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セリフを覚えただけの着せ替え人形は、チビ喜美子ちゃんの演技を見習ってほしい
>みん感に一日中張り付いてる東京上げ大阪下げ爺さんは来てるのだろか。
似た学者と思われるインテリ気取りのとね。でも、彼らは同一アカウントだから目立つだけ。約40個のアカウントで別人を装い一日100投稿の大阪アゲ東京サゲ中年おっさんもいるからね。似た婆さんはここでも有名だけれど。感想欄の評価に命を賭けてると「マッサン」で言ってたよ。
ドラマが終わっても、ずっと星5を入れ続けるファンがいるから、あまちゃんの星評価は高い。
まれは不正操作が多くてスレが閉鎖された。
星評価はあてにしていない。
世代によって様々な温度差で味わえる「なつぞら」は、さすが朝ドラである。
「浮浪児でよかった」発言自体、一昔前の言葉狩り時代なら謝罪会見、放送中止もの、というのはある。
元浮浪児姉妹水入らずの振り返りで姉妹がどのような単語を自分達の境遇に使おうがそれは姉妹の自由で他所様がとやかく言う事ではない、というのもある。
「もう二度とあのような時代を来させない」「浮浪児を二度と生み出さない」という決意が国民にもマスコミにも映像作家にも役者にも共通のものとしてあった「戦後」であれば、脚本家は同じ感慨を言わすにせよ、別の言い回しを使ったろう。なぜなら、既に指摘されているように、名詞の選択が文脈から完全に浮いており、千遥という作中を生きた人間の肉声としてというよりは、
「近々また大量の浮浪児を生み出しますが、
各自千遥さんを見習って、
自己責任の
ポジティヴ・シンキングでよろしく!」
という棄民の告知であり、洗脳のような違和感を、戦争体験世代には連想させるからである、というのもある。
現代の視聴者が千遥の台詞に特段の脊髄反射を起こさないのは、もうとっくにその心備えが済んでいるからであろうし、貧困層にとっては自分達の代弁に過ぎないからだろう、というのもある。
【データ『ちゃんねるレビュー』平均評点比較】
なかなか興味深く見させていただきました。
だけど「なつぞら」が11位というのは順位が
高すぎるような気がして驚きました。
よほどアゲたい方たちが頑張っておられたのでしょうか。
下げたい人のおかげで不当に評価下がっているだけでしょう。
始まりは「ひよっこ」?
こんなに複垢頑張ったのに思った程下がらないわぁ (๑˃̵ᴗ˂̵)
頑張っても 作品によるんっしょ
もうこんな無意味な評価なんて無くてもいいのに。
どんなに評価下げられたって、私の中のなつぞらの評価は変わらないからいいんだけど。
あやみさん、大好きなキャラだったので最後に元気な姿を見られて安心したわ。離れ離れになってしまった戦争孤児の兄妹だったけれど、たくさんの家族が出来て良かったね。
最終回、幸せな気持ちで見終わる事が出来た事に感謝。
千遥に浮浪児で良かったと言わせるほどに千遥の人生が描かれてないから、台詞が上滑りしていた。その日の視聴率は最終週なのに大台割れしていた。つまり視聴者の心に響くものではなかったということだ。
5,6歳の差なんて30過ぎたら見た目は分からなくなるのが普通。オヤジは5歳下の弟である叔父よりも若く見られ続けて50年。私も7歳下の弟より下に見られることもある。
なつと同世代に「浮浪児で良かった」というセリフのことを教えたら、ひたすら驚いていた。
某地方都市の空襲が郊外の防空壕から僅かに見えていて、空襲の翌日、近所の家の雨戸に焼夷弾が突き刺さっていたという。父親は招集されていた。
終戦前の5月に太平洋で船が撃沈されて、父親を亡くした人も。
脚本家は戦争の描写に変なロマンを持ってるのか。そうとしか思えない。
AK朝ドラの評価下げる方が価値があるんだな
バイトで頑張って銭になるんなら興味あるけどな
誰か バイト募集するなら一報くれ笑笑
>千遥に浮浪児で良かったと言わせるほどに千遥の人生が描かれてないから、台詞が上滑りしていた。その日の視聴率は最終週なのに大台割れしていた。つまり視聴者の心に響くものではなかったということだ。
その日に千遥がその台詞を言うなんて見る前にはわかりませんよね。
なのでその事と、その日の視聴率とは関係無いんじゃないかと思います。
