お茶の間ですから基本なんだっていーんじゃないすか?
朝ドラって昼に職場で皆で見てること多いんですかね?
私は経験したことないけど。
たしかにそれだとつまんねーとか思っても空気読んで大声では言えないかもW
逆に馬鹿みたいに一人で盛り上がるのも浮いたりするのかな?
もっぱら朝つけっぱなしで家族がテキトーに見たり見なかったり、かな。
私は朝昼見れなくて夜見たり結構不定期ですが気づくと一人ツッコミしてることあります。
今回は録画してまで絶対見たいって感じにはなれてません。
朝ドラが、生活リズムに組み込まれてるから、面白くないドラマの時はちょっと困るかな。
朝の家事と本格的な一日の仕事との合間にある、貴重なお茶タイム。ここで気分の切り替えしてるからね。この15分がないと、朝から切れ目なくずっと働いちゃって気持ち的に疲れるので、なるべくなら習慣を捨てたくない。
うちの家族はドラマに対して超辛口だから、花アンもメチャ評判悪い(苦笑)。「私の周りには楽しんでる人ばっかりです」みたいな投稿がよくあるけど、こういう家もある(笑)。
家族があまりに辛口で私が良いと思ったドラマも大抵ボロクソに言われるので、楽しさを共感してくれる人を求めて見つけたのがここにサイトだったんだけど、今は逆のことに使ってるなー。
花アンを面白いって見てる人の感想って、詳しいのないね。面白いですとか、楽しみですとか短いのばかり。
ごちとかカーネとかはすごい愛が溢れて詳しいものばっかりだから不思議。
他のとこの話をしてごめんだけど、大型感想サイトでもそうなんだよね。たまにあるちょっと長いのも否定に対して無理やりじゃないか?って言うかばう発言。
あー、この人本当に花アン好きなんだなーって感想全然見ない。なんでなのかなって不思議に思う。
肯定派で酷いのは視聴率の高さばかりを強調する人。
それしか言えないの?って感じで何の参考にもならない。
ただ前作に負けたくないから、つまらなくても持ち上げたい
のかな?
花アン終わったあと、ここから活躍する人はいるのかな。窪田さんはすでに注目されてるし、仲間さん、吉高さんも今更な活躍だけどもっと増えるか。
やっぱり高梨さんかな。鈴木さんはこれからもっといい雰囲気に変われればかな。
吉田さんがキムラ緑子さんみたいにたくさんお見かけするようになるかしら。
人気作品からはドラマや映画で活躍する人が大勢出るのも朝ドラならでは。
最近でも、あまちゃんの若手女優陣、ごちの東出さん、高畑さん、ムロさんもそうだし、杏さんも更に露出が増えたよね。
花アンが本当に人気作品ならそうなるはず。
今日もぞわ~っと寒い場面がてんこ盛り
感動させてやろう、みたいな制作側の意図が見え見えで逆効果。
朝市、もも、かよが可哀想でした。
つまらないと思ってる人がながら見も時計代わりも全員観るのやめたら、このドラマの視聴率ってどのくらいなのかなーと思った。
楽しんでる人がどのくらいいるのか純粋に気になる。
じゃあ、試しに観るのやめてみたら?
視聴率に関しては、どの朝ドラも同じだよ。
実際の視聴質なんて誰にもわからない。
ここのところ高視聴率で話題の「あまちゃん」だって「ごちそうさん」だって、批判的な人はみんなそう思ってた。
自分1人やめてもなんの試しにもならない。
とりあえず週末の5分の総集編だけ見ることにはするけど。
本当にツマラナイ!ジイちゃん好きだったのに
これでもかって出し過ぎでしょう?
今日の放送は、手抜き演出極まれりだったが
脚本がこれでは手の打ちようもないのか。
本家にもダメな所は書いたが、中薗ミホはネットの感想とか
自分の勉強で見たりしないんだろうな。
もうこんなくだらないドラマ見せられたくないよ。
まさかの今までは、『はな』でこれからは『花子』だから
とか言い出してバリバリするとしたら本当に脚本家を辞めるべきだ。
恋話で何週間も引っ張ったのに
感動もない結婚式って・・・
村岡家はクリスチャンだよね?
それなのに村岡父の異議あり
簡単に引込めて
こんな安っぽい異議ありってありなの?
