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合計 | 1235件 |
これぞ茶番劇…!という感想です。
伝さまを落とすのはやめてくれ…私は伊藤伝右衛門ファンなので、あんな茶番はやってほしくなかったな…吉田さんがせっかく好演して下さったのに…
はなよ、翻訳はどうしたの…たまに「翻訳大変だね」とか言うセリフだけで翻訳を一応していますと匂わせるだけで、アンの翻訳、出来ましたー!!なんて説得力なさすぎるぜ!?
ミスターNHK!!
3人の男たちが取っ組み合いする場面で大笑いしてしまいました。私だけでしょうか…(苦笑)
どう考えても笑わせる場面ではないよねぇ…。笑って見てたけど、作品としてはちっとも見応えがありませんでした。
もう、何もかもが茶番ですね。
この後の展開にも期待出来なくなってきたし、本当にそろそろ限界かな…。
恋愛をメインに書きたいのはわかった。
しかしその部分が一番ヘタクソだからたちが悪い。
恋愛関係ないとこはけっこうマトモに書いてると思うんだけどね。
恋愛入るとだめだね。
恋愛なんて気持ちの経過がもっとも必要なのに、中園さんそれを全くと言っていいほど書かないから。
ほんとに、翻訳どうするんでしょうか。
「女性翻訳家の人生」のお話なのだから、早くその話を始めてください。看板のとおり、少しは知性的なところを見せてください。痴話はほんのスパイス程度でけっこう。もうこれ以上いりません。
すぐ実家に頼るヒロインだなと思う。そんなとこも現代の人っぽい。
失恋すればすぐ帰って慰めてもらう。
友達が駈け落ちすれば匿ってもらう。
両親も花子大好きだし、大歓迎なんだろうけど。
他の兄妹はそんなに帰ってる様子はないし。
ももなんか泣きごと言って帰ってきたらおとうが叱りそうだ。〜くんはなぁいいヤツなんだぞ!とか言って(結婚相手名前忘れた 顔も知らん)
どんなにお義姉さんにいびられようが、旦那が浮気しようがけっして実家に泣きつかず家を守ろうとしたヒロインもいたのになぁ。
もう白蓮騒動には飽き飽きです。ここもハナの不倫なみにぐだぐだになりましたね。
おもしろければそれでもつい見入るだろうけど、つまらないです。あちこち不自然でせりふが中学生並みだから、せっかくの俳優の熱演が浮いて浮いて…。早く終わってほしい。
総集編をちょっと見ましたが、ジェットコースター並みのスピード感がすばらしかった(笑)。でも、なかで一つだけ、お、と耳にひっかかったのは、蓮子が「どうして自分を好きになったのか」と伝助に激しく詰め寄る場面。澄んだ声が大きくまっすぐ通り、激情ややるせなさがとてもよく表現されていました。
今の、へんにナヨナヨ、べたべたした演技はなんとかしてほしい。実在の白蓮は、かなり早口で小気味のいいしゃべり方をしていたそうです(林真理子氏談)。
昨日は花子に少し主体性も出てきて蓮子との場面は珍しく普通のドラマになっているなあ、なんて感じたのですが、今日はまたトンデモない稚拙で訳わからないドラマに戻っていた。
皆さまの感想読ませて頂いてもう本当にそうだよなあ、と批判意見に次々とうなづいてしましました。
>感動シーンがあって「うん、うん」と頷いていると
次のシーンでビックリするような変な事があって「??」となる。
ホント、今日見た私の感想はこの方のこの文に集約されてます。
なぜ昨日の場面からの数か月をこんな妙な形のドラマにできるのかつくづく疑問です。かけおち、逃走劇の緊張感のきの字もありません。弁護士の家にかくまってもらったことはいいとしてもこの状況で宮本は花子の家に、蓮子は甲府に、ってなに?バカバカし過ぎますよ。どちらも蓮子が利用した花子がらみの場所、見張られてないわけないでしょ?全く視聴者馬鹿にしてるの?って思いました。小学生でもこれはおかしい、ってわかるような話の作りかた。
