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合計 | 145件 |
読み | あんというなのしょうじょつー | |
放送局 | NHK総合 | |
クール | 2021年7月期 | |
期間 | 2021-09-12 ~ 2021-11-14 | |
時間帯 | 日曜日 23:00 |
モンゴメリの不朽の名作『赤毛のアン』をドラマ化した人気シリーズのシーズン2。
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「赤毛のアン」をドラマ化したと言わず、
「アンという名の少女」で堂々と勝負すれば良いのです。
人間の心の中にある、差別や分断は誰もが持ってしまう心の闇。
それを描くことに異論はない。
キチンとしたドラマを1本作ればよい。
今の世の中には、そうした目線が必要なのは当然のこと。
それを何故、「赤毛のアン」に持ち込むのか?
オリジナルで一から作るのは面倒だから?
「赤毛のアン」はみんなの宝。
読んだことのない人達が、このドラマを見て「赤毛のアン」ってこんな話かと思われたら、モンゴメリーさんも村岡花子さんも悲しむと思う。
アンとコール、アンとダイアナの友情が本当に素敵な回でした。見た目を気にする話しとは裏腹に、十分に魅力的な中身を身に着けている3人。子供の頃はまだその良さに気付けないんですよね。大人になったら誰もが羨む3人になっているでしょうね。
赤毛のアンの髪染めの話し。原作では、ただ単にニンジン頭をどうにかしたいアンが行商人から髪染めを買って大失敗する話しでしたが、今回のように恋愛やキスや見た目の美しさのエピソードを交えて描く事で、よりアンの悲しさ、後悔、学びが協調されたように思います。
そしていよいよギルバートが帰ってくるんですね。ショートカットのアンも楽しみです。
ジェニーからマシュウへ宛てた手紙を勝手に盗み読み。しかも友達の前で。何の権利があって、、、ロマンチックの為なら、なんでも許されるのか、、、。
しかも、マシュウになりすまして代わりに返事を書くなんて。ここまで分別が無いとは呆れる。
マシュウの言う通り。間違ってる。
で、ジェリーに八つ当たり。なぜ泣く?自業自得でしょ。
例えばギルバートから自分に届いた手紙をマシュウやマリラが勝手に読んだら、多分烈火のごとく怒るんでしょう。
でも、周りの大人は優しいね。マリラはアンを慰め、ジェニーさんはアンの思いやりからだと。
売春宿で妊娠した人の出産って、原作にあったっけ?
全巻読んだのは、30年以上前だから。でも、多分無かったと思う。ギルバートが逆児の子をとりあげるなんて筋書きは…何故ここまで原作をねじ曲げる必要が?
多くの方が指摘されてるように、アンの名を借りず、カナダが舞台のこういう話なら、普通に観られるのに。
私はアンがもう、見られないことで、アンロスに陥ってます。
カクウェットちゃんの、遠い眼差し、その悲しい眼差しの先に、温かい心を持ったご両親のキャンプの炎が、見えました。なんとか助けてあげて‼️
ともう、祈るしかないのですね。
個人的に私はこのドラマも、違和感を感じるかたがたの思いも、承知の上大好きでした。
折しもキエフ陥落間近など、痛ましい現実が、ニュースで放映され、
先のレニングラード包囲戦から、独ソのおそろしい戦争を思いだしました。人間は極限になるとここまで残虐になれるのか。モンゴメリーは、次男が軍医として駆り出される恐怖にかられつつ、戦中に悲しみの中でその生涯を終えたということがつたえられています。
一刻もはやい、解決を祈りつつ、アンとギルバートのめくるめくような情熱的な愛を何度も、リピートしています。もちろん字幕で。
ここに書いていいのかわかりませんが、YouTubeで、エドシーランのアンとギルバートもなんかいもみてしまいます。
憎しみあうより、愛しあうほうがいいのに...
