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わかります。感動させるためだけに、突然伏線も時代背景もひっくり返す…。そんなことの繰り返しでしたね。今回の大河は。
ここで土曜時代劇枠のアシガールをまるで時代劇は本格歴史物よりも下に見るような物言いで取り上げる方がいるが、時代劇と歴史劇では全くジャンルの違うものであり、全く違うジャンルに属しながらもそれぞれに傑作もあるし駄作もありどちらが上などと言う事はあるはずもない事で余り読んでいて気持ちの良い物ではないですね。
他の作品を引き合いに出す事自体余り気持ちの良い事ではないですが、大河であれば少なくともコンセプトが同じ大河ドラマ同士の比較であればまだ仕方ないとは思いますがね。
養母=育ての親、ではなくても、虎松を心配する・気に掛けるくらいのシーンがあってもよかったと思います。そんなシーン、たとえ入れても、10秒もかからなかったでしょう。
たいして心配もしなかった相手だけど、必要が出てきたから、自分の都合のために使おうとする、そんなふうに見えてしまいます。
Twitterの視聴熱が上位だった!
個人的にはさめてたけど、感動の嵐だと…。毎週いろんな記事がでる。
個人的には井之脇海の記事はうれしかったけどね、
「最終回が近づいてきてもまるで盛り上がっておらず・・・」(某記事)
確かに。私の周りでは誰も見ていない。
私一人、直政編になってからなんとか見られるようになってきたんじゃ?と見続けていたのだけど、友達はもはや、あ?ああ、そんなのあったね~という反応で、誰ともリアルではこの番組の話ができない(笑)
視聴熱が高いという話があるけど、世間ではまあ熱のないことといったらない、というのが実感。まさに「冷めた目」という感じ。
視聴熱といってもいろいろあって、どの層が熱心に見ているかによって違うのだと思う。
今作は、少なくとも従来の目の肥えた大河ドラマファンが、そうでない人たちを尻目に盛り上がっている、という状況ではないですね。
むしろそういう人たちからは、ドラマの不出来さが強く批判された。そして、普通の人々からは無視された、という作品でした。
私としては、直政編でなんとか持ち直してほしいと思ったけど、今回を見る限りは、やっぱりダメなのかもと。
識者たちの評価もおおむね高いし、
あちこちのサイトでも概ね好評でしたね。
まあ、たまに例外もありますが(笑)。
視聴率のことは、あまりにも無名の人物が主人公だし、
最初からさほど期待できないと思ってました。
昨年のように、大河に不慣れな若年層を取り込もうと
意識したドラマでもないですし。
でもそれにしては、本当によく健闘したと思います。
識者の高評価というのは私は見たことがないので、どこに書いてあるのか教えてもらえるとありがたいですね。
私が読んだのは、中盤で話が間延びしているときに、その矛盾や破綻を指摘したコラムニスト(評論家?)のものでしたが、メディアで飯を食ってるコラムニストの評価は、バックに働いている力もあり、鵜呑みにはできません。
識者とは、誰をさしているのでしょうか。
演劇関係者が脚本の素晴らしさを賞賛しているというならわかりますが。
でも、それにしても、今回は脚本に大きな穴や矛盾、破綻、またスタンドプレー的な釣りがあったこと、主演の演技レベルが低くてドラマの質を下げたことは紛れもなく確かで、
そういう部分を黙殺して賞賛するような評論がもしあれば、ドラマ評論としてまったく信頼できないというのが、私の考えです。
そういうものは、少なくとも、ここで一年の間展開されてきた心ある批判とは違います。ここでの批判は、大河ドラマを深く見つめ、また愛する人たちの意義ある批判だったと言えるでしょう。
歴史に造詣の深い方も多く、勉強にもなりました。
いろんなサイトで評判がいいというのも、からくり(笑)があり、そもそも母数がどれぐらいあるのかを見ずに判断はできません。
あるサイトは、明らかに前作よりも参加数が大きくダウンしています。批判的な人が去りあるいは最初から参加せず、好きで見ている人ばかりが書き込むようになると、当然ポジティブなコメントばかりになります。
そういうことも考慮しなければ公平なジャッジはできませんね。
一般の人の注目度については、いかにメディアが賑わっているかを私は目安にしていますが、おんな城主は、中盤で間延びを繰り返している期間、ほとんど視聴率のことと高橋一生本人の話題しか内容がなく、息もたえだえという感じでした。
ああ、一般には人気がないんだな・・・としみじみ思ったものです。
でも一般には人気がなくても、コアな大河ファンに人気がある、というならわかるのですが、それもなく。
ともあれ、あと数回を残すのみ。なんとか「がっかりした」で終らないようにしてほしいものです。
どうして直虎だけが、当時の常識や価値観から自由でいられるのか、それがやはり腑に落ちません。於大の方も、瀬名も、武家の女性らしい大変厳しい選択をしたのに、直虎だけは家の再興を放棄し、武家らしい生き方を強く批判しています。
今更ですが、直虎には井伊家の竜宮小僧として初志貫徹してほしかった・・・例えば、還俗して龍雲丸と暮らしたのは、近藤氏の疑念を払拭するためだったとか・・・(忠臣蔵の大石内蔵助の振る舞いみたいに)
そうすることで、お家再興の意思を悟られず、旧家臣を近藤氏に養わせ、虎松を松下氏に養育させ、徳川家に仕えさせる・・・そのために直虎は敢えて汚名を着て布石を打っていた・・・もしそうであったら、人物像に一貫性があり、直虎の存在感が増したのでは?