「浮浪児で良かった」本気でそんなこと言うはずがない。この言葉の裏には、「苦労することもたくさんあったけど、浮浪児になったことで出会えた人や優しさもあった。浮浪児になったことすべてが無駄ではなかった」という意味が含まれている。つまり、浮浪児になったことで「良かったこともある」というくらいの意味と取るべきで、「(普通の生活よりも)浮浪児になってよかった」という意味に取るのは間違い。
間違いとかじゃなくて、その台詞をどう受け止めるかをそれぞれが書いているのだからそれで良いでしょう。
>「普通の生活よりも)浮浪児になってよかった」という意味に取るのは間違い。
勝手にあなたの主観だけで「間違い」などと断定的に
言わないでください。少なくともドラマの中でこんなセリフはありえないし、脚本家は戦争を甘く見てるし、そうでないとしたら、何らかの扇情的な意図があったのではないかとさえ推測してしまう。
「浮浪児でよかった」と言われると、無理して笑ってるようだ。
そこに引っかかりがあるからこそ、あえて肯定している。
本当に何も引け目を持たず、自分に誇りを持って堂々としているなら、
「私は私でよかった。
自分でよかった。
生まれてきてよかった。
お兄ちゃんとお姉ちゃんの妹でよかった」
の中のどれかで充分だ。
「まれ」も「はんぶん青い」もハチャメチャな話だったが、まれもすずめも愛嬌があった。「べっぴんさん」も面白くない話だったが、すみれには好感が持てた。
だけど、「なつぞら」のなつは頭に来た。特に子育てに関するシーンは最悪だった。そんなに嫌なら産まなきゃいいのに!と思ったし、産まれてからは子供を茜さんに丸投げ状態。そのくせ自分は毎日着飾って会社通い。一体何なのこの話。本当に邪魔者扱いされる子供がかわいそうでしかたがなかったです。
現在に置き換えてホームレスで良かったなんて思う人いますか。夏の暑さ冬の寒さ、テント暮らしの危険性、日常当たり前の入浴、食事、衣服や散髪、全てが地獄です。
一度ご自分の目で確かめられたらいい。ボランティアで炊き出しに出られたら浮浪児で良かったなんて言葉、口が裂けても言えませんから。
なつぞら最低最悪の駄作。
実際の浮浪児は、現代のホームレスの人々よりもっと露骨に狩られ、虐待され、その後は差別を受けた。
このドラマの元浮浪児・なつのその後の人生が、あまりにも順風満帆で安泰だったので、視聴者の多くには「浮浪児なんて一時的な不遇」と刷り込まれたと思う。
だからドラマではなつをもっと不幸にするべきだったと言いたいのではなく、そもそもなつ兄妹の浮浪児設定がよくなかった。
泰樹の過去となつの過去を重ね合わせて感動を呼ぶために、安易に利用された戦災被害者の浮浪児たち。
誰が「私は被害者でよかった」と言うだろうか。
大森さんは苦しみを経験した人の気持ちを理解していない。
>5,6歳の差なんて30過ぎたら見た目は分からなくなるのが普通。
安達祐実さんは女子高生役は無理でも女子大生役はできるんじゃないでしょうか。
浮浪児になったという事は両親が死んだ事を指すのだが、それを「良かった」と言わせる神経が理解出来ない。
面白くない。NHk職員が年収2千万。
全て一般の受信料からのお金。
朝の連続ドラマの時代は終わったし見てる
って人も聞かない。
広瀬すずと松嶋菜々子過去のタレントさんで
2人出しても話題性もなかった。夏にはふさわしい内容でよかったけど。
艱難辛苦は人を成長させるとか、苦労した人ほど人に優しくなれるとか、そういうことを、千遥は言いたかったのだと思い、特に違和感を感じないで見ていました。
30年ほど時間が経って、過去のことになり、今が幸せだからこそ言える言葉だと思いますが、「あの時、苦労があったから、今がある」というようなことかなと思いましたが。
終わってしまって寂しい。早くスピンオフ見たい。
自分は元浮浪児でも幸せになれたけど、不幸な元浮浪児だっているわけで、他人に優しかったら「浮浪児で良かった」なんて言わないよ、自分たちだけが浮浪児だったんじゃないんだから。
この「なつぞら」には他にも問題となるセリフが多すぎる。
①ありがとうなんていわなくていい。
②私は可愛がられるのに慣れている。
③十勝だったら交通費だけで行ける。
まさに傲慢不遜であつかましい限りである。
こんなセリフを吐く人間てどう考えてもおかしいと思うし
ここまで酷いと脚本家も わざとやっているように