今頃になって伝助が花子の家を訪ねて乱闘?コントかいな。あまりにも間抜けた展開に今日は今さらながら失笑以外なし。最後の美輪さんのパパママ発言もホント場の緊張感をおちゃらかしてるよう。
そして2014-07-24 19:29:48 名前無しさんのコメントを読んで、本当にそうだとあまりの花子というキャラの矛盾に気がつきました。
そうですよね、自分がああいう形で村岡と結ばれて、奥様のいる人を愛してしまった自分をあれほど自分で嫌だと言っていたのになぜ蓮子と伝助夫婦に関してはああなるのか?自分が不倫だろうがなんだろうが恋愛に走った経験でもあれば蓮子の気持ちが分かる、でいいと思うけれど昔は子供だった、なんて女学生時代のことを持ち出して自分の恋愛のことはすっ飛ばして引き返せない恋愛もある、そのためには不倫も許せる…なんておかし過ぎます。完全なキャラブレの矛盾です。自分は許せなくても友達なら許せる…一見優しい心の持ち主のようですが、人としてあまりの矛盾ですし、そんなコロコロ変わるようでは腹心の友もなにもあったものではありません。
今日の甲府の風景もまるで茶番です。りんさんに口止めなんて今さらバカげたことだと誰だって見ていて思いますよね。甲府の人たちは今や良い人達なんていうよりただの間抜けた人達にしか見えません。
全体的にはまだ蓮子中心の話の方が見ていて面白くはありますが、もう基本的にこの脚本は筋立てがいい加減で話に説得力がなく、シリアスなのかオチャラケた軽いものなのかもわからず、ドラマというものとして成り立っているように見えません。時々あれ?って普通のドラマに戻る瞬間があっても基本的に駄目だし、脚本家も主演も赤毛のアンや村岡花子自身にそれほど興味が持てないのにこんなものを作ろう、という姿勢自体がやっぱり駄目なんだと思います。
歴代の朝ドラでも最高傑作ではないかな。
特に脚本は玄人好みですね。
久々に心に響くドラマと出逢えました。
毎朝 感動をありがとうございます。
そしてメンがウマイ!
佐川さんだからこそですね。
前の話に戻って恐縮ですが、やはり、私がこのドラマに不信感を抱く最大のエピソードになった、ももの北海道行きの話です。
今考えても、あのエピだけは余計だったと思えて仕方がないです。
だって、あの甲府の両親が花子の結婚式でももを北海道に嫁にやってよかったなんていう会話があったけど、あの甲府の2人暮らしの夫婦が4人もいる子供たちとは出来るだけ離れたくないというのが人情なんじゃないでしょうか。あの時はあの家は貧乏だから口減らしという話もありましたが、実家の近くに嫁の来てもたくさんあっただろうにと、りんさんも言ってましたし、どうにもあの甲府の夫婦の真意がいまいち掴めない。だからたまに東京に出てきたり蓮子を匿う時とかに見ても未だに良くわからない夫婦、みたいな違和感がつきまといます。
それに、あの夫婦は最近、着ている服も良くなってるけど、あれは農業が成功してるのか、花子か村岡が援助してるのか、それすらも良くわからない、大事な所が説明不足なんですよね。
花子は良く田舎に帰るのに、かよは脱走してから初めてあの結婚式で甲府に帰ったのかと思うと、不思議すぎます。
やはりヒロインの家族、特に両親の性格設定とか丁寧な描写は大事だな、とつくづく感じます。
> 特に脚本は玄人好みですね。
誰が玄人なのか知らないけど玄人でこのドラマや
脚本を褒めてるの聞いたことない(笑)
玄人が褒めようが自分はおかしなドラマだと感じてる
これが最高傑作なら他の朝ドラがかわいそう過ぎる
このドラマは、「題材の(=白蓮の)話題性で高い視聴率を上げたが、脚本には批判が殺到した」特殊なドラマとして、朝ドラ史に名を刻むことになると思います。
わけのわからないドラマとして不評だったのに「純と愛」がありましたが、あれはあれで、実はコンセプトがはっきりしていた。今までにない実験を朝ドラに持ち込もうとして、結局は失敗したのですが、でも、分かっている人たちからは支持も一定ある。
