肯定派から批判派への嫌み、煽り投稿で久々に赤枠出ちゃいましたね。
礼を言う言わないでしつこくもめてましたもんね。自爆した人の気持ちもわかります。
赤字が出た原因の投稿は見てないけど、肯定派が批判に耐えきれなくなったのかな?この朝ドラはまれと同じように点数が1点台に突入するだろうし、最終回まで星1が続くと思うよ。はじまったころに、忠さんがよく転び記憶喪失になること自体が駄作の片鱗をあらわしていたんだよね。
ここはアク禁もあるから、削除されやすい人は気をつけないとね。
礼は大事だよね。とと姉ちゃんでも「ご苦労様」や「すき焼き」で怒り狂っていたのがいたんだから、今回のお礼なんて普通の批判でしょ?べっぴんでこういった批判の仕方がダメだとは言えないでしょう。
ここで議論すればよかったんだと思います。
あさイチのインタビューやコラムについての話しは、ドラマの感想から少しズレるから、ここに書いたほうがいいような気がします。
あさイチを見てないので本当のところが解らない
コラムも読んでないので本当のところが解らない
子供のいない主婦です。今日の感想で「女の一生」という企画について批判が相次いでいます。それに共感している子供のいない方もいらっしゃるかもしれません。でも、私は、この企画について何も怒りは感じませんでした。そして、子供のいない人だっているのにという、恐らくはお子さんがいる方の(勝手に決め付けてごめんなさい)書き込みのいくつかを読んで胸が潰れるような気持ちになりました。子供がいない人間だからドラマの中の表現にいちいち腹を立てるわけではないし、もしそうだとしてもそうは言われたくないなと感じます。消されてもいない感想に文句を言うなと言われるかもしれませんが、正直言って傷つきます。できればやめていただきたいと思い、この場を借りて言わせていただきました。
私は独身で子供もいません。
「女の一生=結婚・子育て」という当然のような決めつけには不快感を覚えますし、
子供服の展示のテーマとしてはちょっとずれた感じがします。
感想の書き方指導ということではなく、上の書き込み読んで感じたのは、
「子供のいない私ははこう感じた」と書けば傷つく人もいなかったのかなと。
子供のいない人は、だけでなくて「視聴者はこう思っている」とか
その人たちみんながそう思っているような印象を受ける投稿
たまに目にすることがあるけど、
それに自分が当てはまっていると、「私は違うんだけど」と感じることは正直ある。
同じ境遇だからといって、全員が同じ受け止め方をするわけじゃないんですよね。
感想は自由なのでそう書いちゃいけないということではないです。
自分の価値観を押し付けてはいけないとか,女の一生はいろいろやとか,ドラマの流れを見るとすみれがヨーソローのママに諭されて変わっていく感じがしてきました。
女の一生はこれだというような狭いドラマではないと思います。夜遊びや家出をしたからと言って悪い子だと決めつけるようなことをしない台詞からもわかります。
親子で距離を取って考えていく流れはええなあと思います。このドラマはおもしろくなってきています。
悦子様の再婚。これも女の一生は色々の一つですかね。
子供が大急の小山さん(だと思ってるんだけど)に懐いているとのことで。。。
もし紀夫が戦死してたらすみれが歩んでいたかもしれない人生だなと感じた。
悦子様のエピソードが直接絡んでくることはないだろうけど、
そういうタイミングで栄輔の登場、チョット面白いなと思いました。
青い月で若者達が「おばはん、人の人生は色々や」って、
ちょっと分かった風に生意気な口をきいていたけど、
このドラマの根底にあるのはそれなのかな、と最近感じています。
結婚していない明美がすみれの良い相談相手になっているのも印象的。
同じ子持ちなのに良子や君枝ではダメだろうなと思わせるところはさすがだと思いました。
このドラマは誰かを挙げるために誰かを貶めているわけではないのだと思うようになった。
明美の生き方の明暗が丁寧に描かれているから説得力があるんですよね。
女の一生と言えば
モーパッサンか遠藤周作を思い出し
不幸な女性しか思い浮かばない。
でも子供服がメインなんだから
母親にスポットを当てた発送は自然だとは思うよ。
おお?
小山さんが再婚相手なんですか?
前に「話がある」と本店にやってきたとき、口にできなかったのはそれ?
昨日今日と見逃したからなあ。続きはぜひ見なきゃ。
812です。
小山さんかどうかはまだ分かっていません。
すみれが「女の一生」の企画を思いついた時に、悦子様が、
自分の結婚相手もきっと喜ぶに違いない、みたいなことを言ってたので、
あの企画が上手くいって喜ぶなら大急の人かなと。
大急といえば小山さんだろうかと予想しているのです。
さっさと終われというのは感想なのですか?