一度は心折れて弱気になっても、犠牲になった人々の死を無駄にしないために、その志を継ぎ、意志を貫いてほしかったです。井伊家の再興を諦めない、当時の武家の価値観を体現しているような女性を見たかった・・・直虎が現代人の心情の代弁をする必要はなかったように思います。犠牲になった者達の群像によって、その惨さや哀しみは十分伝わってくるからです。
織田信長が信康の処罰を求めた話は『三河物語』が史料ですよね。
『三河物語』は大久保彦左衛門が書いた書物ですが、大久保一族は信康事件に関わっているのに『三河物語』ではその事実が消されていますよね。大久保彦左衛門は事件の責任を織田信長や酒井忠次に押し付け、大久保一族の責任をうやむやにしてます。
だから織田信長が信康の処罰を求めたという話は信ぴょう性がありません。
瀬名(築山殿)は名門今川氏出身。なのに土豪同然の松平(徳川)に嫁がされた。プライド高く家康や徳川家家臣を格下に見ていた。
桶狭間の戦いで今川義元が死ぬと、家康は武田氏と組んで今川氏を追い詰めた。瀬名も家康の浜松城から遠ざけられた。
瀬名は今川氏の復権をはかり、今川の血をひく我が子信康や今川氏旧臣の力で家康に対抗する勢力を築こうとした。しかし争いに敗れ家康に殺された。
ドラマのように夫家康を慕っていたわけでも、我が子信康の無実を晴らすためでもない。
菜々緒が悪女役の築山殿(瀬名)をどう演じるか、その怪演に期待していた。しかし話は美談化され大いに失望した。
信康事件、今回のはすごく説得力があったと思います。俳優さんたちの鬼気せまる熱演も印象的でした。少し史実と違ったりするとファンタジーだとか言う人もいるけど、これまでの歴史ドラマだってどこからどこまでが史実かなど誰にも分かりません。一応、定説というのがあっても次々と新資料が発見され、それが覆されたりするんですよね。それら数多の資料を駆使して想像力を羽ばたかせるのが作家の力量だと思いますが、そういう意味で今年の大河には満足だし期待以上に楽しませて頂いています。
男性視聴者は派手な合戦がないのが不満だったりするのでしょうが、
さすが女性作家だけあって
人間模様や心理のあやなどを細かく描くのがうまいですね。
気がつくと、いつのまにか画面に引き込まれています。
このたびの築山殿の母としての深い思いにも
信康の自分より国や父や残される家臣らを優先させる生き方にも
素直に心打たれました。
史実と違うから、ファンタジーと言われるのではないです。
常識的に考えて、さすがにそれはないでしょ、と思われるようなことが描かれてると、言われるのだと思います。
例えば、素人が綿栽培にあっという間に成功するとか、龍雲党があっという間に城を作れる集団になるとか。
あと、ものすごい偶然で、主人公が歴史的出来事に遭遇するとか。(今までファンタジーと言われた大河は、そんな感じです)
ドラマは嘘の積み重ねで成り立ってる、ということは、みんな分かってると思います。すべて史実・定説通りなんて無理です。嘘と分かってるけど、それでも、「さすがにそれは嘘でしょ」と感じると、ドラマがつまらなくなります。そう思わせないように話を作るのが、上手な脚本、ということだと思います。
どんな優れたドラマでも、それはないでしょと言いたくなる部分はあります。
でもドラマにそれを超えた魅力があれば、あるいはそのドラマの嗜好が自分にあっていれば、あまりそういうのは気にならない。そういうことでしょう。
ドラマが自分にあっていないときは、どんなことでもマイナス要素にとらえてしまう。
自分はこのドラマが性に合っているのか、時々気になることがあっても、それが尾を引きません。
全体が端正に整ってはいるが、特に強烈な魅力部分もないドラマ、
