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瑛太は良いと思いますよ 何よりも瞳の色が無口な大久保の怒りや絶望
セリフ以外で多くの心情を語っている。
タイトルロールでラストに表示されるのも納得だ。
青木崇高も凄く良かったし、伊藤博文がいきなり悪の顔になってるのも
長州方の役者たちも狡猾な感じが上手い、玉鉄さんも厳しさが良い。
脚本が一番の問題だが鈴木亮平を初め薩摩の取り巻きたちの記憶に
残らない小手先演技と鶴瓶のコント芝居がこのドラマの中身をますます
薄く軽くしている。
言葉一つ一つ耳を傾けていても、皆ろくなことを言っていない。だから俳優さんもカッコ悪く見える。
「留守だったヤツに席はないよ」みたいな、高校の演劇部の内輪揉めを見せられている感じ。
仲間に追い出された大久保の去り際のシーンのつまらないこと。ただ藪睨みしているだけなんだけど、やたらに仰々しいBGMでたいそうな雰囲気を醸し出しているから、ますますコントみたいになる。
結局黙ったまま立ち去ってしまうし、え?何だったの?と困惑する。ドラマティックな雰囲気だけは感じられるから、「ここ、細かいことは描かないけど、すごいやり取りがあったことにしてね!」と押し切られたような釈然としない印象が残るばかり。
本当に史実ってこんな風だったの?
高校生の部活か、大学生のゼミのもめ事みたい、という意見も一理あるなあ。これが日本史の大転換点、明治維新なのかートホホ
西郷がいつも民が民が言うのがいやだ。何様ですか?
大隈重信は身長180cmはあったそうです。
ここでもミスキャストですね。
こんな内容になるなら、西郷どんなんて誘致しなくて良かった。他の題材か架空キャラで充分!西郷隆盛の名を貶しめるなんて、決して許せないことです!!!
菊次郎の回想とナレがごちゃ混ぜになっていて、演劇というかドラマが破綻している。
大河ドラマは、いくつもの場面が重層的に重なり合って、ドラマが進行していく。西郷さんと大久保さんのどなり合い、いがみ合いの場面より、なぜ岩倉使節団は条約改正ができなかったのか、なぜ廃藩置県が必要なのか。せめてセリフで議論する場面を観たかった。
今回の唖然とした場面は、菊次郎が長屋からアメリカ留学に旅立つ場面と、大久保のお妾さんの本妻気取りとお妾さんの子供の行儀の悪さ。
大久保は正妻満寿さんとの間に生まれた長男をアメリカ留学させてるし、満寿さんが産んだ唯一の女の子芳子をとても可愛がっていたけど、その場面はなし。
このドラマの脚本家は、お妾さんが好きなのですね。当方の小学生の娘に、おゆうとその息子の存在を説明することに苦労します。
歴史ドラマでもなく、ホームドラマでもなく、ドラマのシークエンスもなく、違和感のある映像を観ていると、大河ドラマってこんなにもいい加減なドラマだったのかな、と思います。
当時というか、昭和になっても末期まで政治家や実業家が妾を持つのはごく普通だったし、隠す様なことではなかったから大久保の妾が大きな顔をするのは別に不思議なことではない。西武の堤康次郎に至っては正式な妻というものはおらず、それどころか西武グループの女性社員というのは全員妾候補だったとさえ言われている。
せごどん = 紙芝居の紙 + 菊次郎のナレ + 菊次郎の回想(10月くらい〜)
史実の大久保に妾がいたことが問題なのではなくて、このドラマの、正妻と妾の描き方のアンバランスが気になる人が多いのでは。
ミムラは無駄遣いされている。
例えは翔ぶが如くだと、西郷の妻と大久保の正妻に交流があるなどして、大久保がずっと東京にいても、鹿児島の正妻がどう暮らしているかが視聴者によくわかるように描かれていた。
大久保が欧米視察から帰った後は、征韓論の騒ぎと同時に、大久保が地方の温泉に正妻を呼び出し、ヨーロッパ土産を渡すシーンまであった。
大久保が薩摩で嫌われ、理解されず孤独になり、帰る場所を無くしていく様子が、正妻のいたたまれない様子からも見て取れたあのドラマと比べて、このドラマはそういう視点の多さや背景の描き方の深さがなく、重層的な面白さがない。
妾が良いとか悪いとかの話ではない。
歴史は語り継がれるうちに変貌して何が真実かなんて解らなくなってしまうものなんだろう。
翔ぶが如くの後ぐらいから世の中が変化したけど、大久保は地元鹿児島では昭和になってからも悪役、裏切りもの、嫌われものだったんだよね?
