



4.14
| 5 | 239件 | ||
| 4 | 170件 | ||
| 3 | 22件 | ||
| 2 | 18件 | ||
| 1 | 37件 | ||
| 合計 | 486件 |
時にお上に目を付けられても面白さを追求し続けた人物
“蔦重”こと蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯。
笑いと涙と謎に満ちた“痛快”エンターテインメントドラマ!
いやいや治済は可哀想なんかじゃないでしょ、彼のおかげで大勢の人間が死んだり生命の危険にさらされたのだから。
まあ、このドラマだけの話だけど。
しかし吉宗の孫にあたる血筋として息子・家斉と徳川で一橋家による権勢を築き、反田沼派の黒幕として暗躍し、尊号一件で松平定信を失脚させた人---知ってる人でもその程度だった徳川(一橋)治済でここ迄のミステリー物語を仕上げた森下佳子女史の手腕、JINのような原作付き以外も書けるんだと個人的に感服しましたぞ。エンターテインメントとしては大成功。
べらぼうだけと言わずまた森下女史による歴史上の人物による時代劇、なんなら完全オリジナルストーリーの時代劇も見てみたい。大河は「史実に無い事をやるとは何事か」と非難されるので、ぜひ他のNHK枠でお願いしたい
変わった髷って、源内先生
しぶとい一橋様も、仇討ちの手段は、やはりエレキテル
町中を出歩く十郎兵衛、オーミーを探せのように、いろんなシーンに出ていたんですね
瀬川さんも幸せに暮らしているようで良かった
水攻め火攻め半殺し、おはぎですね
見上げたもんだよ屋根屋のふんどし…車寅次郎さんに受け継がれています
夜遅くまで仕事って、三日月は無理がありましたね、皐月の三日月は夕方、まだ空は明るい、下弦の月だったらよかったのに、惜しむらくは…ですね
後継ぎ、通夜、戒名etc.おていさんの段取りの良さ
本望、本懐で蔦重のハートをつかんだおていさん
一九さん、馬琴さん、北斎さんの方向付けもしたし
屁の歌と踊りで呼び戻し、春町さんの豆腐の角に合わせて?
脚気…かっけぇ?
1年間楽しませていただきました
江戸のエンタメを現在のエンタメに昇華。
オープニングの壮大さ。
江戸の粋を現在の粋に表現した演出。
静謐な空気感と華やかな空気感の使い分けの見事さ。
物凄く面白かった〜!
壮大な物語を読み終えたような気持ちよさがありました。
べらぼうなすべての登場人物に感謝です。
小物感漂う主人公に魅力が無かった。なんか偉そうだったし。内容も同じようなことの繰り返しで飽きがきた。
終わってくれて嬉しい。
このドラマの毎週の楽しみだったオープニング曲直前の浮世絵(風)、最終回は最後に大勢出演の絵で満足でした。
あのシブとい傀儡好き、トドメを刺さなくて大丈夫かいと心配してたら案の定逃げ出したが、まさしく天罰が下ってホッとしたよ。
蔦重は脚気で亡くなったのですか…それでも聡明な妻と陽気な仲間達ににぎやかに見送られて羨ましいような最期ですな。
忘八の親父さん達があたふたと駆けつけたのには不謹慎ながらちょっと笑ってしまいました。
1年間楽しませていたたきました。ありがとう。
一橋治済は享年77歳。そんなに年取ってたの!?演じた役者さんが若いから仕方がないけど、なんだかしっくりこなかった。それにしても治済怖い〜。最期は天罰だった。
側には変わった髷の人が立っていた!?源内先生ですか。。
田沼が亡くなった時の酷いお沙汰に、怒りのような雷鳴が轟いていたことを思い出しました。
屁!からの へ?
