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朝から てぬぐいとふんどしに爆笑
アナタ シダのお人でしょう 面白いわ~
みんな自分の生きる人生に必死で誰もが初めから世のため人の為に
やっている人は少ないそれは建前、頑張ってやってきたことがやがて
世のため人の為になる。
寿衛さんが支えた牧野富太郎は結果偉大な植物学の父になり
残した標本や植物図鑑は研究や教育に役に立ち世のため人の為になった。
その牧野氏は寿衛さんの支えや励ましがなかったらできなかったわけで
間接的に世のため人の為になった寿衛さんは紛れもないヒロインだ。
挙げられたような女性は少なかったからこそ有名なんだよ。文筆でも与謝野晶子や樋口一葉がいるが、男性の文筆家に比べれば圧倒的に少ない。学校の創設者も男性の方がはるかに多い。何でもそうだが、女性が少数派だからこそ有名な例はいくらでもある。荻野吟子や吉岡弥生など女医もそうだが、当時女医は極めて少なかったこそ名前を残している。
有名な女性はあの頃本当にスーパーヒロインとして扱われたわけではなく、血の滲むように苦労をして生きていたんじゃないでしょうか?社会運動してた伊藤野枝は殺されたわけだし、今のように女性の地位が認められていたわけじゃないから皆が理解してくれたと思いません。
だから昔の女性が仕事をして自立しようとする、それだけでも尊敬に値することでしょう。
すえ子さんが苦労したことは確かだと思います。
あの状況じゃ紙くずレベルの荷物を運ばされる家族可哀想に。
ついに最終週か。
宮崎あおいさんは出てくるのかな
その苦労をドラマで描いて欲しかったのです。そうすれば共感出来たかもしれません。
牧野さんの特異性は 無学歴ではなく
それも関係するが 社会性
長い一生で立派な人にも珍しく
誰の下にもつかず(部下もいない)誰の上にも君臨しなかった。完全に上下関係のお付き合いをしなかった人物。
ある意味 憧れるよ~
他人と摩擦があったのは その体験をしたときばかり 教授とも対等だという態度で生きてきた。
軍隊に行かなくてよかったね
会社勤めなんてとうてい無理
団体行動? なにゆえ?
それで旧時代の植物学の先端に居れたのがめっちゃ偉大だ。
特別家族を護ったり支えたりできんでも 平等だから許されるお父さん。オタクにもいろいろあるが 鑑だな。
傲慢さは植物に関係するときだけで 交渉術もないから奥様が のちには娘が世渡りを代行してくれたのだ。
昭和の晩年は多くの仲間と植物採集をして野山を歩いていたようなので、集団行動が出来ないような人には思いません。多くの人にしたわれていたのではありませんか?あの笑顔の写真から、そんな偏屈な研究者には見えません。
二年前みなみちゃんが決まった時点で
苦労話は 避けてしまったのですね。
華やかに 目立たせないと。
新人女優なら ボロ着せて涙をこらえながら両手と背中に子を背負って生きて行ってもらったと思う。
恨んだりしない健気な女性だったのになあ。
晩年 彼を慕う方は多かったですね。植物の楽しさの伝道士だから。それも教えてやるというのではなく一緒に平等に楽しむ博士だからです。規律ある集団行動という意味であって 偏屈じゃないんです。言葉足らずでごめんなさい。上に書いた者です。
待合のあたりから自分も違和感ありました・・
架空の話でよかったけど
長屋の優しい人達に乳飲み子やその姉弟を預けて
あれ? そんなことしちゃうんだと思った・・
でも植物園や記念館で知ったことで救われた
子供から目を放さず独りでちゃんと育てようとした人だった♪
多くの子を死なせてつらかっただろうと想いを馳せた。
子どもを預けず1人で育てたということですか?
