5 | 1374件 | ||
4 | 264件 | ||
3 | 163件 | ||
2 | 114件 | ||
1 | 781件 | ||
合計 | 2696件 |
メイン三人、あさ・新次郎・はつの絡みが沢山あったときの方が面白かった
原作をエンタメ仕立てに脚色し過ぎ。視聴者意識し過ぎ。
あまりに作り話っぽくなっていたので、
ヒロインにも脇役にも感情移入できなかった。
自分にとっては「つばさ」以来、久しぶりの脱落朝ドラだった。
今の朝ドラが継続視聴出来てないのはなぜだろう?と
特に気になるエピソードもないし、、日常が淡々と描かれて
見ても見なくてもしっかり者の彼女は大丈夫だからと思えてしまう。
あさは破天荒で、男性の荒くれ者にも戦いを挑むキャラで
それでいて子どものような純真さから目が離せなかった。
確かに少女漫画みたいなイケメンも出て来てたw
単純明快でスカッとしてやがて感動して言うのは朝ドラの基本かな
何よりも進次郎のキャラには女性として救われたように思う。
『カーネーション』や『ごちそうさん』に次ぐチャレンジドラマ
自分の中では名作の一つです。
冒頭シーンの女学校 あのねっで始まる演説で、おなごのやらかい心を強調してたけども
見てると、あさからはビックリポンが口癖のブリッコ女性で残念でした。
ちよが洋装の絵を見て金魚みたいでヘンと言ってたにもかかわらず、自分がきて見せる、
思いやりにかける女性でした。
まわりが持ち上げれば白々しく感じました。
本当に素敵なドラマでした。
朝ドラの時間が待ち通しかった、この頃が懐かしいです。
波瑠さん、聡明な女優さんですね。
ディーンフジオカさんの五代は魅力的で、人気が出たのが分かる。
爽やかな青年を醸し出し、ディーンさんが出るから観てると聞いて納得でした。
だから、回想で度々でてましたね。
モデルの方はそうだったかもですが艱難辛苦、九転び十起き、おなごの柔らかい心とか、ドラマのあさに感じたことなんて無いです。艱難辛苦の言葉は、はつにはピッタリだったけど。ヒロインにはもう少しそれらしく見せて欲しかったですね。
「ごめんなさい」と言えないヒロインは嫌いだ、でも口では「すんまへん」「堪忍」と言いながら
心の奥底ではまったく反省していないヒロインはもっと嫌いだ
放送を見ていたときは主役夫婦役の美しさから、仲睦まじい夫婦・惚れ合ってる夫婦と理解していたけど
よくよく思い起こせば、あさの新次郎への愛は感じられないです
特に千代ができて大旦那さんが亡くなってから愛どころか「柔らかい心」のかけらも感じ取れない
時々ヤキモチを焼いてるようだけど、それも新次郎が好きだから焼くのでなく「本妻の自分の知らない所で」とあさのプライドの問題
大旦那さんが亡くなったあと、あさがうめに話す「お家のためでなく商売が好き、このいばらの道を行く」のセリフ
この「いばら」って商人の道を進むのに旦那様と千代が邪魔ってことですか
のちに千代が言うあさの人物像は正論だ
だいたい千代の学校の先生から「進路」の言葉を聞いたら娘の進路のことなんか忘れて 自分と商売の進路に夢を馳せてる
千代に頼まれてのぶちゃんのお母さんを説得しに寄宿舎に行くのも仕事のついで
千代の縁談を大隈様に頼みに行くのも女子大学校の寄付集めのついで
千代のことを1番に考えてあげることはない
千代の良い所を知ろうともせず反抗的な態度をとるのは、あさ自信の思いやりの欠如だと気付きもしない
あさは千代が生まれたてころ、ずっと面倒を見てて「宝物のような時間」と言うけどそれはあさにとっての宝物で、赤ん坊の千代は覚えてる訳はない、どこまでも自分中心の女
五代との別れでは「道を照らしてくれたのはあなたです」とか大泣きしてるのに
病気の実父が「自慢の娘」と言ってくれて、しかも広大な土地も寄付してくれると言うのに涙ひとつ流さない
あさって、何が大切かわかってない
刺されても人間簡単に性格変われない、「柔らかい心」にはいつなるんだ
登場人物みんなが、とても魅力的です。
毎回、感動して、笑って、泣いて。
素晴らしいドラマです。
録画を見て、楽しんでいます。
何度見ても、いいものは、いいですね。
ホントホント!そうなんですよね〜!
政治家と一緒!
