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史実でどの時点で改名しようが、それが創作であろうが、それをするにあたっての花子の心情、そういうものを創作物のドラマとして見ていて納得できるような話に作り上げることがその作者の力量だと思います。「はなは花子という名前が気に入っていたのでまわりを説得してついに変えました。」なんていう描写ではドラマにはならないです。
村岡花子(旧姓・安中、本名・はな)
ですよ。
もし違うのなら
大田区はHPを訂正しないといけないですね。
改名というのがどういう意味でここで言われているのかわかりません。本当の意味での改名なら戸籍に記されている名前そのものを変える、ということになりますがそれは相当な理由がない限り簡単にはできないことと思います。ドラマの感想欄で追及しなくてはいけないことでもないように感じますが、もし改名という言葉を使うならどういう意味で使われているのかははっきりさせていただきたいとは思います。
別に花子と言う名前にしたかったから、花子に変えたってことでいいと思うけど。
小さい頃から、花子の名前に憧れていて、ペンネームも花子にしてるくらいなんだから
それで理由付けには十分でしょう。
>実際の村岡花子さんもご自分で名前をはなから花子と変えたようですし、それほど非難すべき点ではないと思います。
はなが花子にこだわって名前を変えたことを皆さん非難しているのではないでしょう?キャラクターとして確立している、というのはああ女の子がまた言ってるわ~で流せてそこにドラマのキャラとしてなんの疑問も感じない人だけが言えることだと思います。
幼少の頃のはながこだわるのは子供らしい思いとして理解できてもその後になぜそれほど花子にこだわるのか、なぜ親がつけて皆がそう呼んできた「はな」じゃ気に入らないのか、結婚式の牧師さんに対してもそれを主張するのはなぜなのか、ちっともはな自身の口から語られない。そういうことが疑問・・・だからしつこい、って感じてしまうまでの視聴者がいる、ということだと思います。私自身も名前にこだわるヒロインがいたっていいと思いますが、いくつになってもそんなことをさしたる理由もなくただ言い続けるならやっぱり相当ガキっぽい思考力ゼロの女性に映ってしまいます。こだわりはいいけれどその描き方があまりに稚拙だと思います。
アンのゆりかごでは
小さいころから花子にこだわったという描写はないんですよね。
女学校で上流社会の人たちと過ごし
庶民的なはなより花子に憧れた
というくらいだったかと
アンの小ネタを入れるために
もともと、甲府の田舎で学校にも行っていない
字も読めないまだ幼い花が
花子とよんでくりょう
としたことが不自然すぎたんですよね。
アンは自分の父親がつけた名前のスペルを大事にしていただけなのに。
花子と呼んでと真逆ですよね。
> それで理由付けには十分でしょう。
まったく十分ではないと思います。
だって見ていて違和感がありますもん。
大人になってもこだわっているならまわりから「なんで?」って
聞かれることがあってもいいし、まわりだって本人がそんなにこだ
わってるなら普通呼んであげますよね。
腹心の友でさえいまだに「はなちゃん」。ずーっとそれを聞かされてる
まわりの人たちだって英治以外は呼んであげなかった。
なんで?どう見ても不自然。
たった一人そう呼んでくれたからこの人が好きになりました、って
解釈してほしいってこと?????
アンのエピをこじつけたかったからこうなっちゃっただけ、とか?
違和感があるかないかは、人によって違うだけ。
違和感が無い人にとっては、別段気にならないことです。
30近くにもなって「○○という理由があるので私の事~~と呼んでいただけますか」って言うのなら大抵の人は納得してそう呼んであげるだろう。
そうでないのに「~~って呼んでよ~」とだけ言い続けてるそういう年齢の女をどう感じるか、の違い。
自分はおバカだと感じる。
そういえば
初恋の君も
花子さんと呼んでいて
ときめいていましたよ。
これだけ拘っているのに
太鼓持ちの朝市や醍醐さんがなぜ花子と呼ばないのか
不自然ですよね。
> 違和感が無い人にとっては、別段気にならないことです。
違和感がある人はあるということをある程度理由づけて述べています。
違和感がなければそれでその人はよし。あるいはなぜ違和感がないのかを
考えて理由づけて述べて下さればよいと思いますが、違和感がないものに
理由も何もない、ということならそれまで。
もうそれ以上に議論としての発展性はないでしょう。
表札が花子になって英治以外の人は今、花子のこと何て呼んでるのかな。醍醐さんはなんて呼んでたかなあ?覚えてない。お兄やんははなって呼んでた気がするけど、聞き間違い?
