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ドラマの感想
今日は、久しぶりに胸を打つ場面があった。伝さんの無邪気さ。その夫に対して 心から 礼を言う蓮子 。
結果が判っているので 見ていてつらかった。
そして、花さんへの出産祝いが残されていた事で
異常な事態を悟る伝さん。
上手な役者さんが演じると、胸に響きます。
ただ、その後の美輪さんの 愛の讃歌 とスモークで冷めました。
なんて ベタな演出なんだろう。
なんか バラエティー番組のショートコントを見させられているようで
折角の役者さん達の お芝居を台無しにされた気持ちです。
今日は、皆さん それぞれがその立場の良い演技であった と感じていたので
こんな 三文芝居の様な演出が残念でした。
> そのあとのシーンが自分にとって納得のゆく、あるいは感動できるものなら。
そうでしょうね。納得が行く人にとっては、ね。
納得なんていうものからはもう対極にあるものなので、へんなところはへん。ご都合でも流せるものとそうでないものってドラマにはありますが、このドラマのご都合はもうほとんどが鼻につき過ぎる嫌な感じしか残らないようなご都合ばかりです。あの店で、というのは別に嫌な感じでは全然ありませんが、ただアホくさいって感じるだけで、ご都合が鼻につくのは主に花子周辺の方ですが。
あくまでも主役は花、吉高由里子ですよ。蓮子パートだけ気合い入りまくってるじゃないですか。プロとしてお金をもらって脚本を書いているんだから最低限の仕事はしてください。
>あくまでも主役は花、吉高由里子ですよ
でも、伝様のシーンと花子のシーンと
脚本の出来が違いすぎる気がする。
蓮子が無事に(?)駆け落ちに至るまでの宿での展開は確かにご都合かもしれませんが、ハラハラドキドキさせるドラマとしての常道だと思います。15分という短い時間なのでそりゃないわ、と思う人はいても、それが蓮子の焦りや葛藤を描いているわけで、許される範囲かなと思います。
こんな作りかたのドラマに私はハラハラドキドキなんてしません。
だってこんなのより駈け落ちを描くにしてもよっぽどスリリングだったり思いっきり笑えたり二人の気持ちにちゃんと寄り添えるように描いてくれる優れた脚本なんていまどき他にたくさんありますもん。
連さま、宮本さんと会えて良かった! ハラハラドキドキしました。
愛の賛歌が流れ、鳥の羽が舞い散る中での二人の抱擁シーン、すごく良かった。
でも伝助さんの気持ちを思うと、手放しでは喜べないところが辛い。
ハラハラドキドキはしない
ひたすら伝ちゃんが可哀想だった。
あんなに、蓮子を大事に思っているのに。。。
いまどきあれほどクサい駈け落ちの演出ってのも別の意味で勇気あるよ
伝助は女ったらしだし、蓮子も若い男の元へ向かおうとしているから
ほんと悪い奴らだよ。
花子と村岡は変わり者の変人夫婦だし、このドラマはいいところがないよ。
蓮子がカフェへ向かう場面、何だかいつもと違うBGMだなと不審に思ったら美輪さんの愛の賛歌だったので、へえこの曲ってこう使うんだ、と驚いたり感心したり、美輪明宏さんがナレーションに選ばれた理由のひとつはこの曲をながすためだったのかと納得したり笑ったりいろいろしてしまいました。
でもどう自分に言い聞かせてみても、あの宮本が伝様よりどこがいいのかわからない。また村岡が朝市より何がいいのかわからない。男を見る目がなさすぎる。
ここに来て花子変人説が浮上しているのがなんだかおかしい。
変人は私は実は嫌いではありません。
筋が通った変人はむしろ好きです。
花子というヒロインには一本筋が通ってなくて、まわりの
お膳立てやらその場でコロコロ変わるようなところが嫌いです。
あれだけ仕事してて料理も得意みたいなここでも都合のよい
持ち上げみたいなのいやですねー。んな訳ないだろ?って思うw
考えてみたら当時の印刷会社の社長の息子宅ですよ。女中さんは
当然いたでしょうから、あの弁当は女中さんが作ったんです。
それを自分が作ったふりしてるんですよ。って脳内変換して
みました。
脳内変換って負の方向へも使えるものだったんですね。
たしかに宮本よりはどう見ても伝助の方が魅力的。
村岡よりも朝市の方がどう見ても魅力的だな。