すんまへん、旦那様
って口先謝罪パフォーマンス!!!
しおらしさアピールがこれ見よがし過ぎでした。
あさは土下座とか軽々しくしちゃうタイプの最たるもの。
ギャラクシー賞と並んで、権威ある賞といわれてる放送文化基金賞が発表されましたが、
上っ面だけのお花畑ドラマ「あさが来た」はかすりもしませんでした。
ちなみにカーネーションやあまちゃんは以前この賞の優秀賞を受賞していますが。
素人は騙せても、権威ある賞のプロの審査員は騙せなかったようだ。
本当に見てる側に擦り寄り、ご機嫌を取ろうと必死になっていたドラマでした。
橋田賞以外は、視聴者の投票などが影響するドラマアカデミー賞でしか評価されなかった事実が、それを物語っています。
視聴者のご機嫌取りでストーリーが変わる、そんな悪しき先例を残したドラマでした。
世間ではワイドショーでも芸能人の不倫話でにぎわっています
テレビドラマの制作者達も不倫話が好きなのでしょうか
視聴者もヒロインの不倫話を入れれば喜んで盛り上がると思っているのでしょうか
私は逆にこんな時代だからこそ、せめてドラマの中だけでも心から信頼できる関係に安心してひたりたかったと思っています
東京物語以前のあさは横恋慕されていてもポカンとしていてあっけらかんだったので純粋に楽しめました
でも東京見物以降は思わせぶりな表情ばかりが多くなりあさの本心が私には読めなくなりました
視聴者の想像におまかせします、というふうに見せているようで私としてはどうしてもイライラが残るドラマになってしまいました
でもそのどちらともとれるような不倫を匂わせる描写で視聴率を取り視聴者をやきもきさせる事がこのドラマの売りみたいになってしまったのだとしたらそれは残念な事だったと思います
あさと五代が恋愛感情抜きでもっと純粋に師弟関係でも友情でも良いから人間としての絆がしっかりと描かれていたら私はもっともっとこのドラマが大好きになっていたと思います
なんだかんだ言っても、朝ドラ史上に残る名作ですね。
波瑠さんは、着物もドレスも似合って、美しかったです。
幼稚なびっくりぽん連呼にがっかりぽん。
波瑠さんは綺麗だし、モデル出身だけあって着物も洋装も似合ったけど
表情演技が乏しい上、幼稚でおかしなキャラ付けされて
全く魅力ありませんでした。
仕事面も他人の受け売りを叫んでるだけだし。
私はこのドラマ見るまで波瑠さん素敵だと思ってたけど
今は民放ドラマでもバラエティーでも全く見る気しません。
ほんと、がっかりぽん!
五代との架空の不倫話は面白おかしく描くけど、新次郎のお妾さんの史実は避ける。一体どんな感覚なのかしら?
広岡浅子さんが夫に妾を持たせる苦悩を見せることが彼女の生きざま、そして当時の時代というものを表現できた筈なのに。
おちゃらけたあさと五代との恋のアバンチュールと、学芸会みたいな亀助とふゆの恋物語にすり替えられてしまい本当に情け無いドラマだった。
あたしの女としての見解は、ドラマの進行の中で新次郎は女性視聴者から絶大な人気を勝ち得た、だから彼のイメージを悪くするお妾さんを囲うようなエピソードは避けたのでしょう。
五代も同じ、彼も結婚もせず、ひたすらあさ一筋の男に描かれた。
こんな二人の美男子にかしずかれるあさ、女としてこれほど羨望される人生は無いわ。
でもこれがドラマのテーマなら、広岡浅子を持ち出した事は、彼女に対する冒涜以外の何物で無いと思う。なぜなら彼女はドラマのあさとは間逆の人生を選んだのだから。
たくさん朝ドラ見て来ましたが、あさが来たがピカイチです。
あさが来たには、魅力的な登場人物が、たくさんいますね。このドラマを見て、波瑠さんのファンになりました。他の若手女優さんとは、少しちがう雰囲気を持っていますね。これからもっと、活躍される事でしょう。応援しています。
堪忍な、と口では言いながら、夫ばかりか泣いて追いすがる幼い娘を置き去りにし
嬉々として東京見物に向かったあさに「偽善」を感じます。
東京には実の両親が住んでいるのにまるで実家へ行く気はなく
嬉しそうに独身男性の五代を訪ねて、うめのいない間に不倫すれすれまでいく。
挙句に朝まで二人で酒を飲み明かし、大阪に帰ってからは
心配する新次郎に逆切れしてすっとぼける。
これがあさ、そして「あさが来た」の全てを象徴してると思います。
ぶりっこお口つまみの反省も「堪忍な」もすべて口だけ。
