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合計 | 437件 |
他の人のコメントにいちいち茶々を入れて場を荒らすようなコメントは
削除して頂きたいです。
この国に「標準語」の概念が誕生するのは明治時代後期です。
「日本語」という範疇に入る言語しかないこの国で「公用語」という概念は過去にも現在にもないのでは?ことばの使い方として個人ベースで私用語、公用語というならわかりますが、それなら口語のみにそれを限定するのはおかしいです。
大河ドラマの表現をこれがすべて日本の歴史であると鵜呑みにすることも現代人の視点のみからそれを批判するのも実にナンセンスだと思います。それが好きか嫌いかは感性の問題であり別問題。個人的感性に後付けで理屈をつけてドラマや他の人を否定できると考えるのは大間違いです。
ある視点から見た歴史を題材として人間を描くのが大河ドラマであることは普通の人なら十分承知でしょうし作者も視聴者のほとんどもその共通理解の上に立ってこれまでもドラマが作られ楽しんで来たのだと思います。
八重の桜はドラマとしていろいろな意味で変なクセや歪みが感じられない非常に見やすい大河ドラマと私はこれまでのところ感じています。
いやはや歴史オタの巣窟になってますな。歴史オタとパソコンオタは知識を自慢するところがいかん。知っててもノーベル賞も取れん無駄な知識なのに。
武家に公用語がなかったら仕事にならねえじゃん。
藩士の相当数は国許におらず江戸詰なのにお国言葉に拘ってられる訳がない。
庶民の口語や言文一致を言ってる訳でもないのに何熱くなってるんだか。
半年経ってもまだ幕末か?やっぱりという感じ。幕末なら視聴率が取れるからね。
明治時代はどう扱うか新鮮な感じがして興味があったんだが?
そもそも新島八重なんて大河で扱うほどの人物だったのか?
あっという間の45分でした。
猪苗代城での斎藤一と土方がすごくよかった。
「会津の女ではなく会津そのものに惚れた」
「俺は俺の戦いをする」
このやりとりはベタで何度も目にしているが、
登場した頃は、覚馬や山川にガンを飛ばしていた斎藤が
ここまで義を貫こうとする姿勢にしびれる。
来週が待ち遠しいような、でも来週を思うと胸が苦しくなる。
茶々いれてる人達はもう、どうでもいいです。
>庶民の口語や言文一致を言ってる訳でもないのに何熱くなってるんだか。
一人で熱くなっていちいち難くせつけまくってるのは誰でしょうかね?誰が見ても一目瞭然。
武士に公用語が無かったら、ってそれは漢文だったに決まってるじゃん。ちょっと歴史知ってる人ならそんなの常識。どこの誰が文章を方言で書くなんて考えるのさ?
書き言葉にしても話し言葉にしても、この時代の日本にどこに「公用語」という認識があったのかちゃんと書きなよ。
そもそも人のコメントを元に自分が問題にしてたのは口語のことでしょ?
教養がまるでない人間が他の人をオタとか言うのってとんでもなく恥ずかしいよね。
二本松藩は「人が好すぎる」、或いは愚直と思える程の”義に厚い”、自らを顧みず「他藩を救おう」と援軍を出すその心意気に大変感動しました。しかもそれが裏目に出て、肝心の城下の守りが手薄になり、残った少年達が戦わざるを得なかった事。そして彼らが銃で勇猛果敢に戦い、後世「戊辰戦争中第一の激戦」と言わしめた事。こんな凄い史実が「賊軍、逆賊」の汚名を着せられた上、白虎隊の陰に隠れて埋もれたままで、福島県民でさえほとんど行かないのは、不思議で理不尽で、気の毒で残念でなりません。白虎隊は飯盛山から、煙の上がる「鶴ヶ城」を眺めた時、「落城・・?!もはやこれまで・・」と早合点して帰還して戦力になる事無く、自刃してしまいました。こちらはそれより更に歳下の、わずか二十五名のまだ心細かろう子供達が、堂々と激しい銃撃戦をして、隊長が、友が銃弾に倒れる中、弾が尽きるまで戦い抜いて官軍をたじたじにさせたのですから、白虎隊よりも高く評価されてもいいのでは?と思います。