あちこちツッコミ所はあるが、その半面すごく魅力的な要素があって何か気になるドラマ、
「おんな城主」はどちらかというと後者かもしれませんね。視聴者を選ぶドラマなのかも。
好みの問題ではないと思います。
このドラマは、「いくらなんでも、それはありえない」と思うことが多すぎます。
「嫌われ政次の一生」と共鳴する「悪女について」
戦国ドラマあるあるの太平の世への希求を説得力をもって描いてくれました。
名前を出さず一秒も回想をはさまずとも直虎の叫びに碁石に万千代の訴えに政次が宿る様は見事。
ここまでついて来た視聴者にはそれでも伝わると視聴者を信じてくれることがありがたい。
井伊の小河がいくつもいくつも集まり万千代を通し家康に継がれ大河へとなっていく。長丁場の大河枠でしか味わえない醍醐味があり、繰り返される人間の営み、負を負で終わらせないという現代にも通じる鮮やかさのある良い大河ドラマだと思う。
大河ドラマに何を求めるか、それは視る人一人一人にとって違うと思います。
史実との整合性を求める方、ファンタジー的な感動を求める方、いろんな視方があってよいですよね。
私は「昔の日本人の考え方、生き様死に様」を視たいと思っています。
本作の最大のがっかりは、政次亡き後の直虎の生き様でした。
戦争の否定、家制度の否定、自由恋愛の謳歌、政治的影響力の行使。
戦国時代にリベラルな政治思想を持ち込んで主人公に語らせようとしたことが最大の失敗だったと思います。
直虎の言葉、生き様にまったく重みを感じません。
こんなに訴求力のない主人公は見たことがありません。
但馬の最期も瀬名の最期も、二人とも覚悟の死だったといいたいのに、そこが上手く伝えられていないと思います。
覚悟の死の周りの人たちを分かりやすく良い人に描くからです。
覚悟の死に対する周りの人たちのやむに止まれぬ感の出し方が本当に浅いです。
自分と過去の人たちは歴史背景や育った環境が違うから自分とは違う考え方がある。でもどこか自分と繋がっているものを感じたいですね。
そうした部分が欠けていると私は面白いと思えないのです。
私は、史実であることにそれほど重きをおかない体質(笑)です。
史実でもフィクションでも、両方の融合でもかまいません。
求めることは、ただ一つ、ドラマがうまくできていること。それのみです。
このドラマは、その点ではっきり不合格です。
序盤はまずまず。中盤は酷いの一言。終盤やっと持ち直したかと思ったら、直虎が現れて台無しに。
主演の演技の下手さも含めて、総合評価は下。中盤だけを見ると、史上最低の駄作でした。
直虎は思想を持っていたのでしょうか。逃げ隠れしなければ井伊の家(命)が絶えるからということだけだったように観ていたのですが。
万千代も直虎を「糞ババア」と言っていましたが、次に勝つために何処で間違えたか考えよと碁を打っていた姿を思い出しました。先に人生を経験している人のことを参考にしようとしていて、大人になっていっていると感じました。
諸説ありかもしれないが歴史ドラマはなるべく最新の史実で感動したい。
久々に来たら何でこんなに荒れてるの? 褒めたら印象操作? 感想は人それぞれ。 私は面白いと思いますよ。 菅田将暉の百面相だけちょっと?だけど。
好きなものを熱く語れば大仰、不自然、印象操作。 ここは感想の感想を言う場所ではありません。 言い争いをするつもりはありませんが、決めつけは他の方々の自由な思いを書けなくしてしまうのではありませんか。 これ以上は何も言いません。失礼いたしました。
昨日、ねこねこ日本史が井伊直政だった。脳内変換・補完は必要だが、面白かった。素材の調理が上手いというか。
大河ドラマは……。
