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「 「荒らし」と間違われないようにね
尚これに対するレスはご遠慮ください。他の方にもご迷惑 になると思いますので
今後は私もこのドラマについての感想のみを書いて行きた いと思っています 」
あなたが私のコメントに返事をつけたように
私もあなたのコメントに返事をつけるのを遠慮はしない
森永さんによく似たおじさんのような子供っているよ
現に私がそうだし
最近森永卓郎さんを見ないが
ミヤネヤには出ておられるのかな
彼は醜いから
キワモノ扱いでちゃんとした番組には呼んでもらえないのがつらいところだ
あなたは私のコメントに返信するという形で
ドラマの感想以外のことも書いている
それはあなたのタチバト矛盾するね
ところでこのドラマに対する感想になるかどうかはわからないが
徳川慶喜が
朝廷に政権を返しても
朝廷では政権を取る力がないから徳川家に頼らざるを得なくなる
と考えて大政奉還をした
という
徳川慶喜の読みが外れた
と書いている方がいたが
徳川慶喜が大政奉還をしたのは
内外の情勢に
自ら対応できず
放り出したのだと思う
大河ドラマは歴史家の考証を経て成立するから史実に基づくと思っている方が多いが
当時の徳川慶喜の気持ちは非常に不可解なもので誰にもわからないだろうね
それをドラマ化するのだから大変だ
NHKの大河ドラマはいくつかある解釈の一つとして見るのがよいも思います
私は前にも言ったが綾瀬はるかが優等生的に描かれすぎているこのドラマはしばらく見ないと思う
慶喜についてはこれまでにもいろいろな描かれ方をして来た。
このドラマの小泉さんが演じている慶喜は頭が回る人物でもあり、同時にかなりの小心者。
それゆえにあれこれと小手先の画策をする人物として描かれていると思う。精神的にぎりぎり状態でカステラをほおばり、直後におう吐するという場面には彼の気の弱さがよく表れていた。
病弱であっても腹のすわっている容保と非常に対照的な描かれ方をしている所が面白い。
会津出身者が考えるような武士らしさを持ち合わせていないこの徳川宗家に臣下として仕えなければならない会津藩の忸怩たる思い、無念さがよく伝わって来る。
本当の慶喜が実際どんな人物だったのか、彼の心境がどんなものであったのかは本人以外誰にもわからない。
ドラマは創作なので、いろいろな資料から作者がその人物をどうとらえるかで人物像が変わって来るのは当然なので、私はもちろん皆さんそういうものとして見ていると思います。史実を歪曲することなく、ドラマ全体の中で矛盾のない描かれ方がすればなんでもありだけど、見ている側はそそれぞれのドラマで作者がその人物をどう捉えているかを台詞や所作から探るのが面白い。
歴史そのものを伝えようという情報番組ではないので、そのあたりが大河ドラマの面白さのひとつでは?
小泉さんの慶喜は個人的に好感も持てる人物ではないけれど、彼は作者の意図を読み取って、好演していると思う。顔は実際の慶喜に似ているところがある。
このドラマの印象としては、非常に優等生的な作り方で、こういうのが好きな人と嫌いな人が出てくるのはうなづけるが、私はこういうドラマがあって良いと感じています。
私は徳川慶喜については
維新の後に
フランスから輸入した自転車で
静岡の町中をすいすいと走り回って生活に困窮した武士がアキレテみていたという話がすべてを物語っていると思います
まあ、貴族階級の人の気持ちを知らない
人だよね
私自身の慶喜像はあります。
彼に対する好き嫌いもこのドラマの作者とは違うと思います。でもドラマの中の人物はその作者が作ったものでしょう?自分が慶喜をどうとらえているかをここで書いてもドラマの感想とはちょっと違うと思うので私は特に書く必要は感じてません。あくまでこのドラマの慶喜を受け入れて行こうと思っています。
