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合計 | 1295件 |
毎週内容が濃くて起伏ある展開で飽きさせないです。
夫婦と共に植物図鑑を作る夢の
実現の為に寿恵子自身も働き始めて
商才に目覚める。
出張先の台湾では現地の新種の植物を発見した。
波多野、野宮が以前二人で目指した
内面から植物の研究を誓った伏線が
銀杏の精子の世界的発見で回収された。
二人の快挙を万太郎は素直に祝い同時に
自分ができることを熟慮した結果
世の中の植物に名をつけた植物図鑑を作る夢を
改めて誓った。そして最後の竹雄綾夫婦登場のサプライズで
心が高鳴り結末までの展開が楽しみになった。
尺稼ぎや消化試合など感じさせない無駄のない
重要な出来事の連続で見応えがありました。
らんまんの東京編は陰気で暗い。
汚い長屋と大学のシーンが多くて暗い。
台湾も更に暗くてつまらなかった。
こんな調子で残り少なくなって残念だ。
待合の経営って最低何人でできるんだろう?
電話のない時代に、連絡がとても重要な職業ですね。
客の予約のとり方、料理店への注文、芸者さんを呼ぶ、宿泊…、
次のドラマもあれするはずなのに、これするはずなのに、あれは?これは?それは?と突っ込んであげましょうね。退屈しないように。
文句多くても視聴率良いんだからいい、
ヒマじゃないから面白くなければブギも見ないよ、
ここの大人のチャットがいっちゃん退屈でくだらない。
おかえりモネから見てますが 私にとってどれも同じレベルですよ。面白いのは他局で夜観てるから(CMだけウザイ)別に朝のドラマでドキわく!とか感動!も・・ありません。前の年の人気の俳優が次々出るのがNHKの連続ドラマ、と捉えてます。すごい熱量のレビューですね。
紅白と大河と朝ドラは 見てる友達も一握りで 視聴者の大半はX世代 今はZ世代ですから。
待合は、料亭、芸妓置屋と近い場所に集まって経営してたんだそうです。
その3つが集まってる場所を三業地と言ってたとか。
だから連絡は、番頭さんがちょっとそこまでと行き来してたんじゃないでしょうか。
予約を取るようなお偉いさんは使用人がいるだろうし、案外連絡はスムーズだったかも。
逢い引き?みたいなのでも、待合を使う人はお金を持ってる人だろうしね。
連れ込み宿みたいに使う人は、どこぞで待ち合わせて直接待合へ?
一見さんお断り、予約無しは不可のような格式がある訳でもないだろうし。
↑を書いてて、待合に御用聞きみたいな人がいたりして、と想像したらちょっと笑えた。
まさか御用聞きはいなかったよね。
トマチン可愛い ママちんみたい
牧野富太郎さんの伝記では、やっていたのは二流の待合で、最後の方では悪い人が出入りするようになったとありました。
奥さんは、ここに泊まりっぱなしだったのか、わかりません。
円山町は、若い頃仕事でよくいきましたが、この一世紀では激変したのでしょうね。
予算が無くて出来ない夜逃げ。笑
だけど、思ってたんだけど、夜逃げするのに標本とか重たい蔵書とか全部持って逃げる訳だよね。
しかも史実だと子どもは13人。
夜逃げというより荷物が多い引っ越しで子ども抱えた集団移動。どうやってやってたんだろう。物凄く興味ある。
リヤカー何台?点呼取ったりして。
「みんないるかぁ!?見つからないように逃げるぞ!」
クドカンならそういうのやってくれそうだけど。
大人入れて総勢15人の盛大な夜逃げ。
ドラマでやったら、殆どコメディー。
見たかったなぁ。これからやってくれるんだろうか。
やってくれたら星5つけちゃう。伝説に残る神回になるかもしれない。
コテツのベビーシッターにウケました(^○^)
タケオ夫妻は 賄い役かもしれませんね。
今や 財布は岩崎いっそん 万太郎のサポーター達集合
波乱万丈というテーマがいつからか順風満帆になっちゃった。
散財してお金がなくなったら 標本を売りに出す。それを大富豪の人が買ってくれて その標本を牧野氏にプレゼントするという形をとってたそうです。やるな、財閥。
そういう支援をしてくれたから 後世に資料が残ったのだから 感謝すべきですね。
万太郎くんは、いつまで経っても著名な植物学者になる雰囲気が、微塵たりともないですよね。それどころか、ただの借金だけの落ちこぼれの植物学者に見えます。ですから、このドラマは、その中身のない朝ドラに映るんですね!!
