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賛否ばかりを意識してばかりの感想サイトは嫌いです。
今のところドラマを徹底的にただけなすだけのコメントがないのが嬉しいかも・・
まだ数日ではどんな感じになっていくのかわかりません。
吉高さんは実はヒジョーに苦手な女優さんなんですがドラマはヒロインだけのものではないので全体的にストーリー運び中心になるべく楽しんで見て行きたいです。アンの原作についての小ネタはわかろうとわかるまいとまた知ろうとしようとしまいと関係なく面白いドラマでなければ皆にとって良いドラマとは言えないかも。
土地の言葉や風景に地方色や時代が感じられるところは好きです。差別意識がごく一般的にあった頃のお話ですね。
井原さんがこんな親バカ父を演じるのは珍しいので面白いのと「ごきげんよう」なんていうことばをさらっと自然に言えておかしく感じないのは今や日本で美輪さんくらいか、とナレも面白いです。
そうですね。
ごきげんよう…美輪さんならではの言葉かも。
最初、ナレーションが美輪さんだと知った時、大河みたいにおどろおどろしくなったらいやだな、っとちょっと思ったんだけど、
始まってみたら全然違和感感じませんでした。
むしろ雰囲気があっていいくらい、に今は感じてます。
私はまだ
ごきげんように慣れません。
年貢に苦しむ小作人
お弁当を我慢して雲をおにぎりと想像するヒロインに
ごきげんようが合わない気がして・・・
〉ごきげんよう…美輪さんならではの言葉かも
『ごきげんよう さようなら』は村岡花子さんがラジオおばさんと親しまれた頃必ず最後につけていた言葉だそうですよ。
美輪さんも素敵ですけど、村岡さんの声で聞いてみたかったですね。
>村岡花子さんがラジオおばさんと親しまれた頃必ず最後につけていた言葉だそうですよ。
そうなんですかぁ。なぜいつもごきげんよう、さようならなんだろうって思っていたところでした。
小説にしても花子さんのことにしても、小ネタ情報があるとより一層ドラマが面白くなってきます。
なんだか嬉しいですね。
花子が不倫や略奪婚したらショックですね。
聞くと花子はいい人間ではないみたいですね。
朝ドラがどろどろしていて、なんかワクワクする。
カーネーションの関東バージョンみたい。
あーあ。高校野球のせいで見逃した
もうどうしようかな
花子のお父さんはクリスチャンで、花子も2歳の時に洗礼を受けているので、教会に忍び込むというのは、、、フランダースの犬を連想させまたまた村岡ファンが喜ぶという演出かなっとやり過ぎな感じもしてきました。
私も!普段通りじゃないと困りますよ!
皆が野球を応援してる訳じゃないのに・・。
もう見ない。
いい人間っていうのがどういう意味なのかは人によって違うと思うのだけど、別に不倫でも略奪愛でもうまく料理してくれたら、それで良いですわ。
このドラマでどこまで描くのかは判りませんが、花子が妻子がある人と結婚したのは事実だし。
カーネだけでなく「純情きらり」でも実姉の結婚相手とヒロインが精神的な不倫関係に陥るというエピも描かれてましたから、別に今更ショックと思う方も・・・という気もします。
学校も遅刻魔だったりというエピソードは脚本家の方もホームペーシで明かしているので、そのあたりの人間臭い部分の描写もこれからのお楽しみと思っています。早く仲間さんが出てこないかなー。
>あーあ。高校野球のせいで見逃した
もうどうしようかな
同じく(+o+)。朝見逃したので昼見ようと思ったらなかった。でも高校球児も頑張ってることだから夜見ればいいや。
万が一それも見逃したらここテキトーにのぞくか週末にまとめて見ますわ。
一日に4回も放送してくれて週末にもご丁寧にBSで全部一週間分やってくれて総合で総集編やってくれて。朝ドラってつくづくおんぶにだっこ。
唯一感想サイトの話題についてけなくなるのがちょっとさみしいかも、ってくらい。
そうそう不倫とか一口に言っても倫理的にはどうかな、とは思っても当人たちにとっては倫理なんて超えるほど命がけだったりすることもある。
それがただ良いとか悪いとかの個人尺度じゃなくてドラマの中で納得できるように描いてくれればいいのだしそこに行くまでに花子のキャラをどう描くかだよね。そんな先の事、今ちっとも気にはなりませんし先入観持ちたくもありません。自分がどうするというのとドラマの登場人物がどうする、というのは別世界の話。これはドキュメンタリーじゃないし。
オンタイムで人生始まりのころの今の花ちゃんやまわりを見て楽しむのだ!