登場人物描写がそれが自分のイメージと違うのもすごく面白いです。いろいろな描かれ方するから、こういう見方もあるんだな、と発見があり見ていて面白いんですね。
自分と違う見方だと嫌になっちゃう人もいるかもしれませんけど。私は許容できる範囲なら、作者がどんな風に描くかを見るのがすごく楽しみ。
会津だってこのような描かれ方、これまでの幕末ドラマで初めてです。そもそも会津視点なんてそうは見られませんし。
維新後の慶喜像はこのドラマにとってはまだ未来のこと、このドラマではまだ誰にもわからない、ってことだと思います。
話の内容しっかり観てます。 八重たちの派手ではないんですが、着物姿が好きです。枇杷を弾いてる場面の西郷さん登場 すごい綺麗で映画のような演出、迫力を感じました。
とにかく今日は三郎、修理の最期が悲しくつらく涙がとまらない。
明日仕事になるだろうか(泣)
この後の会津藩を思うと、さらに胸が詰まります。
修理の妻への想いが、とても切ない…
斎藤工さん、お疲れ様でした。。。
今日の三郎の戦士シーンと修理の切腹シーンは切なかったですね。修理が死ななければならなかった理由は正直今もよくわからない。あまりに理不尽ですよね。斉藤さんも素晴らしかったし、このドラマでの綾野さんも容保をよく演じきっていると思います。
これまでは会津が大変な状態に陥ってることは分かっていてもまだいろいろな部分に救いや余裕があった。
しかし今回は、敗者にとって、「歴史の非情さ」がどういうことか実感させられた。
会津藩だけでなく、八重という主人公にとって、完全に追い込まれて、これまでの何かの終わり、人生の大変な転換期を迎えざるを得ない状況がやって来る。
このドラマにはヒロインの出番が少ないとか影が薄い、とか言う声もあるけれど、八重という女性の性格や考え方からして、会津藩のこの状況をつぶさに描いてこそ、今後の彼女の生き方に説得力が出るのでは、と思う。会津藩の歴史は八重の歴史でもある。
女性、という理由だけでこれまでは政治の表舞台に立たなかった主人公であるが、これからはもうそんなことも言ってられない状況に世の中自体が変わって行く。そのことをこのヒロインを通して描いて行くこれまでの女性主人公大河とは一味違うものを感じて大変面白い。
歴史の変遷とは同時に「女性史」の変遷なのだと思う。
「会津藩の行方」と「八重を筆頭に会津藩で暮らす大勢の人の行方」どっちも大切だと思いますけどね。
今の大河の状態では容保主役で容保周辺の人しか丁寧に描いていないので会津を丁寧に描いてるとも言えません。
会津の人、文化も生活も風習も何も描かずに、大火も貧困も設定だけで会津で生きている人に影響出ている様子を描かない、台詞で終わらせる、会津で暮らす人が一人も存在を感じさせない状況で会津を描いたと言えるのでしょうか。
現状では制作者側が言う会津は容保とその周辺の極限られた一部の人という感じです。
容保主役の幕末ドラマなら現状でもいいでしょうけど。
八重は籠城戦で参戦したり死亡する達を視聴者に紹介しフラグを付ける道具と化していてる狂言回しでしかない点も納得いきません。
覚馬の捕らえられるときの言動と三郎の戦死シーンもおかしな描き方をしているので、八重の立ち上がる土台が揺らいでます。
会津で身内の安否を心配している家族のシーンは結構好きなんですが,京都や江戸の歴史劇になると申し訳ないけどどうしても退屈してしまうことが多いです。幕末史や薩摩長州びいきの人からは不評を買うかもしれませんが多くの人の感想にもあるようにもっと会津でくらす八重の目線中心で描いて京都での政争なんかは覚馬や三郎のこと以外は思いきって省略しちゃったほうがおもしろいんじゃないかと思います。容保さんは初めの頃はあの俳優さんがなかなか新鮮な感じでしたがやっぱヒロインの八重より強調されて出てくるとどうもくどいような。大河ドラマって史実を扱ってるだけに創るのが難しいデスね。去年のように奇抜な感じになっても批判されるし。
