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>オカマ族絶賛ドラマ
おじいさんとオッサンのキスシーンで喜ぶ人もいるの?
あれはマジで引いた。
フキと慶喜のエピはまったくもって不要でしたね。
あらためて、酷いとしか言いようがないです。
慶喜のべらんめえ口調もあり得ないし、あんなに馬鹿なのもあり得ないし。
それと、信吾の描写とおゆうの描写も本当に酷い。
京都の花街はまた江戸の宿場や吉原とも違うと思う。
描くなら、ちゃんとリアリティを持たせて欲しい。
このドラマは全体的に、描写が軽すぎる。
現代人にしか見えない。
>江戸の幕末の空気感は、よほど民放ファンタジーの方がしっかりと描けていたのではないでしょうか。
全くその通り。
武士それぞれの志や大義、一触即発の緊張感、市井の人々の営みなど、歴史にはあまり詳しくないし、あくまでファンタジーではあるけれど、「仁」のほうが「幕末ってきっとこうだったんだろうな」と思わせるし、引き込まれる
遊女の方々は栄養状態や無理な避妊と堕胎、性病や肺病等で若くして
亡くなられたようですね。
親に売られて来たような生い立ちで、今なお借金の返済に追われる日々
でしょう(着物代等は花魁ぐらいでないと実費で借金)
この大河の描写はお小遣い稼ぎの現代キャバクラで楽しくバイトして
貢ぐホストがヒー様に見えて来ます。
はっきり言って大河の重みが何処にも見えません。
カメラ等の機材が高く最新式な為に映像だけが映画並みに美しくて
アンバランスに感じます。
ヒー様が久光くんを罵るよりも「牛男はどうした?話がしたいが」
ぐらいでやめといて(それもコッソリ耳打ちぐらいで)
吉之助の遊郭接待や根拠なき強気口調で斉彬出して喚いてる時点で
遠島で良かったのでは? アイカナさんとラブラブ生活ばれたとかでも。
わざと遠山の金さんみたいにべらんめえ口調で叫ばせる意味が解らない
久光との確執、一蔵への不信みたいに持って行きたいのかもだけど
格下であれども、謹慎解いてくれた人なんだからね?アレは酷いわ。
そうなんですよ。
この慶喜将軍後見職に指名される前は、慶喜は自宅謹慎処分を何年も食らっていた。
それを久光が解除し、後見職に就けてくれた。
その恩人に対しあれはいくらなんでもない。つまり、制作陣はこの慶喜謹慎処分を受けていたということを知らないであのような描写にしたのではあるまいか。
多分後の四侯会議の決裂の伏線のつもりだろうが、タイミング的にはありえない描写。
それと見逃したのですが、久光と慶喜の御対面は江戸だったのでしょうか。もし京だとしたらこれもありえない事だと思う。
なんで斉彬上げの久光下げなんだろうか?
久光くん頑張れー。
どうでもいいとこが詳しいから本筋の話や登場人物がわからんまま。
知ってるつもりの「西郷隆盛」像をぶち壊し、誰も描かなかった愛すべき“人間西郷”を描くのが、ドラマのコンセプトだろうが、実に描き方が陳腐。
最近のドラマ全般に思う事だけど、どうでもいいところに時間使って、重要なシーンをサクッという感じがある。
次回で折り返し地点になるが、西郷が斉彬の手足となって動いて、久光に疎まれ、僻地へ追いやられただけで半年は長すぎると思います。
このドラマが果たして本当なの?と疑問を持って、図書館へ行って西郷隆盛に関する著書をみたり、ネットで調べてみたりして見たけど、僻地へ追いやられても、他藩の志士との文のやり取りをやっていたそうです。
ドラマでは、そういうのをしないから全然分かりませんでした。
西郷の場合、もう少ししたら活躍し始めるので、面白くなるのかなと思うのですが、このドラマではあまり期待出来そうにありません。
まだ、鹿賀さんと西田さんの飛ぶが如くの再放送してくれた方が、良いような気がします。
久光と慶喜の場面、本当にあり得ないですね。
同行していた一蔵たちの描写も酷いと思いました。
自分たちの藩の当主(実質)を面と向かって侮辱されて、何も言えない薩摩藩士なんて。
本来なら、すわ一大事かって場面ではないのでしょうか。
一蔵の空気読めないKY発言とか、一蔵までバカに描かれています。
何が何でも久光を暗君にしようとするから、無理が出てくる。
徳川慶喜と、久光の裏にいた大久保一蔵。
ふたりとも、もしかしたら性格に難があったかもしれないが、
頭の良さでは抜きんでていた、恐るべきふたりの巨魁。
このふたりの策謀、対立、駆け引きは、すさまじかったんだろうな。
慶喜が「幕府側には(俺はいても)西郷と大久保がいない」
と幕末に言ったという。
後の時代になってからは、
「長州は単純でそのまんまだったから超わかりやすかった。
でも薩摩はズル過ぎた(意訳)」
と言ったらしい。
かしこすぎる幕府側の男と、その男が勝てなかった、西郷と大久保という薩人。
その手に汗握る戦いっぷりを、ドラマで見たかったなあ。
↑そういうのを見たかったです(涙目)。
本当にもったいない。幕末という素材が。薩摩という素材が。
久光のキャラたちすぎ。面白すぎる。訛ってんじゃねーよ、標準語でしゃべれ、とか。芋だの。ラッキョだの。言われ放題。もう西郷どんは久光見たさにチャンネル合わせてると言って過言ではない。久光サイコーーーー!中園ミホ先生サンキューーーー!
