




![]() |
5 | ![]() ![]() |
380件 |
![]() |
4 | ![]() ![]() |
97件 |
![]() |
3 | ![]() ![]() |
104件 |
![]() |
2 | ![]() ![]() |
69件 |
![]() |
1 | ![]() ![]() |
645件 |
合計 | 1295件 |
自分がらんまんを見始めたきっかけは、田邊教授でした。
ネットニュースで「わたしのものになりなさい」の台詞が取り上げられていて、それで興味を持ったんです。
で、どんなキャラなのかとドラマを見始めたのは、もう田邊教授が万太郎を追い出してからのこと。
そこから、ドラマと平行して田邊教授が出演するようになってからの回の録画を遡るように見て、史実を調べたりして、帝大パートを見ながら、牧野富太郎や矢田部良吉等のモデルに興味を持ち、という経緯。
らんまんの最初からの土佐編等は、田邊退場後、最終回までの間に録画視聴しました。録画は最初からしてましたので。
なので、最終的には全部見てますが、私のらんまんの視聴順は順不同なんです。
一番興味があったのは、ドラマでは田邊パートであり、植物学や当時の時代背景。そして、史実。
だから、ドラマの創作部分にはあまり興味がなく、ドラマ中の万太郎や寿恵子にも興味が持てないままで、ドラマに入り込めなかったのかもしれません。
史実の方はかなり面白くて興味津々に調べまくりでしたから。
最初から順を追って視聴されていた方々と視聴スタンスが違ったのは、多分、その為。
植物学が話に関係して来なかったパートは、殆ど興味が持てないままに終わりました。
最初から順を追って見ていたら、また違ったのかもしれませんが。
私は、自分がそれまで全く知らなかった植物学の歴史?の方に興味があったんです。
当時、富太郎が帝大に出入りするようになった頃、まだ名前の無い植物が一般的だった頃、そんな時代に、日本中の植物を知りたい、調べたい、それも自分の足で歩き回って調べたいと思った富太郎は、本当に稀有な存在だった訳で、らんまんは、そんな富太郎自身のことを描こうとするドラマなんだと、私は勝手に期待しました。
植物学の世界で、牧野富太郎がどんな風な存在だったかも描いてくれるのかな?とも。
でも、田邊パートが終わってからは、そんな話は全く出て来なくて、私にはあまり興味のない話ばかり。
最終週で標本整理の話が出てきたときに、また少し期待しましたが、単なるお二人のサプライズ出演で終わってしまい、最終回でのラブストーリー的な終わり方には、本当にがっかりしました。
だから、何がそんなに良かったのか、最終回で感動したという感想を読んでも疑問ばかりでした。
話がご都合主義とか、あちこちすっ飛ばしとか、そんなことは私にとってはどうでもいいことだったし、問題とも思ってなかったです。
ご都合主義は目を瞑るし、あちこちすっ飛ばしは脳内補完の楽しみがありますから。
結局、私にとっては、興味のない内容を主軸として描いていたドラマだったということなんだと思います。
少女漫画風とか、純愛とか、そういうものは、少なくとも私は、らんまんには全く求めてなかったので。
別にあっても構いませんが、そういう内容は、殆どどうでもいいことのように思って見ていたんです。
田邊パートと史実への興味が、らんまんへの入り口だった私にとっては。
ドラマの何に興味を持って見ていたかによって、この作品の評価は全く違ったものになるんですね。
何故、らんまんを良いと思う人がそれなりに多くいるのか、私にはさっぱり分かりませんでした。
ようやく分かりました。
私とは、全く別の部分を話の主軸として見ていたんだと。
私が、どうでもいいことととして流して見ていた部分を、一番大事な部分として見ていた方々。
逆に、私は多分、そういう方々がどうでもいいこと?話の主軸ではないこと?ととして(流して?)見ていた部分にこそ、主眼を置いて見ていた訳で。
最終回の終わり方、話の閉じ方を考えると、きっと、私の見方の方が、このドラマには合わない見方だったのでしょう。
田邊パートから入ったのが間違いでした。
でも、長丁場の作品。
どこから見始めるかは其々な訳で、本当は、どこから見始めても、誰でも同じように楽しめるような作品であるべきなんじゃないか?