歴史そのものにどれだけ興味が持てるか、ということで感じ方の違いも出てくるかもしれませんね。
私などはどちらかと言えば八重がヒロインではあってもこの幕末の京都の様子、討幕派の画策、慶喜の小手先の策謀、そして板ばさみ会津の苦しみ、歴史劇の部分の方がより興味が持ててすごく面白いです。
それにこのヒロインの場合、会津の生活面よりも政治的な側面をしっかり描いてくれて、兄弟のこの戦いを通しての苦しみの描写なしではこのあと、白虎隊に銃を教え、実際に戦う女性としての八重が活きて来ないと思います。
会津の人の気質やものの考え方の基本、八重はじめ国元の会津の女性の様子、家族の生活などかなり十分に伝わって来る描き方だと感じています。
山本家の描写もそれなりに時間をかけてるし、竹子や照姫、会津藩士の妻たちの描写、女性も「文武両道」が求められること、など大事な部分は時間を使って十分描かれています。
恋愛劇やホームドラマではないので、女性主人公の生活を通じた心情中心のようなものは大河にあまり期待していないし、私は今回の大河十分納得出来る描き方です。今回の大河でこそ会津視点の幕末が描かれなければ、陳腐でつまらないドラマになってしまうと思います。
去年は政治劇より人間の心情に重きが置かれた大河でそれはそれで面白かったけれど、今回は歴史ドラマとしてはむしろバランスがいい方だと思います。
歴史的な事件の緊迫感が描かれない、それを通じての人間が描かれない大河は面白くないと思います。今後は八重には戊辰戦争で大切な兄や弟が悲惨な目に合った、という事実をバネに力強く生きてくれることを願います。兄弟や会津藩士の京都での出来事は八重には決して無関係ではない出来事になって行くので、この幕末の政情をしっかり描く必要があるのではないでしょうか?容保をしっかり描くことは女性を含めて会津の人々を描くことになっていると思います。
>会津で暮らす人が一人も存在を感じさせない状況
・・のようには見えませんが。
尚之助を含めて山本家の人々、容保の姉、照姫も含めて薙刀や裁縫に日々励みながら、夫や兄弟、会津藩士の無事を願う会津の女性たち、謹慎を申し渡された頼母など、十分な存在感があると思います。
幕府の敗北によりひどい仕打ちを受けた会津藩の国元で暮らす市井の人々が影響を受けていくのはむしろこれからではないでしょうか?
歴史の流れから言っても焦点は当然そちらに移って行くのでは?
いくら八重ヒロインの会津の話でもあまりにもローカルな話より大河ドラマとしては幕末の政治の混乱をちゃんと描いてくれる方が話がダイナミックで面白いです。
そもそも松平容保なんて言う人物がこんなに出てきて魅力的なのは幕末ドラマで初めて。
新鮮ですごくうれしいです。
今のままだと会津戦争終結でこのドラマも終わりの感じですね
いやいやむしろこれからでしょう。
会津戦争終結までが第一部で若いヒロインのものの考え方、人としての素地を作る。
そしてそれがその後の彼女の歩みにどう影響して行くかそこを見ずにこのドラマの本当の面白さはあり得ないんじゃないですか?
明治に入ってから、この辛い時代の思いを八重がどういう形で昇華し、また社会に活かして行ってくれるかが見どころではないかと今からすごく楽しみです。
八重という女性は社会にいろいろな形で貢献して行く人。ドラマ自体もより広い視野からの描き方が必要になって来ると思います。
容保も幕末の志士たちも今後華やかな八重物語の前座と見ればいいと思う。
なんて贅沢な前座なんだ・・・!
