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へんに社会的な高い価値が付与された人物をモデルにしたりするからこんなことになるので、普通の名もなき市井の人を主人公にしたら、それで済んだのにと思います。
これだけのことをして、期待をするな、というほうが無理だし、背景知識のある人に、それを抜きにして、頭をからっぽにして見ろ、というのも酷なことです。
でも、仮にそうしたとしても、私はこのドラマがおもしろいとは、感じません。つまらないです。全然ワクワクしません。得るものがありません。得るものがないドラマは楽しくありません。
これは私の感性の問題ですから、だれにも反論の余地はありません。「私はいいと思う、楽しいと思う」という感性の人に、だれも「それは違うだろう」と反論できないのと同じです。
ただ、それだけでなく、私は客観的に見たこのドラマのまずさやクオリティの低さも、説明できます。
これは理屈上の話ですから、いくらでも反論の余地はあります。私も、もし反論があれば、いつでも応じられます。ここでやるかどうかは別として(笑)
でも、そういう理屈の上での反論というのは、あまり見ないようですね。感性と理屈は全く別物なので、同じ土俵で議論することはできないのですが、どうもそのへんが、ごっちゃにされているような気もします。
ともあれ、私にとって、このドラマは、感性の面から言っても、ワーストの部類に入ります。
長年の朝ドラ視聴者ですが、朝、引き込まれるように見て、明日はどうなってるだろうと、ワクワクしながら元気に出かけるということが、ほとんどありませんでした。
よって、今はほとんど見ていません。時計がわりにテレビをつけていることはあっても。
私も、ひと月くらい前には、結構楽しんで見ていたのですが、少しずつ、なんか違うなあーと思うようになりました。
毎朝、何にも感じることなく、ただ、ただ、楽しんでおられる方は羨ましいと思います。
やっぱり、脚本家の方に、もっと責任をもっていただきたかったと・・。
私は、何十年前かわかりませんが、最初に朝ドラに接したのは「おはなはん」です。主演の樫山さんより、ご主人役の高橋幸治さんに、女性フアンが凄く痺れました(勿論わたくしも!)
「ごちそうさん」の東出さんは、ドラマの内容はどうでもとっても楽しみな存在でした。
今回は、そんな方がおられなくてちょっと残念です。
上の投稿者です。
こんな事を言いましたら、凄い反論があると思いますが、カヨさんには同情できません。
イジイジしないで、早く立ち直るべきです。
かよの苦しみが丁寧に描かれて、肝心のハナの心理描写が不思議なほど少ないのも変ですよね。誰が主人公なんでしょうか。そして蓮子さんの嫁姑問題なんて、全然要らないです(汗)。蓮子さんに関してだって、もっとほかに書かねばならないこと沢山あるでしょうに。
私もこのドラマに対しては失望している者ですが、なかなか立ち直ることの出来ないかよについては、薄情で自分勝手な人間が多いこのドラマの中においては、とても情の厚い人間なのではないかと思ってます。かよは、最後にイクヤさんに「バカっちょ」と言ったことをとても後悔しているのだと思います。イクヤさんがこの世で最後に聞いたのであろう言葉が「バカっちょ」。これほど自分を好いてくれて、また自分も好きだった男性に向かって自分は何という言葉をかけたのかと、身を切られるような辛さ…それは私にもわかります。
しかしながら、共感出来るのはここまでで、蓮子さん宅の嫁姑問題、何だアレ?実際白蓮の義母は働く白蓮に代わって家事一切取り仕切ったというのに。いくら勘当されたと言っても、天皇家の縁戚にあんなエラそうな態度を取れるわけねーずら。まぁ、料理指導ということでかよの出番を増やしたかっただけでしょ。映画祭最優秀女優賞受賞した黒木華さんの出番をね。それを皆が望んでいる。皆が面白がってくれると信じて疑わない脚本家とNHKの思い込みに呆れてモノが言えません。
このドラマ、誰が主役?何のお話?
今あってる朝ドラって「渡る世間は鬼ばかり」?
状況をセリフで説明するところも同じだし。
かよってそんなにイクヤのこと好きだったの?