思えてしまう。いずれにせよ、寒気が走るセリフでした。
すずちゃん、2019年度好きな女優1位!オメデトー
ピン子さんに続いて、嫌いな女優2位って… アララ
千遥は別に他の人に聞かせるために「浮浪児で良かった」といったわけではない。ドラマの台詞と考えるから「他人にやさしかったら」なんて発想が出てくるのだろうけど、そこに姉しかいないという設定なのだから、浮浪児で苦労した人が聞いているかもしれないなんて発想自体が無いのは当然のこと。
ドラマの流れから切り離して言葉単体を責めるのは、主演女優の過去の発言をしつこくあげつらって批判を繰り返す行為と同じ。
執拗な女優批判と変わりません。
ドラマを半年間見て楽しんだ人達からは何を憤っているのか意味不明です。その憎悪はどこから湧いてくるのでしょう。
「なつぞら」はオープニングのさわやかさと同じ作風でした。
終わってから繰り返されている罵倒がふさわしい感想とは思えないのですが。
>大森さんは苦しみを経験した人の気持ちを理解していない。
その通りだと思う。
なつぞらの作者が実際に戦中世代の方だったら…と
何度も思ったものだ。
例え画質が悪くても当時の様子ぎ映し出されて来る事があるから。
その点この作者がやっている事はまるで小学校高学年の社会科の授業と何ら変わらない。
イコール重味がない。
>ドラマの流れから切り離して言葉
>単体を責めるのは、
その通りですよ。文脈の中で、言葉は
理解しないと。
物語の流れの中、文脈の中で見れば、
そんなおかしな意味はありませんよ。
2019-10-04 09:47:13の方
>なんせ広瀬の演技力の無さにはびっくりポン酢や!
時が経つ書き込みに返信で済まないけど
もう終わっているドラマレビューでこのおふざけ関西弁曲者は何言っているのやら。
そんなに(あさが来た)が恋しいなら
ファンスレでも作って同士を集めたらどうなんですか?
最初から読んでるけど、最初はもう、主演の俳優さんへ対する容姿や人格否定、誹謗中傷が大量にありました( ; ; )
やがてそれがルール違反だとわかると、次はドラマの脚本やセリフを標的にするという感じ。
既に多くの方が、前後の文脈や状況について、繰り返し説明されているのに、文脈から切り離して、言葉狩りを繰り返しているんですから。
>セリフを覚えただけの着せ替え人形は、チビ喜美子ちゃんの演技を見習ってほしい
全くです。川島夕空ちゃんの表情豊かな演技には感服いたします。
それにひきかえ広瀬は棒読みの素人以下。
何をどう見習うんだかわからない(笑)(+_+)
ここによく、「メイクばっちり、ファッションショー、服をとっかえひっかえ、アクセサリーをはずせ」って書かれて、繰り返し、批判されているけれど、毎日、違うファッションを楽しむような、おしゃれな人が主人公のモデルと聞きましたよ。
モモッチも可愛くしてますし、クリエーターらしく個性かなと感じますし、少々、トガっているほうがいいなと思います。
俳優さんが美しく装うことへ腹が立っているみたいで、ちょっと不思議だなと感じます。
見ているほうは、華やかで素敵な映像を見られてうれしいので、全く問題ないですし、もっとヘアスタイルなんか、いろいろ可愛らしく変えてみてほしいくらい。
テレビなんかで生活保護者が紹介されると「生活保護を受けているくせに小綺麗な服装なのはけしからん」という電話が殺到するらしい。きっと、朝ドラのヒロインは苦労ばかりして粗末な服装でなければ我慢できない人がたくさんいるのだろう。
私はゆみこの髭の恋人のエピソードがむかつく。
役者たちのファッションにいちいち目鯨を立てる方がおかしい。
一方でこれは制作側にも問題がある。
だめなものはだめ。
浮浪児発言はダメだと思う。
良かったわけがない。
それをどんな設定だろうとセリフで言うのは不快におもう。
みんなが深読みしてみているわけではないし。
あーだからこう言ったんだろうとか姉と二人だけ設定だからとかじゃなくて画面の向こうには沢山の視聴者がいることを忘れている。
浮浪児設定の必要ない内容だったと思う。
北海道での前半と東京も別のはなしとしか思えない。
もっと丁寧な作品作りをお願いしたい。
家族みんなで楽しく見ていました。
画面の向こうの視聴者です( ◠‿◠ )
そのセリフ、別に何とも感じてないですよ?