やっぱ大人の喧嘩ですな。感動もしなければ賛同もせん。あほらしい世界だな。やはりアホだったんでしょうね。日本人は。
幕末の歴史を、アホ、と感じるアンタこそアホ丸出しやね。
八重が、あの戦、時代を生き抜いた、、。
すごいことだと思う。これからも、期待して観ます。
この国の歴史はこの国の人達一人一人が作り、今も作っているもの。
そういうものや人々を「アホ」で片づけてしまっては大河ドラマなんか見てもつまらないのはどの作品でも同じだと思うけど・・
会津の国元で八重の父が恭順を唱える尚之助とぶつかる場面。「ならぬことはならぬ」。これが会津魂だと思う。そして八重もその点では父の姿勢に同意。この地で育った人の考え方。
でもそこで夫婦けんかなどにならず、切り替えて次の手だてを考えて八重にも指示を出す尚之助。さすがだなあと感じた。
国元のこういう家族や夫婦のやり取りも八重の気持ちもちゃんと描かれている。
八重とうらは同じ女性でもものの見方の広さが違うと感じた。もちろん家族を案じる国元の女性の気持ちは強調されて当然と思うし見どころだけれど、それならなおさら並々ならないこの幕末の政情をこのようにきちんと描かなければ歴史ドラマにはならないと思う。
歴史上の人物の人間性には関心するが、やってることはアホそのもの。坂本龍馬だろうが、勝海舟だろうがね。そんなもんに入れ込んでないで今を見てくれよ。大河なんかだからじいさんのドラマなんだよ。世の中からリタイアした人間のものなんだよね。
まあ、上の方も我々も今の人間が後世の人間に「アホ」と言われないようにしないと・。
すでに原発問題やら、第二次世界大戦前に似た世界的経済の行き詰まりやら、言われるネタは事欠かない。
過去に学ばず、今の人間やシステムが完成形などと思う輩は、また同じような過ちを繰り返して後世に批判されることになる。
年寄りをバカにする輩も、すぐ年寄りになり、100年後は今いる世代のほとんどが地上にいなくなるのだから人間もっと謙虚にならなければいけないのでは。
過去に学ばずがこれからの日本の生き方だと思うけど?その辺が年寄と若い人との違いなんだよね。過去は過去。今や松下幸之助も本田宗一郎も経営学問上は否定派が大部分。偉業を認めて入るけどね。つまり過去なんかノスタルジックに語らない。それが一番大事。このドラマをみて、人間のやっかみ、思い上がり、無意味な殺りくなどになんの違和感を覚えない人は自分の価値観を見つめなおすべき。あくまでも歴史の授業としてしか役に立ってないドラマでしょう。
アホとか過去に学ばずとか滅茶苦茶なお話が闊歩してますが、
ではなんのために歴史ドラマを観ている訳ですか?
現在貴殿が在るのは過去から断絶して存在し得るとでも?
歴史とは現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのですヨ。
人間の本質が昔だろうと今だろうと根本的に変わったリ良い方に進化しているなんて誰が断言できるのか?
仮にそうしたいなら人を説得できるような具体例を挙げてしなければ単なる感情論にしか見えません。それなしにどうやって人に価値観を変えるべき、などということができるのでしょうか?
具体例として松下や本田を挙げるなら(彼らはこのドラマに出て来ていないのでそもそも例としてふさわしいとも思えませんが)彼らを全否定して今ある経営論が絶対に正しい、ということをまず証明できてから言うべき発言ですね。
大河ドラマは「ドラマ」という人間の創作物。
歴史は事実。その二つが相容れる訳ないし歴史の事実だけを伝えるために作った大河ドラマなどありません。過去の歴史を全否定、全肯定する目的で作っているようなものではありませんし、歴史と言う事実の延長線上に今生きている人間がなにびとたりとも簡単にそんなことできるはずもありません。
大河ドラマにおける「歴史」は作者がそれをどうとらえているか、がそれぞれ違うところに面白さがあり、それに共感できるか否か、があくまでこのドラマに対する感想だと思います。ドラマにおける歴史のとらえ方などを元に過去の人間の全肯定や全否定などできるなどと考えるのは無謀だし思い上がりです。
大河ドラマを見て何かを学ぶか学ばないかは完全に個人にまかわれているものであり、それは個人の感想の領域のこと。
それについて完全に否定的な見方しかできず、バカな人間がやってることで学ぶものがない、こんなものは過去のノスタルジーに過ぎない、という見方しかできないならそれ以上「歴史ドラマ」を視聴する必要もそれ以上の感想も書く必要性は感じませんが。
あるいはこのドラマを見て、実際にどこがどのようにバカ、今の人間より劣っているのかを具体的に書いてくれない以上、主張には説得力が皆無です。そうでなければ、このドラマをよく見て楽しんでいる人、あるいはそうでないまでも真面目に良いと思えるところ、改善して欲しいところを語っている方々への単なる誹謗中傷にしか見えません。
私自身はノスタルジックな見方など歴史に対してできませんが、そういうものを大河に求める人がいたとしてもそれの何が悪いのでしょうか?単なる「ドラマ」なのに。
このサイトは創作物である「ドラマ」の感想を皆が書き合う場所だと認識しています。
> 歴史上の人物の人間性には関心するが、やってることはアホそのもの。
まあ人間なんてどんなにすごい人でもちょっと視点を変えればアホに見えちゃうってのあるよねぇ・・確かにこういうドラマ見てるとああなんでここでこういう思考しちゃうかなぁ、こういう行動取っちゃうかなぁ、と自分ではこんなすごい人物になれっこないことわかってるのにそう感じちゃったりする。
でも一方、んなアホな?!とか感じるものごとが歴史を変えるようなスゴイことになっちゃったりすることもある。
岩倉の錦の御旗を大金かけて作っちゃったりする発想とか。
そういう「アホさ」ってのは昔でも今でも変わらないんじゃ?