ちょっとだけ、この人いい人かも…って思っているような描写は記憶にありますが。
デートしたり、お互いのことを語り合い理解し合うような場面はなかったような。
突然のプロポーズに逃げだして、その場に残ったイクヤが亡くなり、後悔して悲しいのはわかりますが、イクヤの夢である乞食と王子の単行本の出版にそんなに前向きになれないと戸惑うほど、深い繋がりはなかったように感じてしまいます。
私はですが…。
はなが雨の中で抱きしめられただけで、
辞書を窓からぶん投げるほど村岡への思いに苦しんだのと同じくらい違和感があるのですが。
>イジイジしないで、早く立ち直るべきです。
私は黒木さんの名演のおかげでかよに同情しきりなのですが、反論はしません。それより、なぜこう思われたのかに興味があります。郁哉との恋がそんなに深いものとして描かれていなかったから不自然に感じる、というようなことなのかしら。
自分と真逆の意見でも「感性の違い」で片付けずに、どうしてそう思うのか、純粋に興味が湧いたりすることがたまにあります
描写がない、というのが大きな原因です。
だって、人間って、実際に見せられなきゃ信用しない生き物でしょう(笑)
いくら口でべらべら説明されても、ほんまかいな、と思うだけです。
で、またそのセリフやら行動やらが突拍子もないものときている。
彼らの恋愛模様は、どこにも描かれていなかった。カヨが恥じらいのあまりイクヤから遠ざかったということも、十分に語られていなかった。
この流れからすると、今のカヨの憔悴ぶりはいったい?と当然なりますでしょう。
黒木さんの名演技だけを単体で見ているわけではないんです。
それはそれ、すばらしいかもしれない。でも、でもなぜ?となってしまうのです。わかっていただけましたか?
どうも「いい」という人と「よくない」という人は、どこを見ているのか、という根本的な食い違いがあるような気がします。
私も、かよの悲しみや後悔の念には共感できました。
このドラマで、こんなに共感できたことがないというくらいです。
ただ、「花子とアン」というドラマの中で、それももう終盤にさしかかろうとしている状況で、いつまでも脇役のかよにかまっていられないだろうに、とも思います。
はなの翻訳家に向けての話を進めてほしいですね。
はなの行動や台詞に感動や共感をしたことがあまりないので、そのへんはとても残念です。
これから、期待できるといいのですけど。
あ、2014-08-05 19:14:28のコメは、質問を受けた元コメの方ではありません。
私も同じように感じていたので、つい書いてしまいました。
元コメの方、横入りすみませんでした。
本当にね、実在の人物の名前を出してなかったら、
こんなにイライラしなかったかも。
(私はですが。かと言って、そうしていれば面いと感じたわけでもない。)
ただ、実在の人物に対する愛情のなさに
怒りを覚えることはなかったな、というだけです。
なんで村岡花子さんをあんなに無神経な人に描けるのかね〜。
主人公をそんなに貶めてどうするだ?
伝助はもう出さなかったほうがよかったと思う。
元々出す予定だったらいいけど、
そうでないと人気取りで出したんだなって思われる。
こういう大人の事情(?)が見えるのが嫌だ。
もう!プライドを持って、
しっかりドラマを作ってほしい!
そして、どんどん薄くなっていく主人公の姿…
だれが主人公?
もちろんこのドラマはフィクションだけど、
登場人物に対する愛情を持ってほしいと思います。
なんでもかんでも面白おかしくすればいいってものではない!
…というか、今の状態、面白くないですよ!
面白おかしく感じるところってありますか?
史実のとおりにしてほしいわけではないのです。
登場人物に愛情を持って作ってほしいのです。
私は、
今のところ、
スタッフの伝助に対する愛情は感じられますが、
ほかの登場人物に対する愛情は、
主人公に対してすら全く感じません。
というか、
主人公に対しては非常に冷たいとさえ思います。
かよさんに同情出来ないと投稿したものです。
関東大震災で亡くなった方は、10万5千人もいらっしゃいます。
それぞれ、どんな辛い別れがあったことでしょう。でも、めそめそしている場合ではなかったと思うのです。
その後、花子さんには、もっともっと辛い悲しい別れが待っています。白蓮さんにも・・・
カヨさんに絞ってのドラマでしたら、まだしも。 と、・・・
>2014-08-05 18:54:50 名前無しです。お答えいただき、ありがとうございます!
2014-08-05 19:14:28 名前無しさんもありがとうございました!
なるほど。他の方も書かれていますが、かよが主役のドラマじゃないですものね。今回に限らず、花子が何を考え感じているかの描写が脇役よりも少ないことには、私も常々疑問を感じてました。
あと「めそめそしてる場合ではない」という発想が私にはなかったですね。多分、私だったらかよの比じゃないくらいめそめそしてたと思うから(笑)。捉え方が私とは全く違うんだろうな、と思って質問してみました。やっぱり、自分の中にない感じ方をされてて面白かったです!