で終わりかいっ。音楽の後で続きがあるのかと思ったほど。臨終のシーンなのに、笑ってしまったわ。。。
夢のお告げがあり、皆に囲まれた幸せな最期。呼び戻す為の屁踊り。
おていさんは本当に凄い。戒名まで準備万端。失うことが怖すぎて動ける余裕が心にある内に動いたのかな。
互いに最高の相手と巡り合えたのだろうと思える。
今回は本当に本業本屋の回だった。八犬伝や弥次喜多が世に出たのはこんな感じなのかもしれないと興味深く見させてもらった。
今回は懐かしい人達の消息が知れた。瀬川。
子もでき、幸せに暮らしていた。良かった…。
歌麿も子供時代の呪縛を乗り越え、わだかまりなく義兄さん、義姉さんと呼べるようになった。つよさんも見ている気がした。
1年間見続けた。栄華の夢とまでは感じなかったけど、吉原から市中に店を開けただけでも凄いことなのだろう。鶴屋さんとは今やバディ感さえある。
瀬川の花嫁道中、闇が見えるようだった鳥山検校、源内先生、斬られた田沼の息子や、斬った佐野の心中。そして、定信。
1話1話面白かった。あっという間に、1年が経っていた。
終始、小生意気だった蔦重。最期まで貫いたのはカッコよかった。私は関西生まれ関西在住だが、江戸の粋というものを1年しっかり見せていただいた。自分の通夜や葬儀、亡き後の憂い事も、しっかり者のおていさんが全て段取ってくれていて、安心して逝けたことだろう。皆に看取られて幸せな最期だった。
それにしても、治済の咄嗟の行動力には驚くばかり。え、逃げちゃうの!?とハラハラしたが、まさかの天罰が下った。べらぼうらしい最終回で満足。
「拍子木・・聞こえねえんだけど」。直後、いつものカチンの音で静止絵から始まるオープニングロールによるオールスターキャストで幕。粋なラストに拍手。
拍子木を合図に始まるOPはこれをやる為だったのかと納得の締めくくりでした。
最後、蔦重を抱きしめ看取ったのがなぜ歌麿でなく次郎兵衛義兄さんだったのか?。考えてしまいますが歌麿(唐丸)と並ぶ、このドラマの第1回から蔦重と関わっていた古株ですし、確か次郎兵衛の放屁をきっかけに「俺たちは屁だ!」の踊りは始まったと思いましたので、私は脚本の始めは「抱きしめる次郎兵衛が屁をしたのをきっかけに、また南畝たちが屁踊りを始める」筋立てだったのが、不謹慎という事で放屁のみカットされたのではないかと推測しました。何にせよ蔦重を呼び戻そう!と歴史上の有名人含む現行の仲間みなが舞い踊るさまは圧巻で、それに蔦重が〝ちゃんと〟応えこと切れるさまは律儀で・・このドラマらしいファイナルで感動しました。
前回、このドラマの治済はあのまま大人しく追放されるタマじゃない、ひょっとして島から脱走するのではなかろうか・・という懸念が5%くらい有ったのですが、綺麗に成功したし流石にそこ迄やらないだろうと思っていたらまさかの最終回冒頭、島に行く前に逃亡。どうなると思ったら水上のだだっ広い場所で刀を振り回し落雷で天罰・・というオチが〝ちゃんと〟用意され、スッキリさせてくれました。
史実の治済は1751年(宝暦元年)に生まれ1827年(文政10年)、77歳で死去。写楽の活躍は1794年(寛政6年)から1795年(寛政7年)初春ですからこのドラマの本物の治済は恐らく1794年、42か43歳で死亡。後を替え玉の斎藤十郎兵衛が引き継ぎ治済として1827年迄生きた、という事ですね。「べらぼう」中では。
斎藤十郎兵衛も史実と没年が食い違うと思っていたら〝ちゃんと〟新たな十郎兵衛(替え玉の替え玉)を立ててあるという・・〝ちゃんと〟史実と食い違わぬようフォローしながらストーリー展開は冒険に走る森下佳子さんの剛腕には感心しました。
前にも書きましたが私は「風雲児たち」という漫画が好きで、いつか江戸中期の蝦夷地探検隊を実写化したドラマが観たいという夢があります。やはりロシアの諸事情によりこのドラマでもそれは叶いませんでしたが、蔦重と同時代の出来事である蝦夷地調査や大黒屋光太夫帰還のエピソードに〝ちゃんと〟触れており、大いに刺激され次に繋げてくれると期待出来るものでした。万に一つ、本当に望みは少ないですが北方領土が返還され、最上徳内さんらの蝦夷地探検が映像化された際には私は三谷幸喜さんにずっと書いてもらいたいと思っていましたが、「べらぼう」を観て森下さんでも良いと思いました。