カウンティフェア準備段階から手がこんでいて、みんな総出で楽しいお祭り、ゲームのコーナーをつくり、巨大なテントや、気球まで。ゲートをくぐりぬける人びとの笑顔を思いうかべつつ、年に一度のことながら、ここまで丁寧に美しく彩り豊かにつくるのか、と、わくわくして見ていました。
ただアンにとっては、傷心の1日となりました。
親友ダイアナにギルバートへの淡い恋こころをうちあけ、おめかしをしてきたつもりでしたが、残念なことにアンのよさをひきたててくれるどころか、欠点ばかり目立つ、コスチュームに思えました。ダイアナや、ルビー、ミニーメイならかわいかったたろうな。という感想をもちました。
デイジーで、恋占いをしているときは、回りの自然に溶け込んで少女らしく、かわいかったですが、いざ門をくくりウィニフレッドと対面するときには、彼女のドレスが素敵すぎ、スタイルも完璧な美人、ギルバートは完全に彼女のもの。なぜなら彼女はどうみても、少女ではなく上流階級の訓練をうけた女性で、自分に似合う自分をひきたてるコスチュームをパリの最新流行もとりいれながら、作らせることができるから当然でしよう。
自分は片想いだとうちのめされているのが、よくわかり、いんちき占い師に赤毛を振り乱し文句をいいにいくさまは、癇癪もちのアン ,シャーリーそのものでした。でもわたしは、それもひっくるめてアンが大好きです。表面を取り繕い、お腹のなから真っ黒という女よりよっぽど魅力的です。
ケーキも、マリラの手違いでバニラの代わりに湿布薬をいれてしまい審査員たちがはきだすしまつ(笑)
アンにしてみれば、真剣に、メアリーのレシピに忠実に作ったはずなのに。鼻風邪をひいていて気っかなかった。それだけのことです。マリラに確認するとか無しで一切自分一人でやってのけると思い込んだら突っ走るアンの悪い癖がでてしまいました
ジョーシーの件も、友人たちが言うようにデリケートなことに立ち入りすぎ、ひとりでつっぱしりすぎ。次週はとんでもないことがおこりそうな予感がします。正義のために人を傷つけてはいけないです。
ラスト夜中一人新聞をつくりに精をだす場面はちょっとこわかったです。
マリラとマシューの思いやりで別な視点からものをみてみたら?
と気球にのせてくれたとき、広い視野でものを見ることの大切さを学んだはず。なのにまた勝手に誰にも相談せず、突っ走っていくのね。
諸刃の剣のようなアン。
一番傷つくのは、自分なのに。
どういう顛末になるか、気になります。
心にグッとくるお話ばかりでいつもは気づかなかったんだけれど、パート3今回の冒頭で今までのお話を振り返る映像で出てくる人た地の衣装や作りがとてもおしゃれなことに気づきました。
マリラのウェストベルトがかっこいいのとアンが作ってもらったドレスが素敵なのはもちろんだけど、ダイアナの青のコートと水色のマフラーの組み合わせ、名にふさわしい赤系統の服と帽子が似合うルビー。
そしてセバスチャンアンと結ばれたメアリーの衣装に飾られた黄色い花飾り、背景が地味なだけに色が生きていて見てるととてもワクワクしてくる。
まして今回はアンが出会った原住民族の少女の衣装や、アンが彼女と交換したマフラーのカラフルさに魅せられてまたあみものがしたくなって、毛糸購入を計画し始めた。
我が家にとってはとても経済効果があるドラマなのでした。
2021-11-14 19:16:31です。
私は原作のファンなので、必要以上に悲しく重く掘り下げて描いて欲しくないと思っている、という気持ちに変わりはありません。
このドラマは、本国でも賛否があるらしいです。
このレビューサイトには、最初 私と同様の意見も多く見受けられましたが、おそらく、多くの人が離れたように思います。肯定的な意見が多くなりました。
私はシーズン1のラストが衝撃的で、その後グリーンゲイブルズに下宿した詐欺師達の顛末が知りたくて見ていますが、その件が終わったら視聴を終えるつもりです。
で、顛末は無いのかな。。
こんなに欠点もさらけ出したヒロイン像も珍しい。
でも、負の部分と善の部分は誰にでもある。
思ったまま直ぐ口にしてしまう感情的なアン。人を傷つけてしまった事に気づかなかったり、憤懣を当たり散らしたり。
でもイビツなのは幼い頃、不安定な生活環境にいたのも原因だと思う。