このドラマでは主役の西郷がなんの魅力もないと言われて久しいが、準主役であるはずの大久保一蔵はさらに魅力がない。
ただ神経質そうなだけの描かれ方で、あれでは人の上には立てないでしょう。
これから魑魅魍魎といわれる朝廷を、あるいは妖怪といわれる岩倉を手玉にとる懐の深さを感じさせる大久保像を描けるのか。
まあ、無理でしょう。
何回観ても良い。24回は神回。何回観ても飽きない。西郷どんのベストオブベスト。西郷と大久保の絆を強調する中園ミホ。さすがだ。歴史が分かってる。琴線の触れどころが分かってる。ここがポイントなんだよ。司馬遼太郎に引けを取らない。分かってるよ中園ミホ。
うん。
大久保が西郷に負けず劣らずつまらないのは本当に残念。
それに加えて、慶喜と久光があんな描かれ方。
もっと面白い話のはずなのに、悔しいな。
島民の食事の提供を拒否する西郷。その理由は藩命に背き島民に迷惑がかかるから。自分の命よりも他人のことを考える。本当にそんなことができるのか。実は実際にそれを実行した人たちがいます。インパール作戦に従軍した日本陸軍の兵士たちです。補給もなく無謀な作戦と批判された戦いです。兵士たちは飢えに苦しみバタバタと倒れていきます。インパールからビルマに帰る道は日本兵の白骨死体で埋め尽くされ、「白骨街道」と呼ばれました。しかし驚くべきことに、餓鬼や幽鬼のような姿で山中を引き揚げる日本の将兵たちのだれ一人、退却途中の村を襲っていないのです。元々インパール作戦はインド独立のために戦われたものです。それなのに腹が減ったからといって略奪したのでは本末転倒です。
家臣である西郷からバカにされたような国父ならきっと暗愚に違いなく、譜代の御三家筆頭の家に生まれた名門中の名門の出である慶喜なら最もバカにしたに相違ない。
と、中園ミホ程度では、それくらいの薄い歴史認識でしか久光を捉えられないのだろう。
そういう歴史に対する深さがないのでドラマが漫画になってしまう。
慶喜と久光の対立が見所だったね。この二人相当仲が悪かったらしい。将軍後見職にしてやったんだから感謝されてもよさそうなもんだが、田舎者がエラソーにと全く相手にせず。慶喜は久光を天下の大愚物・大奸物と罵ったという。まあ、実際ドラマさながらのやり取りがあったわけだ。史実を面白おかしく魅せる中園ミホの手腕。アッパレ!
奸物!と言ったときは、
なぜ慶喜が久光に対してそう思ったのか。
久光の何が悪かったのか。
どこが許せないのか。
慶喜は全部を理路整然と説明したという。
イモと言ったり、死んだ斉彬と比べたり、そんなくだらない悪口じゃない。
天下国家の動かし方についての大演説の終盤に、奸物!と言ったのだ。
もちろんそんなんじゃ、林真理子や中園さんにとっては面白くもおかしくもないんだろう。
それと、久光を奸物!と罵倒したときは、
慶喜は「ものすごく酔っぱらっている」という演技付きだったそうだ。
自分で演出して、自分で演技して、
「まー、慶喜さんも正気で言ったわけじゃないから」
という逃げ道を確保してあったらしい。
もちろん久光はそれでもとても怒ったわけだが。
しらふの状態で、大の大人に向かって
「このイモが」と言ったのではない。
そんなことしたら、今の世の中でだってただのアホだろう。
それこそ遊郭で会えば良かったのでは?
