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千年に一度のネ申朝ドラ❗️❗️❗️
平祐奈ちゅわn👩🏻💕が加わって❗️❗️
⭐️10個つけたいヨ🫶🏻🫶🏻
松井玲奈ちゃん初登場❗️❗️で更に⤴︎⤴︎
面白くなる予感😆✨
先週のナベさんに関するエピがあまりに良すぎて、緒形直人さんが出てくるだけで感情移入してしまう。
歩が、自分を見ると真紀ちゃんを思い出すからと、ナベさんを気遣ってもう店にはいかないつもりでいるのに、靴を持ってナベさんを訪ねた結を見た時は、全く余計なお節介を!と結に腹を立てたけど、真紀ちゃんの言葉を伝えようとした時のナベさんの反応を見て、ナベさんは真紀ちゃんのことなら何でも知りたいのだと思った。
というか、ナベさんは、もう話をすることも触れることも叶わない真紀ちゃんに少しでも近付きたくているのだと。
靴をリメイク?カスタム?してみたのは、真紀ちゃんがナベさんの靴職人としての腕を誉めてたのを知ったから。
一見、結がナベさんの気力を取り戻したように見えるけど、そうじゃない。
ナベさんに気力を持たせたのは娘の真紀ちゃん。
亡くなってしまった人はもう未来を生きることは出来ないけれど、亡くなってしまった人の思いを引き継ぐ人がいることは、その亡くなった人が未来を生きられることになる。
子を亡くすことは未来を亡くすこと、ということを堀内正美さんが言っていたという話を読んだとき、未来を亡くした人はどうやって生きていったらいいんだろうと思っていたけれど、生きていく為のヒントがそこにあるような気もして、少し救われた。
真紀ちゃんの気持ちを受け継いでギャルになった歩。
真紀ちゃんの気持ちを受け継いで、真紀ちゃんが望む靴職人でいようとするナベさん。
ナベさんが歩に靴を渡したのは、真紀ちゃんのお墓の前。
カスタムされた靴は、真紀ちゃんが履きたかったような靴。
その靴が入った靴箱を愛おしそうに撫でながら、お墓の真紀ちゃんに話しかける歩。
凄くいいシーンだった。
ところで、また一気に1年が過ぎて2008年になり、少し年月を経過させるスピードが早いのが気になっているんだけど、もしかして、2011年の東日本大震災も描くつもりなんだろうか。
そうだとしたら、糸島編で2年すっ飛ばしをした理由が分かる気がする。
2004年の結から始まったおむすび。
話は丁度、約半分あたりに近くなってきて、現在51話、2008年。
東日本大震災まであと3年。
2011年の大震災を描くなら、丁度いい流れで進んできているのかもしれない。
最初の放送で、おむすびのTシャツを着ていた結を見て、(あ〜この子は着るものを気にしない子なのかな)と勝手に思っていた。ところが、東京から帰ってきた姉が、その結のダサいTシャツを借りて着ているのを見て、「私のお気に入りのTシャツ!」と言った。そのとき、(そうか〜、たとえ他人からダサいと感じられようが、結には結のセンスがあるんだな)と思った。反対に結の姉は、ギャル当時の感覚だったら家であろうが絶対に着なかったようなTシャツを平気で着ている。そういうところも、何もかもに疲れた姉の変化が見てとれた。と、個人的にはところどころに面白さの仕掛けを感じる。
このドラマには「夢」という言葉がときどき出て来る。ハギャレンの一人一人が語る夢が生き生きしているのは、彼女らがこれから先のことに希望を持っているからではないだろうか。そして、いつも「とちおとめ」を結にくれる野球青年にも夢がある。その夢は壮大で、相当な努力を必要とするのだろうが、彼は実現したいと強く思っている。
「夢」を持つことは若者の特権のようなもので、ぜひ叶えてほしいと思う。けれども、どんなに努力しても、願っても、叶わないことがあるのも事実だ。結は父たちや姉の親友の未来が、地震によっていとも簡単に一瞬にして無くなってしまったことを目の当たりにして、誰もが持つ将来の夢というものが持てなくなったのかなと思う。語りたくても、夢を語れない苦しさがあり、心にふたをしているのだろう。
多くを語らない朴訥な野球青年は、内に秘めた夢を夢で終わらせないと、結に宣言した。それは結にも夢を語ることを諦めないでほしいと思ったからではないだろうか。
■繋がらない、ぶつ切りエピ
繋がる展開にするためには、月曜は「ギャルやりたい!書道もやりたい!」の続きを描く必要があった。なのに、すっ飛ばして唐突に【恋バナ&栄養(士)】を描いた迷走脚本。その結果…
■書道部女子との会話ナシ
父への意地で退部を決意し、書道部女子や先輩が親身になって引き留めてくれたのに、そっけない態度で立ち去った結の姿を描いておきながら、そのまま放置。少なくともクラスメートである書道部女子とは顔を合わせているのに、ギャルになって初登校した際の会話を描かず。
結は彼女に退部理由も嘘をついていたし、何よりギャルと友達だったことをひた隠しにしていたくらい距離感があったわけで…ギャル化したのをきっかけに今までのことをきちんと話し、距離が縮まったと描くのならわかるが…。まさかの真逆で、今まで以上に結は彼女と距離を置いているかのように描いたのだ(呆)
■陽太との会話もナシ
陽太の描かれ方はもっと酷い。恋愛感情だけでなく、小学校時代から結を守ってきたと描いておきながら、またギャルとのゴタゴタにも心配する姿を描いておきながら、「ギャルやりたい!」と決意した結との会話を描かず。イキナリ、河童に恋愛モードになった結の幸せを願う姿を描いたのだ(呆)これでは「恋愛感情だけでなく」という設定が台無し。結の恋愛を応援する前に、結のやりたい宣言(ギャル&書道)を喜ぶ姿を描かなくてどうする。
陽太の台詞「じっちゃんに頼まれたんだ。結を守ってやれって」…なんだ、この日本語は。永吉が孫である結のことを、陽太に頼むのだから「結を守ってやってくれ」だろうに。陽太が自分の父親から言われた場合は「結ちゃんを守ってやれ」でいいが。人にものを頼む時も命令口調なのか、あのじーさんは。
■愛されキャラには程遠い結
傷心陽太に寄り添う、書道部女子。前から「陽太くん陽太くん」と言っていた姿は描いていたから、やっぱりそう来たかとしか思わないが…。そこに持っていくまでの過程が雑すぎる。
しかも、河童に「ヤバイ」状態の結が2人のことなどアウトオブ眼中(←死語)の様を描き、その結果2人だけで釣りに行くという…。
「おむすび」制作陣が橋本環奈を可愛く見せようとしている??のは結構なことだが、それよりも大事な「結を愛されキャラに描く」ということが全くできていない。
河童にヤバイ結を描くよりも先に、結を大切に思ってくれていた書道部女子&陽太に対して、「心配してくれてありがとう」と言う姿を描いていたら…。3人で恋愛感情抜きで、楽しく過ごす様を描いていたら…。グダグダの6週間だったが、まだかろうじて繋がりは保てたし、何より結の「友達を大切にする」キャラが描けただろうに。
残念ながら実際に描かれたのは「何でも話せて、一緒にいて楽しいのはギャルたちだけ」で、「河童にヤバイヤバイヤバイ…」結ということ。愛されキャラには程遠い。
支離滅裂。感動ナシ&整合性ナシ
■真紀ちゃんとの約束の「謎」設定
散々引っ張った謎がやっと明かされた。回想シーン「一緒にギャルやろう!約束な」
な・の・に!帰省した時、歩に「ギャルなんてダサイ、ハズイ、早く潰しちゃいな」と言わせた脚本家。
この台詞の酷さを、演出家も統括もなんとも思わないのか??あのシーンは結を怒らせることしか考えていないから、こういうことになるのだ。
この台詞は致命的。歩が自分のことを否定するだけならまだわかるが、【ギャル=真紀ちゃんがやりたくてもやれなかったこと】と描いておきながら、全否定してどうする!生きたくても生きられなかった被災者の思いを、こんな形で描いた制作陣には怒りしかない。
■傷害事件の真相
カツアゲした不良ギャル(←またかよ苦笑)から金を奪い取ったことがきっかけだったと明かされた。
歩「真紀ちゃんならそうすると思ったから」…苦笑
ハギャレンの掟は「真紀ちゃんの口癖だったから」、雑誌の取材を受けたのも「真紀ちゃんならそうすると思ったから」…苦笑
「過去を小出し?にする手法」どころか、完全な後出しジャンケン。この描き方では、多くの視聴者が「ふ~ん、そうなん」で終わりだろう。
回想シーンで、真紀ちゃんの正義感・勇気・口癖…等がわかるエピは一切描かれていない。その状態で歩に台詞だけ言わせても、感動どころか何の説得力もない。
上手い脚本家なら「うんうん。真紀ちゃんならきっとそうしてたよな(涙)」となるように描いただろう。神戸時代からスタートして、真紀ちゃんの人物像も丁寧に描いただろう。
後出しジャンケンで、手抜き描写で…酷すぎる。だから生半可な気持ちで震災を扱うなと言っているのだ。
てか、ここで十八番の「困っている人を放っておけない、米田家の呪い」は使わない脚本家。もうね…全く人物像が描けていない「真紀ちゃん」か、人助けなのに「呪い」か…どっちも不適切という(ため息)
■姉妹の和解に感動ゼロ
・歩「ごめんね。急に帰ってきて、神戸にみんなで行こうとか言って」
・歩「嬉しかったよ。結が神戸のことも真紀ちゃんのことも覚えていてくれて」
→はぁ!?どちらの台詞も、支離滅裂。
①帰省翌日のケンカで、結は「神戸のこと・真紀ちゃんのこと」に言及し、家族に迷惑をかける歩の生き方を「大嫌い」と発言。歩は黙って東京に戻ろうとしていた。
②その後も歩は何のアクションもせず、フェスも結からの「見にきて」メールでやっと行った形。
③打ち上げでも父から逃げ回っているだけで、結には何も言わず。
④歩、すき焼き家族会議で自己中発言。結、また激怒。
⑤結、歩と真紀ちゃんが神社に迎えに来てくれた「夢を見た」。歩「夢じゃないよ」と涙。
…脚本家は①で結に言わせた台詞を覚えていないのか??ギャルたちへの暴言に激怒させた上、回想シーンに繋げるために、不自然に【神戸のこと・真紀ちゃんのこと】に触れさせ、わざわざ【家族に迷惑をかけた歩の生き方を嫌い】とまで言わせておきながら…全くなかったことにされているのだ(呆)
だから④の結の激怒で、初めて歩にアクションさせるという(呆)しかも罵倒したギャルたちに話を聞きに行くという可笑しなシーンを描いておきながら、家族に迷惑をかけたことは謝らず、突然神戸に行こうと言ったことだけを謝るという(呆)これでは何のためにギャルたちに話を聞きに行ったのか意味不明。
で、⑤の結が見た夢で、初めて結が神戸のことや真紀ちゃんのことを覚えていたと知ったかのように描いているのだ。
しかもこの描き方では、家族に迷惑をかけたのも…歩「真紀ちゃんならそうすると思ったから」結「そうとは知らずにごめんね」と言っているのと同じこと(呆呆)
はぁ(ため息)…この整合性ナシ何でもアリ脚本に、演出家も統括も全く気づいていないのか??杜撰すぎて話にならない。
■常識・礼儀ゼロのギャルたち
「お邪魔しま~す!」で返事も待たずに勝手に上がり込むギャルたち。しかも食事中の台所に!
台所に入るのは失礼だから、打ち上げの後なにもせずに帰った「気遣いのできるギャルたち」説…見事に幻に終わってしまった。ホント何から何まで、こうだったらいいのに…の逆を行く「おむすび」。多くの視聴者の期待を裏切り続けて早や6週間。明日は歩と父の和解でお涙頂戴??期待ゼロ。
回想シーンと結の記憶の「謎」設定
「現在を進めながら過去を小出し?に振り返る手法」…おむすび脚本は、やはりこれを上手く使いこなせていない。
今日の結と歩の会話シーン。制作陣はお涙頂戴を狙ったのだろうが、私の頭の中は…ん???
過労で倒れた結が目を覚まし、歩と真紀ちゃんが神社に迎えに来てくれる「夢を見た」と言うと、歩が「夢じゃないよ」と答えたのだ。
はて?当たり前ではないか。実際にあったことだし、回想シーンとして描いたばかりではないかと、一瞬頭が混乱した。
が、あの回想シーンは歩がバーにいるところに母が駆けつけた時の、母「歩と同じだよ」歩「そんなことあったねぇ」と振り返る形で流された過去だった。
つまり、今日の姉妹の会話シーンを描いて初めて、結は覚えていなかったし(←頭の片隅にはあったのだろうが)、初めて実際の出来事だと知ったとわかる形にしたわけだ。あの回想シーンは歩と母の記憶、あるいは俯瞰で描いた過去という形らしい。なんそれ!である。前後に結自身の記憶による回想シーンを描いたのは、わざと複雑にするためか??