皆が結婚を機に花子と呼ぶようになるのも不自然なような、はなのままでも変えた意味がないような。
醍醐さんは
花子先生と呼んでなかった?
それとも村岡先生だったかな?
皆さん今まで通り、花と呼んでますよ。
蓮醍醐さんは 花さん、蓮子さんも今日、花ちゃんと会えるって言って喜んでました。
あっ「村岡花子先生」って呼んでましたね!ありがとうございます。
でも、ちょっとおどけた感じだったし編集者としてはそう呼ぶだろうけど、友達としてはどうなんでしょうねー。それはまだ出てきてないですね。
“村岡花子”の名前が本と共に知れ渡ると、周りもだんだん花子呼びに統一する感じになるのかしら。
醍醐さんは原稿を貰う時だけは、村岡花子先生って言ってました。
2014-07-17 16:28:29 名前無しさん
書き込みしてる間に的確なお答えが投稿されてました。ありがとうございます。やっぱり突然、周りも変わるって訳ではないですね。
いいんですよ。個人的希望でこう呼んでほしい、ってのがあっても。そしてそう呼んであげる人もそうじゃない人もいても。
ただこれはだんだん大人になってくはずの一人の女性のお話。その人が、わたしこれだけはこだわってます、こだわってます、ってただ子供の頃から同じように言ってたって見てる方はなんだかわからなくて変だししつこい、結婚式にまでまた言ってるわ、変な奴、ってことでしょう。そしてそれをちっとも変とは感じない、という人もいるってことでしょう?お互いの存在は認めるべきです。
結婚を機に皆が花子さん、なんて呼びだしたら気持ち悪いドラマです。醍醐さんははなさん、蓮子さんははなちゃん、それでいいですよね。英治さんからは一生花子さんと呼ばれれば満足なんでしょう。あとは世の中の人に翻訳者、村岡花子を認めてもらうことですよね。そこにこそこだわった脚本にして欲しいです。名前変えるなら本当はそこへのこだわりがあってこそじゃないとおかしいよなあ・・・村岡花子が周りのお膳立てで人生歩んできました、みたいになってる割に変なことだけにこだわる女みたいになっちゃってる。まあこの名前のこだわりの描き方も含めて全体的に変な脚本!!
ああっ、2014-07-17 16:31:16 名前無しさんもありがとうございました!
皆さん、記憶力いいですね。私がぼーっと見てただけか。
名前へのこだわりはどこでもかしこでもやみくもに言い続けるのではなくて、それこそ蓮子が以前に言ったように「作品が世の中に出た時に」こそ、それまでとっておこう…それでよかったし、その方が文学(翻訳)を自分の天職、と意識したはなの転機、というのがハッキリしたと思う。
子供の時のこだわりはいいよ。でもその後はそこまで寝かして大事に扱ってほしいネタだったな。もうすでにはなは花子として作品を世の中に出していてそれを通じて「花子」の名は広がって行き自然に自分が花子になる日が来るのだから、あんなふうにあえて結婚式にまで変な自己主張をさせて不自然な展開にしたことは失敗だったと感じた。せっかくの翻訳家「花子」が生きなくなってしまう。
女学校時代、蓮子さんにペンネームを花子にしたらといわれた場面ありませんでしたか?花子になれるのは、おまんのおかげと、辞書を抱きかかえていた場面もあったと思います。はなにとって花子の名前は、文筆家(作家や翻訳家)を意味します。結婚後、名前を変えたのは、おやゆび姫のような素敵な本を作るため、本格的にこちらの道を進むことを決意したのでしょう。醍醐さんに村岡花子先生と呼ばれていることからも容易に理解できると思います。
友情を育み、恋愛をして結婚して子育てをするプライベートの「はな」翻訳家として仕事をする「花子」というのをそこで分ける、というすっきりしたものにはできなかったのでしょうか?
