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2014-03-22 22:29:01 名前無し様
私の感想でいろいろと考えを寄せてくださってありがとうございます。
私が感じるご都合主義の2つの例ですが、私自身も深くはこだわってここがこうだからこのドラマが嫌いなんだよっていうことではありませんよ。(笑)
私はヒロインの杏さんがそれほど注目している女優でないことと、このドラマの展開が毎日楽しみになるぼど好みではないという単純な2点がマイナス要因ではありますが、概ねストーリーは掴んでいるのでリタイアするほどでもないと思うし、竹元さんや源ちゃんに笑わせてもらって楽しい日も結構ありですから。(笑)
ご都合主義はどこか言えって言われたら、これこれこういうところがそう感じますね、と言う程度です。
そう求める声が上がってましたので、書いただけのことなんですが、書いたら書いたでご都合主義のどこが悪い、キリがない、書いてあることが難しすぎるとか・・・もう感想も反論も書かないで茶々いれだけする人が出てきていたのには閉口です。(苦笑)
脚本家がまあ、このあたりは良心的に解釈してもらうことにして・・・そんな感じが透けて見える、脚本家が都合良く解釈してもらおうとしているなと感じるところがときどきあるんですよね。め以子の一生を半年で語るわけですから、ハショる部分も必要なのは判ります。
でも、そのわりには希子の源太への恋心、目線で追いかけるシーンが何度もあり、源太に気があるのかと思いきや謎のまま、結婚後に「私、源太さんのこと好きだったんですよ」の一言。これは人間誰でも結婚した人以外にも好きな人のひとりくらいいるでしょう、許してあげなさいよっていう悠太郎への語りかけだと思ってみていました。が、あまりピンとこないセリフでした。希子が源太に寄せる淡い恋心的エピソードがひとつくらいあるとグンとあのセリフが効いてくるのにと残念でした。ならばいっそのこと、これはいらなかったかもと私は思います。源太が物を食らうことができなくなったエピで泰介が言った「直っても戦争にいかされるなら、このままの方がええんちゃうか」も源太がもう戦争にいくことがない設定ならない方が妙なひっかかりもなくて良かったですし。
とまあ、いろいろまた書いちゃいましたが、ドラマを忌み嫌っているわけではありませんのでそのあたりは判ってくださると幸いです。
私は最近の竹元さんのはっちゃけぶりは好きですね。無人島にいっていたなんて思い切ったバカバカしさも良かったです。
今日は批判的になってしまいましたが過去には褒め感想もあるんですよ。(笑)
ちっぽけで単純な私なりのひとつの感想でありました。
上の方のごちそうさんを見て得たこと感想、ほのぼのとしてして私もおもわず頬が緩みました。
>ドラマを「分かる」というのは何も頭で理解することではありません。
このドラマのこれまでの展開、そしてこのドラマの”本筋らしきもの”から考えて、このドラマなら、確かにヒロインはこう行動するのだろうな、と考えるのは、頭で理解することでしょう?