このドラマは、コンセプト自体がぐらぐらで、おそらく、ドラマが走り出してからも、かなり揺れ動いているものと見られます。そうするうちに、結局なにをやりたいんだか見失って迷走していますよね。
しっかりした基礎や土台ができていないから、ドラマ全体が、いまにも崩壊しそうな危うさの上に立っていて、危険を感じた人はさっさと逃げてる。スリルを楽しむために踏みとどまっている人もいますが(笑)。私は、ときどき様子を見に来てますが、やっぱり途中で退散することが多いですね。
醍醐さん、好きなキャラなので、白蓮の小説なんかに関わってほしくないです。
それにしても、蓮子が身を隠していることはわかっているだろうに、同情したなら小説化して話題を呼んだりしちゃ駄目じゃない…。
甲府に身を寄せた蓮子だけど、朝市は登場させないでよ、と強く思います。朝市まで蓮子に協力するとかは絶対嫌だ。逆に批判・叱責する係だとしても関わらせないでほしいです。杞憂に終わればいいんですが。
いまダッチロール状態と言ってもいいかもしれませんね。いずれ墜落するのでは。
このままアンバランスにいろいろなエピが整理されないままだらだら続く。そして、終盤になってどっとスピード解決。視聴者置いてけぼりでポカーン(FIN)…になるのではないかと。
全くの私見なのですが、中園さんみたいな脚本家さんてある程度ターゲットが絞れるような視聴者向けの作品はそれなりに作れるんじゃないでしょうか。
女性で恋愛中心の軽めのドラマが好みの人向けとか。
そういう人がどういうものを求めているかはそれこそマーケティングリサーチでもわかるでしょうしそれに基づいてウケるように作れる、とか。
でも朝ドラって老若男女、それこそドラマにいろいろと違ったものを求める人達が相手ですからそういう絞りかたができない。結果あれこれと試したりすることになってしまって焦点が定まらない、何を描きたいのかわからないドラマになってしまった、とかいうことはないのでしょうか。
でも最初に人にウケる、ということだけが目標、というのじゃ結局それはドラマではなくてコントとかバラエティとかワイドショーとかとコンセプトに変わりがないので、自分がしっかり「こういうものを伝えたい、作りたい」というものがあるようなドラマとはやっぱり違うものになってしまうと思います。
どうもこのドラマを見ていると、そういうことを感じてしまいます。
赤毛のアンなんて自分はそう好きでもない→でも世の中に好きな人は多い→単に村岡花子なんていうあまり有名でない翻訳家という地味な職業の人の話をそのまま作ったって人々にアピールできない→じゃあなるべく赤毛のアンで惹きつけて、そして村岡が関わった人としても女性の人権運動家とか文学者なんて小難しいわかりづらい人よりセンセーショナルな恋愛事件を起こした人を出してもっぱら話題を取ろう、村岡は一応看板、ということで・・・・そんなふうな安易、というか人気取り目的が根底にある。
勘ぐりかもしれませんが、なんだかこのドラマを見ているとそういう思考が隠れているように思えてしまうのです。話題性ということでは視聴率が取れれば御の字なのかもしれませんが。
ドラマはやっぱり見てる人には好き嫌いは出て来たとしても人気取り一番ではなくて作者が本当に描きたいことを真摯に作った方が賛否はあってもそれなりの見ごたえのある作品になり人々の心に残るのでは、と私は感じるこの頃です。失敗してもいい、でも本当に自分が興味があり好きなものを作る…ドラマでも映画でも作る人達には私はそれを求めたいです。視聴率や商業的成功ばかりを狙うドラマばかりができて結局視聴者もそれに飲み込まれて行く、そんなふうになって欲しくはないです。
村岡花子や柳原白蓮がモデル、と考えなければ、「いるいる、
そういう人」「わかるその気持ち」と、それなりに楽しめる
ドラマなのかもしれません(実際、視聴率は高いそうですし)。
