




![]() |
5 | ![]() ![]() |
486件 |
![]() |
4 | ![]() ![]() |
116件 |
![]() |
3 | ![]() ![]() |
70件 |
![]() |
2 | ![]() ![]() |
70件 |
![]() |
1 | ![]() ![]() |
278件 |
合計 | 1020件 |
クロサギの時はもっと口調もコミカルで寂しい目をしていたように思う
今回は怖いというか犯罪者っぽい目つきで無表情というより空虚な表情かな
6話、すごく良かったです。
無表情にも見える演技かもしれないのですが、少しずつ表情の変化が感じられ、戸惑いや絶望感がうまく表現されていたと思います。
山下さんがこんなにも作りこんだ演技をされる方だとびっくりしました。
原作も読み、悲しい結末に、ドラマを最後まで見られるかと思いながら見ているのですが、見届けないと後悔をするドラマになると思います。この先の展開、楽しみにしています。
想像以上に面白く毎週見てます!
ほんとは、手術後は知能曲線が上昇・下降の放物線を描くはずだけど、主人公の出番を抑えて、出番のタイムポイントも飛ばし飛ばしだから、状態が線的につながっていない。
手術直後から知能のピークまでは、無数の段階があるわけで、ということは演技も緩やかにつながりながら変化していくのだが、このドラマでは、演技パターンが知的障がい時を含めて、2~3種類ぐらいしかバリエーションがない。
しかも、術後は人格が冷たく変わったことにして、いつもの山PでOKという演技プラン。ハイレベルで緻密な心理描写はできるだけ避けるようにし、主演に対して難度の高いことは要求しない。そういう点は、通常のシリアスな名作ドラマとはかなり違っている。
10代~20代がターゲットとのことだし、明らかなサービスショットの挿入も随所にあるし、やっぱり、これはアイドルドラマとして考えるのが、もっとも妥当な解釈だろう。
なんだかごちゃごちゃした内容でいまいちはまれない
山Pは、ここにきて、普通の山Pにもどっちゃった。
ユースケさんは貧相な顔で肉のついた猫背だから、まんまチャーリーにあってたね!役者としてもパッとしないから嫌味もなかったんだろうね!
山Pはジャニーズでソロでもやってけるキラキラ王子さまだからドラマを見る人も多いし適当に見て文句を言う人も多いね!
原作を名作って言ってる人いるけど所詮SF枠ですよー!
原作が好きってなら理解できるけど名作まで言い切られると、笑いが止まらないww
まず脚本。特に主役の心情描写に繋がるエピソードの描き方がとても浅く、かつ粗いと思います。その最たる例が今回の見せ場だったはずの母子再会の場面だったかと。母子関係はこの主役の人格の根本を形成するものなのに、それ以上に共演者の恋愛関係、友情?関係といったサイドストーリーに尺を取られてどうにもならなくなってしまっている印象が強いです。今回、その最たる例が眼鏡研究者の恋バナかな、と。脚本にエピと心模様を丁寧に繋ぐという姿勢は感じられないのが残念です。
それでもまぁ、こういった粗い脚本を主役を中心とした演技力と勢いで強引に引っ張っていくという手段もあるのでしょうが、残念ながら私はそういうものも感じません。主役に関していえば、心に蓋をしてしまったという展開が、かえって彼の心情描写を難しくしてしまったように思います。たとえ表情に出せずとも、その瞳から、目線から、漏れる言葉以上の心情を伝えなくてはならなくなる。かえって動きのある演技よりも伝わりにくく、無理を感じてしまいました。
原作は名作だと思います。
若い人たちに向けたドラマだとしても、このような改作は作品を安っぽいものにしていると思います。
妹はいいから、母親をもっと出してほしい。
原作のレベルが引き下げられたようでほんとうに悲しい。
脚本、演者、原作と違う、それほど批判してもなおかつ見る方々は、やはりなにか引き付けられてるからなのではないかな!?でもそこは認めないって。ではなんのために見てるんでしようか?他の方