だから利口と感じようがアホと感じようが歴史に残るような人物って見ててすごくおもしろいんだと私は思う。
古今東西、人間なんて実はアホだらけ(私もです)で知識や技術においては確かに進化はしているものの、感情の制御や倫理観とか根本的な部分は古代からほとんど進化していないと思う。
紀元前とかに書かれた書物にも汚職や賄賂とか出てるし、戦争やら訴訟やら暴力だって男女の失敗だってずーっとなくならない。
人間の永遠のテーマでしょうか・・?
ってここは「八重の桜」の感想欄なのでそんな話はどうでもいいか。
どうでもよくないと思いますよー!
歴史ドラマだろうが何だろうが、そういう愚かさ(アホさ)も含めて「人間」がキャラに投影されてるのがドラマの面白さだと思います。
八重も他の人物もこれからもいろんな側面見せてくれるでしょう。
楽しみです。
庄之助から三郎と覚馬の死を山本家が伝えられたシーンは切なかった。衣髪などの証拠がない兄の死は認めず、死を受け入れざるを得ない弟の仇を打つと意を決する八重。これからいよいよ会津戦争に突入するのですね。家長として息子たちの死を厳かに受け入れつつ、一人竈の外で泣き伏す父親の姿にも胸を締めつけられました。
これまでの幕末舞台のドラマとは視点を変え、人物像もこのドラマ独特のとらえ方があって大変面白い。西郷と勝の、江戸での戦を避ける会談のやり取りも良かった。実際には両者の利害が一致したのだろうが、江戸が火の海になるようなことがあったら日本史上大変なことになったと思う。
全ての矛先、帳尻合わせが会津に向かうことになる過程がよくわかった。
一方人間ドラマの部分、三郎と覚馬のことを聞いた八重を中心とする山本家の描写が素晴らしかった。訃報を聞いてただただ泣き崩れるだけではない場面がよけいに痛々しい。
大蔵だけではなくて視聴者もあんな八重の姿を見るのは初めて。これからはいろいろな意味で見どころがたくさんありそうでますます期待大。
今回はこのドラマの大きな特徴である政治劇と人間ドラマのバランスの良さがいかんなく発揮された回だったと思う。
今現在私達がこのようにドラマを見てああだこうだ、と言って楽しむことができる状況というのもこの国の長い歴史の上に立ってこそなんですよね。
歴史そのものに善悪があるわけではなく、今の状況というのは全て過去の延長線上にあるということ。国のいかんによらず、人間の現在は過去から連綿と受け継がれたものの上に立っているのですから、歴史を馬鹿にするような発言は結局今の自分を否定することに通じると思います。
過去から学ぶことは非常に多いし、今の基準で過去の人物の政治的言動を馬鹿にすることなど意味がありません。日本に松下や本田がいたからこそ今の経営論もあると言えるでしょう。
最近歴女などと言われて歴史に非常に大きな興味を持つ人が出てきている一方、時代劇の低迷などを見ると全体的に過去の歴史やこの国独自の文化に無関心な人が増えていると感じます。大河ドラマの視聴率低下にも表れていると思います。歴史自体に興味がない人達が増えれば歴史ドラマを見てもよくわからないからつまらない、ということになり人気を考える局側は歴史に重きを置かないドラマを作って行くことになる。それは非常に残念なことです。
歴史に関係ないドラマは民放でもNHKでも今いくらでも見られます。
自国の歴史や文化を大切にできないような国は本当の意味でインターナショナルになどなり得ません。
外国の人に自国の歴史や文化について話一つできないような日本人はいくら英語が堪能でもアイデンティティのない人間、教養のない人間に見られると思います。
大河ドラマの視聴率云々ばかりを取沙汰するよりもそういうことについて真剣に考えなければいけない時なのではないのでしょうか?
