日テレの原作ものが軒並み視聴率をとってるね。
デスノート、花咲舞が黙ってない、ど根性がえる。
悪くないのもあるけどなんかやり方があざといよねぇ。
でも元ネタのチョイスもキャスティングもいつも絶妙で気軽に見れる系のドラマを作るのはうまいなあって感心もする。だけどたまにはオリジナルで勝負してみろって言いたくもなる。
その点視聴率はよくはないけどTBSとテレ東は挑戦的で好感が持てるな。オリジナルや人間ドラマを作りたいって意気込みだけは感じられる(成功してるかどうかはまた別。)
テレ朝も大外しはしないよね。
フジはあかん。
NHKもわりと良い。
それぞれ特徴が出てて面白いわ。
テレ朝は刑事物に医療物が多いし、シーズン化が多いから視聴率が安定していますね。
日テレは○○妻。は良い悪いは別として革新的なドラマだった、ど根性ガエルは脚本がよくないよ、視聴率も下がっているしね。
今期フジは見れるドラマがないですね、前期は月9に木曜と見ていたのにな〜
今期はどの局もパッとしたインパクトのあるドラマがない。夏はでかけて視聴率が落ちるから本気をだしてないんだろうね。
750さん、とてもわかりやすいです。もう少し教えていただきたいのですが。「粗筋は理解できるが、作者の意図が理解できない」という言い方があると思うのですが、この「意図が理解できない」というのは「解釈」ができていない状態、と考えていいですか?図々しくすみません。
日本のドラマの1クールが短いなーと思っています。
現実は、その1クールも必要ないような薄っぺらいドラマがあるのも事実ですが。
視聴者もあきっぽくなっているのでしょうか。
次から次へと使い捨てみたいにつまらないドラマを量産しているうちに、脚本家はじめ制作サイドの人材も、役者も育たないという悪循環を生んでいるような気がします。
753さん
また「理解」についての例を出します。
「シェアハウスに5人の仲良しが住んでいた。ある日リンゴが食べたいので買ってくることにした。Aはリンゴを丸ごとかじりたいと言った。BとCは半分位なら食べたいと言った。Dは半分だと少ないが1個は食べきれないと言った。Eはお腹は空いていないが少しなら食べられそうと言った。3個リンゴを買ってきて5人で分けた 」
という話があったとします。
「 1人当たり3/5個ずつ食べた」という答が不正解なのはお分かりいただけるでしょうか?
正解はAが1個、BとCで1個、DとE で1個(割合は恐らくDが7~8割、Eが2~3割)と予測がつきます。理解に必要な充分な条件提示がなされているからです。
>「粗筋は理解できるが、作者の意図が理解できない」
というのは、「あらすじにおける要素」を「記号」として捉えている場合にたびたび起こると感じます。上の話をまとめると「5人が3個のリンゴを分けて食べた」となりますが、過不足なく条件提示しているのなら「3個のリンゴをそれぞれどれだけ食べたかを理解してもらいたい」というのが作者の意図です。そして「5人で3個のリンゴを堪能した」「5人で食べるには3個のリンゴで十分だった」「シェアハウスには食欲旺盛な人も居れば食の細い人も居る」などは上の条件提示では不十分なので解釈と言えると思います。
もう1つ例を挙げます。
友達が「大雨の中、忠犬ハチ公の前で3時間も待ったのに彼が来なくて、そのあと電車が止まっちゃって自宅にずぶ濡れになって帰って風邪引いちゃった。あのあと彼に聞いたらすっかり約束忘れてたんだって」と言ったらどう答えますか?
「結局何が言いたいの?」「意味わかんないんだけど」「それから?」「で、結論は」とあなたが言ったとしたら、「粗筋は理解できるが、作者(この場合は友達の会話)の意図が理解できない」の典型となります。
友達は「愚痴を聞いてほしくて」「不幸を共感してほしくて」「大変だったねと労って欲しい」のです。
ドラマの感想を拝見すると上記のような感想が非常に多いのです。条件提示はないので解釈と呼べますが、一般的な感情論として十分に推察できる範囲なので理解に内包されると思います。
脚本が良い→私の好きな話
脚本が悪い→私の嫌いな話
こういう意味でこの種の言葉を使う連中にはうんざりする
755さん。753です。丁寧に分かりやすく書いてくださってありがとうございます。感激です。お手数をおかけしました。もう少し読み込んで色々な場面に当てはめたりして考えてみたいと思います。
人への考察や批評じゃなければ駄作だろうが傑作だろうが理解力あるなしに関わらず好きに書けばいいさ。
>最初に「理解力」について物申したので724さんに賛同する形になることをお許しください。
これ必ずしも要ります?私に対しての嫌みが強いんじゃないですかw?
