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ミニスカートの流行によって自由の風が吹いた
というようなナレの後に、
時子が偉そうにヤスハルにギターを弾いてといい
結局聞かずに出かけていく場面。
米子が三男に謝るといいつつ、何を謝るかは言わない場面。
当時の日本人は自由をはき違えていたと言いたいのか?
物語の内容をじっくりと描いて展開が遅いならいいけど、
いつも以上に必要ないことに時間を割きすぎてるなぁと感じた。
由香のことを引っ張っているようだけど、
あの親子の間の亀裂にはもう全く興味がない。
で、結局時子はアルバイトに行ったのか?
今日は時子が三男の気持ちを立ち聞きする為の回
という事で良いのかな。
三男を開放するためにツイギーコンテスト優勝を目指す?
優勝したとして、それって女優としての成功なの?
色々な疑問はあるけど、来週を見守りたいと思います。
なんとまぁ幼稚くさいドラマでしょうか。脚本酷すぎます。
今日の序盤もそうだったけど、
みね子の前髪が時々ものすごく鬱陶しくて話よりそっちに気がいってしまう。
それはともかく、時間経過が面倒と言うか時間進まないし
増田さん喋り過ぎだしヤスハルの出番長過ぎ。
今日の話はもっと面白く出来たと思う。
星は今週分。とにかくダメな所が多過ぎた。
時子の脚たまらん。
これでみね子と早苗のミニスカ見れれば
もっと評価が上がったんだが!(乙女寮メンバーも来い!)
結局、序盤の漫画家共の話が完全にいらなかった
腹から声出せは、時子にもよく思う。
最後の餅はヤスハルの差し入れなんだろうな。由香の作戦はよく解らんが。
土曜日はもう少しスッキリさせて欲しい。
>17:23:51さん、米子のバックに流れた曲名ですが…
>フランソワーズ・アルディの『さよならを教えて』(1968)と判りました。
17:23:51です。ありがとうございます。洋楽だろうなと思っていましたが、やはりそうなのですね。自分はあまり洋楽に詳しくないので教えていただいてうれしいです。同時代の曲を使っているのですね。さっそく原曲を聞いてみたいと思います。
時子のミニスカ+2
由香のミニスカ+1
あれは洋楽ではないと思います。音楽担当の宮川さん作曲だと出ていましたから、洋楽だとしたら宮川さんの盗作になります。
太田裕美ひよっこで検索してみてください。恋のうた劇中歌の元ネタが出てきます。
ひよっこ最高!
もっとスカート短くしてくれよ。
男性目線で見れば、ミニスカート姿が見られれば、それがプラス材料になるのかも知れませんが、それで煽っただけで、話自体は今週も引き延ばした感じがぬぐえませんでした。
何より、昨日のみね子の印象が悪すぎました。優しさの暴力とは、まさに昨日のあの場面のことだと思います。他の方も書いてらっしゃいましたが、このドラマには誰からも見守る優しさといったものを感じません。実を失い傷心である世津子の気持ちを思えば、昨日のみね子の態度は余りに無神経。ある種の怖いドラマだとでも思えばいいんでしょうか。
そして腹が立ったのは、あのシーンの後の三男と米子の変に色っぽい音楽を入れたあのシーン。わざわざ高い台にミニスカートの米子を乗せるのも不快です。普通なら笑えるかも知れないけど、私ははみね子と世津子のシーンを見た後でこういうシーンを続ける感じも嫌いです。
何だかこの調子であと1カ月も過ぎそうで、すっかり気の抜けた作品になりました。
勿論、ドラマの好みは人それぞれ。
これは私一人の感想です。
三男くんいいなあ
真摯で全くブレてないし。
このドラマの中で唯一血が流れてる人間だ、と感じます。
でもね、せっかくの切ないお話をおちゃらけにしてしまった演出にはがっかり(涙)
お米屋さんの歌からのヤスハルには感動も吹っ飛んじゃった。
隣で見てた母は「バカじゃないの…」と呟くし、ヤスハル本当に要らない。はあ…
それにしても場面はコロコロ変わるし、わちゃわちゃしてる割に
お話は進まないし、残り1か月ちょとだけど大丈夫?