おかしすぎるよ。
このドラマで村岡英治はクリスチャンだという場面ってありましたっけ?
自分が見落としただけなのかな?
史実ではクリスチャンでした。
そして
村岡家の姑が
嫁に送るカメオのブローチ
あれはマリア様でしたよね?
カソリックだと離婚出来ないはずですが?
これまた都合の良い展開なんですね。
村岡花子はプロテスタントでした。
恐らく村岡氏も同じだったと思います。
ですから史実でも離婚できたんでしょう。
でも
プロテスタントは
概して飲酒・喫煙は禁じられているんですよね。
でも村岡家も花もよく飲まれていますよね。
いい加減ですよね。
宗教だの文学だの人の心の深いところに関わることなんてどーでもいい、そういうの興味ないも~ん、って思ってる人が作った朝ドラなんでしょう。
最も素材から遠い人が引き受けちゃった感じだね。
NHK側から村岡花子の素材を申し出たんだとしたらなんて人選のセンスがないんだろうか。
引き受ける方も引き受ける方だよ。もうここまで来るとそういうものに対しての冒涜とさえ感じる。
宇宙のことがなにも分かんない人、興味ない人が宇宙飛行士になろうとすんじゃねーよ、みたいな。
まあ毎日蒸し暑くて皆まいってるからこれ見て寒々とするまで涼しくなって、って言う公共放送推進の省エネ対策なんでしょう。
確か中薗氏は、始まる前『タイトルにアンを入れてくださるよう私が言った』とドヤ顔されていたように思います。
なんでハードル高くして、自分で引っかかるような真似したのか。
変な人だ。
>史実ではクリスチャンでした。
そして
村岡家の姑が
嫁に送るカメオのブローチ
あれはマリア様でしたよね?
これだけでいったいどうやって村岡がクリスチャンってわかるのかな?花子だって洗礼受けてるクリスチャンなんてことこのドラマで聞いたことない。
ドラマ、史実から離れてフィクションだと思って見れば面白い、って言う擁護意見はいっぱいあったけど、フィクションとして見たらよけいわかんないことだと思うけど。
だいたいこの国では飾りとして十字架のネックレスなんか着けたり普段教会にも行かないのになぜか結婚式だけキリスト教式って今じゃ多いけど、この頃キリスト教式で挙式するならそれこそ双方がちゃんとしたクリスチャンだった、って言う描写がまずなきゃ変でしょ?まして甲府は田舎だし。
ホント、いー加減もいいとこ。
視聴率はかるときに
本当に おもしろいんです!
と
おもしろかないけど おなさけで 若しくは サイトに書きたいだけで 見てるの!
という ボタンをポチッと押せたらいいのにー
>>469に
ハゲしく同意。
村岡がクリスチャンなんて、史実を知らない人に分かるわけないし、
深い意味など無縁だ。ほんといい加減にシナリオ書いてるよ。
第一話から観ていて、今日のが一番凄かった・・・脚本家ちょっとヤバくないか。
例えばだけど、認知症のオジイちゃんが、 大丈夫大丈夫!っていいながら自動車の運転してるみたいな怖さ。
↑気分を悪くされた方がいたらごめんなさい。
確かに今日の結婚式風景なんて見てると行き詰って開き直っちゃった、みたいに見える。
かなりヤバいと思う。
つーかこれを本当に面白い朝ドラととらえて皆が見てられてるのか、って思うともしかしたら自分の方が世の中からズレてるのか、と心配になり、ここ(本家・お茶の間問わず)見てちょっと安堵する、という日々だ。
ちびはなの頃におとうが洗礼受けさせてくださいって教会に連れて行ったよね。
修和に入れたいからだっけ?
それで結局落ち着きなさいって帰されていたような。
だからはなはクリスチャンてわけじゃないような。日常的にお祈りしてるとこないし。
村岡も奥さんのカメオがマリア様くらいだよね。
>だからはなはクリスチャンてわけじゃないような。日常的にお祈りしてるとこないし。
女学校は洗礼を受けないとは入れないというのはドラマで言っていたと思います。
少なくとも花だけはクリスチャンで間違いはないでしょう
まあ、本を読んでいない人には
わからない描写が多いし
本を読んでいる人には、イライラしてしまう人が多いドラマ
と言う事ですね。
王子と乞食を翻訳したのは、クリスチャンらしいエピソードでした。
それを全く軽い話に扱う
教会の図書室を度々登場させる割には
宗教観を全く感じさせない。
なぜここまで排除してしまうのかは理解ができない。
花の勤めてる出版社は宗教書の部門もあるようですね。
恋愛の方が大事だと、脚本家が判断したから…。
明日からは白蓮さんの昼ドラバージョンですよ!