明治時代、奥さんはつらかっただろうね。
奥さんは最後は東京に呼び寄せられたけど、大久保が暗殺された後、すぐに死んじゃったんでしょ。
住み慣れない東京で旦那さんは暗殺されて、遠いふるさと鹿児島は大久保の家族なんか温かく受け入れてくれないからもう戻れないし、つらかっただろうと思う。
それを考えると、でかいツラしてはしゃいでいる、このドラマの妾は嫌い。
大久保の銅像って、ずっと無かったんだよね。
鹿児島では嫌われ者だったからね。
大久保の銅像が鹿児島に立ったのは昭和54年(1979年)。
没後100年という口実はあったが、それくらいになるまで地元から容認されない存在だったということ。
西郷の銅像は、まだ西郷の家族が生きてた頃にできた。
この差たるや、って感じだね。
こちらの感想やご指摘を読むほうが、ドラマを見るよりずっと面白くてためになります。こちらを読むために、仕方なくドラマを見ています。
江戸時代や明治初期などは、正妻の仕事は先祖から受け継がれた家を守り、代々の墓を守ることだった。
江戸時代の身分制度では妾は正妻の下につくもの、正妻から管理される立場の者で、その存在を認められていた。
だから正妻が薩摩に残され、大久保の身の回りの世話のために京都妻なり東京妻がいたのは別に悪いことでも何でもない。
ただ、このドラマはここまで正妻をちゃんと描いてこなかったので、これから正妻を東京に呼び寄せたとしても、それによって「もう薩摩には帰れない」と覚悟した大久保の立場の悲愴さとか、大久保と西郷の決別がそれほど大きな意味のあるものだったということを視聴者に十分に伝えきれるのだろうかと思う。
正妻をちゃんと書くということは、ホームドラマ的にだけではなく、歴史や時代を描くのにも意味があることだ、本当なら。
西郷が主役だから仕方ないかもしれないが
西郷=正義、反する者=悪
という図式が気持ち悪い。
ロシアンや殿様と相撲、大衆演劇張りの満月の橋の下等々で
真面目に観るのは早々に諦めてましたが
史実を大まかにでも良いので
事前に頭に入れておくとドラマとして普通に観られます。
たぶん無意識に整合性を取るように
頭の中で処理しながら見てるのでしょう。
そんな大河ドラマは如何なものかと思いますが
とりあえず、今はそんな感じでなんとなく観られてます。
腐っても大河ドラマ…
4Kとか8Kとか、どんなに技術を高めて画質をあげても、物語の質までは上げられない。きれいな映像技術が泣いている。
本作で、西郷隆盛に寄せようにも寄せ切れてない主役のメイクの不自然さ、時代にしてはやたらきれいな衣装、なぜかプリントみたいな勅書の明朝体、セットや背景の杜撰さ等など、視聴者から疑念の目で見られている様々な映像が、今後最新技術によって明らかになる日も来るかも知れませんネ
内田有紀の、ピンク色の鹿の子?みたいな頭飾り、
あれ、着物にも顔にも合ってなかったし、年齢的にも立場的にもどうなんだろと思った。
放送、あと何回なんだろ?
江藤さんの佐賀の乱とかもストーリーに入ってるのかな。
大久保は資材を投げ打ち国の繁栄のために勤めて死後、借金が残った。
今までの貢献から、妻子の生活費を国が工面した。
子どもたちは彼を慕って帰宅の時は待ち侘びた。
家族たちと食事をする日を決めて必ず皆で食事した。
史実の大久保は、聡明で私利私欲の無い素晴らしい人物のように感じる。
今回のドラマで西郷が嫌いになり、完全に大久保派になった。
ロシアンルーレットが出てきてから、この当時にロシアンルーレットの情報が
あったのかと、疑問に思うようになってからは、あーこれは、あくまで自分には
ですが、表面的に受けを狙って期待できないかもと思いました。面白い演出と感じる
人もいるとは思いますが。
前回の大久保の地団駄を踏んだ表情も大げさな音楽で演出されているようで、それ
ならばもっと大久保の真意を愚直に表現してほしかったと思いました。平凡ですけど、
例えば、いまは内政より一刻も海外の技術を取り入れることが優先すべきとか。
歴史的動乱、混乱、それらを成功でも失敗でもいいのですが、取りまとめていくその
人なりの信念と愚直な姿を見て人物に感動していったのが自分なりの大河ドラマの
楽しみ方だったのですが、西郷さん一家と西郷さんと大久保さんとの友情を描きた
かったのではと思うようになりました。最後まで見ないとわかりませんが、その時代
へのタイムスリップがいまのところ出来ていないのが残念。
「吉之助さぁ、おいは泣きたかぁ。」
