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いつまでたっても幼児性の抜けないあさ。びっくりぽんも、この分じゃいつまでも言い続けそうですね。うめも笑いを取る為かどうか知りませんが、いくらなんでも失礼過ぎ。
お笑いにしろ、お涙頂戴にしろ、視聴者の気を引く為のわざとらしい演出が最近本当に多くて辟易します。
よく解らんな、制作サイドは広岡浅子さんのどこに魅力を感じて何を伝えたくてこの原案を題材に選んだんだろ。
まさか若い女優さんに、四股を踏ませて相撲取らせて、びっくりポン言わせて、ピストル持たせたかっただけだろうか。
最近見てないけど武田鉄矢がでてたの?すごい見たくなった。
>広岡浅子さんのどこに魅力を感じて何を伝えたくてこの原案
オリジナルストーリーを作れないから、
若い女優とイケメンでやれそうなストーリーを探したんじゃない?
着物とか小物で喜ぶ人も多いし。
ダラダラやってたサトシの話の次は、
今度はふゆと亀助と新次郎の話ですか。
これも5~6年もこんな状態なんでしょ
ちょっと異様
大久保まで初対面のあさを上げようとしていてがっかりだよ。
あさのまわりの人間がみんな馬鹿に見えて仕方ないです。
陳腐な話の朝ドラでつまらない。
ただ、あさ上げるだけのこのドラマよりも「どんど晴れ」のほうがおもしろいわ。
大久保もあんなバカちんじゃ暗殺されてもしょうがない。
んなことないんだよ、本当はあさ上げするような阿呆な人じゃないんだよ(泣)。
ありきたりですが、五代があさと大久保を引き合わせた理由が全然わからない。
というか、そもそも東京に連れてって何かを学ばせたいほどアサのどこがすごいか全然わからない。あ、これはただ好きな女と東京めぐりしたかっただけだから辻褄あってるか(笑)
ほんとにどなたかが書いてましたが、制作側は広岡さんの何を描きたかったのか全く不明で、やっぱりただモチーフとして使ってるだけなんですね~。
「弘成館ゆうたら、五代さまの鉱山業の会社だすわなぁ」
西から東まで鉱山を買い漁ったので、手が足りなくなり東京にも会社を作った五代です。
会社ですね?と聞いたのに、新次郎の時と同様にカンパニーと言い直されました。
いちいち英語に置き換えないと話もできない五代さま。私ならきっと舌打ちしていたでしょう。
内務卿・大久保利通を紹介され、権力者に目がない(昨日も書いたな)ので、ほくそ笑むあさ。
今日のびっくりぽんは、驚いたときのそれとは一味違う言い回しでした。
びっくり、と言うよりもラッキー!あるいは、「しめしめ」的な。
喜怒哀楽は全てこの言葉で賄います。勿論、白目むき出しも添えて。
画面を見ているこちらとしては、居眠りしているうめが揺さぶられても起きないことにびっくりは言わずもがな、大久保に驚いて必死でうめに話しかける波瑠の超絶大根っぷりには本当にびっくり。あまりに驚いたので調べました。
このドラマは5月にクランクインし、現在放送中の東京シーンは10月に撮影したものらしいです。
撮影開始から5ヶ月経っても、いささかも上達しない演技力。相当なガンコ者なのでしょうか?
「純と愛」「あまちゃん」「まれ」作品の出来不出来や視聴者のウケは別としても、ヒロインに波瑠を選ばなかったプロデューサーは見る目があったと言えましょう。
個人的に、どんな子役にも薄ら寒さを感じてしまうので苦手ですが、あさの幼少期を演じた子などは波瑠の芝居に呆れているのではないかと思う。
年明けに千代役で再登板らしいので、ガチンコで波瑠が完敗する様を見るのが今の楽しみです。
大久保が五代を「心の友」と表せば、必殺技のキョトン顔(白目)。
「五代さまが友を大事にされることは存じておりました」・・・え!?
「五代さまが友を大事にされることは存じておりました」大事なことなので2回書きました。
あさはいつの間にそんなことを存じていたのでしょう??
五代が友の話をしたことも、友の存在を匂わせたことすら一度たりともありません。よね?
いつ友を大事にする男だと知ったのか教えてください、金八先生!
こちらの狼狽をよそに、まるで「オレの女」を見るように満足気にあさに微笑む五代友厚。
ひょっとして、もうデキてるんじゃないの・・・?