あれから一世紀半過ぎて、十代前半で散った少年達のお墓の前で、私達がその勇気を称え、哀悼の涙を流すだけで、天国の彼らに気持ちは必ず届くと思うので、東京駅から二時間程の二本松市に、皆さん、是非行ってあげてください。
福島はこれまでごく一部しか訪れたことがないのですが、このドラマを見ていろいろな所をゆっくり訪ねてみたい気持ちになっています。大河ドラマの舞台になっている地を訪れるのは結構好きです。オンタイムで行くと大河ドラマ館とか各種お土産グッズなどもいろいろあるし、知らないこともいろいろわかりドラマが倍楽しめる感じがします。
八重がいよいよ出陣ですね。自分が戦いたいという気持ちがあっても薙刀ではなく銃や大砲、となると女性の身で戦場に赴くのがいかに難しい世の中だったのか、という描写が当時をちゃんと描いていて、八重のもどかしさ、悔しさがひしひしと伝わって来ました。
三郎の軍服を着て弟と一体になって、という演出がこれまでの経緯と重なっていて良い脚本、演出だと思います。
綾瀬さんの激情を内に秘めた演技も素晴らしいと思います。もちろん会津藩の前途多難で悲しい先も見えてはいますが次回が楽しみです。
もちろん戦を肯定したくありませんが、役者さん達の引き締まった表情には皆さん凛々しく迫力がありますね。照姫さまもこれまでで一番美しかったです。
白虎隊のことは結構ドラマや小説などで知っていましたが
二本松少年隊のことは名前を聞いたことがあるくらいであまり
よく知りませんでした。
そういう意味でもこのドラマを見てよかったと思います。
旧幕府軍側から見たドラマでなければここまで詳しく奥羽での
戦の様子など取り上げられませんからね。
そういう意味でも貴重な作品かもしれません。
新選組の土方と斉藤が会津まで一緒だったことは知っていましたが、
斎藤が会津に残り土方は仙台→五稜郭へと転戦して行く二人の
別れの場面なんていうのも初めてドラマで見ました。
> 武家に公用語がなかったら仕事にならねえじゃん。
これ書いた人って他の人が書いた文を読み取る能力がまったくないんだね。
まあだから言ってることが支離滅裂、滅茶苦茶なわけだ。
荒らしそのもの。
ほんとどうでもいいわ。
読まないことにします。
しかし場所だけ取ってうっとうしい。
八重の母も女性が戦場に赴くなんて言語道断、のように八重を諌めていましたが、三郎の軍服に身を包んだ八重の決意の固さにはそれ以上言葉が出なかったのでしょうね。
息子たちを失い、今また大事な娘を失うかもしれない。
戦場に我が子を送り出さなければならない母はいくらそういう時代でいつでも覚悟はしていた、とは言えどんな気持ちだったか、今では想像を絶するものがあります。
死を覚悟した頼母に、老いてもなお息子に武士の心得をぼそっとつぶやく小さな姿が何だか
とても印象的でした。
だから8人も十人も子供を産んでるのでは?
俺のばあちゃんは9人産んで戦争とかで4人しか残らなくても平然としてたよ。
昔は人間の命の価値なんかひどいものだったと思いますよ。なにしろ病気や飢饉でどんどん死ぬ時代ですから。現代は美化しすぎ。
たしかに今は昔みたいにどこの家にも子供がごちゃごちゃいっぱいいるとかないから多少は感覚ちがうかもしれない。
昔の親は今より大らかだっただろうし。
でも何人いても子供はどの子も大切に思ってたのは今も昔もそうは変わらないんじゃないかと思うけど。
いっぱいいるから少し欠けてもいい、なんて思って子を育てる親、我が子が戦争に行って死んで平気な親なんていないでしょ?