↑一大久保ファンの私の心情。
ドラマの中の大久保さん、マロ鶴瓶さんのように贅沢しているアホには見えないけど、必死にカッコつけているようには見える。
困った上司の操縦を一手に引き受けて、常に渋面で、ダークサイドに落ちた感じ。
誰からも慕われ頼りにされ、笑顔で長屋に住んでいる西郷さんの引き立て役みたいな存在。
さすけねぇ。今から良いところに行ぐのですよ
花の乱 名作ですよ。応仁の乱の頃の勉強にもなるし、
役者の演技も音楽も良いよ。色々考えさせるし。
歴史ドラマが軽いとして、これだけ叩かれるなんて
考えてみれば良い時代なのかもしれない。
歴史ドラマに身につまされる重たさを感じるとしたら
それは大変な時代なのかもしれない。
このドラマは歴史ドラマじゃないでしょう。
ホームドラマとしても不出来かもしれないけど。
よく考えると明治維新は民衆が立ち上がって権力を倒したわけではないから、民衆は置いてきぼりだよね。
>民衆が立ち上がって権力を倒したわけではないから、民衆は置いてきぼり
西郷の明確な言葉が残ってないから推測に過ぎないけど、史実の西郷が気にしてたのはその辺だ、という説もあるよね。
西郷は「戦が足りない。戦が足りない」と言ったので、戦争好きだと思われてる節があるけど、本当に言いたかったことは、「真に世の中を変えるためにはもっと日本中が苦しみ悩んで考えて、その意見の相違を巡って戦い合わないといけない」というようなことだったと。
ただ、当時の日本語ではそういう思想を的確に表現するのが難しかったのと、西郷自身が無口を美徳とする薩摩人だったのとで真意が伝わりにくかった、と。
地味なことだけど、江戸時代の日本語から今の日本語に変えるための努力と苦労っていうのも明治時代にはあったみたいだよね。
夏目漱石なんかもずいぶん貢献したみたいだけど、あとは誰の働きが大きかったんだか忘れた。
だいたい、他国人に真意を聞き取られないように、わざと複雑怪奇に難解にした薩摩弁をしゃべっていた薩摩人が天下を取った時点で無理があったんだろうね。
関係ないけど、薩摩人の大山巌とその奥様であった会津人の捨松はお互いの方言のせいで日本語の会話がうまく通じず、大切なことは英語かフランス語で話したという。
昭和になっても白洲次郎とその妻は、平時は日本語、喧嘩するときは英語だったらしい。
お互いの主張を論理的に述べるとなると、日本語より英語の方が良かったようだ。
この物語の大きな山場の一つが、征韓論をめぐる西郷たち留守政府と大久保たちの対立、そして西郷の下野をめぐる動きである。
しかし、あまりにも個人的な対立や、金の問題に矮小化している。
些細なことで大久保が西郷の対立軸と化し、”もう友の目ではなかった”とか、”西郷に勝つ”とか。
この作者は本気でこんな構図を見せる気なのか、これを史実として訴えようというのだろうか?
それともどこかの民放のような、勝ち負けのスカっとするドラマをねらってのことか!?
どっちにしろ、ひとつのクライマックスがこれでは、本気でNHKに抗議文を書くことを検討したい気になる。
下記のような考察もある。NHKの大河なのだから、単純な対立ではなくもっと深みのあるものにしてもらいたい。
いまさら言うことでもないが、ほんとうにがっかり、落胆した。
「政敵西郷隆盛を屠った、盟友大久保利通の涙はホンモノなのか?」
https://rekishizuki.com/archives/1075
ドラマや映画で明治維新は人気のある時代劇ですから、それぞれの人のイメージに合うか合わないか非常に難しいですよね、
忠臣蔵みたいに、勧善懲悪の敵討ちでスカッとするぜ!的なデフォルメで雛形になるお芝居とか作品が明治維新には無い、ましてや漫画やアニメ全盛期で戦国時代や龍馬や新選組なんかは原型をとどめないほどです、つまり作品にする描き方やニーズが多様化しすぎてしまったのが原因かも、
土曜スタジオパーク、見たけど、同時に何作も並行して演じ分けている黒木華の才能には畏れ入った。今作では影の主人公といえるかもしれない。
「みんな軍人してやろう!名誉なことだぞ」
「そか!おら、お国為に働く!」
>忠臣蔵みたいに、勧善懲悪の敵討ちでスカッとするぜ!的なデフォルメで雛形になるお芝居
大河ドラマの「峠の群像」は忠臣蔵なのに全然勧善懲悪じゃなく、全然スカッとしなくて、それがとても面白かったですよ。
当時の日本経済や文化、当時の日本人の価値観の揺れが描かれていて、興味深かったです。
