5 | 404件 | ||
4 | 98件 | ||
3 | 65件 | ||
2 | 105件 | ||
1 | 563件 | ||
合計 | 1235件 |
割り切って文句言わずに見るようになりました。不思議と受け入れられますね。甲府編も残り少ないのがさみしくなります。
はなが鈍感、ありえな~い!そんな感性の鈍い人が、普通の日常を切り取った話を、文学性の高い作品に仕上げられるわけがないじゃん。精細な感性と豊かな愛情が必要なはずだと想うけど。
もうまるで漫画、ドジで間抜けなヒロインが、実はものすごい才能を持っていっるって話はよくあるパターン。原作はアニメなんだと考えれば理解できます。これならイライラせずに楽しんで見られそうだわ。
誤解されるといけないから、間違ってもアニメ「赤毛のアン」が原作でないことは確かね。脚本家の創作アニメよ。
レンクミ迫力ありそー
どらえもんを超えるだろう
蓮子と女中のバトルはやめよう
ごめんあそばせ
ごきげんよう
>そういう人から見て、はなの勉強やら仕事やらの活動が
私も本好き、創作活動にも携わっていましたが、このドラマは今のところイマイチ。好みの問題かもしれません。
仕事をしながら作家になった人が身近にいましたが大変そうでした。恋愛よりも創作活動を優先し、というより前者を切り捨て寝る時間も削り締め切りを守る人生経験も豊富、洞察力も忍耐力もある超前向きな人ですがそれでもやめてしまいました。
作家になるのは後から考えると運さえあれば比較的簡単。
然し、仕事として続けて行くことがとても難しいとよくわかりました。
宇田川女史の命懸けで書いているという台詞は説得力があります。
その点ではこのドラマはリアルだと思います。
やっぱりここのコメントを読むのより、放送を観ていたほうが面白く、楽しいですね。
↑
そりゃそうでしょう。
ここのコメントは他人に読んで理解してもらおうというものではなく、自己満足するためのコメントが圧倒的に多いですからね。
ももの子供らしい義憤?から、送った母親のはがきを読んで、帰郷した花子。
あのまま、花子が東京で就職したら、朝市はももを選んだかもしれない。
そう思うと、なんとも、運命と言うのは皮肉なもので・・・。
本の部屋、埃のとも、紙のとも、何とも言えない、独特の匂いを思い出しました。
書庫の光線って、あんな感じだったよなあ。
覗き込むももの、凍りついたような瞳に、はっとさせられました。
蓮子の挑発より、ももの一言が花子にとっては、ガソリンになったようですね。
己が運命への怒りや不満を短歌に昇華させる蓮子と、身近な小さい人たちへにお話を届けようとする花子では、物書きとしての立ち位置も、資質も違うのだと思う。
社会でいじめられた経験もない花子には、命がけで書くんだ!と、武装した女流作家のような境地も、無縁のものなのだろう。
平凡な田舎教師の余技、いたって上等である。
それがわからぬ女流作家さんは、まだまだ、甘いと思われた。
この先も、彼女は出てくるのかな?
清潔なシーツとカバーのついた布団に横たわる、かよの顔は白い。
たぶん、時折問題視される顔の色は、こんなことなのかな?と、思った。
貧しい農家であっても、清潔や衛生思想にふれた家庭だと、もう少し生活全体は、かわってくるはず。
花子の生家は、だらしない生活ではないが、主婦であるふじは、近代的な衛生観を理解していないのだろう。
そこには、「うちは小作で貧しいから」「そこまでは手が回らないから」というあきらめが、横たわっているように思われる。
たぶん、それが、洗練されているかどうか、格差、というところを表していて、顔の白さや寝具のカバーが、象徴しているのではないか、と、考えさせられた。
なんだかはなが急に自分を売り込み、いくら蓮子の手紙やもものことがあったから、と言ってまた極端に変身(こういう行動自体、当時の女性として普通とか平凡、とか私は感じません)、そして平凡ということを編集長に言われたら、早とちりしてまた以前と同じようにすぐにあきらめる。こういう安易な方向転換みたいなはなの感情の持ち方がはなのキャラの少しずつの成長をいつもうまく描けてないところだな、と感じてしまいます。そんなに意気込んで東京の出版社に作品を持ち込んだなら、これまでのようにさっさとあきらめようとする行為自体が不自然です。何かをやるなら、それなりの熱意やあきらめない姿勢を見せてほしい。このヒロインはいつもそう。何だか人になにか言われるとすぐに影響を受けて方向転換しようとする。もっと自分のやることに熱意や執着心を見せてほしい。それなのにいつも周りに持ち上げられて事が運んでいる、というところがどうも見ていてしっくり来ないところです。
そして洗練された平凡?