はぁ~(ため息)。制作陣よ、してやったりとか思ってる??伏線回収、一丁上がりとか思ってる??こういうことをするから、独りよがり脚本だと言っているのだ。
時系列に沿って神戸時代からスタートし、神社シーンを含めた「日常」を丁寧に描いておけば(=通常の、俯瞰で描く形)、バーでの回想シーンなしで今日の姉妹の会話を描くだけで、視聴者は色んなことを読み取り、感じることができたのに。結の記憶のこと、夢に見たこと、歩が駆けつけたこと、2人の心情…等々を。
奇をてらってなのか「現在を進めながら過去を小出し?に振り返る手法」のせいで、この回想シーンは誰の記憶なのか、俯瞰で描いた過去なのかということを視聴者は常に考えながら見なければならない状態なのだ。ほんと、バカバカしい。
ハッキリ結自身の記憶だと描いたシーンでさえ、このやり方(=他の家族の記憶あるいは俯瞰シーンと、ごちゃ混ぜ状態)のために、どれだけの視聴者に伝わっているか。情けない(ため息)。制作陣の自業自得なのだが。
ちなみに、結の覚えている記憶としてハッキリ描かれたのは、震災前の楽しかった思い出の数々。家族と過ごした日々、真紀ちゃんが遊んでくれた日々(←ただし、結がいないシーンも、話の流れで入っている。安易に「過去を小出し?に振り返る手法」を選択した脚本家は甘い)。壊れた家と、避難所での「おにぎり冷たい、チンして」(←呆。結がではなく、脚本家が)、真紀ちゃんが亡くなったこと。
で、糸島移住を決めたシーンは母が振り返る形で描かれた(←母がいないシーンもあるが)。打ち上げ中の説教タイムで、父と結の会話から回想シーンに入る形で、地震発生半年後から歩が金髪にして傷害事件を起こすまでが描かれた(←結が方言をからかわれるシーンもここ。歩が一人で真紀ちゃんのことを思い出すシーンもここ)。
要するに、回想シーンには今のところ①俯瞰で描いた過去(=結が覚えているかは謎として引っ張る。あるいは謎のまま終了)②結の記憶による過去…の2種類がありますよ~ということらしい(呆)で、それを利用してお涙頂戴シーンにしたのが、今日の神社のシーンだったというわけだ。
今後もこのパターンが続くとしたら…もう(呆)。結の記憶・震災・トラウマを小出しのネタにするな!である。
しかも「過去を小出し?に振り返る」ばかりで、現在を一向に進めない脚本。新たな「謎」(=大女優)を投入して、いつまで逃げ回るのか。まさか、こんなドラマだとは…演者が気の毒すぎる。河童の中の人、しっかり河童のキャラを演じてると思う。違う脚本でやらせてあげたかったね…(ファンでも何でもないが)。制作陣、軌道修正してください。
破綻脚本による、結の迷走
①結の台詞
・「ハギャレンは人に迷惑をかけない」
→はぁ!?公共の場に座り込んで迷惑をかけているのに。結を脅迫しているのに。脚本家がこれらを迷惑だと思っていないのか、自分が書いたことを忘れたのか、結がこれらを迷惑だと思っていないという設定なのか、視聴者のツッコミ待ちなのか…どれであっても、この台詞が不適切であることに変わりはない。
・「ハギャレンの方が、服も化粧もネイルも髪型もカワイイ」
→はぁ!?脚本家さん、見た目の違いを言わせてどうするの苦笑。外見で判断するなの主張はどこ行った?というか、不良ギャルたちの見た目を、ハギャレンよりもケバくした時点で、自分たちの描いた主張と矛盾していることに気づかない脚本演出は終わっている。
・「ハギャレンたちは夢を持っている」
→はぁ!?不良ギャルたちは夢を持っていないという決めつけ?偏見の塊である。そもそも、夢を持っている=不良ではない…という、あまりにも浅い思考に呆れる。
②結の気持ちと言動
今まで描かれてきたことは
・姉がギャルになったことで両親がケンカし、家の中がギクシャクしたため、姉もギャルも大嫌いになった。
→ここまでは、まぁわかる。
・姉もギャルも嫌いだけど、流されるまま友達になり、脅迫されて行動を共にするようになり、なぜか掟も守るほどギャルに傾倒していった。
→もう、脚本が無茶苦茶。
・姉を【ギャル=不良】と思っていた。
→驚いた。呆れた(←理由は後で)。これは今日初めて描かれた。で、母の「私は不良とは思っていない」発言と、掟の「ダサいことはしない(人に迷惑をかけない)」によって、【ギャル=不良ではない】のかも!?と思い始め、本物の不良ギャルたちに会ったことで、姉もハギャレンも不良ではないと確信した…と、脚本家は描きたかったのだろう。超好意的に見れば…苦笑
であるなら、尚更!
不良と思っていたハギャレンたちと、なぜ友達になった!?なぜ行動を共にしていた!?しかも、両親にバレることを心配していただけで、不良の仲間になってしまったことを悩んだり葛藤したりという様子は一切描かれていない。
なのに今日突然、ギャル=不良だと言い出したのだ(苦笑)破綻脚本による、結の矛盾だらけの言動に、おかしいと気づかない演出家。これでは橋本も、結の気持ちに沿った演技などできるわけがない。
本来描く必要があったのは、前から複数の方が指摘されていたが…最優先で、ハギャレンの良い部分。で、母との会話や、掟により、ギャル=不良ではないと結が気づく。その上で友達になり、行動を共にするようになった…という順番。その際、結に「座り込み禁止ね。掟だから」くらい言わせて、ギャルたちが反省し、約束するシーンを描いていたら、結のキャラブレも言動の矛盾もなく、「ギャルになった結」を描くことができただろうに。これをプロの脚本家がわからないとは…。
③スタートから3週間
結局ギャルの良い部分をまともに描けず、あろうことか不良ギャルと比較して、座り込みの迷惑行為や脅迫はするけど、恐喝よりはマシでしょ?と言っているのと同じ。犯罪者を引き合いに出さないと、ギャルを上げることができないのなら、最初からギャルを取り上げるな。
第1週からそうだったが、誰かを上げるために誰かを下げる脚本は、ホントに嫌だ。第3週終了しても、未だ脚本は迷走中である。
ギャル魂って、なんぞや?。すみません、自分にはわからない。
会社が忙しくて火曜から「おむすび」録り溜めしっぱなしで日曜見る予定だが、そもそも正装して栄養士を目指すのがまともな考え方じゃないのですか?、自分のような真っ当な社会人としては。その世間の、人間社会の至極真っ当な姿勢よりギャル魂やらのほうが大事だと言われたらそりゃ、共感出来ない。
根本ノンジさんはそれを貫く、社会に反するヒロインを描きたいのかも知れないが少なくとも現実社会てギャル理念が認められるような説得力有るシーン・描写がドラマ中で見えないし、視聴者が共感、納得出来る理由も描かれてない。
自分は化粧した女性よりスッピンの女性が好きで、だから化粧や着飾る事で自己を表現する結に「なんか違うんじゃないの」と思ってしまう、「虚飾を塗り重ねていくんじゃなく脱ぎ捨てて素肌の、素顔の自分をさらすのが真っ当な行いではないか」と。多くの視聴者もそういう人が多く、本能的にそれをわかっていて、違うとなったり引いてしまうんじゃないか。それがギャル化した後の結に感じる違和感の正体じゃないだろうか。
自分は更に素より虚飾を優先する娘を認める両親に、更に違和感を感じてしまう。「好きな事をやれ」と許した父親もやれやれだが、ギャルと世間の一般常識のズレを何も教えようとしない母親に「あんた本当にそれでいいと思ってるの?。いやそもそも貴方、一般常識有るの?」と、母親失格ではないかと疑ってしまう。他所のネットでも徐々に批判の声が増えだした愛子さんに自分は唯以上に共感出来ない。頼む、ちむどんどんの優子さん再びにならないでくれ…。
以上。これは現実視点でしか見れない社会人の意見なので、あくまで「ギャル魂を貫く結の物語」と虚構やファンタジー路線として見てる人には相容れない物としてお詫びしておく。いいじゃないかと割り切れる人は良いが、世間一般はおおかた私のような人だから不評なのでは、と思う。現実と違うドラマといっても、やっぱり最低限守らなくてはいけない社会のルール・常識の範囲が有ると思う。
とりあえず録り溜めた物は見るが、忙しい合い間こうして此処の感想を読んでもすっかり「おむすびのチグハグな要素指摘博覧会」と化しており、見る前に離脱しそうになる。もしここまでギャルが中心と描いておいて後半、とって返したように「やっぱり世間の常識と違ってました、ギャル邪道でした」と虚飾を一切無くした真っ当な結に180度方向転換したらそれこそ本当に引く、見る意味無くなってしまうね。この「作り手を信用出来ない」のがこのドラマ最大の欠点だと思う。
「おむすび」ころりん、どっちへ転がっても四面楚歌。
ギャルの突然変異、お構い無し
前に、警察に駆けつけてくれた結母に対して、ギャル(たち)にお礼を言わせなかった脚本。
やっぱり深く考えてないんだろうね。今日は、家でパラパラの練習をさせてもらって、ご飯を食べさせてもらって、お礼を言うシーンがあった。祖母に「いい子たち」と言わせるための安直なストーリー。
一方、母は「元ヤンだから」という理由で、ギャルたちを好意的に見ていると描いた。もう無茶苦茶である。祖父をキャラブレさせてまで、見た目で判断するなと主張していた脚本なのに、ギャルたちの良い部分を一切描かず、挨拶もお礼も言えない彼女たちを、自分が「元ヤンだから」という理由だけでアッサリ受け入れ、家にまで呼ぶ結母を描いてしまうとは呆れる。
警察に駆けつけた時に、ギャル(たち)がお礼を言う姿を描いた後で「結をよろしくね」と言わせておいて、その上で家に呼ぶなら、まだわかるが。こういった過程を一切無視した今日のシーンだった。しかも、前回お礼を言わなかったギャル(たち)が、突然今日はお礼を言った理由もなく、整合性がゼロ。警察引き取りよりもパラパラ練習の方が感謝しているからとでも?苦笑。テキトーすぎる脚本に開いた口が塞がらない。
元ヤンだとしても、いや、元ヤンなら尚更「私、挨拶には厳しいんだよね~」とでも描けばよかったのに。無条件で受け入れるなら、元ヤン設定も不要なわけで…。真面目で心配性でグズグズ悩む結父のキャラと、真逆にしたかっただけかもしれない。
結父とニアミスというドタバタコントを描くための米田家での練習シーンでもあったのだろうが…またいつものとってつけたエピだから、矛盾だらけ。日に日に酷くなるストーリー。パラパラダンスとパラパラ漫画をかけている場合ではないだろうに苦笑。本筋もまともに描けないのに、笑いを欲しがるのは不味い傾向だ。過去作から学んでいないのだろうか。今日も残念な15分だった。
■白々しい菜摘との再会
避難所のシーンで初登場。結に「幼稚園休みかな」「いっぱい遊べるね」と言わせていたが…家が近所で、母親が床屋に入り浸っているにもかかわらず、菜摘自身が結の家で遊ぶシーンを一切描いていなかった(呆)
脚本家の十八番、その時描きたいこと「だけ」しか考えていないからだ。真紀ちゃんと遊ぶシーンと、アーケードに纏わる大人たちのゴタゴタ「だけ」しか描いていないのだ。
18歳になった菜摘を結の【幼なじみ】として登場させるのであれば、6歳の2人が遊ぶ「日常」のシーンは必須。時系列に沿って「何気ない日常」を丁寧に描いておけば、こうはならずに済んだものを。「過去を小出し?にする手法」をわざわざ選んでおきながら、上手く使いこなせなかったのだ。
だから笑顔で「久しぶり~」の再会で描いたのは、避難所の回想シーン(呆)どうしようもない。12年ぶりに再会して、結の部屋でイキナリ恋バナに花を咲かせていたが…「セーラームーンごっこをしていたあの2人が恋バナかぁ」と感慨深くはならないのだ。2人はあの当時一切遊んでいないのだから苦笑。脚本も演出も、もう滅茶苦茶。
■全てがわざとらしい結の言動
・専門学校初日に、メイク&ネイルを盛った結(呆)ダメ出しされるシーンを脚本家が描きたいがために、結がとことん阿呆キャラになってしまった。
・自己紹介で「プロを目指す彼氏のために栄養を学びたい」…呆呆。他の学生から浮いた存在として脚本家が描きたいがために、ますます阿呆キャラ全開に。しかも、両親には嘘をついてごまかした(←また鈍感父は気づいていないという設定だろう苦笑)くせに、初対面の人ばかりの公の場ではアケスケで本音という(呆)脚本家さん、生きづらさを描いたつもりだとでも??ほんと舐めている。
「心の声」を多用してコメディー全開で描いているくせに、生きづらさも何もない。ましてや、トラウマなど。ギャルと河童に夢中で、楽しい神戸ライフを送るために糸島を離れた結にとって、「真紀ちゃんのこと」はすっかりなかったことに。脚本家が震災やトラウマを都合のいいネタとしか考えていないから、こうなってしまうのだ。
■ドタバタコメディーの幕開け
糸島最後の半年間をすっ飛ばしたためにあやふやだったのだが…ハッキリしたことがある。
今はまだ「栄養士」を目指しているわけではなく、「河童の役に立ちた~い!河童の近くに行きた~い!」という思いだけで、神戸の専門学校に入学を決めたのだということ呆呆
神戸編スタートの3日間を使って、脚本家自らが明示したのだ。と同時に、結を不自然かつ必要以上に「阿呆」に描いてまで、「専門学校を舞台にしたドタバタコメディー」が始まりますよと宣言した形なのだ呆呆
はぁ(ため息)…これで「面白い!結、頑張れ!」となると思っているのだから、どうしようもない。ツッコミ待ちの炎上狙い(=視聴率アッゲ~狙い)だとしたら、救いようがない。大人の鑑賞に耐え得るドラマになっていないのは言わずもがな。
どこまで撮影が進んでいるのか不明だが、放送はまだ4ヶ月半もあるのだ。統括は早急かつ本気でテコ入れした方がいい。「失われた30年」をテーマに、視聴者に元気を与えるドラマとして、「他人に迷惑をかけても、真面目にやっている人に失礼でも、自分がやりたいようにやればいい」というギャルたちや結を肯定的に描いている時点で、もう…。やりたくてもやれなかった被災者を引き合いに出して、やりたいようにやることを正当化している時点で、もう…。この脚本家を選んだことが最大の失敗。多くの被災者に協力してもらったドラマがコレでは…残念すぎる。
本筋グダグダで、震災をネタ扱い
「現在を進めながら過去を小出し?に振り返る手法」…新鮮と思うか否かは人それぞれとして…。それをもってして、「ようやく普通のドラマのレベルになった」わけではない。
昔からある手法だし「おむすび」でもやってみるかと思いついたのかもしれないが、【小出し(匂わせ)の仕方&回想シーンの見せ方】がヘタクソすぎては話にならない。
そもそも、本筋において…
・ストーリーが支離滅裂
トラウマのせいではなく、脚本そのものがブレブレ。なんだ今日の歩は!脚本都合で、またすっかりキャラ変させて(苦笑)話にならない。
・演出が下手
「食」のドラマなのに料理の見せ方が下手、結をアップで映しすぎ…等々
・笑いシーンがスベっている
祖父のほら吹きシーン、結の一人ツッコミ…等々
・話が予定調和すぎてつまらない
恋バナ全般、フェスで結のギャル姿がバレるくだり…等々
・スケールが小さい
糸島の自然を魅力的に描けていない、狭いところで同じ話をぐ~るぐる…等々
・どの人物も単純明解すぎて深みがない
今のところギャルの話がメインなのに4人とも無個性(←2人の取ってつけた家庭環境を描いたのみで、複雑な葛藤など皆無)、数合わせ賑やかし要員という扱い、トラブルメーカー要員でしかない担任…等々
・既視感満載の定番朝ドラ
色んなドラマの寄せ集め、ごった煮状態
…結局、本筋「栄養士になる話」だけでは半年もたないし、引きが弱いからと、ギャルと震災を取り入れたのだろう。で、あろうことか震災関連を「謎」としたわけだ。
ミステリー部分が面白いと絶賛する一部視聴者がいるように、震災をネタとしてしか考えていない制作陣。
それでも、被災者の辛さや苦しみに真摯に向き合い、それをドラマに落とし込んでいるならば、「取り入れた意味はあった」かもしれないが、全くできていない。
ただ単に初回から震災の過去を匂わせただけ。歩を謎の人物として描き、結のギャルとのゴタゴタを描いただけ。
時系列に沿って描いていないのだから、米田家と、関わる登場人物は、全て人物像も背景も「謎」なのは当たり前のこと。その「謎」が本筋に必要不可欠とか、「謎」があったからこそ本筋に深みが出たとかなら、「取り入れた意味はあった」かもしれないが、全くそうはなっていない。
結に関しては震災のトラウマがあると早々に明かした。「謎」でも何でもない。で、「震災を描きますよ」と番宣アピールをしまくった挙げ句、描かれたのはアレ。整合性もなかった。まだこれから小出しにするのかもしれないが、その間「本筋」はグダグダ状態。
謎で引っ張り、謎を解き明かすのは「本筋」ではない。本筋がグダグダな上に、謎の匂わせ方&解き明かし方がヘタクソでは、どうしようもないのだ。だったら、最初から時系列通りに描いておけばよかったのにという話。要するに、脚本家の腕次第ということ。
まさか、本筋はどうでもよくて謎解きがメインというわけではあるまいが…だったら朝ドラではなく夜にでもやればよかったのにね。ただし、このレベルでは本格的ミステリーファンの評価は得られないだろうが。
ちなみに…最近では、ブギウギで「スズ子の出生の秘密」を回想シーンとして描いたし、虎に翼では「よねが女を捨てた理由」を回想シーンとして描いた。どちらも「謎を明かしますよ」とアピールすることもなく、ドラマを進める中で自然に明かされた。本筋は本筋として物語になっていた。
斬新さ?を狙って本筋がグダグダになった「おむすび」が、一番構成力に欠けると言わざるを得ない。
最後に。伏線回収…匂わせることが伏線ではない。謎も伏線ではない。今のところ「おむすび」には伏線回収はひとつもない。いや、別になくてもいいのだ。本筋がしっかり描けていれば。制作陣はテコ入れを!