ステイシーはビシッと言い当ててる。
でも、彼女は生徒を見捨てたり、蔑んだりしない。
両親揃って裕福であってもビリーのような子供もいる。欠点はどちらにも平等に。
ステイシー先生との出会いでアンも、そしてビリーも変化していって欲しい。
赤毛のアンのように可愛くて幸せを感じさせてくれる物語ではないが。
一人の人間の善と悪、長所と欠点、他者から見てとても好きな部分と嫌いな部分。
多面性が描かれているこのアンと言う名の少女というドラマ。
うちひしがれても、また立ち上がって。
和解があって欲しい。
とてもとても辛い回だった。
金曜の今気に入って視聴してる【最愛】が自分の中でぶっ飛んだ位、衝撃的だった。
あの男子達が銃で撃って壊した粘土の人形が一瞬人間達に見えた。後ろに流れる音楽が美しく、まがまがしい悪辣なこの男の子達の行為と反比例して凄惨な場面だった。
遊びの範疇を超える、残酷性を浮き上がらせていた。
聖なるものを破壊するような⚡アン達が大切にしている基地を貶める行為だ。憤りを感じた。
自分の大切なとのを破壊されて、犯人のマフラーを見つけて走って行ったコリーの気持ちが辛い。
アンのお喋り(コリーの話をしたり、秘密基地を見せたり)で先生が訪ねて行きコリーが学校をずる休みしてる事がばれた。この家では、ばれたという事は学校なんぞ行かずに生活の為に農場で働けという事なのだ。コリーの絶望は深い。
アンとの友情にも亀裂が入った。
新任教師は魅力的。美人でないが、表情等とても素敵な女優だ。ブラウスもとても素敵。着てみたいけど❗似合う訳がない。
マリラとレイチェルは先週は仲良く街を楽しそうに歩いてたのに、今回は辛辣な関係に。
友情等、ガラス細工のようなもの❗
セバスチャンとギルバートも。
でも、
ギルバートが自分の勉強の事で頭がいっぱいいっぱいになったお陰さんでセバはメアリーと距離が一挙に縮まった❗
このセバスチャンがこのドラマで一番素敵かな❔吹き替えの声も超二枚目声だし。
ステイシー先生が男性と馬車に乗るのを窓から見てしまったリンド夫人の嬉しそうな顔。
「噂の危うさとプライバシーを思いやる事の作文」は、リンド夫人こそ書けよ😠💨
それにしてもアンのキンキン声は参る。
速度を上げて聴くと、壊滅的に凄いうるさい。
これは英語と字幕の方が良かったかな❔と思ってしまった次第。
狐は逃げたのでほっとした。
嫌な回だったが、貴重な回だった。
00 41 27の方に👍入れた。
直視したくないけど、今も今こそ、あちこちで憎悪の連鎖はなくならない。さあ、どうしたら良いのか?このドラマがどのような納め方をするのかじっくりと観たい。
はー、ホントに様々なテーマが同時進行し、多様性を肯定する社会へのエールを発信してくれるドラマ。見応えがある。
「大草原の小さな家」は、一話一話、一つのテーマに絞っていたけれど、アンという名の少女は、複数のテーマが同時進行して絡み合う。
けれど、どちらにも底通するのは、多様性を認め合う人間讃歌。
その為には、変な固定観念や偏見にまだ汚されていない無垢な子供が主人公である必要があった。
少し前までのダイアナのお母様ならこのドラマを顔をしかめていやがっていたと思うけれど、
小倉久博みたいなダイアナのお父様に自分の思いをぶつけて、本当は何が大切なことかわかった今は笑って一緒に見てくれると思う。
家族って分かり合えて当然という思いこそ捨てちゃった方がいいかもしれない。
それは仲間や友人に対してもそうかもしれない、
相手のことを思うなら、独善はいけないし遠慮しすぎの放置もいけない、親しき中にも礼儀ありを守りつつ、手を差し伸べることは難しくてもでも手を差し伸べることは大切。
詐欺師に騙された傷が痛んで自分をも周りをも責めすぎた人たちが自分たちの力で再生する話を見られたことは幸福だった。
その働きい優劣はつけられないけれど、
「案ずるより産むがやすし」を体現してくれたギルバートに一番に感謝。
名作を新しくとりなおすのはいつまでもあってほしいけど、その時代の感覚で名作をぐちゃぐちゃにするのはやめてほしい。「赤毛のアン」のもつ美しさが黒くなってく気がする。
確かに昔の作品は海外物は刑事ものさえ牧歌的だった。
人間の心の闇を描くよりも、理想の追求が目的だったのだろうか?