>2014-08-05 19:14:28 名前無しさん
>どうも「いい」という人と「よくない」という人は、どこを見ているのか、という根本的な食い違いがあるような気がします。
これ、私も常々感じていることです。この食い違いを対立にならずに探っていけたら面白いのに、と思ってここを覗きに来てます。極たまに、自分の中には全くない感性に出会って、しかもそれがすごく新鮮で面白いと感じられる時があります。
お二方に答えて頂いて、その面白さを今日は感じられました。
多分、黒木さんがお上手じゃなかったら私も「郁哉とそんなに親しくなかったじゃん」と感じていたと思います。
自分は割と脚本本位で、雰囲気だけで感想が変わったりはしない方だと思っていました。ですが今回、脚本よりも更に役者の演技中心に見ている自分に気づきました。ちょっと発見です。
かよさんメソメソですか?
くるしんで辛いけど
働いていたら忘れられるて
少しずつがんばっているように思いますが
今日の蓮子さんとのシーンとか
葛藤と前に進まなきゃてかんじ
いい演技だったと思いますよ。
王子と乞食の単行本を作ることと、かよの気持ちの変化をどう描くのでしょう?黒木さんの演技に引き込まれてしまいましたが、花子と英治の仕事がかよの気持ちを変えていくような気もします。
かよちゃんは、頑張ってると思います。
ちゃんと仕事もしてるし。
それより村岡父の方が、見ていて辛いくらいですね。
でも大事な息子と会社を失ったのだから、それも仕方ないと思いますが。
かよや蓮子さん 朝一くんや伝様
みんな感情移入できるのに
なぜ花子には共感できないのか
ヒロインはみんなを幸せにする
ポジションなのに、
みんなに幸せにしてもらって
ばっかりで自分から人生をきり開いているように
描かれてないからなんだな。
ほんとの村岡花子さんは
こんなひとじゃないはずだから
なんか描く根本がずれてる。
最後にむかってアンの翻訳で
みんなを幸せにするところがっつり
描いてほしいけど。
なぜ、白蓮にあの台詞を言わせたのでしょう。
働くことで哀しみをまぎらわそうとしているカヨに対して何の躊躇もなく
「郁弥さんのこと(を気にしてるの)?」とは・・・
不躾にもほどがある。
と思ってしまいました。
あそこは無言でいたわるようにカヨを見やる・・・とした方が、カヨの心を思いやる心情が伝わってきたと思います。あれでは蓮子様がただの無神経な人になってしまう。
そして、カヨに単行本化に難色を示されたときの花の表情。まるで「てっ?」と言い出しかねない目をまん丸くした驚きの表情にしか私には見えず、がっかりです。
その後いくら深刻そうな表情をしても、何も伝わってきませんでした。
伝様へのラブレターを訳そうとして躊躇う表情はとても良かったのに、もったいないなぁ。
そして蓮子のことを心配して上京してきたに違いない伝様に、まさか出版社&印刷会社立ち上げのための資金援助なんてしないよね、しないでね、花さん。すごく不安。
このドラマはつまらない。なんでだろうと考えて、原因の一つは、知的欲求がぜんぜん満足させられないことだと気づきました。
村岡花子と白蓮という当代の知識人が主人公なのにもかかわらず、知的なところが、どこにもないんですから。
知的といっても、そんな高尚なことを求めているわけではなく、翻訳やってるなら、翻訳の方法とか、どんな言葉が訳しにくいのかとか、辞書の使い方とか、少しぐらいは見せてもいいでしょう。
歌を作ってるなら、歳時記のこととか、何を見てイメージするのか思いつくのかとか、言葉をたった三十一字にどうやって整えるのかとか、少しぐらいは。
少しは、「そうだったんだ、なるほど」「初めて知ったわ」などと興味を持たせてくれなければ。
今までの朝ドラでは、ほとんど、主人公の仕事にもとづくウンチクが盛り込まれていました。
「ごちそうさん」はもちろん料理。知らない料理や珍しい料理の作り方など「ほー」と思いながら見てました。
「あまちゃん」は海女さんの生活や潜水の知識。これも「ほー」でした。
「カーネーション」はモード。戦後、海外のトップモードが日本でどのように紹介され受け止められていたか初めて知りました。ミニスカートの流行がどうやって起こったのかも面白かった。