所用で録画鑑賞が遅れました。
先週の話で私が感じたのは佑一郎がアメリカ帰国時に語った〝差別〟です。その時の98回ではピンと来ませんでしたが、先週の「ドイツで差別を受けた徳永と細田の異常な陸軍リスペクトと万太郎バッシング」「日本統治下では日本語を使うように」を観て、佑一郎が言った「人間の恐ろしさ」が来たと思いました。ただし留学者が経験した「白人から日本人への差別」に対し万太郎が経験したのは逆の「日本人から台湾人への差別」。ゾンビはゾンビを生むが如く、差別は差別を生む。
渡航前に台湾語の勉強をするシーンは、台湾語は文字が無いそうなので教材はどんな風だろうと興味津々でしたが、日本語の文章の右にカタカナで台湾語読みがふってあり、なるほどね!と感心しました。
万太郎が学名に台湾語を使った事を非難する細田助教授。しかし、マキシモヴィッチ博士は万太郎が見つけた新種にmakinoi=マキノイ、ロシア語でなく日本語を使ったではないか。万太郎は〝新種の学名はその発見した国の言葉で付ける〟従来のやり方で名付けをしただけ。つまり植物学的検知から言えば細田が、引いては植物学教室が、もっと言えば日本陸軍のほうがおかしいのです。
しかしそれが普通なのです、富国強兵・植民地にされないため欧米列強に追いつき追い越せと戦争に勝てば植民地を取るこの時代は。細田さんの主張は国益、軍人に逆らうな、徳永教授の為に。でも「俺が行きます」「自覚しろよ」「知らないんだお前は」助教授というより昔と同じ自分の言葉で喋っていて、それがかえって本当に変わってしまったのが強調され、絶望します。万太郎ともう歩み寄れないだろう絶望を。
万太郎のオーギョーチの学名付けは用意周到でした。まず①学名の横文字がパッと見、何語かわかり辛い点を利用。makinoi=マキノイが横文字を見ただけで読まないと日本語とすぐピンと来なかったように。②横文字を従来の人名でなく、食べ物の台湾読みawkeotsang、アウケオッツァンから命名。人名は台湾語と気付きやすいので避けた。そして更に③台湾語には文字が無い。だから英語・ローマ字風に記述してもイメージし辛い。前述の「台湾語の文字が無く、日本語にカタカナ読みの本で勉強するシーン」が見事、この伏線になっている。
万太郎はここまで慎重過ぎるほど慎重に3重トラップを仕掛けました。細田助教授でさえ万太郎に聞かなければわからない程ですから陸軍で気付く人はまずいないでしょう。そこまでして台湾を・・という万太郎の想いは〝村の人々とオーギョーチに命を救われた事〟〝ありがとう=トーシャが通じず、アベべオユと伝えた女の子の笑顔〟〝幽玄なおぼろ満月と蛍の美しさ〟、それら回想が守りたい心を代弁していたと思います。牧野富太郎さんが学名に台湾語を入れた史実から長田さんが創作力を膨らませ、ドラマとしてとても面白かった。私は神回という言葉が嫌いで(人が作った物になぜ神を使う?と違和感が有るので)名作回・傑作回と呼びますが、平坦になったと言われる直近でもキレンゲショウマの99・100回、ノジギクの105回、そして今回110回は名作回だと思います。
台湾編は万太郎に他の留学者と逆の差別を見せる事で徳永や細田と対極の存在なのを浮かび上がらせ、「どこまでも地べたを行き、人の欲望に踏みにじられる前に全ての植物を明らかにし、図鑑に永久に刻む」とあらためて決意させるのに必要なエピソードでした。これから戦時下でますます逆境を進むだろう万太郎、かのフレデリック・バック監督の短編アニメ映画を思い出します・・。
木を植えた男・ナレーション「羊飼いの老人は世間の出来事を何一つ見ようとしませんでした。第一次世界大戦も第二次世界大戦も知らず、黙々と自分の仕事を続けるだけでした」。
夜逃げは雨の日は出来なかっただろうなぁ。
大事な標本が濡れちゃうから。
何度も夜逃げを繰り返してたなら、夜逃げの手順とか子ども達も心得てたよね。
富太郎はそういうの下手そうだから、寿恵が仕切ってたのかな。
商才があったらしいし待合経営で沢山稼いで家も立てて夜逃げのプロ。
寿恵って実はスーパーウーマン?
