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そもそもストーリーのご都合主義っていうのがわからないなぁ。。
どのドラマだってヒロイン中心、描きたい世界を作者が考えるご都合で
ストーリーが展開していくのがドラマじゃないのかなあ。
ご都合って言うなら前作あまちゃんなんてそれこそトンデモナイご都合主義でした。
アキの歩んだ道どれ一つとってもご都合しだいでその道をどんどん進めて。
現実はおろかドラマにしたってこりゃ強引だなあとアキにも春子にも感じた。
震災だけは誰の都合でもないけど、それさえもアイドル度を活かしてご都合よく
復興に貢献。
しかし別にアキというヒロインのくったくのない性格で全くそのご都合が悪いとも
特別ドラマとしての違和感も感じなかった。
ドラマの好き嫌いを言ってるんじゃなくて好きか嫌いかならあまちゃんはフツー。
ごちそうさんがユルユル、サラサラ展開、つじつまが合ってない、そんな風にも自分はどう見ても見えないな。
普通にそんなにひっかからない大きな疑問のないドラマ。
目に余るほどってその人の感じ方んでしょうけど
具体的にどこがそこまで目に余ったのかなあ
ドラマも小説も
多少のご都合主義や偶然がないと
話は展開しないかと。
私は話の流れに不自然さは感じなかったんです。
丁寧によく演出されているし
撮影セットも細かかったですよね。
朝ドラ過去6作品の平均視聴率と受賞歴、興味深く拝見しました。へえ、そうなんだ!?と思う部分も、ああ、なるほどね、と思う部分もあり。
一部の方がべた褒めの森下さんは最優秀脚本賞受賞ならず、で残念でしたね。
でも老若男女誰でも楽しめるし、内容もわかりやすいごちそうさんの視聴率が高いのは納得です。それはそれで評価できる点ですよね。美術賞も同じくです。背景セットなど、よくできているなあ、と思う部分が多くありました。
視聴者としての個人的な作品評価はまた別ですが、参考にはなりました。
ご都合はほとんどの朝ドラに当てはまるような。
実在にいた人物ならリアリティがでるんじゃないの?
花子とアン、そしてマッサンは実話だからつじつまのあう
ドラマになるんじゃないの。
NHKもそこんところが分かり始めたのでは。
震災の避難民受け入れのさい、め以子がフミに余計なおっせかい
焼いて相手を怒らせたり、和枝を自覚症状なく追い詰めたりするなど
め以子の親切が鋭い凶器に変わるときがあった。
いろんな意味で毒をもっているヒロインだったと、評論家が言って
いたような気がする。
どのドラマや小説にだって本筋というのかテーマに沿った
流れというのは作者が意識して作ったものとしてはあるということ
でしょう?
このドラマにだって本筋はあるでしょう。
それが読み取れなければそれは能力的な問題か心情的な問題、と
いうのは別に嫌味でもなんでもないと思います。
そして世の中には読み取れる人と読み取れない人はいるし読み取る気持ちもない
人もいるだろう、と考えることも嫌みでもなんでもないと思います。
ただドラマとか小説の解釈というのは誰のが絶対に正しいということは
それなりに難しいかもしれません。
でもやはり明らかに違うなということもまたあるのだと思います。
ここで長くいろんなコメントで言われてきたことだと思います。
>そもそもストーリーのご都合主義っていうのがわからないなぁ。。
だから、程度の問題じゃありませんか。
上でどなたかも書いているように、「多少のご都合主義や粗があっても気にならないドラマだってありますが、ごちそうさんはそうではない、と感じる人もいる」ということでしょう。
でもそれは人によって感じ方も違いますよね。
>だから、程度の問題じゃありませんか。
具体的に書けばいいのに
私が気になったのは
石とボヤ騒ぎの後始末の方法
ふくちゃんの行動の理由を明らかにするほうを重視し
悪いことをしたと反省することをスルー
その点だけでした。
でもその以外はそれほどひどいとは思いませんでした。