私は結局、それが頭どまりで、あなたのいう「もっと深い部分で理解」はできない、つまりこのドラマは自分には合わなかった、と言っているのです。
2014-03-22 19:31:29名前無しさんのおっしゃる、ドラマの本筋について殆ど議論がなされていないということは同感ですが。しかし考えてみれば、本筋について議論することほど難しいことはないのではありませんか?枝葉末節的な事柄なら、いわば形而下的な面ですから、ドラマを丁寧に(別に丁寧にでなくても)観ていればわかりやすい。ツッコミどころのないドラマなど存在しないわけですから。しかしドラマの本筋について語ろうとするなら、もっと本質的な領域に立ち入らねばなりません。 そうではないですか。
このドラマの本筋というか、一番のテーマは「人間食べないと生きられない」ってことかと。
「この話を書くにあたって、食べなきゃ生きられない。それは地球がひっくり返っても間違いないことだっと いうのでやってきた。」
これはロックバーにゲスト出演された時の森下さんのこのドラマに関する発言です。
おいしいものを作って食べさせたい、食べた人が喜ぶ顔が見たいという気持ちが大好きです。
料理だけでなくいろんな仕事につながる発想だと思います。
ごちそうさんという言葉は主婦への感謝の気持ち、励ましのように私は思います。
毎日あたり前のようにしてる家事に対して、家族が感謝の気持ちなどなかなか表現しないものです。
食事を作って食べさせてもらうことにごちそうさんという感謝の気持ちを言ってもらうことが、どれだけ幸せなことかを考えさせてくれるドラマでした。
そして、めいこのように誇りを持って料理ができる主婦になりたいと、
毎日の料理に少しこだわりを入れるように変わりました。
家族の思い出の料理の一つぐらい作りたいなあ。
昨夜、某民放のSPドラマの前編を見ました。
戦時中、涙ながらに万歳しながら出征兵を見送るシーン、そして復員兵の帰還(一人はお骨になって)のシーン。涙があふれて止まりませんでした。
対して、このドラマで活男の出征を見送るシーンでは誰一人涙を流していませんでした。そして泰介が帰還したシーンも、め以子が出店した闇市を描くのに忙しくて、すごくあっさりしたものでした。
毎朝15分の朝ドラと2時間超のSPドラマを比べること自体が無理なのは承知の上で、このドラマの描き方に物足りなさを感じました。ただ、活男の戦死の知らせに関しては、かなり情緒的にしっかり描かれているとは思いますが。
何だか大学の講義のようなレビューサイトになっている?
みんなプロのドラマ評論家のような。
そういうドラマレビューサイトがあっても悪くはないが、
「テレビドラマ」ってどこまでいっても作り手から視聴者に出される情報は平等なので、見た方は好き嫌いぐらいにまとまっていくんだろうし、
その状態でレビュー=こう感じましたってことを書けば良いところなのだろうに。
理解、本筋、解釈、同感、否定、議論、理論、説得(?)、チャット(?)等々、
感想も混じってはいても、これらがびっしり30行以上にも及ぶ長文となると、もう・・・。
好きも嫌いも元々は感情的なもの、理屈で変わるものでもあるまいに、
数ページ前から読み返してみると、どうも数名の頭のいい人(?)が、
感想の流れの制御に取り組んでいるように読めてしまう。
開始当初は期待もあってかそう悪くはなかったが、
ひと月めにあたりから「ああこういう人なのか」と思い始めたら、
あまり面白いとは思えず、好きにはなれなかった。
テーマの割に楽しそうに料理をするシーンも少なく、
物量は思い出しても日常は思い出せない。
ヒロインの弾けた行動も家族愛に満ちていたように感じなかった。
広く受けるドラマ作りのテクニカルな面は秀逸かもしれないが、
自分としては感銘を受けるドラマではなかった。
「いずれ招集されるのなら主計兵になりたい」と活男は言っていたと思います。そういう動機で志願した少年にとって軍隊・戦争はどういうものだったか、私は関心がありました。そのような描写が織り込まれていれば、これまでの多くの戦中ドラマとは違った視点から戦争について考えさせてくれる作品になりえる、と思うのですが。
また、昭和20年は凶作でした。外地からの引き揚げ・復員もあって食料の供給不足はその後、戦時中より更に深刻になったといいます。め以子の家族は、倉田氏から(事情は分かりませんが)格別の庇護が得られ、食料不足の不安から早々と解放されたように見えます。