こういうことをするためには、脚本家の相当な取材と勉強が必要だと思います。でも、いい話にするためには必要なことと、多くの良質なドラマでは、その労を惜しんでいません。
ところが、今回ときたら…。
マンガの話ではありますが、「のだめカンタービレ」の作者は、音楽はずぶの素人で、まったく知らなかったと聞いています。それで、あれだけの雄大で考証も綿密な一大音楽ドラマを作り上げているのですから、その苦労は並大抵のことではなかったでしょう。
この努力の100分の1でも今回の脚本家がしていれば、素材を生かして面白くすることができたのに、と思うと、ほんとに残念です。
まあ『のだめ』は傑作なので比べるのはあまりに酷ですが、そうですねえ、あれほどの考証というか『のだめ』は監修の方がいらっしゃるのですよ。のだめのモデルとなった方がやってらっしゃいます。
そういった意味ではやはり補佐の方が必要でしたね。けれどそもそ翻訳に重きを置こうとしない姿勢は監修が入っても変わらないような。翻訳家の花子を書く、という決意があれば、周りの助けは中園さん自らお願いした気がします。お一人では限界もありますし。方言などは監修が入っていますしね。
不思議なんですが演出の方はこれでよかったんですかね。プロなんですから破綻はぜったいわかってるはずなんですよ。脚本家村岡花子をめぐる人々と最初からしたのかったかしら。モンゴメリの作品には『アンをめぐる人々』というものがあります。アンはまったくでて来ないので踏襲してるとは思えないのですが(思いたくはないのですが……)
黒木さんの熱演には自分は惹きつけられます。もう構成は諦めたせいだと思います。本当はイクヤさんとの馴れ初めエピソードを増やした方が悲しみがより伝わったというかそうすべきだったでしょうね。
ここまで来たら要所要所で観ていくしかないなと自分は思います。けれどやっぱり主人公の花子を好きなれないのがいちばん辛いですね。吉高さんの演技に問題があるのか。脚本がひどすぎるのか。演出で補えないのか。その全てか。
黒木さんを観ていると、全部かなあと悲しくなります。
伝ちゃん好きだったので、まさかまさかの登場で、伝ちゃんまで駒に使うかとかなりショックです。展開が(自分はそう思います)読み切れてしまって呆然としております。やりすぎよ、中園さん。伝ちゃんまでお笑いパートに持ってくるなんて、と気が抜けてしまいましたよ~
朝市だけはなんとか最後までキャラブレしませんように。マジで泣きそうっす。
相当自分はハードル下げて観ているつもりです。それがせめてもの花アンへの愛かな。
>知的欲求がぜんぜん満足させられない
まことにその通り。
主人公のことだけでなく、こうも適当に日々なんとか15分がつながればいいみたいな場当たり的作り方なんて朝ドラとしても見たことない。
話の筋やキャラ作りをまるで計画的にしていないのか?
どれもこれも中途半端でそれぞれのキャラもいったい何を大事に感じて生きている人物なのか支離滅裂でこんな時期になってるのにそれぞれの個性がはっきりわからない。セリフに至っては大人とは思えないほど皆さん幼稚。それが伝助や村岡父のような年齢のいい大人の男までそうだから正直見ていて気持ち悪くなります。
ドラマで見たい人物というのはただその時を場当たり的に適当に生きてる人たちじゃない。
いつの間にか王子と乞食の単行本出版のこともなぜか郁弥の夢、になっている。おかしいでしょ?夢、というなら村岡花子が訳して花子のドラマなんだから彼女の夢でなくちゃ。なんで当の本人が死んだ人の夢だから頑張る、みたいになるのか。こんな主体性のない人間、ドラマの主人公には見えない。
もうずいぶん前からこのドラマは朝ドラでも最低のレベルの脚本、という声が上がっていて、その時は実はまだピンとこないところあったし期待しているところもありました。
しかしここに至って、本当にその通りだと私も感じています。いくら気楽に見たい朝ドラといえど見ていて楽しめる最低レベルの知的満足くらいはさせてほしいもの。恋愛主体のドラマだって、もっと気のきいた男女間のセリフややりとりなんて良いドラマにはたくさん出てきます。
先週の内容で申し訳ありませんが...