も書いてられるように批判の一言だけって意味がわからない。それも自由とか言われてこれも消されたとしても、その道徳的な部分の方が大事だと思う。これだけ名作と言いその内容を評論家の様に語れるなら分かると思うけど。楽しみに見て感想を見て、さらに深く見るために、ここに来てるものとしては情けなくかんじる。そういう自分もこのドラマ全てを素晴らしいと思ってる訳ではないので、何話のここはどうなんだろう?と皆さんの感想を見ながらさらに掘り下げて楽しんでいる。例えばよく取りあげられる咲人の夢だったママとの再会シーン、見て直ぐになにか物足りないと思ってこちらにきたらママの、我が子を手放した罪悪感を読み取る感想を見て、そう思い次に進むとそんなに違和感はない。受け取りかたに正解はなく作るほうも完璧だと思ってるわけでない…視聴者の意見にドキドキだと思いますよ。それ
も仕事だから言われるのも当たり前とかになってしまうんでしようが!!なんだかドラマの楽しみ方が違ってくるので、どーしても受け付けない方は見ないのが一番だと思う
自分はそうですが、 不満ばかり残ってストレスですもん。 愛ある投稿を!!という意見にまたそれは必要ないという意見もありましたが批判なのだから愛はなくても批判の仕方は気を付けたいと思う。
一言感想、稚拙な見方・・・、若年層、もしくは連続ドラマを見慣れない人が多いのかなと想像しています。
良いと思いますよ。今作はそう言う人も惹き付ける作品、そういう人の心にも引っかるような何か、を持つ作品。そう言う意味では成功していると思います。
でも、原作を大切に思っている人やドラマを見慣れた層まで満足させられる質かと問われると、それがドラマの細かいシーンや、今作の脚本の筋に触れた細かい描写を挙げて文章にしてくださる方の意見・・・、賛否は色々ですね。
私は賛に傾く回もあれば、否に傾く回もあり、微妙。
今回はまだ自分の中でこねくり回しています・・・。
だからこそ、また次回も見たいと思うわけでもありますが。
ひとえに原作がおいしく料理されているかどうかという興味ゆえですね。
食べておいしければ満足、まずければ不満足、食べログに評価を書くのと何ら変わりません。
感想は、人それぞれの味覚、どんなものが好きか、今までどんなものを食べてきたかによっても違うし、調味料、器がどんなものか、によっても変わってきます。
だから自由だし、人によって違って当然。
昨日はいまいちだった、今日はどうかな~?と期待をしてくる人もいるでしょう。
私もそのクチ。素材がいいのだから、いつもまずいはずがない、今日はなんとかうまく料理してくれていないか、という期待があって、ふらりと立ち寄ることがある。
だから、簡単に「二度とあの店には行くもんか」とはならないのですよ。
これからのことを言えば、大皿にいろんなものをとり混ぜてごちゃごちゃと山盛りにせず、素材の一番いいところだけを厳選して調理し、すっきりと器に盛りつけてほしいと思います。
批判にも質は存在すると思うし、一言分の批判も書き込めるってことは許されているってことだと思う。嫌なら見るなだけは言わんほうがいいよ、ここはファンサイトではないのだから。パターン化する批判の質を見極めて相手にしないようにするのが精神的によいと思います。こういう説教みたいな話はここでやるべきではないですね。
演劇・映画・テレビドラマでも、私の場合、完成度の
高い作品は「すごいなあ。」と思いますが、2時間の
中で一ヶ所でも心のヒダに触れる部分があれば満足し
てしまいます。
「追憶」は、最初の回想とヨットとラスト・・。
「ひまわり」はラストの停電のシーンと・・。
これが、わたしの解釈です。
作者を含め、ライター・演出・役者・視聴者それぞれの
解釈というか想いを大切にしていけばいいのではと考え
ます。
当然、年齢によっても変わっていきますよね。
そんなものです。
基本ここでもネタバレ可のお茶の間でも感想はきちんと書いてますがいつも長文にはならずたまに感覚のみの一言短文になります。(脚本の主軸が…と書きました。)
一言で表したかったりそんなに毎回長文書く暇なかったりいろいろですが、山ピーブラボーやなにもかも素晴らしい等の一言絶賛も多いので一言批判も普通にあって良いかと思います。
ちなみに原作好きですが山下君を批判したことは一度もございません。
後半にかけてこの脚本の狙いがどういう方向に向かうのか興味深く見てはいます。
アリスの存在がないに等しい状態で主人公がどう救いを見出だすのか、脚本の狙いがこれから見えてくるのでしょうか?
ここのサイト見ると不思議に思う。
アリスって誰?