現実生活とは違う想像の翼を思い切り広げて仕事の世界にいる時は「花子」それを大事にしたいからペンネーム花子にこだわる・・でも日常生活では親がつけてくれた本名だし皆がそう呼んでくれてるからそれはそれで大切に思う。
同じ名前へのこだわりでも、そういうふうにしてくれた方がずっとスッキリ納得できるものになったと思いますね。何となくこのドラマの特徴としてプライベートと仕事をごちゃまぜにしてはばからない感じ、それが一貫していると言えば一貫しているけれどそのあたり仕事を持つ現代女性から見てどう映るのかな、と時々感じます。
何にせよ、結局はなの口から名前のこだわりがどういうことなのか、語られないのが一番の混乱の元じゃないですかね。
>結婚後、名前を変えたのは、おやゆび姫のような素敵な本を作るため、本格的にこちらの道を進むことを決意したのでしょう。
これをはな自身が実際言ってくれたら良かったと思う。視聴者の脳内補完で任せていい要素ではないと感じる人が多いんじゃないですか。何しろあれだけ連呼して、何か重要なキーワードのように見せてきたのだから。
それにそういう決意ってはなの翻訳家としての道程の中でも、重大な事ですよね。今までは編集者としてやっていくのか、翻訳家の方を主にやりたいのかも明言されてなかった。もし、名前を変えることの中に自分の人生の方向性を決めるそんな決意も含まれているのなら、異議ありの嵐なんかよりよっぽど時間を割いて描いて欲しかった所です。
コーデリアと呼んで…のアンネタとして花子と呼んでくりょう!なんでしょう。
翻訳家になる時のスイッチとかではなく。
はなって名前より、花子のほうが高貴な感じがするって思い込んでるだけでしょうね。
スタバの鈴木さん見ました。
声がなかなか渋いのとやたら白い歯が印象的。
すごく緊張していたのかな。普通のお兄さんて感じ。
はなとのパルピテーション名場面!なんてやってたけど、辞典をとってあげる場面となまけもの呼ばわりされる場面と傘の場面、プロポーズの場面だけで、改めて見ても印象に残るいいシーンというほどではなかったですね。やっぱり二人が想い合うエピは薄かったなぁと思いました。
鈴木さんも愛する妻がいながら(?)もっと愛してしまったはなへの想いを飲み込むという役の難しさ、について語っていましたがよくわかりませんでした…。妻には同情じゃなかったの?
>コーデリアと呼んで…のアンネタとして花子と呼んでくりょう!なんでしょう。
翻訳家になる時のスイッチとかではなく。
はなって名前より、花子のほうが高貴な感じがするって思い込んでるだけでしょうね。
私もそうだと思います。
2014-07-17 17:26:55 名前無しさん、 その通りだと思います。
この脚本の粗いところはまさにそういうところですね。
気にかかる、大事なことだなあ、ということが出て来てもその奥、とか根底にある人の思いとかものごとの過程とかがきちんと描かれていない。だから見ている人が疑問を持ってしまうようなことが多い。脳内完結などということで済ませて良い問題とそうでない問題はストーリー展開の上で当然あるものです。
そういう部分を描かずにただ人が気を引きそうな場面だけを羅列しているだけなので自然に登場人物に共感してついて行けない部分が多いのだと思います。
はなの名前のこだわりなどというのは当初からことある毎に出てくるものです。当然はなにとってそれだけのこだわりの裏には大きな何かがあると感じる。なのにいつまでたってもそれが明確に伝わって来ない。
結局そのあたり、村岡花子の人生全体を考慮してきちんと煮詰めないまま安易に赤毛のアンからのネタを気を引くために最初から入れ込んでしまった結果、このヒロイン自身の人生とうまくかみ合わないでただ単に名前にこだわる、という現象だけが浮いてしまうような方向へ行ってしまったもの、と私は解釈しています。
ハッキリ言ってこんな変なこだわりかたなら要りませんでしたよ。
村岡花子さんの価値観みたいなものを下げただけ。
アンネタ入れるならもっとちゃんと考えてご本人を下げることがないようにだけはして。
>はなって名前より、花子のほうが高貴な感じがするって思い込んでるだけでしょうね。
何才になってもこう見えちゃうから単なるおバカに見えるんだよ。
本物の花子さんが気の毒すぎる。
脳内完結なんかしなくても、簡単に理解できましたが、人それぞれ受け止め方が違うしょうね。
ほんと、簡単に理解出来ましたが、人それぞれなんですね。
カーネで糸子が周防さんを意識するくだりを演ってますね。
フアッションの勉強を二人だけでするんですが、一つの本を二人で見る距離の近さ。
針山の針を取ろうとして手が触れ合う、休憩時間にする何気ない会話と常に向けられる優しい笑顔。
好きになっちまいますよ!糸子でなくとも!