日中戦争から終戦直後までの時代を描く必要性が、このドラマにあったのでしょうか。私は疑問を感じています。
『みんなプロのドラマ評論家のような。』
仰るとおり!なかなか一般人はそのような人にはなれないのでこういうサイトはそのような人になった気分にさせてくれ自己顕示欲が満たされるのです。
そういう意味ではごちそうさんは素人でも評論家気分を味わえる作りとなっていてプロは流石だなっと思える作品だと思います。
>なかなか一般人はそのような人にはなれないのでこういうサイトはそのような人になった気分にさせてくれ自己顕示欲が満たされるのです。
へぇ、そんな気持ちで書いている人もいるんですね。というか、そのような捉え方をする人もいるんですね、なのでしょうか。
いろいろな考えがあるものですね。(驚嘆)
自分がちゃんとした感想書けないからって僻むなよ。ww
オムレツを作って活男を送り出すシーンはとても良かっただけに、
戦死の知らせは悲しかったです。
お骨もないのに、母親が死を受け入れらるのか心配でしたが、
思い出のごちそうを作って弔うところにめいこの強さとけじめを感じました。
昨夜のドラマと比較したら、遺族の心情を描くところは
ごちそうさんならではのものだと思います。
戦争や震災など、負の記憶が残る物をドラマ化する時は、
相当な覚悟とたいへんな労力が必要だと思います。
このドラマはホームコメディとしては充分楽しいのですから、時代設定をずらすか、
・・・それから3年が経った・・・とか入れて
戦後の復興期につなげれば(みんな、それぞれの脳内補完に任せて)
これからは楽しいごちそうさんのし放題。
考えただけで 楽しい朝になりそうです。
抜き足、差し足、忍び足・・・
だめだ!まだ入り込めないここの感想サイト、レベルが高い。
レベルの高さというより、朝ドラに要求が高いのは読んでて感じます。
すかだろ、今回は。棚ぼたヒロイン努力しないもん。
ご都合、ご都合と言われるが、
半年のすべてがご都合だったわけではないと思う。
悠太郎は政府に逆らって満州へ行くはめになるわ
かっちゃんは戦死しているし、
ご都合で片付けられないエピソードもはいっているよ。
一言でご都合ドラマなどと言わないでもらいたいね。
>今日の展開ではそれが何かの形でめい子の元に届く…
そこが大事だったのだと思う。
このエピを「ご都合主義な展開の1つ」と書いたものです。
おっしゃっる通りだと私も思います。
それは分かった上で,だからこそ「何らの形」を
「自分の荷物に紛れ込んでいた」などと???な「形」にせず
「自分が(病気だかケガで)病院に行く時に,(戦闘に行かないので
生き残る可能性が活男より高いので)形見として託された」の方が
自然な「形」で良いと思う,ということです。
「ドラマなのだからご都合主義の展開は当たり前」という意見があり,
私もそれを否定しません。
でも,他に「自然」と感じられる展開が可能なら,
わざわざ「(起こりそうもない)ご都合主義」と見られる展開に
することはないと思います。
また,このドラマ全体を「ご都合ドラマ」などとも書いていません。
一部にそう感じられる場面があり,私はそこに引っ掛かるので
感想を書いています。
>一言でご都合ドラマなどと言わないでもらいたいね。
ここしばらく分読んでみて思うことだけど、「ご都合ドラマ」と一言で片づけていると感じられる批判は見受けないし、半年間すべてご都合できたととれる批判もないと思う。
すぐ上に棚ぼたとあるがそれはこれまであるものとは別の次元の批判と感じる。
2014-03-23 12:10:12 さんが、ご都合と使っているのは、すぺてがヒロインの思い通りにうまく行くという意味で都合が良いドラマ=ご都合ドラマ、と言っておられるのかと思うが、そういう意味としてご都合ドラマと批判ばかりされてもいないのは読んで判る。
論点がズレているから、どうしても話がかみ合わないというか、なにが書かれているのか判ろうともしていないようでもあるというか。
活男の遺品のことがご都合主義だとは全く感じません。
生き残ったものに託されようがどうであろうと、生死をともにした戦友の絆は深いものだと想像します。
遺品を見つけて家族に届けようとする気持ちは自然に受け止められました。
私の父が亡くなったときに、戦友が遠くから訪ねてきてくださったのを思い出します。
大学をでているのかな?