とは思いますが、これは途中から見始めた者の愚痴にしか過ぎないんでしょうかねぇ。
一応は、順不同ではあっても、全部見たんですけどね。苦笑
2023-10-10 06:31:56の追記。
ようやく色々とスッキリしました。
やっと、らんまんの録画をディスクに落として仕舞えそうです。
ずっとHDDの幅を取っていたのですが、中々仕舞えなくていて。
2023-10-09 21:00:07を書いて下さった方、ありがとうございました。
とても参考になりました。
あ、2023-10-09 21:47:37を書いて下さった方もありがとうございました。
2023-10-09 21:00:07の内容と合わせて、色々なことが府に落ちました。
純愛、少女漫画。
この2つが、私がらんまんという作品の本質?を理解したキーワードでした。
私がらんまんにハマれなかったのは、きっとそれを綺麗に無視して見ていたから。
そういう作品とは、昨夜まで全く想像もしていませんでした。
そうならそうと、それらしいキャッチコピーを付けて欲しかったわ。
神木隆之介主演で、
『春らんまんの明治の世を 天真らんまんに駆け抜けた― ある天才植物学者の物語』
と書いてあって、
『好きなもののため、夢のため、一途に情熱的に突き進んでいく!
春らんまんの明治の世を舞台に、植物学者・槙野万太郎の大冒険をお届けします!!
その喜びと発見に満ちた生命力あふれる人生を、美しい草花の情景とともに描き、日本の朝に癒しと感動のひとときをお届けします。
時代は幕末から明治、そして激動の大正・昭和へ ―
そんな混乱の時代の渦中で、愛する植物のために一途に情熱的に突き進んだ主人公・槙野万太郎(神木隆之介)と、その妻・寿恵子(浜辺美波)の波乱万丈な生涯を描きます。』
この宣伝から、どこをどう読んだら、少女漫画チックな純愛ドラマと想像出来るんだろう…笑
今になって思えば、田邊教授の最期を失意の中での事故死みたいに改編したのも、少女漫画チックな哀愁を誘う展開にしたかったんでしょうね。
全く納得は出来ない改編ですが、何故そうしたかの発想がどこから来たのかは理解しました。
でも、やっぱりそれだけはやってほしくなかったですが。
他のモデルの方々は、藤丸にしても徳永にしても、モデルになった方々が、多分喜ぶような改編をしていたのにと思うと、やっぱりそれだけは許せない、という気持ちだけは変わらないです。
寿恵子に関しては、果たして寿恵子自身は、自分の苦労を大々的に描いて欲しかったか?という気もするので、何も言わないでおきますが。
絶賛コメントの連続投稿は
不愉快だと非難されて控えております。
だから失礼と思いますが長文の酷評連投も
控えてもらいたいです。
人の振り見て我が振り直せと言うこともありますので
お願い致します。
多分利用者が多かった時代は、それほど気にならなかったのだろうが、今は1人で連投してるのがよくわかるくらいに利用者が減ったのです。
長文連投にしても絶賛、酷評連投にしても一つの勢力を感じてしまいます。
勢力争いの場にしたらますます書きにくくなりますので気軽に書けるスレにして行きたいと。一つの意見です。
私もそう思います。
絶賛コメントしてた方はブギウギスレで批判連投してるんじゃ何も解決できません。
そんなことどうして分かるの
?思い込みで言うのは控えて下さい。
推測ですが、誰誰さんがこういうことしてたんじゃないんでしょうか?
私は複垢使ってませんけど、全然。
というような記述が信じられるか否かでしょう。
ドラマ感想しか読みませんから別にいいですけれど。
らんまんは悔いなく終わりましたのでブギウギ楽しめています。
そんな風ですが何か?
