5 | 596件 | ||
4 | 152件 | ||
3 | 85件 | ||
2 | 131件 | ||
1 | 637件 | ||
合計 | 1601件 |
未婚女性の正装はあの時代なら間違いなく振袖です
お茶屋のように仕来たりを重んじるところでは家族親族でなくても出席者のドレスコードにはうるさいはずです
特に千代は今回の結婚の功労者ということになっているし身支度に気を使ってくれるような身内もいないのですから岡安が貸すなり借りるなりしてくれるのが当然だとおもいます
なのに黒留袖を来ているのは何故か
凄く気になりました
未婚でも黒留袖を着られるのは芸妓と芸者のみ
なので
>家庭劇の一門としての役者の正装なのか
とおっしゃっていた方と同様に考えました
劇団一同が同じ紋だったとおっしゃっていらした方もおられましたので
役者は芸妓や芸者と同様に玄人(非一般人)と位置付けられてのことかな?と
でも調べても今のところその考えを裏付けるものが見つけられないでいます
もしそのような特殊な身分ゆえの黒留袖なら説明を入れて欲しかったと思います
そういった些細なことでも普通では知り得ないことを知ることが出来るのもドラマをみるちょっとした楽しみの一つなので
凡ミスだったらかなり酷いですね
今でも一応一般常識の範囲内だと思うので
だから尚更ミスとは思えないのですが
宝塚正装の黒紋付みたいに、黒留袖が女優の正装という説明を黒衣さんがすれば済む話。
まだまだ男社会の芝居の世界で、芸事を伴侶として脇目も振らず一生添い遂げる覚悟のしるしとして、本来既婚女性が着る黒留袖を女優は着用しますとかね。
そして黒留袖が一人前の女優として認めた証として、山村千鳥とか岡安とか道頓堀の人たちからのプレゼントだったりしたら嬉しいけどなあ。
「こういう時にはこんな格好をしないもんだ」と陰で言われそうな気がして伝統的な着物は着られないのよね。
成人式の時のも振袖なんか着なかったし。
むしろ今じゃかなり自由な発想で着物を着る欧米人とかが話題になっていてそちらの方が着物の活路がありそう。
私は千代ちゃんが舞台の時はちゃんと日本髪のカツラかぶっていて普段は地毛で結っているという使い分けに感心している。
いろいろ気になる方も多いようですが堪忍な。千代ちゃんに免じて堪忍な。
杉咲花さんの肩に力が入り過ぎているのか空回りして煩い感じで浮いている、役者にしては色気や愛嬌やユーモアが不足して見える。
成田凌さんのナメたようなシラけた役柄と杉咲花さんの空回りした張り切り方のバランスがチグハグで話が入ってこない。
「親は子供の幸せを願うもんやろ?」がタイトルの週だったので、劇中劇やシズさんとみつえさん親娘の話が、スピンオフ的に思えてしまって、少しガッカリだったのですが、実は千代ちゃんが幼少の頃、父親や継母の栗子さんに、本音でもっと言いたかった事が隠されていたとすると、考えさせられる週になったと思いました。
父親の事は継母が来た時点で、あきらめざるを得なかったでしょうし、何度も無心にやってきた父親に対して、縁を切ることさえ出来なかった千代ちゃんの心情を考えると、表には出ませんが切ない週になりました。自分に無償の愛なんてあるのか、これから見つかるのか、複雑な気持ちを抱えながら、どこかでマツさんみたいな継母だったらとか、シズさんやみつえさんのような親娘関係が自分にもあればと、つい、無い物ねだりをしてしまう自分に、嫌気がさしてしまう時って、私にもあったのですが、それを誰にも悟られないようにするのも意地のようなものだったのかもしれません。
ただ何度か千代ちゃんが寂しげな表情を見せるシーンがありました。千代ちゃんにとっては岡安は唯一の居場所。でもシズさんがみつえさんの幼少の頃の黄色い着物を見てしみじみ語るシーンは、千代ちゃんにとって本当は辛いはず。唯一形見のように持っているビー玉の黄色とも重なって、複雑な気持ちを抱えながら、岡安のために力になろうと考えたとしてもおかしくはないですね。
千代ちゃんは何かとお節介はするけれど、自分の事は実はあまり語っていない
気がします。あくまでも感想なので、ドラマの実のところはよくわからないので、
間違っているかもしれません。そこのところはお許しください。
今、大阪には世界に誇れるものが2つある。
おちょやんとなおみだよ!