このドラマについては、主人公の関係から幕末を会津という一つの藩の視点からそちら寄りに描いてますが、討幕派や新政府を特に悪者、敵、と捕らえるような偏った描き方をしていないし、一般人が見てわかりやすいように適宜に省略したり、重要なポイントは逃さず伝えている、そのあたりにかなり配慮が行き届いていると思います。基本的にその時代に生きる「人間」を描くドラマになっていて、非常に受け入れやすい大河ドラマだと感じています。
賛否、好みが極端に分かれるようなドラマではないと思います。
会津にかんしてはある他県との確執が今でも根強く残っているという点からするとやはり人を選ぶという面はあると思う。
周囲では全く話題にならない。昨今は女性主人公の作品がどこでも多いがやはり骨太な内容のものは男性が主人公である方が見やすいし重厚感がある。篤姫以降(古くは女太閤記は秀逸だった)の流れもあるが。
私は50歳ですが、今まで歴史に興味がなくて
八重の桜を観て、歴史の魅力に気づきました。
どうしても戦の場面 これからどんどん悲劇へ進むことはわかっていますが、私事張り詰めている自分、この大河を観て涙を流したい。そして、また、頑張れる。
2013-06-09 11:36:16 名前無しさんのようなご感想を
作ってる人達が聞いたら感無量でしょうね。
山本覚馬が絶望に打ちひしがれていた時に、佐久間象山や吉田松陰の幻覚を見て覚醒する姿はよかった。この後「管見」の執筆が始まるのでしょうね。
来週、「二本松少年隊」に一回の放送時間をかける心意気が素晴らしい。つらい話ですがしっかり見たいと思います。
ハンカチが必要になるでしょうか・・?
一本のドラマとしての筋が通っていない。
ストーリーにヤマがない。登場人物に魅力がない。
時代劇ファンの端くれとして半ば義務的に見ているが
そろそろ限界が来ている。あと二ヶ月戦争するそうだが
製作者はいったい何を考えているのだろうか。
時代劇の中でも単なる娯楽劇ではなく、歴史劇というジャンルの作品として見てよくできていると思う。政治的な場面が分かりやすく描かれているし、一人一人の人物も持ち味がちゃんと活かされていて十分魅力的。会津が熾烈な戦いに追い込まれて行く過程を丁寧に描いたドラマを見るのは初めて。
慶喜と勝の場面も慶喜の人柄がよく表されていたし、会津と最後まで縁の深い新選組についても有名な土方の言葉「もう刀の時代じゃない」もきちんと入れて最小限のポイントを押さえている。
時尾と斉藤一の出会いの場面も印象深かった。
八重も前回から一転、気丈な部分がクローズアップされていてこれからの彼女の歩みも楽しみ。
歴史マニアが自分のしょうもない知識を再確認するための
しょうもないドキュメンタリー風映像集に成り下がっている。
そこには人間の葛藤も苦悩も決断もない。
ただただ歴史年表が垂れ流されているだけ。
えー?これどう考えても歴史マニアが大喜びするようなものじゃないでしょ?!
マニアならこんな大雑把な幕末の描き方別に特別面白いとは思わないんじゃないの?
知ってることばかりだろうし。
むしろあれこれ事実はこうじゃない、とか気になって楽しめないのでは?
