



2.74
| 5 | 404件 | ||
| 4 | 98件 | ||
| 3 | 65件 | ||
| 2 | 105件 | ||
| 1 | 563件 | ||
| 合計 | 1235件 |
昨日のプロポーズをお受けしますの花子のシーンの吉高さんの顔がツンと怒ったような顔だったのが不思議だった。演出家さんももっと何とか出来なかったのかなぁ、とさえ思う。
演技の上手下手の問題じゃなくて、吉高さんがこの花子という役に心から入り込めてないような感じ。まだ、ドラマの初期のころ、かよが女工に行くとかの話を聞いたはなが泣き叫んでたころは頑張ってたのではないかな。
これが杏さんや高畑みつきさんなら顔をくしゃくしゃにさせながら真っ赤に本気で泣いていただろうと思う。あの作品であれだけたくさん感動したのはあの方達の演技が大きかったのね、とつい想像せずにはいられなかった。
おっとりしていて、辛いことも耐え忍び、感情の起伏をあまり表に出さない、古き良き時代のたおやかな女性。黒木さんがはなを演じていたら、はなにこういう雰囲気を感じられたかもしれない、ってことはどうしても考えてしまう。まあ、脚本的な問題でそれにも限界はあるだろうが。
今のはなは、ただ何も感じてないかのように見えてしまうことが多い。何も心に深く刺さらない、感情の表面をつる〜っと上滑りして行く。恋も仕事も。
このドラマを夢物語だと思って楽しんでいるや脳内補完ってあるけど
そんなことまでして見たいとは思いません。
欠点もなにも私は脚本自体が破綻していると思います。蓮子といつ花子は友達になったかや村岡英治と花子は恋心をいだくようなったのかがよく分からないというより意味不明です。
製作側にやさしい視聴者?なんでNHKに気をつかってまでおもしろいと言わないといけないのかな?モギ会長みたい。
本物の白蓮さんのことはあまり知らないのだけど、あんなに贅沢
で我がまま三昧だったのだろうか。伝ちゃんとの別れの時が
近づいてますね。
このドラマって、伝ちゃんといい、朝市といい、兄やんといい、不器用な男のダンデイズムが一番のウリなのかな、もしかして。
片思いも悪くはないよ、ってことを朝ドラが教えてくれてるのかな(たまには良いように解釈してみました)
なんで視聴率まで払ってるのに、制作側に優しくする必要あるのか意味不明。
愛を確かめ合う云々よりも、とっ散らかった 目先のエピや煽りのナレ ばかり強調されて
これ以上、何を優しくしろと言うんです。
脳内補完は、エピが意味あるものだった時に出来ることでしょう。
元々繋がっていて感心させられたエピあります?
毎回『てっ!!』ですよ笑
このドラマで印象に残ったセリフ
「鉛筆で書いたのはオラです」
(醍醐さんが優してくれてるのにおとうに)「友達はいない」と言う
「かよがこさえた借金」
「ここで気持ちを言わなかったら何もないのと同じ」と妹の気持ちを押す
「いつでもおかあがほうとうつくって待ってるから」
「奥さんが亡くなったと聞いて、一瞬だけもしかしたら一緒になれるかもと思った」
「てっ!」
ですね。
心暖まる世界よりもどちらかというと胸にグサッとくる女同志でのドロドロした世界の方が中園さんは上手なのかも。最近、そういう内館牧子さんのようなドラマがなくて物足りないので、もっと中園さんは女性の本質をドラマの中で追求してほしい。
花アンファンです。
確かにはなに都合のよい内容でドラマは進むし、蓮子と宮本からも恋焦がれる感情は伝わってこないです。
ただ私にとって毎日15分間見て、明日もあることが楽しみなドラマなんですよね。
史実(を踏まえた)ドラマとしては失敗の部類なのかもしれませんが、朝ドラとしては毎日見ようと思えるだけで及第点以上というか。
お孫さんの本を読んだときに村岡さんと花子が手紙でやりとりしてたくだりが情熱的で素敵だなと思っていたので、手紙を使わずに二人が結ばれたのは少々残念です。でも、結ばれてよかった~とほっとしました。
カメオが村岡さんの母親の形見で、それを元嫁から夫の思い人へ…と繋げていく設定は、いろいろはしょりすぎだなとも思いますが、それでも感動しました。
私は、視聴者に「脳内補完」させなければならない脚本というのに大きな疑問があります。
そんなことをなぜ見る者にさせるのでしょう。
わかりやすいドラマというのは、すべてを語るものではありませんか?