はなが小さい頃の理由で自分を花子って呼んでほしいっていうのなら、自分だけのこと考えるんじゃなくて、妹たちのこともかよ子、もも子って呼んであげるくらいの優しいお姉さんになればよかったのにって思うなあ。
なんかどこか、というかいろんなとこがヘンなドラマ。
かよ子、もも子そして花子・・・
こぴっと姉妹のできあがりだ。
ほんとにそうなったら、もうギャグだね。
あまちゃんよりも笑うかもしれないよ。
コントのLIFEが再放送されてるのかと思ってしまいました(笑)
今時、あの演出は小学校の発表会でも生徒から却下されそう。
朝イチでも二人笑ってたし、やらかしましたね。
花さんの執筆に疲れてストレッチが、全然執筆の大変さが伝わって来なくて。。、、
吉高由里子さんの口が裂けた? 前より口角が上がって、今はやりみたいだし、そっちに目がいってしまう
それと、美輪さまのプロモーションみたいだった
あそこまで歌を流すのは違和感
エヌエチケイどうしたのっとられた
このドラマが全体的にすでにやらかした、って感じなのでもういいんですけどね。
なにがあっても驚かない耐性ができてきたようです。
ちょっと前までここはすごく良かったです、なんて一応気を使って書いていたんですが、最近は自分でもキツイなと感じることがある批判をバンバン書いて毒をはいてるような始末。
でも心の中では切り替えてそれこそLIFE感覚で見ているところがあるので最近では仲間さんの演技までコントに見えるようになって来てしまって。視聴率貢献の人の中には私みたいな人、ご家庭もあるんじゃないか、なんて勝手に思ってます。
駆け落ちのシーンは
昭和の香りが残る演出でしたね。
ギャグにしたいのか!
花子と呼んでは
前回のごちそうさんで例えるのなら
何でも最後にごちそうさんと言っていたと同じように
何かあると出したがってるだけのように思えます。
タイトルも花子とアンですし
前作は場面によっては感動するシーンもありましたが
今回は一度もないですね。
私ははなは、もう脇役くらいにみてます。
蓮様と伝様が素晴らしいから。
家事育児仕事もこなし幸せな妻の座守る最高のとき
差し入れの思いがけない弁当に喜び隠し急いで箸を
ごきげんよう別れを告げて走り去り恐れも知らず愛を貫く
籠の鳥今この時と飛び出して自由求めて強く羽ばたく
金色の黄昏染まる街角をあなたの待ってるカフェへと急ぐ
これからはあなた一人が頼りなの身体一つで飛び出たからは
抱きしめて震え止まらぬこの細身あなたの胸に壊れるほどに
命かけあなたの愛にすがりつつ愛ある限りあなたのそばに
残された祝いの品を前にして妻のつきたる嘘の悲しさ
では、また明日
伝助さんがとてもいい人で、吉田さんが魅力的に演じているのに対して不倫相手の宮本は役者も棒演技だし魅力がない。蓮様と宮本の不倫は微塵も応援できませんな。
応援まではいかなくとも少しは肩入れできるカップルなら面白くなってくるんだけど。
「花子と呼んで」というエピソード自体に違和感はありません。
抑え目の演出なら、今不満を書き込んでいる方々も目くじらを立てることは無かったのではないでしょうか。
しつこ過ぎる。
コレに尽きると思います。
脚本家さんが、このセリフが大好きなのでしょう。
コレを言わせるために、わざと周りの人々が「はな」と呼び続けているが如くです。
結婚式もリハーサルがあったはず。
(入場の手順もきれいでした。)
リハーサルの時に牧師先生にお願いしておけば良かったことです。
何とかこのセリフを言わせようとしているように感じるから、不自然、違和感、変な人…となってしまうのでしょう。
決め台詞だと思ってしまったのかな?
ウンザリしてしまいました。
肩の力をぬいて観たら楽しいドラマでした。
わたしは子供時代ならともかく大人になっても~と呼んで、なんて言ってる人って何らかの理由がなければ思いっきり違和感あるなあ。長い名前とか難しい、とか言いにくい、とか運勢学上何か問題ある、とかならわかるけど。あとペンネームとかは別。ニックネームも別。
それに大人にそう言われたら周りはたいてい呼んであげるものだよ。これ見てると言う方も言う方、聞かない方も聞かない方って思う。他のことはみんなはなに好意的で持ち上げてばかりだし、周りが恋のお膳立てまでするのになんで名前だけは頑として村岡さんしか呼んであげないわけ?
