2.74
5 404件
4 98件
3 65件
2 105件
1 563件
合計 1235
読み はなことあん
放送局 NHK
クール 2014年4月期
期間 2014-03-31 ~ 2014-09-27
時間帯 月曜日 08:00
出演
『赤毛のアン』などに代表されるモンゴメリーの日本語訳版を著し、明治から昭和の混乱期に翻訳家として活躍した村岡花子の生涯を描いたドラマ。
全 12686 件中(スター付 1235 件)8601~8650 件が表示されています。

2014-08-14 17:00:19
名前無し

ドラマの感想ではない一言ぐらいのコメントが少し気になる・・・

さて今日の花子とアン、はなが無事、息子の死から立ち直って翻訳の仕事に打ち込む事が出来てなによりと思ったら今度は失踪?ということになり、またひと悶着ありそうで気が抜けません。せっかく蓮子さんが和歌を届けて心が落ち着いたかと思われたのに一筋縄ではいきませんね。まあすぐに立ち直っても安ぽっく見えるだけなのでこれは仕方ないです。
あとドラマで知ったのですが昔は告別式の時は身内の女性は白装束で参加していたのですね。いつから今のように黒一色に変わってしまったのだろうか?
ドラマを見ていると昔の古き良き日本の風土や風習を知ることが出来て参考になります。

2014-08-14 17:15:47
名前無し

昭和10年代までは、白い喪服が一般的だったみたいです。
戦争でお葬式が増えたので、汚れの目立たない黒が用いられるようになったとの事。

2014-08-14 17:45:47
名前無し

2014-08-14 17:15:47 名前無しさん
2014-08-14 17:00:19 名前無しです

ありがとうがざいました。こちらも大いに参考になりました。<(_ _)>

2014-08-14 17:47:52
名前無し

↑訂正

ありがとうがざいました。→ ありがとうございました。

2014-08-14 20:49:41
名前無し

今週の描写や流れは悪くはないです。ここだけ見ていれば普通のドラマっぽい。でも前にもここで書かれていた人もいたかもしれないけど、極端に悲しいのと極端に楽しいというのが前面に現れるドラマですよね。
「カーネーション」だと戦争時の夫や知人の戦士報告の場面が相次ぐ時期があるのですが、ヒロインとともに見ているこちらもその悲しみがいたいほどに伝わってくるのですが、毎日、視聴をやめたり辛さに耐えられず見るのを止めようと思った事はなかったのは、ドラマとして辛いシーンばかりではなく、このあとどうなるんだろうか?と惹き付けるようなストーリー展開がされていたからだと思う。
「花子とアン」は本当にここ2,3日は辛い描写しかないので録画を撮った分を半分ぐらいでやめてしまうか流し見になってしまう。
面白いドラマには辛いシーンではそればかりではなく、ほかに気になるシーンも用意されてるし、楽しいシーンも笑いながら少し切なかったり、1つのシーンの中にも色んなものが表現されてるのだな、ということが「カーネーション」「花子とアン」の2本立てで見るとよくわかる。

2014-08-14 21:07:46
名前無し

うーん。この重大なシーン、歩くんの演技も吉高さんの演技も良くて、そこはこのドラマを見直したのだけど…

何だか今日の展開は違和感が多くて、ちょっとイライラしてしまいました。
深い悲しみの中にいる人に対してどう接したらいいかってとても難しいし、何が救いになり何が神経を逆撫でするのか正解はわからない。その人によって違いもあるでしょう。
でもこのドラマの人物、みんなして不用意に踏み込み過ぎじゃない?

「赤毛のアン」、今手元に本がないので不確かな記憶ですが、マシューが死んだときのことが印象に残っています。
アンの親友ダイアナが慰めてくれようとするのですが、あとでアンはマリラと抱き合って泣き、「ダイアナに慰めてもらうわけにはいかなかった、ダイアナはいい人だけど、悲しみの外の人だから」という主旨のことを言ったと思います。
いくら親友でも、心配であっても、当事者にしか踏み込めない領域ってあると思うんですよね…

葬式の翌日に花子に歌の束渡す蓮子、嗚咽する吉太郎にハンカチ差し出して「親友でしたものね…」とつぶやく醍醐さん、英治の前で「悪いことをしたかもしれないな」と口に出す梶原。
みんな歩をかわいいと思っていたかもしれないけど、やっぱり花子や英治にしてみれば、彼らは「悲しみの外の人」。安易に共感を口にしたり気持ちを代弁したりしてほしくない、と私なら思ってしまう。
心配をガンガン表明するタイプの人の描写が多くて、案じていてもそっと見守るしかできない、という人の描写があまり無いなと感じます。
大丈夫そうに見えない花子に「大丈夫か」と声をかけるおとうも…おとうは本来、自分自身悲しみの中の人かもしれないけど、何だか外の人が無責任に言葉かけてるみたいな感じ。

一方、「悲しみの中の人」。吉太郎は、花子の気持ちを誤解してしまう。
悲しんでいる人どうしでも、悲しみ方や悲しみへの対応のしかたが違ったりして、傷つけてしまうのも実際あることだろうけど…。それにしてもちょっと想像力なさすぎ、吉太郎。