モヤモヤはあるけれど、星を1つ多く。
変わってない三男くんが見られたので☆☆
実さんが見つかってから、
私はどうも面白くなくなってしまいました。
あれ以後、美代子は母というより
女優と張り合う一人の女になってしまった。
私が好きだったひよっこワールドはもうないです。
作者が見せたい本筋は実が自分を取り戻すことではなく、
美代子の女としての勝利なんだと思っています
米子も同じように女の勝利を目指しているんでしょう。
住み込みで働く三男。
逃げ場のない職場で小さな米屋とはいえ
オーナーの娘に言い寄られている。
そのストレスを想像すると気の毒すぎるなぁと思います。
今日、三男は米子に自分の気持ちをちゃんと伝えて、
米子にも取り敢えず受け止めてもらえたようでホッとしました。
増田明美さんのナレをある意味効果的に取り入れて、
ほっこり風味で描いてはいるけど、結構生々しい話だと思います。
ひよっこにこんな女の戦いはいらなかったのになぁと思う。
私は、十分に楽しめました。
歌謡ドラマと会話劇が面白い。
米子の気持ちも、切なくかわいい。
三男も純粋でかわいい。
時子にも、三男の気持ちが伝わった。
若者たちを見て微笑ましい。
見たあと、身体が軽く踊り出したくなる。
久しぶりの泉澤君のセリフが本日の一押し。
「自分が惚れてることが時子の力になる」は
「何があったって最後の最後まで俺は時子のファンだ」って、ことでしょ。うれしいよね。
なかなかうだつが上がらないので少々焦りもあり、また頑張ろうと思ったんじゃない?
チャンスの一つとして「ツィッギーを探せ!」に応募しようと思ったのは流れでしょ。
ようやく時子と三男に光が当たった。がんばれ!!
…ただ他がね、酷かった。
ナレのしつこさ、ヤスハルの連呼、米子と三男のミニスカシーンの繰り返し。
このひよっこはシーンの繰り返しが無駄にしつこくて、良い場面をシラケさせる。
それにしても、何でもありのこの時代に
まだミニスカートで視聴率云々と言っている日本人って、ダサい。(by 早苗)
確かに、最近のひよっこはヌケますね。
足フェチにはたまらない。
今日は眉をひそめて見てしまっていました。 これがべっぴん化かな 流行語大賞です
ただ 光男の台詞は良かったと思います
三男でした
三男が時子への思いを米子にはっきりと伝えた。それを聞いた時子、今日初めて三男に対する恋心が芽生えたかも。
奥茨城さんがアピールしたい気持ちは解る。
朝ドラで地方を舞台にして、きちんとその地方を描かないのは初めてじゃないかな。
ちょっとした田舎の風景だけで、あれだと別に茨城県でなくても、どこにでもある。
あの「まれ」でさえ、石川県の良い所を描いてた。
岡田さんは、朝ドラの使命ってのを解っていない。
自分の書きたいドラマは別枠でやらないといけない。
朝ドラでそれをする能力は岡田さんには無い。
ちゅらさんは沖縄だから良かっただけで、おひさまも地方が何だか良く解らなかった。
三男で泣いたわ。ひよっこ初泣きかも。
時子素敵。
米子さんの思いもびしびし。
土曜日だけよかった!ので星増やします!