先生が授業するのに子供の前でそれを強要したり、結婚式のあの場であんなこと言うなんてやっぱり普通じゃないなあ、って感じる。
たぶん赤毛のアンのエピを作者が気に入ったか何かで無理やり入れ込んだために、結局自分で回収し切れなくなってボロが出た、って感じにしか思えない。毎度毎度聞かされる方はホント、うんざりでとっとと周りが呼んであげれば満足するのに、って思ってた。
ナンジャコリャー。
ほんとにコントにしか見えなくて、仲間さんが表情豊かに演じれば演じる程コントにしか見えなくて…なんか可哀想になってきた(涙)。
実は一番やりたかったに違いないと常々言われていた白蓮事件がこれ…。私、このドラマの脚本家とも演出家とも、全く感性が合わないんだと思う。
昨日スタバに出ていた鈴木さんが、相当英治とシンクロしてしまい気持ち的に辛かったとか、子どもの名前を考えるシーンが本当に幸せだった、とおっしゃっていたけど、それはきっと吉高さんも仲間さんも皆さん同じ、並々ならぬ思い入れで演じていらっしゃるはず。でもそれがちっとも伝わってこない、むしろギャグに見えてしまうような脚本と演出になんだか腹まで立って来た。
いや、でも脚本も演出もきっと、ガチの本気でやっているのは一緒なはず…。
昨日、視聴者と脚本家の感性が似ているかどうかで、ドラマの見方が全然違ってくるみたいな話があったが、このドラマは感性の合わない人の振り落としっぷりが激し過ぎる気がする。今まで見た中でも感性が合わないなと感じるドラマはたくさんあったが、何を描きたいのかが理解できないとかいうものはなかった。でも花アンはわからないことが積み重なり過ぎて、何もかにもがおかし過ぎて、最早どう突っ込んでいいかもわからなくなってきてる。
今日の放送でハラハラしたり感動している方もちゃんといる。それはそれでいい。どんなドラマでも好き嫌いはある。意見の相違はあって当たり前。ただ楽しめている人と振り落とされた人との感じ方の乖離が大き過ぎるで、そういう意味でこのドラマはちょっと偏りが過ぎているのではないかと。パッと見、誰もが楽しめるような外見だけど、実は感性の合わない人にはドラマにすら見えない。
あんまり厳しい批判は書きたくないと思っていたけど、正直な感想がこうだから、もうしょうがない。
出勤途中だったのでラジオで音声のみ聴いていたのですが、しばらくの無音の後、突然「愛の賛歌」が流れ始めたので、放送事故かと思っちゃいました(笑)
そして気づいたのは、歌っているのはたぶん若き日の美輪さん。すごい投入の仕方ですね、早くも美輪劇場と呼ばれているようですが。
で、それをバックに、白い羽が舞う中熱い抱擁を交わす二人、すべてを察した伝助の切ない表情、、、とな? すごいですねえ。
これはとても、朝にふさわしいあっさり爽やかな話とは言えませんが、とにかくどういう展開になろうとも、説明(言葉でなくてもいい)をはしょらず、きちんとした着地点に着地させることです。
中園さんにできるかな?
前ドラマの「ごちそうさん」もしつこいと言えばしつこ過ぎるほど出て来たけれど、ごちそうさん、って言葉自体普通の人が子供でも大人でも一日に何度でも言っておかしくない言葉ですしね。それにドラマ自体のテーマにちゃんと合ってました。というかタイトルそのものだし。ひとつひとつのごちそうさんがシーンに合って効果的に使われてたからそこから感じ取れるものもそれぞれ違うもので趣きがありました。
このドラマのはな子と呼んで、のように単なる耳障りなものとはまるで違うし決めぜりふとして比較にはならないと思います。
何で羽が舞っていたんでしょうか?
白蓮事件にふれても良いのかしら。
嫌な方は飛ばして。
お茶の間だったらごめんなさい。
伝さまは駈け落ちをした蓮子に家財道具を送ったと史実にはあるんだけど、それ送り返しているのよね。これって嫁入り道具? それともわざわざ蓮子が困らないように調達したのかな。
史実では怖気が立つ人間だと自分は感じたけど(蓮子にとってみれば)、ドラマではマイルドに見えて俳優さんもお上手だし、これで家財道具まで送られてきたらますます伝さまの株がうなぎ登りに。
大丈夫なのか?