平然と見えても昔の人は気丈だったから今の人みたいに表だってめそめそしなかった、ということはあると思う。
頼母の小さいお母さんは、戦に向かう男が家のことなんて心配するな、というようなこと言ってたけれど、あれは息子にあれこれ案ずることなく武士としてまっすぐに生きろ、という武家の教育の建前であり、武家の母独特の愛情の表し方に見えた。
武家に生まれた者はいつでも主君やお家のために命を捨てる覚悟はできてる。でも山本家の父だって筋を通しつつ、竈の前で号泣していた。昔も今も人の心の奥にあるものはそうは変わらない。でなければドラマは成り立たないと思う。
前回久しぶりに見ましたが引き込まれました
白虎隊はあまりしらなくて放送をみたあとぐぐってみましたが
こんな悲しい歴史もあったんですね
ただ相変わらず主人公の影は薄く感じました
おかげでドラマとしては散漫な印象になっているかもしれません
女性が主人公の大河ドラマ(歴史ドラマ)はどうも苦手で45分ほとんどヒロインが出ていたりするとかなりつまらなくなってしまうことが多かったので今回の八重くらいが私はちょうどよく感じています。私には八重の心情も良く伝わって来るし、女性が表舞台に立てないことに疑問を感じながら、地道に銃の訓練や制作をし、芯が強いけれどとげとげしかったりきつく見えない八重は好感が持てます。感じ方って人によって違うのですね。
それよりもここのところ毎回、頼母中心に会津の家老たちの間で方針をめぐっての話し合いの場面が時間的には短いながら大河らしくてすごく好きです。
どの視点からでもいいけど政治劇をおろそかにしない大河は個人的に見てて面白いです。
これまで半年描いてきたストーリーの重みがまったく感じられない。
八重が立ち上がる背景は結局「弟の仇」。ちなみに根拠はないが兄は生きているらしい。
こんな展開なら最初から会津戦争でも変わらなかったのでは?
でもこの脚本家はオリジナルエピソード描くのが下手だから
史実をぶつ切りに追ってきた今の展開のほうがまだマシだったかな?
また来ましたか・・。
どう思われようが人それぞれなので、あなたはそう思うのですね。
一つだけ、「根拠はないが兄は生きてるらしい」って、兄の覚馬は先週も先々週も登場してますよね。
そんなことも抜けていて、自信たっぷりに辛口評価されても苦笑しか出ないです。
全く同感。ドラマに対して賛成でも反対でもちゃんと見ないで単なる個人的好みで書かれたようなコメントは、ああそうですか、そう感じるだけですね、で終わり。
でも他の人のコメに茶々入れてるわけでもないですからまあ・・
ドラマ終わるまで✩1をつけ続けるのが目的に見えますし。
批判があってももちろんいいと思います。でも独りよがりで具体的場面や描写との関連がなにもないコメントは読んでもおもしろくないし説得力皆無です。八重主人公でこの時代でどんな描き方ならよいとおっしゃるのでしょうか?それをこのドラマと結びつけて具体的に書いて下さるともっと読みたくなる感想なのでしょうが、申し訳ないけど、何かの理由で憎しみを持っているのだろうな、くらいに見えます。
八重が立ち上がった理由が「弟の仇」だけって見えるというのは不思議。
ドラマってその人がその時だけに言った言葉を短絡的にとらえて見るものじゃないのでは?
一話から八重のことはずっと描かれているし八重の性格や個性、考えてることは
前のエピソード通してふつう分かると思うけど。
私には八重が立ち上がった理由はもっと複合的に見えました。
会津が京都守護職を引き受けたあたりから覚馬の手紙を通じて
会津の平和が脅かされていくのではないかと不安を
募らせていくシーンは何度となくありましたし、薙刀の稽古場
など女性たちの社交場でもそういう不安やそれに立ち向かおう
とする覚悟が伝わるエピソードが盛り込まれてました。
そうした中で会津の危機という漠然とした不安が次々と
具現化されていき、それは会津が朝敵とされた事でもあり、
雪の夫の修理の死でもあり、負傷した藩士の手当ての現場や
そこで再会した二本松少年隊の死を目の当たりにしたことでも
あります。
弟の死は、身内であるためより大きな動機とはなったかもしれないが、私には八重が立ち上がる動機が「弟の仇」だけであるという風にしか見えないという感じ方がむしろ不思議です。
まあ、どういう風に見えるかは、人それぞれですので「弟の仇」だけにしか見えないと言われるのであれば「ああそうですか」としか言えませんが、あなたの感じ方が万人の感じ方ではないという事だけはわかってもらいたいですね。
うん、何でdisるかよくわからない。
私は篤姫や江が仰ぎょうしくて苦手だったので、女性主人公の大河で初めて応援したくなりました。
八重の成長と性格、会津の追い詰められようを丁寧に描くのは必要だったと思います。
空飛ぶ広報でも感じたけど、綾野さんのチンピラ顔だけ残念です。
>篤姫や江が仰ぎょうしくて苦手だったので、女性主人公の大河で初めて応援したくなりました。
同感!!
>綾野さんのチンピラ顔
こちらは異議あり(笑)!