児童向けならなおさら。
それをまねていればいい子になれるとでも?
時代は進み大草原の小さな家さえ内容が変容していった。
差別と分断が進む今「アンという名の少女」も見るべきだろう。
最後まで制作できずに終わったというのがグッジョブ
カナダは打ち切りさせたことを誇って良し
現代の問題意識やりたきゃオリジナル現代劇で勝手にやれ原作レイプは迷惑至極
アンの名を借りた別物。その通り。
これが「SHERLOCK」のように原作をリスペクトして現代版に作り替えたものならよかったが、こちらは完全に別物。有名なキャラの名前と見た目を借りて現代の感覚で動かしているので見るに堪えない。
「アン・シャーリーを敬愛する女の子」を主人公にするとかできなかったのだろうか。
2022年7月26日の記事より。
"ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇(Pope Francis)は25日、訪問先のカナダで演説し、同国で「多くのキリスト教徒が先住民に対して犯した悪行」を謝罪した。(AFP=時事)"
1800年代〜1900年代前半に行われた、キリスト教徒とカナダ政府による、カナダ先住民の子供の寄宿舎学校への、同化政策と称した強制連行と虐待に対して、教皇が謝罪。とても重い意味を持っている。
ドラマ内のキャラクターではあるが、カクウェットのような境遇にあった先住民の子供達が無数にいた事を考えると、宗教とは何か、を改めて考えさせられる。
最終回の日は、前回感想から日にち経ってなくつけられなかった⭐
毎回視聴にどっと疲れる程でしたが、ずっしり感動や様々な事を考えるきっかけになりました。
私事ですが、暮れの夫の死を間に挟んでのドラマ視聴でした。
こんな時にもドラマを観ている自分が不思議でもありました。
視聴しながら一方的に夫の遺影に
「ねえ、貴方、アンは今回もキンキンうるさいわねえ。 私と良い勝負かしら?」
と埒もない事を話しかけていました。
最終回迄視聴して、今はこの物語に感謝してます。
私もあの寄宿学校跡地におびただしい子供達のお墓があったという記事に暗澹たる思い出です。中には学齢に達してない幼児迄いたとの事です。母親と引き離しての教育とは名ばかりな陰惨な虐待という所業に愕然としました。
ギルバートは、アンがみなしごだとからかわれ辛い体験から、無神経な発言や、暴走する行動にまゆをひそめることはあったとしても、その内奥にガラス細工のようなこわれやすい、繊細な神経をもって生きていてまもってあげたい。と強く思ったんだと思う。
ウィニフレッドは、両親のみならず、友達も、上流階級のマナーも完璧、手綱の緩めかたもバッチリの、
コミュニティのなかで生きているので。自己肯定感がしっかりあるから、二週間で気持ちの整理もできるほど強い。だから大丈夫。
ジエリーも二つの温かい家庭をもてて、うれしそうにしてたし、こちらも大丈夫と確信がもてた。
気掛りはバッシュだけど、ステイシー先生と友達になれてよかった。
哀しむべきはカクウェット。
子供を閉じ込めたままの、状態にしておかないで。
侵略者の犠牲になるのはいつもこども、
カクウェットの叫びが、世界を動かす源動力になるといい。
アン、はやく記事かいて、ステイシー先生やギルバートに添削してもらってほしい。遅すぎないうちに。
アンの世界をダークに描いたこの作品は賛否両論があり、私もアンの孤児院でのことや、初潮の生々しさに拒否反応があった。詐欺師が下宿人になるというトンデモ展開でシーズン1が終わり、放送に間が開いてヤキモキしたりもした。
途中で、ビリーが嗤いながら人形を撃つシーンにはゾッとしたものだ。だから、一時離れた。
そして、時々レビューだけは拝見していた。ここに集う方々も元は原作のファンで、おそらく戸惑いはありながらもこのドラマも受け入れた方々。その方々のレビューを拝見し、こんな見方もあるのかという気付きもあり再び視聴を始めた。