「愚痴を聞いてほしくて」「不幸を共感してほしくて」「大変だったねと労って欲しい」
これは会話は共感、という意味合いで考えるなら、それで理解の範疇に入ると思います。
しかし、この人は「彼に怒っている」「彼との付き合いを考え直したい」「彼の行動を直すのを相談したい」ということも考えられると思います。
その意味では理解というより解釈と捉えた方がいいのではないでしょうか?
むろん、実際にこういうやり取りがあるならあなたが言っていることが本当の気持ちでしょうけどね。
しかしそれは女性的な発想ですよね。実際女性だと思われますが。
男性的なら情報のやり取り、解決、理解で会話することも多々あります。
>459さん
そう来ましたか。
最初に一文を入れた理由について。
みなさんの掛かれていること一つ一つを切り取ってみると首肯できることも多くみられました。ただ、よくよく拝見すると「理解力」についての定義そのものが各自違い、討論の内容にねじれを生じているのではないかと思いました。そこで、「理解力」の定義について各自の捉え方をもう一度見直そうよ、共通認識を持とうよ、これは飽くまで自分の捉え方なので多少の差異、説明不足はあるかもしれないから異義があったら言ってね、もしかしたらこの段階で「理解力」の定義が724さんに賛同すると捉えられるかも知れないねという意味です。
次に後の例について。
>「結局何が言いたいの?」「意味わかんないんだけど」「それから?」「で、結論は」
と言う人は男性に多いよなぁと思ってました。女性的と言われるのはその理論で捉えれば正しくその通りです。
ただ、この段階で「彼に怒っている」「彼との付き合いを考え直したい」「彼の行動を直すのを相談したい」と思っていると考えるには十分な条件提示がなされていません。だから、もしこの段階で今の言葉を疑問形にして友達に投げ掛けたとしたら「粗筋は理解できるが、作者(友達)の意図が理解できない」と言うことになります。ドラマに置き換えると解釈ではなく拡大解釈です。
ちょっと話はずれるけど、たとえ制作側の意図を正しく理解して唯一の正解とやらにたどり着いた人がいたとしてもそれをうまく描けてないと判断するということもあり得るんじゃないかな?と思うよ。
正解にたどり着くこととそのドラマを肯定的に評価することとは必ずしもイコールじゃないしね。
理解力についての共通認識なんて別に必要とも思わない。そんなのなくても自由に書くよ。理解させられない人数が多いほどドラマ側にも問題があると思うしね。
理解力云々に関しては議論に参加する気はないのでこれはスルーしてね。あくまで感想書くのに何かの共通認識が必要なんて理論はナンセンスだというだけの個人的な考えなだけなので。
今称賛派が多数である某ドラマの合唱部の書込みが怖いんです。ドラマって肯定否定あって当然のもので、どちらも認められています。気にせずスルーがいいんでしょうかね、それとも書込みずらいと感じた人のようにのぞかなければいいんでしょうかね。
自分と逆の感想を書かれるのがそんなに嫌なら、このような感想サイトに出入りしないことをお勧めします。
あと、番組公式HPに付いてる感想掲示板だと、言い返しの投稿はほとんどありませんから、そちらをお勧めします。
時々感想書きづらいと感じることはありますよね、わかります。合唱部のドラマは見ていないのでわかりませんがただ感想を書いているだけなのにそれを批判されたりなぜかお説教をされたりすることがあります。なんなんでしょうね、あれ。感想に優劣はないのにそれをつけたがるコメントもよくわからない。肯定であっても否定であっても同じように感じることはほんとに多い。
スルーしますがちょっと疲れるときがあります。
762さん
ケースバイケース!
仰る通り、賛否両論当たり前の感想サイトです。
時々書き込みずらいと感じることあります、
スルー力も必要と思いますが、ホント疲れる時もあります。合唱部のドラマを観ていないので、状況は分かりませんが、気にされないで、ご自身のストレスのないように、ちゃんねるレビューさんでの書き込みや、拝見なされてはいかがでしょうか。
肯定否定両意見受け入れ、ストレスにならないように、楽しく書き込んだり拝読しています。
762です。みなさんありがとうございます。
今年の7月ドラマ凄く面白いと思うのが少ないね。
BSの再放送で「熟練離婚」と「あまちゃん」が面白いので丁度良かったです。
皆さんは再放送って今何本くらい観ていますか。
そうですね、めちゃくちゃハマレルまでのドラマは、自分の中ではないかもしれません。観てるのは、3本くらいかな。本当にはまったら、録画して何回も再生して観たり、Twitter見たり、次回が待ち通しいのにね。
再放送は、ほとんど観ません。あっ、でも、時々2時間ドラマの再放送観たりはします。
かもしださ~んの凹凸コンビとか、窓際さんですね!