最も深い悲しみを共有しているのが花子と英治(と村岡父)でしょうが、英治は気丈にふるまって、花子の心配をする描写ばかりですね。英治自身の悲しみを表に出す場面がこれから出てくるのでしょうか。
郁弥の死では、同じ悲しみをもつ者同士が寄り添う感じがあまり描かれないなと思ったけど、明日からは花子と英治の姿がどう描かれるのか。少し期待します。

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2014-08-14 22:27:09
名前無し

昨日今日の描写だと、英治より蓮子の方が花子の心に寄り沿ってる様に見えます。泣いたのも蓮子の胸だし、翻訳の仕事を再開したのも蓮子の歌に触発されてだし。
この二日間を見る限りでは、花子自身が蓮子を悲しみの外の人と感じていないように受け取れる。

明日、真の悲しみを共有しあえる夫婦としてのやりとりが見られるのでしょうか。

2014-08-14 22:53:16
名前無し

そのシーンだけ見ると良いと思うとこもあるが、そうなるとやはり、
その前の描き方の残念さが浮き立つ。

歩くんのエピソードが週の頭から満載だったけど、歩くんの静かな最期が良かっただけに、とってつけてたのが目立った…気がする…

全部重要な過程がすっとばされる極端なドラマだと感じる。

兄やんは、泣き崩れるんではなく、ラジオを持って一筋の涙の方が、私はよかったかなと思いました。

登場人物の感情の起伏が激しいのがついていけないかなー

2014-08-14 23:15:12
名前無し

不倫 駆け落ち そして子どもの死
こんな大きなできごとや不幸になると
筆がのり、日々のさりげない幸せな描写や
心の繊細な揺れなどは描くのが
苦手な脚本家だと思います。

2014-08-14 23:39:37
名前無し

ドラマ通したポリシーもない
全体をまとめる力もない
行き当たりばったりの稚拙な描写を数々
いれ、主人公が不幸になりました
で感情移入ができるはずがない

2014-08-14 23:42:40
名前無し

このドラマは「女性週刊誌の雰囲気にそっくり」という意見がありましたが、図星だと思います。「花アン」は、「小説」というより村岡花子と白連を巡る芸能ゴシップ記事のようです。例えば、対象となる人物が実在。事実と虚構が混在。美化。扇情的。エピソードの羅列。過程より結果重視。情報過多または不足。描かれる世界が狭く閉鎖的。ご都合主義、等々。タブロイド記事の特徴と類似しています。

このような作りは「純と愛」を彷彿させます。こちらは「花アン」と異なり純粋なフィクションですが、この2作はまるで同じコインの表と裏のよう。「純と愛」は、衝撃的な出来事の繰り返しに視聴者が拒否反応を起こしNHKに多くの苦情が届いたとか。それを踏まえたのか「花アン」では同じような作りでも毒気を抜いて取っつき易くした、いわゆる「ゆるい」内容になっています。それでも不倫話を含む恋愛模様は、かなり扇情的に描かれています。花子の息子・歩の夭折を巡るエピソードも同様です。

花子らの歩の溺愛ぶりを長々と描いたのは、子を失った際の家族、特に花子の悲哀や喪失感を劇的に描く効果を狙ってのもの。前フリが過剰で何が狙いか制作側の意図が透けて見えてしまう所がタブロイド的です。歩が死を迎えるシーンは作られた感たっぷりで、せっかくの子役や吉高さんの熱演にもかかわらず入って行けませんでした。

タブロイド記事のようだとは言え、これも「テレビ小説」の一つの形であることは確か。ゴシップ記事が売れるように、このドラマも視聴率を取っているのは事実です。ただ、個人的にはもっと丁寧に人を描いたドラマが好みなので、この手のドラマは茶番に見えてしまいます。賛否両論の中、このようなドラマが連続テレビ小説の主流になって行くのかどうか?作り手及び視聴者の選択に興味あるところです。

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2014-08-15 00:09:49
名前無し

クレヨンしんちゃんでもドラえもんでも
号泣する私ですが、全く涙の一粒もでません
逆にこのように描かれてしまった
村岡家や歩くんに同情し
この何日かだけ違うドラマかとおもう
テイストでなんなんだと怒りを感じる
役者さんが気の毒でならない

2014-08-15 00:35:27
名前無し

蓮子の短歌、実際の白蓮の作品のようだけど、葬式の翌日に花子に渡したのは事実なのかな?
時間が経ってからその時を振り返って作ったならわかるんだけど、死の直後にあれだけの数の作品を作り、しかも渡すって、驚き。
花子のことが心配でそればかり考えていたっていうのは理解できるけど、その気持ちを短歌の形に整えて、きれいに短冊に清書して…って考えると、感動よりも怖いです。
歌人の性で自然に浮かんできたのをただ書き留めたのではなく、花子に贈ろうと思って考えたという感じですよね。
「心配です」「なんて悲しい」みたいな内容の「作品」を悲しみの真っ最中の相手に贈る蓮子も、それを感謝して受け取る花子も、ずいぶん変わった感性だなと思います。