私には暴言にしか感じません。
一応違反報告で抗議はしてみます。
以前、ご年配の方から、
お店などでプロのサービスを受けたときに
「ありがとう」「ごちそうさま」など感謝や褒める言葉を使うのは
本来はマナー違反なのだと聞いたことがあります。
それは対価を支払っているから言う必要がないということではないのだそうです。
ありがとうを漢字にすると「有り難う」ですよね。
つまり、あり得ないことだから感謝する。
プロは当然のようにできるようになったことを生業にし、
その技術に誇りをもって仕事をしているわけで
そういう仕事に対して「あり得ないこと」だというのは失礼にあたる。
理由はそんな感じだったと記憶しています。
プロの仕事に対して感謝を感じるなら言葉ではなく、
そこの店なり職人なりのサービスをお金を払ってまた受けること。
今はそういう感覚は殆どの方になくなってしまったようです。
麻田さんやキヨさんに感謝の言葉がない、態度がない、ということにい批判があるけれど、
キヨさんも麻田さんも職業人の「べっぴんさん」とも言える人物であり、
そういう人だけに「ありがとう」というべき人ではないのかな、と個人的には思います。
キヨさんは坂東家にずっと雇われており、麻田さんの最後の仕事は長年贔屓にしてくれた坂東家の仕事でした。
それがなによりの感謝の気持ちの表現ではないかと思う。
817さんに同意します。
時代によってそういうことは変わることだしね。
大体現代でありがとうをその有り難うの意味で使っている人はまずいない。
その意味で今の時代ならありがとうを言って何も問題はないでしょう。
昔はそういう意味合いがあったと知ればいい話で。
819さんに同意です。
実際、ありがとうを言われてマナ―違反と怒る人がいるんでしょうか? 私なら職業人であっても言われたら気持ちいいですね。感謝の言葉を言う人を観ていても気持ちいいです。
女中さんに家事をやってもらってイチイチありがとうは言わないよ。それなら毎日家事をやってもらってるお父さんや子どもたちはお母さんに毎日言うべきだ。家事に対しては逃げ恥でも話題になっていた。家事に対して礼を言うかは気持ちやコミュの問題とか戦前の格差社会の規律のようなものとか、家事労働に対する報酬とか様々なことがあげられる深い話になると思う。
817です。
言葉が足りなかったかもしれなくて申し訳ありませんが、
私は一応・・・
↓
>今はそういう感覚は殆どの方になくなってしまったようです。
↑
と書き込みました。私もその感覚がない一人です。
どこへ言ってもありがとう言いまくってますよ。
昔を知る人から聞いてなるほどそういう時代があったんだと知りました。
べっぴんさんの時代はまさにそうだったんじゃないかなと感じています。
「ご苦労様」が今と昔では使い方が違うのと同じなんでしょうかね。
日本人というのは、今の言葉でいう「神レベル」のものや人に対して、
普通の人が労いや感謝、お褒めの言葉をかけることに抵抗があるんでしょうね。
私の想像ですけど、おそらくは昔は職人にそういう人が多かったから、
うかつに「ありがとう」とは言えない雰囲気があったのではないかと思うんです。
今は大量生産、チェーン店が殆ど。ありがとうと言う方が自然なのでしょう。
高度成長期以降は企業戦士といわれる人が増え、サラリーマンの中にうかつには「ご苦労様」と言えない人が増えたのかなと思ったりするんですが、実際はどうなんでしょうね。
こういうことはハッキリした歴史として残らない部分でもあるのでしょうから、真実はなかなか分からないのかもしれませんね。
ドラマを見ていてその事に対して其々がどう感じるかだけでしょう。
私は肯定もあり、批判もありだと思うだけです。
822です。
私は肯定的な意見を書き込みましたが、勿論否定はありだと思っていますよ。
批判的な意見を打ち消すために書き込んだわけでも、
全員の同意を得たくて書き込んだわけでもなく、
中にはこういう人もいますよという以上の意味はありません。
反対意見を書き込んだからと言って、
感謝すべき、礼を言うべき、というご意見の方々を否定したいわけではないこと、
お分かりいただきたく思います。
ここは少数意見も尊重される場だと思い、あえて書き込みさせて頂きました。
礼を言おうが言うまいが、叩く人は叩くよ。
ちゃんと言ってたところで、今度は言い方が悪いだの心がこもってないだの感謝してる目つきじゃないだのと書かれてるよ。
あさ来たのあさだって使用人にいちいち礼なんて言ってなかったし、とと姉でも仕出し屋に住み込んでた頃に、誰も礼なんて言ってなかったでしょうに。
ちなみに私の場合は個人の思うところだけ述べたまでで肯定派とか否定派とかそんなどうでもいいことに加担したつもりはそもそもありません。