そんな人、出てた?って。
最近の名前でありそうだしね。お嬢様や友人、妹の
名前かと考えてしまうよ、
チャーリーはさすがに原作ネタってわかるけどアリスは微妙(笑)
ハルカを見ていると最初は野望であふれていたのに、キャラ変がすごくて呆れるのは確か。
アリスは原作でチャーリーを救う人物ですよ。
でもドラマでは…誰なんだろ?
母親とならんで最重要人物のはず。
ハルカはそこまでの存在にはならないような気がする。
原作のアリスを見ると要所には出てくるけど、前のドラマの菅野美穂さんのエレナ先生のイメージでアリスはいつも主役の側にいて支えているようになってしまったけど、チャーリーはわりと一人で行動してるし、ただ心の支えになっている。アリスは気高く美しく、チャーリーの永遠の憧れのような存在だった。だから、遥香がアリスというのはズレてないと思います。遥香も最初はアルジャーノンのママから始まり、アリスのように手術を勧め、咲人の手術や免許を取る心の支えになっていた。ただアリスと違うのは、咲人の気持ちを結果的に裏切っているから、遥香に共感しずらいのが残念な感じはします。
また前作の菅野美穂さんは個人的にも本当に暖かいエレナ先生で好きでしたよ。
ハルカが救うんでしょ。
あと幻想?の父かな。
でも原作でもアリスはただの恋する女で
最終的にはチャーリー自身が悟っていくんだから
そんなにこだわるとこではないわな。
要は母親についてどう折り合いをつけていくかだから
それは外さないでしょう。
柳川や檜山との母子関係出したりしてるんだから
そこはこだわりあると思うよ。
ユースケ版は見てないのでわからないんですがハルカがどうにも魅力的な女性に感じないんですよね。
おっしゃる通り共感ができない。
主人公にとって後半になるまで心の支えだったはずなのにそこまでの印象を与えてないと思うんです。
実際に一緒に行動してるかどうかというより精神的に主人公にとって絶対的な支えとして存在してるかどうかなんです。
ハルカをアリスとして描きたいのは分かるんだけどいまいちハマらないというか弱いというか薄いというか…。
上手く言えないんですけど、たぶん私がハルカに違和感を感じてしまっているんでしょうね。
私も、原作で、アリスがそこまで主人公と二人三脚のような存在に扱われているかな?と思います。どちらかというと、前の方もおっしゃってるように、美しい憧れの存在で、知能向上してからは恋人。その点では、遥香の距離感は、原作とそれほど違うとは思えない。原作の結末も、チャーリー自身の意志だし。
ただ、ドラマでは、確固とした主体性がなく、いいようなコマとして使われているので、違和感があったり感情移入がしにくかったりします。
私もハルカに共感出来ません。
ハルカは咲人のためではなく、蜂須賀のために動いているからでしょう。それもひいては自分のため。
にもかかわらず、毎回毎回綺麗事の嘘や蜂須賀への抗議をする口は止まらない。嫌い。
遥香とアリス・キニアン(先生)との決定的な違いは蓄積された「信頼関係」の有無にあると思います。先生ー生徒の関係で築き上げられたものは圧倒的だと思いますよ。本編ドラマでも「嘘は嫌いです」と遥香は言われていた通りです。蜂須賀とのキスの後、なぜ彼女は「誤解だ」とすぐに傷ついた彼を追いかけなかったのでしょう。彼のことが本当に心配なら、なぜ母親のもとへいく彼の後をつけて行かなかったのでしょう。こういう場面で彼女のこと、分からなくなるんですよね。
主人公の立場からハルカを見てるからでしょうか?
原作で感じた、チャーリーがアリスに全幅の信頼を置いているという印象を咲人からハルカにはドラマからは感じられないんです。
だから原作との違和感を感じてしまうんですかね…。
遥香は虚構の存在なのだから、その性格づけや行動設定は、作り手の意志でしょう。
作り手は、主人公に初めから終わりまで共に歩んで濃厚な物語を作り上げるもう一人の人物、というのを排除した。そうしなければ群像劇にならないから。
このドラマは、最初から、群像劇のつもりで作られています。
原作世界の再現というよりも、原作を換骨奪胎して、別のものにしている、これは、始まった当初から言われていましたが、そのとおりだと思いますよ。
群像劇となると、もっとも心配なのは、物語の核がなくなることです。ここをどうするんでしょうかね。
やっぱりそうなんでしょうか?
