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(月〜金)昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而と、歌手としても活躍したその妻・古関金子をモデルに、昭和という激動の時代の中で人々の心に寄り添う数々の曲を生み出した作曲家とその妻の波乱万丈の生涯の物語。
2020-07-31 11:59:18
誤り修正
正念場を向かえました。
↓
正念場を迎えました。
時代が変わっていく時、両親の視点というのは、時に古い時代遅れのものであったり、子供の資質に反するものだったりする。
裕一みたいな青年が銀行でその後40年ほど過ごしたとして、いい人生だったとはならないのではないかな。
呉服屋だって時代の波には逆らえないし、権藤家も然り。
作曲家を勧めることは無謀な賭け。それでも、商業高校を留年したような状態で40年を送るよりは、心の底から納得して、自分の人生を生きるほうがいいはず。
音は自分の直感で動いているかもしれないけれど、手紙で長く温めてきた裕一という人の本質を良く知っている。音のような知己である人が、訪ねてくれて何度もノックをしてくれているのを手離してはダメだ。
メールみたいな短文のやりとりやつぶやきじゃなく、
手紙っていう長文のやりとりで、心のうちや考えを
丁寧に交換してきた二人だから、深い信頼や絆が
できあがっていたのかもしれないネ(´・ω・)
⭐️1◯◯◯オジサンは相変わらず懲りないなぁ〜
一個だけ センスの無いのは間違い無く大阪朝ドラで決まりたやで (^з^)-☆
明日の30話再放送は、「エール」ファンで未だ観ていない方いらしたら、絶対に観てくださいね。
裕一君の迫真の場面、心打たれます。雨でびしょ濡れになり、ハーモニカ(唄を忘れたカナリヤ)を吹く姿、、哀しいです。
スカーレットで地獄を見た朝ドラファンの気持ちですね。
比べるまでもありませんが、エールはなかなかの優れものですわね。
再放送を見ていると、この時期の裕一が張り詰めた状態にあるのがよくわかる。自分の決断が自分の大切なもの=音楽と音を失わせた今、家族のために生きることが最善の道と言い聞かせようとしている。権藤家・古山家にいる時の裕一の顔と声が怖い。よく「死んだような目」と言われる目、窪田正孝がうまい。そして、裕一をなんとか音楽の道へと戻してやりたい音の意志の強さ。二階堂ふみが熱演している。
教会で、またも音を拒絶する裕一。一度自分から音を捨ててしまった裕一の心は深く傷ついており、容易に戻らない。鉄男にも悪態をつく始末。でも鉄男も音も、必死に裕一を音楽の道へ戻そうとする。二人からの熱いエール。二人は知っているから。音楽が裕一を作り上げていることを。彼の人間性の豊かさは音楽があってこそのもので、それを失った今、彼の人生が閉ざされようとしていることを。
裕一は二人に背を向けて出て行ったが、迷っている。自分の人生か、家族の幸せか。音楽か、家族か。どちらも大事だから、迷っている。
そして今の方がまさの気持ちもよくわかる。裕一の幸せを一心に願っているのは、まさも音も同じ。ただ、まさは裕一が音楽でどれだけ変わったかを客観的に見ていないからわからないのだろう。まさが見たのは夢の道を絶たれ絶望した裕一の姿だ。早く忘れさせてやりたいのだと思う。
音の気持ちも負けていない。裕一が音楽とともにある時の輝いた姿を知っている音の言葉は力強い。音楽を諦めた今が一番傷ついている、彼の身の丈は世界に轟く音楽家です。音は心からそう思っている。
そして、まさの言葉の通りに、裕一は音楽に導かれていくのだ。音や鉄男、周囲の人達の力によって。
今作は初回で晩年を見せているから裕一と音が結婚するのはわかっているのだが、そこに至るまでの見せ方がうまい。この時点で、どうやったら裕一の心が音の方向へ動くのか見当もつかなかった。この週かその少し先くらいまでは降板した脚本家のプロットをそのまま使っていると思われるが、ドラマチックな展開はさすがだと思う。
林宏治氏は日本テレビ「トップナイフ」の脚本を手がける為、「エール」は第3週までくらいまでだったとか。「トップナイフ」は林氏の著作本ですから。詳しいことは存じませんが、、でも、交代で正解だったと思います。
再放送は見てないんだけど、雨の中のアレ?