なんだかわかるような日本語として理解できないようなことばです。洗練されていなくて個性が無かったりするから平凡、だと思うけどなあ。はな自身のキャラには平凡さは確かに感じるけれど、みみずの女王やたんぽぽなど、実際に村岡さんご本人が作った話を私は平凡とは感じませんが、この編集長は作家のキャラとその作品を混同して平凡,という言葉をこれまで使っていたような感じを私は受けます。何気ない日常に光を当てる、というのはそもそもみみずの女王にもその断片が表れていたのではないかな、と思うし、そういう手法が改めて今回驚くほどの非凡なこと、というのもなんだか・・・
後に翻訳家として名を成す人が平凡であるはずありません。なのにやたらに「普通の女の子」「そのへんにいるような人」「ちょっと鈍感でかわいげのある子」ということを強調して一般の人に親しみを感じてもらおう、という意図でヒロインのキャラ作りをしているようなわざとらしさを感じてしまいます。私なんて蓮子や宇田川女子のような人の方が人間関係多少上手く行かなくてもずっと見ていて面白くドラマのキャラとしては魅力があるように感じる方なのですが。
いずれにしても相変わらず、何だかエピが極端なわりに人の心や成長がきめこまやかに描かれていないドラマ、と感じます。
伝助さん渋い
ももちゃん健気
かよちゃん元気そうで良かった
役者さんは上手いんだけどねぇ・・・
>「うちは小作で貧しいから」「そこまでは手が回らないから」というあきらめが、横たわっているように思われる。
これは言えてるかも、とコメント読ませて頂いて感じました。
人って自分の境遇を嘆くより先に日々の生活に追われていろいろあきらめて生きて行くしかない、そういうところは確かにありますよね。そういうあきらめが格差社会に拍車をかけるようなところあると思います。
でもふじさんは人の心もよく理解するようなキャラに描かれているし、都会に出した娘もいるし、広い世界を知ってる(はずの)おとうが大好きなのに、いくらなんでも甲府の小作生活に埋もれすぎている感じがやはりやや不自然なところは感じてしまいます。
あんなおとうを許すほど愛しているなら、せめて帰っている時くらいは髪を整える、とかちょっと自分に対して気遣いする、くらいの描写はあってもいいような。ふじさんに関してはそういう細かい演出ができていないと感じます。
このドラマの批判意見を見ていると微に入り細に渡りただケチをつけているようなのはむしろ少ないのに、ふじさんの髪や着物に違和感を感じる人が出てくるのは私はよくわかります。
きょうだいで同じ家に同じ親から生まれてこんなに扱われ方が違うのにかよも、もももあそこまではなに気を使って、ってよくわからないなあ。きょうだいなら日常的に喧嘩したり競争したりしながらお互いを大切に思っていくものだと思うのだけれど安東家はもう全員ものすごく作り物感を感じてしまう家族。
りんさんには朝市の気持ちに今さら気づいたの?なんて言うフジさん、それなのにももやはなに対してあの対応??他人の蓮子には一発で心を開いたのにこの母は娘たちと腹を割って話す、ということもなかったのか?って感じる。
人っていろいろあってこそ初めて結びつきが強くなる、というのには納得できるところがあって、そういう描き方の家族(恋愛とか友情とかもだけど)の方がずっと心に残るものがある。
時間を使って描かれているのにヒロインの家族にそういうものがないのは致命的。
ヒロインだけ自由で出来過ぎた人達の家族ごっこ、とか貧しいけれど心がきれい、ということをやたら強調するおとぎ話みたいに感じてしまう。こんな家族で育ったヒロインの持ち上げ話、のようなところがつまらないです。ヒロインにそこまでの輝きやありがたみが感じられないし。
甘いのは花子のほうで、売れっ子作家の言ってる事のほうがまともだと思う
まぁ、このドラマは真逆に表現したりするからね
どうせ花子は大した苦労もせず万事都合よくいき成功するんだろう
作家業はラクなもんって視聴者で思いこむひとが増えそうw
最近になって、このドラマは花が回想しているという体で進められているから花を取り巻く人達はみんな良くできたいい人ばかりで、花自身はこんな奴でしたっていう描写なのかなっと思えてきました。
晩年、花が生涯を振り返って今あるのはこんな自分を支えてくれた人達のお陰というお話しなのかなぁ〜と。
アンがおとぎ話であるように、花の話もどこかおとぎ話風に作られているのでは?