ご都合主義の程度って言うのなら上で書かれてるように前作なんかのそれの程度はかなりのものでこのドラマの比ではないように思うんだけどそこらへんはどう解釈するんだろう?いや別に前作との比較じゃなくてもいいから例えば納得のできる程度の例をあげていただきたい。
年月があっと言う間に過ぎて希子と川久保が結婚しているかどうかも判らず、悠さんをお兄さんと呼んでいること、表札が「西門」と「川久保」になっていることで結婚したのかな?と判断して、さらになぜ同居しているかは語られないまま。たぶんそれは川久保夫婦が同居の方が話的に面白い展開になるから。
ふ久のごちそうさんが判らないのエピ、それについても他との比較が出来なかったためという理由でごちそうさんが判らなかったこともなんだかすっきりしない強引な持って行き方というものもありましたが(普通に幼児って基本自分ちのものしか食べないけど、おいしいって判るから。それは本能の部分が大きい)ふ久はみえない力に気が付き、母親のおいしくなぁれも見えない力だと判ったはず。しかし、また数年が語られないまま経ってしまい、ふ久はまたごちそうさんを大事にしない子になってしまっていた。何があったのかは判らないし、思春期もあるだろうと思っても、その前の週の教えはどこにいったのか。ここもふ久がみえないものを見ようとする子、とんでもない変わり者だということを視聴者に判らせるためであると考えます。
一部でしたが、私がご都合主義だなぁと感じる点です。
あまちゃんはまた違う意味でご都合主義で支離滅裂でした。クドカンファンの私としてはまことに残念。彼は朝ドラ向きではやはりなかったと自分では確信。
私は本筋にブレはないと思いますが枝葉部分は雑なドラマと見ています。
上で出ている物以外では
不味いパン。食べられない子ども達の為に作ったはずのパンが、こんな不味いの作ったらあかんねやとご近所にステーキ振る舞って解決?
また最近でいえば、倉田さんのお座敷を作ってほしいという話で蔵座敷を改装して住居部分も建ててもらったはずがいつの間にかめ以子のお店のようになっていて、混むのが嫌やからごちそうさんと暗号で話しているとか言ってるし。倉田さんのお座敷としてお金を出させ、完成したらめ以子のお店?
こういう所は不自然だし疑問に思うし、せっかく本筋が立派な物でも本筋だけが辻褄が合っていればいいというものではないと感じます。
大きな疑問のないドラマ、話の流れに不自然さは感じなかった等、矛盾がないと考えている人は上のような部分は本筋ではないからどうでもいいと考えるんですよね?そこが根本的に違うんだと思います。
どっちが正解、不正解ではなく、読み取る、読み取れないではなく、その人その人による根本的に違う話なのでどうしようもない事だと思います。
>私が感じるような本筋には一切触れずに
と自分を中心に置いた考え方ではどうしたって理解するのは難しいでしょう。
自分が感じる本筋を考えて感想サイトに書いて主張していけないことはないと思います。
いっそそれぞれが枝葉末節、というより「本筋」はなにか?
それについて考えて意見も述べ合えばいいのではありませんか。
枝葉末節についてはいろいろな意見があげられるのに、ではこのドラマの本筋はなにか、についてほとんど議論がされないこと自体が不思議です。
それともそこについては皆意見が一致しているということなのでしょうか。
>自分が感じる本筋を考えて感想サイトに書いて主張していけないことはないと思います。
自分が感じるオレ的本筋を基に、他人の感想や他人をくさすのはいけないことだと思います。
今いわれているのはそういうことです。
個人のやり取りなんでしょうか。
いつまで続くんでしょうか?
雑談は大好きだけど
もう、いい加減にしろよ。
ほんとにここは、
ドラマの内容についての感想はないのか(笑)
薄っぺらだな。
上の方々の感想が難しすぎて、まぶたがお・も・い
ご都合主義、本筋、能力的な問題と心情的な問題、主観ベース、客観性、論拠などなど、ここのサイトってインテリの集まりなの?入り込めない自分が情けない、もう泣いちゃうぞ、ほんとに、どうにかしたって~。
無駄な話も私は必要だど思っているけど、なんですか?
