5 | 1374件 | ||
4 | 264件 | ||
3 | 163件 | ||
2 | 114件 | ||
1 | 781件 | ||
合計 | 2696件 |
千代の娘の名前…見た時、ざわっとした
多津子…新次郎がいい時に雨降るにちなんで
たしかそんな風なこと言ってたよね
雨からこの名前…違和感
不快感
他のTV局を思い出した
2016-03-28 14:29:16 名前無しさんの言われる通りだと思います。
このドラマは一見非常にバランスよく作られているので、
ちょっと見には気づかないけど、案外見た目よりは深いのですよね。
どなただったか、作者の思想もさり気なく取り入れられていて、
本当は非常にスケールの大きいドラマだと書かれている人もいました。
新次郎が今日やっていた茶道のお点前はお盆の上で略式にやるもので,火鉢の鉄瓶を利用しているので体調がすぐれない新次郎に合ったやり方だと思って見ていました。
玉木さんの新次郎役は最後まで実に素晴らしそうです。
江戸から明治にかけての時代の変わり方を,このドラマは女性の生き方を通して描いているところに意義を感じるとともに,テーマの夫婦の描き方が丁寧で気持ちが和む朝を頂いたことを感謝しています。
大風呂敷広げましたけど畳めまへん的な感じ
>加野屋には茶室がないのかな。
いやいや、お大尽の生活を描いたら、
それこそ共感できないセレブのお話って、
ひがむ人たちの反感を受けるので、難しいんですよ。
本当はお大尽は文化のパトロンで、
金が無ければ文化の花も咲かないのですけど。
朝ドラは庶民の話じゃないと嫌がられるのです。
やだね。
でも
藍之助ってホント何なんでしょ。
未だに丁稚なんだか、仕事何してるのかわからない。
まあ年齢もわからないのでどうしようもないけど、
宮崎さんを登場させるための小道具ですかね。
別にダブルヒロインでなくてもよかったのに。
宮崎さん朝ドラ主演してるんだし。
この分で行くとまた数年後にはヒロインの母とかで出るんでしょうね。
七転び八起きという言葉を聞くと、
艱難辛苦を乗り越えてきた苦労人の人生が思い浮かぶけど、
達磨さんて、倒れても倒れても、あっけなく、しかも速攻で起き上がるよなぁ。
と、前々から思っていたんですが。。。(達磨大師の方ではありません)
九転十起。倒れても、びっくり、ぽんと起き上がる。
あさの人生、まさしく達磨さんのごとくだったと思います。
幸運体質とでもいうのでしょうかね。
いつの間にか周りに人が集まってきて(というか基本拒否しないから)成功してしまう。
たぶん没落したのが加野屋であっても、親からサッサと土地を譲り受け、
出合った人たちの様々な援助や協力を有難ーく受けながら、
あっと言う間にミカン農家を大きくしたことだろうと想像してしまう。
そこに到るまでの極貧生活もどこか楽しげに見えたことでしょう。
あさの周りの人たちには、いつの間にか自分が活躍できる居場所ができる。
たぶん、これが成功の秘訣なのではないかと思います。
はつの人生は、自分の中では九転十起というより七難八苦というイメージですかね。
お金があってもなくても、どんな人生であろうが苦労を抱え込む性格なんだと思う。
許婚交換がなくても、山王寺屋が潰れなかったとしても、いろいろ苦労を抱えていそう。
聡明な故に、という感じでしょうか。
だから不幸なのかというとそうではなく、苦労の中に幸せを見つけられる女性ですよね。
淡々と苦労を受け止めて、いつの間にか前に進んでいる姿。そこが見ていて救いでした。
が、惣兵衛のことはなかなか受け止めれない様子でしたね。
最後にはつが見つける幸せは何なのか?ここまで来たら描いて欲しいです。
正確なことがわからないのですが、啓介と藍之助の歳がどうなっているのか疑問です。どう見ても啓介のほうが藍之助よりも歳が上に見えます。これで藍之助が啓介より歳上だったらおかしいよね。
藍之助は1870年生まれ(廃藩置県の前年)なので、33歳(!)。