もちろんすべて言葉でではなく、暗示してそれとなく示すという手法もあります。それは、身振りや目くばりだったり、何かの小物だったり、あるいは景色・映像だったり、何かによって言いたいこと象徴するやり方です。ドラマというのは、そうして手変え品変えして、見る者に話をわからそうとするものです。(結論も結末も示さない、こちらを混乱につき落とすような不条理劇なんてのは別ですよ。)
大切な部分がぼろぼろ抜け落ちているのは、単なる手抜きやうっかりに過ぎません。これに何も感じないということは、私にはとても無理です。また、このことに対して何も言わず、制作側のいいように乗せられるつもりもありません。きっちりと批判して、その中で、自分のドラマに対する目を肥やしていくつもりです。そうしていると、本当にいいドラマに出会ったときの喜びや感動もひとしおのものがありますから。
今回必要だったのは、手紙のやり取りでは?
ものを書く仕事の花子が、どれだけの思いを込めてしたためるのか
『好きになってはいけない人を』と軽く語らせるより
悩み苦しむ文学的な内容の手紙のやり取りで、花子らしさが生かせたのではないか。
何を省略して、何処に重点を置くのか 全ての人が原作を読んだりアンが好きなわけではない。
その辺りの緩急の付け方さえも解ってないので、批判が出るのだと思う。
はなと村岡がお互いの気持ちを知っていたように見えないんですよね。
はなは村岡にいきなり告白しました。
しかし村岡は抱きしめはしたものの好きだと言う言葉はかけていないし、はなを大切だと明言していない。
だからはなもどういうことなの?とか悩んだわけで。周りから村岡はあなたを好きと言われただけでしょう。
それがいつの間にか相思相愛気取りになっているのが違和感あって、ふたりの結婚なんてポカンとしかしませんでした。
「キャラぶれ」という言葉、短くズバリと言い表す便利な言葉ですね。
何もかもぶれてる気がするこのドラマですが、キャラだけをいうなら、何と言っても、ハナですね。
子どものときと成人してからが別人。子どものあれを見せられると、元気でけなげで一本気で、少々の困難など歯を食いしばって乗り越えるキャラなんだと思い込みますよね、今さらですが。
まあ、これほど分裂しているのも珍しく、こうなってくると、結婚後も、ひょっとして信じられない性格に大バケすることもあるんじゃないかと期待してしまいますよ(笑)
苦しみの中から立ち上がる真摯な人間に変わってくれるなら、キャラぶれも許しちゃうんだけど(笑)
登場人物が本音では何考えてるのかいまいち分からないので、いっそのこと心の声をナレーションか字幕でやってもらいたい。
>演技の上手下手の問題じゃなくて、吉高さんがこの花子という役に心から入り込めてないような感じ
お優しいのですね~
少なくとも、ギャラもらってるプロですよ、女優さんは!
学芸会以下の演技で許される訳ないと思います
しかも、そのギャラは国民の支払っている受信料
もっと怒ってよいと思いますよ
私は既に、観るに堪えかねて脱落した者
時々、このサイトが面白くて見させていただいています
>修和の先生達との交流、キリスト系出版者での同僚、などモンゴメリと近い環境で生まれたカナダ人の女性たちとの交流を、何故無かったことにしたんかなぁー
本当にそうです。
こういうことをまるで描かないで海外文学の翻訳が英語だけできればできる、みたいな非常に浅い表面づらだけの描き方。
なにかひとつのことを成し遂げた人間のドラマというにはあまりに脚本が情けない。
そういう面で細かいことが描かれなくてもこれはそういうことよりも一人の女の子の恋や友情を見ていて分かりやすく共感できるように描かれているドラマだろう、などという主旨の意見もあったりしたけれどそういう面でも何から何まで表面的で話にひねりもなければ人の気持ちの奥深くを描くわけでもない。
ただ見ていて気を引きそうなエピをなんの掘り下げもなくだらだらとつなげているだけ。
本当に見ていて全く面白いと思いません。
蓮子の方の話はそれでもまだ花子の方の作りかたのようにどう見ても無理な持ち上げがないから見られます。
けれどやはりそちらも話そのものはやはり超表面的。こんなに面白い素材ならもっと他の脚本家さんならさぞ見ごたえのある面白い恋愛劇にしてくれただろうと思ってしまいます。
まるで違う2つの恋愛劇を描いて対比させようとしているのかもしれませんが、ものごとのとらえ方、表現のしかたの表層的なのはどちらも同じです。