時子が三男に恋心を抱くことは陳腐かな。
09:19:28さんの、「俺は時子のファンだ」がズバリそうだと思う。
時子も女優を目指すなら、ファン第1号にしか思っていない。
米子にそれを言って欲しかった。
馬鹿っぽいセリフと演出は不要。
「あんた、ただのファンじゃん」で、フフフっていう表情演技で終わって欲しかった。
米子を壊した。あんな馬鹿っぽい娘じゃないと思うんだけど。
今日は三男の男気ある所はとても良かったですね。米屋の娘さんも時子も可愛いかったが、みね子、前髪が長すぎて、顔がトボけたみたいに見えるんだよ。まぁ、あんたはどうでもいいから、どうでもいいけど。。。最後の大家さん、早苗さん、漫画家さんが、お餅を食べる所も良かった。
ここからはドラマの感想ではないのですが、ひよっこはアンチかもですが奥茨城さんの爽やかな風を運んで下さる様な投稿がとても好きです。郷土愛に溢れた優しい方なのでしょうね。
今日は編集の失敗でしたね
巻き戻しもナレも必要なく
サオリン~三男君の熱演を楽しみたかった
ひよっこ唯一のオアシスを少し汚されちゃったかな
1960年代はマネージャーなど周囲の人が脚本にふりがなをふってくれず、俳優自身が調べなければならなかったのかなと番組を見ていて思いました。
日本は識字率が高く文字を読めるのが当たり前のように思われていますが、児童の頃に学習できなかった方は大変のようですね。あまり知られていないと思いますが、日本にも生活で困っている高齢の方に日常生活で必要な文字を教える学校がありました。現在あるかどうかはわかりませんが。自動販売機で電車の切符も買えないなど、外出するにも不便がたくさんあるそうです。
子どものころ覚えなくても、生活していれば大人になって身につくというものではないそうです。働きながら学校へ行ければよいのですが、特に戦後生活の楽でない人はそうもいかず、会話はできるけど読み書きができない人は大勢いたそうです。
世津子さんは脚本を読まねばならない職業なので苦労が多いと思います。毎日のように使う文字は覚えるそうですが、ドラマごとによく使われる文字が異なるので、辞書を引いて調べても定着しないと思います。成績が芳しくないみね子のことがよく引き合いにでますが、勉強する機会に恵まれなかった世津子さんのような人にとって、小中高と学校で学んだみね子のような人は羨望に値する存在だったと思います。
ひよっこのサイトで岡田さんは
「今回、唯一自分で決めていることは、週単位で物事を考えないようにしようということ。朝ドラはどうしても、この週はこんなテーマなのでこういうトーンで…となってしまうので。
例えば、何かの事件が月曜日に起きて土曜日に終わるというパターンには陥りたくないので、どの曜日に何が起きるかはおたのしみに!“一話入魂”なのでお見逃しなく!」
と言ってる。
そりゃ大事件とかだったらそうだけど、小ネタや小さいエピは週末に終わって欲しい。
普通の朝ドラで良いのですが。。。
週単位で良いです。長年の習慣ですので金土で回収してください。
日にち開き過ぎて、ネタが腐ってる。
腐ったものを食べろって出されても不快感しかない。
さおり(米子)の「一緒に晩ご飯食べに行ってくれない?」の台詞が切ないですね。
今はそれが精一杯のさおり(米子)がかわいいです。
回想シーンに次ぐ回想シーン。
脚本家がダウンしたそうだが、いまだに脚本が間に合わないのか、父親発見でアイデアが無くなったのか。
スローペースの割に人間ドラマが薄く、これまで上っ面のメデタシメデタシで過ぎてきたひよっこだが、終盤にきて更に失速している。
時子の仕事の話が初めて具体的になったが、いわゆる試供品配りなど単発バイトでしのぐ、今の言葉で言うとフリーターか。
平成の大不況以降は、企業の事務員を派遣労働者にするなど非正規雇用が増えたが、昭和の右肩上がりの日本は、世界一雇用が安定していると言われていた。
姉がみね子と同じ年だが、クラスメイトは全員、一流の大会社かまたは中堅の会社か役所へ就職した。
中学のクラスメイトで、ひとりだけふらふらしているアルバイターがいたが、地元の悪評がすごかった。
それくらい普通に誰もが就職できる時代だった。
ちなみに、モデルになった友人も芸能界に入った知人もいるが、どちらも短大卒業後は一流会社に勤務。