ドラマの寿恵子はおっとり型に見えたりもするけど、かなり頭のキレる女性だったのかも。
借金取りエピではそれを描いた?
やり手で詐欺師みたいな方便が上手くて、富太郎も上手く転がしてたのかもしれない。
寿恵(子)のイメージ、間違って捉えてたかもしれない。
大体、借金に借金を重ねて平然としてるなんてナカナカの女性。
富太郎との生活も大博打みたいな気分で楽しんでたのかもしれない。
一緒に冒険するって言ってなかったっけ?記憶曖昧だけど。
実は富太郎より、ぶっ飛び寿恵子だったとか。
富太郎はそこに惹かれたのかな。
自分が読んだ本には 多くの引越とあったけど借金取りからの夜逃げだったのですか。
子供さんは死別多くて スエさんの子は7人です。
そんなのドラマでやる訳ない。質の良い待合にするとおもう。
待合はいわば貸席 貸室ですから 客の目利きが女将の腕。繁盛させて そこまでじゃないかな。
ふと思った。
らんまん、コメディーとして描いてたらどうだっただろう。
万太郎の数々の逸話もコメディ-ならイケる。
視聴者も、どうしようもない奴だよな~と思いながら万太郎を愛することが出来る。
常識的にはダメダメの部分が多いけど、人間的には愛すべきところが沢山あって、誰も真似なんか出来ない植物への愛情と研究心。
迷惑をかけ続ける常識外れの万太郎と何でも度胸でやってのけるぶっ飛び寿恵子。
そんじょそこらにはいない夫婦のサクセスストーリー。
これなら正に、タイトル通りの天真爛漫。春爛漫。
〝このドラマを観ていると「縁」というものを強く感じます〟
かつてこう書いたのを思い出し、久々に見返したら4/23のレビューでした。手前味噌ですが最後こう締め括ってます。〝今は「初めて理屈じゃない人の縁(寿恵子さん)に触れた」万太郎の恋の行方が楽しみです〟
「らんまん」は万太郎と植物の縁が主軸ですが、寿恵子以外にも万太郎は様々な人との縁を持ちました。灯台のように行き先を照らす助言をくれる佑一郎との縁。植物学に踏み出す自由を与えた早川逸馬との縁。仲違いした田邊教授でさえ「お心に残っているのは槙野様」と聡子から縁を明かされ、土佐で出逢った虎鉄くんから始まる地方の先生方との縁。台湾でも陳さんが影響され「私も学んでみたくなりました」と縁が広がる。万太郎の植物の名付けは確実に人との出逢いも広げ、今も「縁」がしっかり描かれてるのが嬉しいです。
そんな中、1つ残念なのはかつての顔見知りなのにつき合いが薄いまま、このタイミングで助教授と助手という上司と部下の関係になってしまった細田さんと万太郎の縁です。私は細田先輩が人間的に好きだったので万太郎が初めて東大に来た時、友達になって欲しかった。最初、万太郎を野宮さんはよそ者呼ばわりし羽多野・藤丸コンビは学生でないと避けたので、細田先輩は?と漠然と思ったものです。あのとき卒業を控えた4年生でなく、2年か3年生だったら全然違った筈です。
だから私は今の2人を観るのがとても辛い。110回の万太郎の久々の啖呵、明け透けなパフォーマンスが戻って来たのが嬉しかった反面、相手が細田さんなのがもう〜!・・悔しかったです。細田さんが見た万太郎の成果はマルバマンネングサ辺りまで、寿恵子との結婚生活もヤマトグサやムジナモの快挙も、出入り禁止も見ていない。プライベートの万太郎を知らないから〝自分の好き勝手に植物学をして来た傲慢な人物〟と映り「やはり槙野は使えません」と言うのも無理は無いのです、物凄く悲しいですが。この為に、徳永教授に万太郎追放を後押しさせるキャラにする為に最初から細田先輩を万太郎とからませなかったのですか、長田さん?。
勝ち負けに拘り、富国強兵、植民地の獲得が国を強くする、当時は皆それが正しいと思っていたのです。しかし我々はそれで日本が戦争の泥沼に向かう事を知っている。そして戦時下の苦境でもグローバルな視点でどの植物にも平等に接し、日本全国の植物図鑑という偉業を残すだろう万太郎が結局、正しい事を知っている。