中園さんは知らないのかもしれないけど、慶喜は江戸育ちじゃないんだよね。
「水戸っぽ」と呼ばれる頑固でごっつい水戸人に、水戸で育てられた。
水戸はお江戸日本橋から100キロ離れているし、東北の玄関口と言われる町で、そんなに都会ではない。
もちろん薩摩と江戸の距離に比べたら全然大したことないけど、慶喜は「自分は水戸人」という意識が強く、地方の人間を「田舎者」とバカにするような意識はあまり無かったと思う。
セリフが安易なんだよね。
花アンでも、ヒロインのモデルは山梨で英語の先生をしてたのに、ドラマでは「山梨には英語の本なんか一冊もない!」というセリフがあったのを思い出した。
慶喜が久光を奸物と罵ったのは、もっとずっと後の四侯会議の決裂時。
謹慎処分を解除してくれた久光との初対面に、いくら慶喜でもあんな失礼なことを言うはずがない。
歴史解釈の薄い中園では、そこら辺がごちやまぜになり、ああした有り得ないシーン続出となる。
慶喜が久光を薩摩のイモと罵倒したのは、いよいよ徳川幕藩体制も行き詰った四侯会議での席上の事。
15代将軍となった慶喜であるが、諸外国との開港問題に対し旧来の幕藩体制では対処できないという事で、薩摩藩の提案で雄藩と将軍との四侯会議というものが設置された。
しかしこれは薩摩の影響力が益々増大するものと憂慮した慶喜が、この四侯会議を潰すべく久光を罵倒したもの。
しかしこれは結果的に裏目に出て、薩摩はいよいよ徳川政権を崩壊に導くべく倒幕に舵を切ったきっかけともなってしまった事件である。
したがって、慶喜が久光を罵倒したのは理由があっての事であり、今回のように理由もなく謹慎処分を解いてくれた恩人久光に初対面で罵倒するということはあり得ない事であり、
それどころか、この後禁裏御守衛総督となった慶喜と薩摩藩は禁門の変で、共に協力して長州と戦うという事実からも矛盾するという始末になる。
奸物とか愚物とは言ったけど、薩摩のイモとは言ってないでしょ。
久光も、「薩摩の芋!」と言われたのなら、
「この、水戸の納豆野郎が!腐った糸引き豆が!」
と言い返せばよかった。
それぐらい、低次元でくだらない台詞、ということ。
あの短いシーンだけでも、こんなにツッコミどころ満載とは。
ある意味、おそるべし。
昨夜、民放が面白くないのでBSに変えたところ、京都ぶらり歴史探訪京都に残る西郷の足跡、というような番組を放送しており偶然視聴した。
それによると、ある寺には西郷直筆の書や漢詩のようなものも残っており、それを見ると、ドラマで見せているような筋肉バカではなく、もっともっと教養も深く、洞察力も鋭い人物だったのではないかと思う。
また戊辰戦争で戦死した薩摩藩士五百何十人の鎮魂碑に、その戦死した全員の名前を西郷自身の直筆で刻んだそうである。
その中には、弟西郷吉次郎の名前も当然ながらある。
ドラマでは西郷吉二郎となっているが、碑銘は西郷吉次郎となっていた。
そのお墓は打ち捨てられていた藩士を弔う為に西郷が私財で建立した。
本当の西郷は、魅力的な人物だったと思います。
「芋の蜜!」と答える良子
芋も納豆もヘルシーで、身体にいいよね。
この西郷をKOEIのゲームに出したら
政治10、武力20、智謀10、魅力99とかだろう
魅力99の根拠が曖昧なような気がする....
それより何より遊郭に入り浸って政治から逃げまくっていたバカ殿に描かれていた一橋慶喜が久光を罵倒したところで(特に時折べらんめえで)全く説得力はない。
久光も自分の意志より左大臣家の近衛忠煕・忠房親子に「孝明天皇の覚えがめでたくなるぞ」とおだててたき付けられ寺田屋で尊攘志士の弾圧をするバカ殿に描かれているから、まあどっちもどっちだけど。
日曜日は60倍速を止めて視聴したのは慶喜と久光の対面場面だけ。
見るに堪えず視聴止めたドラマだけど、無理やり強引に原作と脚本に好意的に考えれば、当時の支配層の武家社会の上層部はどいつもこいつもろくでもない無能の阿呆ばかりで、真の民衆の味方は奄美や沖永良部の島民であった、ということ?