花子に寄り添うのは、同じ悲しみを共有する英治か、その悲しみを想像できるかよか、年長者でひたすら温かく抱き留めてきたおかあであった方が自然に思いました。
蓮子が同じ母親だから気持ちが想像できるといっても、花子が失った「幼い息子」を持っているのだもの。

2014-08-15 00:41:57
名前無し

私は、昨日の吉高さんの演技は、悪くないと思いました。彼女をこんなに長期間つぶさに見ていると、自然に特徴がわかってくるのですが、彼女は、笑ったり泣いたりという表情を大きく動かすわかりやすい演技には、それほど問題はないようです(怒る演技は、声を張り上げるとキンキンしてうるさい感じになるのはあまりよくないけれども)。

でも、その中間にさまざま存在する、微妙で細やかな感情というのは表現しにくい人だなあと思います。原因は、よく言われているように、表情(表情筋?)を細かく動かすことができないことでしょう。今日は、子どもが亡くなった後の虚脱感・喪失感や、激しい悲しみを紛らわそうと仕事に狂ったように没頭する痛ましさ、などの表現は、やはりあまりうまいとは感じませんでした。

彼女の演技で、一番強く記憶に残っているのが、妹のモモとの対比です。モモ役の女優さんは、こんど朝ドラのヒロインに選ばれたそうですが、確かに見たことないけどうまい子だなあと思いながら見てました。朝市への秘めた気持ちを押し殺した表情、告白してあきらめて彼に見せる涙をこらえた笑顔(しかも、彼を励まそうとけなげな努力をしている)、気持ちが崩れ母にすがりつくところ、新たな決意を秘めたきらきら光る瞳、つい引き込まれてました。声もかわいらしいですね。彼女なら、豊かな表情が要求される朝ドラのヒロインらしいヒロイン像を演じられるだろうと思います。まだ波乱万丈の時代物などはむずかしいかもしれませんが。

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2014-08-15 00:43:50
名前無し

昨日に続いて、目頭の熱くなる回でした。

「おかあちゃまはばかですね」

胸が痛くなりました。

花子の眠れなかっただろう表情も見事、静かなトーンが子供を失った花子の悲しみを光の陰影で効果的に表現していると思いました。

大切な人を失ったかよの、時計を見る様子も深く心にしみました。
どれだけ眠らず書き続けたのか、ついといなくなった花子がとても心配です。

でも、きっと明るくもっと強くなってこれからの人生に立ち向かっていくように思えるのは、今までの花子を見てきたからだと思います。
「最上のものは将来に」
校長先生の言葉はより重さを増していくように感じます。

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2014-08-15 00:48:27
名前無し

吉太郎の存在感と何かを背負いながら生きている演技が素晴らしい。
他の男性陣がパッとしないだけに余計に光る。
醍醐がその吉太郎に惹かれていくのが興味深い。
花にも英治にも興味ありません。

2014-08-15 01:03:26
名前無し

わたしも蓮子さんの短歌には
びっくりしました
悲しみのど真ん中の人に
あなたは可哀想と念おしされて
わたしなら余計うつになってしまいそう
それも花子も蓮子も文学に秀でた女性
ということを表したいのかな
凡人なら普通落ち込みます
もっと旦那さんが支える描写にしてほしい
それが自然だし、なんだか旦那さん
かやの外みたいで、あんなに大恋愛だったのに

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2014-08-15 02:02:41
名前無し

そもそも、始めから 原案だんて言わず、原作とし。史実通りの脚本(多少の脚色あり)にしておけば、現代の習慣と違う所や いかに村岡家が現代に通ずる家庭だったか。村岡花子と言う翻訳家がどんな女性だったのか。と言うのが解ったはず。加えて、当時を知らない私も含めた現在を生きる人が 当時を知る機会になったのではないでしょうか? 丁度、戦争の話題を取り上げるコーナーも増えてます。本と映像の違いを見せてくれても良いのではないでしょうか?朝ドラに求める事ではないかも知れませんが。

2014-08-15 02:28:04
名前無し

才能も無い人間が朝ドラなんかつくるな

2014-08-15 04:57:57
名前無し

兄やんの悲しみはとても伝わった。
それは兄やんと歩の距離感が甥っ子を可愛がる伯父として適切に描かれていたからかもしれない。
近すぎず遠すぎず、役の距離感として違和感がなかった。

花子が仕事をすることを責めたのには、はあ?と思ったけれど、母親が仕事で寂しかった歩のために怒ったとわかり、なるほどと納得しました。
花子のおかあちゃまはばかでしたねという言葉も、それを受けてのものに見えました。

一方で違和感もいろいろ。
冒頭、なぜ蓮子は花子の後ろで身内側に座っていたのか。ものすごい違和感。
そうするなら、なぜそうなったかすこしでも差し込んで欲しい。
このドラマはそういう、いきなりやられたらおかしいだろうということが所狭しと並ぶ。
うまくないな、と思う。