オリジナルストーリー部は荒唐無稽かも知れませんが、振り返るとそうして〝ちゃんと〟という副詞がいちいち付く、やるべき事をやっている良いドラマでした。忙しく前半だいぶ見逃してしまったので再放送されたらまとめて観直したいと思います。
楽しませて頂きありがとうございました。
オマケの5点。
最初の「屁おどり」は高尚過ぎて何が面白いのかサッパリ分からなかった。
二度目は少し刺さった。
最後の踊りは泣いてしまった。
それから蔦重とおていさんは夫婦に見えなかった。
社長と有能な秘書といった感じだった。
命が消えようとする蔦重に語りかけるおていさんの言葉は沁みたが、それでも同志にしか見えなかった。
晩年になっても蔦重には心に秘めた思い人がいたのかもしれない。
それを察したおていさんが距離を縮めなかったのかもしれない。
終わって思う事が色々ある。
それだけキャラが立っていた証左だ。
一年間楽しかった。
泣いた。泣きながら大笑いした。そして笑いながら泣いた。
一年間欠かさず、楽しみに見通した最高の大河だった。
本当に楽しかった。日曜の夜、元気になれました。
29日はべらぼうの日。絶対全部観る!
外様大名の蜂須賀家が、治済を自分の領地の島に幽閉することを許可した理由はいかに? ドラマの中でどのような説明がありましたか? しっかりと観ていなかっので教えてください。
べらぼうの感想は先に書きましたので、
ちやんねるレビューについてですが。
私事ですが、スマホを変えて、今までいただいていた『いいね』が無くなりました。SIMカードが変わったので仕方ないと納得しているのですが、新しくなった後で頂いた『いいね』がカウントされず、『いいね』も付けられなくなりました。ログイン無しで感想を書けるのがちやんねるレビューさんのいいところなので、そこの所残念に思っておりましたが、10日くらい経った今日、いいねのカウントが増え、私からもいいねが付けられるようになっておりました。早速ポチッとしました。
やっぱり、カウントの数字が変わっていると、読んでくださった方がいるんだなあと、嬉しくなりますね。
ただ、投稿後確認しようとしても、ちやんねるレビューへ繋がらなかったり、アクセス自体うまくいかずエラーになったり、スマホが古いせいで起こる不具合かと思っていたけど、新しくなっても変わらなかったので、できれば改善して欲しいですね。
3年くらいかな??私が投稿し始めた頃は全く問題無かったのに何故?広告も増えましたね.。
でも、これからも投稿させていただきます。
私事、すみませんでした。
べらぼう総集編、楽しみにしています!
只々
「粋」
でしたね。
終わり良ければ総て良し、確かに最終話は娯楽性があり楽しめたと思うが、蔦重に関わった北斎や馬琴など数々の作家たちの交流と出来事を終盤にもっとしっかり描いてほしかった。本居宣長もあれだけでは物足りなく演じてくれた北村一輝さんがもったいなかった。子孫の方たちからクレームが来るのではと心配になるくらいに一橋治済を悪く描き過ぎだし、手あかがついたありきたりな替え玉策で治済を阿波に送り、お粗末な警備で逃亡して都合よく雷に打たれて死ぬ顛末がまるでNHKや民放の夜枠で放送する荒唐無稽な娯楽時代劇みたいになり長い歴史の権威がある大河ドラマとして残念でした。またこの内容なら大河で一年やるより夜枠のワンクルール(3ケ月)約10回分でもいいと思いました。
粋な終わり方だったねえ。
拍子木聞こえねえ・・・からのカチン!は良かったね。
あんな風に最期を迎えられたら最高に幸せじゃないか…
最初は「横浜流星を毎週見られるのか〜嬉しいな」ぐらいの気持ちで見始めましたが、一話目でそれは吹っ飛びました。横浜流星ではなく、蔦屋重三郎にしか見えなかった。一年間、蔦重とともに笑って泣きました。
本当に楽しかった。ありがた山!