それが間違っていたと気付いた時代になった時、私は細田さんに、そしてあの時は「せいぜい勘違いしてろや、バーカ」としか言えなかった大窪さんにも「あの植物バカは間違っていなかった、やりやがった」と下記の名作映画のラストのように感動し、むせび泣いて欲しい。その時代はもうこの2人は生きていないかも知れませんが、私はそれこそが本当に万太郎の苦労の偉業が報われる時だと思うのです。
ポセイドン・アドベンチャーのロゴ「牧師は正しかった。あの頑固野郎は正しかった・・!」。
7人でしたか。それは失礼。
でも、7人だって夜逃げするには多い人数。
大人入れて9人だし。野球チーム並み。
学者とは学問をする人という意味から万太郎は常に植物学の学問に
独学で一生懸命だから、植物学者です。
今作は万太郎が植物と向き合い探求する場面が頻繁にあり
これほど脇道にそれず専門分野に打ち込む主人公は
かつていただろうか、まさに万太郎は超植物学者に見える。
万太郎は爽快で借金があると落ちぶれてる様子に見えず、
能天気のようだがそれが万太郎のいいところでその万太郎の規格外の魅力と
植物学の才能に感銘した資産家などがこの先高額の援助を出して
大逆転の人生がありやがて著名な植物学者に至るので楽しみです。
ドラマはまだ終わっていない。このドラマはサクセスストーリーです。
万太郎が今著名な植物学者になったらドラマは最終回を待たず終わってしまう。
これから借金を克服して万太郎が努力した植物学が次々認められ
著名な植物学者になり終了するだろう。
東大に勤めているのがバレてるのに、夜逃げとはこれ如何に
高知の牧野植物園に寄贈された蔵書は4万5千冊に及んだそうな。
そりゃ、借金も増えるはず
夜逃げするのも、図書館の引越し並みの一大事
植物学の本が4万5千種類も刊行されていることにも驚き。私、時々、以前買った本を間違えて買ってしまうのだが、博士はそんな事はなかったのかな?
陳志明役の朝井大智が印象的だった。台湾と日本の両方にルーツを持つ人だったんだね。
それにしても、以前から言われている事だが、10年くらい前の長谷川博己にホントよく似てる。
活躍を期待してます。
家はセットを作り変えるのが大変だから、やたら引っ越しさせないのだと思う。今作に限ったことではなく、モデルになった人が引っ越しを繰り返した場合でもそういう設定にしていることが多い。
※長文ですが、大したこと書いてません。『槇野万太郎を受け入れるまで』とサブタイトルをつけときます。
YouTubeで牧野植物園の案内動画、ミニミニ展示ガイド「はじめまして、牧野富太郎です。」を見た。
彼は、もしかしたら、絵を描くこと自体も好きだったのかもしれないと思った。
ある植物の絵に色が付けてあって、バックが黒で塗り潰されているんだけど、その黒は生えていた岩場の熔岩の色ではないかと解説していて、その絵が中々素敵だった。
同じくYouTubeで牧野博士と仁淀川町のつながりをたどる展示会を紹介してるニュース動画も見た。
ニュース動画では、91歳のときの牧野富太郎の肉声も少しだけ聞けた。
「私は商売が嫌いでしたから、学問の方にいった訳です」
富太郎氏はそう話してた。
商売、嫌いだったんだね。植物が好きで家業を継がなかっただけじゃなく、元々商売が嫌いだったみたい。
展示会では、カセットレコーダーが置いてあったから、行った人はニュース動画よりもっと多く肉声が聞けたのかも。
牧野植物園のHPに彼の年譜と業績がまとめてあって、それを読んでいたら、彼がやっていたことって、殆どが植物採集と図解・標本作り。
研究というより、趣味に近い。
植物学者というより、植物博士。
高価な専門書を沢山買い込んで読み漁り、豊富な植物知識を頭に入れて、膨大な植物の採集をして標本にして、図解したり調べたり。
牧野植物図鑑は、彼のライフワークだったんだね。