だから、翻訳家になっていくリアルで厳しい過程とかを期待してる人や、リアルな家族の当然のゴタゴタを描いてほしい人には期待ハズレな内容なのかも。
私は、ホンワカ楽しめるものを求めてるみたいで、花子とアン、面白いです。
実在の村岡花子さんとドラマの村岡花子さんは別物だと思って観ています。原作や村岡花子さんのムック本を読んだものとしては、そう割り切らないと観ていて腹が立つので。
ドラマの村岡花子さん、架空の人物だとしても、共感出来ないところが多くてイライラしています。
謙虚な人物のように描かれているけど、妹がお姉ちゃんの物語が聞きたいと言ってるなら、直接妹の住所に送ればいいでしょう。それをわざわざ出版社に送るなんて。「私なんて…」って言いながら自信満々なんですね。凄い野心家。
恐らく宇田川さんは、そんなハナの嫌らしさを見抜いているんだと思いました。
でも、やっぱりハナは編集長に持ち上げられてました。
「えっ、そんな…私なんかでよろしいのですか?」みたいに、表面は好感度が上がるよう振る舞いながら「当然でしょ」と心の中では得意満面のハナ様でございました。
今までのはなが、これでもかと言うほどの凡人っぷりを発揮していたのは、今回編集長に「洗練された平凡」とか言わせる為だったのかしらん。脚本家は、はなの平凡さこそを個性と思わせたいのか。でも、平凡なことを題材として人に最後まで読ませる、ありふれた風景を生き生きと描き出す…それってすごく高度なこと、実は非凡な眼が、感性が最も必要とされること、と思う。平凡と鈍感は違う。日常の中から物語を切り取っていくにはやはり、誰よりも敏感な感受性が必要だと思うけど。
今までの人物描写を見ているとはなが鈍感なのは恋愛に関してだけ、という訳じゃないと思う。色々な場面で自分に向けられている人々の優しさをスルーしてきているし。もちろん、実在の村岡さんとはとっくのとうに切り離して見てるけど、こういう子が文学作品を書いて認められるという設定自体に無理を感じてしまう。
はなが本当に普通の子として人生を歩むのなら、こういう変な違和感はなかったと思うし、のんびりほんわか見れたかもね。
今は安東家の他の兄妹達の行く末が気になるので、それで見ている。チラッと出てきたかよが元気そうでよかったな、とか。後は編集長について行って新しい出版社を立ち上げるなんて、醍醐ちゃんは仕事けっこうがんばって認められてるのね〜とか、そういうのをチェックするのが面白い。
民ちゃんの時同様、ももへも印刷という手段で伝えようとしたわけでしょう。
蓮子様の、いつ、あなたは本を出すの?と、いう手紙で少し火がついたものの、あらためて出版して世に問う作品を、という力みからは、花子は物語を編むことができない。
お話しして!という、妹や教え子のような、『小さな人たち』の手元に届けようとした時に、花子のペンは走るわけなのだと思う。
それが、蓮子様やウダガワ女史と、花子の違いなのだと思って見ている。
蓮子様やウダガワ女史には、ミミズの声は聞こえず、たんぽぽも道端の花にしか見えないのではないかな。
出版社でのシーンは、そんな対比なんだろうと思って見ている。
苦労しなきゃだめ!あなたは苦労が足りないからダメね!私のようにがんばらないと!と、相手を貶めるのは、苦労自慢の甘ちゃんのすることだと思う。
もし、ウダガワ女史のサイドストーリーもあるなら、彼女の変貌も見てみたいな。
2014-06-08 02:32:36 名前無しさんのご意見、実は私もそれは感じていました。これって戦争中、「赤毛のアン」を執筆中の村岡花子の回想ですものね。村岡さんはご自分を決して特別な人間とは思っていなかった。だから「みみずの女王」で受賞しても編集長に普通すぎて作家には向かないと言われれば自信をなくしてしまい、自分は平凡な人間なんだと思ってしまう。またアンを翻訳しながら自分と重なる部分を見つけてほっこりしているような感じもあるから、それがドラマ全体の雰囲気にもなっているんじゃないかな。少なくとも花子中心の部分にはそういう面を感じます。ただ、それならナレーションを花自身にすればいいんじゃないかって話だけど、蓮子さんの部分があるから、第三者になっているのではないかな、と。