だから憶測で書くなということ。
同じ人が書いてるんだろうなと思うような連投は、別に勢力なんか感じない。
勢力って何人もの集団を指す言葉だからね。
それより、朝ドラスレでお茶の間と同じようなことを書いて荒らしてる人達の勢力が増してきたように感じたのが舞いあがれとこのスレ。
ドラマの話が中断されるからよっぽど問題。連投の比じゃない。
勢力とか書いてる人もどうせその類い。
日本中から植物を集める苦労、それをやるためのお金の苦労がほとんど描けてなかった。
主人公が生涯植物学にまい進する人生と夫婦愛や人間愛を描いた連続テレビ小説の真骨頂だと思いました。
また感動の結末でした。二人の目標の完成した植物図鑑を見ながら、らんまん、とつぶやく夫婦に感動しました。図鑑の最後のページに載せた万太郎が見つけた新種の笹に寿恵子の思いを重ねて名をつけたスエコザサを見ながら思いを重ねる二人に夫婦愛を感じました。寿恵子は今生の別れを惜しむ万太郎に、私がいなくなっても、いつまでも泣いていてはだめですよ。草花にまた会いに行ってねと背中を押して草花がある場所でまた会う約束をした。そして万太郎がわしらはずっと一緒だと寿恵子を抱きしめるシーンに涙が流れました。ラストに流れるあいみょんさんの主題歌「愛の花」が素晴らしくてこんなにも主題歌とドラマの世界観が合ったのは類を見ないと思いました。時が流れて植物採集会で心に生きている寿恵子の励ましで前を向き、新種の植物を見つけて、おまん、誰じゃ、と目を輝かせた万太郎の笑顔のカットで終わり良かったです。
ストーリーがめちゃくちゃで分かりにくかった。
話がシンプルで分かりやすかった。
こんなつまらなかった朝ドラは初めてです。
要潤さんは まんぷくから目を付けられていたんですね。
いい味だしてました。苦味と甘味。
映画ノイズで見た神木君は松山ケンイチや藤原竜也 永瀬や黒木華 鶴田真由といった超個性派と並んでも まったく遜色なかった。この作品も脚色失敗した作品ではありましたけれど。これから シリアスな社会派ドラマ、映画に出て 熟年の神木隆之介いい味の存在感を 見せて欲しいです。
良い作品は余韻が凄いですね。色々な場面を思い出しては、らんまんの世界観に浸っております。
私が一番好きだった場面は寿恵子がドレス姿で万太郎の元に走ってきた時とやはり最終回での二人が寄り添う姿...
らんまんと出会えて本当に良かったです。
植物愛や人情や夫婦愛や恋愛など
それぞれの逸話を楽しめて
感動出来る朝ドラでした。
植物に興味を持つものにも楽しめて人間ドラマも共感で出来て
総合的には大台点を超える名作に足り得る、らんまん、でした。
植物学に一筋に励む主人公や支える妻の愛、仲睦まじい夫婦愛を
老若男女誰でも分かりやすいストーリーで描き面白かった。
だから多くの視聴者の指示を集めて高視聴率を記録しました。
ラスト1ヶ月はつまらなすぎて見るのが苦痛でした
脚本の粗さに加え神木さん浜辺さんの演技に全く成長が見られず最後までおままごとのようでした
松坂慶子さんが出ていた中盤辺りまではとても良かったのに残念です
結果駄作と言わざるを得ないですね
らんまんが感動で終わって久しいですが、万太郎を演じた神木隆之介さんは、回を重ねるごとに壮年の演技が巧くなってきた。寿恵子を演じた浜辺美波さんも表現力の才能で健気に家族や夫万太郎を見守る壮年の寿恵子に見えてきました。二人のこれまでの積み重ねた演技が生かされた朝ドラ史上記憶に残るラストシーンになりました。評論家からも有識者からも一般からも概ね絶賛でした。二人が出会って感動のラストシーンまで見せた回想の映像が神木さんと浜辺さんの成長ぶりを如実に見せていました。
こんなに涙腺を刺激した感動の朝ドラは久しぶりでした。
らんまんは植物学のためのお金の面は描かれたと思う。
峰屋は若の財布ではないとか、竹雄がもう峰屋は金を出せんというセリフがあったので
峰屋から仕送りがあったようだし。その竹雄は万太郎の為にレストランで働いていたし
主人公が妻と所帯を持つにあたり峰屋から多額の祝い金があったしそれを資金にして
石版印刷機を買った。妻は夫の植物学や家計の為に叔母の料亭で働いていたし
待合茶屋を開いて金を稼いでいたり万太郎は植物学雑誌自主出版の収入があったし