多少ミステリー要素を入れたとはいえ
この時代でここまで面白く描けたのは素晴らしいと思いますね。
(また戦国や幕末に戻っちゃいますが)
戦のある時代と無い時代を交互にやって欲しいね。2年に一回合戦があると確約されてればもう一つの1年で戦国や幕末や源平以外の時代に走っても目くじら立てられないだろうし。そのうち「戦の無い時代のほうが面白い」なんて声が増えたりしたらいろんな歴史に目を向ける日本人が多くなったと嬉しくなるし。
でもやっぱり肝心なのは脚本。戦の無い世をつまらなくしか書けなかったら最悪だし、ここ2年の戦抜きの大河の脚本は良い人選に恵まれたと思う。
べらぼうは人物の浮き沈みの塩梅が素晴らしかった。幸せになったと思ったら不幸や災厄に見舞われたり、頂点に立ったと思ったら失脚したり…私利私欲のまま独り勝ちかと思われた治済にも天罰が下った。誰一人順風満帆という人がいなくて、皆「一歩進んで二歩下がる」ように山あり谷ありなのが良かった。
吉原女郎の生態や梅毒・人身売買に男色・蝦夷におろしや等、このコンプライアンス言ってる時代にこれだけ攻めた姿勢も特筆に値する。蔦重の時代を描くのに避けて通れなかったこれらのタブー、子供への配慮がないとも批判されたが茶化したり誤魔化したりせず、ま正面から扱ったのにはスタッフの気概を感じた。
江戸の文化を知るドラマになり、ありがたやまでござる
これは一年を通して圧巻だったとしか言いようがない。
こんなに毎週楽しくて、次週が楽しみだった大河は初めて。
ただの一話も見逃さなかったし、見逃したくなかった。
本物の治済は大河の比にならないくらいと、徳川宗家の方が仰っていたように、家庭で見られるようにマイルドになっていたし
色々な線と点が繋がっていて、本当に面白かった。
蔦重とていの二人が、二人の時間を持てたところも良かった。寺でていが言っていたというので、蔦重が覗いていた時のシーンを思い出した。
江戸の市井を捕物でなく、侍中心でもない、普通に暮らしている人々のドラマを見られて、私にはこの上ない至福の時間でした。
浮世絵も数々の祭りも、江戸文化を堪能しきり。
最高でした。
なにが蔦重栄華乃夢噺だ。
タイトル詐欺で騙された。
まさに屁みたいで
べらぼうにつまらなかった。
後ろ姿だけ見える瀬川なかなか良かったかも。
みなさん一年間お疲れ様でした。
退屈な大河でした。
前回の「光る君へ」は戦いの無い大河という事で早々に退席した。
今回の時代背景にしても興味がないといって良いほど知識が無かった。
年表と単語を覚えるだけの退屈な授業を思い出す。
そもそも蔦屋重三郎なんて名前は一度も聞いた事がなかったし。
あのTSUTAYAとは無関係らしいし。
ところがひと月も経つと毎週の楽しみになっていた。
遊郭から始まり多士済々を束ねる本屋と成長し、お上と共に時代を動かす一助となったばかりではなく、江戸の庶民文化を育てた。
思えばそれ以前の民は食う事で精一杯。
庶民文化など日本には無かったのではないか・・・。
その後の日本が中国や朝鮮半島とは違う道を歩む大きな分岐点となったように思う。
歴史を俯瞰で見ると江戸時代中期は祝福の時と呼ぶには過酷かもしれないが、その後の日本文化に与えた影響は計り知れないと感じた。
一見、笑いに走る大河と見せかけて、つらく涙する場面が多い大河であった。
その中で粋でいなせな、決して御上目線にならず、でも一般町人としてとことん自分の出したい本にこだわり、最期までそれを貫いた蔦屋重三郎。
そんな「べらぼう」に呆れ、怒り、時に反目しながら共に本を作って日の本の出版を動かした絵師戯作者、吉原日本橋界隈の仲間たち。
女郎の死骸から濡れ場、虐待、売春、小伝馬町の拷問など数々の攻めた描写も凄かったが、なにより人物たちの個性的な面々が記憶に残る。
「ありがた山です!」「これしか中橋!」吉原っ気が最期まで変わらなかった蔦重。
「ちょいと、恋心をね…」紙に顔をもの凄く近づけて描くのが印象的だった歌麿。
「そーなーたーがなぁ〜」講談調の喋りが不気味ながら可笑しみがある一橋治済。
「家名を上げるよりも浮名を流したいけどな」吉原好きが高じて切っても切れない仲になった朋誠堂喜三二。