主人公が繊細というより陰気過ぎてなぁ(-_-;)。
違う! そう! 陰気でウンザリするじゃんねー。
おもんない
音が裕一の売り込みに廿日市にはったりをかますのは、降板した脚本家のプロットをそのまま使っている、のではなく「あまちゃん」春子のアキの売り込みのまんまパクリですね。
これを林宏司さんが書いたとは信じたくないね。
「おもんない」と感じた方もいらっしゃるのですね。私は「エール」ファンの方は、、と書きました。人それぞれですので、、私は裕一の心の葛藤が現れた凄い描写だったと思いました。哀しく裕一のハーモニカが胸に響きました。
林さん、エールとトップナイフ同時に書いてたんですかね?朝ドラだけでも大変ってよく言われてるのに、、、
副音声をきいていると、その人と一緒に視聴したみたいな親近感が増しますね。
ミュージックティと鉄男くんと、友達になったような気分です(╹◡╹)
音ちゃんは自分の足で懸命にレコード会社を訪ねて、お願いをしてまわっていたから、やっぱり応援したくなりました。
親のコネとか、あからさまな棚ぼたっていうのではなく、しかも最大の障害が裕一くんの戦意喪失。必死に売り込みに行って、ギリギリのところで首の皮一枚でつながるかどうかというような瀬戸際。
連続ドラマとして、こういう危機的状況はやっぱり必要。結果がわかっていても、つい見てしまいます。
山崎育三郎さんをCMで見かけることが多くなりましたね(笑)。
朝ドラ効果、恐るべし。
NHK火曜放映の『うたコン』にも
エールの歌手の方々いつも誰か出演。
皆にエール🎶の企画も含めて
ドラマ共々楽しんでおります。
あああーあの顔で、あの声でー
もう素晴らしすぎる、音と詞の融合と力
がしかし…
ミュージカルの一流どころもエールに出してほしかった
やっぱ高いんでしょうね
さっきテレビで見ました。伊藤久男さんのあの歌は素晴らしいです。会場から自然に手拍子が湧いて来る。あの時生きていた人達はあの歌を歌って元気になれたんでしょう。私の両親はそうだったと思います。それは否定致しません。
宝塚出身の野々すみ花、黒木瞳、大地真央なんかは最近の朝ドラに出てるから(黒木さんは映画版)、出られるとは思うんですけれどね。
>あの時生きていた人達はあの歌を歌って元気になれたんでしょう。
戦時歌謡は人によりけりです。私の職場の昭和一ケタから終戦直後に生まれた方々は大嫌いだ、と言ってました。
私個人は高木東六「空の神兵」の方がロマンがあるとおもいますね。
父は異国の丘が大好きで、父からその歌を教わりました、私。
薬師丸ひろ子さんが「あゝモンテンルパの夜は更けて」を映画かドラマで歌っている動画があります。
「異国の丘」は劇団四季の反戦ミュージカルになりましたね。「李香蘭」同様に故人の浅利慶太さんの思いが反映されています。
戦時歌謡でも実は反戦の思いが隠されていたりするらしいです。どんな気持ちで、その曲を聴いていたのかにより好き嫌いは出てくるでしょう。
理屈抜きで面白い。
何よりも、スタッフ、役者が良いものを作ろう、良い作品を作ろうとする勢いを感じる。
>戦時歌謡でも実は反戦の思いが隠されていたりするらしいです。どんな気持ちで、その曲を聴いていたのかにより好き嫌いは出てくるでしょう。
おっしゃる通りで「戦友」なんかはそうですね。
ただ、私は40年程前にカラオケで「空の神兵」「紀元二千六百年」「海ゆかば」をメロデイー的にいいと言う単純な理由で歌うと、数名の年配の方々から烈火のごとく怒られ「お前に俺達がどんな気持ちか分かるか!」と怒鳴りつけられ深く反省しました。
そう言う方々も多数いると言うことです。
だから、ユーチューブでドイツの普通の軍歌まで苦情で削除されるのですね。ナチス党党歌「ホルストヴェッセルリート」は論外です。
私の親などは戦時中子供だったので、軍歌を替え歌でこっそり歌ったりしたらしく、それはここではとても紹介できません。
空腹と空襲の恐怖の中で過ごした子供時代にその替え歌で友達同士兄弟同士こっそり笑った記憶はあるらしいのです。
でも楽しい記憶とは言えないのでしょうね。
♫兵隊さんは可愛そうだねー という替え歌は昭和漫才のネタになっていました。
「エール」は毎朝見てるとガッと心をつかまれる瞬間があるんだよね。何度もある。全部見たのに何のドラマだったか全く印象に残ってない朝ドラもあるけど、「エール」はわりと印象的。テーマがしっかりしてて、勢いがあって、役者がうまい。演出もうまいと思う。昨日の教会でカメラが揺れてたあれもよかった。
自分達の事しか考えていない嫌な夫婦だ。
漫才じゃねーべ?