敢えて宗教色は出さないようにしているんだと思いますよ。
扱いが難しいし、女学校入学などの面で必要最低限触れれば、ドラマの花を描くのにどうしても必要な要素と判断しなかったのでしょう。
私もそれでいいと思いますが。
まあ、実際に英文学の翻訳をするとなればかなりの宗教知識は必要ですけどね。
村岡家がクリスチャンかどうかの書き忘れです。
牧師の前で式を挙げたのでやはり
史実通りクリスチャンだろうと思われます。
今の時代と違い、クリスチャンでもないのに
大正時代に牧師の前で式をするなんてないと思いますから。
そっか、女学校に行くかどうか、ゆっくり考えなさいみたいに牧師様から言われてやめたけど、女学校行くからって洗礼受けたんだね。
確かに翻訳に宗教の知識は必要不可欠。
それで思考や生活の当たり前が変わりますからね。よりわかりやすい翻訳するなら知らないと無理。
このドラマにおける、村岡家の宗教は、あきらかにしないままで、いくしかないような気がしてる。
なにせ、朝ドラだからねえ。
下手にさわると、他の宗教の信者から、クレームが入りそう。
そこらへんは、制作側にもそれなりの事情があるのかな〜、と、思って見てた。
村岡花子さんが、宣教師として高名であったなら、宗教と切り離すのは無理ですが、そもそも、そうなると、朝の枠でのドラマ化は無理ではないかと。
宗教に全く興味がないのでドラマを見てるぶんには気になりません。カトリックとプロテスタントの違いも詳しく知りませんので。
481ですが、日本のドラマでキリスト教のことを描くと私のような無知な者は帰ってわからなくなるのです。そういう視聴者のためにあえて宗教については描かないのだと思って見てます。
よくわかりませんが、宗教ってその人の根っこのような気がするんです。
村岡花子さんもご主人も信仰深い人だったらしいので、生き方、考え方がすべて宗教に基づいていたのではないかと思うのですが。
それを描かないのはやっぱりまったく違う物語に
なってしまうと思います。
いろんな意味で史実と異なったフィクションだと
思って見ることにしたので、もういいですが。
世論の反応が怖い、と思う脚本家が増えるのであればドラマはどんどんつまらなくなりますね。
と言うかもうなってしまっていますが。
クリスチャンであった人のことを扱うならキリスト教を描くのは当然でしょう。個人の人生の話なのにNHKだから扱いが難しいから、なんていうのはおかしい。そんなことを気にするなら最初から特定の宗教を持っていた人の話なんてドラマ化できないしすべきでもない。今の一般大衆のお飾り宗教とこの時代の特定の宗教は人にとってまるで意味が違うはずだ。
昨年の大河の八重の桜だって新島襄と八重を描くのにキリスト教抜きで描くことなど不可能だったはず。赤毛のアンなど西洋文学を紹介するのにキリスト教的な文化やものの考え方を外すなど考えられない。
人にとって宗教は心の支えであり、ものごと全ての捉え方のそれこそ根っこにあるもの。
そこに向き合わずに描いてなにがその人間のドラマだ。
そういうところの勘違いがドラマをおかしくしているそもそもの原因だと思う。つまり人の精神、心、そこをまるでないがしろにしてるんだよ、このドラマ。だからすべてがただうわっつらで見てても深みや文学性なんてものからほど遠いただの学芸会ドラマなんだ。
宗教の扱いに気をつけるって、宗教を書かないってことじゃなくて、極端な形でその宗教がいいんですよ、とか悪いものですよ、って思わせない作りにするってことだと思う。
普通にその宗教の方の日常を書いても、あり得ないほどの苦情なんてないよ。苦情するのは過敏に宗教に反応する人くらいでは。
ある人物をドラマで描くにあたってその人の人生、人物像のすべてを描ききるのは時間的制約もあって無理だと思う。そこで当然、内容を吟味して削るところは削らなくてはならない。この作者の場合ははっきり言って一般大衆向けのドラマを目指している。誰にでもわかりやすくとっつきやすい。だからアンの要素を重ねたり、恋愛描写に力を入れたりしているし、しかもそれを軽く描いている。そういう作者の方針からして、キリスト教を強く出さなかったのは自然だと思うし、多くの視聴者にとってはそのほうが見やすいものになったのだと思う。