花アンでも、本当に数少ない貴重な場面として本取り、傘落とし、プロポーズがありますけど。
実際にこの少なさで好きになるのは至難の技、どんだけパルピなんだ?
スタパのスタッフも選ぶの簡単で嬉しかったろう。
一々 カーネのこと書かなくても、花アンの感想だけでいいと思います。
簡単かぁー。
多分そういう方は中園さんと感覚が近いのかもしれませんね。
理由があるわけじゃないんですよ。花子へのこだわりがもう。作家としての名前にこだわる理由はわかります。花子と出したのに、はなになってる!と怒ったことがありましたね。
あれは当然だし、わかります。
蓮子とのやりとりからもペンネームで安東花子にする!というのには明確な理由がある。
だけど、本名まで花子にこだわる理由は出てない。ペンネームだけではなくて、常に花子でいたいというのが。
子供の頃におじいやんに語りましたが、普通に観ているとペンネームにする、というところで落ち着いたようにみえます。
ペンネームだけじゃなく、花子として生きたいというのがわかるところが出てこなくて、ずっとはなと呼ばれていても何も言わないのに、ある日いきなり花子と呼べが出てくる。
これは簡単に理解できるものではなく、感覚のような気がします。
1年365日、朝食の時間にテレビがついてるので、観たい訳ではありませんが、日曜日以外は必ず観てますけど‥ここ最近で、一番ヒドいと思います。
ともかく、主人公のやってるコトが分からない、だから共感できない。
おまけに、芝居まで下手!悪いけど、感情が伝わって来ないんです。
朝の15分って大事です。
でも、今までは‥その15分で泣けて笑えるドラマを作ってこれたはずなのに‥残念です。
改名出来る条件として
☆商売上
☆長い間、通称名として使ってきた。
と言う項目がありますので、翻訳家として村岡花子のペンネームを使っていて、花子への拘りもあるし、
結婚を機会に花子と改名したからって、そう無理な流れでもないような気がしますが。
比較対象は別に良いのでは?
お茶の間に行けとw
ここのコメ、落ち着いたというのでしょうか。
門番みたいなの方々もいらっしゃるし、自分には真面目て窮屈になりました。
もう来ませんさようなら。
花子ってただの馬鹿にしかみえません。
もう朝ドラで花子こと花を見るたびに
馬鹿が出てきたと思わず口にだすくらいに
酷いヒロイン、そして村岡花子には
がっかりです。
比べるのは自由です。批評って比較からも生まれるものですし。
私もカーネーションは、恋の情感が見事に描かれていると思いました。しかも格調を失わず切なく、情景が目の前に広がる感じで、何度も涙が滲みました。放送当時、朝バタバタしながらコマ切れに見ていた時はよくわかりませんでしたが、撮りだめたビデオを一気にみると、ドラマとしての質と完成度の高さに驚きます。毎回のつなぎに破綻もなく、流れもごく自然です。えらいドラマを見せられていたんだな、と目からうろこでした。
これと今回を比べること自体、大人と子どもを比べるようなもので、確かにあまり引き合いに出すのも意味がない気もします。でもそれにしても、同じ土俵での同じプロの仕事にこれほどの開きが出るとは、どうにも理解し難いものがあるのも事実です。
>結婚を機会に花子と改名したからって、そう無理な流れでもないような気がしますが
うーん。
ペンネームと本名の改名がイコールになる人のが少ないのでは??
