ちゃんねるレビューの話478です。
意見投稿するのにあのスレを選んだのは、ドラマの感想が書けるスレだったからですが、字数オーバーになり、感想が全部入りきりませんでした。
なので、続きをこのスレに書きます。
ばけばけの史実に関する話でもあるので。
【ちゃんねるレビューの話478に書いたドラマの感想の続き】
そう言えば、熊本でのイセさんのエピ、トキが感情を昂らせて倒れる場面があるけれど、トキのモデルのセツさんは、感情が高ぶるとそのまま倒れてしまうことがよくあったらしい。
熊本でどうだったかは分からないけど、セツさんの息子さんの一雄さんが著書に書いているそうで、セツさんが倒れると、ハーンも子供達も女中さんも、また倒れた…のように、セツさんの身体を支えたり介抱したりの役割分担が出来上がっていたと書いているそう。
私は一雄さんの著書はまだ読んでなくて、とある記事に引用されている部分を読んだだけ。
息子の目から見た両親の姿は、世間的な目で捉えたセツやハーンとは、また違っているみたい。
で、そのセツさんがよく倒れていた…という話を読んだのは、ある新聞社のネット記事で、その記事には、一雄さんの著書から引用した幾つもの文から、失礼にも “セツさんはヒステリー気質だった” という捉え方で書いていて、私がその引用文を読んだ限りでは、随分短絡的でキャッチーな内容を書いてるように思えて、凄く嫌な気持ちになったので、
僭越ながら、私の解釈も書いておきます。
セツの怪談語りという協力を得て、ハーンが書いた「再話文学」。
それは、セツの類い稀な「語りの上手さ」があったからだと、幾つもの関連本でよく指摘されている。
で、語りの上手さは、セツに限ったことではなく、フミのモデルであるトミも上手くて、セツの語りの上手さはトミ譲りのものという可能性が高いそうだ。
そして、それを読んだ私は、もしかしてセツさんは憑依型の女優さんに近いものがあったのでは?と想像している。
女優さんに時々あるように、セツの言動は、時々とてもエキセントリック。そして、情熱的。
最初の夫・為二が出奔したあと、居場所を突き止め、何度も手紙を書き、最終的に大阪まで追いかけていって戻ってきてくれるように懇願。
しかし、冷たい言葉を浴びせられて、帰り道、橋の上で川に飛び込もうと考えたセツさん。
実際に、どういうやり取りがあったのかは分からないけど、思い詰めると桁外れの行動をしてしまう一面とか、もしかしたらあったのかも?
冷たい言葉を浴びせられた、とだけ聞けば、何て酷い男!と思ってしまうけど、何通もの手紙を無視していた為二は、俺のことは諦めてくれ、忘れてくれ、と思っていたかもしれない。
もしそう思っていたとしたら、冷たい言葉で追い返すしかないかもしれなくて、後の人(や他の人)が為二を一方的に悪く考えるのは、違うかもしれない…とも思ったりして。
セツさんが子供の頃から働き詰めに働いて、家族の為に物凄く一生懸命だったことは間違いないだろうと思う。
ただ、その一方で、それだけの意思の強さとパワーもあったのだと思うと、感情が高ぶると、そのままそれが高じて、自分の世界にトリップしてしまうことがあってもおかしくないような気もする。
ヒステリー気質というよりは、まるで憑依型の女優さんのように。
勿論、これは単なる私の想像。
セツさんの怪談語りが物凄く上手かった、ということから想像してみただけ。
セツさんは、東京に行きたいとずっとハーンに言っていたらしい。
都会にある色々な珍しいものに興味津々でいたのか、働き詰めだった子供時代の反動で華やかなものに憧れがあったのか、それは分からない。
ただ、何となくだけど、よくあったという感情の高ぶりも、様々に想像の羽を広げ過ぎた為に、1人で感情が高ぶり、遂には倒れてしまい、家族はまたかと介抱する…ような感じだったのかも?と、想像することも出来ると思う。
実際のところは分からないけど、熊本編のイセの呪いを解こうとして、段々自分の世界に入っていき、遂に倒れてしまうトキの演技…
モデルのセツさんもあんな感じで倒れていたのかもしれない?と、思ったりもします…
あのシーン、脚本家の創作だと思ってドラマを見ていたけど、もしかしたら完全な創作ではなかったのかも?