いずれにせよ私は「アンのゆりかご」も読みましたが、実在の村岡さんとは全く切り離してフィクションとしてドラマを楽しめています。
宇田川さんは野心家で個性も自己主張も強く、いかにも作家さんという感じですよね。実際にもこういう方って結構いらっしゃる気がします。生活をかけて全精力を創作に傾けている感じがよく伝わってくるし、そういう人から見て花子や花子の作品タイトルがぬるく感じるのは仕方ないのかも。そんな宇田川さんに花子は圧倒されて、ライバル心を掻き立てられるどころか、実は自信がないのと妹に弱気の発言。でも、そんなパッと見は平凡な花子でも、連子さんやももからの叱咤でお話を書くことへの意欲はふたたび目覚めたわけだし、その文章からにじむ非凡さを編集長は読み取ってくれた。洗練された平凡というのはなかなか深い言葉だと私は思います。作家としての才能も宇田川さんのようなタイプとと同様に、花子のようなタイプもあるということですよね。またあまり個性や自己主張が強くないのは将来翻訳家になるには必ずしも悪いことではない気がします。
花アンワールドのふんわり感が好きです。
格差社会の残酷な面もふんわりと包み込むような演出。
こんな気持ちで仕事にでかられるのがなんだか幸せな気分
自然豊かな甲府編は終わりに近づき、いよいよ本編にさしかかるのですね。
別の味わいが出てくるのもまた楽しみです。
皆さん細かいところまで深く洞察して書いてますね。
宇田川女史のモデルまでお茶の間では予想されてましたね。
こういうサイトを見てるとヒロインやドラマを両面から捉えられるのが面白いです。
格差社会の不平等と女性の生き方、これだけでも小論文が書けそうな内容ですw
赤毛のアンもゆりかごも読みましたがはなの童話がそれ以上に気に入りました。
花アンワールドとともに村岡ワールドに突入しそうな私。
>日常の中から物語を切り取っていくにはやはり、誰よりも敏感な感受性が必要だと思うけど。
これは本当に私もそう思います。
このドラマが面白くないのは村岡花子自身を知ってるから、とか重ねて見ていてフィクションとしてとらえないから、とかそういうことではありません。
ドラマの主人公にどことなく繊細さがなく、自分に関しても他の人、ものごとについてもとても非凡なものを持っているように描かれていないのです。それなのにある日突然のように、素晴らしい日本語訳ができるんだ、人には書けないものが書けるんだ、普通の人なら気づかない平凡なものの中に光るものを見出すんだってなる。それを花子の日常描写を見ていて、自然にこちらに感じさせてくれ、そこまで持って行ってくれない違和感がある。
いくらこれが花子の回想で、従って彼女のフィルターを通した自伝であり、まわりの人の良いところだけ浮かんできて自己に対する評価は低い、と言っても視聴者がそれに半年間つき合わされる義務はなく、求めているものはやはりある程度ドラマチックな「ドラマ」なのだと思います。それはフィクションであろうがノンフィクションであろうがドラマなら期待するものです。
それに自伝的なものだったらなおさらアンと出会う前から自分の話にアンネタを入れるなんてことは考えられませんし(それなら花子という人はまるで自分の人生をアンに重ねちゃってる、ってことだしそれでは完全な自己満足ですよね)自分の細やかなその時その時の気持ちの変化、成長などをもっと細やかに描いていいはず。
何だか、それぞれのエピばかりが目立ち全体的に非常に大雑把な描き方、自他共に仕事やら目指すものよりもその時々の恋愛に大きな焦点を置いてしまっている作品に見えます。恋愛の描写も浅いしヒロインにとって都合のいいもの。
こちらも大ざっぱな言い方をさせて頂けば、細やかさ、深みのない作品で心に響くような大きな感動が期待できません。
女学校時代にはただ英語、英語ってばかりで花子が想像の翼を広げて物語を作る、なんて要素、場面がなかった。
それなのに今度は小学校教師になったら、英語はまるで勉強してる様子、英語の本を読んでいる様子もなく、今度はいきなり創作活動?