主人公が母親からの拒絶から、生まれてきたことの意味や女性との愛や性を知っていくというのが主題でもあると思うのですが、群像劇だと何が主題なのかわからなくなってきます。
これからそれがはっきり見えてくるのでしょうか?
咲人からのマジ告白をはぐらかし、元々気があると知られている人物とのキスシーンを目撃されてるんだから、咲人から失恋避けされるのは当たり前じゃん。いまさら、誤解も何もあったもんじゃない。
にもかかわらず、咲人に必死に取り繕おうとする姿が既に馬鹿。
あっちにもこっちにもイイ顔して、嘘をついてでも誰からも嫌われたくない!って性格が見え見えだから、蜂須賀から良いようにコマに使われるんだと思うな。
人を救う以前に、自分を救ってって感じ。
これからはっきり見えてくるかどうかは、作り手の腕次第というところですね。
私は、これはもう、原作とはまったくの別物として見ています。最初はあまりの改変のひどさに憤っていましたが(笑)、ここまできた今、注目点はただ一つ、このドラマを最終回に向かって、いかにまとめるのか。それのみです。
そう…ですね。
いくら現代風に改変したとしても原作の核となる部分だけはブレずに描いてくれるんだろうと信じて見てきましたが今では何を核として見せたいのかがわからなくなってきました。
そこがズレているのなら原作とはたまたま同じタイトルの全く別物のお話だと捉えた方がかえって見やすいのかもしれません。ちょっと残念ですが。
遙香のことですが、遙香自身、自分の思わぬ感情に確信が持てず、とまどっているのではと思います。
蜂須賀を尊敬し敬愛している気持ちの揺らぎと不信感に。
被験者である咲人の純粋さに心惹かれながらも、それは立場上ありってはいけないことと、気持ちに歯止めをかけている、もしくは気が付きたくないと拒んでいる。しかし、現実咲人を被験者以上の気持ちでみている自分に。
遙香と咲人が桜が舞い散る中、歩くシーンが5話ででしたでしょうか、あったかと思います。
そこで遙香と咲人がよく行動を共にしていたシーンが回想として描かれていました。
なにより咲人にとってはじめて知った淡い初恋であり、この人と一緒にいると楽しい、キラキラした存在、その気持ちは恋というものなのだろうかと咲人自身が自分に問い掛けていました。
そして遙香の掌に落ちてきた桜をそっと手で包み込み手をつないだ咲人。
「つかまえた」
その時の遙香の笑顔、そのシーンはとても印象的で咲人を純粋に愛おしいと感じているシーンでした。
蜂須賀を敬愛するがあまり、本当の彼を見抜けないで蜂須賀の研究を成功に協力に没頭することで愛を示していた遙香が、咲人との出会いによって少しずつ変わっていっていると感じます。
今の方が前より本当の自分の想いと向き合いつつあるように思います。
「ウソは嫌いだ」という言葉に何も言えないのは、遙香自身がなにが自分にとって本当かウソか、核心が持てないでいるからだと思います。
来週は遙香と咲人の関係が急展開?
遙香の戸惑いも葛藤もなんとなく分かるけど、なんだろ、釈然としない。今さらと思っちゃう。
どうしてだろ。
原作だってチャーリーにとっては女神のような存在でも実際のアリスは生身の女だったハズなのに。立場的な描き方の違いか今までの描写の積み重ねなのか。なんだかわからないけどモヤモヤする。
…単に栗山千明が嫌いなのか?