そう、ここは其々が思ったことを書くところですよね。だから私も書かれたことに対して思ったことを書いたまでです、以上。
忠さんなどは身寄りのない自分を引き取り使ってくれたと最後まで五十八さんに感謝するのだと思う。山田洋次監督の小さいお家という映画を見たけど、昔の女中は主人に仕えることが仕事であり誇りであり生きる道だったというような描き方をしていて、松たか子演じる奥様に黒木華さんが従順に仕えていた。
ドラマでは戦後の経済成長期になっているが、私の実家のあたりでは、まだ先代からの付き合いだからとお得意様には深く感謝するような商売人の礼儀は見られたと思う。あの時代です。
タケちゃんのイジメのこととか、こんな脚本家を使ったNHKがどうとか長びくならお茶の間に書いたほうがいいかと。
思うので続けます。タケちゃんや明美を弱者と見るほうが差別であり、いじめに感じます。
悦子様、時子さん、明美さんなど不幸を抱えていた。すみれも親をなくしてるけど、皆それぞれたくましく前に進むというドラマでしょう。
あの当時の人というのは、しっかり仕事が出来て任せられる人に、いちいち言わないところがあったと思う。タケちゃんは会社の中のことを任せれば西城君はとても敵わない。明美さんは育児相談のことなら誰も敵う人はいない。それがスゴイことだからと言って誰もそうは言わない。そういう時代があったと思っています。タケちゃんは、自分が会社で認められていると思ってない。だんだん、褒めないとダメ、褒められないとダメなってきてるんですよね。それがいけないということではなくて、価値観が多様化して、言葉にして伝えないと分からない時代になったんだなとは思います。昔かたぎの人たちの物語でもあるのかな。
ひさびさこのサイトにきちゃった。
この朝ドラ、年末から旅行に出かけちゃって、そこで見逃してから、ずっと見てないです。
なんにも寂しくなかったし、みたいなとも思わなかったので。
後ろ髪魅かれるような後ひきも、結末は確かめたいもなにも感じなかった朝ドラもめずらしいというか、はじめてです。
嫌いでもなんか最後はどうなるのかは確かめたいとか、もーイライラするけどここでいろいろ書いて納得できたら次の日また見てもいいかの気持ちになるとか、大概それで続けてきたんだけど。
なんにも残らなった朝ドラでした。春までお休みです。
誤解されると嫌なんで、いちおう書いときますが、もちろん今年に入ってから来たのはこれがお初。本家には本編は見ていないので、書き込みしてませんのであしからず。
それではまた春にでもお会いしましょう。
たけちゃんにしかできない仕事があればいいのにね。
まあ、西城くんはそのうちに何か失敗をやらかすんだろうと予想。
で、謙虚さを学び、たけちゃんと仲良くなるって流れかと。
まさか西城くんがエイスに入社するなんてないよね。
私は昭和中頃の人間だから、誰に対してもご苦労様という言葉はしっくりくる。ドリフのホントにホントにご苦労さんという歌が懐かしい。
あれはナンチャッテさん。
わかる人はわかってる。
星一を入れようって投稿は煽りになりますから、書くと削除されると思います。必死なのはわかりますけど、私は星には興味なし。読み応えのある感想が少なくなりましたね。
昔は今と違って親や先生ににひっぱたかれることはあったような。でもそれは自分だけだったのかもしれない?とも思い、ちょっと検索してみました。「ありえない昭和の子育て事情」興味のある方は是非一読を。もちろん地域や家庭によっても違いはあるでしょう。私は親から頭にゲンコツはあったけど、ほっぺたをひっぱたかれたことはありません。でも、確かに今ではありえないことがいっぱいあったよと、昭和生まれのオバサンは思ったのでした。すみれを叩いた紀夫、さくらを叩いたすみれ、そんなに違和感なく見れる世代もいるのです。
夫が妻にてを上げる、親が子供をひっぱたく、デパートの展示にセンスがない
昭和と現代の違いをわからない人が多いんですね。
わかってないことをわかってないのに書きたがる。なんか、なんかな…。
昭和30年代は軍国主義の教育を受けた人が多かったのと、高齢者は着物で生活してる人がいた時代。
違うでしょ。
叩くために書きに来るんだから。
合ってるか合ってないとか時代とかそんなことじゃない。
でも育ちのいいお嬢様が制服姿でジャズ喫茶やナイトクラブに入り浸って何のおとがめもなし、とか、そもそものエピの作り方に時代性のかけらもないよね。
働く主婦の仕事と子育ての両立の悩みもかなり現代的なテーマな気がします。
脚本自体が時代をどう描くか中途半端なんだから粗をつつかれても仕方ないでしょう。