7月30日放送の郁也のプロポーズのシーンで生演奏された「魅惑のワルツ」が気になって調べてみました。
皆様もご存じと思いますが、この曲は1957年に映画「昼下がりの情事」(主演:ゲイリー・クーパー、オードリー・ヘップバーン)で使われています。
でも作曲されたのは、1932年だそうです。関東大震災の9年後です。
後年に作曲された曲をドラマのBGMで使うのは構わないと思いますが、生演奏してしまうというのは、どうなのでしょうか。
私と私の小学生の子どもは、赤毛のアンが好きで番組を見始めました。始めは、お弁当がないのに勉強する姿に自分もお米を残さないで食べたい、勉強を頑張りたいと刺激を受けていたようでした。
しかし、内容が発展するうちに、おとうに知らない女性が現れたり、奥さんのいる村山さんが主人公と抱き合い、蓮子が旦那さんを置いて駆け落ちする姿に、うちのパパとかこういう人でなくて良かったねと言うようになりました。ドラマをまだ見ているのは、赤毛のアンの翻訳の様子を見てみたいからです。
昨日も花子の英語力を披露するための意図か、神戸の夜はという内容は夏休みの子どもたちには聞かせたくなかったです。
私の疑問は
●史実では略奪婚で相手の子どもを引き取らなかった花子がなぜ近所の子どもたちに童話を聞かせることができるのか
●社会主義の男性、姑でも女性に家事を強いる事は不平等と思わないのか
●史実とは異なる内容はどこまで許容範囲で、朝のどの年代の国民も見る時間のドラマで描くことが許されるか
の3点です。最近は繰り返される甲府弁に、愛着を感じられなくなってきました。甲府の皆様、申し訳ございません。あまちゃんのように、地元に行ってみたいという観光客も増えてはいないのではと危惧しています。
王子と乞食、わたしも郁弥の「夢」ではないと思います。出したらどうかな?!グッドアイデア!みたいな感じでしたよね。
郁弥が言ってくれたとはいえ、単行本にするのはどちらかといえば花子にとって夢のような話なのだし、花子が「郁弥さんがわたしにくれた夢」って捉えていたほうがいいんじゃないかな。
郁弥のため郁弥のため、って言いながら、花子の手柄を増やすのがよくわからない。
このあたりもまっすぐなヒロインに感じられないのだよなあ。
郁弥の、王子と乞食を単行本にしたい、が最初にあって、それを助ける形で花子が翻訳したという流れならわからなくもないけど、翻訳させてください!と言ったのは花子なのだし。
郁弥はせっかくだから出そうよ!のポジション。
こういうヒロインにいいことが、周りの願いみたいになっちゃうのも共感できないひとつかな。
知的欲求が満たされない。
本当にそうですね。花アンを見ることで知ることができたことを考えてみたのですが、給費生、っていう制度ぐらいかなぁ。恥ずかしながらしりませんでしたので。
あまちゃんでいえば琥珀のこととか、マメブのこと…その地域のことをいろいろ知りました。
ごちそうさんは鯛の鯛とか、あと戦争についても知りたくなって、他の本を読んだりしましたね。
自分がドラマをどれだけ真剣に見ていたかにもよるのでしょうが、得るものが多い、という感じは花アンには少ないかも。
上の方が書かれていたことを私も思ったのですが、蓮子は女性が家事マシーンのように扱われることに疑問は感じないのですね。
女は嫁はこうあるべきとガミガミいうお姑さんから守ってくれない宮本に失望したりはしないのかしら。家事育児を完璧に担っていたら、優雅に歌を詠む時間なんてないでしょうに。
伝助をあれほど嫌っていたのに、やっぱり若いイケメンがよかったのね、と思ってしまいます。
ブラックバーン校長の回想シーンのあたりは泣けました。
過去が最良ではなく将来にあるという言葉はイイですね。
多くの人に元気を与える本作りに励んで欲しい。
蓮さまの育ちの良さは一生抜けきることはないでしょう。周りの人とはコントになるくらいの違いがあるくらいだもの。
花子の結婚後、男性の育児参加や女性の仕事と家事・育児の両立が、やけに強調されているのが気になります。村岡や宮本は赤ん坊の世話。花子は翻訳もこなし手の込んだ弁当も作る。歌人の蓮子は家事全般をこれから覚えることに。仕事も家事・育児も両方デキル女とイクメンとしてサポートする男。
しかし、電化製品の普及していない時代に女性が仕事も家事もこなすのは相当厳しい。夫が余暇に育児を少し手伝うくらいでは、回って行きません。仕事と家事両立の苦労を描くなら分かりますが、女中の手も借りず涼しい顔で全てやってのける花子は、あり得ません。あの時代に今の男女共同参画社会の理想像を無理やり当てはめているようで違和感を覚えます。