大した史実のねたばらしではないのですが、「風、薫る」のりんの父のモデル・大関弾右衛門のことを調べていて、
弾右衛門が亡くなった年が史実では1976年で、ドラマの1話冒頭のテロップが1882年(明治15年)であることから、え?史実ではりんのモデル和がまだ子供の頃に亡くなった?と、調べ始めたところ、
ドラマの登場人物達は、史実よりも6年あとに存在してる?生まれてる?設定に変わっていることに気付きました。
りんと直美のモデル、大関和と鈴木雅は、共に1858年生まれ。
ドラマの明治15年(1882年)には、2人とも24歳になっている筈ですが、多分まだそんな年ではなく。
ドラマの信右衛門が亡くなったのは、多分、1話冒頭テロップのように1882年(明治15年)でしょうから、信右衛門が実際より長く生きたということではなく、りんも直美も、それに合わせて、生まれた年が史実より6年あと、という設定になっているのだと思います。(つまり、今の2人は18歳設定)
2人の境遇も史実とは違っているので、生まれ年が6年あとの設定でも脚色の範疇だと思いますが、この「6年あとの年代」という設定、何か意味があったりするんでしょうか。
明治・大正時代、6年違うと、何が違う?
何か、戦争関係? それとも、法律とか病院の状況の関係?
りんのモデルの和は、昭和7年に亡くなっているので、ドラマで死亡年齢を同じにするとなると、昭和13年に亡くなることになります。
昭和13年は、日中戦争の長期化で国家総動員法が制定された年。
でも、それとの関係ではないと思うのですが…
大関和の生年月日は、1858年5月23日。死亡年月日は1932年5月22日。
鈴木雅の生年月日は、1858年2月9日。死亡年月日は1940年6月11日。
6年あとに生まれた設定に変えると、
2人は1864年生まれ、死亡年は、其々、1938年と1946年。
ナイチンゲールの生年月日は、1820年5月12日。亡くなったのは、1910年8月13日(90歳)で、ナイチンゲールとの関係でも無さそうだし、
強いて言えば、鈴木雅をモデルにした直美が、終戦を見届けて亡くなることになる、ということぐらい?
この「6年あと」設定、何かストーリー上の意味がある気がして気になっています…
あ、史実の弾右衛門さんの死因は流行り病だったらしく、治療というより、和の母が拝み屋というところからお札をもらってきての療養で、あっけなく逝かれてしまったらしく、和さんはそれを悔いていたという話を読みました。
弾右衛門さんが亡くなった当時、和さんは18歳。
ドラマではコロリ。りんは何も看病出来ずにあっけなく…という部分が同じでした。
弾右衛門さんが仕えていた藩主が自殺だったというのも史実らしく、事故や暗殺設もあったようですが、後に「父から聞いた」として、和さんやお母様が証言してるそうです。
因みに弾右衛門さんは、武士を止めたあと、帰農しようとするも上手くいかず、一家で東京に移り、商売を始めるも、それも上手くいかなかったらしい。
ただ、家老時代は他の藩にまで評判が伝わるほどの有能な人だったそうで、進歩的な考えを持ち、女性にも学問が必要と常々言っていて、それが和さんに大きな影響を与えたということを、和さん自身が語っていたそうです。
モデルの方と6歳ずれてるのは大山捨松との出会いや交流が描かれるからではないでしょうか?