あ~、呆れた。ホントに脚本が支離滅裂。
3週間、結の矛盾ストーリーを描いた脚本が、更に今日。「頼まれたら断れない!」と言わせたのだ。いやいやいやいや(苦笑)だったらそう描かないと。
警察に駆けつけた時も笑顔で「掟だから」ではなく、「頼まれたから仕方なく来ただけです」と言わせないと。その後、自分から進んで「パラパラ教えてください!」とか言わせちゃダメだし。頼まれてもいないのに、練習場所として家に呼ぶのもおかしいし。ましてや、不良ギャルに立ち向かっていくシーンなんか描いちゃダメだし。
言ってることとやってることが全く噛み合っていないのだ。100歩譲って、「頼まれたら断れない」のだとしたら、最初に書いたが…そのことに悩んだり葛藤したりする姿を描かないと。「私、ズルズル流されてしまっとう」とか「フェス終わったら、キッパリ縁を切ろう」とか、十八番の心の声で言わせとかないと。
で、あろうことか、こうなったのは姉のせいだと結に言わせた脚本。きっかけは姉が総代だったからだが、断れずにズルズルきたのは姉のせいでもなんでもない。しかも途中からは自ら進んで色々やっていたくせに、全て姉のせいにするなんて最低だね。
脚本家は【姉妹の確執と過去のトラウマ】が描きたいのだろう。居場所とか救われたとかいう位置づけで、ギャルを絡めたいのだろう。だったら3週間もかけて言動不一致の結を描くな。
簡単な話だ。今日の結の台詞は「最初は頼まれて流されてたけど、途中から仲間だって思うようになって…今のお姉ちゃんから見たらダサくてハズイことかもしれないけど、私の仲間を悪く言わないで!」という反論にして、これに合うようなストーリーにすればよかっただけのこと。
ギャルの良い部分を描いて、結が仲間になったと描けばよかっただけ。「お姉ちゃんのこと誤解してたかも…」と呟かせておけばよかっただけ。なのに突然帰省した姉がギャルを否定したから、結は反論したと描けばよかっただけ。
また、居場所とか救われたとかいうのは、カラオケのシーンで描いてあった。あの後に「お姉ちゃんもそうだったんかな…」とか言わせなかった脚本。これでは今日の台詞「辛かったのはお姉ちゃんだけじゃない!」が全く活きない。
辛かった姉はギャルに救われたのかも…と気づいたことも、結がギャルへの偏見を払拭した要因のひとつだったと描けばよかったのだ。なのに姉がギャルを否定したから、結は反論したと描けばよかったのだ。「お姉ちゃんにとってハギャレンは大切な居場所だったんやろ?それを否定しないで!神戸のこと、真紀ちゃんのこと…私だってお姉ちゃんと同じ気持ちだったよ…」くらい言わせていたら、結の心優しいキャラを保てるのに。
またよりによって「お姉ちゃんの生き方がイヤ。家族に迷惑かけて…(中略)大嫌い」だと。いやいやいやいや、だったらなぜ姉と同じギャルの仲間になってるの!?大嫌いな生き方をしてるのに、葛藤しないの!?と、矛盾ループ地獄なのだ。脚本家さん、テキトーすぎますよ。
あ~あ。仲里依紗の登場で流れが変わることに期待したのだが…またあの不適切担任によるドタバタと、わざとらしいギャル訪問からの~自己中な姉妹ゲンカだった。
で、ラストは結の泣きシーン(苦笑)どんだけアップで、どんだけ尺使って…あれが見せ場だと脚本演出は考えているのだろうね…残念すぎる。
支離滅裂・破綻脚本のせいで、ズルズル流されてギャルの仲間になったくせに、全て姉のせいにして姉に牙を向いた挙げ句、悲劇のヒロインぶって号泣する結という、意味不明ヒロインになってしまった。
まぁ、アッサリ和解して、バッチリギャルメイク&衣装でパラパラ踊ってめでたしめでたしになるんだろうけど…。トホホである。
■防災訓練の目的
そもそも「こども防災訓練」の目的は、震災を経験していない子供たちに「あの日のこと」を知ってもらうこと、風化しないように語り継いでいくことだった。だから「炊き出し」はチラシにも【体験】と書いてあった。問題なのは、目的に沿った描き方をしていないことと、「炊き出し」エピを通してドラマが描いた内容。
■体験としての「炊き出し」
・まず、過去3年間がずっと豚汁で、子供たちが「飽きた」と言っているからメニューを変えるという設定。
→この設定自体がおかしいのだ。理由は後で。
・リアル震災時は味が濃かったり薄かったりしたと聞き、専門学校の先生に助言を貰い、献立&調理を行った。
→これは丸々、結たちの「【正しい】大量調理」の体験である。味の濃淡の理由を学んだのはいいとして。
子供たちの体験という目的に合わせた献立にするならば…豚肉ではなく缶詰め(ツナ・サバ)にしたのはよかったが、完璧な献立にするのではなく、他の材料に偏りがある形にして。
子供たちの「なんかトウフばっかりやん。ツナ入っとう?」とか「野菜はネギとニンジンだけやし」等の声、それに答える結、結の話(←冷たいおむすびの体験談含む)を聞いた子供たちの反応を描けばよかったのだ。
これを描いて初めて【子供にとっての震災時の体験&大人の役目としての語り継いでいくこと】の大切さを、「炊き出し」を通して描くエピになるのだ。何より!「冷たい。チンして」のシーンと、「実はそれを後悔し続けてきた」と描いたことに意味を持たせることができるのだ。
完璧なものを作っただけでは、結たちの「良い体験になりました~!」というだけのエピでしかないのだ(←実際打ち上げでそう言わせていたが苦笑)。
■人と人を結ぶ
結が「おむすび」を真紀父に手渡すシーンでも言わせていた「美味しいもの食べたら少しは元気になれる」をずっとキーワードにしてきた脚本。
美味しいもの=完璧なもの…ではなく、作ってくれた人の思いが元気にさせてくれる…ということ。結果的に冷たくなってしまったが、温かいおむすびを食べて元気になってほしいという、おばあちゃんの思い。当時は理解できなかったが、後から結は気づいて後悔していると描いた脚本。
また、糸島では結や歩を元気づけるために、祖母がおむすびを握ってくれたシーンがあったし、ギャルたちのためにも祖母はおむすびを握ってくれていた。
だったら、拘るのは温かさではなく、作ってくれた人の【思い】だろうに。なのになのに、ホカホカに拘った脚本。今まで描いてきたことを、自ら台無しにしてしまう脚本なのだ。
結の口から子供たちに「限られた材料や環境の中で、元気になってほしいという思いで作られた炊き出しなんよ」という一言があれば…。おむすび差し入れのおばあちゃんだけでなく、ワカメ差し入れの真紀父や、トウフを調達してきた栄吉じーちゃんの思いが生かせたのに。
特に、じーちゃんに関しては後出し回想で描いて、結がすぐに電話かけて「知らんかったよ~」で終わり苦笑。いやいや、プロならもっと考えよう。ぶつ切りではなく、次に繋げる形にしないと。
人と人を結ぶ=思いと思いを結ぶ…でもあるはずなのだが…。残念ながら「思い」は生かされていないし、結んで次に繋げてができずにぶつ切りになっている。タイトルにもしている「おむすび」なのに…。
■ご都合主義脚本
・歩「実は真紀ちゃんが、お父さんは日本一の靴職人と言ってた」…実は○○でしたシリーズ、一体いつまで続く??
で、真紀父は歩の顔を見ると真紀を思い出して辛いという設定なので、結が行く形になるわけだが。結「お姉ちゃんと話してて思い出したんやけど…」←苦笑。またまた出し入れ自在の記憶だ。いやいや。
「お姉ちゃんから聞いてきました」に何故しない。お姉ちゃんの思いと、真紀ちゃんの思いを聞いたら…そう!「ウチ放っておけんくて」だろうに。結が思い出したから…じゃないんよ、脚本家さん苦笑。
ついでに、演出家さん。何故、真紀父が帰宅した途端に結が来る形にする。コントじゃないんよ。真紀父はいつも通り、真紀ちゃんの写真を見ながら飲み始めたところだった…でええんよ。
・真紀ちゃんの墓で、ギャル靴を見ながら。「実は真紀ちゃんはギャルになりたかった」と聞いて驚く真紀父。そりゃ、そうだ。厚底靴の需要=ギャル自体もよく知らなかったわけだし。
で、ギャルとは何か(←他人を気にせず、自分のやりたいように~)を説明し、自分が救われたと話したわけだが。歩のこの告白を真紀父との会話で今日描くために、糸島での父娘和解を描かなかったのだ。
いやいやいやいや。どう考えても、あれだけ確執を描いた父娘の和解が優先だろうて苦笑。ヒロインの家族なんだし。結局、後から描くシーンのために取っておきたかっただけ。そのせいで、歩についての描くべき旬を逃した上に、あれだけ描いた聖人の苦悩が台無し。和解シーンなしで、くだらない冗談を言い合う父娘を描いているのだから、心情もクソもあったもんじゃない。おっと、お下品でした。心情を描けない脚本に、人と人とを結ぶドラマなど到底無理なのだ。残念すぎる。
■残念と言えば…
訓練の時はエプロンしてたし、ほとんど映ってなかったから気づかなかったが…打ち上げで映ったお嬢の服が超ダサかった(涙)。何より、火のそばで大量調理するんだから、あんな化繊のヒラヒラ着させてどうする。栄養士のドラマなのだから、そこは拘らないと。はぁ…たまには誉めさせてくれぃ。ライスのボールはグッドなドラマだと。
■結の野菜説法で解決~♪
結「野菜がそれぞれなように、人それぞれなんやないかなって」
(ここで、しっとりBGM)←苦笑
常連A「わかるで、結ちゃん」
常連B「うん、わかるわ」
おばあちゃん「わかるな」
おじいちゃん「せやせや、うん」
菜摘母、唇を噛みしめ、涙を拭う。
何この脚本…苦笑。また小学校の道徳「野菜も人も、それぞれ」ですか…。結アゲ&陳腐な台詞だし呆。結先生と、先生に気を遣う生徒たちを描いたような…カオスすぎる脚本演出。脚本家も演出家も、やっつけ仕事なのか??結アゲ台詞「わかる」を言わされた役者たちが気の毒すぎる。てか、結父が既に「人それぞれ」と言っているのだから、結の野菜説法は不要。
結父の主張を聞いて、ミサエがあそこまで反論する前に…
常連A「みんな頭ではわかっててん。せやけど、だんだん気持ちも離れてしもて…」
常連B「12年やからなぁ…俺らミサエさんの苦労を見てきたしな。いや、聖ちゃんを責めてるんやないで。聖ちゃんにしか言えんかった思うわ」
復興職員「そう、誰も悪うない。ちょうどええ機会やないですか」
常連A「うん。俺はナベさんに来てもらいたい。ミサエさん、ええか?」
ミサエ、黙って頷く。
常連B「ほな、聖ちゃん。ナベさんに言うといてや」
結父「わかりました」
当日。真紀父登場。
結母「ナベさんになんて声かけたの?」
結父「いや、ミサエさんが『私に行かせて』言うて…」
結母「そーなの?よかった!」
(バックに、常連ABと談笑しながら、元気に働くミサエの姿)
そして、真紀父にお礼を言う菜摘のシーン。
くらいにしておけば…。これなら、取ってつけた結の野菜説法は必要ないし、菜摘母に「うちが声かけた!お礼言うた!」なんて言わせる野暮なシーンを描く必要もない。菜摘母の台詞の直後に、菜摘本人がお礼を言うシーンを描くなんて…苦笑。それこそ、菜摘母のお礼は【行間を読ませる】という形にすることができたのに。
描く必要があることをすっ飛ばし、余白を残せばいいところを過剰に描いている。これが「おむすび」脚本。大人の鑑賞に堪えるドラマになっていない。
■震災&心の復興を軽視
「実は、真紀父は便秘菜摘のためにワカメを差し入れしていた」という後出しジャンケンが秘策(苦笑)だった脚本としては、菜摘母子のお礼をエエ話として描きたかったのだろうが…そのために菜摘母をキャラ崩壊させているから、感動ナシ。で、仲違いする【何かがあった】と匂わせていた後出しは「実は、真紀父はアーケードを最後までやらずに放り出していた」だった。コレで引っ張るって苦笑。こりゃ、演じた緑子も大変だっただろう。
そして何より!結父と商店街の人たち=震災時に大人だった人たちに対して、当時6歳で「(一部を除き)ほとんど覚えとらん」結に「人それぞれ」だと説法させた脚本の酷さよ。何も理解できないまま「ケンカあかん。仲ようしな」と言った6歳児とは訳が違うだろうて。菜摘母が気の毒すぎて、もう…。酷いシーンだった。まるでイジメの首謀者が一人責められているみたいな。で、涙からの「お礼言うた!」て…短絡的で稚拙な脚本と言わざるを得ない。結局【心の復興】を軽々しく結アゲに使ったし。終わってる。
■全て結のおかげ~♪
菜摘母に気づきを与え、真紀父が一歩を踏み出すきっかけを作ったのは、結のおかげということで苦笑。
炊き出し成功(←班員、完全モブ)も、河童の変化球も、結のおかげということで苦笑。
はぁ…うちらなんなん?