原作ではアンの氏素性はハッキリしていて、そこも改悪かと嘆いたものだけど、ラストでカスバート姉弟がアンの身元を知る為に手紙を書き、足を運び、壊れた棚まで修理して、アンの宝物を取り戻したシーンを見て、胸があつくなった。
本当に素敵な本だったし、劇的で、マシュウとマリラのアンに対する愛情が際立って見えた。
そして何より、マシュウが生きていてくれる。
マリラの目も心配するほどではなさそうだ。
2人が原作よりアクティブなのは、、、うん、悪くない。
アンの女優さんはすっかり大きくなり、もう少女の感じでは無くなったけど、続くアンシリーズの結婚、出産などには相応しい年頃になる。続編がもしあれば、また眉をひそめながらイメージと違う…と思いながらも見るだろう。そして、またこのレビューに投稿できるのに。
カクウェットちゃん達のその後も知りたいし。
あぁまた長くなっちゃった。
わたしも、上の方と同じです。ねがわくば終わったとしても、いまのまま、いごこちのいい、素敵なレビューがみられますように🙏
今体調を崩している私は母と某番組を最初は楽しみに見始めたんですが、途中からストーリーがテーマがなんなのか台詞からも、俳優さんの表情からもよみとれなくなり、頭が混乱して、その番組のレビューに投稿したらものすごい荒れや、からみ、暴言、見ると心がきずつくだろうなということばかり、書かれてありました。
言論の自由は基本的人権、でも、誹謗中傷や、気持ちを傷つけるような権利は本当の自由ではないとおもいます。
「気持ちがあるんだよ。」と、真っ直ぐ目をみて、悲しそうに諭したマシューのあの台詞がわすれられません。
知的で冷静なギルバートは、気性が激しく騒がしいアンより、裕福で大人っぽいウィニフレッドと結婚したほうが穏やかに暮らせるし、良いドクターになれるのでは?
ウィニフレッドじゃ物足らないんだろうな。
可哀想なのは寄宿学校に監禁されたままのカクウエット。
カクウエットの両親を乗せてマシューとアンがあの学校に馬車で向かったが、カクウエットが学校から逃亡した時は途中でフェリーに乗って先住民の村へ帰っていたのに、なんでアンたちは直接馬車でたどり着けたのだろう?
納得いかないので現代のフェリーのように、馬車のまま乗り込めたんだ、と思う事にした(笑)
更にもう一つ。
いつもアンに酷い扱いをされ、ダイアナにも振られた雇い人のジェリー。
アンが出て行った後は、今度は彼がグリーンゲイブルズの下宿人になって、マシューとマリラから実の息子のようにたっぷり愛情を注がれて幸せになって欲しい。
イケメンで優しくて働き物の彼が、近所の農家のセバスチャン一家と助け合いながらプリンスエドワード島に明るい農村を築いて行って欲しい。
カクウェットのその後が描写されないままの、ドラマ打ち切り。
19世紀〜20世紀のカナダやアメリカでの先住民族同化政策の中で行われた、子供の寄宿学校教育の悲惨な実態について、このドラマでほとんど初めて知った。
カナダでは、2020年に、元寄宿学校跡で、大勢の子供の遺体や無記名墓が見つかっている。
先住民族の子供達の寄宿学校で何が行われ、どんな悪環境だったかは、推して知るべしだろう。
中国で進行しているジェノサイドを批判している米国も、かつては同じ事をしていた。もちろん、批判している米国は現代社会の米国。過去を悔い改める意味でも、世界のジェノサイドを批判していく責任はある。
折りしも、ロシアのウクライナ侵攻。ウクライナ人を一掃し、文化を破壊し、国民を親ロシア又はロシア人に全て入れ替え、ロシアの傀儡政権を作るという意味では、これも一種のジェノサイドだろう。
今、西側諸国はロシアに怒りを爆発させているが、長い世界史の中では、何度も何度も繰り返されてきた悲劇。それは西側諸国でも米国でもアジアでも、そして全世界で。
しかし、我々は国家に情報統制され、真実を知る機会も奪われている事もまだまだ多い。
この先住民族ジェノサイドの一端に踏み込んでドラマに取り入れたNetflixに拍手。
ドラマはこの点に踏み込んだが故に、圧力がかかって中断に追い込まれたようだが、カクウェットに心の中で祈りを捧げ続けたい。
たしかに。カクウェットちゃんは?