ものごとの描き方に連続性がない。
幼少の頃に辞世の歌を詠んだことも置き去りにされたままだったし。
だから花子が非凡とか言われても唐突感がある。
来週の予告を見ただけで感動しちゃいました。
わがままを許してくりょう。なんて言いながら突っ走ってるはなを見たら涙が出てきたなあ。
(あまちゃんでもよく走ってたのを思い出したほど。)
今度こそ自分の道を極めるのかなあ?
宇田川さんのように命懸けの恋や仕事を見せてください。
かよやもものやおかあの気持ちはふんわり真綿で包んだように表現されてますね。そこが私には繊細な感じがして好きです。
朝市とはなの気持ちを中園さんはどう描くの?
ハナが朝市の気持ちを知らない鈍感だって聞いてびっくり。知っていても知らないふりしていると思っていた。お隣さんの幼馴染で、学校でもいつも顔を合わせているから、お互いの気心が分かっているはずでしょ、普通なら。望月さんのお見合いが破談してから4年間、朝市は何していたの。ハナは職員室で、もう見合いはいいって言ってたでしょう。聞いてなかったの?
私は、妄想の翼を広げて、ハナの言葉を勝手に想像していました。
「おら、お見合いの後、ずっと待ってただ。でも朝市は何にも言ってくれなかった。口に出して言わないことは、ないと同じこと。本気で想ってくれてないんだと思った。だったら、せめてももの気持ちは叶えてあげようと思って、、、。でも、もうももは北海道に行っちまったし、おらもその気はなくなっただ。」
こんな展開に全然なりそうもないので、自分で勝手に脳内補完しておきます。
2014-06-08 16:40:33 名前無しさんの妄想の翼ならまだ朝市にも希望があるな、と思うけど、彼の気持ちを知っててモモとの仲を取り持とうと画策したんならやっぱとんでもないヤツと思うよ。
ももはフラれるって知ってて朝市はコクられて困るし当人の花にあんなことされるなんてボコボコだよ~
花ちゃんはなーんにも気がつかない鈍感なオトボケちゃん、朝市には恋愛成就の見込みなし、そう考えるのがまあ普通の想像かと・・(笑)
ここではかなり辛口なようで、これを面白いと書くと何だか考え無しみたいに思えてしまう雰囲気もありますが、こういうドラマと思って見れば、結構楽しいですって感じです。
ももや葉山さんに後押しされてやってはみるものの、すぐへこたれて自信なさげな花、自分にはこれくらいの感じな方が頷けます。
村岡さんがどういう方だったのかは存じませんが、著名な翻訳者だったのだから努力勉強一本やりだったはず、もっとこぴっとしてたはずとの意見から、そのとおりなドラマだったらどうかなと想像の翼を広げても、あまり楽しそうな気がしません。
どちらかと言えば「赤毛のアン」の世界観からその人となりを想像すると、このドラマのなんとも「ほわほわ」した感じがあながち違っていないように思えます。花の鈍感さはあんまりとか、やり過ぎかなと感じるところがあっても。
かなりの頑張りが見える映像とセンスのいい音響効果と相まって、見ているうちに心が緩みます。この感じがいい視聴率に繋がっているのだろうと思います。
はなはかよに言われて気づいたのではないでしょうか?朝一の気持ちを。それでも自分の夢を追いかける、想像の翼を広げて。
そんな妄想のツバサを広げてみました。
ハナがももに伝えるように言った時には、はっきりしない朝市に対してはもうすでに気がなくなっていたと思うよ。ああ、やっぱり朝市は幼馴染以上の気持ちは持っていないんだ。朝市がハナのこと想っていると思ったのは、単なる思い過ごしだったのかなって。
だから全然、いやなやつなんかじゃなくて、妹想いのいいおね~やんと思うけどね。鈍感で気づかないって話も変だけど、まあどっちにしろ、朝市が遅すぎるんだけどね。
宇田川女史にとって、童話は作家になるためのとっかかり、無名時代の糊口をしのぐための仕事、だったのではないかと思った。
実際、昔の作家は、無名時代に子供向けのお話を書いたりしてたみたいだし。
童話作家よりは大衆作家がエラく、純文学はさらにその上となる、みたいな。
それが、田舎教師が趣味で書いたものに価値なんぞない、という傲慢な態度に出たのだろう。
花子の目指すところは、たぶん、子供やごく若い少年少女に向けてのお話を書くことらしいから、ある意味、よい敵役が出てきたな、と思う。
みみずの女王みたいな話が書けるんだから非凡の人とは思えんなー。
それにしても、たんぽぽの目ってなんで目をタイトルに?