綾野さんは現代劇で見るとたしかにチンピラ顔でちゃらい軽っぽい男に見えます。(それが良いという向きもあるでしょうけど)
しかし、戦隊モノの悪者、映画の長髪惨忍不良少年、そしてこの容保さまのきれいで凛々しい殿様ぶり、あとカーネーションで見事な長崎弁を披露した周防さん、これは私には絶品に見えます。
あと八重が立ち上がる動機についての 2013-06-30 08:45:29 名前無しさんのご意見にはまさしく同感です。
綾乃剛はまだ早いよ。っていうか最近の大河はもう名 前が売れればチンピラだろうがギャルだろうが出るのであまりありがたみもないでしょ。
だから綾乃じゃなくて綾野くんだって!
批判するなら人の名前くらいちゃんと書きなよ。って前にも言われてたでしょ?デジャブか??
あー今回限りは残念です!!
白虎隊いくらなんでもあれだけー??
なんか彼らの絶望感がいまいち伝わらんかったんだけど。
出陣の時のほうが良かったなんてあれー??
二本松が良かっただけに不満です!
これから怒涛の展開だから?
だったらあんなに前期京都編ゆっくりやらんでもよかったやん!
田中土佐のあのセリフにも違和感あり!
守護職引き受けざるを得なかったことは、あんたが一番理解して
あげなあかんやん!ここでそれ言う??
もうちょっと見せ方があったはず、ここまで良かっただけに
何故?
それと綾野剛さんについては、何年か前、新撰組血風録に
ゲスト出演された回を観たら、この人時代劇いけるんやと
ちょっとびっくりするぐらい素晴らしかったので殿様役OKです。
8:45分です
ライダー、ガンツ、セカンドバージン、最高の離婚、そしてクレオパトラは綾野さんの魅力が伝わりました。
雰囲気も演技力もあるのは解りますが、どうもひとくせある役の方が似合います。容保の、不器用だが筋を通し近臣や民にし慕われ人物像との違和感です。
こずるい慶喜を好演した小泉より<こいつは企んどる>と思わせる顔つきに、何でこの殿に命捧げるかなと思った次第です。綾野さんに恨みはないのよ。
私も今回の白虎隊の扱いはやや不満です。少しくらいは勇敢に戦ったシーンも入れて欲しかった・・。
ただ、西郷家の自決のシーン、それを聞いた頼母の「そうか・・そういう道を選んだか・・」と悲しい表情、涙腺決壊です。
八重が重臣たちに「私は山本覚馬の妹、鉄砲は誰にも負けねえ」と啖呵を切ったシーン、かっこよかったです。
もう一つ、私が感動したシーンは史実では病気で戦えず、自害して果てた黒河内先生が戦ってるとこでした。こういうフィクションは大歓迎です。
田中土佐の後悔の台詞ですが、その後、陣保内蔵助が「徳川のためではなく、最期に会津の為に戦えた・・それでよかったのではないか(若干違うかも)」と言い、土佐も納得したので私的にはあのシーンは納得できました。
乾が頼母の家族達が倒れてるところに出くわすシーンは勝手に涙があふれてきたわ
それが強烈すぎて白虎隊のはなんかイマイチだったが・・・
ドラマを見てもめったに泣いたりしない私が今回ばかりは涙腺を止められませんでした。
やはり敗者側のドラマは見ていて辛いです。しかしこういうドラマがあって良い。大河でもここまで女子供含めて、敗者の悲哀に真っ向から向き合った作品は初めてじゃないでしょうか。
白虎隊は確かにもう少し違った描き方をして欲しかった気が私もします。しかし死に対しても一途過ぎる少年たちの姿にはやはり涙してしまいました。
一番感動したのは私は土佐と神保の最期でした。
土佐の「あの時に腹を切っていれば・・」の台詞は容保の立場を最もよく理解していたばかりにあの時に頼母のように強く進言ができずに結局会津も殿も守れなかった武士としての後悔だと思います。容保の守護職が決まった時、頼母のそばで苦痛な表情をしていた土佐を思い出しました。B作さん、津嘉山さんの演技、大変見ごたえありました。
また、西田さんの頼母の「殿・・よくぞ御無事で・・」の台詞にも誰よりも容保を、会津を大切に思う気持ちが伝わって来て感動。
家老相手に堂々と正論を主張し、戦火の中をくぐり抜け、髪をバッサリ切る八重の姿にはもう言うことありません。
大河で初めて「カッコいい」と感じたヒロインです。
良い、悪いではなく、「武士」の精神、誇りについてもいろいろ考えさせられました。
今日は、本当に観ていてつらい回でしたね。頼母の一家の自決シーンなど負け戦の非情さが見事に描かれていて、胸が引き裂かれそうでした。でも、そんな中、女の命である黒髪を切ってまで果敢に立ち向かう八重の凛々しさは神々しいばかりでした。これでやっと主役って感じかな。今後の活躍も楽しみです。