非常につまらない、話の作りかたがうまくない朝ドラだと思っています。ドラマですから結果的なご都合主義は当たり前。しかしご都合ならそのご都合が自然に受け入れられる次元のものにしていただきたい。
花子にしても蓮子にしても人にとっての恋愛、しかも不倫みたいな状況がそれにからむなら当事者にとっては一大事で深刻なことだと思う。
そもそもそういう要素を含むようなドラマに、軽く適当に不倫などに見えないように作って朝見てちょうどよいものに、なんて感じで描こうとすることに無理があり過ぎ。もうそれだけで疑問が出てくる人がいて当然。
当事者のことをちゃんと考えれば軽く、なんて考えること自体が私はおかしいと思う。
真正面から本人達、それに巻き込まれた人達の気持ちに向き合って描くつもりがないなら、最初からこんな素材を朝ドラでやらないことだと思う。
カーネーションでは不倫的な要素はあったけれど最終的に結ばれたわけでもなんでもなかった。全く違うと思う。
> それがいつの間にか相思相愛気取りになっているのが違和感あって、ふたりの結婚なんてポカンとしかしませんでした。
同感。
村岡と花子はいずれ結婚する、という事実があってそれを知ってるからまあそんなもんか、で済んだとしてももしそれがなければまるで恋愛劇にはなってませんね。
部分的なところだけ事実にどっぷり頼っているくせに花子の翻訳、なんて言うすごくこの人にとって大事である部分や内面は全く事実を変えたりして平気な神経。理解しがたいです。
その結果、リアルに生きた人の話にもなってないし、かと言っていいなあ、わかるなあ、っていう恋愛や友情、家族の話にもまるでなっておらん。
本物の村岡花子さんは、すでに女学校時代から当時の歌人や文学者と交流があったと聞く。それだけとってみても、こんなおちゃらけたキャラだったとは考えにくい。そして妻子ある印刷会社社長の御曹司に近づき、半年でそれを射止めたことから、かなり野心家だったのではないかとも考えられる。いずれにしても、ドラマのなかの薄ぼんやりした花からは想像もできないな。そして恋バナまでがこんなお粗末なのでは、そもそもなんで花子さんを主人公にしようと考えたんだろう。
脚本家、赤毛のアンや村岡花子にたいして真摯な気持ちが感じられない。アンや花子にリスペクトする気持ちがないなら最初から関わらないでほしい。
視聴率を盾に言い訳をする方がいようが問答無用。今時点で駄作。
前もってフィクションと言おうがおもしろくないよ。
前もって、というより途中からテロップを出したりしてフィクション、ということを強調しだしましたよね。
全部見てからでないと、あるいは名作か駄作かはある程度終わって月日が経ってからでないと判断しにくいところがあるので言い切ることはもちろんできないけれど、上の方が今の時点で駄作、と言われているのに私は半分以上同意します。
作品そのものの出来、ということもあるけれど、それ以前の問題として、やはり素材に対しての真摯な姿勢、熱意が感じられないような作品はもうそれだけで人間の創作物として素晴らしいものになることなどないと思います。
いい加減な気持ちで金儲けだけねらって何かを作る職人がいたらそんな人の作るものが良いものになんてなりっこない。
お金もらって自分の作ったものを世に大きく出すならそれは最低限のことだと私は思っております。
これを作ってる人がどんな気持ちでやっているかを断言することまではできません。でもこのドラマを見る限りどうしてもそういうことを感じてしまいます。
アンのゆりかごを読んで見なくちゃ、と思わせるドラマだと思う。
このままでは赤毛のアンの作者を誤解したままになってしまうから。
どんなに野心家で御曹司と不倫の末、結婚に至ったような人であっても、一本筋の通った女性であることは間違いないとは思うから…。
本が売れる、そう言った意味ではこのドラマは大成功と言えるかも。
お友達の書いた白蓮の本も売れているらしいし、
甲府のワインの宣伝もたっぷりしているし。
赤毛のアンの作者ではなく、翻訳家です。
間違えました。どうもすみません。
ここを見ている限り、誰かの金もうけ作戦、視聴率争奪合戦みたいなものには簡単には乗らない…そういう人たちの存在を感じ何だか少しほっとするものがあります。
そうなんですか、テロップよく見てないので知りませんでした。たぶん、クレームがいっぱい来たんでしょうね。
でも、もういろんなところで耳タコですが、フィクションで実名、という設定自体がそもそも変。