何、相手に対して論破合戦になっているんだ。
リベートで争っていい気になるな。
ドラマを見ての簡単な感想は言えないのですかね。
私はすでにドラマの感想をいくつかいれていますよ。
花子とアン、マッサンは史実に基づいているから
今後の朝ドラはつじつまがあうだろうとね。
カーネーションがいい例だ(笑)
枝葉末節については色々意見が挙げられているのに、ドラマの本筋は何かについては、ほとんど議論がなされていない・・・。うーん、その通りですね。私の一番言いたいことを言って下さったという気がします。
なんだか議論以前の問題のようですね。
心を尽くして、またはこれまで言われていることもあるのに。ここへの感想もきちんと説明もあり,感想としても、書いてあるのに。
どうしても自分勝手にしたい人がいるようです。
とても残念。
すこし落ち着いていろいろ考えたらよいかと思います。
朝ドラでご都合主義云々を言い出したら、もうきりがない気がするな・・・。そもそもドラマに自分の思うように変わってくれなんて望むほうが無理。作者は作者で自分の書きたいことがちゃんとあるんだから。要はそのドラマが自分に合っているかどうかであり、どちらが正しいとかそういう問題ではないでしょう。細かい所ばかりが気になるというのは、単にそのドラマが自分に合っていないと言うことで、私なら時間を無駄にしたくないから、早めに見切りをつけますね。
2014-03-22 21:25:59 名前無しさんへの賛成が消えました
↑の意見です。汗
このドラマの本筋って?
①明治から昭和を生きた、女の半生記。
②とくに、時代背景は関係ないラブコメを、朝ドラの王道である、明治から昭和にぶっこんだ。
③食べることに重点を置いたホームドラマ
④人間は、食べていれば、どんな苦労にも耐えていけるのだ!生き抜くことができるのだ !だから、みんな、ごはん食べて元気だそうよ!生きて行こうよ!という、人生応援歌。
番組のコンセプトは④なのであろうか?
私には、どれにも当てはまらないと思われる。
土台がグダグダだから、建物も座らない。
根が張らないから、花が咲かない。
大筋がないから、面白くない。
こんな印象です。
和枝さんが、自殺を企てた時に、食べて和枝さんが救われたとは思えない。
プロポーズが納豆妖怪に至っては、笑えもしなかった。
ぐいちぐいちで、外れているように、私には思われる。
で、こんな風に感じる私が好きな朝ドラは、芋タコ、ゲゲゲ、カーネにあまちゃん。
古くは、まー姉ちゃんとか雲のじゅうたん、あぐり。
FFなら、6,7,9。
好悪の分かれ目は、まさに感性の微妙なさじ加減だから、私と同じドラマが好きな人でも、あら、ごちだって面白いよ!と、いう方はたくさんおられると思う。
2014-03-22 21:56:34 名前無しさんへ
それを言っていたらきりがないのは当たり前です。
たから、好き嫌いがある。
正しい、間違っているなんてたぶんだれも言っていないんです。
好きか嫌いか、それが感想です。
細かいことにばかりと言ってますが、上記の方の意見が細かいことに目を向けてばかりいることですか?