「俺は、戯けることに向いてないのだ」何処までもまじめにふざける事を考えていた恋川春町。
「俺たちは、屁だ!」普通の大河だったら有り得ない屁踊りをスパークさせた大田南畝。
「重三はわっちにとって光でありんした」花魁の色香が匂い立っていた花の井、のちの瀬川。
「金の力を信じ過ぎているようにわしには思える」名君と父親というそれ迄なかったイメージを植え付けた田沼意次。
「日の本一のべらぼうにございました」本好きからだんだん蔦重好きへ想いが移っていったてい。
…などなどエトセトラ、エトセトラ、きりがない!。
また天明や寛政時代の歴史を語る機会が訪れた時、私は彼らをこの大河のキャラクターたちの姿で思い出すだろう。それぐらい「べらぼう」各人たちの個性は唯一無二だったから…。
かたじけ茄子でやんした!!。
終わり良ければすべて良しに
はぐらかされましたが
歴史の記録に無いのに無理に
蔦重が政治に絡んだり
歴史上の人物たちとあり得ない
関わり方をしたり厳然とある
歴史の人物を替え玉で入れ替えたり
絵空事し過ぎて違和感がありました。
テレビ映画の娯楽時代劇なら許容範囲だが、
人物も含めてあまにも歴史を改ざんした
大河は前代未聞で呆れました。
「~べき」ではなく「もののあはれ」に心を寄せること、か。
そうすることで他者を慮り、許すところから再出発できたら良いのかな。
白河に行った定信、伊勢の本居宣長、蔦重が旅で休憩した中京辺りの地元の人々…
ドラマ初期は吉原から見える世界が描かれ、最終回には江戸市中の範囲を超えた思想に拡がった。
蔦重の病床における、おていさんとの二人きりの会話で、くず屋のワードが出たとき
「本は腹は満たさぬが心を満たす。」と話していたが、
私自身も同じことを感じた経験があったのを思い出して胸に染み入った。
歌麿の人生も丁寧に描かれていて満足。
そして、蔦重が亡くなった年に、東海道五十三次で有名な歌川広重が誕生。
個人的に広重の絵が好きなので、ドラマ後半はそこに繋がる片鱗がみられてすごく面白かった。
今までにない大河ドラマでとても興味深く観た。光る君へに続き毎回欠かさず観て面白かった。その前がくだらなく好みではなかっただけに今回は良かった。
生田斗真は本当に憎々しい治済を演じきったと思う。ただ、島流し?幽閉?では駄目だ。根を絶たないと頼朝のように復活してくる。と思ったくらい悪だった。
全体的にトンチの効いたよいドラマだった。
恋心のエピソードは描いた連作の美人画を真意を伝えず粋に渡す歌麿が意地らしかったし、蔦重は実は歌麿の自分への気持ちに気付いていながらあえて版元に徹し、含みのある絵を描かせたんじゃないかとも思わせた。
そういう想像できる余韻に浸れるところが好き
このドラマの良心として存在したのが、長谷川平蔵と次郎兵衛にいさん。
平蔵は瀬川時代に関わった頃からずっと変わらない態度で蔦重に接してくれ、弓矢で「丈右衛門だった男」を射て命を救ってくれたり、終盤毒入り饅頭から救った時も「自分の身は自分で守らせねば」と松平定信に意見してくれたり、最終回は瀬川の居場所まで教えてくれる尽くしっぷりで人間味たっぷりでした。
次郎兵衛は初めから蔦重と仲の良い義兄弟で、駿河屋に暴行を受けた蔦重を庇ってくれたり瀬川の見受けや祭りの時は太鼓を叩いて張り切ってくれたり、何げない一言で蔦重にひらめきを与えたり、屁をひったのが結果的に窮地に陥った春町を助ける形になりそれがきっかけで大田南畝が始めた「屁踊り」が定番になったり、最終回も蔦重を看取るという大役を果たしました。
一見目立たないポジションの両人ですが意味のない人物ではなくたびたびドラマの重要場面で良い味を出しており、こうした縁の下の力持ちが機能した事によって物語は平静を保っていたと思います。
最終回見終わって、「ロス」にもならないほどの見事な完結。
一年通して一つの物語をここまでしっかりと書き上げた脚本家の力量の凄さ、一つ一つの場面を精緻に描いたスタッフの技術。そして、それに見事に応えた横浜さんをはじめとした役者の皆さん。
本当に素晴らしい作品でした。
この読後感。最高!