東京なおみじゃぁ、、似合わないだろ?!
大阪なおみの試合、間もなく始まる、、
みんな見ろよ!
おちょやんと一緒で世界が見ているんだ
おちょやんもなおみも世界№1になるぞ‼
あれ? 関西狭い世界から抜け出せないおちょの世界観と、世界に羽ばたくエールの世界観のスケールの違いが何故か真逆に見えてしまうのも
やはりBK信者の偏った贔屓から生まれてしまう濁った目のせいなのかしら?
言われて改めて思ってしまいましたが、おちょの持つ独特の閉塞感が、朝から凄く息苦しく感じてしまうのも視聴者ウケしない要因なんでしょう。
千之助と一平の関係が面白い。
「母に捧ぐる記」をトリにしようとする一平に千之助は、それは良いけど気になる所に手を入れさせよと主張。
真っ赤に書き直された台本を、結局、一平は認めざるを得ない。お前に親の気持ちの何が分かるかと言われれば、薄幸に育った一平は言い返す言葉もないのだ。
そして結果的に千之助の書いた「マットン婆さん」は、舞台で大当たりする。
「形は変わっても、おれのやろうとした事はちゃんと残ってる。悔しいけどこの芝居は確かに面白い」と、嘆息する一平。
その台本には、彼が書きたかった母の無償の愛が、みごとに表現されていたのだ。
千之助が一平に向ける一見冷たそうな態度の裏には、実は恩人の忘れ形見である一平を、いとしく思う情が隠されているように思えてならない。
一平に厳しくすることで、彼を育てようとする思いが、心底にあるのではないだろうか。
いつの日か父親を超える存在になってほしい…。それを願う無償の愛が、千之助の内にも存在しているのでは?
おちょやんは世界云々より、まずはこれ以上視聴者から見限られないようにすることが先決だわね。
始まるまではここまで残念な朝ドラになるとは思っていなかったんだけどね。
ヒロインの好感度低すぎ。
なんかもう非常にしらけてきたので、来週のタイトル「たった1人の弟なんや」が、辻本茂雄のなまりで脳内再生されます。
>あれ? 関西狭い世界から抜け出せないおちょの世界観と、世界に羽ばたくエールの世界観のスケールの違いが何故か真逆に見えてしまうのも
やはりBK信者の偏った贔屓から生まれてしまう濁った目のせいなのかしら?
半径5mの話が世界に羽ばたくエールとは、本当に笑える。家に引きこもっているとそうなるのか?
朝ドラの名作「澪つくし」と、
あちこちの感想サイトで批判殺到だった「花子とアン」を
一緒にしないでほしい。
無理ありすぎ。
「親は子供の幸せを願うもんやろ?」という先週のタイトル、
いま思うと千代にとってはあまりに皮肉なタイトルです。
今さらながら、みつえの結婚式で、「みなほんまに幸せそうやな」とつぶやいた千代の顔を
一瞬通りすぎた寂しい影が忘れられません。
そういう部分で共通したものを持つ、千代と一平は
やはり最終的には結ばれる運命にあったのでしょう。
いちいちタイトルも凄く閉塞感が感じられるようで「親は子供の幸せを願うもんやろ?」とか「たった1人の弟なんや」暗いんだよなぁ〜
半径2mの世界観ってくらい、話しが広がって来ない。千代はテルヲの呪縛から抜け出せないままなんだな。
狭い世界の息苦しさ感じさせていては、流石に定番番組の朝ドラだって人気が出ないのも当然ってとこかいな。
時には廻りの人間の話を描くのもいいが、肝心の千代ちゃんはうるさく感じられるし、芝居作りの話も軽々しい。
良いと思われる週もあったのだが。