すぐにスカウトされて退職して芸能界に入った。
ひよっこを見ていると、まるで平成の発言と行動みたいだ。
みね子が「そんな仕事があるんだねえ」と感心する発言には呆れ果てた。
あの時代なら「なに、やってんの!女優のオーディションを受けるにしても、ちゃんと就職しなきゃ親が悲しむよ!」と言わない感覚が当たり前。
歌だけ昭和42年にしても。
というか、当時はブルーシャトーの替え歌や真っ赤な太陽や花は遅かった方が小学生まで広く歌っていた気がする。
「何かの事件が月曜日に起きて土曜日に終わるというパターンには陥りたくないので」って、ただ視聴率狙ってずらしているだけじゃん。
今はちょっとテレビに出て売れると「大物女優」って触れ込みになるけど、昭和の時代はよほどの実績がないと大物扱いされなかった記憶があります。
世津子さんは今の時代でいうと「超超大物女優」だと思います。
外部の人間、しかも出前持ちが自由に行き来できる廊下とパーテーションで仕切られた部屋?で、マネージャーも付き人もおらず、辞書を片手に台本にルビを振るなんて、そんな扱いあり得るのかな?と不思議に思いました。
確かこの当時、こまどり姉妹のどちらかが舞台上でファンに刺されるという衝撃的な事件もあったはずです。警備上のことを考えてもちょっとあり得ない不自然な描写に感じました。
まぁ、みね子との場面を作るためには仕方のない無理な場面だったんだと自分を納得はさせてますけど。
なんというか、あの場面で世津子さんの「大物感」が皆無になってしまいました。初めての登場の時は付き人やマネージャーに囲まれて、有名な女優であることが強調されてたのに。あの人たちはどこへ行ってしまったんでしょうか?細かいところだけど、自分にとっては視聴するうえで重要なポイントでした。
今日の話はちょっと良かった。
みね子が絡まない話は、見てて気持ち良い。
奥茨城や乙女寮のメンバーたちの話は楽しい。
それなのに父親の失踪や人気女優と暮らした2年半とかの問題を思い出すと全部ぶち壊しになる。
昨日の今日だから、昨日のことがあまりに鮮明。
面の皮が厚くなったみね子が広いんじゃなくて、父親失踪問題がなかったら、ひよっこもそれなりに楽しめたかも。
私は1960年生まれです。うちは田舎の漁師でした。
父(長男)は小学校しか行って無いそうです。中学校へは漁の仕事優先でほとんど行って無いそうです。
母は農家で、父よりは学校には行ったらしい。
でも、私が物心ついた時、家には本がたくさんありました。
夏目漱石や白鯨などもあった。読めない私はいつか読みたいと思ってました。
父は本が好きで成人以降、自分の小遣いというものが手に入れば一生懸命に本を読んだらしいです。
解らない単語は辞書で調べて。
母も字だけは上手くなりたいという思いで、暇があれば書く練習をしたと言ってました。
両親は、一応、中卒ですが、実質は小卒です。
それでも私が小学校の頃は、そんな学力とは思えないほどの字も上手く、漢字も良く知ってた。
だから、世津子さんのことは有り得ないよって、この頃の人を馬鹿にしてるのかって怒っています。
そりゃ、向上心も何もない人は今と同じく字も読めないし、書けない、とにかく字が下手。
大女優さんでそんあことは有り得ないって父母は憤慨しています。
馬鹿にするなって。
日本人って昔から勤勉なんですよ。今よりももっと。
広いん → ×
ヒロイン → 〇
実さんはみね子やちよ子ちゃん、幼い進君にとってとても大切な父親。取り戻したい想いは母親として強くあるでしょう。でもそれだけではなく妻として一人の女としてその想いがあっても当然だし、その気持ち私はよくわかります。なので実さんが美代子さんのことを好きだと言ってくれて本当に嬉しかった。
あの縁側の場面はもう何度も見ましたが、見る度に幸せな気持ちにさせてくれます。
今日は三男の時子への切ない片思いに涙が。
時子も幸せ者ですね。三男の気持ちを知って応募すると決めた時子。優勝して女優へのステップアップになるといいな、応援してます。
有村架純も佐久間由衣も、水着写真もミニスカート写真も出しまくっている。
ビリギャルは全編超ミニ丈の制服だし。
有村架純のいま出ている映画ポスターは、さらに過激。
ひよっこで、あの程度のミニスカートで、ミニスカートミニスカートと騒ぐのは、わざとらしい宣伝か?とかなり違和感がある。