大学講師になり月給をもらい植物採集費は大学から出ていたし岩崎財閥や関西の
資産家から支援金が出ていたし妻の菊比べで気に入られ岩崎財閥の
支援金で渋谷で待合茶屋を開きその土地を実業家が5万で買ったり植物学をやるための
お金の面は描かれたと思う。もしかしたらこれまでの朝ドラ中でらんまんが意外と一番
お金の面は描かれたかもしれない。
全てご都合展開で投げっぱなしで押し通した酷い駄作でした
高知編で地道に描いて東京編で開花させ全体的には秀作でした。
残り一ヶ月から怒涛の展開になり見逃せなくなりました。
回を重ねるごとに神木さんと浜辺さんの俳優としての成長が著しくて
晩年の夫婦を演じた二人は下手な老けメイクしなくても壮年に見えました。
評価も視聴率も右肩上がりで感動の結末で終わり有終完美の名作になりました。
絶賛女史がいなければもっと評価良かっただろうな。
視聴率もいいのにここだけ暗いのは ファンにまで嫌われたヘビーユーザーのせいです。遺憾です。
そういうことを書く人こそ、いらない。
焦らなくても らんまんの当初と同じくらいに下がりますよ それ以下にも。同じ地区の同じ環境の人たちが観てるんだもの。
これ以上 醜態をさらしに行くなよ。哀れだよ。自分ちじゃないだろうに。浜辺の恥だよ。
誰に対して言っているのか知らないけれど、自分がしていることこそ、恥ずかしいからやめたら。
お金の面 全然わかってないですね。
そうでなくちゃ。
あなた様は、相変わらず誰も読まない所に、素敵な感想を書くんですね。
例えれば、魚のいない所に釣り糸を垂れるようなもの。
魚の群れに糸を垂れる私にはその気持ち分かるはずないよね。
ちなみに、私は「田邊教授は自殺だろう?」って書いて、かなり反響があったんだけど、あなた様の意見が聞きたかった。
土屋太鳳 剛力彩芽 浜辺美波
御三家 ファイツ
>2023-10-11 21:08:41
田邊の死に関しての感想。
ドラマの描写だと、自殺を疑うような描写になっていたと思います。
藤丸や波多野の台詞で視聴者にそう疑わせ、でもそんなことをする人ではないと、聡子の台詞で思わせる。
蔵書を渡すように聡子に伝えた台詞も、田邊の遺言と捉える人がいてもおかしくない描き方でした。
聡子の台詞で自殺説を一応否定してはいますが、大学関係者の弔問お断りという部分からは、非職にした大学を恨みに思っていたのでは、(自殺か事故かはハッキリしないが)田邊は失意の中で亡くなったのではないか、と視聴者に感じさせるような、あざとい脚本だったと思います。
史実とは全く異なる改編で、らんまんのストーリーの中で一番許せない部分です。
当時書いていた怒りの感想を幾つか挙げておきます。
2023-08-22 23:01:41
2023-08-23 12:24:11
2023-08-23 12:44:17
万太郎が田邊の死を知る直前に、藤丸が万太郎を訪ねてきて、田邊が大学を去ったあと、徳永が田邊色を消そうとしていることが伝えられ、寂しくやりきれないような気持ちを語ります。
一連の流れから、脚本家は田邊を悲劇の人に描きたかったように私は感じますが、モデルの矢田部は、非職後、植物学とは離れて、今の芸大等で仕事をしながら、音楽教育の重要性を説き、親しみやすい唱歌・校歌等の推進を提唱する等、他の分野でも精力的に活動し続けており、それらの活動からは、彼の人生は植物学だけではなかったことや、常に改革を考えているような、前向きな性格が窺えます。
史実では、溺死したのも、非職後8~9年経ってからで、帝大非職とは全く関係なく起きた、不運な事故でしかありません。
事故現場には息子さんもいて、海中の渦に足を取られて溺れ、必死に助けを求めた矢田部を救助した地元漁師や、心肺蘇生を行った医師の証言もあります。
ドラマの改編、その場にいた彼の息子さんや家族、親族等が、どのように感じたかを考えると、私には到底許容出来ません。
今日も酷評家が大暴れ。
追記ですが、感想は釣糸じゃありません。
感想は置き土産です。
置き土産は、誰もいない部屋の片付いたテーブルの上にそっと置くものです。
気付いた人に「宜しければ召し上がって下さい」というつもりで。