啓介が加野屋を初めて訪問した帝大生時代が20歳くらいだったとすると、7年後の現在は27歳前後。
ちなみに養之助は1897年に成人して徴兵されたので現在26歳。
千代は1877年生まれで26歳。なんと養之助と同い年でした。
終盤なので、あの人この人がバタバタ死んでいくのが、朝から寂しい。
死なせるなら、もうすこしバランスよく、配置してほしいです。
新次郎は、今月前半で死なせて、未亡人になったあさを描いてもよかったのでは。
人が死ねば、愁嘆場を作らねばならず、よのさんあたりから、何回、見せられたか、うんざりします。
半月に詰め込むから、またか、と思ってしまいます。
朝なんですから、死ぬとか葬式とかは、なるべく、やめてください、と思います。
18:46:56さん、藍之助と啓介の歳を説明してくれてありがとう。
新次郎さんの役作りが素晴らしいと思う。ちゃんと老けた感じが自然に出てて、病気の宣告を受けた時の心の複雑さを隠しながら、穏やかにあさに接する態度の表現がとても良いと思った。
とにかく視聴率さえ取れればいいって感じのドラマの作り方に嫌気が差しますね。
タイトル、朝ドラ「お涙頂戴が来た」に変えて下さいな。
死ぬとか葬式は朝からは見たくはないですね。なんというか、自分の身内がなくなるような錯覚に陥りますし、気分のいいものではないです。ここ最近、ドラマの中で連続で死を描くことは逸脱しているとしか言えませんし、脚本家含め制作陣の良識を疑いますね。なんで最終回間際にこんな話にしたのでしょうね。
噂では視聴率を更に上げるために、ノベライズの25週と最終話の26週を強引にすでにあった脚本を変えたみたいですね。今となったら、そんなことしないほうが良かったんじゃないのかと思います。
あいのすけ、もう中年だったんですね。
衝撃!!
あさはここにいたけりゃいれば〜って感じだし、新次郎も息子の様に可愛がると思いきや、あさの腰元としてと芸事に忙しくあいのすけに構う暇なんてなさそうだった。
よのもあいのすけちゃんのお相手探してあげるとかなかった訳??
そうか新次郎も病なのね。
半年間色気のある存在感を出してくれてありがとう。
どれもこれも好きなの。
あさが女子大学校を作ってそこに平塚さんがいたのね。平塚さんの意志の強さもわかりますよ。本当にうまく作ってあります。
今週で終わるかと思うと寂しいだす。ほんに、ほんに。
半年間たのしませてもらった
ありがとう
新次郎もあさも魅力的だった
こき下ろすようなひとがいてもそんなのはどうでもよい
おれはこの二人が大好きになった
きもちのいい人間でなければ、あんな表情はできないだろう
新次郎も逝ってしまうのか
だが現実世界だって、いつか別れがくるのは避けられない
覚悟をもって見とどけようと思う。
広岡浅子(1849年10月18日生)
平塚らいてう(1886年2月10日生)
そりゃあまぁ、37歳もの年齢差があれば、まぁ、明(らいてう)が、あさを「おばさん」呼ばわりするのも致し方ないところでしょうけれども、
波瑠(1991年6月17日生)
大島優子(1988年10月17日生)
問題はキャストのほうで、実際には、波留よりも、大島優子のほうが3つも年上なのに、あのセリフは違和感大アリで「ハァ?」って感じになります。
このように、最後の最後まで、矛盾点をほじくり出そうと思えば、数限りなく、いくらでも出てくるような凄いドラマでした(笑)
先週と今週でBGM変わっただけで、信次郎の動きに奥行きが出ていたね。照明もカメラアングルも、後半の信次郎を中心とした大きなうねりがいい。
新次郎とお医者さんが「一服」と言った瞬間、私は「一服盛る」の方の一服だと思ってしまいました。怪しい薬でも飲んでコロリと逝くのかと思いきや、なあんだ、お茶か(笑)
怒涛の寿命ラッシュの中、ただ一人仙人化しているうめ。
今日も元気に千代の子(多津子・ひ孫くらいの歳)を抱っこして仁王立ち。
足腰の強さは横綱級で、さすがおあさ様を投げ飛ばす女中です。不老不死!