と、中園さんに尋ねてみたい。
二人がピエロにならないことを願っています。
はなは料理がいきなりできます!設定にまたキタか、と肩を落とさずにはいられず。過程が描けないというか、上手くなったねというひとことがあれば空白だった時間を察することができるのに、と青色吐息でした。
今回ははなが主人公でなかったので感想は以上。
籠の鳥が自由になり飛び立ったからでしょ!(笑)
羽そういう意味だったんだ、本当にわからなかった。
いきなり洒落たことをされるとわかりませんよ~。
甲府でもかよとの同居でも、全部やってもらっててはなが家事をしているシーンはひとつもなかったのに、女学校時代も英語以外はお裁縫とか全般苦手だって言ってたのに、今日の突然のお弁当作りで家事も仕事も子育てもパーフェクトな花子アピールがわざとらしくて…。
でもこんな本編になんの関係もない所まで気になるようになってきたとは、アンチの末期症状がきているのか。ほんと、このドラマ見てちょっと性格歪んだかなあ…。
ぜひ「カーネーション」を見て、リハビリしてください。
皆さんがあんまり、カーネーションを褒めるので見たことなかったけど何話か、見てみました!皆さんの言ってる意味が良くわかった(笑)。
なんですかね、あの1話1話の密度。頭から尻尾まで餡子がギュウギュウな感じ。見た後の充実感の凄さ。
その後花アンを見ると、何かの原液を薄〜く薄〜く伸ばして全然別の味付けを足したみたいに見える…。
伝助さんよりも宮本さんに惹かれる理由はハッキリしていると思います。
宮本さんが文化人だからです。
蓮子は文学者であり、自分と同じように物を深く考えたり、執筆する人に共感するのでしょう。
資産があり、男気があり、優しい所はあるけれど、粗野で無教養で芸術を理解しようとしない伝助では、愛することは出来なかったのです。
共通の話題が無い人を愛し難いのは現代でも同じです。
このドラマでは、「文学が人の喜びとなる」というテーマの描き方が弱過ぎるので、二人を結びつけた物が何なのか分からなくなってしまっているのでしょう。
自宅での音楽会やテーブルマナーへのこだわりも、自分が馴染んだ文化的な生活を家族にも理解してもらいたいという切望があってのことだと思いますが、その思いがドラマでは伝わり辛かったように思います。
気取った態度で粗野な家族を貶めているかのようにも見えました。
蓮子にとっては、文化や芸術を共に語れることが自由への翼を得たことだったのではないでしょうか。
当時としては深刻な不倫駆け落ち事件をこれでもかと過剰演出することによってお笑いに持っていったのではw
表面だけ見れば(安っぽい)道ならぬ恋だからこそ盛り上がる激情みたいなものに仕立てているつもりかな
吉田さんの持ってる雰囲気のせいか、伝助が粗野で無教養に見えない。
一代で財を築いた大人物なのに
弱者に優しく思い遣りがあり可愛げがあるなんて男として魅力ありすぎやろw
あのお弁当は、英治が朝仕込んで行ったと思う、お父さんに渡す前に「ニヤリ」と笑ってたからw
実は家事や育児は彼がメインと見た。
食器は、英治が洗ってましたね。それが伏線としたら
ちょっと面白いかな?
ドラマでも史実でも
裁縫が苦手とありましたね。
料理はどうだったんだろう?
>吉田さんの持ってる雰囲気のせいか、伝助が粗野で無教養に見えない。
その通りですね!
宮本さんが文化人だから・・・と書き込んだ者です。
ドラマの宮本さんは、学生の分際でカフェに入り浸って(誰のお金??)、「ブルジョアは許せない」なんて言っているお子ちゃま文化人ですものね。
ドラマのテーマをもっと明確に描いてくれれば、人の気持ちの動きを追い易かったのだと思います。
美輪さんの歌声は鳥肌ものだし、鳥の羽根が舞う演出は嫌いではない。
でも何だろ、伝様がさほど酷い夫に見えないせいなのか、はたまた宮本の魅力不足のせいなのか、「全てを捨ててやっと自由になれた蓮子」という感じが全くなく。
だから愛の賛歌もミスマッチだな〜、なんだよこれ美輪さんのミュージックビデオかよ、と苦笑でした。
何故あのカフェで待ち合わせする?まあ、それは百歩譲って、かよが微妙に映り込んでたせいで、他の方が仰るようにコント劇場みたいだった!