どなたが書かれてるように私もミニスカートでわざわざ台に立たせる映写は好きではありませんでした。男性視聴者へのサービスでしょうね。良い回、面白い回も確かにあります。全部を否定しませんが、このドラマの核である家族の再生、普通の女の子が殻を破って成長するというテーマはどこにあるんでしょう。他の話が多くてしかもあちこちバラバラなので私には見えてきません。家族の再生
において主体(中心)は実であるはずなのに周りの人の心情とか状況ばかり描かれてて実の意思・意向はセリフにもありません。田植えをきっかけに帰ろうかな、とそれだけ。実の頭の中は世津子さんとの2年半だけしかないはずだし、記憶がなくても世津子さんの所
から去らなかったのは自分の意思もあったわけです。美代子もあの時は実を取り戻す事で精一杯だったかもしれませんが、その後どうして警察に行かなかったの?とか妻として感じる疑問をなげかけるだろうしそうした話し合いはあると思う。ただ環境に馴染み家族と同じ時間を過ごすだけでは再生は無理だろうと思います。美代子さん、実から好きだって言われて喜んでましたが妻として気になるのはそこではないような気がします。はっきり言えば、あの女の事はどうなの?って事です。ここを避けて通っては夫婦間の再生ないでしょう。みねこの成長に関しては周りの人々のセリフで語られるだけ。いまだに見せてもらっていません。
浮気の場合、夫婦でよく話し合った末やり直すケースがある。
では実と美代子の場合はどうなのだろう。仮に実が世津子との間に男女の関係があったとしても、記憶がないのだから通常の浮気とは事情が異なる。二人に特別な関係があったからと言って、浮気と同じレベルの判断で美代子が離婚を選ぶことはない。そして二人はやり直すことにした。
では話し合いで世津子との関係を問いただすのだろうか。内容次第で離婚か否かが決まるなら、きちんと確認するだろう。しかしやり直す意思がすでに固いのならば、あえて詳しいことなど聞きたくないのではないか。
美代子はそこを確認せずにやり直そうとしていると思う。
記憶喪失という特別なゲースの設定は、人と人との関係について改めて考えさせてくれると思った。
今日は面白かったよ。
三男の純情一途、ブレませんね。本当に清々しい。
俺の人生はほとんどずっと片思い。そして親友。だからあいつの夢を応援したい。俺に惚れられることがあいつには必要だから、あいつの夢が叶うまで俺は片思いを続ける。自分のことはその後でいい。
三男の片思いが時子の夢の原動力なんですね。
いつかの日比谷公園を思い出しました。あの時女優への夢に挫折しかけた時子に三男は「夢なんて諦めて俺の嫁になれ」と挑発して時子を発奮させました。それは自分が失恋することなのに。
本当に男前。これを聞いちゃったらさおりも白旗ですね。でもやっぱり好きになってよかった、とますます惚れ直したかも。私たちお互い片思いだね、というさおりのセリフは切なかったです。せめて一緒に食事をというさおりの願いに三男が応えてあげる優しさも好感。泉澤君は目が澄んでいて綺麗ですね。
物陰で聞いた時子も感激ですよね。今にも泣きそうな顔。自分のことをこれほど思ってくれる三男のためにも一念発起。女優の夢につながるチャンスをものにしようと思い立ったのかな。すらり長身で脚の長い時子はスタイル抜群だし頑張ってほしいですね。
今日は本当に三男がよかった。だけど私は当時の流行歌に乗って歌ったり踊ったりの演出も大好きです。シリアスとコメディの緩急のつけ方が絶妙。さりげない日常のセリフや雰囲気にこういうちょっとした遊び心の演出も、岡田さんらしさだと思います。
話し合いは離婚の為だけではなく、気持ちが自分にあるかどうかの確認作業であったりもします(笑)
他局で子供達の「365日の紙飛行機」の合唱を聞いて、感動で胸が詰まった。
そのあと、「夜の酒場でロンリー、あの娘いまごろどうしてる。サナギがいま蝶になって誰かの腕の中」を聞いて、うんざり。
ほんと、主題歌の選曲からしておっサン目線で、本編に入ったらヨボヨボの高齢者が若い女性のミニスカートを見て「長生きはするもんじゃのう」とニヤニヤ。
なんじゃこりゃ、ですよ。
私は米子のセリフに切なさは全く感じなかった。
一緒に晩ご飯食べに行ってほしいと言ったのには、裏があるんじゃない?