屁理屈ばかりで何を習ってきたんだろうと思うことが多い。
おれには正直何を言っているのか分からないときが多い。
簡単な説明のほうがいいんだけどな。
別に書き方を直せだなんて思わない、おれが分からないだけなんで。
いつも意味が分からないのは最後まで読まないけど。
と普段から思っている愚痴をいいました。
だから僻まないの。
>ドラマを「分かる」というのは何も頭で理解することではありません。自分のなかのもっと深い部分で理解するということです。
その自分の中のもっと深い部分、って何でしょうね。
きっとそういう深い部分って言うのは皆がそれぞれ持っているものなのでしょう。
そしてドラマのテーマとか本筋とかは理解した上でも各自の嗜好が出てくる、ということなんだと思います。ここは好き嫌いどちらにしてもそのレベルのコメントが時々あるからドラマレビューとしては面白いですね。 それをレベルが高い、って感じる人がいるのかもね。最初から単に何となく好き、嫌いレベルで書いてるだけじゃないっていうのか。もちろんそういうコメントもありそれもそれで面白いですが。
良いと思います!!
文の長さとかは、数行で言いたいこと言える人もある程度長くなっても思いを書きたい人もいるんだし今さらどうこう言うことでもないと思いますね。(ってこれも長くなってしまい嫌いな人ごめんなさい!)
本筋は誰でもわかってるだろう、というコメントがある割には本筋のとらえかたもいろいろあるんだなあと読んでいて感じました。本筋に関する議論はお互いのドラマ理解のためにとても大切だと私も思います。
「生きて行くために食べることは必要である」これは当たり前ですよね。このドラマはそこから一歩進んで食と人の結びつきを描くところに本筋があると感じています。生きて行くために必要で大事な食ですがそれが満たされている時と満たされていない時は人々の結びつきにも変化がある、ということがよくわかりましたし食を通してヒロイン自身にいろいろな変化、成長が見られると思います。
め以子はもう悠太郎と東京で出会った若いころの単に自分が食いしん坊で相手にも自分が美味しく感じるものを食べさせただ美味しい、と言ってくれればそれで満足、そういうヒロインではなくなって来たと思います。それほど思慮深い人には見えませんが本人の意識とは別のところでまわりから見て本当の「ごちそうさん」に一歩一歩近づいて来ていると感じます。
倉田さんがこの人にならお金を使ってもいい、と思えるレベルには至っているのでしょう。あとは戦争の敵国であるアメリカに対して「人」のレベルで受け入れられるようになるかどうか、というところでしょうね。
好きも 嫌いも 興味のうち 製作サイドしてやったり\(^o^)/
〉生き残る可能性が活男より高いので形見として託された」の方が自然な「形」で良いと思う
そういう感想もあるんですね。観たままで受け止めていたので(号泣中だったし)落ち着いて今あえて考えてみると、戦友に形見として託したのであれば、それはかっちゃんがお母ちゃんに読んでもらう前提で書かれたものになってしまうような気がします。無邪気で素直なかっちゃんにそういう打算とまではいかないけど、狙いがあってあの文を書いたと思いたくないので『偶然紛れ込んだ』の方がかっちゃんの素の気持ちが残されてより深みがあると思いました。
覚悟の上で託すのならいざという時のためにしたためておいたという手紙でもいいわけですし。
ドラマ中はどっぷり浸っていて思いもよらなかった解釈を聞けてよかったです。より一層かっちゃんという子の良さが増しました。
改めてかっちゃんの笑顔のごちそうさんが浮かんできてしみじみとしています。
本当になんでこの時代(明治~大正~昭和)に設定したのか、未だに疑問。自分の知識としてあるのは、父母、祖父母の話、親戚の話、いろいろな当時を語るエッセイなど、このドラマは全く違っていて唖然とする。特に、当時の人々の礼節の高さや他者への思いやり、気遣い、教育勅語や修身の教科書ばりばりに育った世代とは思えない、極めて現代的な感覚。