確かに、今作では、脚本のこういうところ、演技の、演出の、制作技術のこういうところが優れている、賞賛するに値する、というコメントは、ここに限らず、どこでもあまり見たことがありませんね。
それを主体にしたものはレビューといい、自分の好悪感情や選好感覚を主体にしたものは感想といいますが、この二つはもともと土俵が違うので、一緒にはできません。
このドラマは、もちろん「好き」という感覚を持つ人が一定数あったことは確かです。ある俳優に対して熱い感情を抱く人がいたことも報道からわかっています。
でも、それとドラマの「出来」とはまったく別問題。出来は決していいものではなかった、どころか人気受けを狙うあまり、出来を多く犠牲にしていたところがあったのは否定できない事実。
多くの批判は、そこを突いたレビューでした。うなづけるものがほとんどでしたね。私も今作は、批判的立場からレビューしています。
中にはうまく作ってあると思える部分もあったのですが、それが全体に敷衍されなかったのが残念至極でした。
多くの悲劇と苦難にあい乗り越えようと変わっていく主人公のドラマはよくある話ですが、観ていて共感し感動することが多いです。そのような今作の背景があるのに、直虎は責任から逃げ、成長もせず、えせ厭世的な態度をとる自分を反省もせず、正当化し、共感は全くできませんでした。彼女以外は直政編で必死に生きている様が感じられ、今回の話も感じるものはありましたが、直虎がでると急に冷めます。最後は養育どころか今まで酷い態度をとってきた直政を使って平和な世を作るとは、絶句でした。直政との関係で忘れられないのが、井伊家を幼子に諦めさせる苦渋に満ちた話を直虎が普通の表情で幼い直政に労りなく残酷な言葉ばかり発し、泣いている直政の説得も和尚に丸投げし盗賊のもとにいそいそ帰り全開の笑顔を見せた女の欲丸出しの下劣な直虎と秘めた決意を胸に松下にいく幼い直政の対比です。井伊家を諦めさせる為にわざと厳しい言葉を発する演出でしょうが、直虎の身内に異常に厳しく、気に入った男へのだらしのない態度が印象に残りました。その後も盗賊と女の人生を満喫、元気になって一番難しい安全は近藤が担い責任もないからまた領主ごっこを満喫、殿と呼ばれて満更でなく、その生活を壊されたくないため、直政を罵倒する。自分で言っていたできることしかしないつまらない奴まっしぐら。急に目覚めたと思ったら、やっぱり厳しいことは他人を使ってやるという無意味な決意表明。
成長なき史実無視の直虎の1年ももうすぐ終わります。本当にほっとします。
ねこねこ日本史、面白かったですねー。
この番組では、小野政次は通説通りの奸臣(名前も違う)とされてて、直虎はその名前から来るイメージ通りに「虎」(猫ではないw)で、猛々しい女性として描かれていますね。
実母を差し置き、直政に「一番になれ!」と叱咤激励する猛烈な養母として。
大河ドラマの方も上記のように、下手にひねらずに作っていればよかったのでは…。
獅子身中の虫に乗っ取られたとなれば、直虎が井伊家を潰したことも視聴者に理解・同情されただろうし…。
政次とて、結果的には息子二人を道連れにしてしまったことで、彼も命がけだったのだと分かるし。
とにもかくにも、直虎を「普通の女性」「非力な女性」と設定するには、柴咲コウのルックスが全然合ってなくて、普通に「虎」っぽい(雌豹というか)キャラ設定した方がよかったのに。
普段は男装の麗人で、井伊谷を出るときだけ、表向きはしれっと尼さん姿になるとかね。
今回は星一つ。今までの流れが続き、直虎さえ出てこなければ星3ぐらいに昇格したかもしれないのに残念。