今夜、アカデミー賞をそう舐めにした映画
「永遠の0」がテレビで見られますね。
映画見れなかったので、家族で是非見たいと待ってます。
反戦について考える良い機会だと思います。
WOWOWから映画「永遠の0」を録画したまま放置していたら、地上波でも放送すると言うので慌てて先週に録画を観たのですが開始15分くらいで面白くないので削除しちゃいました。
上のほうを読んで「理解力」「理解」という言葉の定義が人によってバラバラだと言うことがわかった。本家で感想を入れるぶんには問題なさそう。でもお茶の間で雑談するには不便だなと思った。
「理解者」という言葉もあるためか、理解を共感と同じ意味に使っている方もいる、ということがわかった。
独り言です。
私は永遠の0、映画館に10回以上観に行きました。素晴らしかったです。
今日も絶対観ます。
私も永遠の0は、感動しました。特にファンというわけじゃないですが、アカデミ-賞で岡田くんが最優秀主演男優賞を獲ったときは、本当に良かったと嬉しかった。
地上波ではカットされることが多いので、ノ-カットはお薦めですよね。CMは仕方ないけどw。
ただ、裏に表参道~があるのでどちらを生視聴するか悩むところですね。どちらが録画になるにしても、両方観ます。
ドラマは理解より感じたままでいいと思うよ。子どもから高齢者まで同じものを見て同じように理解できるはずがないからね。
永遠の0も理解は出来ないが、いい映画だと思った。
ドラマの意図を理解するよりもいろんな人間のいろんな捉え方感じ方があることをまず理解した方がいいかもしれないね。。
「永遠の0」向井くんのドラマのほうは見たけど映画のほうはどうなんだろうね?チャンネル変えながら今見てます。
そもそも自分が「理解力」云々書いた発端は、高度な話でなくても理解のできる事柄に見当違いな批判や突っ込みを入れている人が多すぎたからです。だからここでは高度な理解力を必要としないレベルのものについての「理解力」とし解が用意できるものを「理解」としました。国語的な意味で「理解」を定義付けようとすると全く違ったものになるはずです。
そして「理解力がない」と言ったのは演出上の問題などから十分条件を提示しているにも関わらず理解できず批判していたり、批判していたとしても十分理解した上での批判や、理解が必要な範疇以外での批判をしている人に対して評した言葉ではないのです。
書いているうちに「理解」については若干のブレがあったかも知れません。国語的な意味で言うと「1」に書かれている意味が一番近いです。
いろいろ書いてきましたが、批判であっても上に書いたように見当違いの批判でなければ、個人的には批判もありだと思います。理解してもしなくてもそれぞれの観点で楽しまれることに異論を唱える余地はありません。
お騒がせしました。
このサイトのニュースにも掲載されていたけど、原作付きの作品についての問題点があげられているね。原作を使用するということは、そこから視聴率アップとか原作売り上げ貢献とか、とにかくプラスの要素が生まれることを原作サイドは期待するのが当然だと思うんだけど、それが最近の作品は裏目、マイナス面ばかりになっちゃっているものが目につく。制作サイドの倫理観を問われるものもあったりするしね。ドラマ使用を拒否する出版社が出てきた、というニュースにさもありなん、と思ったわ。
今まで使用料を取ってないってことに驚いたわ。
宣伝どころか原作の価値まで下がってしまうような出来が多い昨今、もうそれも限界でしょうね。
原作を使わせてもらうという責任感をもっと持ってほしいと強く思いました。ほんとに倫理観を疑うような映像化が多すぎますよ...。
ドラマ使用を拒否するのには賛成だね。ここで感想を見ていると原作ファンとの対立が出るくらいだからやめるべきだよ。ビブリアとか感想の内容が他のサイトであっても酷かったよ。
使う側の意識の問題なんだろうね。
昔はさ。ドラマ化アニメ化なんていったら「この作品が認められた」と思えてすごく嬉しかったんだよね。そのくらい特別な事でちょっと名前が売れ始めたくらいじゃドラマ化アニメ化なんかしなかった。それがいつの頃か原作使うのが当たり前でオリジナルを探す方が大変なくらい原作つきの作品が世に蔓延るようになっちゃって、原作の価値が駄々下がった。昔は原作を使うってことはすごく稀少で、だからこそ映像化するにはある一定の実力がある人間が作るのだろうから安心して見れるところがあった。使う側も滅多な自信では手が出せないくらい特別なものだったんだよね。。
原作をこんな風に軽く扱うようになったのはいつからなんだろ?いつのまにかドラマ制作側の怠慢が目立つようになってしまったけどそれがいつくらいからこうなったのかちょっとよくわからない。こんなに問題になるくらいなら使用料とやらを高額にしてよっぽど自信と実力がある人間以外には手を出させないようにしたらいいと思う。原作ファンが憤っても仕方ないレベルの映像化が多すぎる。
781さんにまったく賛成。昔は、原作つきの方が希少だった。作り手も、それだけ気を入れて作っていたと思う。
今は、オリジナルを作る能力や意欲がものすごく低下している。お手軽に原作に手を出して、お手軽に作っているから、原作以下の英レベルなものがどんどんでき上がる。
使用料を払わないというのは、ほんとに驚き。これを義務化して、安易に原作に手を出せないようにした方がいい。原作を守ることにもつながる。
英レベル→低レベル です(笑)
原作に使用料を払ってないのは日本だけ?