薩長による京の混乱を鎮める為にイヤイヤ都の警護を任され、孝明天皇とも深い信頼関係を築いた松平容保と会津藩。だが、討幕派の岩倉具視や大久保利通が天皇を暗殺してまで主導権を奪った事によって突然賊軍にされ、”なんちゃって官軍”の猛攻撃を受け消滅するという経緯は、どう見ても会津側に義があるし、正当性が有る。しかし、そんなことよりも薩長土肥は、とにかく「今ピンチの日本の再生の為にはどんな汚い手を使おうと幕府を倒し、新時代に即応できる日本を構築するのだ」という強烈な信念と凄みがあった。そこにはこれまでの経緯による会津の「我こそ官軍」の正当性も主張も通らず、結局、力でねじ伏せられてしまう。今、日本は尖閣も竹島も慰安婦問題も我が国に法的根拠があり、反論できる証拠も有るにも拘わらず、”正義は、理は我にあり”と安心して冷静に安穏に構えている。だが、向こうはそんなものはどうでも良く、とにかく難癖を付けて尖閣や対馬を奪い取り、日本の悪口雑言や誹謗中傷を世界中にばらまき、”領土を自由を奪った残虐な人類の敵”として日本人を世界中から孤立させようとしている。既に中・漢は出鱈目プロパガンダによる戦争状態に突入しているのに、奥ゆかしい日本は応戦すること無く冷静に一方的に追い込まれている状態。この会津の教訓を生かし、相手がPRで来るなら、こちらも八重のように激しく応戦しないと、いつの間にか会津と同じ立場に追い込まれそうな気がしてならない。
なるほど・・・
歴史はくり返す、ということもありますね。
ご意見についてはごもっとも、ともそんなことはない、とも即答していいものとも思えませんが、「国」という概念が広がった現代、日本が今置かれている状況がどこか幕末に重なるところはたしかにあるかもしれません。
徳川幕府が長く続き、武士が戦のしかたも忘れてしまってただただ幕府の言うなりにそこそこの平穏を保っていた当時と大国に守られている形で国民がそこそこの豊かさを享受している今、どこか似たものがあります。ひと言でいうなら平和ボケでしょうか?
ここだけではなく他サイトなどの大河ドラマの感想を見ても、正直、なんだか歴史ばなれ、政治への無関心さを感じ、驚くことがあります。そういう意味で、単なる国粋主義に走るのではなく、多角的なものの見方で歴史や政治の教育がもっと必要なのかもしれません。
歴史やその国の文化を過去の遺物として遠ざけて良いことがあるでしょうか?ノスタルジックに見るのではなく、過去の事実や自分の国の国民性を冷静に認識することは大切なことだと思います。
気づいた時には、民を守る術も持てなくなっていた、戦争をするしか道がなくなった、なんてことにならないことを切望します。
このドラマの感想からこのようなことを考えさせられるとは、目からうろこかもしれません。
八重を中心とした人間ドラマとして楽しむと同時にこのドラマと共にそういう事を考えて行きたいと思いました。
下の写真が変わりましたね。
後半に突入。今後は会津の敗北をへて世の中もがらりと変わって行き、女性である八重も
社会でいろいろ活躍していくことでしょう。
看護や教育に身をささげていく姿が今から楽しみです。
尚之助と八重は良い夫婦だったので別れが来るのは何だか非常に忍びない感じですが、
新島襄との出会いも楽しみです。
しかしこの幕末から明治の世に生まれて生きた人ってどんな風に世の中の急激な動きをとらえていたのでしょうね。
二次大戦後だいぶ経ってから生まれた私などには想像もつきません。
戦闘シーンがすごいね
お金かかってる感じがする
坂の上の雲もすごかったけど、
最近のNHKの映像はすごいね
初回から欠かさず見ています。うちの家系は鹿児島で、出身は同志社なので、個人的には会津戦争の最中、山本覚馬と西郷吉之助が「官見」を通じて心を通わし、やがて日本近代化の同志となり、西郷が薩摩藩邸を破格値で覚馬に譲り、後の同志社キャンパスになる過程を楽しみにしています。今回の大河ではストイックなまでの時代考証と演者の気迫が凄まじく、毎回圧倒されています。会津の皆さんの自刃する場面はたまらない気持ちになりましたが、この後の新島、覚馬、八重らによる同志社設立の伏線にもなる重要なシーンでもありました。戦争という殺戮の応酬、挫折と絶望から不屈の闘志で立ち上がり、会津から日本、そして世界へと視野を拡げ、人類の普遍性である命の尊厳へと八重の魂が昇華していく様をどう描いていくか。八重の桜はズバリ、明治維新からの展開の方が重厚でドラマチックになっていくと思います。今回の大河は考証する史実が何よりドラマチックなので。