無理やりな絡みで直虎が尺を食わなければ、家康のしたことは支離滅裂(やはりこれは説が複数あるとしても史実に勝るものなし)ながら、家康、信康、築山殿の三者、そして直政をはじめとする徳川勢のそれぞれの思いが十分に描かれたのに。
直虎は後で、畑の隅っこで築山殿の最期を聞き、ますます戦国の世に厭世的になればいい。
城主ともなればそうもいかないが、今は一農民。戦いにむやみに駆り出される農民は、そういう時代を恨んでいる者も多かったろうし、そんな中に身を置けば、直虎が平和主義思想にかぶれようが問題はない。
問題は、徹底しない中途半端な人格と考えで武家の真ん中に現れては、したり顔で持論を吐くこと。
こういう言葉はあまり使いたくないが、「うざい」。
かつて勝つまで蹴鞠に挑み続けて、勝つまでやれば負けではないと虎松に説いた人間が、井伊家再興をあっさり諦めるなどと誰が予想したでしょう。ましてや、「諦めなければ負けではない」を実践しようとする万千代を応援するならまだしも、否定するような「糞ババア」になろうとは。諦めを知ることも成長であると言うなら、ここまで残念な成長を遂げた大河の主人公もいないと思います。初志貫徹もできないような主人公に描かれてしまったことは同じ女性として大変心外ですし、共感できる部分もありません。
お茶の間でやってくれ
ねこねこ日本史、確かに面白かったですねー。
歴史の見せ方だけじゃなく、構成やユーモアの勘どころもとてもうまくて、決して子ども向けのアニメじゃないですね。
NHKはこのほかにも、「歴史秘話ヒストリア」をはじめとする歴史番組で井伊直虎、井伊直政を取り上げていますが、大河が勝手に史実とまったく違う妄想話を流していることがわかり、見るたびに唖然とします。ここまで乖離がひどい大河はなかったんじゃないかな。(NHKの歴史班もどういうつもりなのか、あれはドラマ班の勝手ですと言わんばかりでまったくサポートする気なし(笑)。いや、サポートしようにもあれほど暴走したら、そりゃ無理か)
私は、大体ドラマは原作や史実をきちんとなぞっているかどうかについてあまりこだわらない方ですが、ドラマが原作や史実より面白くないことがわかったら、怒ります(笑)
今回は、圧倒的に史実の勝ち。今さらですが、ドラマは史実の大改悪でしたね。
ただ話の筋だけでなく歴史の知識、歴史認識もめちゃくちゃだし、いやいやいやいや違うだろーと叫んだこと幾たびかでした。
酷い大河でした。ここまで主人公に共感できないドラマもありませんね。自分が矢面に立たない、己れの責任を果たしていない直虎が何を大層に言っても白けるんですよ。
ここにきてやっと大河らしくなってきた。
ちょっと生意気な虎松がだんだん頼もしく見えてきて、やっぱ菅田くんうまいな。家康が碁盤をバッと崩されて瀬名を思い出すことが分かる人はずっと見てる人だけだろうけど・・阿部サダヲもうまいなと思いました。あとちょっとがんばれー
「死んでいく奴はみな、同じことをいう! 残された者の思いが分かるか。助けられなかった者の無念が分かるか?」
「そこまで言うなら徳川殿の好きになさるがよい。そのかわり、余も好きにするがのう」
「悪いのはわしじゃ。わしは瀬名に信じてもらえなかった。もっと頼りがいある夫なら、大人しく岡崎に座っていてくれただろうに」
「井伊の先代もよく一人で碁を打っておりました。しかしあれは一人に見えても一人ではない、相手がおるのだと教えられました」さらに、
「負けた時は、どこでどう負けたのか遡って考えよと教えられました。そして負け戦は、次に勝つためにあるのだと…」
一つ一つの台詞がただ空疎に響くのではなく、それぞれのシーンにしっかりとはまり、ずっしりとした重みを持つ。
それはこの一年間、ドラマで積み重ねられてきたものの重みだと思います。
ずっと見てきて良かった!
