らいてうも本当は創刊二号から書いてるしね。
少女時代唯一といってもいい史実ネタだった歯磨き販売事業は
ものすごくお粗末だったなぁ…(遠い目)
変な貧乏・住み込み設定のせいで話が滅茶苦茶ー。
ドラマで優しい星野さんを見れば見るほど史実が頭に浮かんで切なくなる。史実と違うことを願う。
いろんな有名人が登場するとなると、これまた大変だけど商品テストと並行してやって欲しかったな。史実本には鎭子さんが原稿を頂くまでの苦労とエピソードも書かれています。
本を読むと頭の中にその場面が出てきて想像が膨らみます。奥が深くなりますね。
綾さんのモデルになった人は『スタイルブック』から雑誌作りに参加して
『暮しの手帖』創刊メンバー。
直線裁ち講座ではミシンでの実演を担当。
早乙女さんやお竜さんにモデルはいるの?
どちらの出る話も、今思うとなんだったんだろうというエピソードだった。
早乙女さんとお竜さんは架空の人物だと思います。
鞠子は大学に行ってない。
常子は最初の会社を退職後大学入学。
この二つを知った時は驚いた。
商品テストのクレーム嫌がらせは皆無だったようです。歴ドラ.comで書かれています。
電気釜はどこのもそれなりの出来で酷評されたものは無かったらしいね。
商品テストのスタンスが元々、消費者の為ではなく生産者がよい製品を造るために協力しましょうということだったらしいです、だからクレームではなく、どうすれば改善できるか、逆に聞きに来たとか。テストは数多かったから凄いですね。
トースターの悪評のメーカーは12年後に改良された商品で復活した記事を載せたらしいから、ドラマでもちとせ社を汚名返上してあげて欲しいですね。
商品テストは、基本的に大手メーカーだけだったようなので
そう簡単に会社が傾く程のダメージにはならないしね。
史実の電気釜テストが
『買っても買わなくてもよし』
と、切れの無い結論に至ったのは
脅迫されてたからだという話になったら嫌だな。。
なるほど・・
ご飯を炊くことは主婦にとっては拘りがあって、生産者も力を入れて製造したからそこまで粗悪品がなかったと書いてましたね。
わかりませんが、資料的にそこまでだったなら警察沙汰になるようなことはないと思いますが・・
信念を貫いた花森さんですから、ドラマでもそうだと思います。
電気釜に粗悪品はなかったかもしれないけど、昔はガス炊飯器のほうが速く美味しく炊けると言われてました。一人暮らしの方などは電気釜を使っていたけど、一般家庭ではガス炊飯器を使ってるところが多かったんじやないかな?保温ができる炊飯器が開発されて、いつの間にか電子ジャーが主流になりましたね。
今でも家電を買うときは迷いに迷います。
そうですね、
電気釜はあまり美味しく炊けなかったと思います。電化製品としての性能は粗悪ではなかったとしてもあまり美味しくない。だから。あっても無くてもいいという結論に達したのかもしれませんね。
ガスや蒔で上手に炊ける人は買う必要がないけれど
ガスが無かったりコンロの数が足りない人には便利なものではある。
確かこんな感じだったかと。
昭和40年にガス釜のテストもやってるけど、
この時は僅差ではあるが鍋で炊くより美味しいと結論付てる。
そして電気釜はだいぶ味が落ちると。
このイメージは今も残ってる人多いよね。
電気釜は炊飯ジャーと呼ばれてる頃までは独特の匂いがあったし。
実際には無かったクレームや嫌がらせが実際に有ったかのように海外で放送されるのは悲しい。
この部分が完全創作だと思う人はまずいないだろうし。
歴ドラでは度々更新があるらしく、ちとせ社は実在のモデルはないようですが、洗濯機に関しては6回もテストをしていたので大手メーカーの努力の結晶だと書いています。
本当は対立などあり得なかったのに、まぁ最終的に日本のメーカーにとって良い方向に進むはずだからいいのかなと思います。
公開テストはストーブでしたから、一瞬で分かる実験とドラマのように洗濯機では無理があるような気がします。社内テストは当番制で工夫してやっていたようですね。
大橋さんのお母さんが亡くなったのはもっと後で花森さんのほうが先に亡くなったらしい。ドラマでは花山さんを最後まで出すのだろう。