とにかく花子を支えるのが蓮子の図式が不可思議に見えてたまらない。
英治の存在ってなんなんだ?
これから夫婦がこじれて別れる設定なのか。
この夫婦は支え合うのでなく、他には吐き出せない黒い部分をぶつけ合っていく夫婦なのか。
なんというか、結婚当初から夫婦に見えなかったけれど、いつまでも英治の片想いに見える。

書きたいところを書くために、他がおざなり。

中園さんの脚本はそういう構成に見えて仕方ない。
もっと家族をきちんと書けないのか。
歩の死で泣けなかったのも、家族を見せてもらえなかったからに他ならないと感じています。

2014-08-15 05:48:37
名前無し

わたしも、お葬式のシーンで蓮子が親族の座る位置にいたのが不自然に思えました。

村岡花子さんが息子さんを亡くされたときに、白蓮が支えになったというのは事実らしいですが、このドラマでは蓮子の存在が「過剰」に見えます。この脚本家は仲間由紀恵さん登場の場面を増やすことで、仲間さんの事務所に「恩を売っておきたいのかなあ」と疑ってしまいそうです。

この2日間の、吉高さんの演技はいつになく素晴らしかったと思います。「役をつかむ」ことさえできれば、優れた演技のできる女優さんなのだと思います。

でも全体的に見て、この脚本で吉高さんが「村岡花子像」をつかむのは不可能に近いのではないでしょうか。どんなベテラン女優でも難しいと思います。霧の中にポツンと独り放り出された主人公が、やっと灯を見つけてそちらのほうへ向かったとたんに、別の方角から「そっちじゃない、こっちだ!」と声がかかる。声のするほうへ歩き始めたとたん、また別の方角から物音が聞こえる......そんなハチャメチャな脚本ですから。脚本の段階で、すでに「村岡花子の人格」は破綻しています。

吉高さんは、もしかしたら将来、大物の女優になれる可能性を秘めた人ではないか、と感じます。

「こぴっと三姉妹」役の女優さんたちの5年後、10年後が楽しみです。
彼女たちが優れた脚本と出会えますように!

2014-08-15 06:55:54
名前無し

蓮子がお葬式の時に身内側というか はなの傍に座っていたのはたぶん憔悴しきって言葉も出ないくらい落ち込んでいる はなを支えるためについていたのだと思います。同じ幼子を持つ母親として気持ちが理解できるのも蓮子だし はなにとっても心の支えになっていたと思います。
それに話は逸れますがこのドラマはダブルヒロインと言われるぐらいですから二人で一つと考えないとタイトルに惑わされて混乱すると思います。また史実どうりに再現したところで視聴者受けするとも考えられません。半分はフィクションと割り切って見ないと面白くならないうえに楽しめないと思います。

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2014-08-15 08:02:06
名前無し

行方不明になった花子。皆の心配をよそに、早く目が覚めたから散歩に行っただけ、とは言うものの表情はやつれて顔に生気はない。父親の助言で、これまで黙って見守るだけだった英治がようやく花子と話をしました。うん、こういうシーンが見たかったんですよね。蓮子さんとの友情だけでなく、夫婦が互いに思いやり支え合うシーンが。仕事にかまけて遊んでやれなかった母親としての至らなさを悔いる花子に、歩は自分から選んで花子のところへ来たのだ、決して不幸な子ではなかったと英治は諭し、その後出かけた海岸にかかった大きな虹。歩が大好きだった虹を見て、ようやく花子も心が晴れました。歩に読んで聞かせたかったお話を、これからは代わりに日本中の子供たちの為に作っていこう。児童文学者として生きる決意と覚悟が感じられたシーンでした。
すぐに机に向かった書き始めた「めぐみの雨が降るまで」は実際に童話集に収められたようですね。
それにしてもロケシーンはいい。雄大な海と虹がきれいでした。

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2014-08-15 08:34:12
名前無し

前妻を亡くし、弟を亡くし、我が子まで亡くした英治が一番可哀想。
花子は英治をスルーしすぎ。もっと気にかけてやれよ。

2014-08-15 09:02:39
名前無し

立ち直りが早すぎ、あっさりすぎる。郁弥と少しかするぐらいしか愛情の交流のなかったカヨでさえ、2年以上もひきずっていて、いまだに晴々としない表情なのに、最愛の一人息子を亡くした母親の苦しみからの脱却を、あんな簡単にさっぱりと描き、はい、ここから童話作家の村岡花子の本格的な誕生です、というのを見せられても。なんて単純なんだと思うし、例によって、バランスが悪いなあとも感じる。
(歩の死を知らない(なぜ?)近所の子どもを引き連れて帰ってきて話を聞かせるというのも、また取ってつけたような不可解なエピソードだった。)