教えてください。
活動的なヒロインでした。夫万太郎と植物図鑑を作る目標を共にして寧ろ
寿恵子自身の大願にして自分の人生を犠牲にすることなく万太郎を支え
背中を押し先頭に立ち道しるべになる。夫を支えるだけではなく自分の人生も
大切にしたヒロイン寿恵子に共感した。『男の人のためにあんたがいるんじゃないの。
あんたはあんた自身のためにここにいるの。自分の機嫌は自分で取る』
母まつさんの助言を貫いたように生きました。
赤ん坊はうつ伏せになったままでも死んでしまうくらい脆い存在。当時は子供のことだけに構っていられなかっただろうから、今とは比較にならないくらい事故死もあったことだろう。記録など残っていないが、今の様に親が罰せられたりはしなかったはずだ。今は状況によっては保護者義務を怠ったとして犯罪者扱いされかねないが。
夫の仕事や家族のために待合をやる。
こういう道を選んだのはすえ子さんぐらいしかいなかったでしょうから、そういう面からは同じ女性として尊敬します。
作り手は寿恵子の貧乏物語にしたくなかったそうなので、この描き方にされたようです。
苦労と言うより、寿恵子の明るさとバイタリティーが全面に出ていて、見ていて気持ち良い。
ジメジメ感も無いし、寿恵子のヒーロー感がカッコ良いね。
万太郎を支えながら、寿恵子の冒険物語として見てます。
今朝は新聞テレビ等で神宮外苑再開発反対運動の話しを見ました。牧野氏が生きていたら何というだろうと、ふと思う朝ドラでした。
半年間ありがとうございました。
史実改変のことを書いていたレスを読んで、それなら麒麟が来るの最終回は何なのよ!と思い出したり、、、
すえ子も死なないかも?若い頃の容姿に戻り、笹の精となり、マキノワールドで永遠に生きるってのもいいね。
所詮朝ドラはファンタジー。
私は貧乏物語りを見たいわけじゃありません。
失敗や貧困から幸せの道を見たかったのです。
ドラマを否定したくて書いてるわけじゃないことご理解ください。
中村屋の肉まんあんまん、ついこのドラマの癖で調べていたら、中村屋のHPに(新宿)中村屋の歴史が載っていて。
以下、HPより転載。
『中村屋は“新宿中村屋”として、新宿の地で百有余年の歴史を刻んでまいりました。創業は1901(明治34)年。東京・本郷の東京帝国大学(現 東京大学)正門前にあった「中村屋パン」を居抜きで買い取り、店名もそのままにして始まりました。』
時期的に、甘党の牧野富太郎は、帝大正門前にあった中村屋のあんまんをよく食べていたかもしれない。
明治時代は、今の老舗と呼ばれる色んな商店の始まりがあったり、色んな美味しいものが開発された時代。
ドラマになりそうな人も沢山いた。
いっそのこと、そういう食品関係の創業者を何人も登場させて、随所で其々を絡ませた壮大に美味しそうな朝ドラとか、大河でもいいけど、制作してほしいな。
中村屋も最初は夫婦で始めたらしいし、何組もの夫婦、幾つもの美味しいものの誕生秘話、複数のお店の創業物語。
当時の時代背景も描いて、明治という時代を浮き彫りにしていく。
そんな朝ドラがあったら、絶対に毎朝の楽しみになる。
飯テロドラマは、何も深夜でなくてもいい。
1日の始まり。朝から美味しそうなものを楽しむ朝の飯テロがあったら、毎日が幸せになりそう。
カレーパンの始まりも、
『起源については諸説ありますが、東京都江東区にある「名花堂」(現:カトレア)2代目の中田豊治が1927年に実用新案登録した洋食パンが元祖と言われることが多いです』(日本カレーパン協会「カレーパンの起源」より)
なんて書いてあるし。
失礼、カレーパンの1927年は明治ではなく昭和2年でした。
らんまんつまらん。
今の描き方でも寿恵子の頑張りで、貧困から幸せの道になっていると思います。
中村屋のドラマを子供の時に見ました。
TBSの朝ドラがありまして、「パンと憧れ」というタイトルです。
反論の返信ありがとうございますと答えておきます。
語り=宮崎あおい
「冷徹な田辺教授は、万太郎の干し方が上手でしたが、
冷静な寿恵子は、手拭いの干し方が上手でした。」
洗濯の干し方で常々思うのですが、あの頃洗濯バサミはなかったのでしょうか?風に飛ばされないために、どんな工夫がされたのでしょうか?
スタジオ撮影は風がないので洗濯ものを干すのが楽でいいなと感じるのです。
カレーパンもつまらん。
「パンとあこがれ」
教えて下さった方、ありがとうございます!
山田太一が脚本で、朝ドラの方は「信子とおばあちゃん」が放送されてた時期。
昼の帯ドラマ・ポーラテレビ小説のドラマで、調べてみたら、毎朝(翌朝?)、ちょうどNHK朝ドラの時間帯に再放送してたようです。
内容が興味深くて、らんまんで軽く扱ってた自警団ですが、「パンとあこがれ」では、関東大震災後の朝鮮人虐殺も取り上げていたらしく、
他にも、明治時代の女学校における学園闘争、家父長制家族制度、インド独立運動の志士をめぐる日英官憲との闘い 、息子の非合法活動をめぐる特高警察との闘い 等、かなり社会的問題に切り込んだ作品のよう。
女学校における学園闘争と読んで、らんまんの田邊教授を思い出しました。
時代が重なってると、描いてることもやっぱり重なるんですね。
山田太一さんは、こんなことまで描いていいのかと聞いたそうですが、どうせ誰も見てないんだからいいんじゃないですか、と返されたらしくて、朝ドラの視聴率の高さが窺えます。
内容は覚えてないんですが「信子とおばあちゃん」を、確かウチでも見てたはず。
でも「パンとあこがれ」の方を、今は見てみたいです。
朝ドラでは、今でも扱わないような話を描いてたなんて凄い!