一見、謙虚に見せて実際はなんでも自分の思い通りにしている。
こんなヒロイン全然信用できないです。
うわべの綺麗事だけで彩られたただの漫画ドラマでした。
あさ来たよりごちそうさんとかカーネーションのほうがまだマシ。
実際の広岡浅子は男勝りの豪快な性格で、よく転べば、女性実業家の先駆者。反面、勝ち気が災いして、もめ事も多く、人の好き嫌いも激しかったそう。あさとはイメージが違いすぎる。物語を面白くするために都合よくあまりに魅力的な人間に変え過ぎなんだよな。
あさに全くリアリティを感じず、最後まで感情移入できなかった。
改めて高視聴率≠いい作品を認識したドラマになった。
この頃は、毎日素敵な朝を迎えられました。素晴らしい脚本、演出、役者。3拍子揃っていましたね。こんなに上質なドラマは、そうそう、できるものではないでしょうけど、せめて、不快にならないものを…。それが願いですが、今は残金な日々です。
「てるてる家族」を見ていると、大人の大阪局のドラマだなーとつくづく感じる。
亭主の浮気をまともに取り上げても、ほのぼのした家族のドラマとして成立させている。
本当はお妾さんがいて、お妾さんに子供もいた夫婦をモデルにしながら、少女漫画のようなキラキラした話にまとめあげたこのドラマの底浅さとは比べ物にならない。
楽しい朝ドラでした。
気持ちよく朝がスタート出来ました。
あさが来たというのは、口当たりが良いだけのお子様ランチみたいなドラマだった。
濃密な人物描写に必要な対立や困難はほとんど描かれず、たとえ描かれても、引っ張らないし、深刻化もしない。お飾り程度。視聴者が不快に思うシーンは徹底的に排除したドラマ。時代背景も希薄。漫画的キャラ同士の楽しいやり取りを売りに視聴者に極限まで媚びた朝ドラ。
ライターでドラマ評論家の成馬零一氏はあさ来たの成功を「鬱展開」の徹底的排除と「物語ではなくキャラクター同士の楽しいやりとり」に求めてた。
「対立を避けて、不快な要素を排除していった結果、物語が後退し、最終的にあさの家族を中心としたキャラクター同士の楽しいやり取りだけが残った。その姿は『けいおん!』のような空気系と呼ばれる萌えアニメのようだ」と成馬は語る。
時代背景や物語の展開にあまり関係なく、漫画的キャラの単なる楽しいやり取りや「鬱展開」を徹底気に排除した物語を今は名作というのかな。現代人は疲れてるね。
心に残る、名シーン、名セリフ、たくさんありました。
あさを支える人、反発する人…登場人物の描写も、丁寧に描かれていて、味のあるドラマです。
あさの、成長していくようすを見るのが、楽しみでした。
私もこのドラマのお陰で大嫌いだったマッサンがちょっと好きになったくらい。
こんなに視聴者に媚びただけの朝ドラ、もう二度と作って欲しくないです。
ヒロインの棒演技にもほんとガッカリでした。宮崎さんはさすがの演技力で彼女がいなかったらこのドラマ本当に見所一つ無い、ただのファンタジーで終わっていたでしょう。
他の朝ドラを見てると、このドラマの良さを、再認識します。毎回、15分が、あっという間でした。
あさが来たが終わってしまって、寂しいです。
あさ来たは見ている間は、主題歌も好きでしたし、たまにあれ変だなあと違和感を感じる日は時々ありましたが概ね毎日楽しく見ていました。
ただ、終わって2ヶ月少しすると何も残っていないのにちょっと愕然としています。見返したいシーンも無ければ、懐かしいシーンも無い。ここまで後に残らないドラマも珍しいのでは無いかと思います。
史実の広岡浅子は炭鉱夫を拳銃で脅して働かせたり、史実の五代からも炭鉱夫たちからとても嫌われていて、五代自身の広岡への評価はとんでもない女だと呆れられていたらしいよ。そう書かれたものがちゃんと残っているらしいですね
ドラマで描かれた白岡あさってありゃいったいなんだったのかと思うよ。史実の人とは別人に描かれているんだもの。少しくらいは広岡を思わせる演出がほしかったよ。人物像が完全に嘘でつくられていて、それが見ている側からしたら良くないといった評価がでているのだから、大阪制作は反省してほしいです。ドラマがおわってからファンの書き込みがほとんどないのが良い証拠ですよ。
視聴率だけがよく内容が酷かった朝ドラでした。惣兵衛のせっかん発言も良くなかったね。ただ視聴者を煽っていただけだ。
楽しい半年間でした。
明るく軽妙な描写が私の感性には合っていたように感じます。