いったいどういう思考回路で、このドラマを作ろうとしたのか、制作陣に聞きたいですね。
でもいずれにせよ、ほんとに、フィクションだろうがノンフィクションだろうが関係ない。とにかく「おもしろくない」の一言につきる。
人物造形をしっかり立てる、心理描写をきちんとする、とか、筋を整える、とかいったドラマの基本中の基本さえできていない。こんなドラマを作って恥ずかしくないのかな。たぶん、玄人筋では、なんだこれは、ていう話になってると思いますよ。
作家の林真理子さんが友達らしく、最初は、自分の故郷が舞台ということで喜んでらした、今はさすがに首をかしげてるんじゃないですかね。なにせ、恋愛小説の達人ですから。
そうそう、林さんは、確か「白蓮れんれん」という小説を書いてられましたね。
>人物造形をしっかり立てる、心理描写をきちんとする、とか、筋を整える、とかいったドラマの基本中の基本さえできていない。
今はドラマも映画も映像作品が非常に多いし、過去の良作もどんどん積み重なって再放送やレンタルでそういうものも人々が進んで見るような時代。だから目が肥えてしまっている視聴者は多いのでしょう。そういう人にとっては朝ドラだからこのくらいでいい、なんていう言葉は通用しないのだと思います。ドラマと名のつくものならせめてこうあって欲しい、という明確なラインが多くの人達にはあるし、こういう作品ならそこに実際のモデルの史実、というものも絡んでくるわけです。
作る人達は大変ですよね。でもそういう時代のプロというのはどういうふうにしなくちゃいけないか、ということまで含めてちゃんと見極めるのもまたその人の実力なんでしょう。
思えばカーネーションから朝ドラというものにハマり出して、日曜日は放送がなくなんとなくさみしいな、と感じることが多かったけれど、今回はそういう気持ちが驚くほど自分にないわぁ。めんどくさくなっていいや土曜日に短くまとめたの見て流れだけついてければ、みたいなこともだんだん多くなってきた。
先週分を振り返ってみてもあのクリスマスパーティって一体誰が誰のためになんのためにやったものだったのか?とかなぜ花子が突然女給やらされてたのか?とか変なことばかりが思い出されるだけ。
3人の女給さんでノルマもあってあんなに人が入ったらもう最初から3人でもムリだ、ってくらいわかりそうなもん。
だいたいお仕事手伝うことに同意した人間自らが客以上に酔っ払う、ってなんで?そんなことこの時代の常識であり?
まあそれでも一番の疑問はやっぱり村岡と花子だよ。
このインスタント失恋、それを翻すインスタントくっつきのくり返しはなんだ?これで見て納得行く結婚までの過程を知れ、とでも??
こっちはこの二人がくっつくことなんて最初からわかってる。苗字がもろ、村岡だし。これが村岡でも実は弟の方でした。とか言うならまだひねりもあるけど。
なぜ事実は不倫なのに村岡の妻までキャラとして印象的に作ってあんな小賢しい展開を見せられなきゃいけないのか。作るなら作るでもっと徹底的にあの人の存在によってもっともっと結婚が遅れる、っていうくらいのゆっくりした展開にならなきゃドラマとしておかしいでしょ?
誰かに言われて、はい、じゃあやっぱり自分の考え方変えます、って村岡も花子も二人共がそうなってるよ。これじゃバカップルって見られても仕方ないと思う。
これが人の恋愛?茶番もいい加減にしてくれ、って思い出したらちょっと腹が立っている日曜の夜。
朝市も伝助もカッコいいとこあって好きなんだけど、なんかイマイチ描かれ方が好みじゃないから腹が立つ部分をカバーしてくれるまでに至らない。
私は最初の3週くらいまではすごくドラマに惹かれてわくわくしていて、番組HPも見ました。
その内容を見て、さらに期待感を膨らませたんです。
脚本家のインタビューでは、花子をモデルにしたことについて
「逆境から自分の足で立ち上がり、ひたむきに幸福を追いかける一人の女性の息吹が…」
とか語られているし、
「逆境のなかを必死に駆け抜けながら、曲がり角だらけの人生をタフに生きていく花子」
という言葉もある。
吉高さんが村岡恵理さんから聞いた本物の花子像も、
「多くの試練を乗り越えながら、自分を貫いた女性とのことでした。意志が強くて、自分がやったことに言い訳をしないで、ちゃんと認め受け止めることができた方なんだなと感じました。」
とのことです。
今見直したら、あまりの違いに唖然!HPに謳われているようなドラマだったら、どんなに面白かったか!