最初から最後まで、明るくきれいな画面で、毎朝気持ちよく見ていられました。
ストーリーも、良い意味で、軽くて助かりました。
戦後、親を亡くした子供達の苦難を、リアルにやられたら朝から辛くてたまらないし、
孤児のど根性ものもうっとうしく思うので、この半年は本当に楽しかったです。
ヒロインの服装が毎日変わるのには、少し驚きましたが、座業だから地味にしろ、というのも変だし、見ていてきれいな方が嬉しい。
最近、雑誌で、モデルとされた女性アニメーターが、本当にファッションを毎日変えて楽しんでおられたこと、それをスケッチする同僚がいた、ということを知り、そうか、アニメーターは地味なはず、というのも恥ずべき思い込みだったなと反省しました。
アニメーターという職種はドラマ化するには、すこし難しいかな?と感じましたが、目玉焼きのエピとか、テレビアニメ向きにセル画を減らすために、喧嘩のシーンを埃でごまかし、あわせて暴力的な絵を抑えた、というエピは、よかったなぁと思います。
100作目ということで、お祭り騒ぎ的に、過去の朝ドラヒロインが出てくるのも楽しみでした。
できれば、100人全員に、なんらかの形で関わって欲しかったくらい。
天陽くんと草刈り爺さんの魂が撒かれた大地を、いつな訪れてみたいと思います。
>既に多くの方が、前後の文脈や状況について、繰り返し説明されているのに
誰も、説明なんかしてほしくないのでは。
それぞれの感想を述べているだけなので、「その感想は違うのでこういう感想を持ちなさい」と「説明」されても、感想が変わることは無いのです。
10月11日金曜夜の「LIFE!」は吉沢亮さんと中川大志さんが予備校生で対決?
予告編では「早稲田~、早稲田~!」と傲慢な態度で歌い中川さんをにらむ吉沢さんと見つめる若いロングヘアの女性。三角関係?
ああ、天陽と坂場のイメージが・・・・・
「週間少年ガソリン」、「浮浪児で良かった」、亜矢美さんの咲太郎への恋話など、違和感は多かったですが、考えてみれば、未成年の女の子が浅草のストリップ劇場にお客さんとして正面から入った頃からこのドラマはおかしかったのだと思います。
表面的な感動のためならありえない設定も押し通す。
それが積み重なり、違和感だらけになっていったのだと思います。
朝15分の朝ドラは少し他の1時間で3か月ドラマとは違うと思います。
面白い、面白くないはそれぞれですが設定やセリフはやはり誰かを傷つけたり戦争を肯定したりと思わせるのは良くないと思います。
その意味で浮浪児でよかったは違和感があります。
別の表現や言い方があるはずです。
脚本や製作の方々にはその辺考えてほしいと思いました。
罵倒型の掲示板でも、意味や文脈が分からないという理由で汚い言葉で作品を罵っていた人が、説明されると「そういう意味だったんですね」とコロッと丁寧語に変わることもある。だから教えてあげるのは無駄ではない。ただし99%は感謝されない想定で。
ただ千遥の発言については、そういう性質ではないと思う。はっきり言って再登場した千遥は人気キャラだった。千遥の境遇、人生、心情については、視聴者は説明されなくとも行間を読んで分かっている。「私、○○○で良かった」の台詞についても感動する用意で観ていたら、致命的に言葉のチョイスを間違ったから正当な脚本ミスの指摘として叩かれている。文脈を読めない人が言葉に反応しているのとは違う。いくら説明をしたところで、言葉の選択が的外れであることの擁護にはなりえない。
何も問題を感じない人と看過できない人の平行線は放置するしかないと思う。
大森氏が脚本の『精霊の守り人』は大河ファンタジーだった。なつぞらは浮浪児ファンタジー。
北海道編は割としっかりしてるのにね。でも天陽のツギハギもファンタジーだったか(汗)。
広瀬さんはじめ出演者自体は好感を持って観れた。
おしどりアニメーター奥山玲子、を見ました。ご本人に近い感じで描けば凄くいいドラマになったのにもったいない。全て周りが御膳たて、周りがお世話しなくても自分の力で道を切り開いた女性なんですね。おしゃれで毎日違う装いというところは同じですがセンスの違いが、、。会社を辞めさせられる直談判はご主人の為、そのまま描けば美しい夫婦愛だったのに。会社側も奥山さんを特別扱いせず規則通りに対応してた。ドラの甘々展開では何も伝わらなかった。実際は凄い女性だったんですね。ドラマでは得るものがありませんでした。
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