立ち直りは、文学者らしく書斎で起きた方がよほどいい。苦しみは苦しみ、原稿用紙を見るたびに後悔の念にさいなまれて、よっぽど筆を折ろうかと思う。でも、歩がお話を聞いているときの喜しそうな顔を思い出したり、「おかあちゃま、もっと聞かせて」と言う姿を夢に見たりして、そのうち、内心でじわじわと、「書こう、息子のために、もっともっとおもしろいお話を」と思うに至る、としたほうが、童話作家村岡花子の誕生としては、よほどふさわしく感動的だ。
浅いセリフや小道具の力を借りず、人の感情の移り変わりをきちんを描くことができれば、どんなにいい人間ドラマになったかと思う。もう、こんなことを求めても無理なのだろうけど。
しかし、兄と醍醐の恋バナやどうでもいい周辺のエピソードを挿入は、せめて今週は控えるべきだった。

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2014-08-15 10:08:46
名前無し

ドラマ主題歌が「にじいろ」、花子たちが手掛けた児童雑誌のタイトルも「にじいろ」。これまでも虹という言葉は気になっていましたが、こんなに大きな意味が込められていたんですね。
じょうろで盥に水を注ぐ歩くんが見つけて嬉しそうに言った「虹が出たよ」。そして花子の雲の話から想像を膨らめての「死んだ雲は雨を降らせて虹になったんだよ」。そして歩くんが亡くなった夜は悲しみの雨が降っていたけれど、それが過ぎて花子が立ち直る日には真っ青な空に虹がかかっていた。
まさに希望の象徴ですね。そして雲のように人の心を癒した歩君が亡くなった後の別れの挨拶が虹だったんですね。
とても素敵な表現だと思いました。

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2014-08-15 10:19:15
名前無し

この朝ドラはあっさりしてるからいいんだよ。

2014-08-15 11:38:14
名前無し

んー。
蓮子が花子のそばにいるのがそういう意図なのはわかる。そうとしか受け取りようがないし。

それがそもそも変だなーと思ってしまうのね。
それがわかる何かを少しも入れない。
こちらが埋めるようなものじゃなくて、提示するものなんじゃないのかなーと思うから。

やっぱり今日みたいに英治が励まし、そばにいるほうが自然だな。

2014-08-15 11:58:30
名前無し

この脚本ではとても子を失った母親の深い悲しみも立ち直りもまるで胸に迫ってきませんね。
このドラマにはなんだか実際の「生活」というものがない。
何があっても人は日常の生活をしていかなきゃならない、と言うような実感がまるで伝わってきません。同じ様な状況があっても前作の「ごちそうさん」にはそれが終始しっかりとあった。

落ち込めばもうすべてをそっちのけで落ち込むだけ。立ち直りのエピもなんとまあ幼稚で人としての深い部分にまるで迫っていないことか。ファンタジーとしても歩の親を選んで生まれてきた話やら虹の話のなんとも陳腐で安っぽいこと。村岡花子さんご自身の創作されたものとオリジナリティにおいてもあまりに差がありすぎます。

村岡父が英治に花子を支えろ??
ここだけ断片的にとれば良い父に見える。しかし前妻の香澄に対してあのような言動をとっていた同一人物には見えない。まるで孫を産んだかそうでないかで厳然たる差をつけている人のように見えてキャラとしてのブレを感じます。こんな村岡父を今描くなら、以前の描き方はあまりにあまり。

そしてそれを聞いた英治が主体的になにかするわけでもなく蓮子の提案により海に行き、蓮子が見守る目の前でのふたりの立ち直り?
なぜ大人のドラマとしてこんなばかげたもって行き方ができるのか不思議になります。まるで主体性がなく何も考えられない人たちが保護者にお膳立てしてもらって立ち直る子供みたいに描かれている。
ここは花子を支えるなら英治がしっかり主体性をもって何とかしてくれなければ見ていてもはがゆいばかり。
吉高さんからも鈴木さんからも本当に子供を失った人の親、と言う感じは伝わってきません。子供のことよりもなんだか自分の感情だけが優先のヒロインとそれに振り回される周囲だけを描いているみたい。

仕事にたいしてだって、何度も「仕事なんてしないでもっと歩といっしょにいてあげれば」ってなぜ歩の死を直接的にそこばかりの責任に自分でするのか。そこまで言っていてなぜあんなにすぐにこれからもますます歩のために翻訳するようにしよう!なんてなるのか。もうすべての表層的な即席の感情の変化を描いているばかりで見ていても感動より疑問点ばかりが先に出てきてしらけてしまうばかり。

昨日の兄やんの号泣だって大人の男、あのような職業をしている男としてわざとらし過ぎる。ラジオのエピがあっただけで憲兵である兄やんが歩の死にあんなに声をあげてて泣くなんて不自然だし彼のクールなキャラが台無し。

>花アン」は、「小説」というより村岡花子と白連を巡る芸能ゴシップ記事のようです。
このご意見につくづく同意です。
断片的に人の気を引くようなエピをただ並べているだけで、そこにはなにかどうしても人に伝えたい、というようなテーマも一本通った筋も人の心の深い部分も素材に対する敬意も感じられない作品と感じています。このような人間の描き方のドラマに心から笑ったり泣いたりすることは私は無理です。女性週刊誌やワイドショーを見てもそれができないのと同じことです。(書いてたら長くなってしまいすみません。)