by班員&メンディー
今日は全て上手くいきメデタシになることはわかっていたが、そうきたか!という見事な展開も当然なく。また結アゲか、しかも震災を軽視して。被災者&視聴者をナメすぎ!…で終わった。もう何回目だろ…。
で、来週は就活!?専門学校シーンはもうネタ切れ!?うそやん!結、全然勉強してへんやん苦笑。栄養士なんてチョロイってか??ダメだ、こりゃ。
整合性ナシの破綻脚本。皆、阿呆に。
■結の失敗
結局、カロリー不足という基本中の基本が出来ていなかったわけだが。
ドラマ(エピ)を作るために、とことん「阿呆」に描かれ出した結&河童だが、献立作りを手伝ったオジサン&お嬢まで「阿呆」に描かれてしまった。スポーツ栄養士の仕事について語っていたオジサンと、実習で対象者に合わせた献立を考えたお嬢を描いておきながら、整合性ゼロ。その時描きたいこと「だけ」しか考えていないから、こんなことになるのだ呆。
で、タメ息女子に「支えられる相手のことを考えてない」とか「患者のこと、なんもわかってない」と言わせていたが。
単純に献立の段階で基本中の基本が出来ていないことと、アスリートの心のケアが出来ていないことは全く次元の違う話である。
脚本家が理解できていないから、授業シーンを描いても尻切れトンボ。講師による正解や見本を描かずに、タメ息女子にキレさせて終了という呆。笑えないコントなど言語道断。
要するに…結に足りなかったものは①栄養士の勉強に対するヤル気(←献立の基本すらわかっていなかった)②人としてのデリカシー(←タメ息女子への失言)…ということ。
スポーツ栄養士について深掘りできないどころか、【目標に向かって努力しましょう&相手の気持ちを考えて発言しましょう】という、お子ちゃま向け教材ビデオ並みの内容。
先週は【協調性が必要】だった苦笑。あと今週は【話せばわかり合える】(←父・歩・結に母が諭すための材料として、お嬢の家出エピを投入しただけ)も苦笑。
■アスリートのための献立
タメ息女子に、鍋(と豚まん)を提案させていたが。結はノートに「鍋料理」(と豚まん)と書いただけ苦笑。脚本家さん、せめて「何鍋がいい?」くらいの会話はさせないと。栄養士のドラマなんだから。それこそ、季節に合わせた「糸島の野菜」を取り上げないでどうする。実習の時「だけ」結の機転を描いても意味ナシ。
結局、どんな献立にしたかは描かずに、週末に会った(ことになっている)結と河童の会話も描かずに、キレキレに大変身した河童と、メンディー先輩が豚まんを食べる様を描いただけ。3分間クッキングよろしく、こうなりました~の結果だけ見せてメデタシの「おむすび」。これが限界なのだろう。情けない。
朝ドラにおいて、ヒロインの仕事をどこまで深掘りするかは作品によるが、「おむすび」はそれ以前の問題。先週今週の描き方を見ると、なめとん?と言われても仕方がないだろう。自分で選んだ道なのにヤル気がないヒロインなど前代未聞では?呆呆。
半泣き反省させた結を、来週からどう描くつもりだろうか??結を成長させるどころか「阿呆&デリカシーに欠ける」ヒロインにキャラ変させた脚本には何も期待できないが。
■学習しない面々
・大食いして体にキレがなくなった河童。
・河童のための献立(高校時代は弁当)を最初から人に頼る結。アスリートの食(栄養)を、全く理解していない結。
→2人共、高校時代と全く同じ失敗(怠惰)を繰り返している。学習しない「阿呆」にしてしまったのは、それでしかエピを作れない脚本家のせい。
そもそも、結がスタミナ弁当を止めたのは、寮できっちり3食管理されているからという理由。だったらまず2人の「4月からはどうする?」という会話を描かないと。結が専門学校に行く動機はソレなのに。2人がつきあう(惹かれあう)きっかけになったのがスタミナ弁当なのに。それをスルーしているから、ぶつ切りエピ&繋がりがないと言われるのですよ、脚本家さん。学習してください。
河童が社会人野球をやると決め、結が「河童のために」栄養士の専門学校に行くと決めたわけで…これが「おむすび」の本筋中の本筋。なのに!【4月からの河童の食について】を話し合うシーンを描かないどころか、半年間すっ飛ばした挙げ句、神戸行きをじーちゃんに知らせるコントのトリガー役として河童を使った脚本家(呆呆)
河童の練習メニューや生活スタイルがわかったら、結が献立を考える…と2人で決めたと描き(←当然、結は入学までもアスリートの食について猛勉強)。結はタメ息女子に出会い、その本気度と優秀さに惹かれると共に、自分の甘さを痛感する。河童に献立を渡したものの、不安を感じていた。
一方、河童も結の献立通りに食べていた(←河童が慣れない自炊をしているシーンあり笑)が、いまいちパフォーマンスは上がっていなかった。そのことを察した結は【自分が作った】献立をタメ息女子なり講師陣なりに見てもらう。河童もメンディー先輩に相談する(←メンディーが慣れた手つきで自炊するシーンあり笑)。すると、結の献立には素人では気づかない落とし穴があったと判明する…という流れだったら…。カロリーが少なすぎるとかは論外で苦笑。
これなら、河童を必要以上に「阿呆」に描くことなく、結と一緒に歩んでいきたいという思いや、初の自炊に失敗しながらも真剣に取り組む真面目さや、先輩に教えを乞う柔軟さが描けた。結にいたっては、度が過ぎる「阿呆さ・他人頼り・非常識・KY」に描くことなく、タメ息女子に刺激を受けた様や、敬う様を描くと共に、タメ息女子との共通点も描けた。
■アスリートを支える栄養士
共通点…アスリートを「食」で支えたいという思い。夫がアスリートである女性が、栄養士の資格を持っているケースは珍しくない。特定の人のためか、職業にするかの違いは大きいが…本人の能力や資質とはまた別の話である。ましてや、人間性や常識の有無は無関係であるのは言うまでもない。結をこれでもかというくらいに「阿呆・非常識・KY」に描き、「彼氏のために~」を下げネタとして描いた脚本は、アスリートである夫(彼氏)のために、真剣に栄養士の資格を取った女性たちに失礼すぎる。
お嬢に「彼氏のために~の人と一緒にせんといて」と言わせたり、わざわざKY結に「同じ目標」と言わせた上で、タメ息女子に「なめとん?」と言わせたり。全てドラマを作るために、結を超ダメキャラに描いた上で、見下す発言をさせているのだ。最後に上げるためとはいえ、浅慮脚本の極みである。
自己紹介シーンからイヤな予感はしていたのだが…。アレは確かにKYだったが…あの後、結の努力や、食(栄養)への真剣な思いがわかり、皆も一目置くようになったと描けばよかっただけのこと。なのに、回を重ねる度に結の阿呆っぷりを加速させた脚本には呆れるしかない。
結が「彼氏のために」と思ったきっかけとして描いている回想シーンの、監督「私の妻が栄養士の資格を持ってまして」と。タメ息女子の目指す「アスリートのための栄養士」。脚本家の頭の中では、この2つがどういう位置づけになっているのだろうか??明確な答えなど、あるまい。
間違ってはいけないのは、「彼氏のために」がナメているのではなく、目標のために努力をしていないことや、努力をしている人に最初から頼っているのがナメているのだということ。脚本家自身に「アスリート夫を支える栄養士妻」へのリスペクトがあれば、こんな酷い描き方にはなっていないはず。震災(トラウマ)に続いて、本筋である「栄養士」に関しても、残念すぎる描き方(=向き合い方)…ホントどうしようもない。最終的には結も「なんらかの職業」に就く?のだとしたら尚更、職業ではない人たちへのリスペクトは必要だった。
■心情を描けない脚本
そもそも!結が「彼氏のために」専門学校に行くと決めたことを河童は知っているのか??結が河童になんと説明したのか、肝心なシーンを描いていないから、河童の心情も描けないのだ。また、両親には「河童のために」とは言わずに、騙して専門学校に入学しているのだが。河童はそのことも知っているのか??
突然、結父が河童を認めたような、そこだけ見たら「ええ感じ」と勘違いするようなシーンを描いていたが。結が父を騙していることを知っているか否かで、河童の心情は全然違ってくるのに、こんな状態では描けるわけがないのだ。2人を心配する結を描いていたが。これだって同じこと。ごく一般的な【彼氏が家に来た時あるある】を描いただけ苦笑。
「両親に嘘をついて、専門学校に行くことにした」とわざわざ描いたのなら、それを生かしたストーリーにしないと全く意味がない(呆呆)それとも、結は河童も両親も騙していて、なかなか本当のことが言えずに苦悩しているとでも??全く表現できていないが苦笑。肝心なシーンを描かず(描けず)に【なぞなぞドラマ】にしている時点で、何を描いても薄っぺらいのは当然である。
歩の再登場。オーマイガッ!!
■食事シーン
・約束=「東京の仕事が終わったら、すぐに福岡に戻ってくる」を破った歩に対して怒る父を描いていたが。
そもそも、その約束をした【父との和解】シーンを一切描いていない(呆)ギャルになったのも東京に行ったのも「真紀ちゃんの代わり」だったと歩が話したのは、結にだけ。最初から母は知っていたのか??父にも話して東京に戻ったのか??肝心なことを描かなかった脚本家。
こんな状態だから、父の心情が全く描けないのだ。いい加減でルーズな娘に対して怒っているだけ。ニセモノではなく、自分の人生を歩み出した娘に対する思いは、微塵も表現できていない。北村有起哉の無駄遣いにも程がある。
・母の台詞は「なんで神戸に来たん?」…呆呆。で、歩の台詞は「仕事で」…苦笑。ご都合主義脚本の極み。
すき焼き家族会議で、歩に「真紀ちゃんの墓参りに行きたい」と言わせておきながら、今回父にも母にも触れさせなかったのは、後のシーン【チャンミカとの会話】のため。こういうことをするから白けるのだ。
子供のやりたいようにやらせる「だけ」キャラの母はともかく、堅物キャラの父なら「テキトーな行動ばっかりするな!墓参りはどうなった!」と怒るだろうに。当然ながらベストなのは和解シーンを描いた上で、歩の心情を慮りつつ「墓参りには行けたんか?」だが。実際に描かれたのは「ちょいちょい英語を挟むな!」というコント(呆)どうしようもない。
■姉妹の会話シーン
互いのトラウマを確認し合っていたが。これも、このシーンを描きたいがために、食事シーンでは父母に触れさせなかった形だ。1ヶ月前に、結がフラッシュバックを起こしたのを目の前で見ている2人が、歩のそれを心配しないわけがなかろうて(呆)
当時6歳で記憶があまりない結と、当時14歳で親友を亡くした歩。どちらがショックが大きいか。脚本家自ら、引きこもり状態になった歩を描いていたくせに。ご都合主義脚本のせいで、歩のトラウマをすっかり忘れて、古着話で盛り上がるノウテンキな両親になってしまった。
父母「大丈夫やった?」歩「うん…大丈夫」その上で、姉妹の会話が描きたいのであれば、歩「ホントは大丈夫でもなかったんだよね…」結「うん…そうだと思った…」…これなら、両親が歩を心配する気持ちが描けたし、歩が両親を心配させないように答えたのもわかるのに。あるいは、夫婦だけの会話で歩を心配しているシーンを描くとか。今までそういうシーンは一切なかった。これがあるだけで、母の印象は全然違ってくるのに。人物描写も、家族の会話も、上っ面だけで全く深みがない。
■チャンミカの登場
「過去を小出し?にする手法」でも一切登場しなかった「謎」の同級生(呆)母の台詞「ウチに遊びにきたことがあった」が虚しい。わざわざ1歳上の真紀ちゃんとベッタリな様だけを描いておいて、今更。しかも「(真紀ちゃんに)よろしく」と言わせていたが、面識があったのかすら「謎」という苦笑。
結局、菜摘同様、その時描きたいこと「だけ」しか描いていないから、全てがぶつ切りで繋がらないのだ。
■本筋を疎かにして、歩の物語
金曜日に書いた通りだ。歩の再登場で、本筋の栄養士話(専門学校シーン)が疎かになると。授業の1コマと昼休みの1コマだけ(呆)先週ようやく本筋に入ったのだから、そこで波に乗せないでどうする。結局は今まで時間稼ぎをしてきたように、本筋だけではもたないから歩を再登場させたのだろう。情けない。
栄養士話と共に、プライベート(家族や彼氏)の話を描くのは別にいい。朝ドラとはそういうものだから。ただ上記したように【家族の話】そのものが破綻しているのだから、どうしようもない。加えて、チャンミカは結には無関係。まさか、また「久しぶり~」とか言わせたりして苦笑。
てか、「真紀ちゃんのこと、ウチも辛かったよ」と言っていた結は、墓参りしたのか??つくづく、震災(トラウマ)を取り入れる必要はなかった。
■滑りまくりの笑いシーン