虫唾が走るほどに天然ちゃんぶってアイスクリンをほおばる、三十路前の子持ち女。
千代にも食べさせてあげたいとか思わないのか!?とムカムカしていたら、甘~いアイスクリンを食べている時には思い出しもしない千代にも、ガス燈や景色は見せてあげたかったようです。
ま、ガス燈や景色はタダですもんね。やっぱりしぶちんな女傑です。
千代はガス燈よりアイスクリンの方が、きっと100万倍喜ぶことでしょう。
縁側に新次郎・ふゆ・亀助の三者そろい踏みで、ナルシスト新次郎の「さみしいワテ」再燃。
五代が持ってるような物は、あさに何も与えられない、「その点」では男として負けている。
・・・その点。昼間っから縁側で呑気にぼーっとしているようでは、ほとんどの点で負けています。
「あさが待ち合わせをしていたのは、いったい誰なのでしょうか?」とナレーション。
いやいや、週末の予告編で見せてたし。忠興だよね?「誰なのでしょうか」とかいらないし。
そんなしょうもない不要なナレ入れるくらいなら、アイスクリンの時にでも「千代に食べさせたいとは思わないのでしょうか?」って入れてくれ。
五代とあさはデートにいそしむw
はぁぁ、なんでこんなくだらんドラマになったのか。
このドラマで泣いたことは一度もないが、朝ドラで泣きたいと思わないのでかまわない。朝から号泣してたら仕事に行けないし(笑)
五代があさに大久保利通を引き合わせた件は、いつのまにあさはそんな大した人物になったのか?とイマイチ納得しがたかったな~。
でも、ちょくちょく違和感はありつつも私はこのドラマには品格を感じているので、毎朝気持ちよく見ていられる。
現代人にわかりやすく軽めにアレンジされているのだろうけど、当時を生きた人々の思いを感じられるのが良い。
権力者に目がないしぶちんな女傑w
つまらなきの極地。
こんなドラマしか作れないNHKの視聴料払ってるかと思うと腹立たしい。
時間経過がなく、或いは本来の移動時間より短い時間で場所間移動をしたかに見える描写、いわば「どこでもドア描写」は他の朝ドラでも出てくるが、「あさが来た」は過去のどの作品と比べても酷いと思う
どこでもドア描写の酷さに加えて、季節感のいい加減さ、時間経過のおかしさ、立ち聞きの多さ、思わせ振りで視聴者を煽ったりする等、どの朝ドラより酷いと思います。
東京のシーンのロケ地は、和歌山県のポルトヨーロッパという遊園地だと思います。遊園地の一角に、洋風建築?があります。
東京にお勉強にいったというよりは、五代とデートみたい?なんだか、浅い展開で、ちょっとガッカリです。びっくりぽんな天然キャラも、そろそろ役の年齢相応に落ち着いてほしいです。
大久保利通さんの風貌がっかりしました。
借りてきた衣装、華奢で、威厳も感じられず
このドラマ、俳優の演技が下手に見える。
偉人がらしく見えない。
あえて、そうしてるのか悪意を感じる。
2015-12-23 23:40:47さん
>「必殺技のキョトン顔(白目)」
ですね~。もうおなかいっぱい感。
あさは五代を友人だと思っているので、自分にこんなによくしてくれる=友に厚いと受けとるのは自然だと思うのですが…
うめも、起き抜けに偉人にさあ食べて!と言われたら、まずたべなきゃ、となるかと。私はそうしてしまいそうです。
これ、凸凹夫婦の愛情ドラマですよね。
忙しい朝、ほっこりできる朝ドラですよね?
はじめからそう見ていて、楽しんでます。
勉強といってましたが、ナレの説明であっさり。東京見物でおわってしまった感ですが・・・ただ武田を出したかっただけでは?