ドラマの2人の出会いとこれから描かれるだろう交流はフィクションでしょう。
レスありがとうございます✨
捨松が帰国したのが明治15年なので、物語の始まりをそれに合わせたのか、
捨松が鹿鳴館でバザーを開いて看護婦養成学校の為の寄付金を募り、多額の収益を得たのが明治17年6月。
その寄付金を共立病院に渡し、その資金をもとに、2年後の明治19年、日本初の看護婦学校・有志共立病院看護婦教育所が設立されたそうなので、
その看護婦教育所の設立年あたりに、りんや直美が看護婦を目指す?目指してる?流れを考えているのかも?なんて思ったりしました。
りんのモデルの和は、看護婦を目指す前に結婚して子連れで離婚してるので、その話をドラマに入れるとしたら、これから結婚して子供を産んで離婚もしなくちゃいけないので(←何という言い方!)
その話にも何年か必要。
それで、6年あとに生まれた設定にしたのかも。
53のレスを読むまで、直美がアメリカに行きたがっていることを描いていた今朝の回を見て、
もしかして、何かの戦争で直美が戦地に行く等の従軍看護婦になり、りんは日本で看護婦として働き、その戦争の年度の関係? とか、想像してしまってました💦
で、私の想像は更に続き……
従軍看護婦となった直美が「戦場で負傷した人に敵も味方も関係ない」と、クリミア戦争でナイチンゲールが言ったようなことを言うとか、第二次世界大戦の終結を見届けて、やっと平和な時代が…と言って直美が亡くなるとか…そんなことが頭に浮かんだりして💦
捨松が看護婦教育に携わった人であること、私は全然知らなかったので、53を読んで調べ中。
捨松、明治20年には「日本赤十字篤志婦人会」の発起人になり、寄付金集めなどを行うとも書いてあったので、赤十字の活動などもドラマに入れてくる可能性もあるのかも?
ドラマの展開を想像する楽しみが増えました。
ありがとうございました✨
この後、片岡鶴太郎さん演じる勝海舟も出ます。脚本の吉澤智子さんは八重の桜も少し書いてるようで、このあたりの歴史を知ってる方ではないでしょうか。
「ブラッサム」
珠の父が本日放送回で亡くなったので、珠のモデルの宇野千代さん、父親のモデルの宇野俊次さんのことを宇野さん自身が書いている著書が転載されているネット記事等を読み始めた。
読んでみたのは、「PRESIDENT Online」「PRESIDENT WOMAN Online」に掲載されていた宇野さん著書「生きていく私」他、の抜粋記事と、「NPO 宇野千代生家」というHPにある記載等で、とりあえず、父親の俊次さんが亡くなるあたりまでを幾つか読んだ。
読んでみたら、ブラッサムにあったエピソード、どこをどう使って、どこをどう変えたのか、結構興味深かった。
細かいことは、著書(記事?)を読めば分かるけど、宇野さん自身が、84才になって父親のことを振り返ったとき、父親のことを自分だと思いギョッとしたという、その部分が印象的。
千代さんは、俊次さんの破天荒?放蕩無頼?な生き方を、自分が受け継いだと捉えているらしい。
千代さん自身が俊次さんのことを書いた部分を読むと、ドラマの清治はかなりソフトに描かれていて、実際はドラマよりも放蕩無頼だったよう。
それでも、俊次さんの「やってはいけないことへの制限を持たない」生き方は、自分も同じように生きてきたと感じたらしい。
ドラマで描いていた父・清治は、これから先の珠の生き方のベースになるものだったようで、だからこそ、清治を描くことに2週の尺をとったのだろうと思う。
因みにドラマで描かれた、亡くなる前に包丁を振り回して大立回りをするエピは、実際に基いている。
珠が叔母の長男と結婚し、婚家から実家に戻るエピも、実際にあったことで、実際では千代さん13才のときに学校道具と身の回りのものだけで嫁ぎ、10日で家に戻っている。
(戻った時、俊次さんは何度も血を吐いて寝込んでいたらしく、亡くなったときに付いていた、俊次さんが療養していた病名は "十二指腸虫症" なのだけど、血を吐いていたことから、近所では肺病と噂されていたと千代さんは書いている。まぁ当時の医療状況的に、病名として診断されていない病気があった可能性もありそうに自分は思うけど、一応、このスレ的に、推測は止めておく。)