こういうスレがあるのに、本スレに母親が長命だったなんて書かなくてもいいではないか。緩く流れるドラマに石を投げ込むような気がした。
前作も今作も、史実の方々がいるのに批判の中にはもうフィクションと史実が混ざってしまってごっちゃになった批判もあるとおもう。
これはフィクションですと入れればそれでいいのかな。資料が多い今作は特に吟味して作って欲しかった。
前作は歴史は古いからドラマも相当違っている、しかし史実のその後は戦前の昭和恐慌で倒産した会社が多く、不動産も処分している。敗戦後はGHQによる財閥解体で銀行も保険会社も没収されて悲惨な結末に至った、ドラマだけでもいい印象で終わりたい。
朝ドラが史実を元にしていた場合は、史実のネタバレを語りたい人はここに集まって雑談や議論をする。
史実のネタバレを見たくなく、議論や雑談をしたい人は朝ドラ談議をつかうといった住み分けをしたほうがいいと思うね。
まあ、次のも史実物だけど、そういったルールは守られないだろうね。
とと姉ちゃんで、史実とフィクションがごちゃ混ぜになった人の批判が出たと思うよ。
でも、それは次のべっぴんさんでも同じ現象は起こるだろうし、花子とアンのときもそういう人はいたから珍しくないと思う。そういうごちゃ混ぜの人たちはフィクションだと説明しても理解できなく、ずっと朝ドラのモチーフもんで現れるんじゃないかな?たぶん、なくならない。
そうだね、そう思う。
まだ放送されてもいないのに、いるものね。
本家コメントへの愚痴はいつも通り雑談スレでお願いします。
べっぴんさんの史実は、子供服売り業の話みたいだけど全然興味がないんだよね。もしかしたら、べっぴんさんの史実の話なんか世間の誰もが興味がなくて、ドラマが始まってひとつも史実の話なんてでないかもしれないね。
思えば、あさが来たの広岡浅子は全く興味なかったし、とと姉ちゃんも大橋鎮子に興味なかったし、暮しの手帖なんてはじめって知ったくらいで思い入れが全くないんだよね。
べっぴんさんは戦後、ヒロインの元となる人が(名前忘れたわ)子供服売り場のチェーンん店を展開するみたいです。大阪のほうでは有名みたいだけど関東地区の私には誰?このおばさん??としか感想がありませんし、なんかモチーフ朝ドラはもう胸焼けがする。
モチーフにするならもう少しさ、世間が知っている人を出せと言いたい。マイノリティーすぎるぞNHK、そしてもうモチーフものはやめろと言いたい。うんざりだ。
ちょっとマンネリ化していると思う。
次の子供服のファミリアというメーカーは、服の生地もよく、デザインもチャラチャラしてないシンプルな服が多いと思うけど、どうでもいいことかな。
とと姉ちゃんはあと少しだけど、花森さんの戦争中の暮らし・・は読んでみたい。
とにかく朝ドラも、同じようなものはやめて欲しい。
つーか、服関係だとカーネションが出てくるんじゃないの?カーネが!カーネが!と感想欄で発情した猫みたいに鬱陶しいのが現れそうですね。服の話で大阪制作だと丸かぶりだよ。なんかこの企画を持ち出してきた人間はカーネーションにあやかろうとしているのが見え見えで意地汚いよ。
こんなスレがあったとは知らなかった。
知らない訳ないでしょ。
本当に知りませんでした。あるスレを探していて偶然見つけました。
史実はまとめて書いてあるスレがあると参考になります。
大河は特にそうです。
んな訳ないでしょ。
お茶の間を荒らすのはいい加減にして下さい。
あなたの機嫌を取る為にどれだけの人が苦労してると思ってるんですか。
あなただけのお茶の間じゃありません。
機嫌を取る為に→機嫌を損ねない為に、の間違い。
スレを荒らしてすみませんでした。
私は良いスレを見つけたと思いました。
感想に今後の展開が想像出来る史実が書き込まれてるとネタバレを読んだときみたいにがっかりします。
史実は感想とは分けて書いてくれると有難いです。
もういい加減茶番劇はやめにして下さい
先日から本スレが賑わっている?ので、実在した牧野富太郎に興味を持ち、↓の記事を見つけました。
https://mutokurinews.com/makinotomitaro-kodomo13nin-1515
牧野富太郎、妻の寿衛子に子供13人、なぜ多産か?その理由は?