そう思うならそれなりの反論をお願いしたいと思います。
まあ、これも一つの感想ですね。あくまでそれだけですが。
ごちそうさんがそういうドラマだと感じるのは勝手ですが、それはただ、このドラマの一つの面をとらえているだけに過ぎないと思う。別の角度から見れば、またそれとは全然違うドラマに見えるんです。これはどちらの側にも言えることですが、あまり決めつけるような言い方はしないほうがいいのではないかと・・・。
だからいろいろ意見があるのです
2014-03-22 18:42:08 名前無しさんがご都合主義と感じるという点については言われてみれば確かに割愛されていたなあ、とかふくのごちそうさんを持つ気持ちについても行ったり来たりもしてたなあ、などと感じなくもありませんがそれをご都合主義、というのかな、それほどそこにこだわらなくても自分は普通に見られてきたなあ、と感じました。
川久保夫妻が同居しているのには何らかの事情があったのでしょう。川久保家の実家については特に触れられていないので別に彼らがどこに住もうが問題もなかったのだろうし彼らが同居することで話に幅ができて面白くなるなら別にそこがどうでも見ていて問題になるようなこととは思えないので別にご都合でもいいかな、と私は思います。
ふくのキャラは全体的にはその個性が幼少時からちゃんと引き継がれていることとそんな子が「人」に人並に興味を持ち結婚して母にまでなっている姿にやっぱりそれはいろいろあって親の料理の味もありがたさも分かったという経験が大きいのだろう、とただほほえましく感じられて、それは基本的描き方に概ね説得力があったからだろう、これがご都合ならそれでも別に悪くないと感じています。
でもこの方はあまちゃんにも別の意味とはいえご都合主義を感じられた、ということなので何かドラマに対しては独自のご都合に対する疑問やこだわりを持たれてるのかもしれない、と感じました。
2014-03-22 21:56:34 名前無しさんに同感です。
そして自分なら見切りをつけて見なくなる時と見てサイトに批判を書く時もあるかもしれないけれど同時になぜ自分にこのドラマが合っていないのだろうということを考えます。ドラマ自体に問題があることもあるだろうし自分の方に受け入れられない理由があるかもしれない、とも思うからです。
これはもう、本当に人それぞれですね。私は自分に合わないドラマについて感想を書くことは、殆どありません。ドラマに感動して、その感動を言葉にしておきたいと感じたときには、迷わず投稿します。また、比較的良いドラマ(自分の感性に合う)だとは思うが、ここだけが惜しいと感じる場合も、投稿するかも知れません。どちらもドラマへの何がしかの思い入れがある場合ですね。あくまでこれは私の場合ですので、スルーして下さって結構です。
細部なんてご想像にお任せしますでいいんじゃないかと……
わざわざそれを描くことによって口説いと思う人もいるのだから。
「ごちそうさん」は最終回までの勢いがすばらしい。源太さん
が独り身という設定も最後の最後まで利いてる設定になってる。
今後の展開が気になってしまい、つい来週のすじがきをある
程度調べて確認しているのは私だけではないでしょうが、話
を知っていても楽しみな「ごちそうさん」です。
過去の「ちりとてちん」「カーネーション」「あまちゃん」の
ファンの人で「ごちそうさん」がどうしても違和感が多い人が
根深くいるのを感じます。私は後半以降、女主人公の性格が乱暴
あるいは恋愛などで自己中心的になってしまい脇役も精彩に欠け
てしまったこの3作に比べて「ごちそうさん」には終盤から俄然
目立つようになった脇役陣やそれまでの設定が生きていたり、
杏さんの苦難や立ち直りがしっかり描かれていたので「ごちそう
さん」が劣るとは感じない。あくまで私はですが、そう感じて
います。
この何日か文末にスルーしてくれていいよと言うような一文が入るコメントをよく見ます。
これは批判を事前回避してるんですよね?