宗教の事は全然わからないけど、こんなに度々議題に上がるということは、知っている人にとっては「ここを端折るのは信じられない」というポイントがあるってことなのかな。
どんなドラマでも一人の人物を描き切ることなんてできないと思う。そこで、どこを切り取り、どうまとめるかは脚本家の裁量。本家にもあったけど、このドラマは人間の本質に触れる部分はことごとくカットしてある。ここまでくると意図的にそうしてるんじゃないかと思っちゃうけど。内容的にあまちゃんみたいな軽さを出すドラマでもないのに、すごく不思議な作りだと思う。
文学好きの私には、軽すぎる文学の描写が我慢できない。ポイント外してるというより、ポイントどころか何も描かれてないって感じ。こんなにするなら文学者を主人公にしないでほしい。キリスト教に関しても知ってる人から見たら、そんな心境なのかしら。
全部描けなんて言ってないし、大事な所をつまんでいくくらいはしてよねって思っちゃう。
今日初めて、クリスチャンらしい発言がありましたね。
ブラックバーン校長から言われたからですけど・・・
私はなぜ史実の通り、父親が若いときにクリスチャンになり
花の幼少のころすでに洗礼を受けていた設定にしなかったのか不思議でなりません。
甲府の村に教会は溶け込んでいて
牧師さんを頼りにされているような感じなのにね。
このドラマを見ていて花子がクリスチャンだなんて全然見えないのですが、村岡もそんなふうには見えませんね。
省いて分かりやすくしたというよりも、一言でいうとつまらないです。
その人の宗教観を入れたからと言ってそのドラマがとっつきにくいものになるなんて思えない。
要はその入れ方なのであって。
キリスト教は日本でも信者は多いし、アメリカやカナダではほとんどの人が教会に通うキリスト教徒だ。その基本的なもののとらえ方やそれに基づく人への愛なんていうのは日々の生活に組み込まれているものなのだから見てとっつきにくい、なんていうものではない。そういう習慣的なものの中で育った人や女学校などを描くこと、翻訳をする上で言葉そのものより実は大事な文化的要素、それをはずしてどこが村岡花子の話になるというのかな、と思う。
今日のブラックバーン校長の台詞は良かったよ。
そういうのは別に抵抗なく受け入れられるけど、カトリックだとかプロテスタントだという話題にはついていけなくなる視聴者です。要は描き方なのだと思います。
実際に村岡花子さんが通われたミッションスクールの校長先生の言葉らしいですね。
いいセリフだなぁと思うのはそういうのが多いドラマですよね。
タミ先生が出産祝いに駆けつけたら結構びっくりするけどねw
今日のブラックバーン先生の言葉みたいなのは本当は女学校にいる間にいろいろと聞いていなきゃおかしいんですよ。
心の教育、っていうことで。それは日本人だから外国人だからなんて関係ない。あの学校においてはキリスト教精神が大きな教育の柱のはず。
そういうものがまるで丁寧に描かれずに女学校場面でもくだらない表面的な事件のようなものばかり。
そういうのが女学校時代からちゃんとあれば花子の精神的成長もちゃんと描かれたのでしょう。
>私はなぜ史実の通り、父親が若いときにクリスチャンになり
花の幼少のころすでに洗礼を受けていた設定にしなかったのか不思議でなりません。
主人公に視聴者が感情移入しやすいように、まっさらな状態から始めたかったんでしょうね。そしてほぼほぼまっさらな状態できてしまったという。わたしは若い頃無宗教という宗教を持っていたので、ありとあらゆる宗教に拒否反応がありました。いまも宗教は持っていませんが歳のせいか拒否反応はありません。
自分は特殊として、やっぱり宗教出すのは面倒なものですよ、創作物は。宗教と政治の話はタブーです。だからそんな危ない橋を渡った結果がこれなんですかね。
個人的にまったく納得はできないですけど。毒にも薬にもならず、みなさんが仰るとおり、日常に少し生活様式をちらつかせるぐらいしてもよかったのではという感想です。