笑顔で赤子を抱かせている千代夫婦も、きっと気が気でないに違いありません。
うめは今後もあさを看取り、千代を看取り、そのうち多津子の子も抱く日がやってくるでしょう。
誰もがふざけて書いていた「ぽっくりぽん」を、まさか番組内で聞ける日が来るとは・・・。
ま、別にうれしくも何ともありませんが。
広い家と贅沢な中庭があるのに、なぜか銀行の前で子をあやす千代と新次郎。笑
そういえば千代が子供時分には近所の子らと店の前でままごと遊びをしておりました。
ないわ~。八百屋や魚屋じゃあるまいし、暖簾が大事な老舗商家なのに。
「いつか東京に店を出し、有田のみかんを商売の面から支えたい」と、銀行ではなく(!!)加野商店で働いている藍之助。銀行だろうが商店だろうが丁稚は丁稚。
結局は銀行の前を掃除して、レレレのおじさん状態です。
10年経っても下働きの丁稚だけど、夢はでっかく「東京に店」。
ところで東京に何の店を出すつもりでしょうか?まさか冬季限定・有田みかんの店(露天)?
ねちっこく死を匂わせ続ける新次郎とは違って、あっという間に亡くなった惣兵衛。
気丈にしててもやっぱり元気がないお母ちゃんを元気づけるために大阪に連れだした養之助。
「アンタら兄弟、ほんま優しいな」と新次郎は言いますが、藍之助のどこが優しいのか・・・。
女子大であさの悪口を言いふらしている学生がいることを、わざわざ手紙で知らせてきた宜。
それはそれで「つげ口」であり、且つ「悪口」だと思うのですが、どうでしょう。
アンタの悪口言ってる人がいるよ!と、言われてる本人に手紙まで書くってすごいね。こわっ
あさはあさで「陰でコソコソ」とか「卑怯なこと」とか、悪口を言った女学生の悪口。
日の出の学生は全員自分の信奉者だと思っていたのでしょう。
そういうところが「偉そうなオバサン」なんだと気付く日は来るのか!?
惣兵衛を亡くしてはつが気落ちしているとさっき聞いたばかりなのに、嫁の事を赤ちゃんだのかいらしいだのとのろけまくる新次郎。孫までいるのに、いつまでもネチネチと・・・。
「(あさのかいらしいとこ)他の男はんはだ~れも知らへん」とか言ってますが、そんな赤ちゃんのような嫁が、かつて五代と抱き合ってたことは知らない新次郎なのでした。
あさからも新次郎からも元気づける一言も貰えずに、うめの手伝いをして帰ったはつ。
若い頃から相当な苦労人ですが、うめに次いで身体は丈夫なようです。せめて長生きしてくれ。
「寿命が来た」もしくは「お迎えが来た」とタイトル変更してもおかしくない斬新な朝ドラ。
新次郎の番が来たら12人目です。いくらなんでも死に過ぎでしょう。
刃物沙汰2回、爆破1回、死人12人って。これってサスペンスなの?