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2014-08-15 12:09:43
名前無し

とにかく見ていてなにからなにまで甘っちょろい感じ。
人の人生こんなもんとちゃうやろ、っていちいち感じる。
ここ最近で人の描き方、エピの描き方が一番つまらない。
子供の死、なんていうすごいことが起こるんだから少しは
深い描き方をしてくれるものと期待した自分が馬鹿だった。
申し訳ないけれど50歳を過ぎたプロの人が作ったドラマ
には思えない。

2014-08-15 12:54:44
名前無し

〉蓮子がお葬式の時に身内側というか はなの傍に座っていたのはたぶん憔悴しきって言葉も出ないくらい落ち込んでいる はなを支えるため

式をやるからには式には形式がある。だから「式」なんです。
そういう場面をドラマで使うならそういうところはきちんと
文化、風習にのっとって出してもらわなければおかしい、と
感じる人が出てくるのは当然です。
結婚式だっていくら仲がよい友人だから、なんて言ったって
親族同士の挨拶の場などに友人が入ることはできない。
式というものにはそれなりの意味があるんです。
そういうものを無視するのはおかしいし、もし変えるならそれ
なりの説明はドラマの中では当然必要でしょう。

2014-08-15 13:27:32
名前無し

歩が亡くなった回は結構胸に響いたのに、回を追うごとに「あれ?」って感じになってきて、もう今日は共感できないいつもの花アンにしか見えなくなってしまった。なんだろうな、これ。

いつものセットを抜け出して開放感あふれる海のシーンは景色としては美しいんだけど、エピソードがあまりにもありがちで「あ、そう…」となってしまった。綺麗だけど表面的な話だね。でもそれがこのドラマの本質なんだよね。

まあ朝ドラって、そもそもこんな感じでいいのかな、とも思う。朝忙しい時に真剣に見てる人なんてそんなにいないんだろうし、安易なストーリー展開の方がゴチャゴチャ考えなくていいし。心には残らないけど、直接的な暴力シーンなんかもないから生理的嫌悪感も湧かない。

前は花子の幸せの陰で可哀想な境遇にいる人物がいたりして、個人的にはそれが嫌で堪らなかったけど、最近はそういう描写があまり出てこないのでそれだけで見易くなった。色々「これ、おかしいな」とチラッと思うことがあっても「朝ドラだし、花アンだし」で済む程度。習慣で何とな〜く見続けるにはいいドラマなのかもしれない。

2014-08-15 13:47:36
名前無し

いろんな考え方があっていいと思いますが、私は特に朝ドラだから、昼、夜だから、とかいう事はあまり考えないですね。
どんな時間帯だろうがそれなりに良い作品とそうでないものはあると思っています。
時間帯に求められる雰囲気、というのはたしかにあるかもしれません。
朝、一日の始まりに見て、さわやかな映像とかきれいな景色とかは気持ちいいですし、真夜中に見るからこそ面白く感じる、なんてものもあると思います。
でも朝ドラに関して言えばごくわずかの作品をのぞけば大体朝見て不快にならないようには作ってあるのはどれもそれほど変わりないかと。
その中でもやはり脚本やら演出やら俳優さんの演技やら、でドラマとしての説得力などは違ってくるものと思います。
今は録画で見る人も多い時代。朝ドラだから適当な話の作り方でもOK,とはならないと思いますし、単に「軽い」とか雰囲気がいい、ということと見やすくて良いドラマ、ということはまた違うことだと思います。やっぱり朝ドラだろうがなんだろうがそれぞれにドラマとしてのクオリティはあると思います。私は朝ドラだからこれでもいいや、とはならない視聴者です。
その点で考えて私は朝ドラの中でもこのドラマがドラマとして良作、という感じがしません。細かい具体的な感想は時々で書かせてもらってますので、反論のようになりましたが感じたことを書きました。

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2014-08-15 14:16:34
名前無し

花をしたってる様子の近所の子供たち、歩くんの死を知らないのかな。
家までくるんだから、歩とも友達だったろうに…まぁ、それは置いといても…

日頃から近所の子が話をせがむエピソードがあればなぁー
なんかとってつけたようなシーンにみえた。

それにお話を待ってくれてるたくさんの子供達のために、と立ち直るのなら、実際子供達に話してた時の方がよかったなー私は。
海ロケいる⁉︎

もし海行くなら、その後に歩を思い出しながらダンナと行って、虹を見た…なんてどうでしょう…

でも、蓮子と着物と日傘と砂浜はキレイでした!
植田正治さんの写真みたいで!
それだけが印象の回。あらー

2014-08-15 14:28:14
名前無し

たしかに仲間さんの蓮子は何をしてもどこに居てもそれなりに絵になってしまいますねー。って褒めてるんだかそうじゃないんだか、ですが、どう見てもヒロインとしての貫禄やオーラが違い過ぎて・・・。
これってダブルヒロインの話、なんて最初から言われてたんでしたっけ?ならなぜ「花子と蓮子」じゃないのかしら?
なんだかドラマが進んでどう見てもダブルヒロインてことにしないとドラマとしてのつじつまが合わない、見せ場がないようなドラマになってきちゃっただけでは?
いくら妻の腹心の友と言っても、子を失った夫婦にこんなにほかの人が立ち入ってくる、ってすごく変。
なんで夫婦二人が語らっている後ろにずーっと美しい蓮子様が映ってらっしゃるの?
もはや仲間さんをたくさん出して、の声にごていねいに答えているおつもりなんでしょうか。