時子が「すずふり亭」の近所に住んでいること、知ってるからね。
そんな簡単に引き下がる米子なら、何のために長々とストーカーぶりを発揮してきたの?
第一にまだ一度も時子と対峙してないし、そこが見どころだと思います。
美代子は聞きたくないというより聞くのが怖い。
しかし、実さんは語らない。
男女の関係でなく、住み込みの使用人みたいだったら、そういうでしょう。
言わないってのは男女の関係であったから。
記憶喪失というのを差し引いても、無理だと思うなぁ。
実さんが真実を話して、それでも美代子とやり直したいって言わないと。
で、なぜやり直したいかという理由を言わないと。
一番簡単なのは、記憶を戻す事でしょう。
記憶が戻らないのに、無理でしょう。
親兄弟子供はそうだと言われれば受け入れられるが、「好き」は無理。
出稼ぎ期間の記憶は戻らなくても話の辻褄は合う。その期間が精神的トラウマであると。
だから、不作の年くらいまでの記憶は田植えで戻ったでOKだった。
どうせ、記憶喪失の男女の悲哀や葛藤など描く気は脚本屋には無いのだろうから。
「男女の関係がなければ、夫が他の女の家で二人きりで暮らしても、妻は許す」
まさに「おひさま」。
おひさまは、ラストで、主人公の夫が、妻の家と女の家とを行ったり来たりしながら両方で暮らしていましたね。
男女の関係がないから良いということで。
その前には、痴漢行為も許されていました。
いくら男声脚本家でも、その展開はアホかと思いましたよ。
主人公が絡まなければ面白いって不思議な物語ですね。
記憶力は悪くない方ですが、おひさまの記憶がありません。
おひさまの前後は記憶にあります。
てっぱんもカーネーションも記憶にあります。
ゲゲゲの女房から朝ドラを見ていますが、本当におひさまだけ記憶にない。
純と愛は酷評されてますが、私は好きで意外に鮮明に覚えています。
たぶん、ひよっこも来年には忘れそうです。
奇しくも岡田作品2作品、記憶に残らないという。
わたしにとって「伏線の賞味期限」を初めて考える事になった問題作がひよっこです。
自分の中で、三男と時子と米子はギリギリ賞味期限内。
ですが、由香と牧野家の問題や愛子さんと省吾の恋バナ、
これはとうに賞味期限切れになっています。
島谷や世津子さんのその後はやっても良いけど、
正直あまり興味ありません。
回収するき満々の様子ですけど、
正直言ってもう食べる気がしません。
ドラマ内のエピの賞味期限は人によって違うでしょうから、
いやいや楽しみですという方を否定するつもりはありません。
初期の展開の遅さは丁寧さを感じて好感を抱いてましたが、
今はただただ遅いよという感想しか湧いてこないのが残念です。
来週、島谷が出るようだが、結婚して幸せになっていますように!!
みね子じゃなくて良かった事がはっきりしますように!!! (笑)
この世には泣いたり、笑ったり、いろんなことがあることを漫画仕立て風に描かれていますので、受け取り方は観る人に任されていると思います。みね子は、何か成し遂げる主人公ではありませんが、物事に肯定的で人を思いやることができ、成長していると感じています。結局、ドラマの底に流れているものを感じていますが、それを実のこととして、根本的に大きく描きたいのだと思っています。もうこれ以上、何も動きがなく情報も報告されないのか、最終回まで注目したいと思って楽しみに観ています。
自分は実に関しては「五体満足で生きてただけで丸もうけ」と思っています
二年半が許せないとか受け入れられないとか何を贅沢言ってるのかとしか
視聴者にそう思わせないように発見時の大喜びをカットしたんでしょうけど
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