先日の「顔パック緑子」に続いて、今日は「回転イス新納」…滑りまくり脚本の被害者。わざわざ時間とって描いたオチが、まさかのオリックスファンが興奮しただけて(呆呆)…復興担当の市役所職員だから、河童の所属チームに協力してもらってのイベントでも思いついたのか!結の専門学校も絡ませるのか!とか考えながら観ていた私がバカだった苦笑。
こちらの予想を遥かに上回る「そうきたか!やられた!」という裏切りなら大歓迎だが。おむすび脚本は「うそやん!呆」という裏切りばかり。あんなしょーもない一人コントをやらされた演者が気の毒すぎる。
⚫︎糸島の観光地を見せるシーンを入れる
白糸の滝、トトロの森(芥屋の大門公園)、立石山、ヤシの木ブランコ、桜井二見ヶ浦の鳥居と縁結びの夫婦岩。話の筋にからめようと思えばいろいろ出来たはず。脚本家さん、書く前に現地取材してる?。
⚫︎キャラを下げるほうでなく、上げるほうに重点を置く
永吉さんはせっかく聖人の嘆きの時に狸寝入りする粋なはからいを見せたのに、結たちの神戸行きを知らない阿呆にまた描かれた。「知っとったよ。前から聖人と愛子さんのやり取り聞いて薄々な・・」「行って来い、畑はわしらがやってける分に縮小すりゃ何とかなるけん」とかのほうが松平健さんの人となりに合ってたろうに。四ツ木翔也もせっかく夢を軌道修正し諦めるなと描いたのに、神戸行きをバラすうっかり要員に。「米田結。俺まだ自分の夢諦めてねえから、お前も1回2回つまずいたってへこたれず頑張れ」ぐらい言わせたほうが一本気さが出せた。滑るギャグの為に(?)肝心のキャラの見せ場をふいにしたのが残念。
⚫︎ギャル経験者、或いはギャル文化に造詣が有り思い入れの強い脚本家を選ぶべきだった
それが出来ないなら最初からギャル抜きで結の学園生活→栄養士への道にしぼるべきだった。
⚫︎美味しそうな料理のシーンを入れる、こだわりも描けたらなお良し
おむすびも塩むすびだけでなく何種類か用意し、畑仕事で汗をかいた後は塩むすび、朝食の時間の無い時は栄養も取れるよう昆布入りかじゃこ入りおむすび。海苔付きのおむすびを楽しみたい時はたらこ入りやシーチキン入りのおむすび。たまには混ぜご飯で作ったおむすびも。郷土料理も永吉さんに「うまか」言わせるだけでなく酒の肴の料理、糸島の海の幸、自宅の農園の野菜をふんだんに活かした料理を惜しみなく出す。そうした蘊蓄を佳代さんに言わせれば宮崎美子さんの頭のいい人となりにも合っていたはず。とにかく視聴者に「美味しそう」と思わせる事。
どれか一つでもこだわりを持ってやってくれていれば、糸島編の質も視聴率ももう少し上がったはず。TVドラマというものは「放送時間枠を埋める」「局の都合を宣伝する」「俳優や撮影地のスケジュールを考慮する」以前に「見る人が寄って来るものを作る」「これはいい、という番組を放送する」「公共、公に恥ずかしくない作品を作る」事が必要だと思う。
とにかくもう少し理に叶っていて建設的に、普通に作ってドラマのレベルを上げていって欲しい。
■支離滅裂「米田家の呪い」
驚いた。呆れた。今まで散々描いてきた「困っている人を放っておけない」=「米田家の【呪い】」という不適切ワード。いつ、どういう形でひっくり返すのかと注目していたのだが…酷かった。
結に唐突に「呪いじゃなくて、自分がやったことで誰かが喜んでくれたら、すごい幸せな気持ちになるんやって気づいた」と言わせただけ。その時流されたシーンは…
①海ドボンで、子供に帽子を取ってあげた
②ギャルの仲間になって、パラパラを踊ってあげた
③避難所でオバチャンがおむすびをくれた。結「冷たい、チンして」
④河童に弁当を作ったり、メールでアドバイスをしてあげた
脚本家さん、大丈夫ですか??①②は確かに「米田家の呪い」として描いていた。が、④は違う。結がお礼をしたいと言ったことから始まり、ヤバイヤバイでメル友になった形だ。だから、脚本家自身も「呪い」とは描いていなかった
③にいたっては、困っている人を放っておけなかったのはオバチャンのほうで、結は「チンして」と言ってオバチャンを困らせたのだった。自分で困らせておいて、放っておけないから、食べてあげたとでも??脚本家さん、マジでヤバイヤバイ。
■震災・トラウマをネタに
で、昨日描いた「本のタイトルを見て、栄養士になりたい!と閃いた」のと、「誰かに喜んでもらえる仕事」を絡めて、「呪いではなかった」と気づいた形にしたかったようだが…
いやいや、ちょい待て。避難所の差し入れおむすびエピを絡めるな。そもそも、脚本家はどういうつもりであのシーンを描いた??放送当時にも書いた。今後重要なシーンになるだろうが、大丈夫か??と。
言わんこっちゃない。あんな台詞を言わせなければよかったのだ。しかも、15歳になった結が「トラウマの原因」として当時を振り返る形で描いたシーンなのだ。それを今更「喜んでもらえる幸せ」??誰が誰に??17歳になって初めて気づいた??今まではトラウマがあったから気づかなかったとでも??酷すぎる。だから、地震やトラウマを扱うなと言っているのだ。手軽に感動ネタとして描けると思ったのだろう。最低である。
てか、気をてらって「呪い」などとせずに、最初から「誰かが喜んでくれたら、すごい幸せ」と幼い頃から聞いて育った設定でよかったのだ。だって、床屋の両親なのだから。客が「あ~スッキリした~」と喜ぶ顔を結も見ているだろうに。逆に、そこを絡めないほうが不思議である。脚本家の頭の中が理解不能。
■半年ワープでやっつけ仕事
「おむすびは(将来)どうすんだ?」と心配してくれた陽太や書道部女子に、「栄養士になる!」と報告するシーンも描かず。神戸に帰るかどうか、結が考えるシーンも描かず。半年間、結が何を思い、どう過ごしていたのか、全て視聴者の想像にお任せという。これではドラマとして成立していない。
で、描いたのは…①祖父だけ何も知らされずに半年間過ごしていたこと(←酷すぎる)②言い出せない父に女3人が圧力をかけるコント(←アホか)③河童が地雷を踏み、父子ゲンカ勃発(←河童は、おバカ設定)…呆呆
笑えないグダグダドタバタコントの後は、畑でのお涙頂戴シーン。いやはや、もう…なんも言えね~。
結局、弊害しかなかった「過去を小出し?にする手法」と、ギャルとのゴタゴタと、仕事ブッチ歩の引っ掻き回しで6週間引っ張り、ヤバイヤバイ恋バナを1週間描く中でアッサリ「栄養士になりたい」と描いた(呆)「過去を小出し」も何も、結の小学2年の春までしか描いてないし(苦笑)これなら尚更、子役の神戸時代からスタートして、高校1年で橋本環奈にバトンタッチすればよかっただけの話。
まぁ、そうしたところでこの脚本家ではどのみち同じ結果だったかもしれないが。オリジナルが書けない脚本家だということがよくわかった。来週から神戸編?やっと本筋?全く期待できない…トホホ。
残念すぎる「震災」の扱い
■スタートからの流れ
第3回で早くも震災シーンのチラ見せがあった。と同時に、書道部入部を躊躇う理由として、結に「いくら楽しくてもなくなっちゃうかもしれんし」と言わせた脚本。
震災のトラウマを描きたいことはわかった。が、その前後にラブコメ全開の結の姿を描いた脚本に、震災と真摯に向き合う気はなく、ドラマのネタのひとつでしかないのだと呆れた。書道部の先輩にトキメキ、目をキラキラさせた結に「私の青春始まっちゃう~!?」と言わせたのだから。
震災から9年経ってもトラウマを抱えていると描いておきながら、恋愛にだけは何の躊躇もないヒロインにしてしまった脚本。書道には惹かれないが先輩には惹かれる姿を、心の声を使ってオモシロ可笑しくコメディー調で描いたのだから。
その後、グダグダのギャル話と恋バナで3週間引っ張り(←震災もトラウマも封印)、ストーリーを進めるために歩を投入。ケンカさせることで、結に「私も苦しかった」と言わせ、初めて「真紀ちゃん」なる人物がキーマンだと匂わせた。で、フェスティバル後にカッパに語る形で、ようやく震災の回想シーンを描いたわけだが。
■冷たいおむすび「レンジでチンして」の件
炊き出しが始まった時のリアル被災者の「温かい食べ物がありがたかった」という声を踏まえて、短絡的に結に言わせただけだろう。結のキャラを無視して。
あの「チンして」が結にとって何かあるのなら言わせる意味はあっただろうが…違うだろう。描くべきは「おむすび」と、握ってくれた人の思いだろうに(ため息)今までも散々、祖母が結のために握ってくれたシーンを描いてきたではないか。つい先日も、歩とケンカした後に。今日の放送では、真紀のことで茫然自失の歩のために。
そういう経験を重ねてきたからこそ、結の「今」や今後描かれる「将来」の姿に繋がると描くべき大事なシーンだっただろうに(ため息)
タイトルの由来でもある「おむすび」のシーンを、こんな形でしか描けない脚本には失望しかない。たとえ実際に「チンして」と言った子がいたとしても関係ない。それをそのままドラマにして結に言わせる必要は全くないのだから。
例えば…
母「どないしたん?お腹すいてたんやろ。食べな」
結「冷たい」
母「…うん。でも食べな(=食べないと)元気出んから」(小声で)
結「…」
おばちゃん「ごめんな、冷たなってしもて。お嬢ちゃん、おばちゃんと約束してや。あったかいおむすび持ってこれるようになるまで、おばちゃんも元気出して頑張るから、お嬢ちゃんはお母さんの言うこと聞いて、ちゃんと食べるって」…とか。
非常にベタだが(苦笑)…脚本家自身が散々描いてきた「元気になれる」とか「悲しいことも忘れられる」をキーワードとして描いてこそのシーンだろうに。実際は簡単に忘れられるわけではないし、無理に忘れなくてもいい。それでも、元気のない人に寄り添う気持ちを込めて握られた「おむすび」…そう描いてきた(描いていく)のではなかったのか。ちゃんと描けば、視聴者もちゃんと受け止め、正当に評価する人がほとんどだろう。それができていないから、批判されるのだ。何が「レンジでチンして」だよ(ため息)炎上狙いか。残念すぎるシーンだった。
■真紀ちゃんがなくなった件
姉妹(特に歩)のショックは計り知れない。姉妹の「その後」はこれから描かれるのだろう。いや、描くしかないのだ。人物像も背景も描かずに、ストーリーを支離滅裂にしてまで、わざとすっ飛ばしてきたのだから。酷いドラマだ。
しかし、結がショックから徐々に立ち直り、行きつく先(←ドラマとしては通過点)は、ギャルという。歩の行きつく先も、これまたギャルという。全く惹かれない(苦笑)歩の「ギャルじゃなかった」とかいう匂わせも、もうええて(苦笑)
というか、母子の神戸編をあっという間に終わらせた脚本にビックリ。匂わせ台詞「いくら楽しくてもなくなっちゃうかもしれんし」と「私も苦しかった…真紀ちゃんのこと」の全貌は以上ということか。歩に関してはスピンオフで全貌を描くまで引っ張るのだろうが。
で、父を神戸に残して復興の様子を描く?知らんけど。どれだけ描くことができるのか疑問。中途半端・尻切れトンボにならなきゃいいが。
■脚本の迷走が加速
今後は①糸島の現在進行形パート②糸島の母子の回想パート(←母目線の回想までやり出した!苦笑。歩のスピンオフもここか!?)③神戸の父の回想パート…この3つのストーリーを同時に描くようだ。現在進行形だけでもグダグダだったのに…回想シーンのてんこ盛りとは。つくづく独りよがりで、構成力のない脚本だ。
初回から子役を使っての神戸編からスタートし、震災を描き、少しずつ立ち直っていく様と、姉妹(親子)のすれ違う思いを丁寧に描いていたら…それだけでよかった話。
その上で、軽すぎるラブコメではなく、先輩を通して書道に惹かれたと描いていたら…。将来に繋がる農業のシーンをきちんと描いていたら…。ギャル話については、何から何まで支離滅裂なので、どうしようもないが。
栄養士になる物語だけでは引きが弱いからと、ギャルと震災をぶっ込んだとしか思えないような、浅くて中途半端な描き方がつくづく残念。
歩が登場してから今日までの流れで、脚本の問題点がよくわかった。
【姉妹の確執&震災のトラウマ】を描き、結がそれを乗り越え、前向きになり、栄養士を目指す物語にしたいのだろう。それはいい。
そこで脚本家はまず
①歩を登場させないまま、「ギャルになったことで両親がケンカするようになり、家の中がギクシャクしたから」という理由で、結が一方的に歩もギャルも大嫌いだと描いた。視聴者は歩の人物像がわからない状態である。そして、言ってることとやってることが噛み合わないグダグダ状態のギャル話と、恋バナに3週間費やした。
で、なんやかんやあって(苦笑)結がギャルとの絆が芽生えた時に、歩を登場させ
②歩がギャルをイキナリ罵倒するシーンを描いた。その理由を描かない脚本は、ただ姉妹ゲンカをさせたかったのだろう。ストーリーを動かすために。ギャルだったことを後悔するような出来事があったから等の理由が描かれていたら、結たちのためを思っての言動だったとわかるのに、それをしないのだから。理由なき突然の罵倒…ご都合主義脚本の極みである。