https://mutokurinews.com/makinotomitaro-futarinotsuma-1255
牧野富太郎の2人の妻、前妻の存在はなぜ隠されたのか?
↑を読んでたら、寿衛子の結婚話のときに妾エピを出してきたのは、前妻「牧野猶」の存在を割愛?した代わりだったのじゃないかと思えてきました。
今で言えば、寿衛子は略奪婚状態。
当時は、お家事情も絡んだ親公認の略奪婚で、現代でよくある三角関係のようなドロドロしたものではなかったのかもしれませんが。
それと、90歳を越えてストリップに通っていたというのも、
最初に挙げた記事に書かれてるように、もし富太郎が、
『人間も植物と同じように、絶え間なく子孫繁栄のために、繁殖活動を行うべし』
と考えていたのだとしたら、その一貫としての行動だったようにも?
また、富太郎の著者『植物知識』の中には、
【結婚した以上は、子どもをつくること。子を生さないのは、その義務を怠っていて、それは「人間社会の反逆者であって、独身者はこれに属するといっても、あえて差し支えはあるまいと思う」】
というような、現代でこれを発言したらどれだけ世間から叩かれるか、政治家なら更迭騒ぎになりそうなことも書いているようで、私自身も、流石に「独身者はこれに属する~」の部分は、いや、差し支えあるでしょ!とは思いますが、そういう感覚で生きていたのであれば、ストリップに通っていたのも納得がいきます。
結論として、リアル牧野富太郎という人に関しては、現代の感覚だと批判する人がいても仕方ない人物だったようにも思います。
ただ、「らんまん」の本スレはドラマのスレでもあり、ドラマを語るところなので、ドラマじゃなくてモデルとなった実在の人物についての批判が続くのはどうなのかとも思います。
既に亡くなっている人でもあり、故人に対する批判は、犯罪を犯した訳でもない限り、第三者があれこれいう必要もない気が私はするんですが。
※なお、引用した記事内容がどこまで正確な事実を書いているのかも全く分かりませんので、ここに書いたことは話半分に読んでくださいませ。
主人公の実在モデルに興味あれば、自分で調べますから。
別に誰かに教えようと思って書いてないので。
自分が調べたくて調べて、自分が思ったことを書いてるだけなので。
自意識過剰です。
そうか、ここは誰かに教えようとして書いてる内容が多いんですね。
ドラマの放送情報とか。
だから、一々御礼を書いてたりする人がいるんですね。
御礼やリアクションが欲しくて、何かを教えようとして書き込みする人もいるでしょうが、私はそうではないので。
他人が考えることは自分と同じだと思わないで頂きたいです。
仮にもし、45さんが↑に書いたように御礼等を書いている人であれば、ですが、御礼を書いたり要らないと書いたり…45さんの為にお茶の間のスレが存在している訳でもないし、45さんの為に人が投稿している訳ことも添えておきます。
45さんの為に人が投稿している訳ことも添えておきます。
↓
45さんの為に人が投稿している訳ではないことも添えておきます。
自分中心が過ぎます。
牧野富太郎著『植物知識』には、植物を人間に例えて書かれた部分があり、牧野氏の個人的な価値観がうかがえます。専門書として違和感なく読める人もいると思いますが、一部、読む人によっては傷ついたり受け入れがたかったりするような内容が書かれているところがあります。
そこをすくった上でドラマを見ると、万太郎の描いた植物図が妙に生々しく見えてきます。
ちゃんねるレビューの話478です。
意見投稿するのにあのスレを選んだのは、ドラマの感想が書けるスレだったからですが、字数オーバーになり、感想が全部入りきりませんでした。
なので、続きをこのスレに書きます。
ばけばけの史実に関する話でもあるので。
【ちゃんねるレビューの話478に書いたドラマの感想の続き】