うーむ・・・なんか軽いというかなんというか。人が人に見えない感じ。
時代劇や大河なんてのは登場人物には全く共感できないので(すぐ腹切って死んだりとか)その辺はいいのですが、全体的にカッコばっかり付けすぎてて、中身よりも雰囲気や絵面なんかを重視しすぎ。もっと人間味が欲しい。ゲームやアニメ、漫画みたいな感じがする。
あとちょこちょこ出てくるフェミニズムみたいなくだりがうっとうしくなってきた。
中野竹子の凛とした姿がよかったので、今日の壮絶な最期は息が詰まる思いでした(泣)。遺体を放置して撤退せざるを得なかった母と妹・・どれほど辛かった事か・・。
竹子、雪等、会津のシーンでおなじみの人達が次々と亡くなりますが、あまり芝居がかった大げさな演出をせず、たんたんと死んでいく姿がかえって胸を打ちます。
容保と頼母のやむにやまれぬ対立・・どちらの気持ちもよくわかるだけに複雑です。本当に人間味豊かなドラマだと思いました。
どいつもこいつも
勝手に自害しやがって
どうせ死ぬなら
一人でも多く敵を倒してから
戦い抜いて死ね
自害を美化するのがイラッとする。
戦闘シーンはすごい迫力でびっくりします。映画を見ているみたい。それにしても長い戦のシーン、会津は窮地に追い込まれていますが、さすがにそう簡単には鶴ヶ城も落ちなかったなのですね。双方の犠牲者は一体どのくらいに及んだのでしょうか。籠城は1か月以上続いた、ということですが。
ヒロインの動きのみならず、開城に至るまでの会津藩内部でのいろいろな出来事が描かれ非常に興味深いドラマです。
中野竹子を中心とした女性部隊のこと、西郷頼母という人物や一族のこと、今回のドラマで初めて知りました。
彼岸獅子のまるでフィクションのような話・・ドラマの最初の頃、彼岸獅子の場面があり、こんな郷土の風習があり面白いと思ってましたが、ここにつながる訳だったのですね。あの場面がなければ、この大蔵の話も獅子の姿も唐突だったかもしれませんが、このドラマはこういうところが丁寧に作られていると感じます。
それにしても大蔵も八重もずいぶんと立派になって・・大蔵は一回りも二回りも大きな人物になりましたね。
自害の場面が多いのには本当につらいものがありますが、実際200人以上の女性たちが自害した、ということですからあんなものでは描ききれないほど凄まじいものだったのでしょう。
決して自害を美化してるなんて感じられません。屈辱を味わうよりは自ら命を絶つ、というのが今では考えられませんが、武家独特の美学だったのだと実感します。
竹子の死、神保ユキの自害、そして一族全てを失いながら、会津の行く末のこと、戦で死んだ者たちのことが重くのしかかり自害さえできない頼母の心中がつぶさに描かれ、何とも言えないものがあります。「八重、強くなれ。」という言葉が感動的でした。
八重の今後の人生はこの戦之描写なくしては語れないのでしょう。
このドラマ、軽い、なんて言うより敗者側からの歴史に目をそらさず、真正面から取り組んでいてこれまでの大河ドラマの中でも相当重い内容だと思いますし、それぞれの人間の心情を非常によく描いていると感じています。
これがゲームやアニメ、漫画のように見えるって・・・不思議。
というか今は逆にそういうものに表面的な戦闘シーンのようなものがあふれているということのように思います。
中野竹子を始めとする女性部隊の出陣シーンを見て胸を打たれました。黒木メイサさんって以前は苦手だったんだけど、果敢で凛々しくて、今回の役にはとても合っていてよかった。負け戦だから自害のシーンが多くて見るには辛いですが、会津戦争についてこんなに詳しく描写された作品は多分初めてだと思うので、非常に興味深いです。八重は今後新島讓と再婚するわけだけど、尚之助さんはどうなるのかな。そちらも気になります。
人間の内面を描かない薄っぺらな「再現映像」は中盤クライマックスを迎えた今も同じ。ドラマと呼ぶにも値しない。
すべての事象が何の関連もなく映像化されるので人の一生を一年かけて追う楽しみがない。
第五回の彼岸獅子ネタを脈略もなく突っ込む伏線回収(笑)はもはや商業映像の水準にない。
当該シーンをまるごと回想として見せないと視聴者に認知させられないようでは伏線とは呼ぶべくもない。
どこのどの場面がそんなに薄っぺらく見えるんでしょう?