③東京に帰ろうとしていた歩を「神戸の話をしよう」と母が説得して家に連れ戻したのに、話し合うシーンを描かなかった。これも、神戸の話を引っ張りたい脚本の都合だろう。それならそれで「お母さん、やっぱり私、まだ無理…」とか言わせたらいいのに、それすらしないのだ。この一言があるかないかで、歩の人物像が全然違ってくる。
④ケンカしてから4日間(←これも描写不足で伝わらない。私も録画を見ながら計算して、やっとわかった苦笑)の姉妹の様子を一切描かず、フェスティバル前日までワープした。姉妹の確執&震災のトラウマを、脚本家自ら最重要案件と位置づけしておいて、歩にケンカの発端となる台詞を言わせておいて、その後の様子を描かないとは呆れる。ただでさえ、歩の人物像が描き切れていないのに。姉妹の心情も描く気がないのだろう。母の「明日、見に行ったら?」に対して、歩に「行かない」と答えさせただけの脚本だった。
⑤フェスティバル当日になってようやく結が「見に来て」と歩にメールをした。結のキャラ的に、4日間言い出せなかったのはわかる。その様を時間経過と共に丁寧に描けばよかったのだ。だって4日間悩むのと、1日あるいは1ヶ月悩むのとでは全く重みも心情も違うのだから。
一方、メールをもらったから見に行った歩の心情及び人物像は?脚本家の中に答えはあるのだろうか。8つも年上の大人が、高校生の妹から誘われるまで意地を張っていた?それともバーで母から、結が初めて感情を吐き出したと聞いたから、あと一歩踏み出せるまで自分からはアクションせずに待っていた?これ、真逆の人物像になるのだが(苦笑)それを描かずに勝手に想像して下さいと?苦笑。
…以上のことから、可能性としては
・結がヒロインだから、結の成長が描けたらそれでいいと思っている。
・歩にはスピンオフがあるから、それまでは背景も人物像も描かずに謎のまま引っ張る。
…いやいやいやいや(苦笑)あり得ない。本編で最低限のことは描かないと。
歩の言動には何故?というものが多く、ストーリーを動かすための駒のような扱い(祖父もそうだが)だった。結のためのストーリーだと書かれた方がおられたが、今週はまさにそうだった。結、よかったね~のために、歩のキャラは滅茶苦茶なのだから。ギャルたちの良いところを描けずに、不良ギャルを登場させた時にも感じた。やっぱり、誰かを上げるために誰かを下げるような脚本はイヤだ。
あと、前向きになるきっかけをギャルにする必要は全くなかったことは、今日のシーンでも明らか。「ギャルだから変われた」とか「ギャルでしか救われなかった」とかではなく、パラパラ踊ってたらなんか楽し~い!と(苦笑)。まぁ、それは置いといて。そもそも、結のトラウマもまだ描かれてないからね。ケンカの時に「私も苦しかった」と言い、港で大号泣。初めて台詞として描いてから、あっという間に前向きに。で、来週、震災を描くと。どう考えても、順番が逆。構成力が無さすぎ。
■聖人愛子の夫婦関係
そう。ドラマに出てこない夫婦の話は関係ない。ドラマで描かれた聖人愛子を見て、視聴者それそれが感想を書いているだけ。なのに、差別用語だとか女性蔑視だとか(←どちらにも該当しないことは説明済み)、他人の感想を批判するから話がどんどんおかしくなっているのだ。
夫婦の関係は、かかあ天下・亭主関白などと表されるように、上下や強弱で語られるのは普通のこと。念のため…どういう関係が好きとか理想とかの個人的な話ではなく、ドラマで描かれた内容についての話である。
聖人愛子の関係を「亭主関白」と捉える視聴者はまずいないだろう。大方が「かかあ天下」と捉えるだろう。聖人は愛子の「尻に敷かれている」と捉えるだろう。それを否定するのは、脚本演出演者へのダメ出しを意味する。「我慢と謝罪」の台詞も、北村有起哉が全力で演じている「情けない表情」も、全て間違っているということになるわけだから。それを踏まえた上で…。
■描写不足の稚拙脚本
この夫婦はいわゆる「かかあ天下」で、聖人が「我慢と謝罪」することで上手くいっていると描いているのだ。そういう夫婦はリアルでもいるだろうし、それこそ夫婦の形は千差万別。誰も「かかあ天下」を批判しているわけではないのだ。ドラマで描かれた、愛子の聖人への言動や、愛子の言い回し(←麻生久美子発案か演出家の指導によるものかは不明)を不快に感じた視聴者が多数いたということ。また、キャラ設定やストーリー展開の下手さを指摘した視聴者も多数いたということ。
聖人愛子夫婦に若い頃と変わらない愛があると考える視聴者もいれば、時を重ねて愛の形が変化したと考える視聴者もいるだろう。それこそ、どういう愛であってもいいわけだが…夫婦2人だけのシーンをほとんど描かない今作は、ドラマとして成り立っていない。
描写不足を脳内補完することと、行間を読んで推測することは全く別物。何度も指摘してきたが…子供たち抜きで、聖人と愛子の2人の会話や表情を描かない(描けない)から薄っぺらいのだ。心情描写と、そこに至る過程も描いていない(←立川が盗んだレシピノートを見て表情が変わったのは、誰が見てもわかること。そこに至る過程や背景を描いていないから薄っぺらいのだ)。
夫婦だけのシーンで、2人のいつもとは違う一面を描いてこそなのに…。演者の魅力を生かせない脚本なのだ。制作陣には登場人物への愛もない(涙)。麻生久美子&北村有起哉の無駄遣い。2人ともいい役者なのに…。脚本はとっくに破綻しているが、両名が与えられたキャラ(←キャラ設定自体に問題アリ)になりきろうと努力しているのがわかるだけに、余計に辛い。
破綻脚本。我慢&謝罪…。
■結の苦悩を描かず(描けず)
昨日、書いた。結がコネ入社を悩む姿を描く前に、誤解(=先輩が誉めた献立は、タメ息女子が作ったもの&河童の栄養管理をせずに、中華を爆食させていた)による過大評価に対しての戸惑いや、栄養管理ができていなかったことを反省する姿を描くべきだろうと。案の定、すっ飛ばした。
で、オジサンの言葉で結が星河電器の試験を受ける決意をしたと、エエ話風に描かれたが。いやいや、ちょい待て。
「米田さん、何かにトライして失敗してもいいんです。(中略)だから、本当にやりたいことを思いっきりやるべきです」
最初聞いた時は、描いていないが、【実力不足なことを自覚している結が、班員に相談した設定】なのかと受け止めた。それなら、超好意的に解釈すればだが、オジサンの台詞は「やりたいことなんだから、失敗を恐れずにトライすればいい」ということで「一応」筋は通っている。が、しかし!オジサンは女性と密会していて、結にコネ入社の誘いがあった話さえ知らないのだ。ということは、内定をもらっていないのは2人だけと先生に呼び出され、スポーツ栄養士以外も考えてみたら?と結が言われたことに対しての助言なのだ。
だったら!先生にもらったパンフレットを見て考える結に、母が「結がやりたいことって何だったっけ?」と既に言っていて、結は初心を思い出したと描いたではないか。だから、その後に野球部専任ではないが、野球部も利用する社食の栄養士としての誘いを受けた後は、「コネってズルくない?」が悩みの種だと描いたではないか。両親に相談したのも、ハギャレンに相談したのもソレ。脚本家は自分で描いたことを覚えていないのか??
やはり、あの台詞をオジサンに言わせ、結の苦悩が解決するという展開は、破綻しているのだ。オジサンの密会などという不要なシーンを描いているから、こんなことになるのだ。両親やハギャレンには「コネってズルくない?」とだけしか話さなかったが、同志であり、結の実力不足を知っている班員たちには本当の苦悩を話すシーンをきちんと描いた上で、オジサンが助言するシーンを描けばよかっただけの話なのだ。
で、更に。結の台詞「本当にやりたいこと…」
いやいや、だ~か~ら~、結はそこはもうクリアしてるんだって!苦笑。オジサンだけが知らなかっただけで。ホントに何故ここまで脚本が破綻するのか…。
結の本当の苦悩を聞いたオジサンの助言を受けた形で
結「期待外れって思われたらどうしようって…そればっかり考えてしまってた。モリモリ、ありがとう。せっかくもらったありがたい話やけん、失敗を恐れずに飛び込んでみるよ」
とか。これなら、結の苦悩と、オジサンの台詞だけでなく、今週描いたこと(←先輩が勘違いして、結を過大評価したことさえ)が繋がったのだ。来週から描くのであろう【結の失敗=実力不足&期待はずれ】にも繋げることができるのだ。はぁ…再度。何故ここまで破綻するのか…。
■結の台詞の破綻
面接にて。
「専門学校時代にはアスリートのコンディション維持と、パフォーマンス向上に関する栄養管理について、独学で学んできました」
どこがやね~ん!のツッコミ待ちか、炎上狙いか。そんなシーンは全く描いていないのだから。仮に、面接あるあるのハッタリや盛りを描いたつもりだとしたら…それこそ、班員が結に面接特訓をしてくれるシーンを描くとか、父に「練習通りに話すんやで。ハッタリはええけど、パラパラはあかんで」と言わせるとかすればよかったのだ。
何も描かずに、いきなり面接シーンで完璧な模範解答をスラスラ…とは苦笑。炊き出し打ち合わせで【野菜蘊蓄】をスラスラ…と全く同じ。これでは結ではなく、橋本環奈が暗記した台詞を披露しているだけ。結が発する言葉として描けていないのだ。ドラマとして致命的。
■米田家のコント
就活で悩んでいたのが11月。最終面接がいつだったのか不明だが…結の誕生日が1月頭だから、その頃には内定が出たらしい。トントン拍子でメデタシと苦笑。結の苦悩もまともに描かず(描けず)、4人のグダグダコントで時間稼ぎとは、呆れる。
父の河童への助言【我慢&謝罪】…。
■班員たちとの別れのシーン
実は、ズル休みしたお嬢のために、タメ息女子がノートを貸していた。実は、タメ息女子が結に、卒業ギリギリまで桂剥きの特訓をしていた。…苦笑。
専門学校で4人の絆(苦笑)を描いたのは…結アゲのスイスチャードの調理実習と、河童の献立作りと、炊き出し…。だから回想シーンもショボい。描いていないのだから、どうしようもない。
結「あっという間の2年間だったね」…高校時代同様、また脚本家による自虐か。父の助言もそうなのかもしれない。春までの我慢だっぺ&ごめんねごめんね~♪
■ギャルマインドの崩壊
脚本家は「ギャルの格好ではなく、ギャルマインドが描きたかった」とかなんとか言い訳をしていたようだが。結の描き方も、歩の描き方も、そうはなっていない。
就活(面接)を機に黒髪に戻すという、掟「人の目を気にせずに、好きなことを貫く」をアッサリ破る結を描いた脚本。しかも、躊躇いやハギャレンのことを思い出すシーンも描かずに。自ら設定したギャルマインドもブレブレで、心情も描けない脚本。ドラマとして成立していない。
以前書いたが…やはり、専門学校初日に、自らの意思で黒髪に戻し、ギャルメイク&ネイルをせずに登校する形にしておけばよかったのだ。そして、ギャルマインドは持ち続けていると描けばよかっただけの話。
人の目を気にして黒髪に戻すことと、好きなこと(=河童のために栄養士になる)を貫くために黒髪に戻すこと。どちらがダサくて、どちらがギャルマインドを持ち続けているか…。はぁ…脚本家は何も考えていないのだろう。
■面接シーン
今日は笑えないコントが満載だったが…面接シーンの酷さよ。まず、父の「ウチって絶対言うなよ!」の盛大なフリがあり…まんま、結が「ウチ」と言ってしまうベタなコントだったが。だとしても!「ウチが床屋で接客業だから、人と接するのは得意です」って苦笑。「ウチは床屋ですが、父の実家の糸島に12年間住んでました。農業をやっていたので野菜に関しては自信があります」だろうて。
好感触の面接官の反応を描き、定番の心の声「ヨッシャー!」。が、隣の男子が空手をやりだしたのを見て、心の声「えっ!?か、空手?野菜に対抗して?だったらウチも…」
パラパラを空手並みにキレッキレに踊る結。…コントにするなら、これくらい振り切らなきゃ。
で、帰宅後。結「アカン。空手につられた~。パラパラはキレッキレじゃなくてええんよ」父「そこかい!」で、ブチッとシーンが切れる。そういう演出をすることで、面接シーンのコント感が増す。過去の朝ドラでもよく使われている手法であり、他のシーンとの緩急のメリハリをつける効果がある。ドラマの遊びとしてコントを入れるなら、それくらい工夫しないと。当然ながら、その後に描いた「ヨンシーム」のグダグダシーンは必要なし。緩急メリハリどころか真逆のグズグズになってしまった。
■中華料理屋シーン
未来のスター(苦笑)河童がもてはやされる様を描いていたが。結と河童がすっかり常連になっていることがわかる。だったら…