散々自分の考えや他人への意見を書き込んでスルーしてって?だったらコメントせずに自分の中で納めてたらいいのに。
私がごちそうさんに感じることは、かなりむらがあるなということでしょうか。あるときは他の多くのドラマが寄ってたかっても叶わないぐらいに感動的なシーンがある、そしてあるときは確かに反対派の方が言われるようなポカッとぬけた部分もある。しかし私としてはその深い感動的な部分があまりに素晴らしいので(心の奥深くに突き刺さってくるので)、他の欠点は帳消しになってしまうというのが本音ですね。ただむらがあるので、完成度の高さから言えば、すっきりとまとまっているとは言えないかも知れません。しかし見る人をとらえて離さない魅力がありますね。
スルーして下さってもいいというのは、私の場合、こう書いたからといって、別に自分と違う考えの人を否定しているわけではないというぐらいの意味です。
わかります。私もごちそうさんにはその深い感動部分が必ずあるので、ずっと見続けてきました。
正蔵さんの手紙がその一つです。
私は原発事故と置き換えて深く考えさせられました。
心に残る深い感動シーンがいくつもあるドラマはやっぱり素晴らしいと思います。
>好きか嫌いか、それが感想です。
好きか嫌いか、それも感想だとは思いますが感想ってそれだけではないと思います。
ドラマが何を伝えたいのか、ドラマを分析することによってそれを探り考えて各自の意見を言う。その際にはもちろん自分の考えの根拠やら理由をドラマの表現から誰にも分かる形で客観的に示す。そういうものもまさに感想ではないかと思います。
読書感想文などはただの好き嫌いを書くものとは違います。好き嫌いと言うのは実はそういう手順を踏んだうえで実は最後に自分の嗜好を書く、というのが感想だと思っていました。「僕はこの本が好きです。」「いいえ、私はこの本が嫌いです。」永遠にこのやり取りでは大人の感想サイトとは言い難いと思います。
誰の意見が良い、悪いの基準ではなく自分はこう考える、このドラマをこうとらえる、ということが感想で、だからこそこういう場でも議論が起こるのではありませんか。好き嫌いだけに基づいて書いていれば永遠に平行線であるところを本やドラマのとらえ方についてお互いの考え方を知りそれを参考にいろいろ考察をふくらませたりすることができるから他の人の感想は面白いのだと思いますし建設的なものが生まれるのだと思います。
しかしそのためにはただ好意的に見る、というのではなく少なくとも作者の言いたいことをとらえようとする姿勢はドラマを見つづけて何かコメントしようというなら必要なのだと思います。最初からもう絶賛、あるいは毛嫌い、ではいくら他の人のコメントを読んでも得られるものはないように思います。ただ相手が自分の意には沿わない何だか偉そうなこと言ってやがる、それだけでありそれは「反論」でもなんでもないでしょう。反論なら冷静に自分の思うことの内容を書けばよいのでは?
などと堅苦しい(かな?)ことを書きましたが、ここはただの好き嫌いを言ってるだけのコメントばかりではけしてないですよね。
またたまにはもう手放しでこのドラマが感覚的に大好き、とか大嫌い、それを言うコメントは却って清々しい感じがして気持ちいいです。
一番迷惑で困るのは感情論とロジックをごちゃまぜにして他人のコメントを読んだりそれに感情論で返したりすることだと感じています。
活男の手帳を戦友が届けるエピソードがありましたが,
大切にしていたはずの手帳が,戦友の荷物に紛れ込んでいた
というのも,そのまま受け取れば極めてご都合主義ですよね。
なぜなら,そのような大切なものを置き忘れたり,なくしたりは
普通しないでしょうから。
脳内補完が得意な方は,死を悟ってこっそり戦友の荷物に忍ばせ
母親(め以子)に届くことを期待した,など考えるかも知れませんが,
もしそうなら,見つけて届けてくれるか不確実な方法よりは
「生き延びたら,これを届けてくれ」と頼む方が確実です。
やっぱり私はご都合主義な展開の1つと考えます。
モリスさんも息子を亡くしているのかもしれませんね。
来週はそんなところから少し歩み寄ることができるのかな…と思いつつも、アメリカ人が出入りするウマスケに行けないくらい憎いなら、チョコレートは棄てようよ…と突っ込んでしまいました(笑)
選抜高校野球が始まり、熱戦を繰り広げていますが、ここに来て泰介の夢実現のお話。正蔵さんの鉱毒事件の時は「足尾から来た女」。悠太郎の防火訓練の時は「東京大空襲」。脚本家さん意図的にリンクさせているんですかね。
例えば正蔵さんの追い求めた柿の葉ずし、色々あって悠太郎さん
が帰ってきた時の牛すじカレー、皆でつくったアイスクリン、
婦人会の女性と喧嘩共同したけど仲直りした時のカレーうどん
かつおくんが作ったオムレツ、夫婦が分け合ったスコッチエッグ
食材がない時に作った薄いカツ、和枝さんの優しさかもしれない
追いかけ茶・・どれも美味しそうで、それが画面に映った瞬間の
私の「おいしそう」とため息が出た時の記憶が蘇ります。もし
かして何十年後にこのドラマをみてその時の私の心情やその
時代も蘇ってきそう。
私の実生活にも誰かと喧嘩した時はこの料理ってのがあるなぁ、
と実生活でとてもシンクロしました。
ただ単に美味しそうな料理が毎回出てくるだけではなく、食と
いうものについて考えさせてくれたドラマです。
荷物って紛れ込むかも 戦争だもんなぁと思ってました。
ご都合主義は何がいけないのか解りません。
確かに普通なら 「僕にもしもの事があったら・・」な
セリフと共に届けられるものかと思いますが。
誰でもわかる所をそうするのに何か意味でもあるのか?