もし、結婚後の震災・戦争などの苦難の場面で、突然ひたむきで意志の強い花子に描かれたとしても、前半がこれだったのでもはやついていけないように思います。
非常に後味の悪い花子と村岡の恋愛成就の描き方。
こんな描き方するなら、花子が好きになってしまった村岡はそもそも意に沿わない形だけの結婚だった。その妻が病気で亡くなってしまった後で村岡は花子と初めて本当の恋愛を知る。その気持ちが彼にとっては初めてでとても強いものだったので花子も村岡にとって2度目の結婚ということで抵抗はあったものの二人は手紙などを交わして行くうちにお互い心が通じ合うようになり結婚に至る・・というのではいけなかったのかな?なぜ村岡の前の結婚や相手とのことをあんなに描いてしかも病気の妻が絵を見ただけで自分が愛されていないことを知ったまま死んでいく、なんて言う残酷な展開にしなければいけなかったのかわからない。それであの妻まで無理矢理素晴らしい(と言うより二人にとって都合のよい)女性みたいにして全てが嘘くさいだけのいかにも作り話になってしまった。あの妻との場面を作ったことでこの二人の恋愛が好ましいものになった、とは思えない。別に村岡との出会いが東京に再び出てきた後だって一向にかまわなかったのでは?辞書は別に村岡にもらわなくても翻訳のお礼として恋愛とは別個のことで編集長からもらった、ということでそれはそれで将来の仕事につながるものとして大切に扱う、じゃいけなかったのか?結局へたに村岡が花子に辞書をプレゼントしたことで変に公私混同みたいなところも出て来ちゃったし。朝市と村岡のからみはもっと違う展開だったとしても作れたはず。
ほんま残酷ですわ
そのうえ許されていたと知って早速花に求婚しに行く村岡って。。。
泣いてたのはなんでなん?
奥さんの深い愛に感動したのなら暫くは独身を通せよw
罪悪感から解放された嬉し泣きかと思ったわ
だいたい花子にしても村岡にしてもいい大人でもう仕事初めて何年もたってる人たち。
そういう大人の公私混同なんてカッコいい訳ないですよ。
仕事に恋愛をこれでもか、と絡める。そんなの見てて好感持てる大人がどれだけいるかってこと。
多少はいいです。人間だから当たり前、それもわかるよ、のレベルで済ませられる。
でも失恋すれば仕事でポカのくり返しで会社に出て来なくていいって言われる。仕事として受けた挿絵が好きな人の事思い浮かべなきゃ良いものが描けない、それも年下の人からそれを指摘されて・・・なんて話、わたしにとってはカッコ悪い大人の典型です。
こういうのが普通、とか好感持ってもらえるって思ってる作者の仕事に対しての考え方には根本的について行けません。
辞書のことは最たるもの。フツウに仕事してる大人ならいくら好きだけど振られた人からもらったからってその人を忘れるためにそれがなきゃ仕事にならない最重要アイテムを雨の中に放り投げるなんてもうまるで理解不能です。そういう場面を思いつくっていうこと自体、その思考回路がわかりませんし受け入れられません。あのあたりからもうあきれ返りましたが、その後の案の定の展開です。
ドラマの最高の見せ場になるはずの花子と村岡の不倫が、心ならずも作者の力量のなさを曝け出す場になってしまおうとは…。このドラマももう、末期状態ですね。
奥さんが亡くなる前にあんなこと言ってたのに
喪中の葉書出しときながら周りから言われて
「自分にもう嘘はつけない」みたいなこと言う
カメレオン英治は男としてサイテー
細いけどキラキラ輝く魅力的な瞳の鈴木さんの
魅力半減もいいとこ
かわいそう過ぎ!
