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カラオケのイメージビデオとかね。でも半年は長いな~
やっぱり土屋さんのまれ苦手だわ。半年は長かった。
私は、戸田恵子のナレーションがどうにも我慢ならず、最初の頃リタイアしました。何故視聴率が高かったのか今だに不思議です
声がね疲れるのきいてて。本当に。鈴木先生は気にならなかったのに。 まれも嫌だけど。
何故こんなに苦手になったんだろうか。
みのりは子だくさんのお母さんになりたかったという設定でしたが、叶いませんでしたね。
その代わり、「たくさんの、子供っぽい大人の面倒を見る」という、笑えない結末。
やっぱり下町…言いたくないが見ない影響あるよ。声だけで疲れたから。連続はきついですね。はぁやれやれ。
設定がおかしいとか、役柄が嫌いとかいうドラマは、今までにいくつもあっただろうけど、「まれ」ほどダントツに嫌悪感を抱くドラマは、今までになかったな。そういう意味ではスゴい作品である。
「まれ後遺症」はあっても、
「まれロス」など決してない。あるわけがない。
長い_長すぎた_半年間。喪失感が半端ない_それは時間を無駄にしてしまったという意味で。ニュースから朝イチへの流れで付けっ放し視聴。いちいち消していたが限界があったのだ。ながら見でさえ「え?」「はぁっ!」「有り得んっ!」って。こんなの家族愛でもなんでもない。伝統工芸の職人に対する敬意もなにもない。プロフェッショナルに対するリスペクトも全くない。ただ自己愛を、まるで周囲に認めてもらって、そのうえ助けてもらったように、まれの立場で都合良〜く描いた妄想ドラマでしかない。現実にアレをやったら大ヒンシュクである。社会では通用しないだろう。紺谷課長や陶子さんが正常な反応。そこだけ切り取ればなかなか良い場面もあったけれど、前後の脈絡がなさすぎて大変残念ながら全体を通しての物語としては成立しない、または前後が酷過ぎて良い場面が帳消しになる。結局、脚本家の方は自分の家族について未だに消化し切れていないのかな…?作品として昇華させるにはもう少し時間が必要だったのかな…?しかしながらプライベートな問題を分かち合うには、多くの人が避けようのない時間帯で、膨大な時間と受信料を費やした余りにも壮大なエスキース(下書・試作)、しかも駄作!を垂れ流し、どなたかの言うようにまるでイメージビデオ_これはまるで公共放送の電波の私物化…それにお付き合いする方は全くたまったもんじゃない!
土屋さんが暗くなって身を潜めたら良いと言うものでも
ないかと思うのですが。
山崎さんの演技の酷さも相当でしたから。
若手の中だと残念賞ぐらいでしたが、柳楽優弥さんが
恋仇とは可哀想と言えるレベルで、この意味不明な脚本と
土屋さん大好きな演出の中でせめてヒロインの夫には
イクメンぐらいしか印象に残らない演技の方ではなくて
神木隆之介さんとか、池松壮亮さんぐらいの演技力で
ヒロインの見方をも変えられる程の若手を起用すべきでした
希が横浜の地位や師匠、大切な仲間達を捨ててまで側にいて支えようとした男には山崎さんは成れてなかった。
土屋さんには、今後見聞を深めてコメディが出来るぐらいの
演技力を身に付けて欲しいと思う。
たぶん思うには、まれの表舞台(視聴者側)と裏舞台(作り手側)は感じ方が全く違ったんだろうな。土屋さんは楽しく同世代同士でサークル活動の乗りで自主映画までとは言いませんが、それに近い感覚で撮影の半年間だったんじゃないかな?でも現実、蓋を開けたら世間の批評は違っていた。土屋さんにそこまでアンテナを張り世間のリサーチをしながら演技をしろと言ってもそれは無理だ。
だからせめてまれの関わる大人たちがそういうことも踏まえた助言などを述べてあげれば、少し感の鈍い土屋さんでもまれの半年間の彼女の対応の形は変わったかも知れないね。世間が不満、怒りを露わに出しているところに、まれさん、まれちゃんなど楽しそうに毎日言わないと思う。女優は演技が仕事だが、世間との共感性が大いにある子はやはり駄作に出ても、その人自体の人気までは影響は少なくてすむ。やはりまれは駄作+土屋さんの世間とは正反対の対応も不信感の種になったと思う。
現場の大人たちがもう少し口を挟んで若い彼女たちを導いてあげるべきだったのでは?