蓮子に宮本家の味を伝えようともせず、単に家事を強制する姑に納得できない、という感想が昨日出ていましたが、同感です。掃除をちょっと監督しただけで一緒に台所に立たず、他人のかよに料理指導を任せてしまう姑。実は自分が家事が嫌いだから「楽隠居したい」んじゃないかと疑われても仕方がない描かれようです。お姫様育ちの蓮子に一から家事を覚えさせるより、既に著名な歌人として文筆業で稼いでもらう方が合理的。実際、史実ではそうだったようですね。お姑さんは家事を引き受けられていたとか。変に話を変えたせいで、お姑さんが筋の通らない理不尽なキャラになってしまっています。
必ずしも史実に即したドラマにする必要は無いと思いますが、つじつまの合わないフィクションにしたことで世界観が崩れ、史実よりつまらない話になるのは本末転倒だと思います。
醍醐さんっていつ家族と和解したのかな。
女学校卒業のとき、結婚をやめて就職するとなり、家を出ることになっていたよね。
再会したとき、華やかな洋服ばかり着ているので、ちゃんと説明はないけど、おうちに戻ったのかな?と思っていました。
そんななかでまた家出。
中園さんの記憶喪失がここでも。
もう忘れてると思われてるのか、想像で補えと言われてるのか。
そして郁弥の夢って言っちゃってましたね、また。夢にはなってないと思うんだけどなー。
かよの傷もいつまで引っ張るのかな。
朝市のいい言葉もただ言わせただけになってしまったな。
また醍醐さんのお膳立てになってしまいましたね。
家出させる意味は、修和女学院の方々とのパイプを強めるため?
半年経って、今さら?なのが悲しい、、。
蓮子さんの「雨ですわ 雨!」もどこまでコントさせるのか。
やはり華族の出身はおっとりさん!って事なんでしょうが、、。
伝様と蓮子さんも、いつまでこれで引っ張り続けるのか?
次は朝市と武が来るのか、花子だけではダメなのか、、。
花子はクッキー焼いて、伝様に物を貰ってかよの顔色を気にするだけなのか?
英治は『王子と乞食』の表紙を書いてイクメンしてるだけ?
再興の為に前の会社の方に会いに行くのは先の話なの?
村岡父もそのまんま?
今まで通りのブレない花子置き去り展開と言えばそうなんでしょうね。
震災を体験して、子ども達のためにも本の出版の必要を感じたというのは口だけのように見えて残念です。
こんなドラマ初めてです。みなさんも同じ事を感じていらっしゃるようで…。なんか、ここのレビューを拝見して居ると、私だけではないのだ。と変な安心感を覚えます。主役は誰なんだ?と思わざるを得ません。村岡ご夫婦は、現代にも通ずる仲と思います。でも、宮本さん宅もそうだったのでしょうか…。大正時代を描くドラマなのですから、全てを平成に合わせなくてもよろしいかと思います。それと、醍醐様のおリボン。30代の女性が?と思います。お帽子はお召しになられなかったのでしょうか?お帽子の方がお嬢様のお召し物なのかしら?
蓮子の駆け落ちを題材にした本を書こうと奔走する醍醐さん。家や身分に操られた人生を捨て、自分の人生を生きようとした女性。女学校時代はお婿探ししか頭になかったお嬢様が職業婦人になり、ここまで意識が高まるなんて、すごい成長ですね。いつも生き生きして魅力的です。そんな醍醐さんの発案で開かれた女学校時代のお友達のお茶会。学生時代に比べれば質素だけど、竈で焼いたクッキーを食べながらの集いはさすがの華やかさでした。そして「王子と乞食」単行本出版に向けて皆さんが寄付を申し出たけれど、お金は受け取れないと花子は遠慮したものの、それでは未来への投資として、ということで見事夢がかないそうです。文学に理解を示した伝助の言葉にも背中を押されたけれど、こういう時代にこそ本は人の心を楽しく元気づける。食べ物が肉体の糧であるように、本は心の糧なんだな、とつくづく感じました。花子と英治には周囲の応援に応えて頑張ってほしいです。
そして最後の伝助と蓮子の再会。史実にはなかったことだと思うけど、ドラマとしてどんなふうに描いてくれるのか楽しみです。
醍醐さんがらみは、きょうはナゾだらけでしたね。
急にハナのうちに居候させろと上がり込んできて、またいつもの急なご都合が始まった、どんなエピをねじ込んでくるのかと思ったら、同級生を集めたかと思うと、他の友だちが居候させてくれるからと、あっという間にいなくなっちゃった。あれは何?