結婚相手の長男は、女性宅に毎晩泊まり、千代さんを嫌いだと日記に書いていたらしく、その日記に書かれていたことが「いらん」という台詞になったよう。
ヒヨコ丼エピも、俊次さんの都市伝説的に語られていたことのようで、"都市伝説" が本当にあったことなのかは、千代さん自身は懐疑的のようだけど、都市伝説が生まれるくらいの人ではあったらしい。
ただ、興味深いのは、俊次さんの後妻に入ったリュウ(ドラマではリョウ)さんは、嫁いだあと、一度実家に戻ったらしいものの、
(カナリアを逃がした件は、私の読んだ中には書いてなかったので、創作? カナリアは実際に飼っていて俊次さんも大切にしていたらしいけど、1羽ではなかったようで、俊次さんが亡くなったあともカナリアは宇野家にいたようで)
リュウさんは、俊次さんの放蕩無頼ぶりを自慢気に話すこともあったそうで、リュウさんも千代さんも、俊次さんのことを嫌いとは思っていなかったことが窺える。
俊次さんが亡くなったとき、千代さんは号泣しながら嬉しい部分もあったそうだけど、その嬉しさは、これからは父から制限 (家で、はしゃいだり笑ったりしてはいけない、外に遊びに行ってはいけない等) を受けない生活が出来る、ということだったようで、亡くなったこと自体が嬉しいのではなく、これからは自由に過ごせる、制限なく生活出来る、ということのようだし。
時々、好き勝手に生きていて周りに迷惑をかけ続け、振り回しているにも関わらず、人から嫌われないタイプの人がいるけれど、俊次さんもそういう人だったのかも?
それか、凄く ”イイオトコ” だったとか?
尤も、写真も肖像画も一般公開されてないそうなので、容姿や雰囲気、全く分からないけれど。
あと、実際の俊次さんは、カナリアだけでなく、馬や他に飼っている動物や鳥、自宅の広い敷地にある果物の木や野菜等の世話もよく行っていたらしく、家で家族団欒とかの笑顔は見せることがなかったそうだけど、鳥や動物、果物や野菜等の世話などでは良い顔を見せてもいたらしい。
また、博打が好きで、都市伝説的に語られているヒヨコ丼エピも、その店の人と結託?してやったそうだから、家では笑顔を見せなくても、外では違っていたようで。
私が読んだ中には、俊次さんは、花街(色街?)では「ひょうきんな遊び人」だったという記載があった。
ただ、後妻のリュウさんも5人の子どもを産んでおり、妻や女性を傷付けるような遊び方はしてなかったのかもしれない?
まだ軽く読み始めたばかりなので、分からないけど。
(御存知の方がいたら補足をどうぞ。)
とりあえず、妻子が俊次さんを嫌ってはいなかったことを考えると、俊次さんをモデルにしたドラマの清治について、ドラマの視聴者である自分が、必要以上に清治を悪く捉えることもないのではと、千代さんの著書を軽く読んだ限りでは思ったりする。
(千代さん曰く、「バルザックかドストエフスキーの小説の中にしか出てこないような奇人か狂人」ということだけど、奇人や狂人ということと、人から嫌われる人かはまた別問題のような気が。それに、人から嫌われるタイプの人を「ひょうきん」とは呼ばない気も。バルザックもドストエフスキーも、「罪と罰」とか「谷間の百合」とかタイトル位しか知らない者の意見ですが💦 だって、分厚くてしっかりとした装丁の本に堅苦しいタイトル、勘弁!と思ってしまって読む気になれなかった少女時代💦)
ドラマでは、珠に対する思い入れが強いように描かれているけど、実際もそうだったのかは、今日読んだ部分だけでは分からなかった。
ただ、千代さんは相当成績が良かったようで、その千代さんを人に自慢する為に連れ出すこともあったとか。
俊次さんにとって、千代さんが自慢の娘であったことだけは間違い無さそう。
因みに、私はドラマも映画?も見たことがないし、話もよく知らないのだけど、「おはん」という作品のおはんのモデルはリュウさんらしい。
「おはん」の小説を読んでみれば、もう少し、俊次さんの実像に近付くことが出来るだろうか?