「芝居の素晴らしさに魅了されたヒロインが大阪で芸の道を一途に歩み人気女優となる物語」で、頻繁に芝居を絡めるのなら、週タイトルを、芝居の題名や有名な台詞をモチーフにすれば、難易度は高いが遊び心があって面白かったと思う。
おちょやんこそ、せまぁ〜い世界でゴチャゴチャとした話をクドクドとしているだけ。
これと言って見所も無く、ドタバタや罵声が飛び交う朝ドラとか何なのって感じ。
毎朝こんな朝ドラを放送しているとか残念としか言いようがないです。
毎日15分ずつ見るのと、5回分続けて見るのでは、少し印象が異なってきます。5回分で毎週1回の連続ドラマとほぼ同じくらいの分量になり、テーマが理解しやすくなります。
いつも思うのは、続けて見るとストーリーの基本線はしっかりしていて、テーマもはっきり分かることです。細かい表現や大袈裟な演技など、細かく見れば気になる所や、時には不快に感じられるところもありますが、全体としては筋が通っていて、よく出来ていると思います。
今週は、見かけ上は、みつえと福助の恋バナですが、それは「親は子の幸せを願うもんやろ?」という週間テーマを描くための象徴のようなもので、「マットン婆さん」の芝居とリンクさせながら、作者が訴えたかった親の子供に対する無償の愛の素晴らしさがにじみ出ていたと思います。
ただ、気になるのは、一見明るく仲立ちをしている千代の心の奥の寂しさでしょうか・・。
17:09:54さんの意見に いいね! しました。私もそう思います。今週の劇中劇「マットン婆さん」は既に多くのご指摘があるように「血のつながりがなくても親にも勝る愛情を注ぐ老婆」の話らしいのに(元の話がどういうものか知らないのですが少なくともこのドラマにおいてはそういう話になっている)、それを「実の母娘」の話に重ねているのでかなり無理が生じていたと思います。
本来なら「血のつながらない母娘」といえば千代とシズなのでしょうがこの二人には確執がなく、話の都合上シズとみつえに無理矢理確執を作ったのもキャラ崩壊の元だったと思いますが、この「血のつながりがなくても親にも勝る愛情」という点では千之助と一平が一番無理なく話に絡められたと思います。千之助が一平の父をしのんで酒を飲むシーンがあったからです。千之助の憎まれ口や乱暴な態度に見え隠れする愛情を、ここではっきりと視聴者にも見せてあげてくれたらと思いました。
また、「親の子への無償の愛」を「子供のわがままをなんでも聞いてやること」と解釈したのには大いに失望しました。あの着物の話には冷めてしまったし、親に売られそうになって道頓堀から逃がしてやった千代に向かって我が子への愛情たっぷりの甘やかしを語るシズの無神経さにも落胆しました。これもこれまでのシズの性格を考えたら違和感しかなく、この話を語らせるなら旦那の方が合っていた(その溺愛ぶりをシズがたしなめつつ許す感じの方がよかった)と思います。
そもそもマットンが用意した大金は話の流れから考えるに彼女がコツコツと貯めたお金で、シズがみつえにしてやったことはまだ羽振りが良かったころの岡安が一人娘に何不自由なく生活させたことで、とても比較にならないと思いました。
などなど、色々と無理の多いスピンオフ週だったと思います。
半径5mの世界というと、スカーレットを思い出します。
本当は奥が深い陶芸の世界で、スカーレットは物凄く狭い世界を描きましたね。
物語も最後の方は、ほとんど工房から出なかったし。
思い出したわ。本当につまらなかったな~。スカーレット。
最近、おちょやんも雰囲気がスカーレットに似てきたね。
セットが豪華なスカーレットかな?