高等教育受けました→英語できます!→期待の新人→でもイマイチ
使えない…
夫の一挙手一投足に対するどうしようもない生理的嫌悪感
文化も全く違う、知り合いもいない、どうしようもない閉塞感
「私のことを全く理解してくれない」となじるわりには、相手の
ことは全く理解しようとしない人
中園ミホさんはドラマ化するにあたって、村岡花子や柳原白蓮に
関する資料、当時の女性が置かれていた社会状況等を調べたことと
思います。そのうえで、なぜ、あえて「安東はな」を甲府の
貧しい小作農の娘と設定したのか。小作農の娘は最後まで
教育とは無縁の存在だったはず。必要以上に困難な状況を
設定して感動を呼ぼうとする。佐村河内氏に通じる違和感を
当初から感じていました。
いわゆる「柳原白蓮事件」をこのような形で矮小化してほしくは
ありません。同時代評価はあのようなものだったかもしれないし、
しょせんは「華族のお姫さまのわがまま」だったのかもしれない
が、女性の権利が認められていないなか、「自分を人間として
認めてほしい」という女性史のなかでは画期的な主張であった
はずなのですから。
翻訳家と歌人が主人公でありながら、彼女たちの「作品」が全く
でてこない。村岡印刷さんは、はなの翻訳のどこにほれこんだのか
(「王子と乞食」の翻訳文の一部でも出してほしい)、宮本は蓮子
のどの歌に打たれ、のめりこんでいったのか、セリフではなく、
「作品」で語ってほしいと思います。
村岡花子も柳原白蓮も脚本家からすれば触手を伸ばしたくなる
興味深い人物だとは思いますが、失礼ながら中園さんの手に余る
素材だったように感じます。
そうだと思いますね。要は、芯がないんです。ドラマでこれを伝えたい、というものがまるでない。
「ごちそうさん」などは、それが極めてはっきりしていました。これって、時代ものでは珍しく、職業婦人を描かなかった。ただ料理好きで家族を喜ばせたい女性、徹頭徹尾それを通しました。それが小気味よかったし、見る者を引きつける力になりました。料理好きがこうじて商売でも始めるのかと思ったら、結局は家族の帰りを待つおばちゃんになった、というのが痛快でした。これもアラはいろいろあったのですが、テーマの強じんさがそれを上回ったんですね。
今回はその逆。徹頭徹尾通したいテーマはなく、表面的な素材で人を引き付けようとしている。思惑どおりになる人もなっているが、ごてごての飾りの下は空洞で、飾りもすぐにボロボロになることを見抜いた人たちからは、指をさされまくり総スカンを食ってる。そんな図ですね。
> 佐村河内氏に通じる違和感を
当初から感じていました。
これ一瞬ウケてしまってちょっと笑ってしまったのですけど、よーく考えると結構怖い。
佐村河内さん、小保方さん、花子とアン・・・・たしかにどこかに共通点あるような・・・
このドラマが好きな人にはごめんなさい。
でもなんとなーくものすごい悪気があるわけでなくなにかに麻痺してしまった人々の鈍った本物でない創造力、それを見抜くことが難しい時代・・・そんなものを感じてしまいます。
はっきり言いますが、中園さんは花アンで、自分の無能力さを露呈してしまった感がありますね。それだけ朝ドラというのは、難しいジャンルなのかも知れません。
結婚してから特に影が薄すぎる村岡、もつれあう伝助と宮本を止めに入るも
全く役立たずで笑ってしまった。先日の記者殺到の時も頼りなさ全開でしたが、
こういう場面こそでかい図体いかして存在感見せて欲しい。
イクメンアピールはもうお腹一杯ですわ。
ついでに言うと、花子の「仕事してても家事育児ばっちりの良妻賢母アピ」も
わざとらしくて白けますね。
編集部時代、花子をあまりにもダメ人間にしてしまいファンから不評だった為、
急きょ「できる女」に方向転換したのかと勘ぐりたくなります。
もうすぐミシンを購入して洋服を縫い始める予定!