仕事という感覚は無かったんだろうな。
そして、それを植物好きの人達に伝えて、みんなで植物(採集)を楽しもう!というのが、きっと彼のやりたかったこと。
91歳を超えて、野山に採集に出かけられなくなってからも、自宅の庭に植えた植物を観察したり採集したり調べたりする日々。
家族の制止も聞かずに寝る間も惜しんで。
富太郎にとって、植物の探究は仕事なんかじゃ無かった。はじめから。
きっと、大学にいたときも、仕事してる感覚なんか全く無かったんだろうと思う。
自分が好きなことをしていただけ。
そりゃ“仕事“してる人達とは合わないわ。当たり前。
植物以外の好きなことをしてた逸話も、植物以外にも好きなことがあった、ただそれだけだったと思う。
ところで、「黄金花 –秘すれば花、死すれば蝶‐」という映画があるんだけど、その映画の主人公は、『牧草太郎』という牧野富太郎とよく似た名前。
ひたむきな植物愛を持った80歳の植物学者。
勿論、モデルは牧野富太郎。
でも、映画はそれこそファンタジーで、俗世間には目もくれずに研究に勤しんで80歳。今は老人ホームで暮らす植物学者が、不老不死の花を見つけ、その後、時を遡り、過去にしてこなかった俗世間のあれこれを体験するような話みたい。
牧草太郎役は原田芳雄で、予告動画を見たら、その原田芳雄が演じてる牧が、これこそ破天荒みたいな感じ。
もしかしたら、牧野富太郎の植物博士以外の顔は、こんな感じだった?みたいにも思えた。
映画は、虚実ない交ぜみたいな映画らしくて、評価は絶賛と酷評に分かれてるけど、らんまんの神木万太郎に満足してない人には原田草太郎はちょっと面白い牧野富太郎かもしれない。
自分はと言えば、牧野植物園、牧野富太郎の肉声、原田草太郎…と、色々な牧野富太郎に思いを馳せた結果、らんまんの万太郎は、若気の至りの牧野富太郎だと思うことにした。
真面目な万太郎も、権力に抗う万太郎も、常識的な万太郎も、思慮深そうな万太郎も、寿恵子一途な万太郎も、全部、若気の至り。
実際の牧野富太郎は、ただ植物が大好きだっただけの人。
ただの植物ヲタクだったんだ。絶対そうだ。
ヲタクが高じて博士にまでなってしまった人。
若気の至りで、真面目になったり、常識を持ったり、破天荒なことをしていただけ。
牧野富太郎は、きっと永遠の青年・永遠の植物ヲタクだったんだと思う。
何をしてても牧野富太郎。何をしてても若気の至り。
だからどう描いても、きっと正解なんだ。そう思った。
千歳「じーちゃん、かっこいいよ。じーちゃん高座に上がるとね、知らない人みたいなんだよ」
久兵衛「(空を見上げ)わし、今日、真打ちに上がれる気がする・・」
(スローモーションで出かける、真顔の久兵衛と子供たち)
りん「牛久さん若返っちゃってねえ。ここにいりゃ独り身でもさみしくないしね」
寿恵子「ほんとに」
りん「ま、あたしは最後は家主と暮らすけどさ」
前回レビューでいろんな縁を描くドラマと書きましたが、らんまんは人間讃歌のドラマでもあります。雑草という草花が無いように無駄な人なんかいない、悪い人の長所も良い人の欠点もさらけ出しそれ以上でも以下でもない。上の本筋に関係ないシーンでも長屋の人全員がピカピカに光っている。お笑い好きでおませになった千歳。励まされ、正面きって寄席へ・・あんな久兵衛さんのカッコいい見せ場初めてです。東京編の初めは「久兵衛さんの主役話も作って欲しい」と不満でしたが、今は「語り部のように長屋に寄り添うのがこの人の役割なのかな」と思うようになりました。
長屋の家主の正体は中尾さん(小倉久寛さん)では?と以前書きましたが、私の朝ドラ予想はいつも外れるので突然イケメンの家主がりんさんと・・なんて事も有りそう。でも奇を衒うのはらんまんらしくないので、やはり私の予想は中尾さんのままにしておきます(笑)。