そう考えることはあります。
かっちゃん・・ドラマで久しぶりに声を出して嗚咽しました。
軍艦でもいつも笑顔で可愛がられて
あの無邪気な笑顔には救われる思いがしてました。
め以子がお母さんでしたね 多分末っ子で自分に似ていて
いつも一緒に料理をしていた活男がいないのは
私達が思うよりずっと心にポッカリと穴が空いているはず。
ノートに書かれたご馳走の数々 切ないなぁ・・・。
もう残り一週間ですか 早いなあラストスパートどうなるの?
予告では源太がプロポーズ?アメリカ人にご馳走するのか?
藤井さんは何を言いに来たの?
気になります
(反論に対しての予防線などではなくある程度長くなりそうなのでめんどくさい人はスルーしてください!)
このドラマのテーマは私は(前にも書いて重複するかもしれませんが)「人間誰にとっても食は生きて行く力の根源でありそれを通して異質な人々の間にもお互いを思いやり理解する気持ちが生まれる」というようなことではないか、と毎日見てきた限り捉えています。
ですから、キャラそれぞれにまず他の人にはなかったりちょっと異質な個性を持たせ一定の確執などを与えた上で食べ物や料理を通して家族でも地域でも仕事場でも国を超えても彼らが和合して行く姿を描く―――それがこのドラマの本筋ではないかと思います。
そのテーマ、本筋に沿ってそこに話が集約していく形で各エピが週ごとに構成されて来ています。
もちろん個人的な経験や価値観から細かいところではえ?なんでそうなるの?と感じることが全くないわけではありませんが時間的制限などを考慮するとおおむねこのテーマや本筋はすんなり伝わって来る内容のドラマになっていると感じます。
************
今日の感想。
め以子は活男と同じ部隊にいた生き残り兵士の来訪で彼からの活男の最期の話と手帳を受け取ることにより自分のモヤモヤしていた活男への気持ちや返ってくるかもという希望に、「葬式を出す」という形ではっきりと折り合いをつけましたね。ただめそめそと泣き崩れて駄目になり誰かや何かに恨みをぶつけるような女性ではない。これは常に前向きにたくましく生きようとする女性ならではの決断だと思いました。自分に似て食べること料理することが大好きだった息子に対してこの母親だからこそできる最高の葬式になったと思います。
しかしその最中に「かっちゃんはもうお腹が空くことがないんやね」と涙ぐみ、頭ではわかっていても息子の命を奪った敵にコーヒーやら弁当を出すことはできない。人が頭の整理だけでは物事を処理して行くのは難しく感情からは解き放たれない、という見ていて非常に自然によく分かる描写だと思います。
モリス大尉にはすすんでおむすびを食べよう、とするなど(本当に彼が日本のおむすびを心から美味しくて食べたくて仕方ないのかは怪しいと思います)自分からこの国を理解しよう、という気持ちが強いことが感じられます。め以子はそのうちやはり食を通して、またこの大尉の人間性を通してただアメリカを許せない、という感情からも解き放たれる時、悪いのは敵兵ではなく戦争なんだ、という理解にいたる時が来るのではないか、このヒロインならその希望が持てるのではないかと感じられます。
活男の手帳にある夢の再現の中でカレーを持ってくる母のめ以子は活男にはそれこそ竹元教授いわくのカレー「菩薩」のように見えたのではないでしょうか。実際にも若い兵士は亡くなる時最期に「お母さん」という言葉をつぶやく人が多かったという話を聞いたことがありますが夢の中で母の作った食べ物が消えてしまう、というところにああ、戦場で母が恋しくそのもとに帰りたいのに帰れない、という気持ちなんだろうな、と思いました。