いや、そんなはずはないんだけどなあ。。
10代が対象のドラマだから、人物設定もプロットも粗くていいというのは視聴者を馬鹿にしてると思う。
経験値も知識も少ない層だからこそ、正確な設定で丁寧に人の心を描いたものを提供すべきだ。
咲人は6歳の知能という設定だったけれど、健常な6歳児は字も書けるしもっと複雑なコミュニケーションもできる。
名子役と言われている子供達が6歳のときにどれほど難しいことをこなしていたかを思い浮かべてみればいい。
でたらめな知識を与えてはいけない。
作り手自身が、対象層を馬鹿にしたり対象層のレベルまで降りてしまってはいけないと思う。
ここで議論する気はありませんが、一言だけ申し上げたいことが。
名子役が出来ることが全ての6歳児に出来ることではありませんし、名子役と呼ばれる子供はしっかりと教育されているのでまわりより成長していると言っていいのでは。
今の6歳児がみんな字も書けて複雑なコミュニケーションが取れるわけでもありません。
皆が早期に塾に行かせたり、親がしっかり勉強させたり出来る環境にあるわけではありませんから。
失礼ながらそれが普通、そういう発言に却ってとまどいのようなものを感じます。
私の友人の子供は友人夫婦が仕事で忙しく、また幼稚園にも経済的な理由から行かせられませんでしたから、周りよりかなり遅れていたと思います。そういう子もいるんです。
また知的障害者の中でもさまざまあり一概には言えないということはこれまでこちらで何度も議論され、実際に障害を身内にお持ちの方がいらっしゃる方もそうおっしゃられていました。
どう感じるかはもちろん人それぞれですが、製作者側が知的障害者をバカにしているからの表現ではないと思います。
むしろそういう側の人達に対する配慮を私は感じています。
知的障害者が六歳児の知能であっても字が必ずしも書けるとは言えない、障害者のことを知らないのに憶測でものを言うのはやめてもらいたいです。脳に障害があるのだから健常者の六歳児と比べても無意味だよ。知らないからって障害をなめていませんか?ほんとこのドラマを放送する意味なんてないよ。障害者のドラマなんか間違った考えの人間がでるだけだよ。何が名作だよ、ジャニタレが主演やろうが他の奴がやろうが原作通りだろうが改変しようが低視聴率なのはいつの時代に放送しても同じことだ。こんなドラマ何しようが変えようが障害者がでてきて重たいから世間の人たちは見ないよ。土下座を強要する銀行員のほうが人気があるのが良い例だ(^^)アルジャーノンに花束をほんと原始時代の古臭い原作にそれをドラマにした連中のあさはかなこと極まりない。
知的障害者をどう見ているかということより原作をどう捉えどう表現しようとしているかの方が疑問です。
いまだそれが見えてこない。
感想に批判感想で答えたら、それはどうかお茶の間でお願いします。私は一ドラマとして見ているので、この作り方をした制作側の方にはもうアップしているとわかっているので、どうまとめるつもりだとか、そこをもっと細かくとか、最後はみんなハッピーになんて思いません。ただその回の感想を書いてます。毎回他では見られないものを取り込んで、楽しみながら泣いています。私には十分に伝わってくるものがありますよ。ただ一感想だと強調しないと、押し付けとか、エゴとか書かれてしまうのは残念です。だから私の一感想です。母親の気持ちがあれだけでも切ないくらいです。
私も、もう遙香に冷めています。
1話から6話までずっと揺れ動いているだけのどっち付かずな言動で
遙香の好感度がずるずると下がってしまいました。
今更どうでもいいです。
押されて押されて逃げていたのに、ソッポ向かれたとたん堕ちる簡単な女性にしか見えません。
もう遅いよ!と思いました。
もうクランクアップしたとかまだしないとか、それこそドラマとは関係ないと思います。
まだ結末は私たちには知らされてないのだから、結末がどうなるんだろうとか、うまくまとまるのか、と思うのも、立派な感想です。
私も、このままでうまくドラマがまとまるのか、心配な一人です。
これまでの散漫なやり方では、うまくいかないだろうと思う気持ちが強いですが、それでも何とか収めてくれるんじゃないかという一縷の望みが捨てきれません。
それだけ、この物語には、一蹴できない重みがあるのです。
早速お茶の間に移っって頂きありがとうございます。上の方、正直そう思うのも納得できます。でも一方で女心で語るなら、心の変化はいつも同じとは限らない。私は栗山さんが揺れ動く姿を好演していると思いました。
うーん、なんでだろ?