面白かった事や疑問に感じた事など、書きたいことは色々あるのですが、
批判が落ち着いた頃に、じっくりと投稿させて頂きたいと思い、
たま~にこちらを拝見するのですが、もう少し遠慮しておこうと思っています。
本当に楽しい半年間を、ありがとうございました。
いえ、今でも録画したものを、見ています。
何度見ても笑ったり、泣いたり、感動できる朝ドラです。
一言で、あざといドラマでした、これからも、これを抜くドラマは無いでしょう、
それを願います。
この朝ドラは年齢設定がいい加減。うめの年齢設定が狂っていて辻褄の合わない話が多く、見た目が新次郎よりも老けている亀助が新次郎より歳下だったりとおかしいことだらけだった。
誰かが年齢の件を放送局側に直に聞いたら、うめは年齢不詳ですの回答には苦笑でしたよ。これほど年齢の整合性のおかしい朝ドラはないね。
時代物では特に重要なドラマの時系列や季節感、登場人物の年齢変化のおかしさなど
作劇の基本中の基本ができていない残念なドラマでした。
途中で年号テロップが消えたドラマなんて他にあったかしら。
話題作りと人気取りのために、山本耕史さんの土方歳三を無理やり登場させたあたりから、このドラマ一気におかしくなった気がします。
おまけに盗み見・立ち聞きの多用や、他登場人物による「さすがあささん。若奥様のおかげ」の連呼、ヒロインの仕事パートの多くをナレや他人の台詞で説明させてしまうなど、面倒な描写は無視、の安易な作りも目立ちます。
そうしたドラマ作りの基本を無視して、目指すは視聴率。
とにかく新次郎の妾と子供など、視聴者に嫌われそうな内容は一切排除して、少女漫画じみたヒロインの綺麗事だけに終始する。
広岡浅子女史をモデルにしたヒロインはおろか実名の五代友厚さえも、リアリティ無視のファンタジーキャラにして、主婦の心をときめかす恋愛仕立てにする。
視聴率さえ取れれば、うわべだけで内容の薄っぺらなこんなドラマを天下のNHKが作るとは驚きでした。
もっと地味でもリアリティのある作品にしてほしかったです。
五代も成澤先生も藍の助もよくわからない人物像でした。
人気があれば出番を多くし、人気が無いとセリフも極端に減ったり。
お涙頂戴で盛り上がればそればかり。なのでこのドラマがどうしても好きになれませんでした。
あさが来たは女性蔑視とかほとんどなかったね。炭鉱の親分が少し言っただけだった。結局これはヒロインに都合のよい話しかなかったよ。女性であることの苦労を書いてほしかったよ。ドラマのなかで男性と対立して激しい口論でもしてほしかった。
これは都合の悪いことを避けた脚本家が、視聴者の脳内を花畑にすることしか考えていなかったんだろう。
あいにく私の脳内はお花畑の中を両手を広げ空をとび「アハハハ、気持ちいいでしゅね」というようにはなりませんでした。
もう少し、当時の男と女の不平等さを描いてほしかった。そういうのがないから話が薄っぺらいものになったんだと思った。
あさは子供の頃、本を読もうとしただけで「女子は本を読んではいけない」と叱られていました。そろばんも禁止されました。こっそり寺子屋に行ったときは「どこまで家に恥をかかせるつもりなのか」と父からおいどを叩かれていました。学問や相撲に興味があるというだけで、両親が将来を危惧されている場面もありました。当時としては当たり前の親の躾とはいえ、当時の躾自体が「女性蔑視」の考え方に基づいたものでした。
そもそも、木登りして落ちただけで悪評が立つような考え方も「女性蔑視」からきているものですよね。そのために「許婚交換」という運命が姉妹に降りかかることになる。つまりこのドラマのテーマ一つである「許婚交換」という運命自体がも女性蔑視からきているものだと私は思います。そういえば、女子大を作ろうとしたときも「女子に女子大などとんでもない」という世論があったようでしたよね。
「なんでだす?なんで女子が学んではあかんのだす?」と疑問を投げかけることはあっても、表立って戦うことはしなかったんですよね。あさが不平等ともっと戦う場面が欲しかったという感想は理解できますし、私ももう少しそういう場面があっても良かったように思います。でも、当時の女性蔑視については所々で丁寧に描写されていたと思いますよ。
すごかったです、偉人達の名前がたくさん出ました。あさと関わりがあったとナレーション。
京都、大阪、九州、東京を行ったり来たり、ナレーション。