花魁瀬川役の小芝風花さんが艶っぽくて上手でしたね。風花さんの魅力に引き込まれて前半は視聴していました。最後は幸せになって良かったと拍子木!
どうする〜みたいなCGの曇天の空のもとで局面局面でキャラクターの心情が違う行き当たりばったりなドラマより、よほど共感出来ました。カラッと粋で、それでいていつも鬼脚本と言われるまでレギュラーに非常な展開が訪れ、それでも辛い現実から目をそむけずありがた山です!な生き方を貫いたあの時代の蔦重はじめ江戸の人々。
江戸中期って、戦の無い世でもいろいろあって面白い時代だったんだね。
戦国時代と言えば、いかにして自分の身を守れるか、ライバルを蹴落とせるか(もしくは従わせられるか)、領地領民を守れるか。
そんな時代だったから、数々のいくさ(エピソード)が生まれ、それが物語(ドラマ)のネタになった。
一方、太平の世になって、争いごとに巻き込まれる事が無くなり、武士と言っても形だけのもの(今風に言えばお殿様に仕える公務員)になっても、貧富の差はむしろ拡大し、火事や病気、天変地異に振り回されるしかなかった江戸の人々。
だからこそ、「救い」や「安心」が欲しかったんだろうね。
伊勢詣でだったり、祭りだったり、黄表紙だったり。
遊郭だって、そこにいれば食うことだけは困らない「救い」だったのかもしれないしね。
蔦重が本屋の理想に燃えて生き生きしていたのは吉原時代と日本橋に店を出した最初の頃、鶴屋と対決していた頃の方が痛快だった。仕事柄といえその後は私利私欲の商売人の欲が出過ぎて、無理に政治に抗い恋川春町が自刃するなど犠牲者を出したり、歌麿に対しての扱が酷くてあまり好感持てなくなった。田沼意次が生きていた頃や松平定信が活躍していた頃の政治の方が盛り上がり蔦重の方は精彩を欠いた。また政治の方に加担して写楽計画を企て平賀源内生存説で誘い、一橋治済を成敗するため追いつめるも、バレて失敗して仲間に犠牲者が出てしまい落胆した。その後定信らが用意した替え玉で治済を成敗する策だったが、何も蔦重が必要ではなかった気がした。終盤歴史を曲げてまで替え玉策で治済を成敗する展開や治済が都合よく雷に打たれて死ぬ顛末や治済の死を見守る亡霊の源内と思わせた演出も、荒唐無稽でよくある民放や公共放送の夜枠の娯楽時代劇みたくなり引いてしまった。なので最終話だけ大河ドラマ史上最高の結末だと評価されても素直に喜べなかった。
個人的には主役に魅力を感じず残念な大河でした。
この時代でよく1年行けたのは素晴らしいですね
田沼意次のイメージを一新させる
良作大河になったな
大河に映画に今年は流星君の当たり年になりましたね👍
スポンサーリンク