なんだかそういうことばかりを気にして人気取り目的、視聴率維持の方に内容的なことより気合が入ってしまってるんじゃないのでしょうか。最初から「これを描きたい」というのがまるでない見切り発車だったのではないかと感じざるを得ない出来です。

2014-08-15 14:37:42
名前無し

ダブルヒロインと銘打ってなかったこと自体に驚いちゃうのですが。仲間さんというビッグネームを配しておきながら主役を喰っちゃうことを予想できなかった訳ない…と思うんだけど。最初から蓮子の方を目立たせたい算段があったのかと思ってた。

2014-08-15 14:49:22
名前無し

今日のシーンくらい、村岡夫婦だけをじっくり見せてほしかった。
どうしても「腹心の友蓮子の支えがあって立ち直りました」というふうにしたいのか?
それとも視聴率の問題で蓮子出すの?
英治の行動も「父に言われて」に見えてしまう方法をとらず、英治自身の中で湧き起こる気持ちとして表現してほしかったよ。

あと、虹の映像がものすごく嘘っぽくてガックリした。物語全体にとって大事なシーンだと思うのに…
前フリたっぷりで、虹が出るのは予想がつき、出るぞ出るぞと思っていたら、いかにも合成な虹で…。人物と同じ枠に映っていなくていいから、本物の虹の映像がよかった。

2014-08-15 14:51:37
名前無し

朝ドラでタイトルの最後に「ん」がつくと高視聴率になるという
ジンクスがあるので花子と蓮子にはなりません。
あまちゃん、ごちそうさん、マッサンの最後の文字を見てください。

2014-08-15 14:56:58
名前無し

な、なるほど…。

2014-08-15 15:07:52
名前無し

「花子と白蓮」でいかがでしょう??
やたら蓮さまが登場するシーンが多いのは、大人の事情とかもあるんですか??
仲間さんは大げさな顔の演技の人。吉高さんと一緒だと
、演技の質が違うから変な感じがする。演出家とかがなんとかしてくれればねぇ。

2014-08-15 15:22:44
名前無し

遅ればせながら私は別に蓮子がはなの傍についていたからといって、おかしいとは思いません。はなは一人息子の大事なわが子を疫痢であっけなく亡くしてしまったショックにより声も出せないくらい憔悴しきっている状態では皆の前に顔を出すのも辛かっただろうし、いち早く はなの息子の死を知って駆け付けた蓮子が一晩中、面倒を見てあげたことを考えると蓮子が側についてくれた方が心強かっただろうし はなにとってはかけがえのない存在だったと思います。また本来は英治の役目だろうという気持ちも分かりますがこの場合、彼女らの存在をより印象付けるシーンにしたかったのではないでしょうか。
実際の形式上の葬式はどうあれドラマの見せ方としては私はあれでよかったと思いますよ。人それぞれ感じ方や捉え方は違いますけど。

2014-08-15 15:36:16
都鳥

はやまって後を追いかけ行ったかも夫英治は駆けずり回る
かよの店宮本家にもいなかったあてを無くして急いで戻る
いつもより早く目覚めて散歩してお話せがむ子供に出会う
生気なく髪はほつれて張りもない声は途切れて途中で止まる
夫ならしっかり悲しみ受け止めよ歩は誰のせいでもないから
もしかして夫残してひとり行くそんな考えしていたのですか
あんなにも行きたがってた海なのにごめんなさいね連れて行かずに
馬鹿だったもっとそばにいて見てやれば私のところ生まれなければ
歩はね君を選んで来たんだよ最高だから神に頼んで
天に行く海の向こうの大空に別れの言葉虹を残して
物語もっとたくさん届けたい歩にかわって日本の子供に

恵みの雨の物語

夕立の過ぎた後には虹かかる
雲のため凱旋門のアーチ架け
美しく虹のアーチを彩って
天にある輝く光線色つける
人のため犠牲となって消えた雲
身を尽くし命を消して消えた雲
大きな雲の別れの言葉
愛の心の挨拶は
空に架かった 美しい 美しい虹