食にこだわるこのヒロインは来週の最後にはさらに人として一段高いところに自分を持って行けるのではないだろうか、その時初めて本当の「ごちそうさん」になれるのではないか、と期待しています。
かつおの手帳が届けられた経緯、そこってそんなにこの流れで重要とは思わないな。出撃騒ぎで荷物がごちゃごちゃになってしまったのかもしれないし、もしかしたら死を覚悟した活男自身がこれだけはなにかあったら母の元に、という一縷の望みで同僚兵士の荷物に自分で入れたということだって考えられなくはない。
今日の展開ではそれが何かの形でめい子の元に届く…そこが大事だったのだと思う。
☆ごちそうさんを観て得たコト、、、
①ウチの糠床。単純な私は早速マネして糠床を作り、名前までつけて毎日自家製お漬物を食しています。
②食費の節約。お惣菜を買ってきたり外食が好きだったのですが、「作ろっかなー」とお料理をしたい気持ちにさせてくれ、お店で売っているお惣菜程度のモノにお金を使うのが勿体無い気持ちになりました。外食も同じで自分の作れそうなモノは外食しなくなりました。結果的に食費がかなり減り、節約意識はそれほどなかったのですが節約となりひと月の生活費予算があまるようになりました。
③家族の会話。家族で観ているので会話が増え、考え方の違いがわかったり、ドラマエピを通じて物事に対しての考え方を新発見!したりしました。
④ここのレビューサイトを知りました。ご都合主義、脳内補完という言葉を教えていただきました。Wの意味も。
⑤生きているっていいかもと思えるようになりました。(いえ、別に自殺願望があった訳でもないのですが。なんとなく生きていたので。4月から貸し農園当たったので畑始めます。何かを始めたい気持ちになりました。)
☆ごちそうさんを観て無くしたコト、、、何もないですね。
ココがよかったとか、悪かったの場面はいっぱいあるし、その理由もあるけど半年観てきた感想は屁理屈抜きに上記のようなことです。あと一週間ですが半年間楽しませてくれてありがとう*\(^o^)/*って感じです。
※反論者の方はどんどん受け付けますのでそのままスルーせず先へお進みいただく前にお立ち寄りください。
構ってちゃんなんです(*^^*)
上、構ってちゃんのコメント、夜中に読んで笑えました。なんだか楽しくてこのままいい気持ちで床につけそうです。ありがとうございます。
②と③は私も全く同様。
特に②は意外と大きな影響を受けてる自分に驚いたりして。
私も食べるのは大好きなんですが料理が面倒くさくてたまらない。もうできる限り「たまには外で食べましょ」と何だかんだ理由をつけて外食をして結果値段の割に満足感の得られない食生活を家族に強いてましたけどこのドラマの始末の精神といつも台所に立って美味しい料理を家族に食べさせようと心がけるめ以子の姿に少し反省をし冷蔵庫のものをいろいろ工夫して賞味期限以内に使い切るようになりました。はい。ごちそうさんのおかげです。
うちにも息子がいますが、泰介やかっちゃんのように料理を通してどうも愛情を伝えきれてないな、だからめ以子みたいなことは言ってもらえないな、とも・・・・いやあ、料理を一日3食手抜きせず作る。
これはなかなかできることじゃないですね~
頑張ろ・・・
2014-03-23 01:59:48名前無しさん、それが何かの形でめ以子の元に届くことが重要だったという感想に、私も同感です。無論、世の中にはご都合主義だらけのくだらないドラマが溢れている、それは私も思います。けれどこのドラマがそれとは全く別物であると感じるから。それは理屈ではないのですよね。