それなら「獅子の時代」のように伊藤博文ら明治政府の横暴をリアルに告発し、大久保利通と内部から改革しようとした薩摩藩士出身の加藤剛と、北海道の劣悪な監獄生活での抵抗や自由民権運動を通じ外部から異議を主張した会津藩士出身の菅原文太の挫折から視聴者に問題提起した骨太作品の方が今でも心に残って遥かに優れているけど。
キャバクラみたいなおかしな遊郭も出てこなかったしね。そこの遊女を妾にする一橋様ってマジで頭が痛いわ本当に。
西郷さんはとにかくモテる人、みたいなナレーションを最初の頃、聞きました。
貧しい女の子を救おうとする、気の毒な篤姫に尽くす、弱い島民の味方をする・・・気の毒な立場の女の人が味方をしてくれる西郷さんに惚れるのは、まだ理解できなくはないです。
でも、薩摩の郷中仲間や、ヒー様や斉彬、佐内さんや他の男性の登場人物がなぜそこまで西郷さんに一目置くのかわかりません。相撲と鰻取り、斉彬には意見書、遊郭で踊ったとか、特にこれという話が思い出せないのですが、そんなことで、そんなに支持されるとは思えず・・・
当時の優秀な男性達を惹き付けるのは、西郷さんの思想とか、それにまつわる実行力とか胆力みたいな、もっと何かが必要だと思いますが、それがほとんど描かれてこなかったような気がします。
サッカーだとゴールを決めるとかナイスアシストとか、誰がみてもわかるけど、このドラマでは、男性に支持される理由がさっぱりわからないです。
それはわからないのが当然だと思います。
だって制作陣もわからない、理解していないからセリフで誤魔化しているのですから。
所詮このドラマはその程度ということです。
さてドラマとは別にして、西郷の本当の魅力とは何だったのか。
それは多分、人の上に立つ器量、ではないかと思われます。つまり包容力。
龍馬が言ったとされる、大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く、という底知れぬ包容力。
そういう意味で、トブガ如くでの西田西郷はこのイメージに近く、本ドラマの西郷像は真逆ではないかと思われます。
今作の西郷ってとにかく中身のない人に見えてしまうんですよね・・・。
たとえば弱者に優しいにしても、今作の西郷がやることって、目の前の困った人にその場で手を差し伸べるだけで、自分がその場を去った後、自分がいなくなった後のことは何も考えていない。
根本的な問題解決というのは、ほとんど何もしていないですよね。
これでは、政治家としてはまったく意味がないというか、こんな人では歴史に名を残せるはずがないと思うので。
今作でどうしても、弱者の救済者として西郷を描きたいのならば、ただ優しい人ではだめだと思うんですよね。
「決断」の陰には、必ず「犠牲」というものがつきまといます。
その大きな決断ができる男が大西郷ではなかったのでしょうか。
いくら威勢よく倒幕だ攘夷だと言っても、みな心の中は不安でいっぱいだったと思います。
この人について行けば大丈夫、という安心感を与えてくれる大きな存在が必要だったと思います。
ああ、私なんぞが大西郷について語るのはおこがましいです・・・。
以前、直虎のドラマで、徳川家康が論功行賞の際に、武器の手入れを丁寧にやり遂げた直政をほめてあげるシーンが印象的でした。
そんな地味な働きぶりを家康がちゃんと見ていてくれたことに、若い直政は感激して、家康のために頑張ろうと思ったわけですが、その心情もすごくわかりますし、そのエピソードを通して、家康の上司としての魅力も伝わって来ました。
でも、西郷どんの場合、そういう、なんて大きな人物なんだ!とか、すごい決断のできる人だ!と実感するような具体的なエピソードが何かあったでしょうか。
右往左往して、騒いだり泣いたりするシーンしか思い出せません。史実とかファンタジーとか問わないので、何か凄い人だと腑に落ちるエピソードを期待したいです。
面白かったね。久光と慶喜のバトル。続きもありそうだから楽しみだ。この二人仲が悪い。それをどう表現するかが脚本家の腕の見せ所。ドキュメンタリーじゃないということを中園ミホはよくわかっていてる。さすが一流脚本家。完璧な仕事だった。見事。
今さらの感であるが、
歴史小説、歴史ドラマというのは、その歴史に対する解釈や洞察力が問われる。
例えば大河ドラマ篤姫は、創作満載でありながら多くの視聴者を惹きつけ感動させ、空前の視聴率と一大ブームを巻き起こした。
これは、その篤姫という人間に対する制作側の一つの解釈であり、多分実像と違うであろう事は推測するに難くない。
しかしながらそのドラマで見せた鋭い人間観察力と歴史への深い洞察力が視聴者を惹きつけたのである。
そうした面からの本作は、その歴史及び登場人物に対する洞察力、観察力が圧倒的に薄っぺらく、劣っているが故に矛盾が生じドラマとして辻褄が合わなくなっていくのである。
篤姫って、そんなに鋭かったり深かったりしたかな?