ブランド名はHANAKO
このドラマが最高の脚本ってことはありえないだろうなと思う。
ドラマをよく観るドラマ好きにはむしろ疑問しか生まないだろうと。
こんな支離滅裂で、脚本が崩壊しているのに、脚本を褒める方がいるってことに、心底驚いてしまうくらい、かつて見たことないほど酷い内容と思う。
雰囲気が好きとか、悪人がいないとか、花子がサクサク進んでいくのが好きって言う方もいたけど、脚本の粗さはわかった上で好きが勝ってるみたいで、それはわかる。個人の好みだから。
だけど脚本は褒められたもんじゃない。
ほとんどのキャラクターが花子に都合よく意思を変える。それによって毎度解決する。
他のドラマにも主人公に都合のいいキャラクターはいたけど、主人公やストーリーを解決のためだけに都合よく言うことがコロコロ変わり、その人がどんな人かわからないみたいなのはなかったと思う。
毎回違う人が前回の脚本を知らないまま書いてるみたいだ。
当初の予想を裏切り、あまりにお粗末な成れの果てに残念で仕方が無いのです。
肝心の翻訳の話は何処へやら(最後のほうでやっつけで入れる事確実)、
主役ばかり大事にして他者は踏みつけ、人の心も何も描けておらず、パルピ☆の嵐に終始。
無理やりこじつけてきた白蓮事件の描き方もまるでコント劇の如く処理されてしまいました。これは一体どなたのせいでしょうか。
表面上だけ綺麗に取り繕って見せているため確かに視聴率は良いでしょうけど、実際はハリボテのようなもの。テレビや舞台のセットみたいに表はそれなりでも裏にまわればベニヤ板と雑材で支えてあるだけです。最早そんなドラマにしか思えません。
ドラマの質の良し悪し関係なく、とにかく愚弄してやろうと悪意で批判しているような人はこちらには殆ど見受けられないと思います。多くの批判意見も的を得て建設的ではないでしょうか。
はじめて星をつけることになってしまいました。
直接対決も結局は伝様の一人芝居。上手いだけに悲しい。
自分のしでかしたことにきちんと向き合いつつ
だけど譲れないことを潔く伝える主人公のあとで
こちらを見せられるとどうにも…
比べちゃだめなのはわかっていてもあまりの落差に驚愕です。
主人公たちの幸せになる権利ばかりの主張。
ありのままに生きるには覚悟や責任が伴うのです。
そのへんはどうでもいいんですね。
だいたい間抜けな村岡弟の会話いる?
肝心要なところを駆け足で
余計なところだけじっくりってどういうこと?
あさいちのコメント良かったな
伝助の愛情はお金、小切手にいったいいくら書いたか気になる
有働さんも伝ちゃんと一緒になりたいと言うくらいファンなんですね
白蓮事件で引っ張り過ぎかなと思うけど、腹心の友としては納得がいく
翻訳家としてはこれくらいの描き方でいいと思う
訳して本を出してるっていう話しばかりじゃドラマにならないからね
これが中園さん流の白蓮事件の収束。あれだけ大乱闘した男たちが茶の間に座って5分で解決。終盤まで時間がないから、ある程度予想はできましたが、それを上回るスピードでした。
村岡家のパパママ呼びってそんなに気になりますかね(笑)
私はクリスチャンとかどうとかではなく、二人とも英語翻訳の仕事に携わっているし、村岡の弟など英国留学経験者だし、ということで感覚がモダンだったのかなって単純に考えていました。
実際の村岡家はどうだったんでしょうね。
これだけ否定意見が増えると肯定意見が書きづらくなるのもわかります。共感者がいませんからね。
サイトの投稿を減らして自分なりに楽しんでます。
蓮子の子どもの誕生から何かありそうな今日の展開でした。
伝ちゃんの愛情がお金しかないって、ほんとに不器用で可愛か男たい。
蓮子は自分の幸せだけを考えていいのだと思う。
史実では花子が白蓮事件とほとんど関わりがなかったとしても、ドラマとして二人を関係づけ、甲府の実家を登場させたような脚本、演出に違和感はありません。これからの展開に興味がわきます。
今日はまた伝助さんの回でしたね(笑)確かにお金でしか愛情を表現できなかった伝助。でも子供という愛の結晶が生まれたことで、裏切った妻を許さざるを得なかった気持ちが哀しいです。実際の伝助さんにはドラマでは描けないような事情もあって子供ができなかったようですが、やっぱりその点は大きかったでしょうね。
でも、それにしても白紙の小切手を渡して蓮子の持ち物を送ってよこすなど、やっぱり伝さまの大物ぶりが目立って宮本が小者に見えてしまうのは残念です。宮本役の役者さんは確かに演技も未熟で魅力もイマイチですね。でも吉田鋼太郎さんのあの胆の据わった迫力ある演技を見せつけられたら、他のどんな若手役者さんでも見劣りしたかも、と気の毒にもなります。それほど伝助さんが素敵なんです。
感動した郁弥の涙を見て初めて(?)かよが郁弥に心を寄せたような表情を見せましたね。郁弥は兄嫁の香澄に対する理不尽な仕打ちにも最後まで抵抗し庇っていたから、心根の優しい人なのでしょう。こちらの恋の進展も気になります。
伝助は何をしに村岡家に行ったのか
蓮子の行くを尋ねるためか
それとも先日の非礼をわびるためか
その辺がよくわかりませんでした。
おつきの人は伝助に忠実、伝助の人柄ゆえでしょうか?
電報であわてて甲府に駆け付ける
蓮子の兄に見つかるためのエピなんでしょうか?