私も家康が碁盤を崩されて「せ…」と口走るシーン、感動しました。
いつも直情型で激しい気性だった瀬名、
だからこそ我が子を思うあまりに、選んだ道を突っ走らずにいられなかった。
「悪女について」という題名もいかにも皮肉で(良い意味で)、考えさせられました。
それにしても阿部さんの家康は本当にぴったりでした。
信康と瀬名の死を契機に、直虎も直政も、それぞれ自らに与えられた使命に覚醒する。
「瀬名は母として妻としてその命を使い切った。では妻でも母でもないそなたは、何にその命を賭けるのじゃ」例の碁石を突きつけて問う和尚に、「虎松を使い、徳川殿に戦のない世を目指して頂くよう持っていく」と途方もない夢をぽつりともらす直虎。
さらに「かようなことはいつまで繰り返されるのか、父上も但馬も同じように首を望まれ、それを差し出すことを止められず…」と戦国の世の無情を嘆く万千代に、「死んだ者は決して戻ってはこない。生き残った者に出来るのは、その志を身に宿すことだけ」と諭す直虎。そして信康のことをおのれよりお家の行く末を考え、皆の信頼厚い方だったと回想する万千代に、「ではそなたがその代わり身となれ、徳川殿にすれば息子の如くお家の行く末を考えてくれる息子が出来るのは有り難いはず」と教える。
かくてこのときから万千代は家康の天下取りに身を捧げ、徳川四天王への道を一気に突き進むのだ…。
信康の死を、彼の覚醒の契機として持ってきたのは炯眼である。
ねこねこ日本史、イオンの映像画面で、宣伝してたよ・・・
普通のドラマだったら「ちょっと面白くなった」で終わるけど
これ、大河だからそれじゃ困るんだよね。
そもそもの題材選びも、材料少なすぎる主人公使って「○○をモチーフに・・・」程度に話を作ってんのか、と思えるほど薄いんじゃ今や地に落ちた朝ドラと一緒でしょ。
日本史史上実在した人物に出来るだけ寄り添って、
もちろんどれが真実かははっきり言えないだろうけど、
せめて「この説が有力だよね」くらいで話を進めて欲しい。
架空の人物なんて以ての外だと思う。
腐っても大河だと言われるよう製作して欲しい。
全部フィクションで気持史実なんて話はやらないで欲しい。
主人公が直虎なのに直政の場面のほうが多い。主人公をきっちり描いてほしい。
主人公が中心にいた時より
パート2みたいになった今の、息子と家康が中心の話の方が
ずっと面白いし見応えあります。
今は毎週楽しみに見てます。
家康の息子が可哀想すぎる…!!!
主人公の登場回数は今くらいでちょうどいいなあ。
直虎っていま何して生きてるの?百姓?尼僧?それとも領主?どっちつかずでどれもすごく中途半端に見えて気持ちが悪い。
続けて観ているとそれなりに面白く、それでも時々ひっかかる所があって史実を調べてみると、どうもそちらのほうが自然というか。
このドラマはおかしな所が多いのですよ、
現実もおかしな事がまかり通っているから、それに慣れてる人は気にならないのかもしれない。
時事ニュースを分析するくせをつけていると、批判されてるかたの意見もわかるようになるかも。
私も同じです。あのふらふらした性格・人物像と同じいい加減な位置づけが、ホントに気持ち悪い。
家督はお前に譲らない!などと直政に偉そうに吠えていたが、農婦が武家の当主などあり得ないでしょ。
史実では、徳川に仕えた時点で直政が当主になっているし、ドラマ上でも、直虎はとっくに敗走して野に下り、その後を埋める形で直政が松下から井伊姓に戻っているのだから、彼が当然当主で家督も継いでいるはず。
一体いつまで直虎、じゃない、ただの地下人であるおとわに偉そうに周りの雲上人たちに説教させたり講釈垂れさせたりしているのか。
脚本、もうめちゃくちゃですね。
実際の直虎は僧籍に戻り井伊の人々を弔いながら念仏三昧の日々を送ったそうだが、ドラマの直虎はそんな誠実な気持ちすらもない。あろうことか、死んでいった人々をなじり、彼らの死に報いるどころかその生き方を否定して踏みにじる。
身分も分もわきまえず、心弱く逃げ出し、虎松はじめ残った者たちに大きな重荷を負わせた自分を恥じることも反省することもない。そしてのんびりと農婦生活を満喫。あの盗賊とよりを戻す予感すらする。
人間の在り方として、とても疑問だし腹立たしい。こんな人物が大河の主人公なんて、信じられない気持ち。
ババア→意地悪ババア→鬼ババアと着実に進化を重ね、最終進化形は如何に。初心に戻って戦国ババアとか。
「我が、井伊直虎である!!」と勇ましく名乗り、但馬守を威圧するように上から睨みつけた時は、まさに虎! ハマリ役! とゾクゾクしたんですけどね。懐かしいわあ。
主人公さえいなければと悔やまれるドラマ
俳優が豪華になるにつれて興味深くしっとりと見られる大河ドラマになったと感じてます。阿部サダヲさん、いいよね。
ドラマ自体もさることながら、あちこちのSNSに出入りして、色々な方々の感想を読むのがとても楽しい。
ここは厳しい評者が多いが、ドラマ自体をある程度ちゃんと見ないと批判コメントも書けないし、自分の視座や軸がちゃんとないと説得力あるものにならない。
その意味では皆さん真剣に見てるのだなあと思ってしまう。共感できる批判ポイントも多い(でも総合ではやはり「素晴らしい大河」になってしまいますが私の場合(笑)。
あと、2話…今年も
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