大将「はい、お待たせ~。【特製ササミのサラダ】ね」河童「いつもありがとうございます!この一年間、俺の身体を作ってくれたのは、結と…大将のおかげっす!」大将「なんや、ノロケかいな。はよ、食べ」
…くらい描けば、何も考えずに中華を爆食していたわけではないこともわかるし、河童が大将や常連たちに愛されていることも描けたのに。野球シーンは「お花畑」でしかないが、「食」&「人(思い)と人(思い)を結ぶ」がテーマのドラマなのだから、そこは拘ろうよ、脚本家さん。
結局、結が河童のための献立を作ったシーンは1回のみ。「鍋と豚まん」を提案したのみ苦笑。だから、ぶつ切りで繋がらないのだ。
炊き出しメニューを考えるとなったシーンで、お嬢「彼氏の献立もあるし、忙しなるね」結「うん…」タメ息女子「いや、みんなでこっち見るのやめて笑」オジサン「サッチンさんの仰る通りですね。ムスビンさん、まずはご自分で」…くらい描いておけば…。
父が防災訓練の打ち合わせに結を誘ったシーンでも、結「今から翔也の献立作ろうと思ってたのに…」父、平静を装って「そ、それは大事だね。あ、後でしっかりやるように」と描いておいて。帰宅後、河童の献立ノートを書く手を止めて、考え込むシーンを描いておけば…。結が河童のことを考えていたのか、菜摘母&真紀父のことを考えていたのか…視聴者の受け取り方は様々だろう。それでいいのだ。こういう余白くらい作ろうよ、脚本家さん。
■今週注目すべきは…
真紀父がどう描かれるかだろう。1年経過して、どうなっていると描くつもりだろうか。床屋の常連の輪には入っていないようだ。歩もまだ不在だし。
真紀父「結ちゃん、パラパラ教えてくれへんか」結「オッケ~!アッゲ~!」菜摘母「ナベさん、よう言うた!」なんてことを描いてももはや驚かないのが、このドラマだが。
■「実は…」の後出し4連発
・実は、祖父が炊き出しの材料調達に尽力していた(←後出し&ご都合主義)
以前母の回想シーンとして描かれた時は、祖父が迎えに来て母子だけ「すぐに糸島に移住した」かのように描いた脚本。
父に「炊き出しができるようになったのに(移住やなんて)」と言わせながら、大鍋を拭いているシーンを描いていた。だから、炊き出しそのものを描かなくてどうすると書いた。
今週の「炊き出しエピ」を描くために、前回はわざとスルーしたのだ。あざとい!呆。そういうことをやるから、不自然で、ぶつ切りで、繋がらないのだ。祖父のキャラや言動が破綻したのだ。てか、「炊き出しができるようになったのに」って、半分じーちゃんのおかげやん苦笑。
・実は、菜摘母は兄と兄嫁を震災による火事で亡くしていた。実は、皆に気を遣い、そのことをしばらく黙っていた。実は、結母は後から聞いて知っていたが、結たちには黙っていた(←後出し&ご都合主義)
これで、菜摘母の真紀父に対する「イライラ」を正当化したつもりの脚本って呆。リアル被災者でも、心の復興はそれぞれ。そんなことは皆わかっている。わかっているからこそ、このドラマの【被災者に寄り添わない】描き方を批判しているのだ。時系列に沿って、菜摘母の【悲しみ→自分を奮い立たせるまで】をきちんと描いていたら…。はぁ…タメ息しか出ない。
・実は、真紀父がアーケード設置に精力的に動いたのは、真紀の思いに報いるためだった。実は、真紀が書いた「賛成」の紙が残されていた(←後出し&ご都合主義)
脚本家としては、これが最大の見せ場だったのだろう。だったら尚更、糸島移住した後の結父がアーケード&真紀父のことを気にかけ、床屋の常連から「ナベさんとミサエさんが頑張ってくれて無事完成したで」と聞き、2人に電話をかけるが真紀父の態度はまた…などのシーンを描いておくべきだった。
被災者に真摯に向き合う気持ちがある脚本家なら、結父&真紀父の思いをすっ飛ばすなんてしない。被災者の12年間を軽視するな。
こんな状態だから…実は、歩を拒絶したのは真紀を思い出してしまうからだった…まで「後出し感」が苦笑。自業自得である。
・実は「おにぎり冷たい。チンして」と言ったことを、結は後悔していた(←後出し&ご都合主義)
脚本家的、結の見せ場はこれだろう。先日も書いたばかりだ。ハッキリ記憶にあると描いておきながら、未だに結の思いを描かずに引っ張っていると。悪い予感が当たってしまった。やはり今週の「炊き出しエピ」に絡めて描くために、わざとスルーしていたのだ。あざとい!呆。そういうことをやるから、結のキャラや言動が破綻したのだ。
更には。6歳の時はわからなかったかもしれないが、後から失言を後悔し続けてきたと吐露した結が、今でも軽~く失言を繰り返しているという整合性の無さよ。タメ息女子にやらかしたばかりで、ミサエにもやったのだから。その時描きたいこと「だけ」しか考えていないからこうなるのだ。そもそも、結の【記憶&トラウマ】設定自体も破綻しているし。
■結局、ヒロインアッゲ~♪
やはり、専門学校の【課題】とするべきではなかった。他の班がやる意味ナシ。
で。現在の、相手の気持ちを考えない言動と、過去の「チンして」失言を重ねて描いた脚本だが。整合性がないだけでなく、デリカシーのない発言をして凹んでいたら、班員が助けてくれるお涙頂戴に持っていくとは苦笑。先週と同じパターンだし。何より、散々引っ張ってきた「チンして」失言の後悔を描いた結果が、結アゲとは呆。終わってる。
■「後出し」回想てんこ盛り
今描いていることに絡めて
①既に描いてあったシーンを再び流す「回想」
②今まで描いてなかった初出しシーンを流す「回想」
この2種類(②のほうがハードルが高く、脚本家の腕が試される)があるわけだが。
おむすびの描き方は、子供時代を描かずにスタートしているので、結の高校入学までの回想シーンは【全て②】になる。ただでさえ②=「後出し」として批判されやすい傾向にあるのに【全て②】にした形だ。理由は、脚本家曰く「初回から橋本環奈を観たかったから」呆呆呆。
致命的なのは「後出し」である上に、登場人物や周りの人間のキャラや言動が「前にこんなことがあった」からこうなったのだという整合性が取れていないこと。
結だけでなく、他の登場人物も。何かがあったり年齢を重ねたりして起こる変化ではなく、脚本都合や脚本破綻によるキャラ変及び不自然な言動がずっと続いているのだ。
また、今まで表に出さなかった言葉や感情が何かのきっかけで出てくるならわかるが、このドラマの場合はそのきっかけが【脚本都合】になってしまっている。脚本家が「謎」のまま引っ張りたい時は出さずに、ネタとして描きたい時に投入しているだけ呆。だから不自然だし、ぶつ切りで繋がらない。
要するに、「回想」の使い方が下手なのだ。上手い脚本家なら、まず本筋で惹き付けることができるし、そこに絡めて自然な形で「回想」を入れることができる。で、「前にこんなことがあった」からこうなっていたのだという、点と点が繋がる形になる。
整合性が取れているのは当然として、深みのある人物造形とストーリー展開(+各演者の演技力)で視聴者を魅了することができただろう。残念ながら、おむすび脚本(+橋本環奈)には無理だったようだ。「チンして」失言の後悔の描き方…重要ポイントだったはずなのに…今更どうしようもないが。
「ギャルマインド」の破綻
■結の中のギャルの定義
「サッチンはウチと同じギャル。好きなことを貫いとう人はみんなギャル」と結に言わせていたが。
糸島から神戸に来た時点で結が好きなことは【ギャル&河童】だった。【栄養士になること】は二の次で、勉強もしていなかったし、授業への向き合い方も一人だけふざけていた。
ギャルメイク&ネイルで、チャラさ全開で、挙げ句デリカシーのない発言まで。脚本家自らが描いた【よりギャル化した結】の姿だった。
脚本家が「ギャルを取り入れたのはファッションではなく、マインドを描きたかったから」という旨の言い訳をしているらしいが。
メイク&ネイルを落とすように言われた結の不満気な様を描いたのは脚本家。結に「好きなことを貫き通す」宣言をさせて、授業時間以外はギャルメイク&ネイルに勤しむ様を描いたのも脚本家。だから、言い訳にもなっていない。この脚本家は言ってることとやってることが噛み合っていないのだ(←結と同じ苦笑)。
結の中では【ギャルのファッション】自体が「好きなこと」で、その格好を貫き通すことが尊いのだと、脚本家自らがわざわざ描いたのだから。
結に「ギャルやりたい」宣言をさせ、2年間ワープさせた。そして「栄養士になりたい」宣言をさせ、半年間ワープさせた。重要ポイントですら心情を描けなかった脚本なのに、「マインドを描いた」とは開いた口が塞がらない。
■ギャルの卒業とギャルマインド
それこそ、どうしてもトラウマがあった設定にしたいらしいので…神戸に帰ってきた時は「盛り(←心の鎧)のギャル姿」だったとして、専門学校初日の朝に結本来の姿(黒髪・ノーメイク・ノーネイル)で登場させる。父は驚き、母は「似合ってるじゃん」…と描けばよかったのに。
これなら、歩の高校初日(←姉妹のギャルの出発点)と繋がる形で、ギャル卒業が描けたのに。その場で結に「ギャルマインドはちゃんと持ってるから」と言わせてもいいし、後日ハギャレンとの電話の際に言わせてもいい。いや、むしろ、そんな台詞はナシで、【栄養士になる】という同じ志を持った仲間たちと切磋琢磨する様を描くだけでよかったのだ。ギャルの格好はやめても、結の中にはギャルマインドが生き続けているのだとわかる描き方をすればよかっただけの話。
要は、ギャルの格好を卒業し、好きなこと(=河童&栄養士)を貫く結のイキイキとした姿を描く。こう描いて初めて、脚本家の言う「描きたかったのはファッションではなくマインド」が成立するのだ。
■自己中のギャルマインド
とは言っても、ギャル(ハギャレン&歩)を魅力的に描いてこなかったから、マインドを尊いものに描こうとしても、今更どうしようもないのだが苦笑。なんせハギャレンたちが、他人に迷惑をかけたり、非常識な言動をしたりする様を散々描いてきたのだから。歩にいたっては仕事をブッチしたり、家族との約束を守らなかったり…迷惑をかけることを屁とも思わない自己中に描いてきたのだから。
掟3の「ダサイことはするな(他人に迷惑をかけるな)」
ハギャレンも歩も、専門学校に入学してからの結も、迷惑をかけているという自覚がないのだ。世間一般の常識とはかけ離れた【ギャルマインド】であるということがよくわかる。そして、その迷惑行為をたしなめる大人を登場させず、やりたいようにやれ!というのが「おむすび」のスタンス呆。実際、統括は【他者より自分】のギャルたちを絶賛する発言をしている呆呆。
他人の迷惑を考えずに、自分の好きなことを貫く。これを若気の至りとか、一時の過ちとして描くのかどうかは不明だが…。心情も過程もすっ飛ばして、結果だけ描いてメデタシ、キャラ変も整合性ゼロもお構い無しの脚本だから、ギャルマインドも深掘りできないだろう。トラウマ同様、ご都合主義でなかったことにしたり、ネタとして必要な時に発動させたり。今現在が実際そうなのだから。
ちなみに…若気の至りとは別に、迷惑行為をしている自覚がなく、注意されても「迷惑とは思っていない」というマイルールの世界で生き続ける人間が世の中には存在する。この脚本家に「人間ドラマ」は無理なので、他の脚本家で朝ドラ以外でやってくれたら興味深く拝聴するのだが…。おっと、脱線しました💦
■ただでさえグダグダなのに…
結が変わるきっかけとして、「ハードルが高い」ギャルを選んだ浅慮さ。ギャルを魅力的に描けなかった筆力の無さ。そしてギャル云々関係なく、全てにおいてぶつ切り&繋がらない(=辻褄が合わない・キャラ変など)破綻ぶり。登場人物が皆、破綻脚本によって崩壊させられているのだ。
結の言行不一致をトラウマのせいだと擁護する声がかつてあったが…破綻脚本のせいだというのは明白。栄養士の話以前に、ドラマとして成り立っていないのだ。ドンマイ!のレベルを軽く越えてしまった。で、また明日からはご都合主義のトラウマ話??トホホ…。
班替え騒動、アッサリ解決
「協調性が大事」という小学校の道徳並みのお粗末なエピだった。更に輪をかけて、その描き方がまた酷かった。
■買い出しシーン
品切れの小松菜の代用品を結が探して「だってウチ農家の娘やけん」…苦笑。こんな台詞をよく書けるもんだ呆。確かに、結は【小さい頃から手伝いをやってきた】設定にはなっている(←これも映像ナシ台詞のみ呆)。河童のスタミナ弁当をきっかけに【栄養の知識はつけた】設定だ。しかし!その頃の結が手伝いをするシーンは一切描かず。
スイスチャードを米田家が作っていたわけではない。だったら他の農家が作っていたからか、あるいは夕食の買い出しに行ったスーパーで見かけたのか??そもそも、スイスチャードは糸島の特産品なのか(←今は全国で作っているようだが…あの時代、糸島が先駈けだったのならそう描くべきだし…)??