それでは、また明日

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2014-08-15 15:48:16
名前無し

蓮子との場面が多過ぎる、というより英治との夫婦としての睦まじさみたいなのが薄い、って言ったほうがいいかも。なんだかいつも英治が引いてばかりだし、何でもナンバー2って感じでいまだにすごく良い夫婦、っていうのが伝わってこない。
だって歩は花子と英治の子であって蓮子の子じゃない。
どう考えても我が子を失った当事者である二人がお互いの気持ちをこの世で一番わかる、って持っていってくれなくちゃ。
そこにいくら腹心の友を強調したいからって蓮子のほうが英治よりもずんずん出てきたら、夫婦の絆が薄く見えてしまう。
こういう場合、やっぱり最初に泣く場面、としたら友人よりは夫の腕の中、でしょ?!
現実にはそうじゃないことだってあるだろうけれど、これはドラマ。しかもこれまでなにかと英治の影が薄かった。こういうところでこそ英治の夫ぶり、花子との強い愛情を見せてくれなきゃ、って思う。
夫婦って立ち入れないものあるんだし、こんな大事な場面で蓮子はちょっとお呼びじゃない、ってところまで出ちゃってる感じ。
友情といってもTPOは必要でしょう。
なんでこんなところでまで蓮子を強調しなきゃいけないのか?
こういうことがあったらまずは一番近い英治、少し時がたって友人、という方が見ていてもしっくり来ると思う。
人の苦しみや喜びって何かが起きたその時よりも生活してる中であとでじわじわと実感が伴うことって多い。このドラマはそういうところが上手く丁寧に描かれないから、すべてがその時だけではい、これは終わり!みたいになって実感が伴わないし、なーんかなにかにつけバランスが悪い。

2014-08-15 16:28:10
名前無し

栄治の影が相変わらず薄い。
これまでも常に周りに何か言われて動いてきた主体性の無い男ですが、
今回自分の息子が亡くなったにも関わらず当事者感がまるでしない。
花子の手紙読んでもらい泣きしていたシーンも、父親に言われて動くシーンも
どこか他人事のようで、残念ながら父親としての栄治の悲しみが伝わってこなかった。
繊細な演技を期待するのは蓮子の旦那同様無理なんですね。

2014-08-15 17:06:42
名前無し

>栄治の影が相変わらず薄い。

同感ですね。結婚前は、あれだけ花子の心を乱し、精神的に支え導く大きな存在、珍獣好きの個性的な男性として描かれていたのに、結婚後は、その影もまったくなく、おとなしくて花子に控えめに寄り添うだけの、まったく存在感のない人物に変貌してしまいました。
花子ともっと話し合ってやれ、と父親に言われて、初めて動き出す主体性のなさ(しかし、その父親のセリフも、今までとのつながりを踏まえてないので、最初何を言っているのかよくわからず、これはこれで唐突)もよくわからない。
これも、キャラぶれの一つでしょうね。
あれだけすったもんだして夫婦になったのだから、結婚後は夫婦二人の物語に少しは重点をおいてもらいたかったです。

この脚本家さんは、今までもそうだけど、ある一つのエピソードを作るとき、その中心人物しかうまく動かせなくて、あとの人物は完全に脇にどかされ(影が薄くなり)、中心人物の周辺をちょこちょこ動いてちょっと関わるだけか、中心人物をサポートするだけという役割しか与えることができないようです。複数の人間をうまく組み合わせて見ごたえある骨太の物語を紡いでいくことができないですね。

明日は、子どもの死からなんと醍醐さんと兄の恋愛話に話がワープするとか。いきなりのワープはこのドラマの特徴なので、いまさら驚きませんが、こうなるとなったで、花子たちはまた脇に追いやられてしまうのかもしれません。(今回ばかりは、白蓮事件のように尺を使わず1回終了にするでしょうが。)

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2014-08-15 17:15:00
名前無し

主人公に愛着がわかない。

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2014-08-15 17:56:44
名前無し

病気で子供の産めないカスミさんとは別れて、
早く新しい奥さんをもらって、跡取りを…と勧めていた村岡父ですが、郁也に続いて孫まで亡くしてしまった今、はなたちに「早く次の子どもをつくれ」と急かしそうですね。
キャラぶれをしていなかったらの話ですが。

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2014-08-15 18:08:17
名前無し

うーん…たしかに。蓮子さんについ目がいってしまいますね。仲間さんは少しオーバーな、舞台での演技のように感じるときもありますが、細かい表情などがうまくて…蓮子さんには感情移入もしやすかった。
吉高さんのことも好きだけど、母親役はまだ早かったような。。。子供や旦那への愛情みたいのは伝わってこなかった。
それから、海辺で虹をみたときに、この期に及んで「てっ」という必要はなかったと思う。驚きのあまり言葉にならない「は…」とか「あ…」で良かったのでは?と思う。皆さんのいう葬式などの風習や方言にしても、もう少し真実に近づけた演出だったらな〜と思います。

2014-08-15 18:45:26
名前無し

最終回かと思った あの嘘くさい虹 なんでここで海に行くのか?
五分で立ち直る花子 またも人に言われて動くエイジ
これでもか!の腹心の友攻撃 早朝に集まる近所の子ども
しかも近所なのにお葬式知らない
もう何が何だかわからない(笑)
それでも大好きな恋バナを入れてくるとは、、
今までの連ドラの脚本家の感想を聞いてみたい

2014-08-16 01:11:13
名前無し

海水浴の伏線も主題歌の虹まで
回収してくれた回でした。
仲間さんが美しい。
何故そこにいるの?
さあ、いよいよ本題のアンの翻訳のお話しになるんですよね。



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