記事を読むとスエコザサで号泣必死というラスト予想が多い中、全員がハッピーエンドを迎えるという予想も。私は寿恵子が人生に満足し光に包まれ終わるような、「らんまんじゃ」と槙野家の未来を夢見て旅立ったタキさんのような温かいホン(脚本)を長田さんが書かれるのを期待します。「夏の最後に残った一輪の薔薇」の歌詞のように万太郎が取り残されたとしても〝2人の冒険はピカピカだった〟、〝OP最後の草花を差し出すような名付け〟でまた誰かと縁が広がる。涙でなく、希望で締めくくって欲しいです。
ラヂオの時間の保坂卓「このホンに悲しい結末は似合わない」。
らんまんは安定してつまらないが今回タケオと綾が上京したので少し期待したいです。
万太郎寿恵子夫婦の植物図鑑の夢の実現に近づきワクワクしてきました。
竹雄綾夫婦にも進展だあるようなので楽しみです。
綾竹夫婦のこれから、とても楽しみです。
趣味が仕事に出来るというのはやはり恵まれている。ほとんどの人は生活費を稼ぐために我慢をして仕事をやっている。好きなことを自分のペースでやって生活できる人というのはごく一握りに過ぎない。
竹雄綾夫婦があきないを始めて
寿恵子もあきないを始めるらしい。
今週もいろいろあり、あきない。
↑
パチパチ
中森あきない。
綾姉さんたちが羨ましいくらいしっとり素敵な夫婦になってた。二人で修行してたんですね。弟たちと対照的な自力作善が好きだ。明るい週になりそうでよかった。
もうファンタジーならんまんでいい。教訓じみたことを見つけるんじゃなく こういう人生もあるかも、というのを受け止めるのが自然だね。
ハイ、牧野万太郎は植物学者に見えます。
史実に乗っ取り
これからいろいろ経て著名な植物学者になります。
今は著名な植物学者に見えないのはあたりまえだの
まえだまえだ、だよ。
今朝も楽しかったぁ〜 久々の綾さま竹さまのお顔を見られて嬉しい。屋台いいですね。二人がイキイキしてました。藤丸コンビやっぱり癒やされる。好きだわ。
ラストの寿恵子の触発されたようなお顔。
ミエ叔母さんの勧められたお商売やってくれそうですね。
アップでもほんと可愛くて綺麗。
訂正です。
ミエ叔母さんの勧められた
↓
ミエ叔母さんから勧められた
綾ちゃん姐さんかぶり色っぽい・・・ あの屋台で呑みたい。商い始めるには 修行も 資金も必要だ。一歩ずつ近づいていく道程は大変だけど楽しいと思わせる微笑みだ。
おさえちゃん お腹大きい間に物件売れてしまわないか・・・石版印刷機を担保に押さえておかないと!
鳩子の海ってありましたが
今日は綾さんと万太郎の子ども
はとこ同士の初対面でしたね
みんなうれしくて、近所を案内しに行きましたね
多分、中尾の質屋さんにも
困ったらお金貸してくれるんだよって
腐造で慟哭した綾さんには、その後の苦労なんて大したものではない
竹雄もいる、夢がある、子どももいる
蕎麦を打って、料理出して、岩崎さんに気に入られたら、店を出せ!と援助してくれるかも?
竹雄さん、御座に座って落語聞くなら、荷物下ろしてください
虎鉄くん、布団を運ぶなら、箒を置いて行きなさい
家主さんは誰なのか、気になって眠れません
妊婦さん🤰は毎月1キロずつ増えて、臨月では10キロ増えるそうで、そりゃあ体がしんどいわけです
待合に行くのと遊郭に行くのでは、どっちがお金がかかるの?
あまちゃんの後にみたから覚えてない、、地震 津波のあとの人々の表情、、ついにその日。
らんまんは昼休みにスマホで見なおします。
上京?再会よかったね。万さんタケオがいたら心強いね。
一炊の夢と申しますが、一睡の夢の間に世間てのは進んでいくものでございます
牡丹の絵を贈られて、結婚して
夜中にお茶を入れた眠そうな顔
うん?と眉間に寄せた皺
大冒険する、きらきら✨してる顔
夢が叶う前に寿命が来たら、死にきれない
寿恵子さんも綾さんも、やり切った!と満足できますように!
ドブの中でも、前のめりに死にたい
そんな人もいました
人生は短い!寝てる場合じゃない!