寿恵子「いい質問ですね。干し物が飛んで行ってまた洗うの大変ですよね。私の若い頃は、木や竹の棒の先端部分を布が挟めるよう割いただけのものでしたが、19世紀から20世紀にかけて木製のばね付きの洗濯ばさみが欧米で使われて、あっという間に日本にも普及しました。うちは貧乏でしたが、これは割と早く使いました。私は手ぬぐいを干させたら誰にも負けませんよ」
昔は竿を竹で挟んで上の段に干すという作業をドラマで見たことがありました。二段式の物干しは我がにはないものだったので面白く見ていました。
毎回、思う最終になるにつれて詰め込みすぎて醜い解りづらい
長い休みの時は朝ドラも昼ドラも見ていましたから覚えています。インド革命の時にインド人を匿ってインドカレーを教わっていたようなエピでした。
洗濯ばさみ
印刷して干す時に使っていたので
同じようなものがあったのかな
バネにする仕組みを工夫するのがちょっと大変
曲げ輪っぱを作る時に使う板ばさみもありましたね
物干し竿に一通り干したら、もう1本竿を上に乗せたら飛ばされにくい、という方法もあります
うちも調べてみた
1~2年ごとに出産されていたのだから上の子達が一緒に面倒を見てくれたみたい。何ちゅういい子達。
母も14で父ちゃんと一緒になったのよ。あなた達も一人前よ。と それは冗談ですが
生き残った末っこの玉世さんは富太郎が50前後の時のお子さんです。
すえさんの母が犬の子のように、、と牧野を諫めた記録もあるから母も時々手伝いに来てくれたと思うよ。若い婆ちゃんだし。
ドラマで借金借金と聞いても貧乏さがわからないから
いろいろ金に糸目をつけず買ったんだと想像出来ます。採集旅行も大金持って行かなくちゃ移動できず宿泊出来ず。
いいんじゃない ドラマではそのたび誰かが助けてくれたんだから。
らんまんは面白くて
たまらんまんぷく。
たかが枯草たかが紙切れこれが世界に誇れる教育や研究に役に立つ日本の植物学に必要な大切な資料になってゆく、被災地の警察の言い分は正しいが、これは(標本)世の中のために大切だと言い切った万太郎の気持ちはわかるし世の中のためになると思っていての行動なら我がままというほどでもない。
特番見てて 植物採集旅行があんなに人生の大半を占めてて楽しそうに歩いてるのに ドラマでは足りな過ぎて残念。行ってきます。ただいま。近場の山や森でも撮れば良かったですね。人間のしがらみは完全に作りものだから貧乏でも舞踏会でも自由にしたらいいです。四万十川は今も自然が一杯。北海道も綺麗でした~。てっきり槇野万太郎の物語だと思ってました。
ネタの伏線回収に躍起になった朝ドラや途中で目標断念して脇道にそれてどうなるか考察させて結局別なものに代えてごまかした朝ドラのどこが優れた朝ドラだ。そんな堕さんな朝ドラと今作を比べる人がいるようだがお門違い。今作は無駄な考察も伏線回収もいらず主人公が目標を初志貫徹に貫く物語を軸にそれを支えた妻の人生、互いに共有した目標を叶えるため頑張る夫婦愛を真っすぐに描いて面白い。
過去ドラと比べて上げ下げする人は
ドラマ漬け人間だからです。
低レベルの言い合い読み飽きた。
とばせるように タイトルつけてくれ。
同じ賞賛も何度もくどすぎて 手ぬぐい談義の方がまし。
特番みたいなドラマを作ろうとしたら製作費がかかり時間もかかる
大阪朝ドラはやめてその分製作費をらんまに回し一年間らんまにあてれば満足な牧野氏をモデルにしたドラマが作れたかも(笑)。
それはNHKがつぶれる時
スタッフも役者も共有してるのを知らない何時代のおばちゃんだよ。NHKでバイトでもしてみたらいかが。
松母さんも みえおば様も
息災かどうかも全て宙ぶらりん。
人気絶頂のアヤタケは再登場
らんまんな二人は ゴジラの集客頑張って!