>ではこのドラマの本筋はなにか、についてほとんど議論がされないこと
それはこのドラマの本筋はたぶん、ほとんどの人が理解しているからじゃないですか? だって、すごーくわかりやすいもの。
批判している方の多くは、本筋そのものではなくて、それ以外の描き方が雑で、ご都合主義や矛盾が目立つということでしょう。
どなたかが言っているように本筋の辻褄が合わないと批判する方は、いたとしてもごくわずかだと思いますよ。
私はこのドラマ、食がテーマなのはわかるけど、たぶんその時点で自分の好みに合ってなかったんだな、と今にして思います。
食や食べ物にこだわりすぎてエピの解決が中途半端になったり、すごく強引な展開になったり、またヒロインの食べることへの執着があまりに強すぎて、ドラマとしては、ああ、このヒロインならそう行動するんだろうな、と頭では分かっても、感情的に受け入れがたいことがかなりありました。
まあ、ここまで見てきた以上、一応最後まで見るけど、あんまりテーマにこだわりすぎるとちょっとしつこいな、とは感じています。
作者の都合に合わせて書いたドラマを視聴者が楽しめるかどうかです。
フィクションは全てご都合主義だと思ってます。
戦後のめいこの心理描写がうまく描かれてると思います。
悠太郎を支えに生きてることが最後まで感じられると予想してます。
なんだか肯定派と否定派の議論が全然かみ合っていない気がします。また、本筋という言葉の意味がよく分かっていない人がいるようにも思えます。溝は思っている以上に深いですね。
ドラマを「分かる」というのは何も頭で理解することではありません。自分のなかのもっと深い部分で理解するということです。
このドラマの本筋は、当初は「美味しいものを食べさせたい」だったように思う。(めい子の場合は、「あたしが美味しいと思うものを何で食べられないのよ!」のごり押し納豆から始まるが)それが、「贅沢は素敵だ」の回で方針転換。「あたしの料理がすごいと言われたい。「ごちそうさん」と呼ばれたい」になった。また、このエピからはなんだか手のひら返しの連続。
興亜建国パンは、お腹をすかせた子どものために、当時の食糧事情から、味は二の次、せめて栄養をとらせたい、という当時の母親たちの切実な願いがこもっていたのに、めい子は、それを不味いと断じ(以前めい子は「空腹は最高の調味料」と言った。お腹をすかせた子どもたちにとってはごちそうなのに)子どもたちに見向きもせず(後に「お腹を空かせた子どもを放っておけない」とされた)「あたしはこんな犬も食わないものは作っちゃいけない」と言い放った(後に、同じレシピで「肉もどき」を作ってドヤ顔。婦人会の皆さんは初めて見たかのように「へぇー」と感心。あのときより食糧事情はさらに悪くなっているはずなのに・・・)
脚本家さんが「ごちそうさん」とはどういうものか、あるいはどういう風に描こうとしたのか知るよしもないけれど、私には、行き当たりばったりのエピを盛り込むのに必死で整合性も考えず、結局「「ごちそうさん」と呼ばれたい体質」からめい子を脱却させられなかったと考える。(一度「貧すればうどんす」のエピで「本当のごちそうさんとは?」を問いかけたけど、元通りになってそのままだったし)
なんにせよ、あの食糧事情の悪い時代を生きてきて、飢えることもなく、なんでか都合良く食材が手に入り、作る料理作る料理が絶賛されるヒロインに共感も感動も起こりようがない。
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