同じドラマを観ているはずなのに、違う景色が見えているのは…。
遥香はずっと前から、好きかどうかは別にして咲人のことをとても気に掛けていたし、もしかしたら好きかも知れないという描写がされてきていたはず。自分が研究者だから、惹かれる気持ちを抑えていた。研究と蜂須賀、研究対象者への愛の狭間で揺れ動く葛藤が強く描かれていた。そして、とうとう自分の気持ちを止められない状態まで来てしまった、というのが今までの遥香の気持ちの変遷です。
確かに知能が上がってからの咲人と遥香がうまく噛み合っていない感じはありますが、それは咲人の葛藤や心理描写がミニマムに抑えられているからではないかと感じます。自分が傷付かないように都合の悪いものに蓋をする咲人。だからと言ってロボットのようになってしまうのは、演出が稚拙、そうでなければ山Pの役の解釈が足りないように思えます。
ちょっと確認ですが、ここは、その回その回、どう感じたかだけを書くところじゃないですよね。演者はもちろん、制作面で脚本や演出、全体構成、カメラワークや音楽のこと、雰囲気、全体を俯瞰してドラマがどう動いているのかなどなど、ネタばれを除き、ドラマのことであれば、基本、何でも、感想・レビュー(批評)が書けるはずですよね。
例えば、出演者のことだけど、そのドラマとは直接関係ない、次の出演作とかプライベートとかの話題は、ここじゃなくてお茶の間へ行ってね、また反論に反論を延々続けていたら他の人にじゃまになるので、お茶の間へ行ってね、ということだと思います。
なんか混乱が起きてるようなので。
管理人さん、このコメ、逸脱なら、消していただいてかまいません。
そうですね。予告でははるかはあなたを愛してると言ってましたけど、一部分じゃわかりませんよね。だから疑問符つけながら見ちゃう、てなところでしょうか。多いに考えて悩んで、イエ悩むと言うのは当てはまらないかな。みんなそれぞれといえば誰でも言ってる。自分の感想でいいと思います。
副作用も確認せずネズミ1匹成功しただけで
博士の気をひくために咲人を治験者にした。
もうそれだけで咲人とどうこうなんて資格ないと思う。
そのことは咲人も薬注入されてるときに確認したよね。
問題ないです。って答えた
あの時が1番感情失った顔しててゾワっとしたわ。
咲人は救われるどころか
母親プラス遥香まで許し、そのうえ梨央まで救うんだろうけど
それが納得いかんのよ。
原作も映画もユースケのも見たけど
主人公にとって最も残酷なのがこのドラマだよな。
主人公が遥に恋するのは、「母親を重ね合わせているだけ」というが、
その肝心の母親への想いが描写不足なのだから釈然としない。
「いつの間にそんなに好きになったっけ」って感じ。
とにかく肝の母親を描かなすぎ。
納得いかないよね。
「咲人さん、あっち側へ行っては駄目よ」とか言って腕をつかんで説教してたけど
鼻からあっち側にいる遙香が何言ってるのか…
博士と自分が同類だってこと、この人微塵も分かってないよね。
こんな孤立状態で、博士以外、誰にすがれるのさ!と咲人が可哀想になってきた。
まだ母親や遥香を許すや梨央助けるとは決まっていませんよ。咲人が何にもしないというのもあります。
これだけは言える遥香は現段階では咲人に恋心はない。
遥香は、6話では咲人の事を一番に考えて行動している。前は、咲人の為というより博士に気に入られる事を一番に考えていたと思います。
咲人が、仕事抜きにしても今の遥香の一番気になる存在なのではと思いました。でも、咲人は、遥香を好きなのは前からわかりやすいが、遥香の気持ちはちょっとわかりずらいけれど。
2回くらいまでは散々母親に好かれたいから
お利口になりたいって言ってたじゃん。
母の顔の下半分飽きるほど見たわ。
ハルカはアルジャーノンのママってとこから入ってるから
母性に惹かれた恋心。
ハルカはアルジャーノンはお利口だから大事なんて言っちゃってるから
お利口になってからデートに誘ったよね。
そんで砕けちってすぐ本物のママのもとへ。
更に酷く砕かれたよね。
咲人が送ろうとした花束はどっちも見るも無残に地面に散らばって
咲人人格崩壊。
めちゃ分かりやすい話だけどなー
ハルカの感情は母性なのかしら?恋愛なのかしら?
咲人を守ってあげたいとは思ってるようだけど。。
花束が無残に散らばって・・・
思い出すのは、
咲のパパが自分の運命を知り、ドリームフラワーに咲を連れてきた時の言葉です。
「花は愛だ。愛をいろいろな人に届けるんだよ。これから咲は愛に囲まれて暮らすんだ・・」
その愛はこなごなに砕かれてしまった。
咲がどんな気持ちだったかと思うと心がチクチクする。
「ウソは嫌い」
みんなウソをついていたと思いこんでいる咲に、花束を届けてくれるのは誰なんだろう。
スポンサーリンク