医者の寿命宣告に取り乱すあさ。旦那さまも保険に入れておけば良かった・・・と。
電車にはねられたり、滝に飛び込んだり、戦争で爆弾浴びたりして死ぬ人もようけいてる。
それに比べたら・・・などと恐ろしい例え話をする新次郎。なにもそこまで。
「ウチが泣いたらあかしまへんわな」そうは言っても、全く泣けていない波瑠なのでした。
視聴率が良くてもいいドラマとは限らない、の典型的な作品かも。
そもそも話のつじつまの合わないことをごまかすために
時代もの作品なのに時間経過や歴史的背景、登場人物の年齢を
あいまいにしてぼかすのが最悪。
そうしてこのドラマはフィクションです、ファンタジーです、と言い訳のように主張し
そのくせ五代友厚やら土方歳三、福沢諭吉、伊藤博文、大隈重信など、
歴史上の名だたる人物は臆面もなく実名で利用する。
本当に、史実の都合のいい部分、美味しい部分だけつまみ食いして
実業家として名高いヒロインのリアルな生きざまは描かず
少女漫画仕立ての人情喜劇に貶めてしまった印象。
視聴者の気を引くことばかり優先し
視聴者におもねった志の低いドラマだと思う。
最後まで楽しませてもらいました。私的に満足度が高い朝ドラでした。次回作も楽しみたい。
もう次から次へと懐かしいシーンがよみがえってきて…。
こんなに心に深く染みる朝ドラがかつてあっただろうか。
あさも新次郎もはつも惣兵衛もよのも正吉もみんな、みんな大好き。
暫くはこの俳優さんたちが他のドラマに出てきても、
あさ来たのなかの名前でしか呼びたくないです。
ああ、今週は本当に辛い週になりそう。
あさが来たを今世紀最高のラブストーリー
と呼んだ評論家がいるけど、
自分に言わせればそれ以上に、
最高のホームドラマ、最高の人情劇だった。
だからこそこれだけ多くの人達に愛された。
作者のドラマへの意図は最初から最後まで
ブレることなく貫かれている。
若い新婚夫婦じゃあるまいし、白髪の増えた夫婦が毎日のように
ベタベタ、イチャイチャほんと気持ち悪い
いったい誰に向けて作ってるのさ
年老いた夫婦には夫婦の別の愛情表現があるでしょ
若い時からずっとこのパターン
朝から殺傷沙汰やラスト近くになっても人が亡くなってばかりで鬱になりそうなドラマですね。
魅力的なキャストが皆無なのでどなたが亡くなっても涙も出ません。それよりもっと惹き付けられる様なワクワクするお話見せて下さいよ。
あと一週間しかないんですから。
雨と信次郎・・・・別れがこれほど寂しいドラマの人物も珍しい
バリバリ働いてきたあさが新次郎のために引退するのは全くの予想外です。あのバリバリ感が好きだったのにな。
平塚明とどう向き合うのか楽しみです。
あさと新次郎が結婚して40年。チビあさちゃんへパチパチはんをプレゼントから今日までを思うと、なるほどヒロインのサクセスストーリーではなくてあさと新次郎のラブストーリーだったんやなぁと今頃になって気付きました。それが今世紀最高かどうかはさて置き、自分は半年間恋物語を見て来たんですね。感慨深くもあり、それなら何で広岡浅子をモデルにしたん?という疑問もあり‥。
あさの生き甲斐でもあった商売からの引退、新次郎の終焉と最終週はしみじみと静かに幕引きとなりそうですが、その中でも藍之助、ちょっと笑わせてくれます。
ここまで見てきて
正直題材の選定ミスだと思う。
ドタバタコメディとしてのみ見ればまぁ月並みぐらいには出来てるドラマ。
でもその広岡浅子的要素のためにコメディのテンポが妙に悪い。
そうかといってじゃあ広岡浅子を基にした部分はちゃんと描けたのかというとナレーションでほぼ省略。気づいたらすごいことした人になってる。
コメディとヒストリーが足を引っ張り合ってなんともいえない感じ。
広岡浅子的なものを諦めればそれなりに面白かった。
明日からだけど平塚らいちょーさんは完全に蛇足だと思う。
最終週はやっぱり予想通りつまらないですね。
日露戦争開戦で生保業の対応を決めたうえであさは事業から引退。
新次郎ともども隠居した老夫婦のもとへ
新次郎の見舞い名目で次々に懐かしのキャラクターが加野屋を訪れ
回想シーンを交えて昔話にふける。
「ごちそうさん」もそうだってけど、本当に内輪で盛り上がるだけで(+ファンサービス?)