そう言えば、熊本でのイセさんのエピ、トキが感情を昂らせて倒れる場面があるけれど、トキのモデルのセツさんは、感情が高ぶるとそのまま倒れてしまうことがよくあったらしい。
熊本でどうだったかは分からないけど、セツさんの息子さんの一雄さんが著書に書いているそうで、セツさんが倒れると、ハーンも子供達も女中さんも、また倒れた…のように、セツさんの身体を支えたり介抱したりの役割分担が出来上がっていたと書いているそう。
私は一雄さんの著書はまだ読んでなくて、とある記事に引用されている部分を読んだだけ。
息子の目から見た両親の姿は、世間的な目で捉えたセツやハーンとは、また違っているみたい。
で、そのセツさんがよく倒れていた…という話を読んだのは、ある新聞社のネット記事で、その記事には、一雄さんの著書から引用した幾つもの文から、失礼にも “セツさんはヒステリー気質だった” という捉え方で書いていて、私がその引用文を読んだ限りでは、随分短絡的でキャッチーな内容を書いてるように思えて、凄く嫌な気持ちになったので、
僭越ながら、私の解釈も書いておきます。
セツの怪談語りという協力を得て、ハーンが書いた「再話文学」。
それは、セツの類い稀な「語りの上手さ」があったからだと、幾つもの関連本でよく指摘されている。
で、語りの上手さは、セツに限ったことではなく、フミのモデルであるトミも上手くて、セツの語りの上手さはトミ譲りのものという可能性が高いそうだ。
そして、それを読んだ私は、もしかしてセツさんは憑依型の女優さんに近いものがあったのでは?と想像している。
女優さんに時々あるように、セツの言動は、時々とてもエキセントリック。そして、情熱的。
最初の夫・為二が出奔したあと、居場所を突き止め、何度も手紙を書き、最終的に大阪まで追いかけていって戻ってきてくれるように懇願。
しかし、冷たい言葉を浴びせられて、帰り道、橋の上で川に飛び込もうと考えたセツさん。
実際に、どういうやり取りがあったのかは分からないけど、思い詰めると桁外れの行動をしてしまう一面とか、もしかしたらあったのかも?
冷たい言葉を浴びせられた、とだけ聞けば、何て酷い男!と思ってしまうけど、何通もの手紙を無視していた為二は、俺のことは諦めてくれ、忘れてくれ、と思っていたかもしれない。
もしそう思っていたとしたら、冷たい言葉で追い返すしかないかもしれなくて、後の人(や他の人)が為二を一方的に悪く考えるのは、違うかもしれない…とも思ったりして。
セツさんが子供の頃から働き詰めに働いて、家族の為に物凄く一生懸命だったことは間違いないだろうと思う。
ただ、その一方で、それだけの意思の強さとパワーもあったのだと思うと、感情が高ぶると、そのままそれが高じて、自分の世界にトリップしてしまうことがあってもおかしくないような気もする。
ヒステリー気質というよりは、まるで憑依型の女優さんのように。
勿論、これは単なる私の想像。
セツさんの怪談語りが物凄く上手かった、ということから想像してみただけ。
セツさんは、東京に行きたいとずっとハーンに言っていたらしい。
都会にある色々な珍しいものに興味津々でいたのか、働き詰めだった子供時代の反動で華やかなものに憧れがあったのか、それは分からない。
ただ、何となくだけど、よくあったという感情の高ぶりも、様々に想像の羽を広げ過ぎた為に、1人で感情が高ぶり、遂には倒れてしまい、家族はまたかと介抱する…ような感じだったのかも?と、想像することも出来ると思う。
実際のところは分からないけど、熊本編のイセの呪いを解こうとして、段々自分の世界に入っていき、遂に倒れてしまうトキの演技…
モデルのセツさんもあんな感じで倒れていたのかもしれない?と、思ったりもします…
あのシーン、脚本家の創作だと思ってドラマを見ていたけど、もしかしたら完全な創作ではなかったのかも?