学校も今よりずっとのん気だったから、盛り場に生徒がいるかもしれないと監視したり、見回ったりすることも少なかったと思いますよ。さくらちゃんも学校にバレればお咎めを受けるんでしょうけど、子供が盛り場にいるのを見つけて通報する大人も今ほどはいなかったと思います。ちなみに私は私立の学校ではないけれど、高校生の時には、学際の打ち上げなどでクラスの皆で居酒屋に飲みにいってました。店の人も知って知らぬふり。多分学校の先生も分かっていて知らぬふり。もう大人の一歩手前の年齢だから、自己管理しなさいって感じだったのかなと、今にして思います。昭和の終わりころのことです。でも、今の時代にそんなことをしたら大変ですよね。昔とは環境が違いすぎるし、今は今の事情があって、やり方や考え方が変わっていくのは当然なのでしょう。どっちが良いという問題ではないのかなとは思いますが、今と昔は全然ちがうのは確かです。
叩くのは民放の最近のドラマの方が多いと思う。
ごちそうさんで、ふくが学校の先生に叩かれたのは、ああいう時代だからだと思ったよ。
今の若い人は親にも先生にも叩かれたことがないと思うから、感想はいろいろでしょう。
べっぴんさんでの紀夫のビンタは、あの時代ならあり得るなあと思った。すみれのさくらへのビンタ、ナイトクラブに通ってるような娘が私にいたら私もそうすると思う。
以前、あまちゃんの時に自分の娘がアキだったら叩くってよく書いてる人がいたけど、あの人どうしてるかな?なんて、ここを読んで思いだしたよ。
いろんな意見を読みたいと思うけど、あ茶の間がすたれてしまって残念。
>私は私立の学校ではないけれど、高校生の時には、学際の打ち上げなどでクラスの皆で居酒屋に飲みにいってました。店の人も知って知らぬふり。多分学校の先生も分かっていて知らぬふり。
私も同じことをして、学校から全員親の呼び出しを受けました。同じ年代、同じ状況でも其々違います。
皆さん、自分の物指しだけで物事をはかっているだけな様な気がします。
同じことをした、ということは、先輩達がやっていてそのことを知っている人達が飲み会を企画したのではないですか?絶対に咎められると分かっていたらやらなかったのでは?私達はそうでしたけど。そういえば、何年か後の後輩たちは同じことをしてお咎めを受けたと聞いたから、少し年代が違うだけで事情が変わっていったんだと思います。やってない人も当然いるでしょう。それと地域や家庭による違いもかなりあるとは思います。私も自分のモノサシで物事をはかっているとは承知しているけど、今とは全然ちがうことだけは確かだと思いますよ。さくらはナイトクラブへいくときは流石に制服ではなかった。今は窓から眩しいほどの逆光が射しているジャズ喫茶へ制服で出入りしてる様子です。帰りが遅くなって叱られている描写もないので、おそらく、ゆりのいう事を聞いて夕飯までには帰っているのでしょう。ナイトクラブに毎晩入り浸っていたらいづれ通報されて、学校にもバレるのでしょうけどね。
私は845さんより4、5年先輩ですよ。
確かなんて言葉、安易に使って欲しくないです。
846さん、大変失礼致しました。そうですね「確か」などという言葉を安易に使って決め付けてしまったのは良くなかったと思います。私は846さんのご経験を否定しているわけではないのです。なんというか、こんなの絶対にありえない、というのも決め付けかなと感じたので。それが自分のものさしでしかないのは承知してはいますが、全くありえない時代ではないのでは、と思い書き込みをさせて頂きました。同じ時代でも同じ価値観や環境で皆が生きているわけではなく、何が確かで事実なのかは誰にも分からないことだとは思います。でも、いつの間にか時代の流れや価値観が変わっていくのを体感している世代ではあるとは思うのです。ですが、安易に書き込みに反論してしまったことは素直に謝りたいと思います。
847ですが追加です。
昭和の終わり頃が高校生と書きましたが、昭和が本当に終わる63年前後ということではないです。その頃はもう就職してました。
バブル前の時代です。ふぁみりあは友達の出産祝いに贈るプレゼントという感じでしたね。なんか懐かしいです。ものすごくハマっているドラマではないですが、昭和を感じるのでなんなく見続けてしまいます。
847さん、ご丁寧にありがとうございました。
あと2ヶ月ですね、私も朝の慣習ですので最後まで見続けたいと思っています。
やたらと星評価やら「見てる理由」について語りたがる人多いね。
ここの星が多かろうが少なかろうが、ドラマの今後になんの影響もないし、このサイトの評価イコール世間でもあるまいし。
見てる理由だって、時計代わりだろうが習慣だろうがそんなことどうでもいいよ。
どのみち見てるんだから、他人に「自分が見てる理由」アピールしたって意味ないのに。
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