ごきげんようのエピソード
ありがとうございます。
知らなければ、違和感を感じたままでした。
教会に忍び込むのは
フランダースつながりですかね?
私は違うような気がするんですけど。
花子も他ではeが有力みたいですね。
eは、最初から親がつけてくれた正確な名前のスペルで
花子の子は自分でつけたのでコーデリアの気もするし
でもドラマではずっと花子とこだわっているし
コーデリアは1回だけで
大人になっても、アンはeに拘ってた。
どちらでしょうか?
意味わからん?
花ちゃん健気、良い子すぎて泣けそう。
朝市くんも良い子だけど、頼んで本を見せてもらうわけにはいかなかったのかなぁ。
噂にきく、おしんの世界みたいな。
耐え忍ぶ、健気な子供達。
貧乏人が馬鹿にされるのはいつの時代も一緒で哀しい。
>どちらでしょうか?
どっちでも構わないかと。自分にとって正解であればそれでドラマに一層の愛着がわくのならそれで良いと思います。
コーデリアも綴りeもアンが名前に拘りを持っていたことに違いはないし。
脚本家さんはどちらを意識したんでしょうね。
両方かも。
あの境遇から、あの人物にしてるところに脚本家の意図があるんだろうな。
赤毛のアンより、アンのゆりかごのほうを読んでみたくなった。
今は高校野球さ。
すみません
赤毛のアンで
マリラ(アンを引き取った人)に、アンが名前を聞かれたときに
コーデリアと呼んでと言っていたんです。(その名前にあこがれていたので)
でも本名じゃないので却下され、
最後にeのつくアン『Anne』で呼んでほしいと
アンにとってeがつくかどうか大きな問題だったようで
学校で先生が黒板にAnnと書いたので立腹したり
憧れの牧師夫人が、ちゃんとeが最後につくよう意識して
アンと呼んでくれると感激したり
というエピソードです。
両方と思うことにします。
それってドラマとなんの関係があるの?
私はeを意識しているの方が個人的にはしっくりきて好きかも。
なんとなく判る気もするし。孤児院育ちとアンを小馬鹿にしたような人の言う「アン」にはなんとなくeがついていない気もちになる。でもちゃんとわかってくれる人の「アン」にはeがついている気持ちがするって。
花子も花と呼び捨てにされると小作の子供に「子」なんて・・とタケシに言われてたこともあるし・・なんだか自分を軽んじて観られているようでバカにされた気持ちになるのかもしれないですね。
花子と呼んでくりょうというタイトルが意味することなんですね。
子が名前につくのは江戸時代までは貴族だけでした。
明治の中頃からだんだんと一般庶民に広まっていった
だから時期的にはおかしくはないんだろうけど
田舎に育って、学校にも行けてなかった花が
7歳で子にこだわるってちょっと無理やりな気がする。
花でも花子でもどっちでもいいような気がする。
おれはアンの話知らないからさ、なんでドラマで
名前にこだわるのか理解できない。
初回からおもしろい話題ではないね。
このドラマはいちいち他人の解説が必要なドラマだとしたら
半年間、めんどくさいな。
花子が大人になって不倫してもどうでもいいかな。
民放ドラマでは珍しくないからね。
でも、不倫したら、子供と見れない、下品なヒロインと
罵られそう。
カーネーションもそうだったけど
実際のモデルがいると、突拍子もないように感じるストーリーやエピソードも叩かれないもんですね
これが完全にモデルも無い架空の人物の物語なら
3話目にしてすでに突っ込みまくられてると思う。
父親のキャラクターとか、お金の使い方とか、黒板でいきなり暴力とか。
アンのコネタも関係なく独立して見たら、絶対叩かれどころです。
でも実際そうだったんだから仕方ない、って見方になってて
完全フィクションより得だなと思いました。
朝ドラはこれからモデルありの物語にした方が制作側としても楽かもね。
アニメで赤毛のアンのグリーンゲイブルズに来る前までの話を見たが、とても暗かった・・・
持ち前の明るさで懸命に運命に立ち向かうアンはあまりに幼い。
お気楽すぎるライトな話も嘘っぽいが、不幸てんこもりな話は重い。
このドラマは今のところシリアス路線だが、あまりに暗くなると見るのが辛くなるなあ。
花は空想するのが得意だし、その想像力で自分の苦しさを紛らわすことをしていたと思われる場面がありました。
白鳥のように空高く飛ぶ想像、米がいっぱいじゃと握り飯を食べた気持ちになり空腹を満たす想像。
花子という名前だったら・・・自分が良家の子供だったら、花子という名前だったらどんな生活だっただろう、と空想したこともあったのかもしれませんね。