最初から最後まで見たし、面白かったし、感動したところも結構あったけど、そんなに物凄い名作だとは思わなかったな。
宮尾さんの原作が、「家定は体は弱かったが知的にはまともだった」という解釈で、そこが斬新だったんだよね。
やっぱなあ、原作かな。
篤姫の原作には、宮尾登美子の人生観が投影されていたと思う。
都会の商家育ちで、田舎の農家に嫁に行った宮尾さんは、姑から
「農家に嫁に来たからにはあんたは農家の人間だ」
と叱られたり、
それに対して宮尾さん自身が
「自分は強制されて農作業をするのではない。自分の意志でやるのだ」
と考えたり。
「徳川に嫁に来たからにはあなたは徳川の人で、島津の人ではない!」
と大奥の人から意見されたり、
篤姫が自分から徳川家や大奥の人間を守ることを決意したり、
それは宮尾さん個人の人生を、時代を移して場を変えて拡大したものだったとも言える。
だからドラマの篤姫も、心の持ち方とか生き方に一本の筋が通っていたんだと思う。
中園さんも林真理子も、西郷に何を投影させていいのかわからないんじゃないか。
自分たちとの共通点もないし、共感できるところもない。
実はふたりとも、西郷に興味もないのかもしれない。
興味があるとしたら、西郷がゲイだったかどうか、どこが女にモテたのか。
西郷の仕事、業績面はほぼどうでもいい。
ドラマ「篤姫」と「西郷どん」の違いが、そういうところから生まれてきていると思ったりする。
篤姫の原作である宮尾さんの小説も当時読んだが、まったく面白くもなんともなく、ドラマとは別作品と感じた。
女の道は一本道、という名文句も小説にはなく、脚本が生み出した世界観。
大河ドラマ篤姫の何が凄いのか、というと、人にはそれぞれ役割がある、という斬新な歴史解釈でドラマの始めから最後までこのドラマを、歴史を裁断しているところ。
こういう骨格がしっかりしたドラマこそほんとうは、骨太大河と言うべきだと思う。
こうした歴史解釈は、司馬さん始め誰も言ったことがない。
コロンブスの卵ではないが、こういう誰も言わなかった、誰も気が付かない歴史解釈こそが称賛されるべき。
つまり篤姫というのは、薩摩に生まれ徳川家に嫁いだが、その薩摩によって徳川家は滅ぼされたが、徳川家に尽くすことが篤姫の役割だという歴史解釈。
その歴史解釈を彩るために、女の道は一本道決して後ろを振り返ってはなりませぬ、という一つの哲学に昇華させている。
またこの、役割、というキーワードでもって調所や井伊直弼を歴史の点として位置づけている。
それに比べ本作は、この篤姫の足元に及ぶべくもない。
うーん・・・
「篤姫」の脚本を書いた人って、「江」の脚本書いた人だよね?
篤姫と江の差を考えると、脚本家の力よりも原作の力が大きいと思う。
中園さんがダメダメなのは否定しない。
ドラマ制作における脚本は最も重要とは思うが、
それに同じほど重要なのは、制作統括の力量だと思う。
篤姫と江の違いは、制作統括の力量の差だと思う。
実は、この西郷どんの制作統括櫻井賢が、以前制作統括として携わった大河ドラマが、江、というオチ(笑)
なるほど、制作統括ね。
私が言いたいことはコメントで網羅されているので、とりあえず星を。
制作統括、江の人だったのか…。中園脚本ということで不安が大きかったが、制作統括はマッサンの人だから何とかなるだろうと思って見始めたら「あれ?」という展開だらけ…。全てがダメな方に向いてしまった大河だったのか~…。
「篤姫」の脚本は大半が、田渕さんのお兄さんが書いたのだと言われていますね。
ただのガセネタではないように感じます。
久光と慶喜のやり取りを除いては
面白かった
久光に対する慶喜と春嶽の考え方は、短いシーンながらも「八重の桜」の方が端的に上手く纏めていましたっけ…
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