もしそうなら
すぐに宮本が簡単に玄関に出たことといい
せっかくかくまったのに
ちょっと安易かなあと思ってしまう。
伝助よりの白蓮事件は面白いですけど
主役はいったい誰なのか?
と思ってしまいますね。
花子は脇役に見えますもん。
白紙の小切手をどうだとばかりに朝から見せ付けられて、嫌な
気分です。
自分はそれほど伝助は好きでも嫌いでもなかったのですが、
ここにきて延々と続く蓮子の逃亡劇や、昨日、今日の喧嘩を
何度も見て、正直、疲れる描写ばかりだと思いました。
あまりにも作者が伝助にばかり肩入れしすぎるとドラマが
崩壊しそうな予感です。
それと先週の土曜日の伝助が延々と3,4分近く物を破壊する
シーンは必要だったんでしょうか?せめて1分ぐらいにしてほしかった。家庭内暴力や親近者のDVに苦しんでる人が見たら
凄く嫌な気持ちのするシーンでした。今が夏休みだから子供に
も見せれないシーンが多いことも含めて扇情的なシーンが多すぎ
ますね。
蓮子の甲府でのやりとりがあまりにも他人事でのほほんとして
ついイラッとしてしまいます。あまりにも他人任せな連子と宮本
ですね今日も。
私は伝助が暴れるシーンはよかったと思いました。
このドラマを見て初めて泣けましたし
確かに伝助寄りではありますけど
それはそれで面白い。
史実でも地元では尊敬されていた人のようですし
>家庭内暴力や親近者のDVに苦しんでる人が見たら
なぜそこまで配慮を求めるんでしょうかね?
頑張ってというな、かわいそうというなと
言葉狩りをしたがる人たちとダブって見えます。
蓮子の私物はあとで送るから、と告げて雨の中、帰っていく伝助さんの後ろ姿が切なかった。
ほんとうに背中だけで哀愁を伝えられる役者さんですね。
たしかにこのドラマの伝助さんは魅力的に描きすぎかも。
そのせいで宮本がかすみ、蓮子への同情が薄れてしまった感はあるような。
でも今、甲府で見せる蓮子さんの幸福そうな表情は素敵です。
見た人が嫌だと思ったんだから、そんなに否定ばかりしなくても。
個人の感想なんだから。
やっぱり、ここってドラマ肯定の人がああだこうだと言うのが目立ちますよ。
他の方の感想を評論家気取りだ言葉狩りだと、ああだこうだと論じるより、自分の感想を書きましょう。
今回が初の見せ場だったと思われる宮本氏、回らぬ舌で『蓮子は受け取らない!』トホホ
結局、伝様の男気がクローズアップされることに。
しかし、村岡氏と宮本氏は最強の頼りなしコンビ なぜ二人で留守番させたかな?
郁弥の優しさも感動どころだけど…いかんせん演技が下手過ぎ。
かよちゃんが上手いからなぁ〜、村岡父も威厳があって素敵。
このドラマ若手の男性がもっと上手かったら、もう少し違ってみえたのに。
朝市と兄やんが上手いけど、今はほぼ出ないし。
>翻訳家としてはこれくらいの描き方でいいと思う
こう感じる方もいらっしゃるんだな、とびっくりしてます。
このドラマ、もし村岡花子の話って知らないで見ていたらヒロインが有名な翻訳家になる人の話、とは私は見えないと思います。
翻訳家の話だから翻訳してる場面ばかり描く、なんてことじゃなくてそのようになって行く人にはやっぱりそれなりの資質とかそれに向かう気持ちの継続とかがその日常に説得力を持って描かれなければおかしい、ということなのだと思います。
カーネーションの糸子だって年がら年中洋服作りをしているわけではなくごちそうさんのめ以子だって料理だけしているわけではないです。でもこれらのヒロインからはやっぱり一生を通じて途切れないものとして根底に裁縫や料理に対する人並でない興味や情熱が常に伝わって来ます。
でもこのドラマの花子はそういうふうには見えない。何となくいつでも本当の確たる自分がないようで、翻訳の話を離れてしまうとこの人が本当に目指しているものが何なのかまるで分らなくなってしまうようなドラマになってしまっています。
一つのものを目指し一つのことを成就するような人の話にはなっていないと思います。
まるで、「友情、恋愛ときどき翻訳」という感じ。
これはつまり、作者が翻訳家というものの本質が分かっていない、そこに興味があるわけではなく、人の違う部分に重きを置いていることの証拠だと思います。こういう作者にこの題材は不向きだったとしか言いようがありません。だから全体的に翻訳家の話であるにもかかわらず、文学性などが皆無、ということなのだと思います。この作者はなにか一つのことを成し遂げるような人物でなく、ごく普通にそのあたりにいるこれと言った才能や目指すものがないような女性の方がむしろうまく面白く描ける人なのでは?