そのうち海外に原作を売る時代が来るかな。
いや、金さえ払えばいいじゃん、という風潮になったらヤダな。
あとね、原作者が亡くなっているケースも問題あるよね。
その後の管理者によっても大きく扱いが違ってくるでしょう。
やっぱり、原作を使うっていうことはほぼ制作サイドの倫理観とか責任感とかセンスに委ねられてしまうのが現状だよね。
ドラマや映画の脚本は、オリジナルが基本で王道だよ。
その原点に日本のエンタメ界も立ち返ってほしい。
そうでないと、本当の脚本家や演出家は育っていかないと思う。
すでに海外作品には大きく遅れをとっているんだしさ。
原作ドラマって使用料とってないんですか、初めて知りました。もちろん原作者(あと出版社)の了承は取っているとは思うんですが。アメリカはばんばん権利を買っているので、使用量は発生すると信じ込んでいました。
ドラマ化されれば原作本が売れるというのが金銭的なうまみなんでしょうね。原作は原作者のものとは思うんですが、これは映画になりますが、原作者と監督が大げんかし袂を分けたままできあがった作品が世紀の傑作という例もあり、なかなか難しいですね。自己本位でないと才能を裡に閉じ込めてしまう場合もあるでしょうし。
でもこれが許されるのは本物の天才なので、例にはならないですね。
ああそういえば、金さえ払えばどう料理をしようが文句は言えないはずだし金で自分の作品を売り飛ばすような原作者は金の亡者で軽蔑に値する..という書き込みがちょっと前にあったな..。
ゼロから世界観を造り上げ唯一無二のその作品を完成させる作り手の苦労なんか全く無視した言い分で私は好きにはなれないけどそういう横柄なテレビマンが多いのがこういう問題の根元にあるんだろうなあ。
畑を耕し新たな種を開発しそれを蒔き、手をかけて丹精こめて育てあげたその作品を言葉巧みに借りてきて貪り食うようなその感覚こそおかしいと思うんだけどね。
使用料云々はとらないという現状よりはまだマシ、という程度の話で、結局「金さえ払えばいいんだろ」という制作マンだってもちろんいなくならない訳じゃない。
何をしたってそういう輩は出てくるから。
究極のところ視聴者が厳しい目を持って制作の倫理観というものを見ていくしかないんだろうね。
うん。制作の責任感とか倫理観が、原作付きの作品にどう反映されているか?というのは、最近の視聴者はかなり厳しく読み取って数字=視聴率や録画率に反映させていると思うよ。特に序盤は注目を集めても、終盤に向けてどんどん先細りになって、最終回が寂しい数字で終わるタイプは厳しいなと思う。
フジの火曜のドラマが視聴率3%でその原作はドラマ化になれば原作本も売れると思ったみたいなんだけど、そうならずにドラマ同様につまらない作品だとレッテルを貼られ、原作本もサッパリ売れなくてドラマ化しないほうがよかっという結論になっちゃったらしいよね。
話しが、永遠の0に戻り恐縮です。
とても感動的です。
今日は、綾瀬はるかさんが、是枝監督演出の元、広島の原爆で散っていった子供さんたちの、いしぶみ。
綾瀬はるかさん朗読でしたが、涙が出ました。
広島平和公園、原爆ドーム、原爆資料館、子供の時、親と行った記憶があります。
今年は、終戦70年ということで、ドキュメンタリー番組が多いと感じます。
原作が面白ないものをドラマにしたところで面白くならないのは当たり前?