小説なので、あまりアテにはならないかもしれないけど。
56を書いたあと、後年の千代さんが、「生まれ変わっても、またこの父に育てられたい」と、自伝的小説「或る一人の女の話」に書いているとの情報を得て、23頁分あったその小説の試し読みをしてみた。
(因みに、千代さんの著書「生きていく私」も、冒頭60頁分の試し読みが出来る)
「或る一人の女の話」は、千代さんの名前が一枝となっているけど、書いてある内容は (ほぼ) 実際のことのようで、自伝エッセイの「生きていく私」に書かれていることと同じことが、もう少し詳しく書いてあった。
小説形式なので、実際のことも書きやすかったのかも?
その中には、17歳で一枝の家に嫁いだ色白の美しい女性に対し、一枝の父は日に何度も「頓馬」と言い、その女性はよく泣いていたという記述がある。(”頓馬”は本当に言っていた口癖だったのかも)
で、夜中、一枝が普段聞いたことがないような優しい声で、父はその女性を宥めていたという記載も。
冒頭23頁分しか、試し読みでは読めなかったので、本の購入を考えているところだけど、ブラッサムでの清治の下敷きになっているのは、千代さんの著書に記載されている厳しいだけではない父親の姿なんだろうと思う。
放蕩無頼ぶりは、やはりドラマ以上だったようで、一枝(小説の中の名前で書いておく)の父は次男だったものの、長男の足が悪く、常に座位で過ごしていることもあり、誰もが一枝の父が家督を継ぐものと思っていたが、兄に家督を譲り、自分は家を出て定住をせず、あちこちふらふらと放蕩無頼の限りを尽くし、一枝が産まれた川西の家に落ち着いたのは40代になってからと書いてある。
(ドラマに出てきた清治と清重の家督の話は、この辺りから作られたもののよう)
花街での遊興もよく行っていたようだけど、一枝を連れていくこともあったとか、父が博打で逮捕されたときに迎えに行ったのは一枝と弟だったとか、逮捕・勾留された父の姿は、法律を侵したような(悪いことをしたような)人間には見えなかったとか、酒や肴を買いに行かされるのは何故か母ではなく自分で、お店の人からは「可哀想」と言われているけど、自分は可哀想ではないから可哀想と言われることが嫌だっただけだとか、店にある酒の肴を父はいつも知りたがったので、店にあった肴の名前を唱えながら帰ったとか、劇中のエピが次々と出てくる。
(購入する酒の肴は店に置いてあるものから決めていたようで、唱えるのはドラマとは逆の帰り道だけど)
まだ試し読みの段階なのだけど、「生きていく私」と「或る一人の女の話」を読んでいると、千代さんにとっての父は、横暴な父というより、家庭の中に於て、絶対的な君主としての捉え方に思える。
千代さんにかける言葉は、いつも「命令」であり、千代さんは、その「命令」に忠実に「はい」と従うことを当たり前と捉えている家臣か何かのように感じる。
千代さんは、その「命令」の内容に疑問を持つことは全く無かったようで、命令を完璧にこなすことに喜びを感じていたかのような記載もある。
父の放蕩無頼ぶりについても、家族だけでなく、周囲の人も、「畏敬を持って語る」と、両方の著書に出てくる。
娘への言葉は、一言の命令。雑談などはしない。
で、その命令がどんなことであっても疑問を持たすに従い、完璧にこなそうとする娘。(実際、完璧にこなしていたらしい?)
人々は、父の放蕩無頼ぶりを畏敬を持って語る。
もうこれって、まるで王様💦 絶対的君主💦
「ブラッサム」では、清治を演じた渡部篤郎さんが持つ雰囲気や佇まいが良くて、(少なくとも自分には) 何となく惹かれる謎めいた人物像に見えていた、と私は思っていたけど、もしかしたら、実際もそういう人だったのかも?
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