伝ちゃんは仕事とプライベートの混同は絶対しない
もうそれだけでも全然男が上の上
あの人と結婚するのもちょっと考えちゃうけど
普通に楽しく見ています。
あまりアクの強い朝ドラは好きでないので、花アンは私には心地いい。サクサクとエピが進むのでさらりと観れるのも朝ドラとしてはいい。私の好みです。
今週は気持ちがあいまいに見えた花子と村岡がようやく自分の気持ちに正直になれたのが良かった。村岡のプロポーズは結構好きです。でも気持ちを貫いた以上は、仕事でも何でも、これからはもう少し明確な強い意志を示してくれるといいかな。
来週(もう、今週か)は花子の結婚式と白蓮事件。
友人たちとも話題になっているし、楽しみです。
脚本がしっかりしてりゃ面白く見るよ。
ボロボロの脚本が気になるのは細かいことを気にしてるのではなく、普通にドラマを観てるだけ。
ふたりのプロポーズのシーンは今までで一番出来の悪いシーンに見えました。
亡くなった妻の自分への深い愛情を知り、それに応えようとはなにプロポーズですか。
もう苦笑い。なんて愛情のかけがいのない男でしょう。香澄は良かったと思うかもしれないけど、視聴者がそう思うための時間をくださいよ。
感動的になるはずのシーンで最高に冷めました。
素直に二人の結婚を祝福する気になれました。
人の心理のうつろいを丁寧に描写したり、人物のキャラクターをしっかり浮き上がらせたり、そういうドラマとしての基本が出来ていない脚本家さんなんだということが、今回のドラマでよく分かりました。
親の気持ちが良く出ていました。
再婚相手になる娘の結婚という複雑な心境を室井さんたちは上手く演じていたと思います。
奥さんを死なせたことに賛否がありますが、どちらにしても傷つけたのだから、恋愛の過程よりはなの苦しみを描いていたことに納得がいきます。
明日かあさってはいい結婚式が見れるのかな?
当事者の花より先にかよがお姉をよろしく、そして今日は、村岡より先にお父のほうが嫁にもらって、とこういう演出は狙ってかどうか、好みが分かれそうですね。
今日は、お父が珍しくまっとうなこと言ってました(笑)確かに亡くなった方の思い出が美しいから、死別した人との結婚は幸せになれない、という側面はあるかも。
でも、今日はよかったです。村岡が妻帯者である事実をごまかさずに正直に話したこと、そして反対する両親に花がそれでも自分は村岡が好きなんだ、奥さんのこともひっくるめて今の村岡が好きなんだ、と言って結婚の許可を求めたこと。花がこれほど明確に自分の意志を表明したのは、少なくとも大人になってからは初めてかもしれない。見てて気持ちよかったです。そしてそんな花を見つめるお母の心配そうな泣きそうな表情。私も以前、人生の大事なことで親を泣かせたことがあるのでその時のことを思い出し胸が痛みました。でも、お父とお母も恋愛結婚。自分たちのことを思い出して理解してくれましたね。
今日は蓮子さん関係の話がなくても十分楽しめました。
ここまでの経緯の描かれ方に全く恋愛劇としての説得力がなく、いわゆる結婚を前提とした二人の恋人同士の心の交流もまったくないままいきなり甲府の実家に結婚のあいさつに行っても全くこのふたりにおめでとう!と心から言えるような心境になりません。
おとうとおかあの演技も以前より色あせて見えてしまった。
相変わらずの極端な描写ばかり。
だいたい英治が毎日のように妻のもとにお見舞いに行っていたのに実は心の中に花子がいた、という設定で何だか英治という人物がすごく嫌な男だと感じてしまった。だっておかしいでしょう?本当に花子の方が好きでその人を思って王子と乞食の挿絵を描いたならそれを嬉々として真っ先に妻に見せに行くって。本当に妻よりもそんなに強く花子が心に存在するなら妻にその挿絵見せますか?まるで愛人の素晴らしさを本妻にも褒めてもらいたい男のよう。
大の男が、自分でその思いを自覚もしてなかった、なんて嘘っぱちの設定にしか感じられません。本当にそうならよほどのバカ男。
そしてそれを見た妻が「ああ、私よりも大事な人がこの人にはいるんだ。」って挿絵を見ただけで感じて身を引くなんて。
本当に稚拙で鈍すぎる脚本でなぜプロの脚本家がこんな話を作れるのかが不思議になるくらいです。
おとうだってあれだけ他のきょうだいと差をつけてはなをかわいがっていたのに結婚相手を吟味することもなく花のあれだけの話で手のひら返したようにこちらからもらってくれ、なんて頭を下げるなんてこれまでのおとうとはキャラが違います。軽率さは筋が通っている、と言えば言えるけど。
だめですね、こんな脚本では。人間がうまく描けていない、どころか粗悪な作り物の茶番劇にしか見えません。これを楽しめというのはハッキリ言って私はまるで無理です。
楽しめる範囲で見ています。結婚出産、白蓮事件とまさにヤマ場を迎えていますね。
根幹がダメだと思う方はどう見てもダメなのだから、それは気にしません。
来週には総集編があり楽しみが増えました。
今日は花子のこれまでは自分の気持ちをあまり表に出さないで来た、みたいな台詞にはつくづく苦笑い。
ああ、それでどこか薄ぼんやりした花子だったのね。納得。
なーんてなるとでも思ってます?