要するに、栄養学の本から学んだ知識と、実際にスイスチャードが身近にあった経験が重なってこそ【結ならではの機転】が成立するのだ。何も描いていない状態で、台詞だけ言わせても意味ナシ。結が他の畑を観察しているシーンとか、スーパーの野菜売り場をチェックしているシーンとかを描いておけば、今日のシーンに繋がったのに。その時描きたいこと「だけ」しか考えていないから…ずっとこの繰り返しである。
■調理シーン
驚いた。呆れた。結たちが買い出しから帰った時に、早くも料理を完成させた班を描いた。遅れを強調したかったのだろうが、やりすぎ苦笑。というか、オジサンが「麦飯は炊けてます」と言っていたから、40?50?分は経過しているのだろう。だから、結たちの買い出しを不自然に遅く描いた形だ。タメ息女子が店員相手に「なんで小松菜がねぇんだよ!」と30分間モラハラしていたとでも??こういうことをするから白けるのだ。
時間に追われて、自然に協力していた4人の姿を描き、無事料理も完成させてメデタシ、一件落着と。うそやん苦笑。まさか本当に合格させてしまうとは呆。はぁ…結が普通に調理してたし呆。だったら、先日の大根の皮剥きを失敗するシーンなんか描く必要はナシ。こういうことをするから白けるのだ。整合性もナシ。
結が失敗して、タメ息女子とお嬢が必死にフォローするも時間切れ。呆然とする結、ガックリ肩を落とすお嬢、結を慰めるオジサン、タメ息女子が「先生!もう一回やらせてください」…非常にベタだが笑、これなら4人の個性も描けたし、結の【料理が苦手】設定との整合性も取れた。
部屋で落ち込む結に、ハギャレンから電話(←脚本家は登場させたいのだろうから…)。ギャル魂で復活した結は、一週間後の再実習に向けて猛特訓する。判定は…「野菜の切り方がまだ雑ですが…味はよかったです。班替えはナシで」…これなら結が努力する様も描けたし、トントン拍子ではなくまだまだだと描けたのに。
オジサン「結さん、かなり練習されたのでは?」タメ息女子「まぁギリ合格ってことで」お嬢「も~、努力したんやから、素直に誉めたったらええねん」結「みんなありがとう。技術も志も、私だけ低いのがわかったから…。足手まといにならないように努力するから、これからもよろしくね。友達記念に、プリクラでも!」タメ息女子「お疲れ~」お嬢「あっ、また今度な」…。プリクラ機にて「私だけでよかったんでしょうか?」結「う、うん、まぁ…」…これなら結の自覚と意気込みが描けたし、4人の今後の関係性にも幅を持たせることができたのに。結の機転のおかげで全て上手くいって、タメ息女子だけ帰るとか、もう…。
ついでに、オジサンと2人で撮ったプリクラ。後から河童や堅物父を絡めてオモシロ可笑しく描けるのに。繋がりのないエピ同様、笑いもその場限りのドタバタ劇場のみ。前もって考えて描いておいたものを生かして、「後から笑いを作る」ことができたら…この脚本家には無理か。会話でクスッと笑わせることもできないし。顔パックで笑わそうだなんて…ホント演者が気の毒すぎる。
■引っ掻き回し歩、再び
「ただいま…神戸」…苦笑。このタイミングで歩を登場させる脚本家。本筋である結の栄養士話(=専門学校シーン)を、本腰を入れて描く気がないことが丸わかり。こういうことをするから白けるのだ。ダメだ、こりゃ。
■「家族」という台詞の薄っぺらさ
①駅での別れのシーンで。結に陽太のことを「家族みたいなもの」と言わせた脚本。先週書いた通りだ。別れのシーンに陽太を立ち会わせ、「家族」というワードを使いたいなら尚更、それに見合った描き方をしないと。
「最後の夏」も、結が進路を決めた時も、陽太は一切登場せず。結だけでなく、米田家全員が陽太のことをすっかり「なきもの」扱いにしていた形。脚本家がその時に描きたいこと「だけ」しか考えていないからに他ならない。今日の別れのシーンを脚本家自身が書いているにもかかわらず、それまでにキャラの確立と、必要な積み重ね描写が全くできていなかった(呆)だから、陽太の中の人がいくら熱演しようとも、全く活きないのだ。
②また、見送りに行かずに畑仕事をしていた栄吉を描き、感動シーンにしたかったようだが…半年間神戸行きを唯一知らされていなかったと描き、知らされるシーンをコントで描いたことで全てが台無し。
ぐずぐずキャラの父がなかなか言い出せないのはわかる。でも…「お父さんが言わないなら、ウチが言うよ。おじいちゃんにだけ秘密にしてるみたいで、ウチ耐えられん」と言うのが、心優しい設定の結のキャラだろうに。
「結、待って。おじいちゃ~ん、お父さんから話があるって」と、父が言わざるを得ない状況を作るのが、今まで描いてきた母のキャラだろうに。
コントにすること「だけ」しか考えていないから、キャラを無視した挙げ句【おじいちゃんの気持ちを考えられない、酷い奴ら】にしてしまったのだ。そんな状態で「見送りに行かない祖父」を描いたらどうなるか…苦笑。脚本家も演出家も考えが及ばないのだろう。情けない。
■神戸と父と結と、トラウマ
①父が神戸行きを決めたのは、空き店舗の知らせを受けたからと描いた安直脚本。ドラマ開始早々に「いつかは神戸に戻って床屋をやりたい」という思いは描いていたが。しかし、その後、フェスの実行委員長(←苦笑)になり、大規模販売所の計画が持ち上がり(←台詞のみで描かれず呆)、「腹をくくらんとあかんな」と糸島で生きていくことを決意していた。そんな中で「神戸戻ってけーへんか」と言われたら、どれだけ悩むか…。
が、そんな様は一切描かず、祖父とのケンカの中で「○○(←幼なじみ。名前失念)もわかってくれた」とサラッと触れただけ(呆)そんなサラッと幼なじみが見送りにきていたが…父の苦悩を全く描いていないのだから、いる意味ナシ。演じた2人の役者も、感情表現に困ったことだろう。気の毒すぎる。
で、神戸についたら「商店街のために、何でもやらせてください!」…苦笑。一度は「糸島のために」と腹をくくったが、悩みに悩んだ結果「神戸でやり残したことがある」という並々ならぬ思いを描いていたならまだしも、その時描きたいこと「だけ」しか考えていない脚本家のせいで、父の決意がいい加減で軽いものになってしまったのだ。
「やり残したことがある」「ずっと気になっていた」…そう、自分がまとめ役になっていたアーケードと、最後にチラッと映った真紀ちゃんの父。これからまた聖人に絡めて描くのだろう。が、しかし!聖人が糸島で真紀父を思い出すシーンは一切描かれていないのだ。「ずっと気になっていた」と描いていたら…。「空き店舗が出たら教えてな」と頼むシーンをまず描いておいて、なかなか出ないからと大規模販売所の計画を機に「糸島で生きると腹をくくった」と描き、「やっと出たで!空き店舗!」の知らせを受けて「そんな…なんでこのタイミングで…」と苦悩する様を描いていたら…。糸島への思いも、神戸への思いも、真紀父への思いも、神戸に戻った決断も、「人間ドラマ」として成立していただろうに。今の「人間」を描かない年表ドラマでは、北村有起哉の無駄遣い。
②神戸の家に着いたら、またご都合主義の結のトラウマ発動…。心配する両親に対して、結「もう大丈夫。みんなで話し合って、神戸に帰るって決めたんだし」と。はぁ(ため息)…話し合いのシーンは一切描かれていない。半年間すっ飛ばしたのだから。それでも父に「結、やっぱり糸島におったほうがよかったんちゃうか?」と言わせていたら、話し合いの時も父はトラウマを心配していたことがわかったのに。
しかし、トラウマ克服の難しさを真摯に描く気などサラサラない脚本家は、「結が神戸に帰りたかった理由を、鈍感父は気づいていなかった」というコントにしてしまった(呆)だから、何度でも言おう。震災やトラウマを生半可な気持ちで取り上げるなと。
■利他的と利己的
ギャルを利己的人間の代表として描いたらしい脚本家。利己的=他者の迷惑を考えない…と捉えていたのだろう。だから、最初から最後まで彼女たちが「他者の迷惑を考えない」姿を描き続けたと苦笑。安直すぎる。
結がギャルたちによって変われたように、ギャルたちも結によって変わったとか、結母か祖母が「彼女たちの親が教えてくれなかった常識」を教えてくれたとか、彼女たちの変化や成長のかけらを描いていたら…。こんなお粗末なギャル描写なら、結が変わるきっかけとしてだけの存在なら、ギャルである必要はなかったということ。
で、利他的も利己的も良い面もあるし、いきすぎると悪い面もあるわけで…どちらが良いとか悪いとか単純なものではない。なのに脚本家は単純に、利他的=マイナスと考えているのだろう。困っている人を放っておけない【人助け】さえも「呪い」と表現したのだから。致命的なのは結だけでなく、米田家全員に代々「呪い」だと言わせたこと。この時点で、震災もトラウマも関係ないのだ。
更に。結の利他的(=周りが求める自分でいるとか、自分の気持ちを封じてしまうとか)な描写として、ギャルをやめたのは「父の大演説を聞いてしまったから」というのはわかるが、河童に言った「一生懸命やっても、またいつか消えてしまうから」という理由とは全く別物だということ。脚本家がその時その時で都合よく設定を変えているのだ。破綻しまくりで、辻褄が合っていない。
ドラマのネタとして都合よく、生きづらさや震災(トラウマ)を持ち出している形。生きづらさやトラウマが理解できない視聴者が多いのではなく、この脚本家の描く【ご都合主義の描写】が批判されているのだということ。テレビに出て言い訳したところで、既に描いてしまったご都合主義が覆ることはないし、破綻ぶりが強調されただけ。後はどこまで軌道修正できるかだが…今のところ全く期待できない。
■1ヶ月仕事をブッチしていた歩
6月6日 歩、突然帰省
6月13日 フェスティバル&打ち上げ
6月14日 すき焼き会議
この時点で、歩が仕事をブッチして1週間経過。しかし、これだけでは終わらないのが、このドラマ。
結が倒れた時の会話で、河童が「今年は甲子園に行けなかった」と。福岡大会は例年7月頭に始まり、決勝まで約3週間。河童の高校は強豪校の設定。何回戦で負けた設定なのか不明だが…
まさかの初戦敗退としても、結が倒れたのは7月頭ということになる。
で、その日の夜に姉妹和解。
その翌日?にカラオケ→結、ギャル宣言→夕方、歩は東京へ。
…という流れ。
つまり、歩は最低でも1ヶ月間仕事をブッチして、糸島にいたということ。またいつもの、脚本家の【そのシーンで描きたいこと「だけ」しか考えていない】から、こういうことになるのだ。逆に言えば、1ヶ月あったのに中身スカスカ。姉妹の和解がアレで、父とは和解どころか会話シーンさえ描かず(呆)
■ナレで必死にごまかすも撃沈
しかも冒頭のナレでは「震災のせいで、家族に距離感がありましたが」「家族で話し合いをして、少し前向きになった結でした」と説明。
呆れた。家族の話し合いは「すき焼き」のみで、あの時は結が再び激怒したのだから該当しない。さすがに制作陣もそれはわかっているらしく、流された映像は【姉妹の和解シーン&結のやりたい宣言シーン】だった。が、それでもアレを「家族で話し合い」とは無理がありすぎる。
で、やはり「歩」には触れず。そりゃそーだ。家族で話し合いナシ、父との和解ナシ、結局墓参りもナシで、東京に帰ったのだから(呆)何から何まで滅茶苦茶な6週間だったと、ナレが一番物語っていた。
■繋がらない、ぶつ切りエピ
野球部は3年が引退し新チームとなり、前回河童の言った通り「背番号1」をもらったと。それを描くためと、「スタミナ」がほしいと言わせるための、とってつけた海のシーン。
・「あんな楽しそうな顔、初めて見た。いつも寂しそうな顔してたから」「また寂しそうな顔に戻ってる」と、結の内面を見ているかのような台詞を言わせておきながら…今日はギャルになった姿を見て、上ずった声で「なんか雰囲気変わったな!すんげぇ、いいぞ!」と軽く言わせる脚本&演出。最低だ。
河童が結に「もうパラパラしないのか」と言ったのは、結が楽しそうだったからだろうに。今日の描き方では、完全にギャル好きの軽い男。キャラ崩壊にも程がある。「いい顔してる。元気になったみたいだし。よかった」とかだろうに。笑いがほしかったのか、悪ふざけした脚本&演出…救いようがない。
・河童「用って、何?」結「(倒れた時の)お礼がしたくて」…結が呼び出したらしい。なのに、この数日後のシーンで、結「メアド教えて」→はぁ?脚本家さん、大丈夫??電話番号「だけ」先に交換していた設定??
・先週金曜に「ギャルやりたい。書道もやりたい」と言わせておきながら、書道のシーンは一切なく、河童との恋バナを描く脚本家。繋がらない、ぶつ切りエピにも程がある。というか、書道の扱いが酷すぎる。ギャルがメインで、書道はオマケというのがあからさま。
・祖父の「彼氏に弁当。ヨン様たい」を聞いて動揺する父を描いていたが…そもそも、陽太がついた嘘「俺たちつきあってます」に荒れていた父を描いたきり放置。あれから2人が顔を合わせるシーンは何度もあったのに、すっかりなかったことになっている(呆)まさに【そのシーンで描きたいこと「だけ」しか考えていない】である。
■ツッコミ待ち、炎上狙いか
あさイチでも突っ込まれていたが…食のドラマなのに弁当を一切映さない演出。結が初めて作った弁当ですら映さないのだから、手抜きにも程がある。脚本が下手なのは明白だが、演出も酷いもんだ。制作陣、ヤル気なし??もう、消化試合??視聴者をナメすぎ。
で、監督を登場させてもっともなことを言わせていたが…強豪校の1年がフラフラする様を散々描いておいて、今更。「選手を管理している」…はぁ?夜の打ち上げに参加する様を描いておいて、今更。
トラウマ・ギャル・食・野球…全ての描き方がテキトーとは…話にならない。
結の描き方に整合性ナシ
今までも散々指摘してきたが、今週も酷かった。
■まず、結が積極的になれないのはトラウマのせいだと当初から描いてきた。
・「大好きなものも、いつか消えてしまうから」と、書道部入部を躊躇する様を描いた。母は「そんなことないよ」と。
・で、「いつか消えてしまう」というトラウマなどなかったかのようにアッサリ入部。パラパラにも熱中。フェスで、心から「楽し~い」と思えたと描いた。「(前は)いつも寂しそうな顔してた」と河童に言われ、その理由を震災のせいだと答えた。
・打ち上げ前に「今日でギャルやめられるね」と書道部女子に言われると、結は「う、うん」と歯切れの悪い返事。あ~、本心はやめたくないのだなと、誰にでもわかる描き方だった。なのに、打ち上げ後に「ギャルやめる」と。
そうなると、その原因は父の大演説「結まで不良に…泣」しかない。祖母と母もそう解釈して、父にダメ出ししていた。母「結は意地を張って(農業に励んで)いる」祖母「(あの演説を聞いたら)真面目になるしかないからね」
→この2人は結の言動を【本当はギャルがやりたいのに、「ギャル嫌いだし」と嘘をついた】【農業に励むことで自分を誤魔化しているが、無理をしている】と見抜いていた。
ジャムをくれた河童への態度、手伝いに励む結を誉めたオジサンへの態度にも、苛立ちは表現されていた。ギャルたちも「父が原因」だと解釈していたし、歩にそう伝えた。
・しかし!その後河童に「なぜパラパラしない?」と聞かれた結は「一生懸命やっても、消えてしまうから」と答えたのだ。えぇっっ!脚本、大丈夫か??という悪い予感は、この後見事に当たってしまった。
■金曜日の放送で。
結「お姉ちゃんが羨ましい。うちはやりたいことがない」
歩、神戸時代のセーラームーンの話をする。
→この2つの台詞は無理やり6歳の結を絡めたかっただけ。結がギャル(パラパラ)を楽しんでいたのは誰もが見ているし、結自身も感じていたのに、この茶番。
歩「我慢しなくていい!やりたいことをやればいい!」
→歩も父の大演説を聞いていたし、ギャルたちからも「結はお父さんに心配かけることを、ずっと気にしてた」と聞いたから、祖母や母同様に【結がやりたいこと(=ギャル)を我慢している】と解釈したわけだ。これは間違っていない(←だから尚更、直前の会話がおかしいのだ)。ドラマでもそう描いてきたのだから。
で、肝心の結の出した答えは「ギャルやりたい!書道もやりたい!」
→んな、アホな!である。また変わったのだ。ギャルをやめた理由が、トラウマから父の大演説に。父の苦悩を聞いてしまったから【やりたいと言えずに我慢していた】と。
「いつか消えてしまう」というのは間違いなく震災のトラウマであり、消えてしまった時の恐怖や絶望や悲しみから【自分を守るために】、楽しむことを躊躇したり、遠ざけたり、酷い場合は身体に拒否反応が出たりする。【お父さんを苦しませない(悲しませない)ために】やりたいことをやらずに我慢する…とは全く次元が違う話。
それをごちゃ混ぜにして、脚本都合でその場その場でコロコロ変えているのだ。「ギャルやりたい!」と宣言し、父に許可をもらって満面の笑みの結には、「消えてしまうから」というトラウマはなかったということになる。脚本家がそのシーンで描きたいこと「だけ」しか考えていないから、辻褄が合わなくなるのだ。これでは結のために宣言した河童のシーンが台無し。だって、河童が夢を叶える(夢に向かって努力する)姿を見せる前に、結は「寂しそうな顔」から卒業したのだから。歩の一言で(呆)酷いストーリーだ。まぁまた都合よくコロコロ変えるのだろうが…。
はぁ(ため息)ストーリーに整合性がないだけではなく、トラウマに関する認識及び描き方が全くなっていない。だから生半可な気持ちでトラウマを扱うなと言っているのだ。
認識と言えば…ギャル=不良としてあれだけ嘆いていた父が、あっという間に「ギャルOK」に(苦笑)ギャルになった理由や傷害事件の真相を、歩が話した相手は結だけ。母は知っていた可能性もあるが(←ラスボス母が一番曲者。笑)…父だけ未だに蚊帳の外??描いていませんが話したという設定です、脳内補完よろしくパターン??
いやいや、やはり父と歩の和解は描く必要があった。歩の「迷惑心配かけてごめんなさい」があってこその、結への「迷惑かけないなら、いい」だろうに。全てすっ飛ばして結にギャルOKて…杜撰すぎる。
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