直之と同じように直虎に振り回されて観てきたドラマ。それにしても男性心理はいつの時代も変わらないのでしょうか。そんな視点も加わっている大河。(笑・陳謝)
今回は、とても面白かったです。でも、評価は敢えてしません。全部、終わってからにします。貶したいところも、一杯あるので。
今日は、是非とも言いたいことが二つ有ります。
一つめは、ユキノジ。素晴らしかったです。今風に言うと、「まじ、やばい」でしょうか。井戸で直虎と向き合っている場面はラブシーンとも言えますが、あの盗賊(ほんと、要らんかった)のときと違って、品が有って心情溢れていて素敵でした。
もうひとつ、菅田くんというか直政の戦姿は、桃太郎みたいで可愛いと思いました。
そうそう、上の方のおっしゃるとおり。
本人の行動や積み重ねがないので、平和だ戦のない世の中だと言っても口先ばっかりとしか見えない。
このドラマの浅くて上っ面なところは最後まで治りませんでしたね。
そういうところも、とても嫌です。
当時の浄土真宗(一向宗)は一種のカルト教団。百姓と僧侶の間で殺し合ったりしてる。一部は平和を願う者があったと思うが戦国武将も秀吉の天下統一により平和を享受する様になってからで家康なども戦嫌いどころか寧ろこの頃は好戦的。とにかくこのドラマは無名な直虎を無理矢理主役にしてしまったのが駄作と言われる原因。脚本家がまず駄目
大名たちがキリスト教を受けいれたのは、貿易のためと聞いています。当時、貿易とキリスト教の布教はセットになっていて、貿易だけしたい、というのはできなかったようです。(宣教師たちもしたたかです)
本当に信者になった人もいたようですが。
平和を望むことと、平和のための戦争をする、というのは違うかな。
平和を望むのは、純粋な気持ちだと思うし、個人レベルでもできることだと思いますが、平和のための戦争は・・・
平和のための戦争で、攻め込まれた国の人たちはどうなるでしょうか。ただやられてるわけにはいかないから、普通は「自国を守るため」に戦います。そこで行われるのは、殺人・略奪・暴行・・・それのない戦争はないでしょう。それが、私が「平和のための戦争」はない、と考える所以です。
之の字とは一体なんだったのか。
兵糧攻めは残酷ですよ。攻められる方は悲惨です。脚本家のもっともらしい平和感に騙されてはいけません。家康は難攻不落の城を攻めあぐねただけです。
主人公に魅力のない嘘っぽいこのドラマは駄作です。直虎が井伊家再興を諦めなければ、ここまで酷くならなかった。
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