そういうつもりではないのかもしれないけれどこれまでのこのヒロインを考えるとホントに言い訳がましいです。
花子が逆境を乗り越える?これまでいったいどこにそんな場面が?
看板に偽りあり、と怒る人の気持ちがすごくわかります。
花子のために逆境を乗り越えざるを得なくなった人はたくさん出て来ますが。
朝ドラと言えど、ここまで鈍感で無神経なドラマは珍しいと感じています。苦笑いで済んでいたこともここまでやられると笑いも出なくなり怒りの気持ちが出て来ます。
これまでにちゃんと積み重なって来たものがないドラマに山場もなにもないと思います。
批判意見など気にしない、というのはそれでいいと思います。
逆に肯定意見など気にせず、おかしいものはおかしい、と感じたままをこれからも書いていくだけです。
逆境を考えるとしたらこれからですね。
それさえも否定されるのでしょうが。
ヤマ場と感じたことを否定しないでください。
月曜の朝ですからね
結婚や出産は人生の山場と言えると思いますよ、白蓮事件も。
ただ今までの出来事の描き方では、これからも期待出来ないと皆さん思われたのかな。
ドラマの楽しみ方は人それぞれだと思いますし、貴方を否定したつもりもないと思われますよ。
あえて言えば、ドラマが気に入らないんでしょうw
風当たりは強いかもしれませんが、気にされずこれからも楽しんで下さいね。
>ヤマ場と感じたことを否定しないでください。
否定?
人が感じたことを否定なんてしてませんよ。
私はこのドラマのこれまでを考えてこのドラマに本当の山場がやってくる、ということはほとんど考えられない。谷がないもの、これまでに谷の描き方がまるで不十分なものに今後突然それがうまく表せられることが考えられない、という自分の「感じ方」を書いたまでです。
反論やら違う意見を自分の意見の否定、としかとらえられないなら様々な感じ方の人がいる感想サイトは無理なんじゃありませんか。いちいちあなたとは感じ方が違いますがごめんなさいね、とでも前置きを書いてからあなたに気を使って書いて欲しいのですか。その必要があるなら書きますけど。
村岡が妻にもはなにも愛情があったことは事実でしょう。人間ですから、同時に二人の人を好きになることもあると思います。はなへの恋心を感じながらも妻の見舞いに通ったことは、今日(昨日?)の台詞にあったように、自分の心に蓋をして気づかぬふりをしていたから。その台詞で私は十分納得が行きました。村岡がはなを好きになった経緯については今日の台詞にありましたが、私はそれもドラマで十分描かれていたと思います。そう感じない方はそれで仕方がないけれど、私は今日の村岡の台詞には誠実さが感じられて好感を持ちました。
「はなが社会に出てからが本場」「この物語は、はなの恋愛が一番の見せ場」などとずっと言われて、その度に肩透かし…というより失望させられてきたら「これからが山場」と言われてももはや…という気持ちはわかる。
今までが納得いかないことだらけなのに、これから突然はながしっかりして面白くなるのだとしたら、前半って必要だったの?ってなるし、別物語にしか見えないかも。
このドラマが好きな方にとっては、こういう意見は「嫌い」が先にきた極端な感情論に見えるのかね。書き方厳しい人もいるけど、冷静な人が多いよここは。花アンファンの自分が否定されてる、とか思うのは筋違いだし、損なだけだよ。
花は家柄の差を全く気にしない性格なんですよね。
女学校時代も卑屈になったりみじめになったりすることも全くなく
家族のお嬢様を堂々と自宅に招き
今度は村岡印刷の次期社長を
水道もお風呂もないぼろやに連れてくる。
その辺にリアリティがなさすぎると思います。
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