理想の朝ドラとは、毎日15分見ても面白いし、まとめて見ても面白い。朝見ても、昼見ても、夜見ても、いつ見ても面白い。1回見ただけでも内容が理解できて面白いけど、繰り返し見ると更に違った面白さが発見できる。ものだと思っている。
「よく見れば面白い」「1回見ただけではわかりづらいが面白い」と書かれる方がいらっしゃるが、「おちょやん」は不快場面が多すぎて、たった15分でも見続けることが困難な回が存在する。そのため不快を乗り越えてもう1回見ることは絶対に無理。
製作者にはイライラする不快場面を無くし、15分間集中できて楽しく視聴できる、1回見ただけでも内容がわかって面白く、何度も見たくなるようなドラマを作っていただきたい。
私には「マットン婆さん」の話は今週で終わるのでなく来週にも続く感じで、今週は来週の千代と一平の物語の前ふりだと思います。
披露宴で神妙にして杯を酌み交わす千代と一平がそれを示唆しているように思えるのです。
だから、早々に結論を出さずに見守りたいと思います。
「おちょやん」は深い作品で短兵急に結論を出せる物語ではないと思います。
描き方によっては半径数メートルのセットだろうが箱庭だろうが想像の翼を広げて描けば感動は限りなく広がります。本作は内容が閉鎖的で在り来たりで年配者にも若者にも普通の視聴者にも避けられて朝ドラとして視聴率が低空飛行です。例え映画のような壮大な美術セットも宝の持ち腐れ。
毎日見てもいつも面白い朝ドラもありますが「おしん」で子役おしんは最初の奉公先で盗みを疑われ半裸に女中頭にされました。こう言う辛い回を乗り越えて、俊作兄ちゃんとの出会いや加賀屋大女将との出会いと大団円が待っているのです。「すずらん」も然り。
私は「おちょやん」を長い目で見て面白い作品だと思います。小暮の求婚をいったんは受け入れ退職届を胸に入れ、前夜はガラス玉を月にかざし亡き母に語り掛け、ささやかな幸せをつかみかけた時に、ええとこのボンの小暮が迂闊に「本当はお父さんを許したいんだろ。一緒に住もう」と言われたことで辛い現実を前に「そないになったらええなあ」と懸命の作り笑顔で結婚を諦めた千代の心情なんか、とても上手いと思います。
前ブリだって何だって 貴重な一週間をつまらないお話しで繋げちゃダメだよ
その積み重ねが 今のおちょやんの低評価・低視聴率の結果や‼︎
捨て回が多過ぎ!
視聴率が低いから、と言うのは止めたいと思います。
「こころ」は次作の「てるてる家族」より視聴率は高かったですが内容は勝っていたと言うのが専らの批評家の意見です。
ミニシアターの作品はロードショーより劣っているでしょうか。
>前ブリだって何だって 貴重な一週間をつまらないお話しで繋げちゃダメだよ
来週につながる伏線の回ならば、トータルで見ることも大切かと思います。でないと、長編の文学作品も読めませんよ。
>「こころ」は次作の「てるてる家族」より視聴率は高かったですが内容は勝っていたと言うのが専らの批評家の意見です。
訂正です。意味が逆でした。
× 内容は勝っていた
○ 内容は「てるてる家族」の方が勝っていた
朝ドラは同じ条件下の連続放送だから、極端に視聴率落っこちたらボロクソ言われてもしゃあないな。
映画とか引っ張り出しても、意味が違うでしょ。
長編小説どうたら、おちょやんがオモロなったためしが無いからな
もう半分もやってりゃ いい加減期待なんてのもありゃしないだろ笑
「純と愛」も低視聴率でした。
だからこの脚本家は朝ドラに向いてないのですよ。毎回15分を面白く、一週間をまとめる。
それが出来ないのは朝ドラとして致命的な欠陥。
一週間を通じて面白いのではダメなんですよね。
にぎやかとうるさいは違うし、華やかとゴテゴテも違うのです。
キャンキャン吠えれば良いわけではないし、豪華なセットがあれば良いわけではありません。
例えば、物語の世界が狭くても、同じようなセットでも、工夫で面白いドラマがありました。「王様のレストラン」が良い見本です。
騒がしいだけのドラマ。おちょやん。
大きな勘違いが生んだドラマ。
それがおちょやんかもしれませんね。
自分の都合の良いとこだけ、他人の投稿貼り付けない方が宜しいのでは。
一番嫌な返しですよ。
視聴者の方を向いていないのが、この朝ドラの最大の欠点ですね。
一週間我慢すれば次に繋がって面白くなるなんて、視聴者をバカにしているような擁護は御勘弁です。
>一週間我慢すれば次に繋がって面白くなるなんて、視聴者をバカにしているような擁護は御勘弁です。
「おしん」「すずらん」の例を挙げましたが視聴者を坂西他作品ではありませんよ。
もう何をやっても手遅れだと思います。
ヒロインも脇の主要キャラも完全にキャラ崩壊してしまったようで、誰一人として魅力が無いので煩さだけが苛立ちます。
>「おしん」「すずらん」の例を挙げましたが視聴者を坂西他作品ではありませんよ。
訂正です。
× 坂西他
○ 馬鹿にした
>屁理屈タレ!