頼母などの慟哭に近いようなものも人間の内面を描いていないのですか?なぜ?
薄っぺらではないドラマとはどんなものなのかお聞きしたいものです。
>すべての事象が何の関連もなく映像化されるので・・
例えばどの場面とどの場面が何の関連も泣く映像化されてるんですか?
具体的に示してほしい。
彼岸獅子の場面は、丸ごとなんて使われてませんよ。言ってることの意味がわかりませんね。
本当にドラマ見てるんでしょうか?
どうでもいいけど、すごく幼稚な文章ですね。
何が悪いのか、どうすれば満足なのか、具体性がないし、
なにより何が言いたいのか意味がわかりません。
>人の一生を一年かけて追う楽しみがない。
私は特にここ数回の展開で、八重のこれからの人生を一年ゆっくり時間をかけて追う楽しみがものすごく増えました。
明治というまったく違う時代にこの国が突入して行き、女性も社会進出が意志さえあれば可能になる時代。この過酷な旧時代最後の戦をくぐりぬけたひとりの女性が新しい世をどう生きて行くのかものすごく興味があります。
また八重だけでなく、この戦で生き残った会津の人々の動向も大変気になります。
このドラマでそういう楽しみが見いだせないなら、人の一代記そのものに全く興味が持てないということなのではないのかな、という気さえします。
大河ドラマは幼少のころから家族で見ていた55歳の男です。
今までで一番印象に残り、感激した大河ドラマは独眼竜政宗です。
八重の桜は、これに負けずと劣らない内容の濃い演出となっていて
素晴らしいと思います。
このドラマにチャチャを入れるような人は、何にでも文句を言いたい
タダの偏屈者なのでしょう。
大半の人たちは楽しみに見ているのですから、
邪魔などしないでください。
だったら、ドラマなど見る事なく自分の愚かなアホ面でも
眺めていて下さい。
そうした方が、世の中の為になるんじゃないですか?
なんだかんだ見てる
>頼母などの慟哭
泣いた、怒った、その行為に何の意味があるのか。
どうしてそのような感情に至ったのか。それを語らないし語ろうともしない。
すなわちそれはこの番組がドラマではないことを示している。
役者や演出にも力量が見られないが、根本的な問題は脚本にある。
>例えばどの場面
まず構成がめちゃくちゃ。どうしてこんなに支離滅裂な場面転換になるのか。
八重籠城の場→陣所の場→城内軍議の場→八重城内看護の場→(内藤隊入場)
→野外戦闘の場→神保雪生捕の場→八重城内物見の場→頼母軍議の場→神保雪自刃の場
→(八重物見)→八重頼母対話の場→大蔵城下の場→八重物見~彼岸獅子の場
→頼母諫言の場→八重大蔵入城の場
その他にも八重の感情が白虎隊出陣を知った前後でどう変化したか、
あるいは八重と頼母の半年間にわたる描写が今回の会話にどう影響したかといった
まともなドラマなら必ず描くはずの内面の表現が一切ない。
とにかくイベントの進行に人間描写がまったく追い付いていない。
いや、この番組の目的は歴史的事件の「忠実な」模写であって、
登場人物はその事象を説明する無感情な機械でしかないのだろう。
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