開戦前の裕福な家庭で幼少期を過ごし、戦中・戦後もどこからともなく支援を受けて都合良く過ごす、という設定でもなんら問題なかったのでは?わざわざ震災や戦争をとってつけたように描いたところで、主人公の感覚が現代人なので、時代物に見えないし、その必要性は微塵も感じられない。
美味しいものを追求するあまりに、当時の「お腹が空いても食べるものがない」という惨めさとか悲しさとかそういう現実を無視して描くから、上っ面だけのつぎはぎだらけの浅いドラマになってしまうのだと思う。
いまどき大学なんて出たって出なくたって、と思っちゃいますよWW
大学出ててもおバカもいるし学校なんかロクに行ってなくても聡明な
人はいっぱいいるし。
でも2014-03-23 12:54:33 名前無しさんのような愚痴もなんだか
面白くもありなんだかココで妙にかわいくもあり(すみません、素直な印象)
ドラマ擁護するにしても批判するにしても(そんなにどっち側にいる、なんて
そこは意識したことないんですが)つい冗長になってしまう自分にちょっと反省。
気をつけますがつい長くなっちゃうときはテキトーに流してね~~!
へええ、このドラマが「浅い」ドラマに見える人もいるんだね。
私なんか最近の朝ドラじゃちょっと見よりかなり「深い」って感じるんだけど。
時々深すぎて頭痛くなることありますわ。
特にあのボケ役の室井やうるさい教授みたいな自由な時代ならその才能をいかんなく発揮できた人達があの時代五万といて命を落としたりしてたんだ、と考えるともうそれだけで頭痛くなる。
それ以前になんでせっかく生んで育てた子をあんな理不尽な形で失わなきゃいけない親がいっぱいいたんだ、って。
こういうことはこの時代設定じゃなきゃ伝わってこない。
めいこのアメリカに対する感情を見ると、極めて現代的とも言えないと思います。
食べていくために米兵を相手にする馬介さんや、素直に支援物資のミルクをもらってるふくを見ると、当時の日本人の複雑な感情を感じます。
夫や息子の帰りを待つ心情なども上手く描かれていて、この時代の設定で良かったと思って見ています。
来週は桜子や和枝さんも再登場してにぎやかになりそうだけど、
最後はラブコメで明るく終わって欲しい。
マスコミの受け売りの言葉で申し訳ないけれど「深面白い」朝ドラ。
視聴者の想像に任せられる、とか作者が深入りしたくないところは小気味よいほどバッサリ。
しかし、あれどうなっちゃったのかな?と思ってると後で思わぬところで前出の描写が実に効果的に使われちゃんとつながったりして驚く。特に回想シーンの映像の使い方などは素晴らしい。
非常に知的レベルの高い人が平易な言葉、表現で万人に分かりやすいように作ったドラマだなあ、ということを感じるドラマ。
この脚本家さん、あまり食べることに興味ないよね
料理好き=珍しいもの、豪華なものを用意する人
って感じで描かれてる
現実感や生活感が無くて嘘っぽい
おむすび、って豪華なたべものなんですか???
かっちゃんがむすんだおむすびは兵隊さん達によろこばれた。
アメリカ軍のモリスさんも日本のおむすびに心を動かされた。
そんな日本を代表する至極シンプルな料理から贅沢で新鮮な
食材を活かした料理まで扱われていますね。
竹元さんは無人島で暮らしていた(隠れていた)?
戦時中に本当にそんなこと出来たのでしょうか。
竹元さんはかなりの高齢だから赤紙はこないでしょうが、若い人で徴兵逃れのために無人島に隠れていた人もいたのでしょうか。
つじつまが合わないと思ってみてしまうと、こういうところも気になってしまいます。
あと少しで終りますが、いくつもの「ごちそうさん」を見てきました。
なるほどというときもありましたが、やっぱりこじつけだなというのもありました。それだけに「ごちそうさん」という言葉そのものが強く残っているということは残念ながら感じることができませんでした。
最後は、何が本当にいいたいのかが明確になるこのドラマを締める「ごちそうさん」を聞きたいと願っています。その前に「いただきます」もあればなおさらなんですが。
おむすびは東京でも悠太郎にもつくっているし、
何か伏線になっているのかもね。
来週にならないと分からないけど重要なんじゃないのか?