永遠の0は昨日二回目で見たけど、腹が立ってしまった。
戦争や死に愛を絡めて綺麗に描いてはいけないと思った。
761さんへ
>理解させられない人数が多いほどドラマ側にも問題があると思うしね。
だから、答え合わせが出来ない正解が何かわからないと主張するなら、なんで理解させられない人数が多いとわかるんでしょう?
理解させられない人数が多いとわかるということは、自分は明確に他の人より理解しているということですね。それでどうして答え合わせや何が正解かわからないんでしょう?自分で正解を見つけているとしているのに。
結局それだけの話です。
それと、感想書くのに何かの共通認識が必要という主張はさすがに誰もしていないですよ。
いやだからさ…単純に「理解できないよ」と「感じた」人間が多ければそう言えるでしょって事よ。
「理解力」の定義なんか争おうともしてないからね。
共通認識という言葉も出ていた単語をそのまま使っただけだよ。私は必要ないと思うというただの主張。
もう議論するつもりはないのでスルーしていただけませんかね?
いや、だからね、正解なんかわからないと言っている以上、人数が多いからそうだと言うと矛盾ですよね。
もしくはあなたは正解がわからないと言っているのに、その実正解を数にしているということになってしまうんですよ。
こんなのは議論でもないですが、自分の中でどう折り合いつけてるか聞きたかっただけですよ。
いやだからね、誰が制作側の意図を正しく理解してるかなんて誰にもわからないし、だからはっきりいってそんなことはどうでもいいことなんですよ、視聴者にとっては。
語弊があるかもしれないけど。それよりも視聴者がどう捉えたか感じたかの方が一番大事でしょ。
正解なんかわからないよ。でも視聴者が感じたことが正解でそれがすべてなんですよ。ちょっと乱暴な言い方だけど。制作側の意図を理解するという事自体を私はずっと否定はしてないけどそれ以上に大事なことは視聴者がどう感じたかという事。正解なんか誰にもわからないから伝わったかどうかは視聴者の感想でしか図れないんじゃないかということ。何言いいたいのかわからないという人間の数が多いドラマは描写不足とは言われないでしょ。
たったひとつの正解を理解しようとしてとことん追求する795さんと視聴者それぞれの感じたことが正解でいいと思ってる私ではそもそも捉え方の出発点が違うので話は噛み合わないと思います。
考え方は理解できないけどこういう人もいるんだなということで納得していただく事はできないですか?
私の方では795さんになにも言うことはないんですけどね。
このサイトをつかっている人はトンチンカンにアンポンタンだらけで難しいことなんて分からないと思う。ただドラマが好きか嫌いかを書き込んでいるだけだと思う。相手に理解力を求めるなら会員制の感想サイトでもあればもう少しはまともな感想が見れるんじゃないのかな。制限のないサイトでは大量の砂利のなかに少量の宝石がまざっているくらいだよ。
砂利と宝石の間の人はいないの?
理解ということに関してだけど、ドラマに対する理解というのは、作品意図の理解、ばかりじゃなく、プロットの理解、演技の理解、さっきのしぐさの理解、というようにいろいろなレベルとサイズがあると思う。
で、これって、文学と違ってそれほど難解なものじゃなく(なにせ映像と音声がついている)、一番難しそうな「作品意図の理解」でさえ、それほどやっかいなものではない。
とにかくドラマは、できるだけ多くの人に見てもらうことが大命題なので、意図のつかみづらい難解なものは、むしろ作ることを避ける。視聴者でなく作り手優先であれば、事情は変わってくるだろうけど。
何が言いたいかというと、視聴者がドラマの作品意図を誤解して感想を述べるということは、それほど多くないのではないかということ。
理解における「解」は一つというのは、わかる。だけど、どんなレベルでもサイズでも、その解に達しないということは、常識的に「過不足なく」作られたドラマには、あまりないだろうと。不足がある場合に視聴者が理解困難になるケースの方が多い(作品意図だけじゃなくて、いろんなレベルの理解において)。
解釈というのは、その解が多義的にできていて、複数の解があるように見えるときに発動。例えば、逃避行の末に恋人が目を閉じて手をつなぎ横たわっているエンディングを、「眠っている」ととらえるか「死んでいる」ととらえるか。ちょっとでも手が動けば「眠っている」だが、まったく何も決め手がない場合には、二つの解釈が生じる。でも、ここでも、ドラマがその情景を過不足なく描いているということが条件。アップで、引きで、適正な時間をかけて。
ということだと思う。
私は一般論や書き込みや考え方がこうあるべきの話はしていないんですよね...。
理屈に複数矛盾を感じるけどどう折り合いつけているの、という、あなたに対しての疑問なんですが。
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