ある意味脚本家を擁護するような書き方をしましたが、描写しないんではなく描写する力量がなかった、もしくはする気がなかったが正解ではないかと。
はなに対して甲府の教職時代、家の手伝いも大変だったねというねぎらいのセリフが出、仰天しましたし。後付けの言葉だけが浮きまくり。
毎日家の手伝いをするシーンはなくていいですよ。お祈りのシーンだって。印象的なエピソードに絡めてそっと差し出すくらいはして欲しかった。ツッコミを通り越してどっきり(笑)に遇ってるような気分が続いております。
それでも結婚してからはいままでよりマシ(あくまでマシという注釈です)になりましたので、いままでのことは棚上げをして(仕方ないし)とりあえず白蓮事件がどうでるか見守りたいです。おにいやんも絡んでくると思うのでそこが一番のたのしみかな。
そう、この脚本家は力不足だという意見を聞くと
妙になっとくできます。
はなが名前にこだわる理由など、この脚本家に力がなく
この程度の話しかできないのが答えだと私は思う。
>主人公に視聴者が感情移入しやすいように、まっさらな状態から始めたかったんでしょうね。
宗教を持っていた人の話ならちゃんとその信条に基づいたものを描いてもらった方が感情移入しやすい、って言う人もたくさんいると思うけど。伝記的なものの「まっさら」というのはその人の人生や心の動きに出来得る限り忠実に描くことに他ならないと思います。視聴者に媚びる前にモデルに対しての忠実性の方が求められるのでは?そうすることによってその人の真実に近い姿も伝わるしそこに共感する人は多いと思います。
前にも書いたけれど、昨年の大河の八重の桜でキリスト教を描かなければ新島八重の話にはならないからちゃんと描かれていた。
あれを見て、特定の宗教を押し付けられているなどと感じた人がいったいどれくらいいたでしょうか。
問題はやはり「人間」を描くためには力量不足、とそれ以前の問題として素材に対しての研究、調査の不足、またそれよりも熱意や敬意の不足なのだと思います。それがないところに伝記的なドラマの成功なんてあり得ないと私は思います。それも含めて伝記的なものを描くにはまるで力量不足、と言ってもいいかと思います。
ID: UOsLXrZxcS です
ID: oXTIscaI.r さん
その通りですね。『八重の桜』は素晴らしい作品でした。『八重の桜』は大河なのに八重の事に比重を置きすぎているという叱責が飛び交っていました。あれこそ朝ドラやればいいのに、と残念に当時思ったことを思い出しました。
ただ中園さんにあのレベルを(そして作品に対する真摯な姿勢)求めるのはもう無理なんだなと言わざるを得ないです。自分でもよくもこのドラマを見続けていると呆れています。もう乗りかかった船とししかいいようがなく。
諦念の境地に恐らくいたり、限界の向こう側がにもうたどり着いてるのかも。
「八重の桜」の後半に限って言えば朝ドラでもできたかもしれませんね。しかし前半は幕末の動乱を会津視点からとらえた非常にユニークなものでダイナミックな歴史劇になっていましたから朝ドラでは無理でしょう。
また、大河だろうが朝ドラだろうが主人公に比重が置かれるのは当然のことなのでそこに比重が置かれ過ぎている、などという叱責はあまり的を射ているものとは思えません。
花子とアンは花子に焦点が置かれ出番が多いものの、その描かれ方が説得力のないまわりの持ち上げやお膳立てで彼女の人生が描かれているために逆に比重が置かれている、という感じがなくぼやけたヒロインになっていると私は感じています。八重の桜の脚本とはもう比べるべくもありません。
そうねー。
そこまで書けない脚本家だったってことなら、それが答えだもんね。ドラマの中に答えを書けなかったってのが答えなら、そこを責めることはできても、ドラマ上の答えは永遠に出てこないもんね。
このドラマのなかの矛盾や疑問の答えはぜんぶそれなんじゃなかろうか。
そうするともう棚上げしてみるしかないねー。ドラマ自体に罪はないんだと割り切るしか(笑)
1番こぴっとしなきゃいけないのは脚本家とそれを指摘しないNHKだわ。
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