あー
英治が今はやりのイクメンならちょっと微笑ましく見られるなー。
私もやはりわかりません、何故蓮子が宮本に惹かれたのか、、
そこのところこのドラマの中では殆どすっ飛ばされているので今日の只々自己満ぎょうらしい演出がアホらしく思えて仕方無い。
二人がひかれ会う過程を丁寧に描けばそれはそれだけで一本の名作にも
なるはずなのに勿体無いよね。
カーネーションと比べて申し訳ないのだけれど今まさに糸子が周防さんへの想いをジンワリ募らせているところ。とても切なく丁寧に心理描写されてグングン引き込まれます。2度目視聴なのに、一緒に恋してる気持ちになる。ごめんなさい、やっぱ差があり過ぎて残念です。
そうなんですよね。宮本の小物感が半端ない。青臭い文学者かぶれにしか見えない。ブルジョアに嫉妬をしているだけなんでは?とツッコミたくなってしまう。
小物なのにガツガツして見えて萎えてしまう。たとえば朝一のような草食系が文学を愛し、彼の性格でさえ道ならぬ恋に落ちるというのは、意外性があって見ているほうは面白いんだけどな。卑屈であってもいいんだけど、全面に押し出されると退く。出すなら蓮子の具体的なフォローが欲しい。
いままでの流れを見ると、蓮子はたまたま自分の崇拝者と親好ができた。彼は自分の台本にだめ出しをしてみせる生意気な青年(でもここに惹かれた)
ダメだしエピ自体はいいんですけど、具体的な事がなにも出てこない。そして左の活動を行う青年が尻餅をつくというエピソードが蓮子には微笑ましく映っているらしい。そして求愛されてパルピル。
文学の匂い無し。尻餅をつく前に文学論のひとつでいいから語って。これじゃうっかりな蓮子崇拝青年に自分の逃げ場を作ったようにしか見えないよ。
宮本に一回でもいいから人の道に外れることに苦悩して欲しい。苦悩するからカタルシスがあるんだよ。
蓮子出奔のあと、続く『あさイチ』では「置かれた場所で咲きなさい」。
渡辺和子さんがゲストでした。
うーん、痛烈な皮肉か?
NHKもバランスとっているな~と思いました。
「期待したほほえみが得られなかったなら あなたの方からほほえみかけてごらんなさい」
蓮子に一度は聞かせてあげたかった言葉の数々でした。
人にばかり求めて自分を省みない、蓮子はそういう癖を自覚していない様子。
本当なら駆け落ちしたって、このままの蓮子では行き詰まると思う。
家事もほとんどしたことがないし、口では「お金なんか!身分なんか!」と言っていても、結局お金と身分に甘えてきたお嬢様だもの。
相手も世間知らずでいきがっているだけの若者だし。
でもこのドラマだと、好きな人と一緒で幸せ、で済ませちゃいそう。
せっかく長い時間白蓮にスポットを当ててきたのだから、このあとの成長や気付きをきちんと描いてほしいです。
イヤイヤ彼は、同志たちに経過説明してるくらいだから
皇族の血筋の蓮子さまの目を覚まさせて悪の資本主義から
さらう王子さまになってるのでは?
待ち合わせ先を、必ずドミンゴにするあたりも
かよちゃんがお見通しじゃんね〜。
作者が何も考えてないのか?予算の関係でセット組めないのか?
わからないけど、いちいち覚悟があるようには見えないのがガッカリ。
今日はびっくり!
まったくもって宮本と蓮子さんから熱い思いが伝わってこなかった。
ここまで何も感じさせてくれないとは…。
しかーし!ナレーションが歌うという斬新な盛り上げ方にずっこけつつ、ちょっと感動してしまいました(笑)
二人の演技より美輪さんの歌の方が趣があって素敵だった。
周防さん役の人若いのに存在感あるし、上手いもんねー。
彼が宮本役だったらこの脚本でもマシに観えただろうか。
仲間由紀恵に★1つ。なんだかんだ言ってもうまい。いつもはねっとりした言い方がかなり気になるのですが、今日は目の演技が中心で、表情が際立っていた。これぐらいのレベルは役者としては普通なのかもしれませんが、あまりに宮本役がアレなので、安心して見られる人が傍を固めていた、ということで。吉田さんは、今さら言うまでもない。
しかし、最後の演出は見られたものではありませんでしたね。あんな突然おこりにかかったような熱唱を大音量で流しながら、スモークは炊くわ、抱き合う二人にスポット当てて羽をまきちらすわ・・・何ですかあれはいったい。静かな映画の中に、突然安物の大衆演劇をねじ込まれたようなとてつもない違和感です(大衆演劇が安物だと言っているわけではありません)。相変わらずですねえ。ため息です。
おいおい、何を言っているんだ。
綾野剛は遥か向こうの人、こんな低レベルドラマ
になんかでませんよ。本人から却下でしょう。
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