私も小さい頃、御姫様だったらどうするごっこみたいな想像をした経験があります。もちろん名前もゴージャスなものを考えて(いま思いだすと、こっ恥ずかしい・・・苦笑)
女学校に行ってから
子をつけたがったなら
エピがなくても
すんなり納得できるのに。
花 → 花子、
あの父親の事ですから,はなが生まれる時に不在だったのではないでしょうか。
そのあいだに命名が 花、あの父親ですからあかちゃんの時から、はなこ、はなこ、と
都合よすぎ?。
ちなみに、うちの母、仏壇見たら フ サ でした。おそまつ!。
>完全フィクションより得だなと思いました
楽がどうかは実際に作っている立場の方に聞いてみないと判りませんけど、実在の人物かモデルというのもその方のイメージやお身内の方々の心情などもあるので、それに対する配慮や作品を作るうえでの制限にもなるでしょうから、それはそれで大変かもしれないですね。カーネーションでの描写でもなにかご家族からクレームがあったとかなかったとか・・・以前言われてたような気もします。
いちから作り上げるのもこれまた違う大変さがあるとは思いますが。
なににせよ、半年もかけてひとつのストーリーとしてまとめて行かなくてはならないので、大変に違いはないですよね。
朝ドラはそれなりにここのところは楽しんでいます。
どうしても受け入れられないドラマも過去にはありましたけど・・苦笑・・ファンの方々に失礼だから言わないでおきたいと思います。
このドラマもまだまだこれからですし、半年付き合う覚悟なので、温かく見守っていきたいと思っています。
>あまりに暗くなると見るのが辛くなるなあ
この後は女学校時代だから、雰囲気や衣装なんかもパッと明るくなるかもね。
それは見てのお楽しみ。
あのくらいの年の女の子だからこそ何か心にお姫様的夢があるとかコンプレックスの裏返しのプライドを持っていて「花子と呼んで」と自分で堂々と言う、というのが私はわかります。大きくなってしまうと感じていても逆に気恥ずかしかったり、逆プライドみたいなものも出てきて言えなくなるものかも、と。
たしかにモデルのいるヒロインに対しては現実、と言う強みがある分、作者による完全創作部分での矛盾があったとしてもそこの境目はわかりませんので一般論や個人尺度の常識でいちいち言動が叩かれる、ってところは少なくて得かもしれませんね。しかしそうは言っても基本創作ですから他の部分まで得、ということでもないとは思います。
あと原作に思い入れがあるばかりにそれと結び付けてマニアックなところばかり楽しむ、というのはドラマの全体的感想とはまたちょっと違う感じかもしれませんね。何でもかんでも取り入れたりオマージュなんて言うのがあれば良いドラマになる、ということではないと思いますので。そういう薀蓄はあっても私は楽しいのですが、楽しいと思う人とそういうことばかりではちょっとうっとうしい、と感じる人両方いらっしゃるだろうことはよくわかります。私自身は程度問題だと思いますが、それ自体が面白いこととドラマ全体のストーリーが面白いというのはまた別のことかなとは思います。
これまでのところせかせかした感じのドラマではないのと当時の小作農の家の様子などがよくわかること、あとは地域の自然や言葉が面白いと感じています。&
明治生まれの祖母が、名前に「子」がついていて、
子供のころ、恥ずかしくって「子」を省略した名前を名乗っていたそうです。華族でも皇族でもないのにってからかわれたとか。
祖母は長野県の山間の村で生まれ、製糸工場に奉公に行ったりしたので、「花子とアン」を見ていたら、「わかるなぁ」と思うことが多いです。
ちょっと前(こう感じるのが若い人にはびっくりかも)の日本ってそんな感じで、、、「はな」のような子供がたくさんいたんですよね、、、
今は子がつく女の子の名前は少ないと思いますがその時代を反映していると思います。大正末期から昭和初期に生まれて子がついた名前が何だか古風で先進的な女性のイメージに欠ける、と思って由美子を由美、美佐子を美佐、恵子をケイ、のように通称として使っているご婦人たちを知っています。
時代によってどんな女性を目指すか、人気があるか、というようなことでそれは変わって来るものと思いますのでこの時代に小作農の娘さんが子をつけて呼んでほしい、と主張するのはその意味でも面白いと思いました。
2014-04-02 15:40:14さんの意見は
ここの感想らしくていいね!