おだやかなエンディングを流すなら、その後カクエットは海のひとでの名前の通り粘り強く無事寄宿学校をでて、両親のもとに帰りました。とか、アン、ギルバート、ステイシー先生方の新聞記事が大手の新聞社に投稿され、基本的人権の尊重の訴えが州知事の心情を揺さぶり神父やシスターの交代がなされ、短期間でそれをのぞまない家族のこどもは、学校を中途退学したそうです。そのなかに、ハンナという名の少女がありました。カクウェットは無事両親と、暮らしています。
などの、ナレーションか、字幕テロップでもあれば、まだ安堵できるのに。残念でした。
ただ、今,希望がもてるのは、プリンスエドワード島のミクマクのファーストネイションに、ミクマク語と、英語の両方をのせた、絵本やわらべうたがくばられていて、こどもたちがねるまえに読んであげる運動が盛んに行われているそうです。
素敵な試みで希望がもてます。
わたしは、この番組を見たからこそ、ファーストネイションのことも学べたし、ここにいらっしゃるかたがたからも、いろいろ教えていただき感謝でした。
ありがとうございました。
ギルバート、本当に誠実❗️
アンのことが気にかかった状態のまま、ウィニフレッドとは結婚できない。
自分の気持ちがはっきりしたらはやいほうがいいと、すぐ来たんだ。
当然ブライドの高いウィニフレッドは傷ついて本音を、バンバンぶつけてきます。
「わたしは、じゃあ妥協の対象でさえないわけ?」
「妥協の対象だなんて、とんでもない!
君は素晴らしい女性だよ。僕なんかでなく、君にふさわしい、君だけを愛する人が必ず現れる本当にすまない」
そこに真摯さはあっても、打算や自己欺瞞はみらるない。
ウィニフレッドのほうは、予想通り父がどうの、母がどうのと、自分の結婚なのに。ギルバートと相談もなく、パリの部屋の内装まで、婚約前に決めてしまった、
こんなことは恥だから、身を隠すために、2週間だれにもいわないで。と高圧的な冷たい眼差しで言い捨てます。ものすごい眼差しでした。でもその強さは彼女自身で、もう先を見越している勝者の眼差しでした。
アンならだまりこくってしまうが、身もふたもなくかおをおおって泣き出してしまうか。
彼女の強さは裕福な世界と階級を背景に毅然とたちあがれる。
別れて正解でした。
アンを想って書いたラブレター、
情熱的で素敵でした。
アンへの思慕が素直に綴られていて。
英語字幕で見せてほしかったです。
ウィニフレッドとダイアナが
事実を語ったことは、偶然とはいえ、たたみなけるような大団円にむかうきっかけになりました。
偶然すべてを理解した、アンとギルバートはまわりがどうのおかまいなしに、お互いのもとにむかい、熱く愛を交わすシーンは美しく見ていてドキドキしました。
恋愛を通して人は成長するといいますから、
今後の二人の行く末をもっとみたかったけど
アンと言う名の「少女」がタイトルなので
これで終結でよかったです。
後、真実の愛を語ってくれた、マリラとマシュー生きていてくれてありがとう。
カクウェトちゃん救出も、あるかたがみつけてくださとたたカクウェトちゃんのプレゼント、ちゃんと荷物にありました。きっと大丈夫でしょう。
希望がもてる内容になっていました。
畳み込むような展開が小気味良く進んで、終わった。大団円。
セバスチャンの母親の台詞
「人は歩み寄れる」
最近自分もそう思えて気持ちが楽になった事があった。歩み寄れた事で安らげるようになった。
イライジャが小さな妹を抱っこした。
この赤ん坊はセバスチャンとイライジャの架け橋だ。
マリラやダイアナが活躍。
アンの空白なアイデンティティーが判った。
ギルバートとアンの行き違いも、ダイアナとフラれた彼女のお陰でハッピーエンド。