家庭内暴力や親近者のDVを持ち出す必要はないということ。
「花子と蓮」
以前にも同じようなことを書き込んでいらっしゃる方がいましたが、やはりこのタイトルが良かったと思います。
そうすれば、花子に関わりの無いはずのエピソードに登場させるようなことをしなくて済んだのでは。
花子本人の物語もきちんと描けていないのに、他人の話に首を突っ込む展開は無理があり過ぎです。
生れ育ちが全く違う二人の女性、共に文学を愛し、情熱的な恋愛をする。
二人のヒロインの、本人に起きたことを中心に描くべきでした。
「ごちそうさん」はヒロインの家族やご近所の出来ごとに絞ったエピソードの積み重ねになっていました。
震災や戦争が起きても、自分の身の回りに及ぼされた影響がドラマの中心。
ヒロインが目の前のことにしか興味を示さないことに若干イライラしたこともありましたが、風呂敷を広げていない分ストーリーが破たんすることもありませんでした。
スッキリしていたと思います。
脚本家さんは史実を変えたけれど、変えた部分と事実が頭の中でゴチャゴチャに混ざってしまっているようです。
その上で二つの異なる話を一つにまとめ上げようとするのは、見ていて辛い物があります。
史実と違ってもドラマとしての整合性がとれていたり見ていて自然なものなら問題ありません。
しかしこの白蓮事件と村岡夫妻の関わりかたはフィクションドラマとしても無理があり過ぎて違和感ありまくりです。
過去にこれほど関わって来て蓮子が駈け落ちする時の口実に使われたような友人が後始末まで関わってかくまう、なんて普通の話としてありえません。村岡夫妻が蓮子とずっと関わり続けていてそこに捜索の手が何か月も伸びなかったなんていうこと自体が話としておかしすぎます。
ごく普通のフィクションとして見ても話の作りかたの不自然さは三流以外の何ものでもないと感じます。伝助が何か月もたって花子の家をたずねたら宮本がいて…なんてあり得なさ過ぎる設定もいいところです。
ドラマ内で史実と違うことを描くなら、プロの脚本家さんならもう少しまともな前後の整合性のある話をつくっていただきたいものです。
>ここってドラマ肯定の人がああだこうだと言うのが目立ちますよ。
それは、否定派も同じだと思います。
村岡花子が翻訳家になれたのは
ミッションスクールの女学校で高等教育を受け
異文化に触れた生活を送れたこと
そこから高名な方たちのと出会いや学びがあってこそ
なんですよね。
白蓮以外との出会いはすべてなかったことにしてしまい
今は白蓮事件が主体
話としては花子より面白いけど、児童文学の翻訳家になるには全く関係はないですよね。
タイトルを白蓮と花子にすればよかったのにと思いますよ。
これから蓮様と子供と3人どやって暮らしていくの?宮本は学生辞めて働くの?伝様に、そんなお金は受け取れないとか言ってる場合か?!蓮様を横取りしといて謝罪の気持ちは全くないんだね。
もとを正せば、蓮様兄が金のために無理やり結婚させたのが悪い。あの兄を一番こらしめてやりたいわ。
本を訳して出してばっかりでは…っていうか、そんな場面ほとんど出てきてないと思う。翻訳家としての描写は、ほんとに刺身のツマ程度しかない。だからさすがに「あれ?これなんのドラマ?」となる。別に恋愛も友情も描いてくれていいんだけどね。
それに、翻訳の仕事と言ったら辞書で意味を調べるしか場面として出せないのはちょっと発想が貧困なんじゃないかな、と思ってしまう。もっと今訳している物語の内容を見せてくれてもいいんじゃないかな。そこで花子がどんな風に想像の翼を広げて、翻訳に活かしていくかを見せてくれてもいいんじゃないかなー。そりゃ机の前で辞書引いてるシーンばっかりだったら、そんなシーンばかり見てもしょうがないってなっちゃうよ。
翻訳家としての花子ではなくて、恋愛や白蓮のことをメインに描きたかったなら、アンという名前をタイトルにわざわざ入れない方が良かった。この名前が入っていれば、翻訳家としての人生を描いた話だと多くの人が思っても仕方ない。