博士はオムツも洗ったことないが
洗濯物取り入れてくれるくらいはしてくれたかも
東北や紀州の友人が 一緒に山での交流や文通を
残していますね。
手紙にマメな博士なのに妻への僅かな感謝の気持ちしか書き記してないのも謎だそうで
おそらく子供との思い出はないのだろう。
話がらんまんから反れていてすみません。
中村屋のインドカレーはインド革命で日本に亡命していた方がいなければ作られなかったんですね。書かれたエピはこの話でしょうか。
以下のインタビュー記事を見つけました。
「新宿中村屋の純印度式カリーは、インド独立運動の志士、ラス・ビハリ・ボース氏が日本に亡命した際に、『中村屋』内にかくまったことがきっかけで誕生しました。
日本では、明治の文明開化でカレーライスが西洋から伝わっていましたが、それは小麦粉を使った欧風カレーで、インドのカリーとは異なるものでした。そこで、喫茶部を作るにあたり、ボース氏が祖国インドの味を日本に伝えたいと、“純印度式カリー”を名物料理として提案したのです」(https://www.gnavi.co.jp/dressing/article/22275/より転載)
そう言えば、東日本大震災で東北から北海道に避難された方が、長期滞在中に苺栽培のノウハウを農家さんに教え、苺栽培が定着したところがあったのをニュース番組で取り上げてました。
人が移動すると文化や色々なものがそこに伝わる。
牧野博士は日本中、採集旅行をして回ってますが、その採集旅行がドラマに出てこなかったのは、本当に勿体ない。
植物学者としての万太郎を描くにも、採集旅行はもっと入れた方が良かったし、旅行中に色々な人と出逢うこともあったんじゃないかな。
多分、牧野博士の功績は、植物図鑑を作りあげたことだけじゃなく、植物に対する興味関心を日本のあちこちに広げたこともあると思うんです。
学校の先生からの鑑定依頼の手紙の件に関わって、日本中から沢山の手紙が来ていると、ドラマで少し手紙の束が映ってましたが、近場の人間関係の話ばかりじゃなく、そうした全国の人達とどう交流していたか、講演会の様子とか、当時の日本人の植物に対する知識がどの程度だったのかとか、調べるのも大変だったかもしれませんが、そういう時代背景も描いてほしかったな。
そうすれば、牧野富太郎がその時代の日本で、どういう立場にあったが浮き彫りにされたと思うんですが。
「らんまん」では、大学内の人間関係、学位取得、新種発見、そういう専門研究分野での活躍を追う流れになっていて、あとは金策問題等の寿恵子の頑張りに付随した夫婦の物語、という感じですが、
牧野富太郎の人生にとっては、大学内のあれこれよりも自らが歩き回った植物採集の方が比重が高かった気もするし、多分、留守がちだったんでしょうから、家の中のことより、採集旅行先のことの方にいつも頭がいってたはず。
もしかしたらそれで、牧野家の生活とか金策とか、無関心だったのかもしれないし。
富太郎の人間としての良い面や植物学者としての価値も、ドラマに出したくない?まずい話を省いて人物像を変えた形で大学内や夫婦間のことを描くよりは、万太郎を全国あちこちに移動させながら、全国の植物愛好家達とのあれこれを描く方が、視聴者にも伝わりやすかった気がします。
ただ、そうすると、ドラマのコンセプト自体が変わってきてしまうので…そういう話より、こじんまりと?近場の人間関係を描く方が朝ドラ視聴者の求めるものに近いのでしょうか。
私自身は、近場内の誰がどーしたというぐちゃぐちゃした話よりは、そっちの方が面白そうだし、植物を愛し続けた牧野富太郎がより伝わりやすいような気もしたんですけど。
以前書いた方に私はこうだと参考
意見を書いただけ、
過去作と比べて上げ下げはお互いさま
過去作を引き合いに出した上げ下げは
大阪朝ドラ支持者の一部の方が
頻繁に行っているのは明らか
しかもいけないのは一部の方が複アカを使って
評価操作を行っているのが遺憾です。
2023-09-24 15:40:34
そういう話 一番要らないから。
いつになったらそういう話が出てこないスレになるの?
最近の朝ドラは17%も取れず下手すると16%も取れず15%に至ってしまった朝ドラを連続17%を記録して18%を難なく超えて19%にまで上げて最近の朝ドラで出せなかった20%の射程に入った。これまで盛り上げたのは内容が面白いのはさることながら、あまり一般世間に知られていなかった偉大な植物学者牧野富太郎を取り上げ牧野氏を世に知らしめたことで視聴者の関心を集めたからだと思います。また牧野富太郎寿衛夫婦のモデルを演じた神木隆之介さんと浜辺美波さんのフレッシュコンビに好感が集まったからだと思いました。
先に絡んだ来た方にも非がある。
ここがいけないこうすればよかったと添削されるようなコメントよりもここがよかったと書かれているコメントを選んで読むようにしています。
何事もまずはそのままを受け入れるのが生きていくうえでの基本だと思うので。
こうしたいああしたいは出された料理にちょっと塩たすくらいにしてあとは目新しい描き方や切り口を楽しむのも新しい味の発見になるはずなので。
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