年数もワープで視聴者を煙に巻く手法。
すごかった
2016-06-13 16:06:52です。訂正させて頂きます。
↓
(誤)両親が将来を危惧されている場面もありました。
(正)あさが両親から将来を危惧されている場面もありました。
もし史実に忠実にという事で
あさがもっと自己中心的でアクの強い強烈なおばさんで
新次郎には妾が居てその妾との間に4人も子どもがいたら
それはもう、あさと新次郎夫婦と加野屋の「あさが来た」というドラマとは別のドラマになってしまいすよね
そのドラマが見ごたえがある傑作名作かつまらない凡作かは分りません
でも今回の朝ドラ「あさが来た」とは完全に別の作品になっていると思います
私は今回の朝ドラに関しては新次郎には妾は居て欲しくありません
この点に関しては今回の設定で良かったと思っています
↑
だから広岡浅子の名前を出したのが間違いだったと言ってるんです。
2016-06-13 16:46:05 です
>だから広岡浅子の名前を出したのが間違いだったと言ってるんです
この御意見には同意です
私も広岡浅子さんの名前を利用しすぎだなとは感じました
都合の良い所だけつまみ食いという御意見にも同意です
でも正直広岡浅子さんのノンフィクションのドラマには興味が湧きません
基本は「あさが来た」のドラマで良かったと思っています
何も名前を出さないとパクリと言われるし、なかなか難しいですね
済みません
もう一つ書き忘れました
モデルを置くならモデルとされる方へ敬意を払うべきとは思っています
フィクションのドラマで多少の改変は有りと思っていますが
モデルの方を貶めるような事はあってはならないと思っています
>正直広岡浅子さんのノンフィクションのドラマには興味が湧きません
このご意見、実は私も同じ気持ちだと気づきました。
批判する感想にも尤もな理由があるとは思いつつ、何かモヤモヤしてしまい、
なぜだか納得いかなかった理由がハッキリ分かった気がします。
勿論、これは個人的な感じ方であり、そうでない方を否定するわけではありませんし、
私はこのドラマを絶賛も否定もしたことはありません。
内容自体は普通よりちょっと面白いドラマだと思ってました。
ものすごくハマる濃厚さはないけれど、毎日食べても飽きないアッサリ感が好きでした。
すごくハマるというのではないけれど、あさが来たを見ている朝の爽やかな時間は、
私にとって大切なひと時だったと思います。
そういう意味で思い出に残るドラマです。
素敵な時間をありがとうございました。
私もモデルの方に敬意を払うことは大切だと思います。
でも、どんなに史実に忠実に描こうとしても、実在の人物通りのキャラにはなり得ないとも思うのです。広岡浅子さんをなるべく史実に忠実に描いたとして、私は原案小説は読んではいませんので、例えば雑誌など他の媒体を読んで感じた「女傑」のイメージで描かれたとしても、一部の人からは「モデルを貶めている」という批判はあったではないでしょうか。幾らなんでもそこまでやるのか、そんな人であった筈がない、朝から怖すぎる・・・とかね。
新聞等の記事を読んだだけであさの事を知ったぶって話す宜ちゃんに、千代ちゃんが「そんな人じゃない」とキレる場面がありましたけど、実際そんなもんなのではないでしょうかね。
事実をその通りに伝えることは本当に難しいことだと思います。
敬意を払う事は大切ですが、創造性も大切。その兼ね合いは見る人によって違う。
ですが、批判を恐れていたら何も描くことは出来ないでしょう。
実在した人物を描くということはそういう事なんだと思います。
料理中自然と、365日の紙飛行機を口ずさんでいました。そしたら、あさが来たの、いろいろなシーンがよみがえってきました。いいものは、いつまでも色あせる事がありません。素敵なあさを、ありがとうございました。
私も広岡浅子をモデルにしたから、引っかかる、
大々的に宣伝してたし、興味あって見始めるでしょ。それが、無かったらまだ普通に見れたかもしれない、でも新次郎とあさ夫婦愛って、純粋で無いので好きじゃない、寝間着でベタベタしてるのが生々しくて朝ドラらしく無かった、
何の想い出にも残らない残念なドラマ。
表情に乏しいヒロインの演技力も残念すぎました。
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