史実だからとかは、知らないけど星2の人がいうように
叩かれないんだね。
ごちの感想欄では散々叩いていたのにね。
2話まで見たけど、このドラマも突っ込みどころ満載なんだけどな。
室井さんより伊原さん若く見えすぎ年下の夫か?
ごちで、あまちゃん嫌いが花アンで低評価いれていると言っていた
人がいたので、おれはあま好きだからね。
花アンは見たばかりでなんとも言えないけど、ごちのほうがまだ
おもしろいと思う。
家族思いの働き者の花子
だけど子供たち4人の中で
花子だけが特別扱いで
恵まれた教育を受けれるんですよね。
お姉ちゃんだけずるいって
私が妹ならぐれるかも。
>あと原作に思い入れがあるばかりにそれと結び付けてマニアックなところばかり楽しむ
これも一つの見方なんでしょうが、読んでてついていけなくなります。
コーデリアを検索しちゃいました。
赤毛のアンのファンクラブじゃないよ。
婿殿しか字が読めない家庭で育ち、学校も通えなかった主人公がどうして『子』にこだわるのかがわかりませんでした。
夢のような物語を読むことも読み聞かせてもらうこともなかったわけだから、いくら想像力豊かな子どもでも想像すらつかない世界だったのでは?と。でも、上の方の明治生まれのおばあちゃまのお話でちょっと納得。皇族、華族の方々のお名前だったのですね。
『子』のつく名前に憧れるって今とはなんだか真逆ですね。皇室の方もついていないし。
どれだけの人にこのニュアンスが伝わったのかな。
2014-04-02 15:33:29名前無し さん
赤毛のアンは
不幸てんこ盛りではありません。
孤児で不幸だった少女が
クスバート家に引き取られるところから始まります。
幸せな少女時代を過ごす話ですよ。
〉花子だけが特別扱いで恵まれた教育を受けれるんですよね。
才能ある子は伸ばしてやりたいってのが親心だからそれを僻む妹として描かれるのか素直に尊敬するのか。黒木華さん見せ所ですね。
でも、原作では他の子供さんは養子にだされたってあったからどう描くのかそれも期待。
>『子』のつく名前に憧れるって今とはなんだか真逆ですね。皇室の方もついていないし。
??