実質的な内容はこれっぽっちもない。
今日は炭鉱の親分と宮部さんが来たけど、奥さん(富田靖子さん)は来ないのね。
あさが抗夫たちを懐柔できた一番の功労者で
女性同士理解し親しくもしていたのに残念だなぁ。
ともかくこんな調子であと雁助や大隈夫人も登場するのだろうけど
正直、消化試合の印象を否めません。
今日は家族に従業員も加えて加野屋の大集合写真を撮ったのだから
べつに新次郎の臨終をあえて見せなくても
これで最終回でいいんじゃないの、と思ってしまった。
最後の最後まで人の死で泣かせられたくはないし
そのほうが明るく爽やかな「あさきた」らしくていいんじゃないのかな。
平塚明でしたっけ?最終章なのに、なんであんなキャラの人とヒロインの絡みをやるのでしょうかね?最終の話にふさわしくないと思います。こういう話は本来、話の真ん中のほうでやるべき内容です。大島の平塚なんて興味もないし見たくもないです。これも、世の中の大島のファンを喜ばせて視聴率を上げたいという醜い魂胆が丸見え嫌ですね。どうせ、それだけで彼女を起用したのだろうね。
あさと新次郎、ふたりの夫婦愛には心打たれますね。
新次郎のことを語るときのあさの表情。
いつものお商売のことを口にするときの緊張感に満ちた表情から、
とたんにしっとりとした女らしい情愛深い表情になります。
それを見ているほうも、なんとも心地よい…。
今日もハルさん、本当に泣いていましたね。
私が新次郎が弱っていくさまをみるのが辛いと言ったら、
このドラマのことだ、きっと希望に満ちた最後を用意してくれるよと、夫が。
本当にそうなればいいと願っています。
半年間、家族みんなで愛してきた、あさが来たです。
美和さん若すぎ!
日露開戦だから1904年か。
どなたかが指摘されたように前半にあった字幕が無くなっている…。
NHKお得意の戦後歴史観で戦争をロマンスやホームコメディにぶち込むのはやめて欲しい。
生煮え感がハンパない。夫婦愛の描写はどうしてもマッサンと比べてしまう。かかりつけの医者が伴侶の病状を伝えるシーンにしても、一年前の玉鉄と天海さんのを思い出し、決してそれを超えるものを感じられなかった。
マッサンに感動したのは、途中で中弛みがあろうと、祖国を後にして夢を追うパートナーを隣で支えることに人生を賭けたエリーの生き方に、ストーリーの的を絞れていたから。何かを得るために何かを手放す、そんなセリフがなくてもそれを描き切れていたからなんだと思う。
あさが来たは、たしかに空気感、居心地の良さは提供してくれた。それは認めるが「コレ、結局なんの話?」な印象が拭えない。いろんな登場人物にスポットを当てるメリットもあっただろうが、欲張り過ぎたツケも感じる。演技力の観点なども考え合わせれば、もしかしたらいっそのこと、主人公を新次郎にしたオリジナルにすれば、もっともっとテーマを絞ることが出来て、見応えがあったようにも思う。
作家の山下柚美さんが、「あさが来たは一人のヒロインに集中するのではなく、登場人物の一人一人がそれぞれの人生という物語を生きた希有なドラマだ」として讃えています。
山下氏によると、「このドラマはあさが仕事に専念するにつれ夫新次郎の存在感が増し、白岡家の成功が目立つにつれ姉ハツの一家が見えてくるというように、人は別の誰かによって成り立つという構図をもっていた」。
また、「このドラマは五代ロス雁助ロスなどさまざまなロスを生んだが、それも各々の人生が深みをもって描かれてきたからこそ、視聴者の間にロスの感情も生まれたのだろう」と。
私たちがずっと思ってきたことを、まとめて書いて下さったようで嬉しいですね。
人情劇もどき、見え透いた
登場人物の男性が不甲斐ない
あさがいないと駄目なの
明治の男性をこんなに駄目にしなきゃ
あさあげできないの、
アホらしくて涙ちょちょぎれる
随分チープな時代劇もどき
一体新次郎の病名何
フィクションって随分便利なこと
あるある詐欺のような朝来た