> 家庭内暴力や親近者のDVを持ち出す必要はないということ。
家庭内暴力やらDVと伝助の暴れる場面が結びついてしまったりああいう場面を子供に見せるのは・・というのは個人の感想だと思います。自分はそうは感じない、というのはいいと思いますが、そういうものをここで持ち出すな、とまで言うのはおかしいですね。
それぞれがドラマを見て感じたことを自由に書いていいのがここです。
同じものを見ても自分が感じないような事を感じる人もいるのだ、ということを理解しなければ感想サイトの面白さはありません。
花子と蓮子、どっちがメインだ?仲間さんの方が目立ちすぎる、でもやはり主演は吉高だし、というのなら、今、流行の、ダブルヒロインということにすればいいのでは。ふたりとも不倫やら略奪愛やら駆け落ちやら を経て、ありのままの愛と人生を貫いたということで。
>それは、否定派も同じだと思います。
否定している人たちは少なくとも肯定派にこう言うな、こんなこと書くな・・・そんなこと言ってる人いないよ。
伝助さんは確かに愛情表現が下手。
それでも、宮本さんのおバカっぷりには脱力。
反抗期の中学生かと思う様な捨て台詞に涙です。
「お金は受け取らない」!?
伝助さんがくれた物を「お金」だと思っているんだ。
姦通罪で捕まることを怯えながら、コソコソと逃げ隠れして生きていかなければならない身の上。
その二人が、堂々とお日様の下で子を産み育てることが出来る「明るい未来」を貰えたのに。
「二人と子どもの未来」なのに。
「そんなもの」「受け取らない」??
このドラマのテーマは「恋は盲目」ということでしょうか。
アンはどこかに行っちゃったようですねw
そりゃそうだ、花子とアンは関連があっても蓮子とアンは関係ないから。
タイトルと内容がまるで一致しない部分が多いこと。
こんなのあり??
元々花子とアンだって人生全部に関わってるわけでもないのにアンを入れときゃそれで人の気を引くことができる、っていうような意図が見え見えでなんだか今さらながらこのタイトルがこっ恥ずかしい感じがしてしまいます。
>家庭内暴力やらDVと伝助の暴れる場面が結びついてしまったりああいう場面を子供に見せるのは・・というのは個人の感想だと思います。
自分が見て嫌な気持ちになるのは否定はしない
自分以外の人の気持ちを持ち出すなということ。
蓮子さん、着物が普通になってから昔のようなオーラなくなっちゃいましたね。細かいことですが、蓮子さんの着てる着物って花子から貰ったのかな。
そういう細かいことが抜け落ちてるドラマだと説得力がなくなりますよね。名作っていわれてるドラマって、あれはどうなったとか末子の部分での疑問があまりないんだなと気づきました。
それにしても蓮子さんって花子が助けにこなかったら、伝助に連れ戻されてましたね。
前作では食欲をなくしていた女性がさんまを食べるシーンで大騒ぎして借金のシーンでも踏み倒し云々だと何かあるたびに過敏に凄かったのを思いだしました。それを考えると「花アン」の過激シーンで騒ぐ人があまりいないのが不思議でしたが、確かに伝助の暴れるシーンはくどすぎましたね。あれに感動する人もいれば逆の人もいるでしょう。
2014-07-25 10:34:56 名前無しです。
何だか自分の意見が何度も批判されてるようですが、意見の自由がないんですか?
>自分が見て嫌な気持ちになるのは否定はしない
自分以外の人の気持ちを持ち出すなということ
あまりにもヘンな意見ですね。
自分が正直にそう感じたから他に嫌な思いをする人がいるかもと思ったんですけど。自ら書きたくなかったけれど、私、多少のDV被害の経験者でもあります(正直に書くとドン引きされちゃうと悪いので少しオブラードに包んでました。正直に書かなかったのは謝りますけど)
自分がドラマ見て実際、嫌な気分になったのだからその言葉すらも否定しないでもらえますよね?
言葉狩りはそちらでは?過干渉すぎやしませんか。
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