子供を置いて東京に勉強にくるのをとがめられるから、両親には会わないって、ヘンな話ですね。
最初から両親の家に寝泊まりし、千代もつれていけばいいだけのこと。あんなにどっちにするかなんて迷わなくていいでしょう。
新次郎もよのも安心ですよね。実家に鋳れば五代とのことも心配なし。
五代とのプチロマンスと、あの場所場所で福澤とガチンコさせるための無理やり話。
お互い辛抱の時だすな
あさが輝きだした東京物語
笑いは女中さんまで手をあげた所だけ
中々よかったぁ
がんばれ!ニッポン
またプロパガンダか。あきた。
かなり完成度が高いドラマだよね。
充実の15分が毎朝うれしいです。
今井のお父さんの存在感がすごいね。
セリフのひとつひとつに説得力がある。
正吉の柔に忠興の剛。
この二人が、あさが飛び立つ時の両翼だった。
このドラマは本当に脇が素晴らしく見ごたえがある。
これらの安定感がドラマの流れを川の水の流れのように
スムーズに促しているのだろう。
いやいや「偶然」って便利ですね。
上京早々通りで偶然散歩中の福沢諭吉一行と出会って翌日には、弟と待ち合わせの牛鍋屋にまたまた諭吉が居合わせる。しかも相手が福沢とも知らず、初日にはcivilizationを得意げに「文明」と説明して諭吉の気を引き、翌日には「学問のススメ」の内容を得々と父親に説明して、ついに我慢できなくなった諭吉が(最初は変な女と顔を手拭いで隠していたのに)自ら話に割って入ってくる。
もちろん、諭吉はあさの考えを全面支持。(高説垂れるシーンは往年の金八先生そのもでしたね 笑)日本にやっと新しいおなごが現れたと感激して「おなご社長になれ」とあさを激励する。その7年後に刊行された「日本婦人論」は新しい女性の在り方を示す著作らしいけど、きっとあさに猛烈感化されたということなんでしょう。
しかも最初は、夫や幼い娘を残し一人勉強しに東京へ来ていながら親に顔を見せもしない娘を叱り飛ばしていた忠興(至極正論でみんな納得できるお言葉です)まで、あさと諭吉の話を聞いてすんなり「認めざるをえんな。男女関係なく、あいつはもう一人の商売人や」と全面理解、全面承認。
昨日は天下の内務卿の大久保さんからも「大阪の繁栄のためにはあなたが必要だ。これからも五代や私に力を貸してください」と頭を下げられていました。
はんとにドラマとはいえ、大久保利通にも福沢諭吉にも一目置かれるなんて、あさってすごい女性なんですね。
それがどうして私の胸に伝わってこないのか不思議でなりません。
あさは「男と女の違いは腕っぷしだけ。それなのに女が男の言いなりにならなくてはならないのはおかしいどす」なんて言ってたけど、炭鉱でピストルを暴発させたり(これは偶然だけど)女だてらに相撲で男を投げ飛ばして荒くれ男たちを手なずけたのはあさ本人ですよね。
思い出して笑ってしまいました。
まあ、それから成長したんでしょうけど、ご都合展開に基づくあまりに説得力のないヒロイン上げには辟易します。波瑠さんの演技や表情、台詞回しがもう少し大人っぽい理性を感じさせるものであれば違ったのかもしれませんが。
そういえば、最後に大久保暗殺の号外も、大阪へ帰ろうとするあさの足元に偶然一枚舞い落ちてましたね。
これでまた帰郷が先延ばし? 新次郎が可哀そうだなぁ。
このドラマはあさをまわりが無条件の褒めまくりのところが気持ち悪いです。まれのときは大悟など仕事に厳しい人もいたし、まれが仕事のできない新人に教えているときも、仕事ができなくても仕事をするといった喜びが感じられたけど、このあさが来たではそういうものがないね。それにまれでは「自分には無理だ、諦めよう」と思っていても何か一歩踏み出して挑戦しようという意志が感じられたけど、あさはドラマがはじまってから五代に言うとおりに進んでいるだけで、だだの操り人形であってヒロインとしての醍醐味や人間的な魅力が全く感じられません。ただまわりがお膳立てして楽して生きて行ける道を用意しているだけであり、見ていておもしろくないです。あさってどう見ても自分で道を切り開いていないよね?自分で道を切り開いていかないヒロインに対して高評価してあげる価値などないと思っています。