大した史実のねたばらしではないのですが、「風、薫る」のりんの父のモデル・大関弾右衛門のことを調べていて、
弾右衛門が亡くなった年が史実では1976年で、ドラマの1話冒頭のテロップが1882年(明治15年)であることから、え?史実ではりんのモデル和がまだ子供の頃に亡くなった?と、調べ始めたところ、
ドラマの登場人物達は、史実よりも6年あとに存在してる?生まれてる?設定に変わっていることに気付きました。
りんと直美のモデル、大関和と鈴木雅は、共に1858年生まれ。
ドラマの明治15年(1882年)には、2人とも24歳になっている筈ですが、多分まだそんな年ではなく。
ドラマの信右衛門が亡くなったのは、多分、1話冒頭テロップのように1882年(明治15年)でしょうから、信右衛門が実際より長く生きたということではなく、りんも直美も、それに合わせて、生まれた年が史実より6年あと、という設定になっているのだと思います。(つまり、今の2人は18歳設定)
2人の境遇も史実とは違っているので、生まれ年が6年あとの設定でも脚色の範疇だと思いますが、この「6年あとの年代」という設定、何か意味があったりするんでしょうか。
明治・大正時代、6年違うと、何が違う?
何か、戦争関係? それとも、法律とか病院の状況の関係?
りんのモデルの和は、昭和7年に亡くなっているので、ドラマで死亡年齢を同じにするとなると、昭和13年に亡くなることになります。
昭和13年は、日中戦争の長期化で国家総動員法が制定された年。
でも、それとの関係ではないと思うのですが…
大関和の生年月日は、1858年5月23日。死亡年月日は1932年5月22日。
鈴木雅の生年月日は、1858年2月9日。死亡年月日は1940年6月11日。
6年あとに生まれた設定に変えると、
2人は1864年生まれ、死亡年は、其々、1938年と1946年。
ナイチンゲールの生年月日は、1820年5月12日。亡くなったのは、1910年8月13日(90歳)で、ナイチンゲールとの関係でも無さそうだし、
強いて言えば、鈴木雅をモデルにした直美が、終戦を見届けて亡くなることになる、ということぐらい?
この「6年あと」設定、何かストーリー上の意味がある気がして気になっています…
あ、史実の弾右衛門さんの死因は流行り病だったらしく、治療というより、和の母が拝み屋というところからお札をもらってきての療養で、あっけなく逝かれてしまったらしく、和さんはそれを悔いていたという話を読みました。
弾右衛門さんが亡くなった当時、和さんは18歳。
ドラマではコロリ。りんは何も看病出来ずにあっけなく…という部分が同じでした。
弾右衛門さんが仕えていた藩主が自殺だったというのも史実らしく、事故や暗殺設もあったようですが、後に「父から聞いた」として、和さんやお母様が証言してるそうです。
因みに弾右衛門さんは、武士を止めたあと、帰農しようとするも上手くいかず、一家で東京に移り、商売を始めるも、それも上手くいかなかったらしい。
ただ、家老時代は他の藩にまで評判が伝わるほどの有能な人だったそうで、進歩的な考えを持ち、女性にも学問が必要と常々言っていて、それが和さんに大きな影響を与えたということを、和さん自身が語っていたそうです。
モデルの方と6歳ずれてるのは大山捨松との出会いや交流が描かれるからではないでしょうか?