描き方は、ある程度なら何でもいいです。
ただ、視聴者が制作側からなめられている感じ、バカにされている感じはイヤです。
大河ドラマが流行語に絡まないのももはや通常運転なのでしょう。それくらいに今作による大河劣化には目を覆いたくなるばかり。
独眼竜で勝新太郎が秀吉役として、渡辺謙の事前挨拶の申し出に対し、「秀吉と政宗も初対面の設定であるから、撮影の日までとって置きましょう」と辞退したとの事で、当時の現場には、今作とは違って臨場感や緊張感を求める空気があったのでしょう。
片やせごどん、なかば無名の俳優渡辺謙を発掘し一躍スターの座に押し上げ、平均視聴率40%前後であった独眼竜政宗と較べるのは酷かも知れませんが、あまりに酷い内容。
当のナベケンが島津の殿様役でありながら若い西郷隆盛と相撲をとったり、息子が父に向かって「せごどん、きばれ!」と言っていたナレーション役の設定が途中から回想役に変わったり、内容はデタラメばっかり、シークエンス・繋がりが無く、ドラマとしては破綻した目茶苦茶な作品です。
翔ぶが如くでは、
征韓論での対立シーン撮影の数週間前からお互い撮影所では全く話を交わさず、目も合わせない緊張状態を作って、その征韓論対立シーンに臨んだ、と後年西田が言っておりました。
さすが往年の名作と言われる作品は役者の心がけから違うので、あの迫力が出るのですね。
誰からも好かれる人の良い西郷どんを描こうとして、結果はどんどん逆になってしまいましたね。私の周囲にも、このドラマで西郷が嫌いになってしまったという人がよくいます。
そもそも明治維新がどうして起こったか、どうして今も西郷どんが明治の偉人として畏敬されているのか、このドラマではいまだに全然分かりません。
このドラマでは江藤新平もわりと良い人で、今のところは西郷どんと仲良しだ。
史実の江藤新平の、「西郷は図体がデカイだけのバカ」だと考えて征韓論を利用して薩長閥を潰そうとしてた凄みが、このドラマでは感じられない。
そして、バカだと思わせておいて、大久保に負けた江藤を冷たく見捨てた西郷の怖さ。
江藤が騒いでも静かに冷静にしていたけど、最後には西郷や自分をバカにした江藤を地獄にまで突き落とした大久保の残酷さ。
おとなの男の世界の話だな、と思っていたものだが、このドラマだとその辺りはどうなるんだろう。
やたら西郷どんを持ち上げるだけだから
民のため民のためとかいう言葉だけが先行し
意味がわからん。
大久保が権力を握りたくて
勝手に西郷どんに嫉妬しているようにしか見えない。
結果西郷どんの魅力もよくわからないものにしてる。
明治維新で上手に政治の中枢にいた人間が、お上手な生き方が
出来る方々だったと想像していたが、その通りの脚本で嬉しい。
薩摩の『大久保利通』が、草だと思っていた私は嬉しいかぎり。
いつの世でも、お人よしはバカを見るってことで。(笑)(笑)(笑)
このドラマで終始一貫しているのは、はるか斜め上をいく歴史解釈の薄っぺらさ。
子供の喧嘩のようで、レベルが低いなと思う。
安っぽい。
泣けた。
さすが瑛太。
さすが鈴木亮平。
さすが中園ミホ。
西郷さんと再会した大久保さん、どんな議論をするのか、互いの意見を調整するとか、相手を説得するとか、政治の話をすると思いきや、「遠回しな言い方はヤダ。はっきり言ってよ。」「辞めさせたいとおもってたんだー。いいよ、やめるから。」
子供サイズになった西郷ちゃんと大久保ちゃんのけんかだった。
今日は維新の三傑と言われている木戸孝允. 西郷隆盛. 大久保利通のそろい踏み
を初めて見たので、自分的には良かった。とくに木戸さんの長州としての
口惜しさがあり、子供たちの教育を引き受ける所などは責任感が強い人と思った。
西郷の友は木戸さんじゃないかなと思えるぐらいだった。
大久保さんも人情に流されていては富国強兵はできないと石のような冷たくも
硬い決意も感じられた。
不満なのは岩倉さんの叫び口調だけど、どっぷりシリアスよりドラマだから
剛柔だすため仕方ないのかなと、今日は他がよかったのでさほど気にならなかった。
江藤新平という方は…史実ではなかなか波瀾万丈だな…どこに似た要素があるんだろうと割りと真面目に考えたが…。
まぁ私は大久保利通が主人公のほうがよかったと思う。演者は変えてもいいから面白い歴史ドラマが見たかった。
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