>おむすび、って豪華なたべものなんですか???
そんなわけないないでしょ。
自分でわかってるくせに、わざわざこういう事を書くのって・・・苦笑です。
枝葉末節、って
なくてもいいもの、ではないですよね。
髪があって 爪があって 血があり骨があり
しわがあって ひとりの人間になるように
いろんなエピを合わせて ひとつの物語になるものだと思っているので
枝葉末節にこだわりすぎ、本筋がよければ
という意見は
チョット違うかなと感じます。
あ、関係ないですが
わたし 死ぬ前に食べたいのは おむすびと納豆です。
食をテーマに持ってきてる割りにはその食の部分にも雑さを感じます。
呆れるほど食に執着してるヒロインなのに、日頃から食に対して工夫してる所があまり出てこない。おついや柿の葉寿司の時のようにうっとおしいくらいの探究ではなくて、ポテトサラダを鯵で巻いた(青魚が合わない気がして美味しそうには思えなかったけど)ような日常のちょっとした工夫で食に熱心なヒロインをもっと出してほしかったです。
倉田さんの持ってきたタコも、タレや薬味をもらってきてと人を使うんじゃなく、め以子自身があちこち動いて準備する工程を見せてほしかった。比較的源ちゃんだったり周りの人々を使って、はい!完成!め以子頑張りました!って感じがありました。
お正月のフグも、大阪では手に入らない物を尼崎の料理屋さんで用意してもらいましたの一言で解決。
時間に制限があるという事は事前に分かっているんですから、その限られた時間の中で脚本家が本当に伝えたい事だけを考えて作ればいいのに、あれもこれもと詰め込んで時間がないから細部は視聴者にお任せしますねでは???がいっぱい出てきて当たり前だと思います。
伝えたい事だけを表現すればいいのではなくて、そこに至った経過・過程もドラマの重要な要素なのに、そこを省かれる事が多いので残念です。
すみません、いまさらなんですが「枝葉末節」ってどう読むのですか?辞典で調べようにも呼び名が分からないので困っています。
一般的にはどうかはわからないけれど竹元教授なら無人島で暮らす、なんていう人が考えないことを思いつきそうかも、と思えてしまう。真っ黒に日焼けしていてあれこの人案外ワイルドな暮らしもできちゃうんだ、とちょっと見直した。
このドラマでは一般的にはどうであれこのキャラならそうかも、と感じられる設定が多い。
め以子だってあんな馬鹿デカい牛肉ふつうあの時代に買わんだろう、ってなるところがこのヒロインだから有り得ないことはない、ってなる。和枝だって悠太郎だって静だってふ久だって活男だって皆それぞれに与えられた特性に基づいた言動をしてそれが一般人とは違ってもこのドラマでは納得できる。
ドラマにおける辻褄、というのはそのドラマのロジックで考えた場合にキャラやものごとに一貫性や整合性があるか、ということなのだと思う。
一般論で辻褄が合わない、というようなことはどのドラマだって断片だけを見ればいくらでもあることだと思う。
そういう意味ではキャラがそれまでには考えられないようなその人にとって突飛過ぎることや逆に常識にとらわれ過ぎた言動をする、ということがあまりないこのドラマは辻褄が合っていると思う。
>自分でわかってるくせに、わざわざこういう事を書くのって・・・苦笑です。
はい、前のコメントに対してわざわざ反論したんですよ。
だって言ってることがこのドラマとちがってるもん。
分かって頂けなかったようで・・・苦笑です。
「しようまっせつ」です
ちなみにコピーしたい位置の文頭にカーソルを置き、左クリックして青反転させ、そのまま文章コピーしたい部分の最後まで持ってきて左クリックを解放。右クリックでコピーを選択すると文字がコピーされるので、それをグーグルなどの検索枠にもっていって右クリックで貼り付けを選択。