ドラマの2人の出会いとこれから描かれるだろう交流はフィクションでしょう。
レスありがとうございます✨
捨松が帰国したのが明治15年なので、物語の始まりをそれに合わせたのか、
捨松が鹿鳴館でバザーを開いて看護婦養成学校の為の寄付金を募り、多額の収益を得たのが明治17年6月。
その寄付金を共立病院に渡し、その資金をもとに、2年後の明治19年、日本初の看護婦学校・有志共立病院看護婦教育所が設立されたそうなので、
その看護婦教育所の設立年あたりに、りんや直美が看護婦を目指す?目指してる?流れを考えているのかも?なんて思ったりしました。
りんのモデルの和は、看護婦を目指す前に結婚して子連れで離婚してるので、その話をドラマに入れるとしたら、これから結婚して子供を産んで離婚もしなくちゃいけないので(←何という言い方!)
その話にも何年か必要。
それで、6年あとに生まれた設定にしたのかも。
53のレスを読むまで、直美がアメリカに行きたがっていることを描いていた今朝の回を見て、
もしかして、何かの戦争で直美が戦地に行く等の従軍看護婦になり、りんは日本で看護婦として働き、その戦争の年度の関係? とか、想像してしまってました💦
で、私の想像は更に続き……
従軍看護婦となった直美が「戦場で負傷した人に敵も味方も関係ない」と、クリミア戦争でナイチンゲールが言ったようなことを言うとか、第二次世界大戦の終結を見届けて、やっと平和な時代が…と言って直美が亡くなるとか…そんなことが頭に浮かんだりして💦
捨松が看護婦教育に携わった人であること、私は全然知らなかったので、53を読んで調べ中。
捨松、明治20年には「日本赤十字篤志婦人会」の発起人になり、寄付金集めなどを行うとも書いてあったので、赤十字の活動などもドラマに入れてくる可能性もあるのかも?
ドラマの展開を想像する楽しみが増えました。
ありがとうございました✨
この後、片岡鶴太郎さん演じる勝海舟も出ます。脚本の吉澤智子さんは八重の桜も少し書いてるようで、このあたりの歴史を知ってる方ではないでしょうか。
「ブラッサム」
珠の父が本日放送回で亡くなったので、珠のモデルの宇野千代さん、父親のモデルの宇野俊次さんのことを宇野さん自身が書いている著書が転載されているネット記事等を読み始めた。
読んでみたのは、「PRESIDENT Online」「PRESIDENT WOMAN Online」に掲載されていた宇野さん著書「生きていく私」他、の抜粋記事と、「NPO 宇野千代生家」というHPにある記載等で、とりあえず、父親の俊次さんが亡くなるあたりまでを幾つか読んだ。
読んでみたら、ブラッサムにあったエピソード、どこをどう使って、どこをどう変えたのか、結構興味深かった。
細かいことは、著書(記事?)を読めば分かるけど、宇野さん自身が、84才になって父親のことを振り返ったとき、父親のことを自分だと思いギョッとしたという、その部分が印象的。
千代さんは、俊次さんの破天荒?放蕩無頼?な生き方を、自分が受け継いだと捉えているらしい。
千代さん自身が俊次さんのことを書いた部分を読むと、ドラマの清治はかなりソフトに描かれていて、実際はドラマよりも放蕩無頼だったよう。
それでも、俊次さんの「やってはいけないことへの制限を持たない」生き方は、自分も同じように生きてきたと感じたらしい。
ドラマで描いていた父・清治は、これから先の珠の生き方のベースになるものだったようで、だからこそ、清治を描くことに2週の尺をとったのだろうと思う。
因みにドラマで描かれた、亡くなる前に包丁を振り回して大立回りをするエピは、実際に基いている。
珠が叔母の長男と結婚し、婚家から実家に戻るエピも、実際にあったことで、実際では千代さん13才のときに学校道具と身の回りのものだけで嫁ぎ、10日で家に戻っている。
(戻った時、俊次さんは何度も血を吐いて寝込んでいたらしく、亡くなったときに付いていた、俊次さんが療養していた病名は "十二指腸虫症" なのだけど、血を吐いていたことから、近所では肺病と噂されていたと千代さんは書いている。まぁ当時の医療状況的に、病名として診断されていない病気があった可能性もありそうに自分は思うけど、一応、このスレ的に、推測は止めておく。)