歴史年表?ならこんな穴ぼこだらけのもの可笑し過ぎ(笑)
大河ドラマと言うのはせいぜい「歴史好き」くらいの人向けにできてるものですよ。
でも歴史にも人間にも全く興味が持てないような人にはおもしろくないかもしれませんね。
批判的意見があってももちろんよいと思いますが、具体性がなくどこをどのように批判してるのか全くわからないと残念な感じですね。
私には人間の葛藤や苦悩、決断に満ちたドラマに見えます。
昨日の放送だけでもそれを思わせるのに充分だった。
これだけ泣かせてくれる登場人物も、私には魅力的に感じます。
私はこの大河気に入っています。歴史は結構好きだけど、正直言って会津のことは全く詳しくない。今日出てきた奥羽越列藩同盟なんてまさに初めて聞いたことだし、でもそういう知らないことをいろいろ知ることができて、興味深いです。人間もちゃんと描かれていると思う。来週は涙なしには見られなそうですが、楽しみです。
歴史マニアというか、「自称歴史好き()笑」っていう感じかね。
問い詰めてみると戦国武将のヲタ知識しか無いようなタイプ。
とにかく物語の起伏が無いんだよ、このドラマ。
これまで熱心に描いてきた慶喜の江戸退去があんな扱い。
せっかく出した会津ゆかりの新撰組も適当な処理で近藤も唐突に死亡。
もう演出しないこと自体が目的になってるんじゃないかと勘繰るつまらなさ。
その割には世界観をぶち壊すような世良のめちゃくちゃな人物造形。意味がわかりません。
このドラマは八重が主人公。
八重の生活や心の動きもちゃんと描かれているし、その中で会津を中心とした歴史的な動きは必要十分に描かれていて、歴史は好きだけど歴史オタとまでは行かないと思う私も家族も楽しんで見られています。ここのところは楽しんで、というより緊張感を持って、悲惨な展開に胸の痛みを感じながら、という感じですが。
慶喜が水戸に立つときのあのしれ~っとした感じ、自分に対しても第三者的な見方、このドラマでの小泉慶喜にはぴったりですごく納得できました。このドラマの慶喜にとっては何よりもまず徳川家存続が目標だったので人間的な自分の心の揺れを制して「これで良いのだ」と最後は自分に言い聞かせているようでした。
よく見るとかなり細かい人の感情とか所作とかを丁寧に描いているので時間がある時は再度見て新しい発見をしています。
八重が主人公と言う割には登場時間が5分しかないのはいかがなものか。
大河『太平記』の「鎌倉炎上」で高氏がほとんど出てこないことはあったが
本作の構成で八重がストーリーの裏に回る必然性はない。
というより意図的に疎外されているようにしか見えない。
八重の性格や心情、一家の人物描写にしても安っぽい記号でしかなく
せいぜい上級農民くらいの立ち振舞い。とても武家の子女とは思えない。
山本家は家老になれるほどの上級武家ではありません。手伝いのものもせいぜい一人か二人の質素な暮らし。全く違和感は感じませんが。
このドラマのヒロインがそこまでけちょんけちょんに非難される謂れは最初からドラマを通して見ていて感じませんが。十分ヒロインらしさ伝わって来ます。
まあそれぞれ感じ方の違いでしょうね。綾瀬はるかさんという女優さんが特別好きなわけでもないですが、女性主人公としては見ていて無理のない作りの素直に見やすい大河ドラマだと感じています。人間の自然な喜怒哀楽も出ていて感動できる場面も多いです。
歴史の伝え方も特に捻じ曲げられたりしていないと思います。薩長でも主要人物がものすごく悪者にしたてられたりもしていません。
生活とかどこに描かれてますか?
会津での、古くは幼なじみ大蔵などとの幼少期、山本家の父母とのやり取り、薙刀や
裁縫、銃の稽古、兄や弟三郎との日常、うらと畑で作物を作りながらの語らい、八重の結婚、角場での夫婦の仕事、木の上での読書や物思い・・これらが会津の砲術指南の家に生まれたヒロインの「生活」でなくて一体なんなのでしょうか?それぞれについて決しておざなりに描かれているようには見えません。
その程度なら脇役ですよね。
実弾撃った以降主役として何かあるわけじゃない。
薙刀は八重も竹子も脇役を描く為に設定変えられていますし。
鉄砲もキーアイテムのはずのスペンサー銃に関して何も掘り下げが無い。
主役じゃなく脇役の脇ですよね。
ここって批判を書くと投稿消されるんですね。失望しました。
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