偶然を作り込んでいくのがドラマ。
結構乗せられて見てるけど面白いわ。
実在の浅子さんも大物との親交が深かったからあり得ない話でもないなと思ったりして。
あさも、五代も、福沢諭吉もみーんな常識の斜め上をいく人達だからお互いに引き合うのかもしれませんな。
あさは実業家だから、多くの人と出会い仕事に繋げていくのが仕事です。例え明日の仕事に直結しなくても。あさのような女性の活躍が世の中で認知されて少しずつ女性の地位が認められていく。まさにファーストペンギン。
五代と大久保の最後の会話は大久保暗殺の前振りみたいだったね。
大久保の最後を悲しむための材料みたいな。
そんなのばっかだね、このドラマ。
私はあさが「五代さまが友を大事にされることは存じていた」と思ってましたよ。
五代さんが炭坑に「ファースト・ペンギン」の話をしに来て、
風のように去ったあと、亀助に「どういう関係なのか?」と聞かれて、
あさは「あの方はうちのフレンドだす」とキッパリ言ってましたので。
あの寝起きドッキリからあさは五代さんのことを、
変なおじさんから「友達」に昇格したのだと私は理解しています(笑)
炭坑まで励ましに来るって、相当友達を大事に思ってないと出来ないことで、
あさは、友達として自分を思ってくれての行動だと判断したのだろうけど、
きっと五代さんは違う感情なんだろうなぁ、と思ってちょっと可笑しかったです。
東京の五代さんの応接室?にペンギンの絵が飾ってあったけど、
五代さん自身もファースト・ペンギンでありたい人なのかな?と思いました。
今井家に泊まらない理由がわかってスッキリしました。
教訓その3 急いては事を仕損じる。
長々の九州炭鉱編から一気につまらなくなった「あさが来た」。
今週の東京編は、半ば予想通りながら、さらにいっそうつまらなくなりました。
炭鉱編もあさが大股で四股を踏んでの相撲で一気に炭鉱夫たちの反抗が収まったり、炭鉱爆破まで起こした極悪犯罪人の松造があさの説得ですんなり改心して素直に出頭したり、と「さすがあさ様」の無理やり展開が目立ちましたが、今週の東京視察編は冗談のようなご都合展開ばかり。
そもそも、炭鉱がまだ不安な時期に、その責任者でもあり人妻でもあるあさが男性に誘われて夫と幼子を残し、一人東京へ出かけてしまう設定自体からしておかしいのですが、東京へ行けば、時の内務卿であり多忙を極めたはずの大久保利通とすんなり対面、福沢諭吉との出会いや絡みもまったく不自然な無理やり感。おまけに厳しかった父・忠興までもがあっさり態度を軟化。
なんだかなぁ。
新撰組の土方歳三に加え、五代友厚、大久保利通、福沢諭吉。その時代を感じさせる偉人と絡めるにしても、もう少しましで自然な演出ができないのでしょうか。あまりに少女漫画チックな演出・展開のせいで偉人さんたちの方があさ上げのための滑稽なピエロに見えてしまって気の毒です。
一方で、サイドストーリーとしては、ようやくサトシのエピが終結したと思ったら、今度はふゆと亀助の話を引き延ばし?
なんだか本当にドラマを見たい気持ちがどんどん失せていきます。
新しい文明に目を輝かせるあさの東京視察が、ただの浮き浮きデートまじりの東京観光にしか見えません。
初対面のあさを大久保がべた褒めってありえません。暗殺への前振りだとしたらお粗末な話ですね。
あさ上げ、新次郎あげ、東京編では大阪上げを感じた。日本の発展には大阪商人の力?