キスもしちゃった。この二人のキスシーンを、見ることになるとは❗
なんか照れくさいのだ。
つくづく一柳さんという声優とマリラ役の女優は一体だと思えた。
この女優にこの声優のキャスティングは素晴らしい。
マリラが日本語を話すんだと思える程に合っている。
いかついいかり肩で大柄なマリラ、
彼女のような肩に憧れる。揺るぎない強さがある。
実直で働き者。
一見保守的に見えるが
アンを引き取り育てるうちに変化を受け入れるようになる。行動し、積極的になって行く。
マリラは慈母のような人だ。
皺も白髪も素敵だ。
私はけっこうこのアンというヒロインには振り回された。最終回も冒頭はヒステリックで可愛くない。
こんなに可愛くないところもある、むき出しのヒロインも珍しい。
で、
日曜夜はこの【アンという名の少女】のせいで不眠症だ。放送が中断されるとほっとする次第。
でも、いろいろ考えさせられたり、気づかされた。
終わって~一つだけ気がかりなのは寄宿学校に閉じ込められた少女や、両親。
もうこんな時間なのに眠くならない。
このドラマのせいでシフト制の仕事を月曜を希望休にした。日曜夜11時にテレビ前に座るのは難しい。
ここのコメントは充実してたと思います。
読むのが楽しかった。
ありがとうございました。
アンたちの旅立ち。
アンがグリーンゲイブルズを発つ前の荷造りで手にしていたものの中に、カクウェットからもらったミクマクの髪飾りがあったように見えた。容易には会えない友だちを思い続ける気持ちが伝わってきた。
ドラマにも、こちらの皆さんにも感謝。
良い収まり方でした。
このアンのシリーズは、ここまでで終わっていて、本国では続編希望の声も多いと聞きます。(勿論反対派も多い。)
原作ファンの私としては、反対派。モンゴメリが生きた時代にも苦しみがあったと思うが、その中で希望として優しいアンの世界を書いたなら、それはそのままの世界観で描いて欲しかった。「リラ」について書かれた方がいらして私は既に忘れていて…全巻読んだのかなり前ですし…読みたくなった。
現実の世界はどんどんキナ臭くなっているし、アンの時代にも描かれたようなことはあったのだろう。アンの名を借りず独自のドラマとして描いて欲しかったという思いはある。でも、アンの名前が無ければ、私は見なかっただろう。考えさせられる内容だったことは間違いない。
まずバッシュと母親の関係が、どうやら上手くいき始めたこと、メアリーの息子が改心し、大切な物を返し、この先も永くバッシュ達といられそうな予感。良かった!
アンの癇癪持ちは、ギルバートの頭を石板で叩いた頃から変わらない。何故に読む前に手紙をビリビリに…そして拾い集めて逆の読み方をする…。
ギルバートからの思いもしなかった返事に、打ちのめされたウィニフレッド。父親が出て来なくて良かった。あんなもんじゃすまないと思うし、しかもウィニはアンギルのすれ違った気持ちを繋ぐ役目をした。ギルバートも言っていた。きっと相応しい人が現れる。そう願いたい。
ダイアナ令嬢も、激情型みたいで。汽車の中でこれまた(^^;
ギルバートが途中下車して走れたのは、ダイアナ父娘のおかげ。アンギルがお互いを求めて出会うシーンは良かった。
そして、無口なマシュウがアンへの思いを語る。原作ではもう…生きててくれてありがとう。
カスバート姉弟の深い愛情が遂に探しあてた素敵な本も良かった。
アンにとって、最高の1日になったことは間違いない。
でも、カクウェットちゃんは!?ご両親は!?あれだけ騒いだアンは新聞社に手紙を書かなかったの!?せめて1話分増やして そこの部分を描いていれば、気持ち良く最終回を受け入れられたのに。
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