清子様
愛子様 佳子様 眞子様
お妃も
美智子様 雅子様 紀子様
3話目にしてすでに突っ込みまくられてると思う。
〉〉黒板でいきなり暴力とか。
アンのコネタも関係なく独立して見たら、絶対叩かれどころです。でも実際そうだったんだから仕方ない、って見方、、、
実際じゃないですよ(笑)アンだって創作児童文学。だからこの話しもドラマ上の創作。アンのファンが喜ぶであろうことを(笑)見込んでの仕込みですよ。まぁ、確かに前作だったらブーイングの嵐でしょうね。
アンのファンが喜ぶ仕込みはタイトルからしてわかります。
それを知らない人が楽しめるというところが、脚本家の腕なんでしょう。
お手並み拝見というところです。
いくら実物モデルのドラマだからって実際にそういうこともあるんですよ、で済むことなんだから本来ごちそうさんで叩かれまくってた小さな「こんなことありえん」ってことだって「実際にそういうこともあり得るんですよ」で済む話なんでしょ?どちらもドラマなんだし。
つまり一般論や自分の常識だけでのドラマ叩きなんていかに無意味かってことだということだと思う。誰かが言ってたけど一般論で批判してもものごとには例外もあり得る、と言うこれまた一般論で簡単に論破されちゃうようなことだっていうこと。
あまちゃんで「寿司屋に自転車でツッコむなんて衛生的にもありえん。だからこのドラマはダメだ。」とか言うのも批判にはなってない、ってことと同じことだと思う。
>赤毛のアンのファンクラブじゃないよ。
ファンクラブではありませんが、このドラマの主人公は「赤毛のアン」の翻訳者で、アンとよく似たところもあるらしく、脚本家さんはアンを読んでいる方により一層楽しめる仕掛けをしているのですから、アンの物語とこのドラマと重なる部分の話が出てくることは多少なりともあるでしょうね。
ドラマと重なる部分から逸脱してしまい、「赤毛のアン」の感想になってしまうのは良くないと思いますけど。
今まで見ていても、ドラマの描写から離れたアンのことについて書かれているものはないですし、「ファンクラブじゃないよ」と指摘されるほどでもないかなと自分は感じていますけど。
私はアンはずいぶん昔に読んだきりなので、細かなところは忘れてしまっていて、石版のことくらいしか判らなかったのですが、小ネタのことをここで読んで、なーるほどと想い出したり、またアンを読んでみようかと思ったりしているので結構楽しんでいます。
2014-04-02 17:15:42さん
私もそう思う。
ここは時にはやり過ぎだと思うことがありますね。
でも、このドラマもどうなるかなんてわかんないけどね。
アンの物語を知ってる人も知らない人もちゃんと楽しめるところがある。それが普通のドラマとしてこのドラマが評価される条件のひとつでしょう。
「分かる人にだけ分かる」それだけじゃあやっぱり朝ドラはだめでしょう。全国津々浦々老若男女が見てるんですから。
〉〉今まで見ていても、ドラマの描写から離れたアンのことについて書かれているものはないですし
逆ですよwww
アンのことがドラマの描写に使われているのが、ファンならわかるけど読んでない者にはわからない。またそれをいちいち解説してもらわないとわからなかったり、調べないとわからないのが面倒という心理からのお言葉なのでは?
分かりたくない人は分からなくてもいいのでは?
それを無理にこのドラマはこんなに原作を意識して作られてるからそこに気づいてよ、皆この機会にアンを読もうよーみたいに人に押しつけると押しつけがましくてよくないということなのではありません?でもいろいろ書いてる人も別に押しつけてるわけではなくてそういうところを自分が楽しいから書いているだけなんじゃないですか?お互い大らかに行かなきゃせっかくのドラマがつまらなくなってしまいますよ!
BSプレミアム放送で23時から毎日再放送してるけど・・
録画機壊れた時眠いのに必死で見た。
>アンのことがドラマの描写に使われているのが、ファンならわかるけど読んでない者にはわからない
私も石版しか判らなかったですけど、後は細かな点ですよね。教会の名前がとか。
ドラマの大きな流れの中になにか影響のあることでもないもので、気がついたらそれなりに楽しいけど、気が付かなければただの名前で通り過ぎてもストーリー自体の面白さには影響がない部分かと。
でも、なんだか大きなところでアンを知らなければ理解できないようなことが沢山でてきてしまったらちょっとと私も思うかも。
今のところ、アン抜きでもドラマを楽しんでいますし、ここでこんなネタ仕込まれてたって教えてもらう楽しみも増えたって感じです。
2014-04-02 17:15:06名前無しさんのおっしゃるようにアンを知らない人にも楽しめる作品に仕上がるか腕前を見たい所ですね。
プチ楽しみ程度でここであ、そういうことなのねって気が付けるくらいで収まれば私はオッケーかな。これも人それぞれですね。
別に赤毛のアンを読んでいなくても、十分面白いと思いますよ。
これを一つのドラマとして観ればどうってことないじゃないの?
だいたい赤毛のアンを読んだことのある人が視聴者の何%いるかわからないでしょ。
まぁ女性の比率は高いかもしれないけど、男性はそれほどではないような気もしますが。
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