大阪局はローカル根性丸出しの時があります。
朝ドラ枠を私物化してる。マッサんでも感じた。
関連企業の良い宣伝にもなって関連商品大ヒットしたり。
どうかなって感じる事もある。
まわりの言うことを聞いていれば人生がうまくいく話なんてつまらないですね。そんな人生が送れる人間なんて少数であって共感なんてありませんね。
このドラマはすでに決まっているサクセスストーリーに多少の不幸を散りばめた物であって、炭鉱の事業に乗りだす際のあさの心の葛藤が全く描かれていないのには残念としか言えませんし、この脚本を書いている人はこれからも棚からぼた餅のような話ばかり書くのでしょうね。私としては炭鉱の資金ぐりくらいは夫の新次郎と一緒になってお金を集めようとする姿くらいは見たかったですね。
あさというアホな人間がエスカレーターのように事業家になっていくことには疑問や抵抗があります。正吉さんの死もなんだか何かイベントのようにしか見えないし、子供の誕生もこのドラマを書いている脚本家にはイベントのひとつでしかないのかもしれないね。
台詞だけで大阪を盛り上げようとするドラマは残念だね。
とても良いドラマを見れば、それだけで
東京局より大阪局の方がずっとレベル高いじゃん、
てことになるのに。
明治時代の偉人のイメージが私の中ではまるで違う。
深みがない。
このドラマは期待値が高すぎたんだろうな。だから反動が半端ない。
バカバカしいですね、偶然ばかり起こり、あさ上げする人が増えていくだけ。 薄いわ~、この朝ドラって。
もしこれが文字だけの小説だとしたら読者からはクレームの山だろうね。
「どこにこれだけあさ上げをする根拠があるんだ」と。
しかも映像付きでこれじゃあ、なお一層話にならないレベル。
脚本家は楽だろうね、言葉だけで大阪だ日本だと語らせれば良いんだから。
以前、時系列の破たんは必ずストーリーの破滅に繋がると書いたけれど、偶然をこれだけ散りばめ、先の予感を幼稚なまでに告知する様なシナリオは視聴者の嘲笑を買うばかり。
成長しない「あさ」と、成長どころか益々酷くなる「波瑠」の演技は、ストーリーの支離滅裂を増長させているだけ。
頼りは視聴率だけだけど、酷いと思っても見続けてしまうのが「朝ドラ」。
記録は作ったかもしれないが、ドラマの内容ともどもたいした根拠もない終わってみれば何の記憶にも残らないドラマになる予感大。
笑いのシーンも心地よい。ほのぼのシーンも心地よい。
小難しいことを言っていては勿体ない。
そんな大人が楽しめるドラマですね。
今日はついむきになって持論を展開したあと、
オコシを失敬して早々に退散した福沢さんが面白かった。
この作品に文句をつけるとバチが当たるんじゃないかというくらい、一流の人々が細部まで気を配り制作しているドラマだと感じます。
久々の今井のお父はんの叱咤激励、手ぬぐい被っていたにもかかわらず、ささとあさ達のところへ言って、自分の気のままに物申して、また、ささと抜け出た福沢諭吉、武田鉄矢さん、面白かった。
五代さんと大久保のシーン、酒を交わし、あ~暗殺前まえかもと、思っていたら、『紀尾井坂の変』に。
五代さんのショックが心配。大久保にチェリーを見せて機嫌よく飲んでいた五代、あのチェリーあさの?って思ってしまった。
もう、明日明後日で年内放送終わり、さみしい。
それまで、新次郎と千代のところに帰って、あさ。
東京での勉強というのが、これからのあさの始まりかな。
楽しみです。
最初は15分の中にきれいな宝石がいろいろ入っていて、すごく充実したドラマだと思っていました。
でも、よく見たら、宝石は偽物や安物ばかりだった(笑)。
まんまと偽物や安物をつかまされた感じです。
そんなドラマですね。
大久保卿に福澤諭吉まで登場してしまったので、
五代の不思議な存在感の効果も消え去ってしまった。
あさはこれまで男性女性の垣根で殆ど大して悩んでないところに福澤諭吉エピソードを持ってきても響きません。
せっかく東京の文明開化を見に行ったのなら、
有名な知識人からじゃなくて、街を歩く女性や視察中に知り合いになったor話を聞いた女性たちから、刺激受けたり共感したり自ら感じとるとかさせればいいのに。というか東京行っても五代と心の友と家族にしか会ってない。何でも吸収してやろうという姿勢も見えないのに、あの千代との別れの涙は何の涙だったのだろ。
金八先生風の福沢諭吉劇場、楽しく拝見しました。
隠れているつもりだったのに、自分の著書の話題が出たもんだから、
思わず演説しにいっちゃいましたね。
いつも概ね面白く見ていますが、
あさが東京の視察で、何に感銘を受けたのか?
どこに文明開化を感じたのか?
その辺はこの先語られるのでしょうかね?
そこは台詞だけで済ませて欲しくないと思いました。
>「何でも吸収してやろうという姿勢も見えないのに、あの千代との別れの涙は何の涙だったのだろ」
あれはただの目薬です。すぐに乾きます(笑)。
はつ物語を引っ張りすぎて、ここへ来て重要な東京物語に影響した?
言葉だけの説明と、何しに東京へ行ったのかに合点がいかず、とても残念な今日だった。
ところで、偉人は初めから偉人ではない。
隣にいる普通のオッサンにしか見えない・・・って表現はいいね!
来年からまたどう転がるか、楽しみではある。
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