結婚相手の長男は、女性宅に毎晩泊まり、千代さんを嫌いだと日記に書いていたらしく、その日記に書かれていたことが「いらん」という台詞になったよう。
ヒヨコ丼エピも、俊次さんの都市伝説的に語られていたことのようで、"都市伝説" が本当にあったことなのかは、千代さん自身は懐疑的のようだけど、都市伝説が生まれるくらいの人ではあったらしい。
ただ、興味深いのは、俊次さんの後妻に入ったリュウ(ドラマではリョウ)さんは、嫁いだあと、一度実家に戻ったらしいものの、
(カナリアを逃がした件は、私の読んだ中には書いてなかったので、創作? カナリアは実際に飼っていて俊次さんも大切にしていたらしいけど、1羽ではなかったようで、俊次さんが亡くなったあともカナリアは宇野家にいたようで)
リュウさんは、俊次さんの放蕩無頼ぶりを自慢気に話すこともあったそうで、リュウさんも千代さんも、俊次さんのことを嫌いとは思っていなかったことが窺える。
俊次さんが亡くなったとき、千代さんは号泣しながら嬉しい部分もあったそうだけど、その嬉しさは、これからは父から制限 (家で、はしゃいだり笑ったりしてはいけない、外に遊びに行ってはいけない等) を受けない生活が出来る、ということだったようで、亡くなったこと自体が嬉しいのではなく、これからは自由に過ごせる、制限なく生活出来る、ということのようだし。
時々、好き勝手に生きていて周りに迷惑をかけ続け、振り回しているにも関わらず、人から嫌われないタイプの人がいるけれど、俊次さんもそういう人だったのかも?
それか、凄く ”イイオトコ” だったとか?
尤も、写真も肖像画も一般公開されてないそうなので、容姿や雰囲気、全く分からないけれど。
あと、実際の俊次さんは、カナリアだけでなく、馬や他に飼っている動物や鳥、自宅の広い敷地にある果物の木や野菜等の世話もよく行っていたらしく、家で家族団欒とかの笑顔は見せることがなかったそうだけど、鳥や動物、果物や野菜等の世話などでは良い顔を見せてもいたらしい。
また、博打が好きで、都市伝説的に語られているヒヨコ丼エピも、その店の人と結託?してやったそうだから、家では笑顔を見せなくても、外では違っていたようで。
私が読んだ中には、俊次さんは、花街(色街?)では「ひょうきんな遊び人」だったという記載があった。
ただ、後妻のリュウさんも5人の子どもを産んでおり、妻や女性を傷付けるような遊び方はしてなかったのかもしれない?
まだ軽く読み始めたばかりなので、分からないけど。
(御存知の方がいたら補足をどうぞ。)
とりあえず、妻子が俊次さんを嫌ってはいなかったことを考えると、俊次さんをモデルにしたドラマの清治について、ドラマの視聴者である自分が、必要以上に清治を悪く捉えることもないのではと、千代さんの著書を軽く読んだ限りでは思ったりする。
(千代さん曰く、「バルザックかドストエフスキーの小説の中にしか出てこないような奇人か狂人」ということだけど、奇人や狂人ということと、人から嫌われる人かはまた別問題のような気が。それに、人から嫌われるタイプの人を「ひょうきん」とは呼ばない気も。バルザックもドストエフスキーも、「罪と罰」とか「谷間の百合」とかタイトル位しか知らない者の意見ですが💦 だって、分厚くてしっかりとした装丁の本に堅苦しいタイトル、勘弁!と思ってしまって読む気になれなかった少女時代💦)
ドラマでは、珠に対する思い入れが強いように描かれているけど、実際もそうだったのかは、今日読んだ部分だけでは分からなかった。
ただ、千代さんは相当成績が良かったようで、その千代さんを人に自慢する為に連れ出すこともあったとか。
俊次さんにとって、千代さんが自慢の娘であったことだけは間違い無さそう。
因みに、私はドラマも映画?も見たことがないし、話もよく知らないのだけど、「おはん」という作品のおはんのモデルはリュウさんらしい。
「おはん」の小説を読んでみれば、もう少し、俊次さんの実像に近付くことが出来るだろうか?