土屋タオの女優としての感の悪さは相当だと思う、、経験不足から来るものもあると思うが
常盤貴子も言っていたが今までどうやって生きて来たのかと思うほどの鈍さらしいので
自己表現のためのダンスも単なる体育会系なのが残念過ぎる 繊細とか心の機微
感性とかそんなものは望めないのだろう(OPのダンスも田中ミンさんが立ってるだけに負けている)
美人なので耐え忍ぶとか何かありそうな暗い役とか黙っていても絵になる形か静かに涙を流す演技が良いのかも
そして一番必要なのは、演出家は一つ一つの場面で支持したげてくれないと 彼女はセルフプロデュース出来ませんから
その場、その場で細かい支持などが必要とする人ですね。
口あけてポカーンの演技が嫌だったー。それしか出来なかったのね。
私は、やはり役者より、脚本(既に皆さんがさんざん言われている様に) に、問題があると思う。
あまちゃんは、大好きなドラマだったけど、まれが能年玲奈で、圭太が福士蒼汰でも、このドラマの展開、内容、セリフでは、全く同じ様な不快感を覚えてしまうと思う。
色々な要素が、このドラマの嫌味感を増幅してしまったんだろうなぁ。。。普通どんなにクソドラマでも、終わってしまえば「何かつまらんドラマだったね」で終わるんだけど、このドラマはそうはいかない。制作者(もしかしたら役者も含む?)の勘違い?傲慢?怨念?あらゆるものが詰まった、まるで「呪いのビデオ」。
とにかく半年間で視聴者に蓄積された膿を吐き出さないと、おさまらないんじゃないかな。
今までドラマにコメントしなかったような視聴者も、このドラマで初めてコメントしました、っていうのもうなずける。
正直に書きすぎて消えてしまった秀逸なコメントも、きちんと弔ってあげたいですよね。
どうしてこんなにくだらいドラマになってしまったんでしょうかね?もう二度と見たくないから、紅白とか絶対にでないでほしい。
希が能年、圭太が福士でも不快に感じたかもしれないのは同意だけど、逆にアキが土屋、種市が山崎ならあそこまで評判良かったとは思えないな。でもまぁ土屋が役作りしないのにも問題はあるんじゃないの?だってパティシエにも母親にも全然見えないんだもん。能年はほとんど泳げないところから潜れるようになってる。視聴者はちゃんと見てるんだよ。
まれロスは全くありません。
再放送も特に観たいとは思いません。
そういう作品でした。
皆さんすごくまれロスしているのがわかります。
ほんとさみしい。
こらこら、ここは炎上しないから。炎上させたいなら2chへどうぞ
文さんの紙芝居「徹の一生」でこき下ろしそれを笑う孫達。たとえ徹がどんなに駄目な人であったとしても、馬鹿にして笑っていいものなのか。あの場面が一番不快でした。NHKに良心は無いのかと思った。
確かに、悪い評価は歯に衣着せず正直に書くと消されてしまったりするけど、良い評価はほとんど消されないですね。
でも毎日のようにイライラポイントがありました。
つまらないを越して不快でした。
率直に。
現代ものとしては、面白かった作品です。
感動狙いの、病気や死亡という要素を廃したのは、素晴らしいです。
脚本家にとって、どんな必然性があろうと、朝ドラに病と死はダメだと思います。
老人たちが、つつがなく平成27年まで健在なことは、ファンタジーかも知れないが、とても良いファンタジーでした。
まれと、まれと仲間たちが、のとムラとヨコハマ町で繰り広げる、楽しいエピに、半年間、楽しいコーヒータイムをもらいました。
戸田さんが頑張った魔女姫に、もう少しスポットが当たるとうれしかったな。
若い頃のおばあちゃんのエピをからめてくれるとか。
ゲゲゲやあまちゃんのように、星五個はあげられないですが、普通以上の評価ができます。
スピンオフも、もちろん、見たい。
オールキャラ、嫌いな人が一人もいなくて、まさに、稀なドラマでした。
分かりやすい不幸はないもののキャラクターの不愉快さ支離滅裂さは崩壊的だった。