それに、また「やっちまってる」と思ったのは、ハナの家は、印刷所が倒れて、今、夫が肉体労働に出るほど困窮状態。失意で動けなくなった父も抱えている、小さい子供もいる。そんなところへ遠慮もなく「わたくし、もう帰らないわ」とむりやり上がり込むのは、人としてどうなの?
村岡も村岡で「いつまででもどうぞ」。そんな余裕がどこにある?
何でもぽわんぽわんした夢の中のできごとなんでしょうか。
それに醍醐さん、いつの間にかうちに戻っていたんですね。これはひどい記憶喪失ですねえ。
で、家とは絶縁、職なしの今でいう「プータロー」状態なのに、ハナにあっさり大金をあげてしまう。
もうめちゃくちゃですわ~。ついでに上で言われている、「昼下がりの情事」の件もびっくりしました。
いくら脇のものとはいえ、ドラマってこんなにいいかげんでいいのでしょうか。
最近の伝様の使い方に激しく違和感です。
毎度毎度なにか気を持たせる終わり方でひっぱるだけ。
そんなことだろうと思っていたら見事にそんなこと。
吉高さんは、園子温監督作品でデビューされた時から
独特ないい雰囲気を持つ女優さんで好きです。
ところがこの作品では、「そんな…」「○○さん…」的な
セリフばかりでなにかその表情もワンパターンなんですよね。
何かこの作品ってモデルになった方々への尊敬とか
この時代を生き抜いた方や作品中の登場人物への
愛情が全然感じられないし、血の通った人々として見れない。
不倫とか嫁姑問題とか人気キャラみせてたら視聴率あがるでしょう。
あんたらこんなん大好きでしょってバカにされている気がしてつらい。
もう優れた漫画原作ものでもやるほうがなんぼかましなんじゃあ…
普段は、ドラマの倒壊ぶりについきびしくなってしまうのですが、今日みたいに醍醐さんが出ると、何だか少し楽しくなりますね~。今日のクッキー作りの場面ではどら○もんレベルのわくわく感があって面白かったです。それって、女優としては大きな才能かもしれないですね。
思えば、高梨さん、黒木さん、仲間さん、土屋さん・・と主演の吉高さん以外の女優さんの良さがやたら目立ってしまうのは、朝ドラを長い間みていて、そうそうなかったことのような気がします。
吉高さんは頑張ってると思いますがやはり引き立て役になってしまってるなぁ。私が吉高さんなら怒りが爆発していたかもしれない。
ここまで、ヒロイン以外の女優さんの尺を沢山とるなら、群像劇として見た方がすっきりするかも、と思いつつ、そうだとしても蓮子さんや醍醐さんの心理描写もあまりないので、これはライトな大正群像劇みたいなものと思った方が楽しめるのかな、という感じです。それからふと感じたのですが、久々登場の畠山さんを見るとやたらホッとしますね。思えば、昔の朝ドラ(マー姉ちゃんとかの昔のころ)のヒロインは畠山さんのような地味目なルックスで当時でも滅多にいないような生真面目そうな女優さんが毎回主演していたなぁ、と思い出しました。あの頃は視聴率主義じゃなかったですよね。。
綺麗な女優さんをたくさん見れるのはいいけれど、もう少し、昔の朝ドラのように新人の女優さんをちゃんと育てる枠を大事にしてほしいと感じた回でした。
吉高さん、セリフの言い方が子供っぽいのは、語尾をちゃんと発音しなかったり、逆にアクセントが強くなるからなのかな。
「みなさん」と言うとき、聞こえる音が大げさに言うと「みなさ」まで。「ん」の音が半分くらいで終わる。
かと思うと「◯◯なの?」っていうときは「の」にアクセントが強くなる。
女学校時代も、奥さんになった今もずっとその喋り方。第一回冒頭や、そのあとも数回出た、年老いてからの喋り方も同じで気にはなっていたのですが。
落ち着いた喋り方ができない方なので、いつまでも変わらない感じになってしまうのでしょうね。
ネットニュースによると、もう少ししたら、檀蜜さんを登場させるらしいです。
脚本家の親友の林真理子氏まで登場するとか(この流れでいくと、後年の醍醐さん、ということになりそうですが 怖)
やれやれ。ちょっと評判がいいと、ストーリーを犠牲にして過去の人物を無理やり再登場させたり、話題性だけを先行させて視聴率を取らんかなの、あれやこれや。
いかに脚本とうまい役者だけで勝負できないドラマかということが、これで如実にわかりますね。
ブラックバーンにカリスマ性を感じるいい回でした。世のため人のため自分のためみないい仕事をして欲しい。
醍醐さんがいて蓮様が生きる。蓮様は洗濯物よりうたを詠むことに戻って欲しい。
花蓮醍醐の3人の本を売り出す出版社を立ち上げてくださいね、英治さん。
明日の離婚した男と女の再開が楽しみ。
再会でした。
林真理子さんが出るのはいいけど、醍醐さんなのは全身全霊で拒絶します。
花子を吉高さんがずっとやるんだから、醍醐さんもそうでなきゃおかしいし、まったく別人になっちゃって醍醐さんなのがわからなくなる。
絶対絶対いやー!!!