先週の話ですが、お姉やんが何度も読んでくれたおやゆび姫…
昨日買ったみたいに綺麗でしたね。丁寧に扱っても何度も読むと、どうしても汚れてきます。
花が、本が好きってエピソードがちゃんとこちらに伝わってれば、別に気にならなかったと思いますが、
花が本が好きとか、花は本当に本が好きだな、とか周りの発言でしか説明されていないので、やっぱり口ばっかりだな、と思いました。
私、花子とアンで、性格悪くなってきてるんじゃ…
>脳内完結なんかしなくても、簡単に理解できましたが・・・
理解というのはどこまでが理解なのか、どういうものを理解というのか、はそれこそ人によって違います。
さしたる理由も本人から語られることもなく大人になっても花子と呼んでくりょう・・・これは理解できる人もいるかもしれませんけれど世の中でこういう人ってあまり見かけませんよね。
大人の言動として私は理解しがたいですね。
ペンネームとして仕事に使う、仕事をしている時は花子でいたい、自分の作品は世の中の人たちには花子が書いたって思って欲しい。これならわかります。
しかし全くプライベートな結婚式、神様の前で嘘や作り事は言わない、というキリスト教の人だったら常識であるような部分でまで、そして名づけた親や親しい人達の前で間であんなことを言うなんてこれが簡単に理解できる・・・・なんて私はなりませんね。幼稚でただ自分の感覚的なことだけを押し通す女性にしか見えません。
理解できるという人はそれでいいでしょう。
しかし理解できないという人がおかしい、とか認めようとしない、というのはそれこそおかしいですね。
名前のこだわりについてはそれぞれの見方があると思います。
ドラマの見方、どこを大切にドラマを見るか、によって違ってくるのだと思います。
脳内変換しなくても私も理解できますよ。ただ話の筋
だけなら。
ただしこのドラマのはなという人物が、ああそれだけの
人間だ、っていうことで。
脳内変換でもう死ぬほど補ってやっとやっとこれがあの
赤毛のアンを翻訳するようになる有名な村岡花子さんなんだ
ってそのくらいこちらが頑張らなきゃこれが村岡さんの話、
と思うことができません。
とにかくキャラの作りかた、話の設定のしかたが非常に
何かの勘違いですか?としか思えないドラマです。
うーん、あの時代に女学校で給費生として勉強して英語の成績もトップクラス。物語も書ければ翻訳もサッサと出来てしまう。
そういう人って普通は知的な女性ですよね。
花子は突然変異ですか。どんな欲目で見てもこの花子が知的な女性には見えません。
性格はああだけど、宇田川先生などの方がずっと知的には見えますね。ずば抜けて近寄りがたいまでの知的な女性を朝ドラヒロインには別に求めません。そんな人の話なら肩凝っちゃう気がするし。しかしこういうヒロインであまりに知性が感じられない描き方は何だかすごく違和感はあります。
>しかし理解できないという人がおかしい、とか認めようとしない、というのはそれこそおかしいですね。
>脳内完結なんかしなくても、簡単に理解できましたが、人それぞれ受け止め方が違うしょうね。
って書かれてるじゃないですか。 よく読みましょう
理解できたんなら何の疑問もないんだからわざわざ書かなくてもいいと思うよ。
ただ他の人のコメントに反応してるだけでしょ?
ひとそれぞれなんて当たり前のことなんだし。
>ただ他の人のコメントに反応してるだけでしょ?
ここはみんなそうですよね。
脳内変換でもなく理解できた、という方にはなぜはながあんな大人になるまでいろんな状況で花子と呼んで、というのか理由を説明して頂きたいです。
蓮子に学生時代、作品が出た時に花子にすればいい、って言われて納得したかに見えましたよね。そしてそのとおりにして自分の作品で名前の印刷が安東はなになっていたのに怒っていた。それは筋が通っています。でもそれならペンネームが花子なら問題ないことだと思うのになぜ牧師さんにまでああ言わなければならないのでしょうか。プライベートでまで改名したい、ということの理由は一体なんだ、と理解されているのでしょうか。そんなの人の感覚だから、では説明にはならないように思います。だってドラマってただ感覚的に作者がだらだら作っているようなものではないでしょうから。
>ここはみんなそうですよね。
みんなそうではありませんよ。
反応するなら人それぞれならそれぞれのそれを言う理由を書いている人が多いです。
あれだよ。脚本家の頭がおかしいから
このドラマを見て強い疑問が生まれるのだと私は思う。
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