で、検索すると読み方なども書いてあるものを検索することができて便利ですよ。知っている方には余計なことですみません。
> 枝葉末節にこだわりすぎ、本筋がよければ
という意見
うがち過ぎではないのかなあ?本筋がよければ枝葉末節はどうでもいい、なんて言う主張しているコメントは見たことありませんよ。
しかし枝葉末節よりは本筋の方がドラマの根幹ですから大事なのは誰が考えても明らかですよね。
そちらの方には何もコメントせずひたすら枝葉末節ばかりにこだわってドラマを否定的に見つづける、ということはいかがなものなのでしょう、ということなのではありませんか。
こだわるならこだわっていてよろしいかと思います。しかしそういう部分よりはこのドラマの本筋にブレがあるかないか、の方がドラマ評価におけるプライオリティは高い、と考えるのはごく一般的な考え方だと思います。
>め以子だってあんな馬鹿デカい牛肉ふつうあの時代に買わんだろう
そのままそう思った私でした。(苦笑)いくらめ以子でもやり過ぎだなと。インパクトある大量を毎週お決まりで持ち出してくる豪快さはそれはそれでいいと思って見ていた私でしたが、ここはちょっと・・・と、ドラマから少し心が離れました。
そして、しかも霜降り!こんなのまったくいくらするんだと主婦の私はつい考えてしまいました。
でも竹元さんはものすごく豪傑で変わり者そうだし無人島、それは許した。(苦笑
2014-03-23 17:02:06 名前無しさん
ありがとうがざいます。
言われてみればそうですね、わざわざ辞典で調べなくてもそういう方法があったんですよね。やり方まで説明していただき感謝感激です。
浅いと言う意見に一票、逆に深いと思う理由が分からない
先に出てきた「深面白い」が、もし言われているとしたら、
制作側の戦略かと思われる。そう思う理由は
情報不足・繋がり不明で?の状況に対し視聴者側から
プラス印象のネーミングをすることは考えにくい。
全編通じて印象的だった各シーン
誰が食べたのか分からない程大量のおむすび
家族を震災焼死で亡くした母がさんま丸焼きにかぶりつく
大量の魚を当日中にすべて何らか調理する
経済的な問題は倉田さんが解決
数ヶ月で畑仕事を身につけたかのよう
商売に関係しない女性が闇市で一目置かれるようになる
等々
全体的に雑な感じは否めない。
総合的な映像表現としてのドラマでは
「根幹が大事」も「神は細部に宿る」もどちらも重要、視聴者は両方見る。
一見あり得るかもと思わせるが、少し真面目に考えれるとあり得ない
机上の空論的エピソードを繰り返し使うところが
「浅い」
これを繰り返しやるほど軽く、信じられなくなってしまう。
めいこの大量霜降り牛肉買いの大盤振る舞い。
このヒロインならではの食べ物を制限されたことへの怒りと反動のダイナミックな描写で
今となってはなんとも懐かしいです。
私もこりゃマンガだろう?!ってあの時は突っ込みましたが、その後の戦争での食糧事情やめいこの不幸な出来事を思うと何だかあんなことがあったのがやたら懐かしいんですね。
>分かって頂けなかったようで・・・苦笑です。
いいえ、ちゃんと分かっていますよ(笑)
こういう場所で攻撃的な言葉は控えた方良いと思って、「・・・」で濁してしまったので私の言いたかった事は伝わらなかったようですね。
全体的に薄っぺらく軽いだけのドラマには見えないし
とても面白いと思って見ている朝ドラなので自分は
これでいいです。
来週で終わってしまうのがもったいない。
いったいどこが攻撃的なんでしょうか?????
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