この話って深い意味でもあんの?
ブラック要素あんのかな。つい期待いや勘繰ってしまうんだけどw
非凡の→平凡な
間違えたべw
何だか、「あえて」カットしているような気もするんですよねー。
以前、三谷幸喜さんが「(歌の苦手なイメージがある)さんまさんをロック歌手の役にして、でもあえて歌のシーンは一切なしでやってみよう」というアイディアを書いていらっしゃいました(ボツになったけど)。
「あえて作家・翻訳家のドラマを極力創作シーンなしで」描いてみたかったのか?と勘ぐるほど、執筆や試行錯誤のシーンがないですよね。
下書きもメモもなくいきなり原稿用紙に清書、というのは、「天才」の表現なのかもしれないけど(実際そういうタイプの作家はたぶんいる)、創作の過程を意図的に省いたのかなという気もするし。
執筆作業だけではなく、学生時代のはなの読書も、何の本を読んでいるのかほとんど知らされない。
どんな作家やどんな本が好きかも語られない(宇田川さんはちゃんと作家名・作品名を挙げているのに)。
英語の勉強を頑張った、というけれど、英語を頑張ることで外国人とコミュニケーションをとれることがうれしいのか(きっかけはこれのようだけど)、海外の文化を知れるのが面白いのか、単純に英語のことばそのものに興味があるのかもよくわからない。
はなが書いた童話自体も、ごくごく断片的にしか紹介されないので、どんな話かあまりわからない。
蓮子の歌集が届いても、その内容をどう思ったのか、今のところわからない。
あえて見せないのかな?だとしたら、どんな意図があるんだろう?
ドラマの前半は出し惜しみして焦らしておいて、あとで一気に見せるんだろうか?
創作過程を見せないのは、不満というのもあるのですが、単純に不思議でもあります。
脚本家が描きたいのは村岡花子ではないのは良くわかる。
あんネタを入れたはなと家族と恋愛と友情
童話や翻訳は飾りになってる。
再度東京編になってもこのスタンスは大きく変わらないでしょう。
まあ見方は様々でしょうが、脚本家さんの意図は一方的には言えないのではないでしょうか。
私は結構無理あるなあとは思いながらも、作品の雰囲気が好きで楽しく見ています。
村岡さんとは別もんだ!と思ってしまう部分もありますし、私も厳密な意味での村岡さんとは完全一致しているとは思いません。
けれども、作品の世界観からの村岡さんとは一致する気がしています。
脚本家さんにとっては村岡さんのイメージはこうだと思ったのだろうと思います。そういう私生活があったから赤毛のアンはもとより、トウェイン、オルコット、ワイルド等々素晴らしい翻訳が生まれたのだろうと考えたのではないでしょうか。
それらを後世に残るような名訳とできたのも、勉強が根底ではなく家族と恋愛と友情がベースだったからではなかったかなあ・・・と勝手な想像の翼を広げています。
でもこの「想像の翼」ってある意味最強ですね。
気に入りました。
家族と恋愛と友情って描けてるかな?
おかやん、かよ、ももはいいんだけどね
まー個人的な見解じゃないでしょうかね。
私的には微妙ですけど自分がすべてじゃないし、資料率良さげだし。
間違えました、ごめんなさい。
資料率→視聴率
どういう間違いだよ。。。
ももちゃんの恋する乙女らしいキラキラした瞳が良かった。
一途な眼差しっていいなあと思った。
脚本はアレだけど、その余白がある分演技力がある俳優さんは文字通り、目は口ほどに物を言うが出来るね。
>家族と恋愛と友情って描けてるかな?