だから、寝る間も惜しんで研究して、絵を描いていたんですね
東京編は暗いというよりもしみじみ心にしみて暖かい、人情も微笑ましいし大学では熱い植物学の葛藤があり台湾で新種の植物の発見があり見応えがありました。これから竹雄綾にも新たな目標が始まり面白くなり残り少ないのは残念です。これかしっかり見ていきたい。
従姉だけれど綾は万太郎より背が高い。綾の母親が万太郎の父親の姉妹らしいから、万太郎と血縁関係が無いであろう綾の父親がよほど背が高かったのかもしれない。
すえ子はお菓子屋としてやっていく能力は無かったということか。もっとも駄菓子を売るくらいでは万太郎の研究費は到底稼げないのも確かだが。大判焼をひたすら売って音楽家崩れの夫を支えていたヒロインがいたのを思い出した。
万太郎の反撃と竹雄綾登場で視聴率17・2%を記録した。
旦那はプーで、お安い大判焼を売るだけで、よく生計を立てられるよねと批判されてましたね。
寿恵子はやり手そうだし、儲かるんじゃない。
毎度、視聴率報告、ご苦労様です。参考になります。
※長文ですが、大したことは書いてません。牧野富太郎について思ったことを書いてるだけなので、読まなくても大丈夫です。
趣味を仕事に出来るのは恵まれてる、と書いていたものがあったけど、それは趣味のままやってることが、たまたまお金や仕事として成り立っている人だけの話のような気がする。
趣味はやっぱり趣味で、自分の為のもの。
趣味を仕事にしてしまったら、もう趣味じゃなくなって楽しめなくなる人は大勢いる。
仕事は、他人の役に立つ為のものだし、仕事としてのしがらみも出てくる。
自分が楽しんでやっていたときとは全く違ってしまう。
やりたいことをやりたいときにやりたいだけ、という自由が無くなってしまう。
だから、趣味は趣味のまま置いておくのがいいとはよく言われること。
趣味は趣味、仕事は仕事と、趣味とは別なことを仕事にしてる人も多い。
自分も、趣味を仕事にしていたことがあるけど、やっぱり趣味と仕事は全く別物だった。
仕事にしていたときは、趣味を趣味として楽しめなくなってしまっていた。
でもそれは、“仕事“という責任感や自分の役割意識がちゃんとある人の場合。
多分、殆どの人はそういう責任感や役割意識をちゃんと持ってる。
でも、牧野富太郎は、そういう意識を持って無かった気がする。
持つべきだと分かってはいるけど持ちたくない、というのとは違って、そういう意識そのものが希薄だったのでは。
だから15円の給料でも大学の助手を引き受けたり、何度も大学を辞めさせられそうになっているのだと思う。
(ただ、当時の15円は、つつましく暮らせば家族で生活出来るぐらいの金額ではあったらしい。Eテレの「偉人の年収」で牧野富太郎を取り上げた回で生活費を試算していた)
牧野植物園の年譜にも、48歳のとき、大学から助手としては休職(植物調査嘱託に変更)を命じられたことが記載されている。
でも、希薄だったからこそ、牧野植物図鑑は完成したのかもしれない。
休職中も、東京植物同好会の創立で会長になったり、千葉県立園芸専門学校の嘱託をしたりしているし図鑑の刊行は、大学を77歳で退任して1年後。
その後も亡くなる近くまで植物観察や採集をしたり図鑑の改訂をしたりしていて、大学や仕事の有無とは全く関係なく、やりたいことを続けていた。
仕事意識の高い人は、職を失ったら普通落ち込むものだけど、彼はそうじゃなかったから、ずっとマイペースのまま植物採集を続けていられたんだと思う。
生活費や採集に行ったり高価な蔵書を買うようなお金は、寿恵を筆頭に誰かが調達してくれるし、寿恵は商才があって待合でも沢山稼いでくれたし、仕事をしなければ(お金を稼がなければ)という意識も多分一生涯無かった。
彼は、趣味を仕事にしたんじゃなくて、お金は他人任せにして趣味を続けていただけの人。
たまたま、その趣味が凄いものだったので、仕事として成立し、博士と言われる地位までも築いた人。
『恵まれている』のは、確かにその通りだと思う。
恵まれている、というか、運が良い、良すぎる。
こんなに運が良い人もそうはいない。
まるで、牧野富太郎に一生涯植物採集をさせて、様々な植物を人々が知ることが出来るように、天が遣わした人みたいに、運がいい。
商才のある寿恵との出逢いも、天の配剤だったのかもしれない。
(ただ、恋愛感情は自分にとってその時必要な人に必然的に持ってしまうものだと自分は思っているので、富太郎自身が無意識に寿恵のそういう部分に惹かれたのかもしれないけど)
彼は生前、自分のことを『植物の精』だと語っていたらしい。
本当にそうだったのかもしれない。
『植物の遣い』だったのかもしれないとすら感じてしまう。
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