物語に入り込めないまれは終わってる。しかも朝ドラでやること自体に。つまらないだけならまだしも。
「どうしてこんなことに…」
というのには共感できます。
私は放映前は純粋に期待していたのですが、結局最後まで裏切られ続けましたからね。
途中、期待が大き過ぎたのかなと、何度も自問自答してみましたが、よしんば期待していなかったとしても、いやいやこれは酷い作り方だぞと。何しろ、非常識のオンパレードで、人を小バカにしているのかと思うくらい。
「あそこで見るのをやめておけばよかった。」
というターニングポイントは、何度も何度もありましたが、終盤は私自身もやけくそになって、
「毒を喰らわば皿まで」
という姿勢になっていました。
あの紙芝居で徹をこき下ろしてるとは思えなかった。夢ばかり追ってるダメな男だったのは本当で、それを隠さず正直に文さん流に子どもたちにくりかえし伝えてたんですよ。まんがやアニメのキャラクターのようにね。子どもたちが徹に駆け寄って徹もすごく喜んで、自然な場面だったと思いますよ。
もし深夜枠の民放(しかも1クール)だったら、これほど批判されず、何だかおかしなドラマが流れているらしい、くらいの噂で済んだかも知れないね。
「まれ」には出会うことなく、これだけ嫌な思いをしないで済んだ人も多いだろう。
私自身も「まれ」には出会いたくはなかった。
確かにあの紙芝居は悪趣味でした。
端で藍子も聞いているのが、いたたまれなく思いました。
あそこで、苦笑いをしていた藍子がスッと席を外して、自分だけは少し耳をそむける、そんなちょっとした演出(気遣い)があるだけでも、かなり違ったけど、まぁそこまで繊細さを期待するのは無理だったかな。
また、私が子供だったら、徹を見付けた瞬間、最初は遠巻きに、
「あ、あの徹だよ~」
とためらうかな。間違ってもすぐに駆け寄ったりしないです。あの紙芝居によって、良いイメージをまったく植え付けられていないから。
あの紙芝居に、例えば「こんな徹でも、こんな良い所がありました」と少しでもフォローがあったら、子供達が親近感を持つことはまだ自然だったかも。
これらに限らず、そういうちょっとした演出(気遣い)をあちこちですっ飛ばしちゃうから、不自然なツギハギ物語になってしまったんだと思います。
出会わなければよかったがまさにそれ。まれ。私は朝ドラ久々に見たのがこれだから。
最高に楽しくて面白い朝ドラでした。
毎朝の楽しみと元気を貰えなくなって淋しいです。
早く総集編とスピンオフが観たいです。
タオちゃん新しいドラマ頑張ってね、応援してます。
コメディを目指そうとしていたのに、結果的に多くの人々の反感をかって、イライラさせてしまったというのは、何とも皮肉な話ですね。
そもそも上質なコメディではなかったということかな。
返して申し訳ありませんが,紙芝居で大人の事情何かな何かなって子供に考えさせるシーンが好きでした。藍子も若くはないんでしょうから,あの紙芝居を受け止められる度量の女性だと思っていました。
まぁまぁ、捉え方は人それぞれだから。
どれも可能性はあるということ。
ただ、気遣いの味付けにはうなずけます。
徹のことは、なぜ文さんが紙芝居にするんだろうかと思ってみていました。祖母である藍子が、孫たちに自分や家族の徹に対する愛を語ってあげればいいのに。いつも他人任せで何を考えているのか最後まで分からない家族でした。
席を外したり耳をそむけたり、そんな普通のことは藍子さんはしません。そもそも藍子さんがいやがりそうなことを文さんがするわけない。変わった人たちのお話です。そこが私にとってはけっこう好きだった。
藍子自ら徹のことを語れるはずはないでしょう,第三者だからこそ語れることだったのではないのですか?ここに他人との共生の良さがあると思います。
あの紙芝居って、文さんがやるから、意地悪っぽく見えるのもありますね。(失礼!)