描けてるとは思えません。別に村岡花子さんの翻訳家としての一生の話が中心でなくてそちらが中心でもそれがおもしろければいいけれどあまりおもしろくない。
いやそれなりに友情も家族も恋愛も描いてはいるのですがそれほど心に響くようにうまく描けているドラマには見えないです。
この程度のドラマならいくらだって他にあるしどこを取ってもどこかで見たことがあるような場面ばかり。
オリジナリティがありませんし、話も全くエキサイティングじゃない。家族も友情も恋愛も全部中途半端。現実味もドラマとしてのおもしろいひねりもなにもないと感じています。
内容的に実にB級ドラマ、という感じ。
同時に仮にも村岡花子、という人を朝ドラで紹介するのにその人の功績やらそこに至る道筋が二の次で一般的な友情やら恋愛やらを描きたいのだ、と言い切ってしまってはあまりに実在の人に失礼なのでは、と正直感じます。こういうドラマをやるならそれほど知られている人でもないのだからアンではなくて彼女についての特集番組くらい組んでも罰は当たらないのでは?と感じてしまいます。
これ朝ドラで家族が見てなきゃたぶん自分で積極的に見ることはなかったなかっただろうな、と思います。
けど、最近は話はともかく九州パートに出てくる俳優さん達が魅力的なのでその部分はけっこう楽しみです。
視聴率が良いと言っても最近の朝ドラはそれほど極端な差がないので朝ドラというのが安定して見られているのだな、と感じています。
創作過程を見せないっていうか、あらゆる「過程」を省いてもオッケーみたいなのがすごい。
極限まで過程を削りました的な。どなたかがパッチワークドラマと評されてたが、うまいこと言うなあと感心したね。
編集の仕方でどのように見えるか計算してやってんだううと思う。
パッチワーク・・・そうですね。ピッタリの言い方かも。
その場その場の雰囲気でとらえられると面白いのかもしれないけれどとにかくものごとに至る過程を省いても見てる人が勝手に脳内完結してくれるからハイライト的なことをつないで行けば一つの作品になるだろう、みたいな作品で連続性があって話が深まって行くことを求めるような視聴者には向かない作品かも。
何だか内容的にスカスカしている感じを受けている。これを見て何かをちゃんと考える気にはならない感じ。
ハナがももの告白を無碍にした朝市に立腹してましたが、
本当に妹のことを思うなら、自ら朝市に直談判して
まとめてあげようとするんじゃないでしょうか。
泣いてるももをぽかーんと見てるだけなんて不自然過ぎる。
それにハナ役の吉高さん、
何か最初の頃と比べてどんどん目の輝きが失せていっているような気が。
酷い脚本で大変だとは思いますが、最後まで演じ切ってもらいたいものです。
編集部のシーンのはな、やけに肌が茶色い!と思って登場からびっくりしてしまった(笑)。
かよとのシーンになったら普通になっていたけど。
予告がとてもドラマがあって、良さそうな雰囲気。この予感がはずれないといいなぁ。
冬子さん、大きくなりました。
継母の淑女教育が、多少なりともきいたのか、お行儀も良くなって、継母を激しく憎んでる、という風でもないので、生さぬ中でも、折りあいをつけたよう。
花子からの小包を開ける時の、あのワクワク嬉しそうな蓮子様の顔、嘉納さんに見せてあげたかった〜。嘉納さんも、『良かこと、あったち』と、笑ってくれそう。
花が好きなので庭に木や花をかなり植えています。朝早くそんな花や木に水をやりながら、田舎なので空を飛び交う小鳥たちのさえずりを聞く。そんな小さな幸せな気分に浸ったまま花アンを見て気持ちよく一日が始まる。そんな幸せ者も視聴者にはいます(笑)
まあ、そうでない人の気持ちもわかりますけど。私も以前に全然はまれなくてイライラしたドラマもあったから。
今回は自分の感性に合ったドラマでよかったです。
ヒロインの周りが面白くて、はなからは何も伝わってこないドラマ。
あまちゃんと同じパターンですね。
どちらも大好きです。
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