気付いても食べたくない人は気付かなかったふりをしてくれることを願いながら。
職場とかで、どこかに行ってきた人や来客が持ってきたお菓子が置かれていることがありますが、食べたい人がいたら食べるでしょうし、食べたくない人なら、誰かにあげてしまったりしますよね。
お菓子を持ってきた人も、立場上だったり、義務感だったりと、それを皆が喜んで食べてくれるかどうかまでは一々考えずに買ってくることも多かったりして、「お土産」という形を示したに過ぎないこともあり、謂わば「置き土産」は、自己満足で置いて置くものです。
感想もそれと同じ。
書いてそこに置いておくことでの自己満足。
食べるも自由。食べないのも自由。その人がそこにいなければ、捨てるのも自由。
それが、自己満足の「置き土産」。
自分にとって、こうした場所に書く感想は、そうした自己満足の置き土産です。
このドラマを拝聴させて頂きました。という置き土産。
魚の群れは必要ありません。
>今日も酷評家が大暴れ。
質問されたのでレスをしただけです。
興味ない内容なら構わないで下さい。
自分のらんまんの感想は2023-10-10 07:22:34で既に終わっています。
今の自分の感想を書き終わったこのスレに、いつまでも書いてる趣味はありません。
レスが付いてるようだから、レスを返した。それだけです。
終われない方々が沢山いるようですが、私は終わっています。
煽りや中傷は違反です。
あ、他人の置き土産に一々文句を付けるのも、付けてる人の神経を疑います。
要らないなら気付かないふりをする。
それが常識的なマナー。
既に置いた置き土産と同じものを次々と置き続けていくのは、置き土産なんかじゃなく押し付け、或いは宣伝。
迷惑なものを押し付ける人は、どこでも嫌がられるし、出入り禁止になります。
ルールを守らない人も、出入り禁止になるものです。
史実では、富太郎の帝大出入り禁止は、帝大のルールを守らなかった為としている人もいます。
学生でもなく職員でもない富太郎が、大学研究室の資料を大量に自宅に持ち帰って私物化したり、研究室を散らかし放題に使っていたとか。
それが事実ならば、矢田部が富太郎を出入り禁止にするのは当たり前。
このドラマは、富太郎が書いた自叙伝を元にした内容になってるようですが、富太郎の自叙伝は主観的に書かれており、客観性に欠けています。
自分の主観だけで書かれた内容を全国放送のドラマにそのまま使うことは、富太郎の主観が事実だと誤解する視聴者を生みます。
そこも、私がこのドラマに懐疑的になる理由です。
終わってるなら、もう終わって下さいな。
くだらない絡みこそ終わりにして下さい。
大体、違反です。それを分かってて絡んでるんですよね。
荒らしは無視でしたよね。では、さようなら。
追記。
ブギウギでも随分絡んでるようですが、大抵、人を間違えて絡んでます。
皆さんのご迷惑でしかありませんからお止めになった方が宜しいかと。
更に皆さんから叩かれるだけですよ。
老婆心ながら。
毎日同じことを長文で何度も投稿して煽るのは控えてほしい。
利用規約
連続投稿によりレビューの方向性を誘導する行為。
誰が絡んでるのか分からないくせに、何を勝手なこと言ってるのかしら。
迷惑はそちらさま。
らんまんは悪人は一人も出てこない
根は良い人ばかりです。その一人
田邊教授が好きでした。
万太郎と価値観の違いからの軋轢もあったが
元々同じ植物愛で繋がった同志
直に和解できず事故で帰らぬ人になり悲しかったが
聡子に田邊の思いを託した蔵書を送ることにより
田邊の植物学のバトンが万太郎に渡され
感動しました。
第44回
高藤家のサロンで行われた音楽演奏会で、万太郎と寿恵子が
別室で二人だけで会ったときの万太郎の言葉が印象に残った。
クララが歌った内容を寿恵子に説明する。
The Last Rose of Summer 最後の夏の薔薇は
夏の終わり他の薔薇は枯れていって最後に一輪だけ残った
情景を歌った歌だが、きっと別な意味がある、
『愛する人を失って誰がたった一人、生きられようか』
愛する人を失った悲しみの意味だと万太郎が寿恵子に語るが
これは万太郎と寿恵子の今生の別れとスエコザサを
彷彿させて切なくなった。
スポンサーリンク