私は筋道を立ててお話させてもらっています。
こう言う暴言を吐くのは恥太郎さんらと同じレベルだと思いますよ。
多分 今週のお粗末なお話しで、ますます視聴者は離れて行ったんじゃないかな。
それ自体で、この続きが面白くなるとか言っても朝ドラとしての作り方を間違っていますよ。
だから 捨て回が多いっていてるけど 殆ど捨て回かも(笑)
>やり取りを見ると的確な表現と思うよ
この暴言のどこが的確か、きちんと論理だってご説明下さい。
ここはお互いの意見を聞いて話し合うところで罵詈雑言の応酬の場所ではありません。規約をよく読んで下さい。先ほどの暴言は違反報告しました。
久々に面倒くさいのが出て来た
この手はめんどいぞ‼︎
このまま視聴率が落ちて行き、NHKの放送期間の再考を期待しています。
とにかく面白くない、今まで観て来た朝ドラで純愛と同格と思っています。
家族に目を向けたとき、つい内向きで守りの思考になることがあるのだが
今週はそれを超えた関係を見ているようで考えさせられる内容だった。
個人的に良し悪しでドラマを評価するというより、その内容に感謝したい。
安定した居場所が得られにくい状況で、身近な人の為に動けるのはすごいなと思う。
そんな人たちが支え合うドラマだと思うから、私はおちょやんが好きなんだろうな。
「おしん」「すずらん」は脚本演出がしっかりした作品だったから、見ていてきついことがあっても、ドラマを信頼して小さな希望に喜びを見出して見続けることができた。キャラクターに対する愛情が感じられず、行き当たりばったりのストーリーに合わせてキャラ変を繰り返す「おちょやん」と一緒にしてはいけない。
長期展望で脚本が書かれているなら、なぜ最初の道頓堀時代に岡安や福富、天海天海一座の人たちにスポットを当ててもっと印象付けなかったのだろうか。千代にとって道頓堀の人たちが故郷と思えるような交流をもっと丁寧に描かなかったのか疑問。
一平が「鶴亀家庭劇」と名付けるのがわかっているのだから、天海天海が、一平と千代に座員の話をしながら「一座の人間はみんな家族や。喧嘩してても舞台に立てば一つになれる。それが芝居のいいところや」とか言わせれば、後の伏線にもなるし、座員の名前や個性を印象付けられたのにと思う。(漆原さんは天海天海一座の頃からいたらしいが全然覚えていない。漆原さんとルリ子さんだけは好きだから、今度総集編があったときその確認だけはしたい)
今週は好きな岡安の話が中心で楽しかった。
かめさんも仲間のお茶子さんもみつえもシズさんも、
はなさんもみんな好き。
忘れていたけど旦那さんのやさしさも好き。
これから岡安がどうなっていくのかもすごく気になる。
今週はみつえちゃんとシズさんがキャラ変わってガッカリでした。みつえちゃんが甘やかされのわがまま娘だなんて思ってなかったのに。ごりょんさんのイメージも悪くなって。なぜか福富の姉さんだけイメージアップ。福助は何かいいとこあったかな。一平も脚本全然うまくならないし。千代はどのレベルにいるのかさっぱりわからない。
必ずちりとてちんを出してくるけれど、同じ様に視聴率が低くても、おちょやんとは同じ作品じゃないんですよ。
おちょやんのダメなところはこれまで散々書かれてきています。そういうところが嫌で視聴者が離れてしまったからです。
好きな人や良い作品だと思っている人は見てくれていますよ。でも嫌だと思ってしまった人は見なくなってしまった。でも面白くなったら、ちゃんと上がってきます。視聴率とはそういうものです。
なんでこの駄作おちょやんの批判書いてる人が、ちりとてちん批判にすり替えられてるんだ?
どこが筋道通った論理なんだか? おちょやんの信者はどうも訳の分からないのが多い。
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