私にとっては過去の朝ドラの中で一番酷いと思う朝ドラになってしまいました。嫌いだったマッサンを軽く越えました。今ではマッサンは良かったなと思うくらいに、このドラマのあざとさが大嫌いです。
先週、亀助がうめに、
会社が大きくなり昔のような人間関係がなくなった寂しさを語る場面がありました。
昔は従業員が住み込みで働き、私生活の細かいことまで全て筒抜けだった、
その頃が懐かしいと。
少し前から立ち聞きがないなぁと思っていたのですが、
もう白岡家の屋敷に立ち聞きをするような人はいないのでしょうね。
新しい世代の象徴である啓介が、立ち聞きを容認できるキャラとは思えないし、
部屋の中には豪華な調度品が増えたけれど、どこか閉鎖的な雰囲気を感じるし、
そういえば、以前と比べ襖や障子が閉まっている場面が多くなった気がします。
毎回やれやれと呆れつつ、半年間けっこう楽しんできた立ち聞き。
でも、これでは立ち聞きはしずらいだろうなぁ。
今日の家族写真を撮る場面、新次郎が植木をプレゼントする場面、
どちらも家族の温かさを感じる場面でしたが、
周りにその様子を見ている人はいない雰囲気で、少々寂しく感じました。
以前のあさが来たなら、画面には映ってなくても人の気配を感じる家だったのに。
今は女中さんはいたとしてもうめ以外は通いの人だけだとしたら、
うめも亀助のように他の女中さんからは一線を引かれているのだろうか。
今はあのお屋敷に、新次郎とあさ、うめしか住んでいないとしたら、
新次郎が亡くなった後、あさはうめと二人で広いお屋敷で暮らすのか。
同じ家でもなんと雰囲気が変わることだろう、なんて事を感じた。
時代と世代の移り変わりを立ち聞きの有様で感じた今日でした。
ちょっと寂しい。
今朝モデルになった生保会社社長のインタビュー記事がyahooに上がっていた。
契約数が伸びてウハウハらしい。
人をこんなにも死なすドラマ、しかもそれを長々と描く。
なんだか生保会社の意向が汲まれているんじゃないかと穿って観てしまう。
それにしても最後まで懐かしキャラを登場させたり、対立軸になるキャラを突然絡ませたりと風呂敷広げるのが好きなドラマだね。
『主人公不在で視聴者を魅了した稀有なドラマ』って山下柚実ってのが評していたけどさ。
結局散漫なストーリーを言い方変えて提灯記事書かせただけなんじゃないのかな。
あいのすけ…嫁ももらえず、身分も??? こりゃあ、制作側が思ったほどには人気が出なかったから? もう少し演技がうまけりゃ、せめて戦死くらいさせてお涙ちょうだいになったかも。
ようのすけ…食いしん坊で戦争に行くというキャラができあがった。でも前作(ごちそうさん)よりは演技が上達したので、嫁もあてがってもらえたし、生還できた。
そうべえ…ゲゲゲのときには、なんと下手くそなと思ってみていたが、ちゃんと成長していた。この成長ぶりは見ていて楽しかった。
よの…若い頃の歌手時代を知っているだけに、まあよくもここまで演技のできる女優になったものだと感慨深い。しかし、役柄のキャラについては…ちょっとな。皆が誉めるほどにはよい姑だったとは思えないが、ま、いいか。千代がちゃんと大人になったんだから。
ちよ…オーディションで最終選考まで残ったそうだけれど、落選。彼女があさだったら、どんなふうになっていたかな。見てみたかった気もする。
今井忠興と今井梨江…升さんは朝ドラにはチョコチョコでていている。安定した良い役者だと感心。純情きらりでは宮崎あおいさんの姉だったのに、今回は母親役の寺島しのぶさん。なにやら複雑な気持ちで見ていたけれど、今回の方がはまり役だったかも。
はつ…悲劇のヒロイン。なんでか、宮崎あおいさんは朝ドラでは悲劇のヒロインなのね。
しんじろう…初期の頃のいい加減さを貫き通して欲しかった。今はただの偽善じいさん。特に好きな役者でもないし。
あさ…ま、いいんじゃない。どこまで広岡浅子さんを理解していたかかなり疑問だけれど、脚本ってものがあるから、ご本人を理解していたとしてもそれ以上は無理なんだし。