どうしても紙芝居というアイテムを使いたかったら、読み聞かせは、やっぱり藍子がやるのが自然でしょうね。もちろん、徹への愛を盛り込んでね。その方が、自然に受け入れられますね。
いずれにしても、徹をこき下ろすだけの紙芝居はいただけませんでした。
見方が真逆なんですよ。徹をこき下ろすための紙芝居ではありませんね。何でしたら議論スレでやりましょう。
毎日見てました。惰性で。
まれロス?
全然感じないなあ。
出会わなかった方が良かったか?
それほど嫌悪感は強くないけど、
押し付け感や置き去り感があったのは嫌だったな。
なので、好きか嫌いかと言えば、嫌いなドラマだったよ。
あの紙芝居があったから、孫たちは生まれて初めて会った徹を
すんなり受け入れられたんですよね。
話変わりますが、躾に無頓着なまれ、でも圭太は、徹じゃなくじいじ、食べるときはうろうろしないとか、躾けていましたね。
「まれ」は、あの「純と愛」より嫌悪感がより強く残るドラマだと思う。
脚本の酷さはどっちもひどい!「純と愛」はエスパーとか、何やっても不幸な結末を迎えるとか勝手な脚本家の自滅型で終わるけど今作は、北陸新幹線開業前に石川県の景気付け、「あまちゃん」風味も盛り込んで更に強力に若い主役2人も売り込んで(この後2人を使う映画製作が決まってるらしいがご愁傷様)っていうのが凄くこのドラマに残る嫌悪感の原因でしょうね。
あと朝ドラの鉄則でしょうか、本当に実在しない人物でのヒロインの名前がタイトルになってる作品は高確率で失敗作ですよ。上手く行ったのは「ひらり」くらいか…
平日は毎日、勤務先の同僚4名で昼食をとっています。
「まれ」は、私を含めて3名は初回から、残り1名はGW頃から見ており、昼食では「まれ」について語らうことが、いつの間にか習慣となっていました。
4名の中では1人だけ「まれ」の熱狂的なファンがいて、残り3名が疑問点や納得いかない点を述べたりすると、平行線になるならまだしも、必ずそのファン1名が猛反発し、強引にねじ伏せようとするので、程なくして「まれ」の話題には触れないようになりました。
それでもそのファン1名は「まれ」について、話したそうでしたが、残り3名は敢えて別の話題で盛り上がって、昼食を続けました。「まれ」の話をするとご飯がまずくなるから。
そのファン1名は、以前とは人が変わったように「まれ」にのぼってしまっていて、気味が悪いほどです。もっと柔軟性のあった昔の姿に戻って欲しいと思いました。
「まれ」は、どのみち脚本が破綻してるんだから、今更、設定が、心情が、って言い出しても、
説得力ないよ。
全然。
ファンですが笑っちゃいました。
あさがきたでは,職場の朝ドラ受けが逆になるんじゃないですか?
批判するのも自由なら、肯定するのも自由なんでしょ?言いたい事言えばいいじゃない。さすがにそろそろここも人が減るでしょう?最後なんですから。しばらくして改めての感想も面白いですけどね、どの作品でも。
朝ドラそのものが、もはや話題になっていませんね。それほど、めんどくさくなってしまって。
まれファンが変人みたいな批判の仕方もあるんですね(笑)
そこまで酷かったかなあ。
変わってた物語りでありきたりのヒロインじゃなくて、おもしろかったけど。
物語の疑問点も最後には解決してくれてたし。
不潔とかは感覚だからしかたないか。
まあ、私からみたらドラマのできは普通でした。はい。(笑)
私の周りではあまちゃんの時に登ってしまう中年男性が目立ちました。それはそれでいいと思います。
今でもあまちゃんほど面白いドラマはないと言ってますから幸せなことです。
まれに出会えて私は感謝。
ちょっと待って、誤解です。
同僚を変人と言っているのではないですし、批判でもないです。
物語の解釈はいろいろあっていいので、あくまで平行線で穏やかに着地しようとしていたのに、その同僚だけは頑なに、どうしても白黒つけたがってたということで。
それだったら、最初から昼食の話題から外そうと。それなら、もめることもないだろうと。
あくまで私の同僚の例ですが、読んでくださって、どうもありがとうございます。
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