その優しさが鬱陶しい
鬱陶しい浩二が言うな
求めても得れねえ
昭和初期に「ら抜き言葉」
捨てキャラ及川でした
悪口三昧の人が一番ウザイわウザイわ (≧∇≦)
音の背後の塀に「世界の品質をあなたの胸に」
そして熱い抱擁
どうしようもない三郎だけど、祐一の音楽の才能を信じ、後押しをする三郎が好きです。
おめぇが捨てたって、俺はおめぇを捨てねぇと言う三郎に涙。
祐一に抱きついて流す音の涙が素晴らしい。
やはり「お借りになりますか」と言ってましたよね、不動産屋さん。
幽霊の安隆が来たときに音さんは「買った」と答えていました。いつの段階で買ったのでしょう。
二階があるなら内覧の時に見ますよね。
ヴィオレッタの声が出せなくて傷心の音ちゃんが見つからなくて家中を探す場面でも、二階がある様子は皆無でした。
ところがある日突然、階段がはっきりと映り、しばらくするとMTが二階に滞在するようになります。
いろいろ、後からの思いつきが足されて行くのでしょうか。
権藤家はお屋敷。
玄関の横には必ず使用人が控えている。
訪問者が取り次ぎなしに主人の私室まで入っていけるとは考えにくい。
身内の裕一だから奥まで自由に通したにしても、使用人に止められずに帰宅することは不可能。
良いものを貶すより、良いものを褒めるって方が合理性があるから
素直に受け止められるんだと思います。
ああよかった。わかってて見てるけど、ほっとした。
泥水まみれのハーモニカシーンは至高
二階の階段は音を探すときもうつってましたよ。前もその話題になったような。
階段が映ったのはもう少し後だと思うけど、記憶は不確かです。
でも、少なくとも二階を探してはいませんでした。二階があるなら二階にも行くのでは?
鉄男くんの「抱擁~」らしくて笑えた(´▽`)
一日が長い。
①福島の喜多一でまさと対面した音が川俣へ
②川俣の教会で音と鉄男に会った裕一が帰宅。雨が降ってくる。
③権藤家で八重の言葉に衝撃を受けて、泥まみれになりながら帰宅。
④濡れた体のままハーモニカで「浮世小路行進曲」を吹く。
⑤服装を整えた裕一、福島・喜多一に現れて家出を宣言。
(もちろん、銀行の人にも挨拶をしなければならないはず)
⑥福島駅前?の階段で音を見おくった直後の三郎と会い、別れの抱擁をする。
⑥のとき、まだ外は明るい。影の長さからすると5時ぐらいか。川俣と福島の移動時間もある。はたしてこれだけのことが可能だったのだろうか。
「で?}
脚本家が撮影始まってから民放ドラマに逃げたので役者もスタッフも大混乱だったと思うよ。二階は後付けかもね。編集も大変だったろうなあ。
呉服屋の若い衆になじられた時、お礼を言って頭を下げた裕一。全てを捨てるというのは、家族や周囲の人の信頼も愛情も打ち捨てて失望させ、汚名を着て、それでも出て行くということだから壮絶な覚悟。
そんな中、一番腹を立てていいはずの三郎が見送りに来てくれる。
「おまえは誇り」「俺みたいになるな」と笑い、「任せとけ」。
暗く冷たい日々、全ての人が敵に見えた日々の最後の最後、三郎の大らかな明るいエールが慈雨のように優しかった。
「で」
分からなければスルーしてください
結局、自分が幸せになれないと、周囲の人も幸せにできないという気がします。不満を抱えて銀行に勤めても、そんなに仕事は甘くないと思うので、結局、傾けてしまったんじゃないかな。そうなった時に、裕一には音楽もないし、音さんもいない。もう何も残っていない。
作曲家としてやっていけるか、不安もあったでしょうが、向かない商売をやるより、裕一らしい人生になることは間違いないですよね。この決断を支えてくれた三郎さん、商売の先見性はなかったけれど、子供を見る目はありました。
「で」の価値を教えてくれたエールかな
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