昨日今日、見ていて一番の疑問は、あの時代に余命を本人に告知したか?ってこと。家族にはいうだろうけどさ。
本人に癌告知するようになったのだって、ここ最近(せいぜい20年くらい)だと思うんだけどな。変なの。
日本の富国強兵政策のおかげで加野屋は発展したのに
いまさら戦争は好きになれない、なんて
ヒロインに綺麗事を言わせるのが不快。
このドラマは衣装や小物のような古道具から
登場人物のキャラ付けまで何もかも
うわっつらの綺麗事だけで成り立っている。
万屋やふゆの父親と婚約者を除けばみんないい人で
売りの人情ドラマにも人間臭さがない。だから深みがない。
朝ドラだから気持ちよく爽やかに…ただそれだけのドラマ。
口当たりがいいだけですっと消えてしまう甘々スイーツ。
一部の役者さんの名シーン以外
私の記憶には決して残らないドラマだと思う。
2016-03-29 10:21:46さん
全く同じ感想です。
加野屋の和やかな大家族の雰囲気は、江戸時代の住み込み制度の下でこそ成り立つと思いました。
欧米の植民地にならないため無理して急がざるをえなかった欧米模倣による日本社会の近代化は、多くの古きよきものの犠牲の上に成し遂げられました。先週の外国人建築家とあさたちとの会話も興味深かったです。当時の庶民には「江戸は遠くなりにけり。」と思った人も多かったでしょうね。
最後まで人の死によるお涙頂戴と
有名人(平塚らいてう)と話題性(元AKB)頼みとは残念。
らいてうは「白岡あさ先生」ではなく「白岡あささん」だしね。
いくら反抗的な女学生とはいえ、特にあの時代に、かなりの違和感。
十代の女学生にしては顔も老けててキャストに無理も感じる。
ただただらいてうや見舞客の顔見せだけに時間を割くよりも
最後まであさの仕事面での活躍を見せてほしかった。
とんだ拍子抜けでがっかりポン。
お互いに、自分のためならば別荘はいらないよ。と思い合える白岡夫妻が素敵すぎます。
今日も、あさのひとつひとつの言葉や表情が素晴らしくて涙が溢れてきました。
マスコミが視聴率を取り上げるけれど、視聴率の取り方があざといですよね。大島優子なんてだいぶ前に登場するとネタバレを局側がするというのもなんだかなと思う。まぁ、数字ほしさに煽っているのでしょうね。
ドラマで人をたくさん死なせて、それを見た人たちが保険にはいり保険会社が儲かっているのもなんだかなです。
数字が上がるほどに飯ウマなのでしょうね。保険会社にこのドラマに関連した局スタッフみんな飯ウマのまいうーまいうーなのでしょうね。
けど、視聴率の内訳が分かっている者からしたらあざといの一言です。
家族写真の撮影に加野屋の亀助さんやうめさんたちが集まってくる、でも涙が出て、普通ならにぎやかでみんな嬉しそうで楽しいと思える場面が…
新次郎の姿を観るだけで涙が出てきて、主題歌が流れる、まだドラマも始まっていないのに溢れる涙、家族に気づかれないように声を出さないようにして、今わたしに声掛けないでと心の声。『あと4回ね、もう本当に終わってしまうね』と、うっ、うん、としか答えるのが精一杯。
新次郎があさに贈った樹木、幹が大きく成長して倒れないように添え木をする。風で倒れることもないように…幹はあさ、その幹を支える添え木は新次郎かな、なんて観ていました。
新次郎のお見舞いに美和さん、親分さん、支配人さん、
予告では、まだまだお見舞いに来られてましたね。
もう、わたしの今の気持ちは、ありがとう、ありがとう、
ドラマのキャストの皆さん、携われた全てのスタッフの方々にありがとうの気持ちで残り少ないあさが来たを観ています。新次郎の終焉も辛く切ないですが、あさきたメンバー全員とのお別れが寂しいです。
あーさと呼ぶ新次郎、だんな様と呼ぶあさ、好きでした。
大号泣してもしっかり見届けて、心からありがとうとラストを迎えたいと思います。
安定しております
今日の記念撮影でみんな笑顔でさようならで良かったな
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