もしなったらNHKにクレームを真剣に考えちゃうわ。
なんで蓮様と伝様の再開のシーンなんて入れるのか
震災復興のことなんて
どうでもいいのね
あくまで恋バナ中心ですね。
級友たちの出資ではお金は足りないでしょうから
やはり伝様が出すのでしょう。
ついでに来週は伝様出資して無事会社が再建したりしてね。
史実では花が必死に働いていたというのを
なかったことにするくらいですから、今後も棚ボタの展開にするんでしょうね。
史実でも花子の女学校時代の友達が資金援助をしたと聞きました。
持つべきものは友ですね。いい話だと思います。
伝助さんは「今後一切手出し無用」のあの男らしい宣言だけでお役御免かと思ってたけど、蓮子との再会シーンを設けるなら、それはそれで興味深いかな。伝さまの蓮子への変わらぬ愛情は十分わかるから、むしろ蓮子のほうの反応が楽しみです。
私はこのドラマ好きだけど、檀蜜さんや林真理子さんが出るというのが本当ならちょっといやだな。
話題作りはもういいよ。
何の努力も苦労もしないで
いつも「すごいわ!はなさん!」って持ち上げられて
次々と、周りがおぜん立てして物事が解決していく
いままでもそうだったから期待はしていないけど
全然、現実味のないドラマですね
ヒロインは、いつも、どの場面でも
ハトが豆鉄砲くらったような、びっくり・口ポカン開けの同じ表情
これって、出来あがった映像を、見直す人が居ないのかしら?
普通なら
「ここの表情は、もっとこうしたら?」とかアドバイスするでしょ?
マッ何をいっても「いまさら」なんですけどね(^_^;)
伝ちゃんの笑顔はかわいいですね。
なぜ花子といる時はあの笑顔になるんだろう。
でも、あの大量の御礼の品々
お金でしか気持ちを表せないままの設定なんですかね?
それとも、あまったら近所には
本当は蓮様へという思いなのかなあ?
幾らあの時代だからって隠し子、妾女中、帰れないの分かってる癖に事あるごとに「出て行け」、更に性病移すって流石に発狂物
白蓮はワガママだけど子供の教育や夫を庇う為証言台に立ったりして妻として努力してるのに
醍醐さんに蓮子を持ち上げさせて、わざとTwitterなんかで叩かせようとしてるみたい
今まで必要以上に悪者にされた伝右衛門は同情するけど美化するにもほどがある
史実を知ってて伝助を好きな人が理解出来ない
花子たちが、ブラックバーン校長の言葉を唱和するのは、いいシーンだと思うのですが、できれば校長の言葉通りに、英語で言ってほしかったです。花子のつぶやいた訳を、一言一句合わせられるのは、無理があるような気がします。
醍醐さんたちが、なぜか英語が不得手になってしまった脚本なので、英語で唱和するのは、不自然と言うことでしょうか。
唱和の前の、ブラックバーン校長の回想の字幕を、日本語訳にして、英語で唱和すればよかったのに。
旧友の申し出を断った花子ですが、説得されて、受け取りました。このドラマ、一旦断ったり、反対したりするものの、すぐに考え直したり、賛成することが多いですね。何度も同じような展開にはげんなりします。
>今まで必要以上に悪者にされた伝右衛門
これでチャラということでいいんじゃないの?
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