小説なので、あまりアテにはならないかもしれないけど。
56を書いたあと、後年の千代さんが、「生まれ変わっても、またこの父に育てられたい」と、自伝的小説「或る一人の女の話」に書いているとの情報を得て、23頁分あったその小説の試し読みをしてみた。
(因みに、千代さんの著書「生きていく私」も、冒頭60頁分の試し読みが出来る)
「或る一人の女の話」は、千代さんの名前が一枝となっているけど、書いてある内容は (ほぼ) 実際のことのようで、自伝エッセイの「生きていく私」に書かれていることと同じことが、もう少し詳しく書いてあった。
小説形式なので、実際のことも書きやすかったのかも?
その中には、17歳で一枝の家に嫁いだ色白の美しい女性に対し、一枝の父は日に何度も「頓馬」と言い、その女性はよく泣いていたという記述がある。(”頓馬”は本当に言っていた口癖だったのかも)
で、夜中、一枝が普段聞いたことがないような優しい声で、父はその女性を宥めていたという記載も。
冒頭23頁分しか、試し読みでは読めなかったので、本の購入を考えているところだけど、ブラッサムでの清治の下敷きになっているのは、千代さんの著書に記載されている厳しいだけではない父親の姿なんだろうと思う。
放蕩無頼ぶりは、やはりドラマ以上だったようで、一枝(小説の中の名前で書いておく)の父は次男だったものの、長男の足が悪く、常に座位で過ごしていることもあり、誰もが一枝の父が家督を継ぐものと思っていたが、兄に家督を譲り、自分は家を出て定住をせず、あちこちふらふらと放蕩無頼の限りを尽くし、一枝が産まれた川西の家に落ち着いたのは40代になってからと書いてある。
(ドラマに出てきた清治と清重の家督の話は、この辺りから作られたもののよう)
花街での遊興もよく行っていたようだけど、一枝を連れていくこともあったとか、父が博打で逮捕されたときに迎えに行ったのは一枝と弟だったとか、逮捕・勾留された父の姿は、法律を侵したような(悪いことをしたような)人間には見えなかったとか、酒や肴を買いに行かされるのは何故か母ではなく自分で、お店の人からは「可哀想」と言われているけど、自分は可哀想ではないから可哀想と言われることが嫌だっただけだとか、店にある酒の肴を父はいつも知りたがったので、店にあった肴の名前を唱えながら帰ったとか、劇中のエピが次々と出てくる。
(購入する酒の肴は店に置いてあるものから決めていたようで、唱えるのはドラマとは逆の帰り道だけど)
まだ試し読みの段階なのだけど、「生きていく私」と「或る一人の女の話」を読んでいると、千代さんにとっての父は、横暴な父というより、家庭の中に於て、絶対的な君主としての捉え方に思える。
千代さんにかける言葉は、いつも「命令」であり、千代さんは、その「命令」に忠実に「はい」と従うことを当たり前と捉えている家臣か何かのように感じる。
千代さんは、その「命令」の内容に疑問を持つことは全く無かったようで、命令を完璧にこなすことに喜びを感じていたかのような記載もある。
父の放蕩無頼ぶりについても、家族だけでなく、周囲の人も、「畏敬を持って語る」と、両方の著書に出てくる。
娘への言葉は、一言の命令。雑談などはしない。
で、その命令がどんなことであっても疑問を持たすに従い、完璧にこなそうとする娘。(実際、完璧にこなしていたらしい?)
人々は、父の放蕩無頼ぶりを畏敬を持って語る。
もうこれって、まるで王様💦 絶対的君主💦
「ブラッサム」では、清治を演じた渡部篤郎さんが持つ雰囲気や佇まいが良くて、(少なくとも自分には) 何となく惹かれる謎めいた人物像に見えていた、と私は思っていたけど、もしかしたら、実際もそういう人だったのかも?
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